面白かった本について語るポッドキャスト、ブックカタリスト第55回の本日は、時間の使い方について語ります。
よろしくお願いします。
はい、お願いします。
今回からオープニングにお便り、コメントなどをいくつかご紹介しようと思っておりまして、いくつか紹介したいと思います。
1個目、MOさんから、年末に今年の一冊みたいなのを教えてくださいっていうのにお便りを送っていただいたんですけれども、読みたいと思います。
思い返してみると、私の今年の読書はブックカタリストの影響を強く受けていました。
お二人が紹介した本、現代思想入門や暇と退屈の倫理学、ノイズ等ばかり読んでいました。
それらをあえて除いて、今年の一冊を選ぶならば、塩野七尾さんのローマ人の物語シリーズです。
特にハンニバル戦記を書いた2は、映画を見ているようで楽しめました。
有名な作品ですね。作品というか有名な本ですね。
そうなんですね。俺は完全に初見で調べてみたら、16、7冊ぐらい。
そうですね。
大画ドラマというか、日本の大歴史小説のローマ版。
割と西洋とか世界の歴史に入門というか導入というか、興味を持つのにいいんじゃないかとよく言われる本ですね。
全く俺は知らなかった本なので、これは教えていただいてありがたいな。
こういう方向で、10何冊もローマの話、今読めるかなというのが不安ではあるんですけど。
1ヶ月に1冊とかぐらいのペースでじわじわ読んでいく。
そもそも文章が合う合わないがあるから、まず1冊目をちょっと読んでみてって感じでしょうけどね。
そうですね。あとはどのぐらいローマに興味を持てるのか。
ハンニバルのところとか好きなんですよね。カエサルとかその辺の話は。
たしかに知らないという意味では物語で理解するのはいいかもしれないですね。
そういうふうなとこから入っていって、興味を広げるというのも手ですし、
僕方としてあえて紹介されていない本をピックアップするというエモさんのチョイスはグッドでしたね。
そうですね。そうやって選んでいただけるっていうのは嬉しいですね。
あとですね、アルクさんから1年の振り返りについて。
寝落ちすると思っていたが最後まで聞き通せた。振り返り楽しかったです。
思えば今年の夏出会ったんだった。いろいろ面白いコンテンツに出会えて良い年だった。
来年は俺も読んだ本について人と語りたいので、考えを言葉にしていく方法を学ぶ年にする。文章大全待ってる。
ドクシオザルさんが出版すると言われている本ですね。
多分それのことですかね。
今年の夏に多分ブックカタリストを見つけてくれて聞いてくれるようになったのかなっていう。
ハッシュアウトプットしようというモチベーションが高まったとしたら、
ブックカタリスト妙に見つけるというか、まさにそのためにやっているところがあるのでありがたいところでございます。
あとはいかにして行動をしていくかですよね。
きっとそういうところなんだろうなっていう。
あと最後にふくさんから、
小川さやかさんのその日暮らしの人類学を独領っていうので、
やっぱり時間間隔をちょっと変えたいんだよな。
復習にブックカタリスト聞こうかと思ったらこの回はなかったのか。
言及多い気がしたので聞いた気になっていた。
そうなんですよね。結構いろいろ本の名前出してるんですけど、
本回では紹介してないですね。
ちなみにその引用っていうのがKindleのQuoteのやつで、
将来についてきちんと考えなさいと言われることに反発した人も、
大人につれて気がついたら将来についてすぐ考えるようになってしまって、
現在の延長線上に未来があるという認識も文化的なもの、
特定の場所と時代において成立したもので、
そういう世界観でしかないんだよっていう部分を引用しながらのコメントですね。
なるほど。そしてこのツイートが今日のテーマにちょっと引っかかるのがいいですね。
ちゃんといい前振りを拾えていましたね。
いい順番に並んでますね、それは。
あとブックカタリストとは直接関係ないんですけれども、
2013年の1月のKindle月額セールにアトミックシンキングが登場しておりまして、
何人か買ったよとかって言ってくださった方もおり、よかったら買ってください。
ちなみにゴルゴさんが作った本でセール対象になったのは何種類目?何冊目?
