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2023-01-31 1:15:53

BC056 『運動の神話(上)』

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面白かった本について語るPoadcast、ブックカタリスト。今回は、『運動の神話』の「上巻」について語ります。

今回は、はじめての「前後編に分かれたシリーズ」です。

というか、最初は「複数回を使って複数の本を紹介しつつ、全体で大きなテーマを含んだもの」にする予定だったんですが、最初に紹介しようとする『運動の神話』がものすごく面白く、しかもこの本は「上下2冊構成の本」

それなら「1エピソードで1冊紹介」という切り口でも面白いかな、と2回に分けて1冊を語ることにしました。

また、今回からブックカタリストサポーターの方向けには、アーリーアクセス的なサービスとして、最速で無編集バージョンの動画を公開していきます。

BC056 アーリーアクセス - by goryugo - ブックカタリスト

ブックカタリストの収録は(ほとんどの場合)隔週火曜日の午後。ここから動画を書き出して、さらにSubstack側での動画処理などなんやかんや時間がかかることを済ませて、公開できるのはだいたい20時だとか21時だとかになるんですが、おそらくこれからは毎回アーリーアクセスコンテンツをお届けできるようになるかと思います。(ごりゅごのターンでは同時に台本もここに加えています)

それと同時に、各配信の文字起こしPDFも配信に添付していく予定です。このあたりのプロジェクトについては冒頭でも軽く話しているので、そちらもご視聴いただけたら幸いです。

今回の文字起こしバージョンはこちらです。

プロジェクトの一環として、githubでも文字起こしデータの公開をしていますので、過去分などはこちらをご覧ください。

goryugocast/bookcatalyst_transcription: ブックカタリストの文字起こしデータを共有し、それを使って様々な場面で活用できるようにする

という感じでブックカタリストシーズン3となる2023年は、こんな感じでいろいろと新しいことにも調整しています。これらのプロジェクトを応援いただける方は、サポーターの加入もご検討いただけると嬉しいです。

ということで本編。

今回のテーマは「運動すること」「食べること」「ダイエット」というものについて複数の本から学んだことをじっくりまとめて考えてみよう、というものです。

そして、運動の神話というタイトルでありながら今回はその「神話的要素」について触れただけで、あとは運動の前段階「座る」「睡眠」についての話だけで終わってしまいました。

ただ、今回話した「座る」についてはいきなり今回のシリーズで「一番面白いと思った部分」であり、一番影響を受けて行動を変えた部分でもあります。

影響を受けてこんな感じのバランスボールを使い始めたり、新しくバランスボールクッションなんかも購入して、これを使いながらアメフトを観る、なんてことをするようになりました。(片足立ちでバランスとりながらテレビを観る。さらにこれを使うことで集中して1試合を観戦できるようになった)

また、今回は時間的な理由や難易度的な理由で省略しましたが、上巻の後半にかかれている「ATPを使ったエネルギー発生の仕組み」というのも非常に興味深いものでした。現代科学の目線で見ると、人間が体を動かすには「エネルギー」が必要です。そこまでは直感的にもよくわかるんですが、そのエネルギーを発生させているのは「化学反応」です。このあたりの仕組みについての解像度も、本書を読んで一段階理解が深まったような感じがします。

📖ブックカタリストで紹介した本 - ナレッジスタック - Obsidian Publish(改めて紹介した本を順番にまとめる予定)



This is a public episode. If you’d like to discuss this with other subscribers or get access to bonus episodes, visit bookcatalyst.substack.com/subscribe

サマリー

このポッドキャストでは、現代社会における運動と健康の関係を考えます。第1章では、運動が神話と言われる理由について説明され、第2章では、運動がビジネス化された現代の状況について述べられます。運動には矛盾があり、適切なデータがないため、その効果については確定できません。運動は単純であると思われますが、実際には難しいものであり、恐怖心を抱かせることもあります。現代人が過去の人々と比べて運動量が劇的に変化しているわけではなく、人間は動くことを嫌います。しかし、人間は利益を得るためにリスクを取ることができます。また、体内エネルギー消費と死亡との関係や肝臓の役割についても説明されます。運動をすることで、エネルギー消費量の変化や炎症を抑制する機能が働くことが話されます。運動に対する理解が誤解されがちであり、運動の効果に関する認識が解像度が荒いと感じられることがあります。また、脂肪の燃焼と炎症の関係、炎症の影響、炎症を引き起こさないための運動方法についても詳しく考える必要があります。さらに、座っている時間や睡眠と脳の働きについても重要であり、日常の生活スタイルを見直すことも必要です。