多分こういう形でセールになったのは初ですかね。
これ個人的には僕、AKDPで多分20冊ぐらい本登録してるんですけど、
選ばれやすいのはやっぱり評価が高い本ですね、読者さんからの。
そうですね。一定以上の欲しがあって、一定以上の評価がついているものっていう感じですね、どうやら。
だからそういう本を作ったということなんでしょう、きっと。
そうですね、それはありがたいですね。今年もそれを目指して本を作ったりもしていこうと思います。
ついでに宣伝ついでに言うと、去年の月末にLifehackの道具箱2022年版という本を今度は私が返帳しておりますので、それもKDPで見つけていただければと思います。
そうですね、あれは3年目?今年で。
3年目です。
続いてますね、なんだかんだ。
これは続けるつもりで始めからやってるんで。
続けるつもりでやるって言うと、やっぱりなかなかできないものじゃないですか。さらに1年経つといろんなことを忘れてしまうし。
毎年新しい本を作ろうと思うとテンション負けしますけど、だいたいコピペでいいやっていう感じで臨んでるんで、わりかしいけます。
それはネタとしては素晴らしいですよね。拾ってきてうまいこと毎年出せるっていう。
でももちろん全サービスの全価格とかサービスが変わってないかどうかを一個一個チェックしていくんで時間はかかるんですけど、新しいものをクリエイションするっていうほどのエネルギーは必要じゃないんで、わりかしできますよ。
そうですね。そういうシリーズがあったりするとなかなか良いのかもしれないですね。そういう定期的に1年の振り返りにもある意味になるかもしれない。
今年どう変化したのかとか。ということで本編、今回は時間の使い方をテーマに語るという話ですね。
そうですね。一応主題となる本は限りある時間の使い方というオリバー・バーックマンさんの本なんですけども、この本を中心にむしろこの本の中身を踏まえて時間の使い方ということを少し飾ってみたいなというのが今回の試みでございます。
年初としても相性が良いであろうコンテンツですね。1年の初めにいかにどうやって時間を、今年1年どう時間を使っていくのか。
結構大きなテーマだと思うんですけど、もともとこの限りある時間の使い方っていうのは2020年に、22年に出てる本で、僕がよく行く書店でも上位1位とか2位とか売れ筋ランキングに飾ってる本で、
面白そうやなとはずっと思ってたんですけど、帯にひろゆきさん推薦みたいなことが書いてあって、それ書いてる中で僕は手に取る気が急激に出るんで、興味があるまなざしを持ったまま読んでなかった、手に取ってなかった本なんですけど。
ちらちらタイムラインとかでも面白いよという話を見かけてて、ちょっとずつ読みたいゲージが高まってたんですが、これ以前も言ったんですけど、上澄純さんのサブスタックのニュースレターで、この本がブックカタリスト向きな本であるという紹介がされてまして。
そこまで言われるんであれば、ちょっと読んでみようかなと思ってたところ、本屋さんで見たら帯が変わっていて、某ヒロなんとかさんの推薦がなくなってたんで、よしじゃあこれは買おうということで買って読んだという次第です。
【佐藤】純先生が言っているのはどちらかというと、日本で大量生産されている残念な自己啓発テクニック本の類ではなく、ブックカタリスト向きな本だと言えます。
【佐藤】これは確かにこの通りの評価で、ジャンル枠級すれば間違いなく自己啓発賞に入るんですけど、思想的な重みの方が結構多くて、7.3とか8.2ぐらいで思想寄りで、実用的な方面が2位ぐらいの割合なので、結構異色な本ですね。
【佐藤】このタイトルで自己啓発要素2位ぐらいっていうのは、だいぶレアな感じですね。
【佐藤】日本語のタイトルが限りある時間の使い方なんですけど、これ現代が4000weeksって書いてあるんですよ。これ全然違いますよね。
【佐藤】これちょっとびっくりしたけど、4000週間っていうタイトルなんですよ。はい、じゃあ4000週間って何でしょう。
【佐藤】1年が52週なので80年ですよね。
【佐藤】そうですね。ということは、だいたい人の一生ってことですね。
【佐藤】人の一生を日数でもなく週で数えた。
【佐藤】だいたいそれが4000週間になると。
【佐藤】80歳の人生っていうのが、例えば人類の生きてきた時間。
【佐藤】だいぶ前に地球の年表みたいになりましたけど、地球の歴史とか、あるいは人類が始まってからの歴史っていうものに比べれば、80年なんていうのはもうミリ単位の短いもの。またたきのような短いものであると。
【佐藤】5秒ぐらいですね。
【佐藤】僕らはそのことにあまり気づいていないと。
【佐藤】調査が例えば知り合いの人に、人間の一生って何週間だと思うって、何週間ぐらいあると思ってきたら、10何万週間って答える人がいたらしいんですけど、あるわけないんですね。
【佐藤】せいぜい4千週間。100歳まで生きたとしてももうちょっと乗るぐらいしかないと。
【佐藤】副題がタイムマネジメントフォーモータルズって書いてあって、モータルっていうのは不滅ではないってことですね。死すべき運命を背負ったものっていうのが意味ですけど。
【佐藤】言ったら、僕らは死ぬ存在である、その死ぬ存在であるものに向けたタイムマネジメントっていうのを考えていこうというのが現代ですね。
【佐藤】それが翻訳されて限りある時間の使い方になってるんですけど、これがなかなかひねりの効いているタイトルだなと思うわけですが。
いいか悪いかわかんないですけど、いいひねり方のような印象が感じますね。
【佐藤】今回のテーマも時間の使い方なんですけど、人生が80年しかないと、4000週間しかないと。
【佐藤】人生って何かっていうと、その時間をどう使うかっていうことですよね。
【佐藤】だから、例えば新年にこの年をどう過ごそうかって決めることが、人生のクオリティに直結してしまうと。
【佐藤】だから人はタイムマネジメントに興味を持つと。実際、タイムマネジメントとは言わなくても、自己啓発とか仕事術の本っていうのは時間の使い方っていうものが結構出てますし、結構人気だと。
【佐藤】本書が1位とか2位になってても、人の関心がやっぱり高いからやと思うんですね。
【佐藤】で、生歴49年か。2000年くらい前にセネカっていう人が、人生の短さについてっていう論考を書いておられると。
【佐藤】手紙かなんかでしたよね、確か。誰かにあてた。
【佐藤】僕たちは2000年くらい前から、もう人生が短いっていうことに興味を向けてると。で、僕らが人生の短さっていうのは、セネカに言わせたら、物事に集中して取り組まずに気まぐれに取り組んでしまうと、あっという間に終わってしまうほどの短い時間であると。
【佐藤】だから時間の使い方を意識的に変えていきましょうみたいな、まさに時効性啓発的なことをセネカも言ってると。で、現代でもずっとそれが引き継がれてると。
【佐藤】ただし、著者が、生産性マニアが行き着いた結論というか、先は時間をコントロールしようとすればするほど、時間がコントロールできなくなってくるっていうある種のパラドックスみたいなものにぶち当たって、本書がそのメッセージで貫かれてます。つまり、時間をうまく使おうという話ではないんですね、本書は。
【佐藤】だから、放題を読むとそう感じてしまうけれども、現代でいう4000週間であって時間の使い方の本ではないというか、それを求めてしまったら結局人生は充実しない。
【佐藤】っていうことになってる。ちょっとひねりの効いてる面白いタイトルやなと、最初に思った次第ですね。【佐藤】確か、セネカが言ってたのは、有意義なことをするには十分に長くて、適当に生きると一瞬で終わってしまうみたいなことを言ってましたよね。
【佐藤】だから、有意義に生きなさいというメッセージ。それはもう、現代の時効啓発でも通定してるんですね。例えば、人生が80年しかないと限られていると、そういうことを認識しなさいって言われたとしたら、
【佐藤】僕が思うんですけど、いわゆる最近、タイムパフォーマンス、タイパーとかっていうファスト協業とかって、映画を早送りで見るとかってありますけど、時間が限られてたら、あんな風になりません?むしろ。 【岡田】時間が限られていると知ったら、できるだけ時間を無駄にしないように生きようとする。
【佐藤】そうなりますよね。だから、ファスト協業的なものに流れてしまうと。でも、あれは時間を有効に使っていると言えるのかどうかっていう疑問もちょっと立ちますよね。 【岡田】少なくとも、やっている人たちは有効に使っていると思っているから、そうやっているはずですよね。
でも、果たしてそれは本当なのかということを本書は投げかけたいというところで、そういう問題提起の本ですね。全体的に言えば。 【佐藤】もう、その時点であれですね。最初に言われた、日本で大量生産されている残念な自己啓発テクニック本の類ではなく、ブックカタリスト向きな本っていう感じがしますね。
【佐藤】これまで紹介してきたような本と結構契約が近いことが書かれてます。一応、目次を簡単に先に紹介しておくと、2部立て、パート1とパート2から立てまして、パート1が現実を直視する。パート2が幻想を手放すっていう、あんまり夢のないタイトルになってるんですけど。
幻想を手放す。第1章から第6章までが、なぜいつも時間に追われるのか。第2章が効率化ツールが逆効果になる理由。第3章が時間があるという前提を疑う。第4章が可能性を狭めると自由になれる。第5章が注意力を自分の手に取り戻す。第6章が本当の敵は自分の中にいる。
ここが現実を直視するパートで、第7章以降が幻想を手放すパートで、時間と戦っても勝ち目はない。人生には今しか存在しない。失われた欲望を取り戻す。忙しさの依存を手放す。とどまることで見えてくるもの。時間をシェアすると豊かになれる。ちっぽけな自分を受け入れる。暗闇の中で一歩を踏み出す。
というメッセージ的には結構自己啓発にありがちなものですけど、わりかし深い内容が語られております。結構注意を引くのが、第1章、パート1の1から6章までのタイトルが生産性マニアにはドキッとするような内容が含まれていると思うんですけど。
一番キャッチというかわかりやすいのが、効率化ツールが逆誤解になる理由なんですけど、これは第何回か忘れましたが、超没入という本を紹介しましたよね。確か。で、メールというものが当たり前に使われすぎて、結局僕ら忙しくなりすぎてしまったという話なんですけど。
一日1000通ものメールが届いて、マジでそんな人がいるらしいっていう。
要するにコミュニケーションが絶えやすくなればなるほど、コミュニケーションされる量が増えて、僕らは忙しくなる。だから、手紙を使ってた時代よりも遥かに僕らは忙しくなっていくっていうこと。その効率化が逆効率を生み出してしまう。これは生産性に対して反生産性っていう概念を一入りっていう方が提唱してるんですけど、全くそれと同じ現象が起こっている。
もう一個は、効率化ツールを導入すると期待値が上がってしまう。例えば電子レンジとか炊飯器でご飯が短く炊けるようになると、もうそれが当たり前になってしまう。それが便利になっている気がしない。むしろだからもっと早くならなければならないし、例えばそういうの早いのに囲まれていると10秒待たされるのもイライラしてしまう。
効率化ツールを身の内に入れることによって期待値が変化して、何が便利か不便かっていう線が変わってしまう。だから、いつまで経っても満足はそれではやってこないという話ですね。
満足が来ないっていうのがあれですね。暇と退屈のリリースみたいなやつとかもあった気がする。
で、3章と4章に関わる話なんですけど、時間があるという前提を疑うと可能性を狭めると自由になるんですけど、時間があるという感覚、あるいは時間があればホゲホゲができるという感覚っていうのは、選択肢を減らさないんですね。
つまり、後でやろうと思っている限りその選択肢は捨ててないわけですよ。それは反面すると、僕らは捨てられていない、決められていない、優先できていない、何が重要かを選んでいないってことなんですね。
重要なことをずっと選択肢として残しておきたいがために、時間があればこういうことをやろう。