運動の神話
面白かった本について語るポッドキャスト、ブックカタリスト、第56回の本日は、「運動の神話 上」について語ります。
はい、よろしくお願いします、上。
はい、よろしくお願いします。
まとめてたんですけど、上巻の内容だけでめっちゃ面白かったので、今のところの目論みとして全3回のシリーズを考えています。
運動の神話上巻、運動の神話下巻、その後が運動しても痩せないのはなぜか&科学者たちが語る食欲っていうので、
運動すること、食事を見直すこと、それに伴って健康とかダイエットとか、そういうことについて最近読んだ本が割とつながっていることが多く、
それらで学んだことを順に紹介していきたいなと思っております。
運動シリーズの第1回ということですね。
運動と食事シリーズかな?今回は食事は触れないんですけど。
ひとまず最初にいくつかいただいたお便りを紹介したいと思います。
まずツイッターで、やすふみほりえさんから、
昨日の夕方配聴を偶然にもちょうど午後セネカを読んでいて、夕食の準備をするときにブックカタリストを流したらつながっているテーマでびっくり。
思った通りにならないことはこれまで十分経験したようで、僕自身は期待しすぎないことを心掛けるようになりました。
期待しすぎないことというのが非常に現代社会によって非常に重要だなというふうに個人的に思いますね。
これは東京ポット許可局要望でスピッテルという表現をされる行為でありまして、スピリチュアルな事象が起こった。
スピッテますか、これはスピッテますねというやつですね。
偶然の一致といったところで、あの本にもセネカが出てきますし、セネカなんていう人はもうソクラデスぐらい有名な人なわけで、起こりやすいスピリカタですよね。
最近東京ポット許可局も何を言ってもスピッテますって言われるようになって、そうやって楽しむ生き方なんですよね。
これスピッテますかって、スピッテますスピッテますっていう感じ。
そのようにして言語の使われ方が変わっていくというのが面白いところですね。
あとですね、タスさんがカッコつきで、ちなみについ最近書店に行ったら限られた時間を超える方法カットリサーブローデックという本を見かけました。
思わずそういうとこだぞとツッコミを入れてしまいました。
これは僕がニュースレターに書いた、多分一番最後ら辺に書いた文章で、これね面白いんですけど、
両方とも換気出版で同じ本なんですよね。
多分わざと、意図的にやってると思うんですけど、書店に行くとその本が2冊並んでることがあって、
限られた時間の使い方と限られた時間を超える方法っていうのがあって、
この限られた時間を超える方法も実はちょっと違うんですね。
時間術とかではなくて、時間体験について考えるっていうような本なんで。
ちょっとタイトルで遊んであるなという感じはしました。
個人的にこういう格好つきで無言で引用するみたいなフォーマットは好きで良いなと思います。
あと文字起こしに関して何名かの方から返信というか意見をいただいておりまして、
まずTKSさんがBTC054アフタートーク文字起こしの話題、
あの話はどの本の回にしてたっけということは起こるので文字起こしページがあれば嬉しい。
普段からラジオの書き起こしにお世話になっているので、そんな感じのものがあると嬉しい。
って言って、どんな感じのことをやっているかっていう方とですね、
デラメガネさんも自分もあの話題はどの回だったっけとよく思うので、
全文テキストがあるととてもありがたいと思っています。
内容ごとに分けるという発想はTKSさんのツイートを拝見するまでありませんでした。
確かに分かれているとすごく便利ですね。
おそらくですけど、これ本編しか聞いてない人はわからない予感がするんですが。
はい、そうですね。
ブック型リストのこの音声データをWhisperでしたっけ、
Whisper AIを通すことで結構簡単に文字データになるんで、
それをGitHubとかどっかにあげちゃってみんなで利用できたら楽しいんじゃないかという話を
アフタートークでしたことに対するレスということですね。
そうですね。解説ありがとうございます。
同じくフックさんからもブック型リストアフタートークで文字起こしの話をしていた。
検索めちゃめちゃしたいのでMP3借りてWhisper CPPしてみた。確かに良い精度。
リビルドみたいに検索結果の場所から再生するリンクを作りたいけど、
サブスタックのプレイヤーだとできないのかなというお話もあって。
これはどうなんですかね。僕は見たことがないですけど。
YouTuberできますよね。この時点から再生のリンクが作れるんですけど、
Spotifyもできるのかな。
あのね、ポッドキャストプレイヤーが割と概要欄にここからどの話題っていうのを書いておくと、
そのポッドキャストのプレイヤーなら再生は対応してるんですよね。
これで言うとWebからそのままそれができるっていうことが多分メリットだと思うので、
どういうふうがいいのかな。
直接再生できるのがベストとして、それができない場合でも、
この話題が何分あたりと文字で書いてあるだけでもスクロールバーをこの辺っていうことができなくはないので、
ないよりもあったほうがいいのは確かですね。
そうですね。先日ふくさんとお話をしたときに、こんな感じのローカルで動かしてみてるとかって言って、
文字起こしデータをデータベースにぶっ込んでいて、
インクリメンタルに結果が出てきて、何分のところかわかるみたいな感じになっていて、
こういうのがWebとかでできるようになったらだいぶ便利だなっていうのを思いましたね。
これWhisper CPPってことはC++で書かれてるっていうことか。
そうです。WhisperのC++版ですね。
もともとは確かPythonだったよね、これ。
確か、そうそうそう。
なるほど、なるほど。
Whisper CPPだとM1でデカいデータベース使っても、1時間のデータを1時間かからずに文字起こしができる。
逆に言うとPythonだったらすげえかかる?
Pythonだと知らないんですけど、使ってなくてすげえかかるらしいです。
それはちょっと厄介な。
運動のビジネス化
基本的にM1 Macがそのあたりは高コスパで動かせるコンピューターですね。
M1、M2。
よくよく考えたら僕のMacBook AirまだM1ではなかった。
インテルだとめっちゃ遅いらしいですよ。
インテル結構つらいみたいな。
ラストインテルのMac買ったんで、僕がこれ買った2ヶ月後ぐらいにM1発表されたんで。
やろうと思ってたけどちょっと困難かな、自分のところでやるのは。
動かなくはないんですけど、すげえうるさいとかファンがブンブンがありうるという感じですね。
なので文字起こしプロジェクトみたいなのは、これから急いでやることではないんですけど、ある程度力を入れてやっていこうかなと思っていて。
GitHubで一部文字起こししたやつとかも公開しているので、そこは今回の概要欄などにも一緒に入れておいて。
あと文字起こしこんな感じですよっていうのは今回の概要でも、その一緒に今回の話を文字起こししたものというのをお送りしようと思っております。
ということで本編です。
今回紹介するのは運動の神話という早川書房から2022年の9月に出た本。
運動の神話という現代なんですけれども、よくあることで、日本放題は運動の神話なんですけれども、
現代はちょっと複雑な構文なんですが、
エクササイズド、なぜ私たちはネバーエヴォルブドなのか、
ヘルシーアンドリワーディング。
文途切れてるの?一文?
エクササイズドがタイトルで、なぜ私たちはネバーエヴォルブドなのか、
ヘルシーアンドリワーディング。
日本語に大雑把に訳すと、私たちは健康ややりがいがあることをするために進化してこなかったのはなぜなのか。
運動の神話という言い方をしているんですけれども、テーマは運動のみに留まっておらず、
この人の前作というのも最近興味を持って読み始めてるんですけど、
進化を基にして人間にはどういう性質があるのかを、進化の観点から考えてみようというのが、
割と専門の分野なのかなと。
この本の話をあえて言うと、進化運動学、進化健康学みたいなもんか。
そうですね、あえてそういう表現をするならそのイメージ。
なるほどね。
一応補足しておくと、この運動の神話みたいな、この神話の使い方っていうのは、
要するにみんなが信じてるけど実は本当ではないっていうニファンスですよね、きっと。
それが序盤に出てくるんですよね。
なのでそういう意味でも入りとしても割と面白いんじゃないかなっていうので、
たぶんこの題にしているのと、
日本人の直感としてはこの言葉の方が理解はしやすいとは思います。
ただ、想像する内容はちょっとこのタイトルとは違うんじゃないかと思ったりもします。
本当にただの余談なんですけれども、
モットーってブックカタリストで以前話したやつありますよね。
あの著者の方がダニエル・リーバーマンと書いてあって、
あれ同じなのかなと思ったんですけれども、