そうそう、っていうふうに頭の中での計算が進んでいる。で、僕らはそのために次にやることリストを大量に抱えてしまうんですね。
無限に100を超えるいつかやりたいことリストですよね。
僕らは、著者が言いたいのは全部はできないんだと。当たり前のことですけど。で、限られた時間をどう使うかっていうことに直面したら選ばざるを得ない。そして選んだら他を捨てざるを得ない。
ここをいわゆる仕事術あるいはタイムマネジメントは隠蔽している。何か隠蔽しようとしてしまう。
全部時間を効率的に使えばいつかやろうと思っていたことが全部やれるようになる。
っていう本来僕らが直視しなければならない現実から目を背けてしまう。あるいは背けるという効能を求めて僕らはそれを求めてしまうということが起こる。
背けたいからなんかそうやりそうな感じですよね。
だからタイムマネジメントっていうのは絶対に成功しないし、むしろ状況を悪化させるっていうことが、著者が言った自分の生産性改善において直面した現実なんでしょうね。
これは実際その通りだと思います。ここは科学的に正しいかどうかを別にして、著者が考えるそういう取り扱いがいかに生まれたかっていうもので、起点となったのは時計の発明であると。
時計がなかった時代の人間の認識っていうのは僕らももちろん想像することはできないですけど、時計がなければ時間っていうもの、つまり僕らが現代人が持っている時間という感覚はおそらくなかっただろうと。
もちろんその時の流れというのは知ってただろうけど、共有資源としての、共有資源っていう適切な言葉かわかりませんけど、物理的に、例えば僕が時間って言って、ゴルゴさんが時間って言って、まあ60分でもいいですけど、時に同じものとして扱われるようなものはおそらくはなかったであろうと。
個々人の体の中に流れるものしかなかったはずであると。で、時間が、例えば時計があると何が便利かっていうと、共同生活に便利であると。で、例えば修道院で皆が同じ時間に起きるときに、時計の鐘が鳴ると便利と。
そういうのが限定的に使われてたのが、修道院以外、例えば農家の人たちは時計を持たずに、日の出と日の落ち、あるいは季節の変わり目で行動してたけども、そこに工場労働というのがやってくるわけですね。で、工場労働もさっきの起床時間を管理するのと一緒に、時計があるとめちゃくちゃ便利なわけですね。というか、時計がないと成立しにくい。
で、さらに資本家は気づくわけですね。工場労働者を長く動かせば動かすほど儲かると。つまり、資本家にとって時間は資源であると。
ああ、そうか。資本家にとってはそうですね。時間イコール資源?資産?資産じゃないな。資源でいいのか。そうか。
工場労働者は、その資本家に対して労働時間を売るということになってしまう。となると、時間はもう持ち物なんですね。誰かの。
そうか。全員が24時間という時間を持っていて、それは売り物になるようになってしまったんだ。
物化されてしまうわけです。その段階で。つまり、時計がない時間、あるいは工場労働が一般化されていない段階では、そこまで物化されていなかった。時間という時の流れは人が感じてたけど、使うものではなかったわけですね。
あるものだった印象ですよね。そこに。
でも現代は、おそらく産業革命以降、時間は使うものになってしまったと。これがこの近代的な時間の捉え方の特徴であると、著者は論じてるわけです。
これも時間が使うものになってしまうということから、いろいろ話が物起できるんですけど、まず時間を使うものになると、使うという動詞は何のためにという目的を持ちますよね。
そうすると、その日暮らしにも出てきましたけど、今を生きるということがしにくくなるわけですね。時間は常に何かのために存在してしまう。
そうか。基本、投資の材料になってしまって。
時間そのものを生きることができなくなって、この時間は何かのために役立つものっていう認識に、近代的な時間の捉え方はなってしまうというところ。
もう一個は、これは僕が勝手に考えたことなんですけど、時間をうまく使おうとすると、いわゆるセルフマネジメント的な考え方で、うまくコントロールしよう、ないしは制御しようって思いますよね、当然。
時間の使い方を制御する、ないしは時間そのものを制御するっていう考え方は一見真っ当なんですけど、そこで支配されているものっていうのは何なのかっていうのをちょっと考えてみたいんですが、時間じゃないんですよね。だって時間は制御できないんですから。
僕らは時間に対して何の制御を、高速に近い速度で移動したら時間の流れを遅く感じますけども、時間そのものを操作してるわけじゃないですよね。
最短時間は変わらないですね。
結局その時間で何をするかっていう自分の行動を制御しようとするわけですね、そこでは結局。つまり自分が自分を支配するわけですよ、それを行うと。
時間をうまく使おうと思っているのに、そのためにすることは自分をうまく制御すること。
自分をうまく制御するっていうのは、自分が自分を制御することなんですけど、この守護の方に死体が置かれているときは見えないんですけど、目的語にフォーカスすると結局自分が支配されてるんですよね。
対象を支配してる人は自分ですけど、自分が私を支配する。だから常に自分が何かに支配されている、何かの制御下に置かれている状況になってしまうわけです。
これがセルフマネジメント全般に植えることです、要するに。
自分が良い生活を送ろうと思って行動を制御してると、その制御してる行動をやってる自分っていうのは自主性じゃないんですね。むしろ従属してる、隷属してるんですよ、何かに、ある種の目的に。
ああ、そっか。守護は最初は自分だと言っているんだけれども、実はお金持ちになるというのが守護になってきて。
で、よく言われる今を生きるっていうことから、そこからも結局遠ざかってしまうわけですね。結局何かの目的のためにその行動をしているということになるんで。
だからセルフマネジメントをすればするほど、僕らは実践を発揮するんじゃなくて、むしろその目的に従属した時間の使い方になってしまうっていうのが、この現代病。
時間を使うものとしてしまって、特にプラス個人主義に時間の使い方を自分が決めるんだっていう個人主義と組み合わさったときに生まれる現代病であろうということが、著者の考えと僕の考えをミックスしてますけど、ということが言えるんじゃないかなというのが前半の問題提起です。
自生自爆という四字熟語を思い出したんですけれども、まさにそうなってしまうんですね。
自分を縛っていって、その縛っている方の自分がどんどん小さくなって、縛られている方の自分ばっかりが大きくなっていく状況っていうのが起こりやすい。これだから、自己啓発ないしはライフハックですね。ライフハックの罠と言ってもいいと思います。これは自己啓発の罠になぞらえて。
要するに、ハックという言葉が特徴的ですけど、自分の思い通りにしよう、つまり支配しよう、コントロールしようとすると、そこに含まれる自分が自由じゃなくなっていく。
さっきの話でも通じるんですけど、そこではコントロールしきれないものから目をそらすという結果になりやすい。
つまり、ライフハックに夢中になっている時っていうのは、当然自分がコントロールできるものばっかりを見ているわけですけど、それは逆に言うと、コントロールできないものは無視するわけですね。ないしはないものとして扱う。あるいは価値がないものとしてしてしまう。
一番難しい問題は、まず自分の人生がまんまならないということですよね。そもそも生まれようと思って生まれたわけではないというところからしても、人生は自己コントロールを超えているわけですよね。いつ死ぬかもわからないし、環境も自分の思い通りにはならないし、むしろ他者なんていうのは自分の外にあるものだと思う。
加えて、自分が生まれてきた中で答えがないものって、自分がこの人生において何を成すのかっていう。もうちょっと言うと何を成すべきなのか。あるいは何を成したいのか。これはどっかに答えが書いてあるものではないですよね。
ちょっと前までは日本だと典型的な答えみたいなやつはあったけど。
それは要するに、僕らがさっきの難しい問いに答えたくないから、便宜的に受け取ってたものですね。
結婚して子供を2人作ってマイホームを立ててみたいなやつですよね。
そういうのがあるのは結局、個々人が自分がなぜ生きるのかっていう問いに答えるのが難しいし、答えたくないし、答えるのは認知資源を使うから。便宜的にそういうものが与えられたし、与えられて機能する間はそこの共同体は比較的安定はしてるけど、でも実際それはその人が出した答えではない以上、どうしても違うんじゃないかなということが残ってしまう。
ライフハック系の常が送礼なんですよね。効率化しようとは言う。でもあなたはあなたの人生において何を成し遂げるんですかっていう問いには絶対に答えてくれないんですね。
それはもう効率とは無縁のとこにある。とか、効率では処理できない。その問いは。
生産性を高めた果てに何を求めるのかっていうことは、アリス、自分で絶対に答えを出さなければならない問題じゃないですか。何をハックしたところで、どんな本を読んだところで、そこには答えがないわけですね。
効率化してる間は、その問いからは一応目を背けてられると。
そこを生きる目的にできますよね。
限定的に。でも結局空虚さは残って、その答えを自分で出しながら空虚さは残ってしまう。そういう話で思い出すのが、夜と霧という本なんですけど、フランクルという方が書かれた、ナチスに捕まっちゃった人の話ですね、簡単に言うと。
フィクション、ノンフィクション。
ノンフィクションです。アウシュビッツ的なところに入れられて、でもなんとか生還した人の心理学者だったかな。
その方が、人生っていうのは、私たちが生きる意味があるのかっていうのは問うのではなくて、人生に私たちが問いを向けられてるんだと。お前はなぜ生きるのかっていうことを、人生から問われてるんだと。
だから僕たちは自分自身でその答えを出さない限り、満足する答えにはならないだろうと。で、タイムマネジメントのあらゆるテクニック、そしてさっき言った時間さえあれば何でもできるっていうような幻想の無限性は、その問いを無効化するんですね、結局。
だって時間が無限にあれば、全てのことができるわけじゃないですか。だから、4000週間しかないこの人生の中、与えられた人生の時間の中で、僕は何を成したいのか、成すべきなのかっていう問いを永久に考えなくて済むんですね。
時間さえあれば絶対になせるわけですから、優先順位をつける必要がないわけですね。
全部やればいい、順番に。
で、タイムマネジメントでよく言われるのが、大きな石から入れなさいっていう話をよくされるんですね。
瓶があって、小さい石と大きい石があると。で、小さい石から入れてしまうと、大きい石が入れられなくなりますよと。
だから大きい石から先に入れましょう、つまり重要なことから先にやりましょうっていうメッセージなんですけど、
それは結局作られた問題でしかなくて、つまり大きい石が入らないぐらいあったらどうするんですかっていう、一番根源的な問いを言ったら隠ぺんしてるわけですね。
容器の大きさはなぜか無限大なことになっている。
意志がその容器に収まるしかない。
でも結局僕らにとって重要なのは、重要なことは捨てましょうっていうのはわかりますよね。
でも3つ重要なことがあって、時間が限られているから1個しかできませんっていう時にどうしたらいいんですかっていうことに答えない限り生産性っていうか、ある種の忙しさから解放されることは絶対にないだろうと。
これはまあその通りですよね、結局。
だからここなんですね。
著者が本書を通して言ってるのは、僕らは有限な存在であると。
だから重要なことだけを選んでもその全てをすることは結局はできないと。
その中で優先度中を全部捨てろって言ってるわけですね、著者は。
つまり重要そうに見えることでも結局捨てなければならないと。
その心の痛みがあるから、自己啓発的なものは夢が叶う時間術みたいなことを言うわけですけども。
夢が叶う時間術。ありそう。
言うわけですけど、実際はそうじゃないと。3つあった時に1個しか選べないような極限的な状況。