モットーの方はダニエル・ゼット・リーバーマン。
運動の神話の方はダニエル・イ・リーバーマン。
ただ、Amazonで検索すると同時にダニエル・リーバーマンで検索すると出てきたりするので。
しかもジャンルが似通ってなくはないので、
研究の幅が広い人なんかなという。
最初そう思ったんですよ。あれ、なんか名前聞き覚えある。
本当?って思ったら、ゼットとイで別人だったので。
なるほどね。要注意ですね、そこは。
何大学とか我々さすがに覚えられないですからね。
結局名前ぐらいしかヒントがないので、
間違えないようにって別にそんな大したことじゃないんですが。
という感じで、本編なんですけれども。
タイトルが運動の神話というふうに言われているように、
まず最初は、いかに運動というものが神話にまみれたものになってしまったのか。
最近の運動というものが変だよねっていうような話から始まっていて。
まず人類ってそもそも運動をするために生まれてきたわけでは当然ないんですよね。
まあそうでしょうね。
生きるために食べ物を探すために運動をしていたはずなのに、
我々は現在運動をしなくても食べ物を探せるから、
そういう意味で言ったら運動なんて必要はないはずなんですよね。
まあ原理的には。
なんだけれども、世の中世界中で言われているし実際そうだと思うんですけど、
運動をしていないと私たちは不健康になってしまう。
そこは確かに僕も素直にそう思うんですけども、
運動を目的とはしていないけども、
ある段階で獲物を捕まえるために運動というものを必要として、
その必要に合わせた体の構造が進化的に出来上がったとして、
だからどう言ったらいい?
長い間乗ってない車のエンジンが壊れやすいみたいなことが起こらないのかなって思ってしまうってことかな。
端的に言うと運動してないと。
最終的には結論というか、おそらくこういう理由だっていうようなのは本一冊の中で基本的には出てくるんですけども、
まずは問題提起というか、結構変なことだよねっていうのが最初に考えておくべきことで、
さらに現在、資本主義という強力な仕組みがあるおかげで、
運動というものは本来は無料でできるものだったはずなのに、
気がつけばそこら中で高度なビジネスになってしまって、
矛盾にまみれた世界になってしまっている。
運動の矛盾
人間の生物的に当たり前にできることであり、当然それは無料のことだけども、
お金を払わないとできないというようなものになってしまっている?
さらに運動することは喜びと健康の源であるにも関わらず、
運動をしないということは不快感や罪悪感、反感を抱かせてしまうという、
現代社会ってすごく運動に関して矛盾だらけなことになってきているよね。
さらに言うと、運動すれば長生きができるぞってよく言われてますよね。
でも当たり前なんですけど、200年前の人たちと今の俺たちと、
どっちが長生き、どっちが運動しているって言ったら、
俺たちの方が運動してないのに、俺たちの方が平均値として圧倒的に長生きですよね。
ただ、一問をつけると、いわゆる健康寿命として見た場合、
それでも現代人の方が寿命が長いか。
そうだよ。だって40歳で死んでいる人たくさんいるっすもん。
俺とラシタさん確率で言ったらどっちか死んでいるぐらいだもん。
だから、運動が健康にいいかどうか、正しいかどうかは、
昔の人と比べてもデータが揃ってないから、
まず確かなことは何も言えないってことは同意できそう。
前提というか問題提起なので、ここで意外と運動ってシンプルに言われているけれども、
意外と複雑というか難しいもの、かなり難しいものになってしまっている。
資本主義的なものが組み合わさっているせいで。
例えば散歩とかウォーキングってあるじゃないですか。
運動の複雑さと難しさ
例えば一番低コストでできるというか、準備も何もいらなくなるできる運動ですけど、
例えば書店に行ったらウォーキングの方法とか、
あるいはスポーツ用品店に行ったらウォーキング用シューズとかいって、
やたらとアイテムがありますよね。
たかだかウォーキングで。
たかだかウォーキングでね、本当そういう意味では。
それを得とかないとか知っておかないと、
うまくできないんじゃないかっていう恐怖感みたいなのは確かに現代ではありそうな気がしますね。
さらに原始時代原理主義者的な話で言ったら、
俺たちは裸足で歩いてなかったらおかしいんですよね。
確かに。
まずはスタートとして、そうやっていろいろと考え直してみると、
気になるところというか変だよね。
結構当たり前というか、どんなことでもそうなんですけど、
思い込んでしまっていることがまずいっぱいあるんじゃないかっていうのを、
このあたりの最初のつかみで見事に自分は持っていかれた感じがして。
もう一つよくある幻想というか、
原始時代の人たちって筋肉ムッキムキでめっちゃ運動しまくっていて、
ものすごいパワーを持っていてって、そこもすごい幻想なんですよね。
ジャングルの王者、ターズさん的な、
木から木をツタで渡ったり登ったり、
何でもできるような人たちが過去に生きていたというような印象は確かにありますね。
そうそう、思い込んでしまうけれども、それもほぼ間違いなく幻想で、
例えばちょっと昔に、ボーントゥーランという本が話題になって、
彼らは走るために生まれてきたみたいなことを言ってるんですけど、
目的もなく走ったりは全くしてないんですよね、その人たちも。
そりゃそうでしょうね。
彼らのちょっと80キロ走ってくるみたいな人は全くいなくて、
さらに筋肉ムッキムキっていうのも基本的に間違いで、
どの本にもよく出てくるハッザ族っていう狩猟最終民族がアフリカにいて、
人間の運動量と進化
その人たちを少なくとも観察する限り、
俺たちよりひょっとしたら筋肉なんてないぐらい。
でも、とっている栄養素とかの量とかを考えたら、
ムキムキになる余裕なんか多分ないですよね、きっと。
そう、まんまそれなんですよね。
筋肉って、よく痩せるために筋肉をつけようって言ってるんですけど、
筋肉ってエネルギーの消費がでかいんですよね。
ということは、食べ物に余裕がない狩猟最終民族の人たちって、
いらんとこに筋肉なんてつけている余裕がない。
だから、俺たちが思っているほど、少なくとも100ケールのダンベルを持ち上げて、
片手で動物をすごい遠くまでボールを投げてみたいな、
そういうのは基本的に幻想だと。
例えばハッザ族の人たちの運動量みたいなものを調べてみると、
意外と大したことなくって、
例えば軽い活動、1日の平均値なんですけど、
3時間40分ぐらいの軽い活動と、2時間14分の中から強程度の運動をしていると言われる。
この軽い活動っていうのが、
例えば立ってご飯を作っているは、軽い活動に含まれていいぐらいの判定なんですよね。
中から強程度の運動って言うんですけど、
ジョギングしたら、この基準で言えば強というレベルに入れていい。
そういう基準で考えると、
狩猟最終民族の運動、歩数で言ったら1.6万歩ぐらいっていうので、
歩数のみのカウントをすると結構多いように感じるんですけれども、
俺たちも例えばご飯を作ったりだとか、通勤をしたりだとかっていうようなことを考えると、
1時間5000歩相当ぐらいで計算してみると、
1日2時間歩いて、その他一般的な生活っていうものをしていると、
だいたい狩猟最終民と同じぐらいになるらしいんですよね。
そうか、すごい単純な話だけど、
狩猟最終民族って、木の実とか取るのは別にいいですけど、
狩猟をする時って、なんかすげえ走ってる気がしますけど、そんなわけないですよね。
狩猟とかはいろんな本で出てくるのはチーム戦なんですよね。
どっか追い込んで囲んでやるみたいな感じのはずで、
走ってる獲物を全力で追いかけて狩るなんていう非効率なことを、
人間みたいな弱い生物がしてるはずがないですからね。
狩猟は基本集団で追い詰めて、長時間追っかけ続けて、
向こうの逃げ道をみんなで塞ぎ続けて、
その動物がヘトヘトになって、力尽きたところを止めを刺すっていうのが狩猟最終の基本らしいですね。
いろんな本に書いてあったのをまとめると。
それを1日1回、2回ぐらいやって、その日の栄養素に栄養分とするみたいな感じの生活が毎日行われてたって感じかな。
ハッザ族でいうと、狩りみたいなこともするし、木にハチミツを探しに行くとか、
女の人たちはいわゆる根っこを食べるっていうのかな。
そういう系のものが基本的な活動で、
言ったら歩いて、木の根が生えてるところまで歩いていって、
30分とか1時間とか木の根を掘って、持って帰って夜になるぐらいな生活サイクルだったりして、
もちろん少なくとも俺より圧倒的な運動量があることは確かなんですけれども、
思ったほど差がないっていうのがまず最初に知っておきたいこと。
それを踏まえた上で、俺たちはそもそもそういう感じで、
みんな動きたくないように進化してきているし、動こうとしていないんですよね。
それは生物的に、エネルギー効率的に必然的な結果ですよね、どう考えても。
そうそう、結構面白いのが哺乳類から、生物が生まれて、哺乳類が生まれて、
霊長類が生まれて、人間が生まれてっていうのが、
すげー大雑把な人間が出来上がるまでの進化の流れなんですけど、
まず生物が哺乳類になった段階では、代謝を上げて、
より活発になることで、よりたくさんのエネルギーを得て、
やっていこうっていう戦略が成功しているんですよね。
だから代謝的資本主義がそこにあったわけね。
ただ面白いのが、その後、霊長類はもう一回代謝を下げようという作戦に変えていて、
その哺乳類というのは、例えば爬虫類って寒くなったら動けないっていう、
もう諦め作戦だったのを、ずっと温度を保つことで、
常に狩りをできるようにして生き延びていこうっていう方向に変わっていったのが、
霊長類と言われる人たちは、もう一回その中でできるだけ楽して生きていこうっていう風に、
戦略を変えていて、そのくせに人間はその中では、
割とまた動く方向に変わってきている。
ややこしいね。
そう、すごいごちゃごちゃなんですよ。
だから、哺乳類があって霊長類が切り替えたけど、
その中で人間はちょっと戻しているぐらいか。
そう、代謝で言うと、
例えば、なのでよく猿とかゴリラとかチンパンジーとかと、
人間を比較するやつがめっちゃいろんな研究があるんですけど、
例えば、同じ哺乳類で言って、
クマって2ヶ月とか冬眠してるけど、
起きた瞬間すぐ動けるんですよね。
確かに。
人類ってあり得ないじゃないですか。
ベッドから立ち上がるのがやっとって感じだろうな。
哺乳類、霊長類の話とかでも、
動物園の猿でデブって早々見かけないですよね。
確かに。
家猫とかで日本だと、
犬とか猫がすごい太ってるとかもあるんだけれども、
どうやら人類の戦略というのは、
霊長類は基本的に動かない戦略だったんだけれども、
人類が取った戦略は何だったかっていうと、
まあまあ動くんだけど、
余ったのをすぐに死亡に変えよう作戦。
賢いな。
それが原始時代から今までには、
ものすごくうまくいっていたんだけれども、
現在の社会ではそれがやっぱり変なことになってしまっている。
カロリーを糖分とか脂肪分をすごく好むっていうのは、
全生物じゃないんか?
好むかどうかまでちょっと分からなかったんですけれども、
言えることは脂肪への変換が上手で、
それは好むと好まざるに関わらず、
余ったものはすぐに死亡にしてしまう。
死亡にしない動物も結構いるってことですよね、単純に言ったら。
例えば、猿とかは基本的に脂肪は圧倒的につきにくい。
他の猿たちは。
だから食事をしたとしても、
そのエネルギーがたまらんまま終わってしまうっていう感じ?
なんでしょうね、そう。
へー、そうか、なるほど。
言われてみると、確かに猿は太っていないような気もするし。
見たことないね。
それによって、当然脳に余力ができるようになってきて、
さらに言うと、人類がもうちょっと大きな意味で言うと、
それはこの本の話ではないんですけど、
できるだけ安全策を、バッファーを取るようにしたっていうのが、
おそらく人類成功の秘訣なんじゃないかなと思っていて。
それを聞くとですよ。
人類が狩猟民族から農耕に移行したみたいな話があって、
農業は罠だったみたいな話がありますけど、
たくわえるという方向性で言うと、
むしろ人間にぴったりな戦略だったんですね、農業ってきっと。
たぶん。
だから、どうしようもなかった。
酒がたい文化的な発展だったんだろうなと、
今ちょっと聞きながら思いました。
これは俺の推測が多分に含まれることなんですけど、
まず死亡を貯めるっていう、
個人レベルでもちょっと余裕が出た時には、
貯めておこうと思っておく。
集団レベルでも、
助け合いをする生物って基本的にはいないんですよね。
みんなで助け合うことで、
例えば今日1日、
俺は全くご飯が食べられなかったけれども、
仲間が取ってきてくれたものを分けてもらえたおかげで、
今日無事生き延びることができた。
っていうバッファーがあることで、
人類はより多くのことに挑戦できるようになった。
リスクを取れるようになった。
エネルギー消費と人間の性質
それもまた人類の変化の大きな理由というか、
安全策が得意で好きなこと。
おそらくそれは、
いろんなところに含まれているんじゃないかなと思うんですよね。
人間が安全を好むというか。
そうか。
安全をただ好むんじゃなくて、
安全を好んでおくことにリスクが取れるという、
全体としての戦略があるわけですね。
っていうのがあって、
それは、
っていう意味で結局言えることは、
まず人間は他の動物よりも、
好むと好まざるに関わらず、
余ったらすぐに死亡にしてしまうっていう性質があるので、
ある意味、太るのは宿命とも言えてしまうんですよね。
肝臓の重要性
ここはもう認知のエラーというか、
進化のバグではないのか。
現代社会に適応しきれていないこと。
逆に現代社会が人間の体質を考えていない。
いや、分かった上でやっているんか?
資本主義は。
でも、
なんて言うんだろう。
そこはそうなりますよねとは思うので。
まあでもちょっと、
人間の性質がハックされて、
資本主義によって、
食べなくていいものを食べさせられたりしていることは、
良いことか悪いことかで言うと、
あんまり良いことじゃないとは思いますが。
必要ないものまで食べてしまっていて、
しかも食べたいと思ってしまうっていうのは、
やばいところですね。
その辺の話は、
予定では第3回ぐらいで話そうと思っています。
はい、了解です。
あと、それを踏まえて、
ちょっとね、
サイエンスというか化学的な基礎知識というか、
ちょっと知っておくと面白いなというのが、
いくつかあって、
まず最近ね、
人間がどのぐらいエネルギーを使っているかっていうのは、
すごい技術発展しまくっているみたいで、
昔は例えば、
人がどれだけ酸素を吸って二酸化炭素を吐いたか分かれば、
理論的にはどれだけエネルギーを消費したかが、
その人が体内でどれだけのエネルギーを使ったかは、
全部計算すれば全部分かるはずですよね。
うん、理屈では。
っていうのを昔は、
例えばで言うと、
部屋に1個閉じ込めて全部の成分を計算しないといけないみたいな、
厳密にそうじゃないんですけど、
みたいなことをしないといけなかったんですけれども、
最近はちょっと変わった、
水素原子と酸素原子の同位体が含まれた水っていうのを飲んでもらって、
検量をすることで、
ある時間にどのぐらい代謝をされたかっていうのが、
すごく測れるようになった、簡単に。
なんとなくイメージはできる。
かつてはそれが何百万、何千万円とかしていたんですけれども、
同位体というものが全然作るのにコストがかかったから、
今だと何か数万円、十万円っていうレベルで、
1人の人間とか1匹の生物とかっていうのの代謝を調べられるようになってきていて、
それによってこの辺りの分野というのの研究もかなり進んでいるっぽいです。
なるほど。
そうか、だから人間ならある程度お願いしたら環境を整えられるけど、
他の生物と比べるってなった時に、
人間と同じようにはいきませんもんね、
昔の考え方だと。
そう、おしっこの話で言うと、
オランウータンとかは結構賢いのがいたりして、
上手に研究所とかに協力してもらうと、
採量までできるんですよね。
すげえな、でもやっぱりそれは。
やっぱこの分野の人たちというか、
全ての研究者において言えることなんですけど、
めっちゃ体使ってるなっていうのはやっぱ思いますね。
なるほどね。
そう、動物園行っておしっこ取ってきて、
なんとかチンパンジーからここにちゃんとしてもらうように工夫をして、
その仕組み考えてとか、
そういうことをやってくれるところを探してとか、
このジャンルの研究者の人たち、やっぱすげえ根性すげえなっていうのと、
あといくつかもう知っておくと面白いのが、
1キロ体重増えるのってどのぐらいの死亡があるのかっていうような数字とかも書いてあったりして、
計算上、7,800キロカロリー、
8,000キロカロリーぐらい減ることで、
体重がだいたい1キロ、1キロ分の死亡を減らすことができる。
8,000キロカロリーを消費したと認定される程度の運動をするってことだよね、簡単に言うと。
そうですね、死亡というのが。
死亡ってすごいのが、作るのがクッソ難しいし、
溶かすこともクッソ難しい生物、生物じゃない、タンパク質らしくて、
たぶんチンパンジーが死亡がつきにくいとかっていうのは、
逆に言えば、やっぱ大社の仕組みとして結構高度というか複雑というか、
簡単にできることではないからそうなるんじゃないのかなって思うし。
体重の増減とカロリー
まあそうでしょうね。だって普通に価格的に死亡を作るのは難しいですもんね、
糖の単純性が。それをなんか食べるだけでやってしまう人間の体は確かにすごいことですね。
まあ、現代では死亡は厄介扱いされてますけども、
テクノロジーじゃないな、これはなんていうんだろうな、
技術的に見たら高度なことを人間の体はやっちゃってると。
30グラムの死亡でね、255キロカロリー溜まるらしいですよ。