僕らの能力の有限さとか時間の有限さを直視した時に、もうしゃーない、これはできひんと。
例えば健康でたくさん仕事をしたいけど、たくさん仕事したら健康のための運動はできなくなるみたいなジレンマと戦わざるを得ない。
そのジレンマを回避するようなものっていうのは結局どこかで無理が来る、ないしは嘘が含まれていると。
だからそこを徹底的に直視しましょうというのが本書の通定的なメッセージで、それさえ理解できれば本書はオールオッケーな感じですね。
一応面白いなと思ったのが、時間は使うものではないっていう言い方をさっきしましたけど。
じゃあ時間は何なのかっていう時にハイデガーが出てくるんですね。ハイデガーが引用されていると。
おたたびハイデガーなんですね。暇と退屈に。
そうなんです。結局ハイデガー。時間の感覚で言うとハイデガーがよく出てくるんでしょうね。
結局存在と時間がありますから。僕らが時間なのだとハイデガーは言うわけですね。
人間が生きているということが、それが時間なのだって。
言ったら、時間を使うということ、概念そのものがもう変なのだと。
人が生きることそのものが時間なのだから、生きている人がその時間を使うことはできないっていうこの説明で、ちょっとわかりやすいかどうかわからないんですけど。
ハイデガーがわかりやすくないから仕方がないですが。
人が生きることそのものが時間で、人がいないところに時間などというものは存在しえないみたいな話になってくるんじゃないかと思うんですけど。
それに近いですね。だから、生きている人と時間っていうのはイコールだと。
どう言ったらいいかな、これ。
なんか認識論みたいなのにも近いような気がする。人がいない時代には、世の中は存在していなかったという言い方ができてしまうみたいな哲学の争いとかありましたよね。
これは認識論というよりは存在論かな。時間的存在論というかな。
つまり、時間というのは物じゃなくてフィールドなんですね。人間の存在空間そのもの。
だから、それを使うことはできないんですね。だってフィールドやから。
あるだけですよね、そこに。
僕らのイメージではサッカーフィールドがあって、そこにサッカーボールがある。そのボールが時間であるかのように思えるけども。
それが近代的な時間の捉え方ですけど、ハイデガーが言うにはサッカーフィールドが時間なのだと。
だから時間を使うというか、それは人間が生きてたらずっと時間を使っているようなもんだし、時間を使う使わないという言い方そのものが成立しないんだっていう話を本書の中でしてるんですね。
サッカーフィールドでサッカーをしているというのはサッカーフィールドを使っていると言えなくもないけれども。
その一部だけを取り出して使うことはできないじゃないですか。使うとは言えないじゃないですか。
だから僕らはずっと時間を使っているのが生きるってことやから、時間を使うっていう言い方はそもそも成立しないっていう話を本書はしてて。
で、本書のタイトルが限りある時間の使い方になっているというのが面白いんですね。
ハイデガーを引けば時間なんか使えないわけですね。
それで言うと限りあるという言い方でもなくなってしまいますよね。
だからタイムマネジメントフォーモータルっていうのを日本語の風にしたらそうなりますけど。
言ったら死すべき人間が時間をどう使うかって言ってしまいますけど。
マネジメントなんですよね。
その有意義な時間の使い方以外の使うっていう言い方も欲しいんですけど。
過ごし方でもいいんですけど、つまり生き方ですね。
限りある時間での生き方とかの方がニュアンスは近い気がする。
あんまりキャッチーじゃないからそれでいいんですけど。
本書は言いたいのは時間を使うっていう概念からもうちょっと離れていこうと。
僕たちむしろ生きるっていうことが時間を使っているんだから。
あとは限られた時間でどう生きるのかであると。
どう生きるのかであるっていう風に考えたら、さっき一番最初に言ったファスト教養的なものに必ずしも接続する必要はなくなりますね。
たくさんのことをやる必要はないし、早くやる必要はない。
早くやった時と早くやらなかった時の体系の質が変わるんであれば
効率化とは関係のない指標がそこに入ってきますよね。
数値化できないやつですよね。
そこを意識したら、限りある時間をどう使うかっていうと、さっき言った資源的な考え方になって
資源的な考え方は少しでも早くより多くのインプットという話になってくるんですけど
いかに生きるのかという風に考えれば
そのようなPDCAサイクルを回していくものからは、少し距離を取れるんじゃないかなと個人的には思います。
この手の話っていろいろ関連するのを読んでて思ったんですけど
一番パッと思いついたのが、なめらかな世界とその敵っていうSF小説があるんですよ。
ハンナ・レンという方の短編小説集でこのタイトルの短編も含まれてるんですけど
その世界では人が平行世界に意識的にスイッチできるんですよ。
平行世界は無限にあるわけですね。
例えばテストの成績が悪くて親に怒られてる瞬間になったらスイッチしたいんですね。
そうすると怒られてない世界線に飛べるんですよ。
別のことが起こったら別のところに行っていいし、説教が終わった時間に戻ってきてもいいわけですね。
戻れるんだ。そういう風に体験できるんだ。
次に移動できるっていうのが当たり前になってる世界。
つまり、著者が言うなめらか世界っていうのは
怒られたりして心がズキズキとか痛みを感じるようなものが全くない。
全てスムースに生きていける世界のことをそう言ってるわけですね。
なめらかな世界ね。
でも主人公である一人の女の子はそれって本当にいい生き方なのかなって思って
ちょっとネタバレますけどそれを途中でやめるんですね。
平行世界の移動をしないようにする。
例えば足を折ってしまったら足が治るまでは折れた世界になる。
つまり僕らが生きてる世界ですね。
結局選んでしまった他に移れないからこそ
今そこに選んだものに価値を感じれるようになるっていうことだと僕は思うんですね。
この小説の一つのテーマっていうのは。