で、これを比較するとジェット燃料と同じぐらいらしいです。
エネルギー密度で言うと。
だからある時、急に食べ物がなくなった時に生き残りやすいのは人間の方、
ジンパンチじゃなくて人間の方やけど、その性質は現代社会ではあまりよろしくないと。
で、もう一個ポイントが、その死亡って大半が素水性が非常に高い物質で、
基本的には肝臓で作られる胆汁というものがないと分解できないみたいなんですよね。
ということは理論的に言うと、やっぱり肝臓にエネルギーに余力がないと死亡は減らない。
死亡を減らすためにエネルギーがいる。
死亡を減らすために肝臓に仕事をさせてあげないといけなくて。
他の本なんかでもよく見たんですが、肝臓ってすごくエネルギー消費が高い、大きい分野で、
脳よりも確か使っているエネルギーが多いんですよね。
脳が20何パーで肝臓が25パーぐらいあるんだったかな。
さらによくダイエットなんかでも、だからお酒を飲まないようにして、
肝臓にはちゃんと胆汁を作る仕事をさせないといけないみたいな話も、
この辺りのことを読んでおくと、やっぱりそうなんだなっていうことも分かるんじゃないかなと思います。
確かにな。
死亡を減らすために肝臓ファンクションを動かさなあかんっていうことを聞くと聞かないでは、
お酒を飲むか飲まないかの判断は結構変わってきますね。
そう、体重とかカロリーだけの話で、
究極的には全て化学反応で説明はできるんですけれども、
たぶん現代社会でまだ分からないこととか、まだ分かっていないこととかすごくいっぱいあるので、
非常にまず複雑なんだけれども、
でも例えば肝臓は今の話を聞くと、やっぱそうなんじゃないかなって思うんですよね。
確かにね。
なんとなくお酒飲んだら仕事をする場所みたいに思ってたけど、そんなわけはないわね。
そう、逆なんですよね。
お酒という毒を慌てて肝臓が仕事してくれて、どうにかしてくれているっていうのが元々の人間の能力のはずで、
お酒もそれで言うと他の生物は飲めないみたいで、
これも人間が何でも食えるようにするために発酵した果実からカロリーを得るために、
肝臓がアルコールを分解できるようにしたみたいなのは言われていることなのかな。
ということは僕らが現在でお酒を楽しめるのも、はるーか昔の突然変異のおかげということですよね。
しかもそれは超大変な環境で生きていた時代の名残なんですよね。
そうやな、これはすごいことですよね。すごい感謝しなければならないことですよね。
その毒を中和できるようになった、人間ほど何でも食える生物って本当にいないみたいで、
それを逆に考えると私たちの祖先というものは、本当に何でも食わないと生き延びられなかったっていう過酷な環境を進化によって生き延びてきた。
だからこの相手だったら絶対勝てるみたいなポジションではなかったわけですね。
そう、余ってるもんなんでもいいからなんとか食えるようにしようって生き延びて、その木に落ちて腐った果物を食べれるように腐った食べ物からエネルギーを得られるようにアルコール分解能力が身についているし、
あと犬とか猫が食べられない食べ物ってなんかいっぱいありますよね。
玉ねぎ食べたらあかんとか言いますね。
とかっていうのもおそらく、俺たちはめちゃめちゃ弱い生活をしてきた中で、あらゆるものを食べれるようになってきたっぽいぞ。
なんか手図学的に深い話ですね。弱者の戦略的な。
うん。が今は逆に娯楽として何でも食べれるから超楽しいという時代に。
だから恐竜が絶滅した後の生き残るのが厳しい環境において、何でも食べられる性質が一つ生き残りの役に当たったということはあるでしょうし、
それが現代の文化にもつながっているし、資本主義者に発揮されている要素にもなっているし、現象というのは実に複雑なものですね。
進化というのは好む好まざるではなくたまたま残ったものだけだっていう本当にそういうところはありますね。
それを踏まえて超面白いのが、今1キロ体重減らすのに8000キロカロリーぐらいって言ったじゃないですか。
それを踏まえて算数の計算をしてみると非常に面白いんですけれども、
例えばアメリカの例しか数字は出てこなかったのでアメリカを例にして話すんですけれども、
平均値をとるとアメリカの平均的な成人って毎年200グラムぐらい太っているらしいんですよね。
接種しているカロリーと消費しているキロカロリーの差分をとったらってこと?
差分をとったら?というか体重の1年間の差分っていうのかな?
単純に体重を見ていくということ?
さっきの話でいうと2200グラム太るには数字でいうとだいたい1750キロカロリー余分にとると200グラム太る計算になるんですよ。
365で割った大雑把な数字なんですけど1日に換算すると5キロカロリーとんでもなく少なくないですか?
とんでもなく少ないね。
というか1年で200グラムしか太らないって1日5キロカロリー余分にとるだけで200グラム太ってしまうとも言えるし
そうも言えるし、平均でいうとそうってことは
俺たちでも同じですよ。1年で1キロ太ったとしたら要するに5倍なので1日25キロカロリー余分に食べていたら1年で1キロ太るんですよ。
25キロカロリーって言うとチロールチョコ2個ぐらい
もっとあると思う。ご飯1杯大雑把に200とかあるかな。
だから今まで完食してなかった人が1日に1個チョコレートを食後に食べるのでは1年間に1キロ増ぐらいの結果をナチュラルにもたらしてしまうと。
計算上はそうなってしまう。そのぐらい人間の消費の調整力というのは思った以上に逆に優秀だというふうに見れるというか
今のさっきのは現実的な体重の結果から計算的にこうしたらこうなるでってことだから、言ったら僕たちはそんなに変わらない生活をしてるってことやもんな。
例えば毎日ご飯を1杯おかわりしたら理論上で言うと1年で10キロ20キロ簡単に太るんですよね。
座り方の影響
だからある人が1年間体重が全く変わらないとしたら1日あたりのキロカロリーが5キロカロリーの差のないかに収まっていたはずっていうことになるけど。
まあそんなことはないわけで。食べてるのは食べてるけど消費とか摂取とかで微調整されて差分がないかのように調整されてるってことですよね。
そのぐらい食べ物からもちろん使っているんだけれども、うまいこと全部のエネルギーを上手に使い切っていると言えるっていうのかな。
だからエネルギーもちろん蓄える分はあるにしても、どっかにエネルギー余ってるしここで使おうみたいな判断が調整されてるっていう。
だから単純なインプットアウトプットモデルじゃなくてその間ですげえ高度なことが行われてるんでしょうね。
というのが、ここまでの話で結構すごい複雑というか、人間の体優秀だなっていうか、単純な算数で考えてみるとそのレベルの調整ができてしまっている。
というのがまずその人体のすごいところというか、それはなんか興味深いし研究したいし面白いよなっていうのを思わされるんですよね。
だから一つの系というかシステムができてて、入ってきたものに対してはフィードバックを返すことで常にその状態が維持、その系が維持されるような調整が働いているから
太るのも難しいし、痩せすぎるのも難しいっていう、少なくとも意思だけでそんな簡単には制御できないぞというような内部的なシステムが内側にあるというのを聞いてて感じましたね。
っていうのを踏まえて、運動の神話の話で言うと最初に出てくるのがまず座ることなんですよ。
運動しない。
そう、というか、ここがもうある意味俺の中で運動の神話の本編だったに近いようなぐらいの影響を受けたところなんですけど、
さっきの話で言うと、1日5キロカロリーもし余分に消費することができたら1年で1キロ痩せるんですよね。
そういう話になるよね。
必ずしもそうじゃないというのはこの後出てくるんですけれども、算数上はそうなるわけなんですよね。
っていうのを踏まえて座るということを考えると極論座り方を変えるだけでめちゃくちゃ変わるんじゃないかっていうことを思ってこの本を読んで。
エネルギーの余分な使い方
だから座り方によって微妙、たとえ微妙であってもカロリー消費が変わるんであったら1年経った時に影響が出てくるだろうと。
単純な計算なんですけれども、人間が立った状態から座った状態に移行すると8パーから10パーぐらいエネルギーの消費減るらしいんですよ。
だいたい1時間で8キロカロリーくらい余分に立ってた方が使うというか、座ると8キロカロリー消費が減るというか。
とさっきの計算をするとなんですけれども、すごく簡単に毎日1時間余分に立ってたら理論上もうそれだけで年間1キロ2キロ痩せてしまう。
進化的な過去の人間とか元々の人間みたいなことを調べてみると、さっきの座り方の話になってくるんですけど、背もたれがある椅子ってめちゃくちゃ最近になってようやく登場したものらしく。
基本的にまず座ると言ったら人類が座ってたのって地面なんですよね。
地面とかその辺の石。石の上に座ってアグラ海底だったりなんだったりっていうので、ヨーロッパなんかだとたしか背もたれが出てきたのが一般家庭に中世にはまだないんだったかな。
日本でも想像してみてほしいんですけど、日本の歴史で少なくとも江戸時代までに椅子って出てきてないですよね、背もたれがある。
アグラとか座禅とか正座とかですよね、座り方って言ったら。
多分西洋の文化が明治で取り入れられて洋式という椅子、チェアーが登場して初めて背もたれが登場している。
それまでみんななので背もたれがない椅子に座ってたんですよね。
現代がそれが結構問題なんじゃないっていう座ることとして、その座り方が背もたれなしで座るだけで結構筋力使うらしいんですよね。
背中の筋力使いますよね。
椅子に座っているにしても背中の筋肉余分に使うし、それって背もたれありで座っているのと背もたれなしで座っているのってビビタル違いでしかないんですよ、当然。
でもさっきも言ったように体重の増える減るってごくごくビビタル違いがすごく1年を通して見てみるとものすごく大きな影響を及ぼすものになっている。
だとすると、俺たちって座り方を変えてあげるとものすごくそれだけで大きなエネルギー消費量ってすごく変わるんじゃないのか。
完全に座っている状態から完全に立っている状態が一番エネルギー消費を上げているけど、そこまでしなくても座り方を一つ変えるだけで長期的に見たら変わってくるよと。
例えば重要なのがこれもApple Watchすげえんだなって思わされてしまったんですけども、Apple Watchつけてると1時間に1回立ちましょうって言われるんですよね。
それってめんどくせえなとか大したことないなって思ってたらしい思ってたんですけども、それだけでだいぶ違うみたいで。
消費されるカロリーが。
ずっと座っているって圧倒的に楽すぎてしまうんですよね。ちょっとでも筋肉使ってあげて体中の血流をちょっと増やしてあげる。
今立つのめんどくさいって言われましたけど、まさにだからなんですよね。
そう、だからなんですよ。
だらけてた筋肉にちょっとでも活を入れて動く、そこに結構な力が使われるわけですねきっと。
だから僕らそれをめんどくさいと感じてしまう。
でもそのめんどくささがエネルギー消費とニアリーゴールなんだっていう話ですね。
我々はそもそも俺たちは動きたくない、無駄な動きをしないように進化しているので楽な座り方をしていたら動きたくなくなるのは進化的に正常なことで。
運動と炎症抑制
何もおかしくはないんですけど、それさえ変えればかなり変わるのではないか。
しかもだからアップルウォッチというある種の他社、かきかっこつきの他社によって促されたら僕らは立つことができると。
可能性はあり得る、高まる。
これは自由意志に任せていると楽な気持ちに留まってしまうけど、
例えば隣の人に窓閉めてとか言われるとか、中取ってきてって言われるだけで立つという行動がプロモートされるっていうのはちょっと面白いですね、これは。
例えば立っているときにちょっとしゃがむだけでふくらはぎの筋肉が使われるだとか、
1日中落ち着きなく体を動かしていたら100キロカロリーから800キロカロリーぐらい余分に消費できたりするらしいんですよね。
それはでも1年でトータルすると偉い数になりますね。
800って単純計算なんですけど、10日間で1キロ死亡燃やせますからね。
単純計算やったら。
なるほど。
それを踏まえて1個すごくでかい話というか、おーって思ったのが、大体の場合やっぱ単純計算通りうまくいかないんですよね。
人間の体がなんでうまくいっているかっていうと、エネルギー余ったら余計なことにエネルギーを使うんですよ。
さっき言ってた話ですね。
単純に死亡にするんじゃなくて、エネルギー余ってるし、どっか何か動かしちゃおうかみたいなことが起こると。
例えば一番大事な我々が使わないといけないエネルギーの一つが免疫反応。
なんか変なイラン物質が入ってきた場合にそれに対して反応するっていうので、病気と戦う。
コロナとかでよく話題にもなったりしましたよね。
そのエネルギーの免疫反応って基本的には良いことが多いんですけれども、
余分に余りすぎると、イラン免疫反応にまでエネルギーを使ってしまうらしいんですよ。
アトピーとかそういう炎症反応ですね。
かゆみとかって不必要なところまで出てしまう炎症反応ってことですから、そういうことが起こりやすくなると。
これ書いてはなかったんですけど、まさにそうだなと思ったのが花粉症。
そうですね、確かに。
花粉症って圧倒的に現代病と言われていて、
原因の一つがコンクリートの地面とか、そういうのももちろんあると思うんですけど、
俺たちがエネルギーが余っていて、炎症反応に余分にエネルギーを使ってしまっているせいで、
花粉という無視しとけばいいものにまで、余分な敵だと反応してエネルギーを消費してしまう。
ある種の神経症的なことが免疫反応で起きてしまうという、
些細なことを見逃せないということが免疫反応でも、
エネルギーが余っていると起きやすくなってしまう。
ありそうな話ですね、これは。
逆の話で言うと、運動しすぎている人ってカロリーに全く余裕がなくなってしまうので、
逆で免疫反応がなくなってしまうんですよね。
よく、例えばマラソン選手とかそういう系の人たちって、
風邪を引きやすいとか病気にかかりやすいって傾向として言われているらしいんですけど、
極めて当たり前のことで、
どんなに食べても食べ物から接種できるエネルギーって人体には限界があって、
それを超えるエネルギーを使ってしまうと、
もう生き延びるために免疫にエネルギーを使わないという戦略を取ってしまう。
それが話を聞くとすごいよね。
免疫のスイッチをオン・オフできるっていう調整機能があるってすごいよね。
オン・オフっていうか、ノブを回すじゃないかな。
水流の流れを一旦止めておくみたいな。
弱にするとか、ゼロにはそうそうならないと思うんですよね。
そりゃそうだね。
多分、余っていると、今日はこれだけ余ってるから大分大きくしていいなっていうので、
普段なら5でいいのに8とか9にしてしまうから、
花粉にまで反応してしまう。
シンプルな結論なんですけど、
この炎症の対策が何がいいって、筋肉を動かすことだっていう。
筋肉を鍛えることじゃなくて、筋肉を動かすことか。
筋肉って、専門っぽい用語で言うと、
メッセンジャー、タンパク質、マイオカインというものを放出する。
筋肉って、体を動かすという機能もあるんですけども、
体内の物質を伝達する機能もあるっていうのかな。
メッセンジャー、タンパク質、マイオカインというものを筋肉が放出するらしいんですよね。動かすと。
このマイオカインっていうものが、炎症を抑制する機能というものも持っているらしく。
さっきの座っていることの話とも繋がるんですけども、
ずっと座っていると、要するにその炎症、抑制物質は全く流れない。
が、一回立ってあげると、一時的に流れるって、
それが運動にも言えるんですけど、すぐ終わるわけじゃないんですよね。
なるほど。ちょっとエンジンが温まったら、しばらく温かいみたいなことが起こると。
運動が重要なのも本当にそれで、運動をした瞬間っていうよりも、
運動をしてし終わってから、しばらくの間、
最初は予防・修復反応として炎症を起こすんですけども、
炎症を起こしてしまったので、それを止めようとして高炎症反応が起こる。
その高炎症反応っていうのが、ちょっと数字はしっかり把握してないんですけど、
例えば30分運動をしたら、1時間、2時間とか、もっと長い時間とか、
炎症を抑えようとする動きが続く。
おそらく、例えばApple Watchが1時間に1回立ち上がれっていうのは、
全く1時間動かないと、炎症反応物質が限りなくゼロになってしまうんじゃないかな、
ぐらいに思うんですよね。
その話聞くだけで、俺毎日ヤバい生活を送ってるなっていう気がしますね。
俺もね、ほぼ同じようなことを思ってたりしてます。
いかに運動というものが言ってることは、ごくごくここまででも当たり前というか、
普通なことなんですけど、
なんでなんかって言われると、かなりやれるというのかな。
理解しやすい、納得しやすい。
例えば、散歩しなさいとか運動しなさいっていうのは聞きますし、
運動と誤解
最初に出てきた、体にいいからとか健康にいいからっていう理由付けで話を受け入れてるわけですけど、
確かに歩いてみると気分が上がってきたり気持ちよくなってきたりするのは実感としては分かってたんで、
運動しようっていうのは暮らした価値ポジショニングで言うと、
良いことには置かれてるんですけど、
やっぱりなぜ良いのかっていうところがだいぶ解像度が荒かったなっていうのは話を聞いてて思いました。
もう一個、例えばで言うと、
脂肪とかは燃焼を起こしやすい体の成分というのかな。
脂肪って、確か健康系のやつとかでもよく言われたりするんですけど、
脂肪って細胞が増えるんじゃなくて、細胞が膨らんでいくらしいんですよね、基本的に。
なるほど。
膨らんでしまいすぎると、機能不全、うまく働いてくれなくなってしまって、
そいつが白血球を読んでしまって、
サイトカインというものが血中に染み出してしまう。
それが、その炎症反応を起こしてしまう。