無限に選択肢がある。
優先順位をつけずに全てが可能性として残せるっていうものだと
重み付けがゼロなんですね結局。
だから何も重くないし何も軽くないっていう状況になってしまう。
それ結局価値を感じないということになってしまう。
ああそうか。
何かを選ばない限り価値というものは生まれてないような気がします僕は。
結局その価値っていうのは僕らの脳の機能じゃないですか。
多分というか間違いなく。
そうですねそういう機能ですね。
だから何かを重要視して他の価値付けを下げることによって
おそらく生存に役立つものになっているはずなんですね。
だから理屈じゃないんですねきっと。
欲望とも距離を置きましょうっていうのが本書のメッセージかな
なので全体として自己啓発的な本ではあるけど
メッセージは結構真逆というか
あるいは語り方が自己啓発とちょっと違うかなという印象を受けた本でしたね
難しいというか答えが出ないというか
だからこうすればいいみたいな
そういうシンプルな答えじゃないところがやっぱ難しいところではあるけれども
やっぱきっとそうなんですよね
その難しさをごまかしたらダメだっていうことですね
だって自分が生きてきてこの人生で何を成すのかっていう問いに対して
制約はもちろんありますけど
自分の能力という制約ありますけど
これをしなければならないとか
これをしたら評価されるっていう指標はないわけですから結局
書こうもんもないですし
誰かが採点してくれるわけでもないですから
だからこの問いって絶対に難しいというかどういう答えかな
NP困難的な難しさを持つというか
安易に答えを与えられないものか
だからこそおそらく哲学を学ぶ意味っていうのはそこにあるんじゃないですかきっと
まあ多分
安易にこの人生という問いに答えを出さない
出すことにためらいを感じるようになるみたいな
そういう耐える力っていうかな
そこを身につけると
昨今のテクノロジーが迫ってくる便利さとも距離を置けるようになるでしょうし
そもそも他者は支配できないみたいなその当たり前の事実も
すっと腑に落ちるようになるんじゃないですかねきっと
なんか答えがない状態に慣れさせるみたいなやつが
いくつかの学習系の本でよく出てきて
すげえ最近は意識をするようにしているんですけど
なんかやっぱね答えを求めたくなってしまうのは分かるけれども
答えられないものがいっぱいあるんだっていうのを知っておかないといけないなって
それは思いますね
そこはそこに耐えられないからやっぱり安易な生産性に走ってしまうわけですよきっと
それをしておけば
あの少なくとも
仮の答えは手に入る
そのもやもやした感じは一旦収まるんで
一種の鎮静剤にはなるわけですから
でも例えばふっと気がついた時に
あれ俺って何で働いてたんやろみたいな時に
その何の哲学的準備もなくその問いに直面するのは結構危険やと思うんで
どんどん効かなくなるんですよね多分それも薬と一緒で
効率化薬に頼っていると
だんだん効果が短くなってもっと過激なことをしないといけなくなって
強い薬じゃないと効かなくなり
禁断症状も激しくなり
やっぱり問いから逃げようとすればするほどその問いが迫ってくるというところがあって
そこを避けられない
僕らが生きていくし人間というものとして生存し
意識とか言語を持ってしまったが故に
そういう問いがふと降ってくるんですねきっと
原語を持ってなかったら降ってこないんですかね例えば人間が
消えてこないんじゃないかな
一般化ができひんから言語がないと
だからなぜ生きるのかという
あるかなありえるかな
自分はなぜ生きるのかという問いはありえるか
でも自分という概念があるかやなまず言語はなしで
つまり鏡に映ってるものが
私である私という主体であるということは動物でもわかると思うけど
それを自分と呼ぶかどうか
自分という概念で扱うかどうかは言語がないと無理じゃないかな
人間特有というよりはやはり言語によって獲得した概念
たくさん50億人70億人の人間がいるそのうちの一人である自分は
果たしてどう生きるのかという問いやから
メタ概念がないと成り立たないような気がするし
そもそも動物はもっと遺伝子のままに生きてるでしょうけども
この答え自分にしか答えが出せない問いに
いかに向き合うのかとか哲学者はもう全部それですからね結局
彼ら自身が彼ら自身に降りかかってきた問いに答えてきた歴史ですからね
基本的には
しかも答えを仮に答えは出しているけれども
やっぱずっと答えがない状態ですからねきっと
だって科学的にテストできないですからねそれが正しいかどうかって
そういうものカテゴリーが違いますよねだから要するに
自分の中で納得できるかどうかでしかないっていう感じかな
要するにこういう答えはある程度はやっぱりそういうことになるのかな
そうとしか言えないですよね
おそらく答えが重要というよりも答えを探していくそのプロセスが
多分重要なんじゃないかなつまりなんかのAIが読み取って
これがあなたの生きる意味ですってピピって提示されても
多分意味がないんじゃないかなと思うけど
そのプロセスをそうか価値を決めることというのはプロセスなんですね
だから自分の身の回りあるものをとか経験したことを振り返って
優先順位というか価値を決めていくっていうそこで起こる
その脳内のプロセスが多分ここでは一番重要なんじゃないかな
だから答えそのものはただの結果でしかないっていう感じがするね
そうかそういうのはあるかもしれないですね
というわけでちなみにこの本のメッセージは結構
モモっていう小説にだいぶ似てまして
読んだことがなければ読んでください
こっちは古典ですよね
グーはなので人々に時間を貯金して利益を得ましょうっていう悪い奴がいて
人々はそれによってせっせと時間を貯金するんだけど
生活がどんどんアクセスしてきて
時間を無駄遣いするような人たちと付き合わないようにしましょうみたいなことを言って
世の中が世知辛くなっていくけど
モモの活躍によってなんとか救われるっていうような感じの物語で
現代風詞ですよね
しかもそこはマネーが絡んでるから非常に効率的な成長していくから