ほー、なるほど。
っていう意味で、脂肪が多すぎるっていうののヤバさっていうのも、
結局、さっきの話で言う炎症のところで大体その説明ができて。
うーん、なるほどね。
炎症について色々知りたくなってきたなって思った。
で、例えば炎症反応って当たり前なんですけど、
熱出た時とかでもそうですけど、
しんどいですよね。
しんどい。
しかも、多くの太ってることとか運動しないことが原因の炎症反応って何がヤバいって、
自覚症状はないけれども、いわゆる熱が出た的な状態になっていると言ってよい。
あー、なるほど。
すごい弱いしんどい状況がずっと続いちゃってると。
それはどう考えても体に悪そうじゃないですか。
そうやね、確かに。
さらにヤバいのが、自覚症状がなくて、
熱が出たような状態になっていて、体中は無駄にウイルスを殺そうとしていて、
その時間を自覚なく、例えば1年、2年過ごしてしまったら、
それはきっと体に致命的な害が及ぼされそうだ気がするなとも思うし、
そのためには結局動くためにできるだけ、
結局だから運動をしろという結論には戻ってくるんですけれども、
俺がこれを読んでいて思ったことで、
結構生活を変えるっていうと大げさなんだけれども、
日常を結構見直そうと思うように変わってきて、
まず椅子をバランスボール椅子というやつを取り入れてみました。
はい、なるほど。
2010年ぐらいに一時、流行ったりしましたよね。
Googleの人たちはみんなバランスボールにしているとか。
最初は1時間座れなかったですね。
そうでしょうね、きっと。
背中痛くて、ケツ痛くて、全然座れなくて、
逆に言えば、それだけ自分は運動ができていなかったというか、
動いていなかった、筋肉を使っていなかった。
バランスを取るための筋肉を使わずに、椅子という外部性に全て委ねていたようですね。
それをバランスボールに変えてあげることで、
自分のお礼戦略としては、
楽して運動しなくても運動に近いことができる。
確かに。
例えば、夜の時間でも意識的に立つようにしていて、
例えば本を読むだとしても、5分だとしても、
椅子に座って読むんじゃなくて、立ち読みをする。
脂肪と炎症
なるほど。
とか、最近アメフトをよく見てるんですけれども、
アメフトの試合が2時間長くて、座っているのはきついんだけれども、
立ってバランスボール的なものを使っていたりだとか、
そういうちょっとした運動を組み合わせてみることで、
十分にコンテンツを楽しみながら、ちょっと運動もできる。
いきなり毎日2時間運動とかはできないし、
たぶん2時間というのは現実的ではないんですよね、自分の生活では。
できる運動として、座り方とか休暇の時間というものを、
いかに座らないようにするか。
座り続けないようにするか。
消費ゼロというものをできるだけなくすことと、
炎症を起こらないようにちょっと動かしてあげるというのをすること。
所詮体重でしかないんですけれども、
少なくともこの2、3ヶ月で1、2キロぐらいは減っている。
すごいことですよ。
世の中1キロ減らそうと頑張ってる人たちがいっぱいいますからね。
あくまでも体幹値でしかないし、
さっきも言ったように炎症反応とかの話をすると、
カロリーの計算も含めて単純な算数にはもちろんならないんですけれども、
それだとしても算数というか動かし方を楽な時間を、
消費ゼロの時間をできるだけなくすということをやってあげるだけで
めちゃくちゃ変わるんじゃないかなっていうのが、
座ることと睡眠の重要性
運動前段階の座ることについて読んで思ったことです。
まだ運動の前段階だね。
ここまでの話を聞いて、
やっぱり運動イコール健康みたいなイメージをずっと持ってたんですけど、
椅子を座るとかバランスボールもずっとそう思ったんですけど、
余ったエネルギーをどう使うのかっていう流れを変えるっていう、
免疫反応に行かないっていう、そういうプロ流れの問題として捉えると、
僕の中では重要度が1か2ぐらい上がりますね。
だから所詮体重って数字だけのことじゃないですか。
現実的に僕らが直面するのって。
もちろん太ったら精神病とかが問題になるっていうのは可能性の問題ですけど、
無駄な炎症反応とか免疫反応を起こしかねないことをしているっていうと、
結構グッと危機感を覚えますね、これは。
おそらくこれは人間のタイプとか好みによると思うんですけど、
このブックカタリストとかを好んで聞いてくれるような人は、
同じようなことを思うんじゃないかと思うんですよね。
炎症が起こりすぎるっていうのは多分肉体的な反応もそうで、
多分精神的な反応にも関わってるでしょうから。
だって熱の時なんて機嫌悪いじゃないですか、普通。
だから体重とか健康というよりも、もっと生活を豊かにする上で重要なファクターではないかなという感じがしますね。
言ったらなんですけど、何々ダイエットみたいな名前をつけるので言えば、
やっぱりお勉強ダイエットはあると思うんですよね。
あると思うわ、それは。
例えばラシュタさんに炭水化物食べないダイエットとかって嫌だって言うと思うんですよね。
絶対言うよ。
でもこの話を聞けば、ちょっとダイエットではないんですけど、消費ですよね。
ダイエットがまず意味がそもそも違うんですけど、
そうやな。
代謝ですからね、ダイエットという言葉は。
これはだから全体的な生活法ってことやね、要するに。
っていう観点で考えて、まず座るだけでこれだけ色々と重みが含まれて、改善の余地というか。
確かに。でもあらゆることのベースの話であったように聞こえましたけどね。
そう、なので自分もここで、この本はもうこれだけ、この章だけでももう良かったなっていうレベルの素晴らしさで、
上巻であともうちょっと、もう一個寝ること。
これもう運動じゃん。
そうですね、運動以前。そこまで終わらせて、上巻の話を終わりにしたいと思います。
厳密には上巻はもうちょっとあるんですけど、そこは置いといて。
同じく眠ってる時も当然代謝はだいぶ下がっていて、
よく言われてることですけど、人間の体の成長とか脳の成長とかそういうのって寝てる間に行われているよって言われていて。
これも割と数字を聞いたら意外な結果なんですけど、さっきも出てきた座族という人たち。
あの人たちが寝てる時間って意外と短い。
平均値をとると夏に5.7から6.5時間ぐらい。
冬が6.6から7.7時間で昼寝はしていない。
活動的ですね。
あと他にもアーミッシュだとかハイチだとかマダガスカルとかその辺の原住民の人たちも、
調べて平均すると6.5から7時間ぐらい。
昔の人間はそれぐらいだったろうという推測が立ってくるだろうねきっと。
そう。前の進化を超える進化とかでも出てきたんですけど、結局人間が夜は社交に時間を使うようになって、
実は思ったよりみんな夜更かしだったかもしれないなっていうのを聞いて思って。
例えば10時に寝たら日の出って4時5時夏とかだと。
だと大雑把に6時間ぐらいですよね。
だから6時7時に日が沈んでそこから2,3時間その宴会とか祭りとかをやっていたら、
そういう時間になるよなっていう気もして。
まず寝ないといけないがいろんな意見があるのであくまでも調べたらこの数字だけだった。
自分にどうするかは自分で考えないといけないんですけれども、
思ったより俺は世の中のいろんな研究者が言うほど寝なくてもいいんじゃないかってまずこれを読んで思いました。
その上で寝てるのって何してるのっていうことをあんまりちゃんと考えたことがなかったんですよね、寝てる間。
寝てるって言うと当たり前なんですけど、体を休めているみたいなイメージがあるじゃないですか。
イメージはあります。
ただやっていることはそれとは違って、一つは有名な話で会話の記憶という短期記憶を大脳皮質に移し変える。
その短期記憶を長期記憶に移し変えるっていうのかな、記憶の整理をする。
勉強したものを覚えておくためにはちゃんと寝ないとダメだよっていうのはよく言われていることで、
これは個人的にも知ってたことなんですけど、
もう一個同時に脳内の掃除をしているらしいんですよね。
寝てる時に脳みその中の老廃物というのが起きていると自然に溜まってくる。
例えば肝臓だったり筋肉だとかっていうものは起きている間に老廃物を血液に送るっていうことができるんだけれども、
寝てる時には脳みそはそれができないので、寝てる間に脳の脊髄液というものを洗ってあげて、
当然洗っているのでその期間というのは考えることができていない。
だから寝てる間というのは意識がないし記憶がないし何かが起こっていてもわからない。
これも同じく人間だけがそういうふうに睡眠時間って生物によって全然違ったりして、
ロバとかは2時間しか寝ないらしいんですよね。
アルマジロは20時間寝てる。
そう差がえぐいよね。
キリンはめっちゃたくさん昼寝をする。
昼寝する動物のパターンもある。
イルカとかクジラとかの海に行った哺乳類たちっていうのは半分だけ寝ることができるっていうふうに言っていて。
それは聞いたことがあるね。
意外と気づかないというか知らなかったというか、
結局今の寝ることに関する多くのことはほとんどが多分文化によって成立しているもの。
夜早く寝なさい、朝早く起きなさい、静かな環境で眠りましょう、暗いところで眠りましょう。
っていうのはほとんどが文化によって形作られたもので、
狩猟採集民の人たちで言えばみんな石の上で普通に寝てるしね。
うるさいし明るいらしいんですよね。
さらに言うと結構ほとんどの人が途中で起きてる。
連続でぶっ続けで朝から晩まで寝てる人って基本的には存在していなかったみたいで。
これも何でなのかっていう話を聞いたらすげえ納得できたんですけど、
八座族とかの夜の生活を調べてみると、
みんなが寝てる時間と起きてる時間、みんなが所々起きたり目覚めたりしているので、
グループ全体で全員が完全に寝てる時間っていうのが10分、15分ぐらいしかなかった。
それ以外はチームの中で誰かが目が覚めているので、
睡眠サイクルの進化と現代文化
ライオンが襲ってきた時に素早く反応することができる。
ナチュラルに夜と晩を順繰りに回している形になっていると。
多分進化的になのでみんなの睡眠サイクルが違うことというのは、
進化の観点で言えばおかしいことではないし、
夜に途中に目が覚めてしまうということもおかしいことではなくて。
じゃあみんなが同じ時間に寝て、みんなが同じ出社するっていう現代文化は、
人類の本能的に全く誤ったことをしているってことですよね。
朝方とか夜方とか結構会議的な意見だったんですけれども、
その話を聞くとちょっと解像度が荒すぎると思うんですけど、
朝方夜方という言葉は。
でも人によってその睡眠サイクル違うとか、
必要な睡眠時間違うとか、
途中に起きちゃっても別にそれはおかしいことではない
っていうことがわかったのは結構な発見で。
このサイクルの違いっていうものを仮に統計的にとった時に、
ベル型カーブを描くのかどうかは若干気にはなりますけど。
そうですね、そこまではわからなかったですね、それで言うと。
ベル型カーブを描くのであれば、
社会が中心に適した形になるのはやむないとは思いますけど、
ベル型カーブじゃなくてもっとバラバラな文法の場合、
現代社会を大いに間違ってるってことになりますね。
でも想像なんですけど、
真ん中の膨らみがかなり大きいベル型なんじゃないかなっていう。
なるほどね。
ほとんどの人は一定の範囲内に収まっていて、
稀に誤差が大きくある。
そこは多分変わらないんじゃないのかな。
あと有名なところなんですけど、
夜に運動すると眠れなくなって、
朝に運動するとよく眠れるっていうのは非常によく言われていることで。
この辺りも何でなのかみたいなのはちゃんと書かれていて、
基本的に運動するって、
基本的に緊急事態、夜に運動するなんて緊急事態なわけですよね。
そのコルチゾールと呼ばれる緊急事態脳内物質が発生してしまうので、
夜に運動すると眠れなくなってしまうし、
逆に朝に運動するとその辺りのものが良い方向に作用するというのかな。
運動なんかでは体内時計とかも運動に同期して変化したりもするみたいですね。
なので進化的な話の理想を言うならば、
多分朝起きて午前中に運動をして、
夜は宴会をして寝るみたいな感じ。
眠たくなったら寝るタイミングで寝て、
起きたくなったら起きてるタイミングで。
起きたくなったら起きる。
そうそう、それでいいと思います。
なるほどね。
っていう意外と、朝運動とかも全部これはよく言われていることで、
それ自体が珍しいことではないんですけれども、
少なくともこの本でも同じようなことが言われていて、
多分そうなんだろうなっていう。
だから運動の神話っていうのは剥ぎ取った上で考えたとしても、
残る当たり前の話はあるということですね。
そうですね。
多分運動の神話的な概念で言うと、
思ったより寝なくてもいいっぽい。この本によると。
なるほど。
8時間以上の睡眠をしている人たちっていうのは、
死亡率が高かったっていう研究なんかもあるみたいで、
これはちょっとそこまで信用していいのかなっていう風に
思ったりもするんですけれども。
寝てる間に代謝が落ちるということで、
もしかしたら余ったエネルギーが特化にいくのか問題みたいなのが
他の人よりも発生しやすいのかもしれないね。
そうですね。
理屈みたいなのは立てられると思うわ。
寝ることも別に、寝てる間にRPGみたいに
体力ゲージが回復していく期間ではないわけで、
長くやってりゃええってもんでもないでしょうから。
そうですね。掃除ですからね。掃除が終わったら起きていいはずで。
掃除が終わっているのに掃除し続けるモードに
い続けるデメリットみたいなのはあってもおかしくはないですね。
そういう意味で言うと、特に睡眠とかはセンシティブな話題なので、
これが正しいという話ではもちろんないんですけれども、
運動の影響と最適なタイミング
この本によると思ったより寝ていない人類はおそらく。
寝てなかったら別に気に…。
短い時間しか寝てないけど、日常が普通に回ってるんであれば
別にそのまま気にしなくて、そのまま生きていきましょうという話ですね。
そうですね。そんな感じの結論でこの章は終わってました。
要するに、眠くならなかったらいいよっていう言い方でしたね。
っていう感じで、運動のシーンは運動以前。
運動以前。座ることと眠ること。
あと、そもそも俺たちはどうやって進化してきたのかっていうことですね。
やっぱり一番大事なのは、動きたくないことは決して怠惰なのではなくて、
進化上の必然だったというか、当然なことというか、
動きたくないことは少なくとも人間性の問題ではなく、
みんなそうなんだということは進化で考えたら当然で、
ただ俺たちは運動をしないとその炎症反応が起こり続けてしまう。
簡単にまとめると。そうならないために運動をしないといけない。
しないといけない時に自主性じゃなくて、制度とか文化とか他者とかによって
運動を促されるようになっているのは結構いいことなんだなとはちょっと思いました。
たぶん自分の思いが完全に実現できるテクノロジーっていうのがあったら、
たぶん人間はビクとも動かないと思いますよ。きっと。
本能で言うと。
そういう中で社会的な活動、人間の社会的動物性を利用することで、
さすがにちょっと動こうよっていうのを動機づけるというのは、
人の人の自由を奪っているわけではない。奪っているかのように見えるけど、
実はそうではないっていうふうにはちょっと思いました。
あと次回以降に触れようと思っているところなんですけど、
例えば運動をしていると、ちゃんと我々は快楽物質が放出されるようになっている。
それも個人差とかがあったりもするんだけれども、
ちゃんと運動をすることで、運動と快楽はちゃんと紐づけられていたりもするし。
それはそうでしょうね。
例えば動物を狩りをするのに快楽を感じる人間と快楽を感じない人間がいたときに、
どっちが進化で残るかっていうと前者ですよね、きっと。
だから当然では当然ですよね。
あとそれに伴って、老化社会において我々はどんなことをしていったらいいのかとか。
高齢化社会における運動の位置づけみたいな。
でね、おばあちゃん仮説っていう話があったりするんですけども、
それをおばあちゃん仮説っていうのは、
人は繁殖の戦略としてお母さんを周りの人が助けて、
そのより多くの子供を埋めるように、
そのおばあちゃんの存在というのがそういうところに価値があるっていうようなイメージの仮説なんですよね。
それを発展させた著者独自のアクティブなおじいちゃんおばあちゃん仮説っていうものとかも紹介されていたりして、
それはまた次回そういう話をしたいと思います。
はい、了解です。
はい、という感じで今回は前編後編で続きものというので、
座ることが面白くてそのばっかりになってしまったんですけれども。
これを聞いてる人もたまに立った方がいいってことですね。
そう、ポッドキャスト聞くときはやっぱり散歩するべきですからね。
それを圧倒的にそうすべきですね。
ある意味で人間が嫌いな、ただ歩くだけをできないことを歩きながら趣味も満喫できるという意味では、
ポッドキャストはやっぱりすごいところじゃないかなって。
歩きながら本を読むのはかなり難しいですからね。
歩きながら本もYouTubeもちょっと危険だけど、ポッドキャストなら許されるのではないかと思うし。
確かに。
そういう意味でも相性の良い本だったと言えるかもしれないですね。
確かに。
という感じで今回はこれまでにしたいと思います。
ブックカタリストは番組を支援していただけるサポーターも募集しています。
序盤に話したような文字起こしプロジェクトみたいなこととかもいろいろこれからやっていこうと思っているので、
もし応援していただけるという方は概要欄のリンクから飛べる公式ページなどをご覧いただければ幸いです。
それでは今回もお聞きいただきありがとうございました。
ありがとうございました。
01:15:53

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