優秀な人たちが知恵を絞って考え出したアテンション吸収システムですからね
だからこそ対抗軸カウンターを当てる意味で
トップ型の注意を取り戻すって言い方もしてるし
いわゆるノートツールが取り戻してくれるのはこっちの注意だと思うんですよ
トップ型の注意だと思うんですね
自分に関心を持ってるものとかテーマとかをノートを取っていくっていうことは
トップダウン型の注意にたぶん属することなので
だからいわゆる最近では独学と言われてますけど
ノートツールとかノートセーキングとか何でもいいんですけど
時間の使い方を変えるという意味では
自分のノートを作ろうというのは一つの提言になるかなとは思いますね
そうですね情報が降ってくる環境ではなく
自分の中で何かするっていうのかな
つんだくぼんというと自分の美容トープを作るという言い方もできると思いますね
そういうふうにしないと
たぶんスマートフォンはもう人知を超えて優秀なので
余裕で注意を奪っていくんですよね
かといって捨てられるかっていうと結構微妙なところですからね
そこまでやってしまうとやっぱ今度はまた生き方として柔軟性がないと思うんですよね
そこで折り合いをつけるというか
カウンターテクノロジーを持つっていう感じかな
テクノロジーとカウンターテクノロジーの両方を持つという意識があるといいのかなと
だからやっぱりポメラがよく使われてるのもそこなんでしょうねきっと
ある種の不便さがあって
その不便さが僕らの注意を取り戻してくれるという感覚がきっとそこにはあるんでしょうね
あれ好きな人は好きですね
非常によくわかります
俺それだったら手書きしてもいいんじゃねえかって思うんですけど
それはもう手書きの
手書きはこの検証員と戦わなあかんのです
やっぱそれはあれなんかな
書き方とかの問題ではないのかなちょっとわかんないんですけど
手首の力を強く入れて書く人ほどなりやすいと思うね
手書きもやっぱり一つの選択肢でしょうしね
摂中案としてポメラを使ってもいいし
iPhoneやったらアプリの数を削減するとか
画面をモノクロにするとかいうハックもありますね
そんなんもあるんだ
割と標準機能でいろんな制限かけてあげるだけでだいぶ効果はあると思うんですけど
こういう制限をかけるのもある種のセルフマネジメントですし
ナッジですけど
だからやりすぎには注意ですけどねもちろん
でもその辺の感覚ある種の主体性を持って
主体性を持つけど万能感を持たないみたいな感じに至れればいいんじゃないかなと思います
ですねやっぱあれですね一つの答えが出てこないのが難しくって
そこが今回の答えなんだなっていう感じがしますね
こうすればいいという答えがない
だから本書もいくつかその自己啓発的な
3つの原則とか10のツールとかってありますけど
もうほんまおまけ程度しかないんで
著者が言いたいのはやっぱそうやって自分の有限性と向き合おうというのが一番大きなメッセージね
有限性と向き合った上で選んでいこうと
捨てるというか捨てると言わざるを得ないかな
発泡美人あるいは有名を常に持ち続ける的な
ワクワクするものがもたらす逆のストレスっていうのがあるので
逆に自分ができひんってことを受け入れるとむしろストレスがなくなるということを言っておられて
これも多分そうなんだろうなと思います
そこはねなんかすごいわかるような気がするというか
いろんなものをできることしかできないというか
できることしかできないできることしかできないってトートロジーですけど
結構真理ですよね
って思いますね最近よく思うなそういうのは
一番最後のエピローグかなタイトルが
僕たちに希望は必要ないっていうすごいメッセージですね
で一瞬なんかネガティブなことが書かれるんかなと思うタイトルですけど
結局希望があろうがなかろうがやるべきことをやるしかないんだって話なんですね
その根拠のない夢にすがるなみたいな感じですよね
そうですけどその希望があるっていうのは
これをやったらおそらくこれは成功するだろうっていう期待値のことですね
でそれが期待値がひこかろうがやるべきことはやるしかないんじゃないかっていう話ですね
だからやるべきことをやる自分ができることをするっていう
小学生に言うようなことですけど
僕らはそれをついつい忘れて世間がやるべきであろうと言っていることをやるとか
上司が期待していることをやるみたいな風に
その外的な規範性が内面化されてしまうというと難しいですけど
いうような感じがあるんでごく当たり前にできることをやるっていう
タスクシュートとかも昨日のやったことを繰り返すみたいなことですけど
あれももう自分ができることから始めるという意味では
非常に抑えた効率化ツールですねその辺を
抑えたというかトーンが低い
それで言うとあれですねトイレに行く時間をなくすことはできないみたいな
例えば話がよく出てくるかな
それも当たり前ですけど僕らは気づかないですね
効率化してやりたいことをやるみたいなことを考えている時って
食事の時間いるよねとかトイレの時間とか睡眠時間とか
ことを忘れがちですし
削除しても大丈夫かのように感じてしまうっていうこともあって
僕らが生物であるっていう有限性のあるものであるっていうことが
忘れ去られている
結局それをしないではいられない
効率化しないではいられない心理が多分問題ですね
効率化が問題というよりも
何かに追い立てられている状況そのものを変えない限りは
問題という形を変えていつも現れてしまうでしょうきっと
幻想と希望という幻想ですね
できることをするっていう根源に帰っていくっていうところができたら
それこそが多分タイムマネジメントっていうもののあるべき姿になるんではないかなという感じです
極論を言うと極めて普通な結論しか出てこないというのがそういうところですよね
一周旅した後にここに帰ってくるから多分いい意味がある
でないと多分答えだけ聞いても
例えばまたテンションが上がってきたらまた揺らいでしまうからきっと
徹底的に考え抜いてたどり着いた当たり前の結論っていうものの強度の強さですねきっと
でしょうね大体のことはよく考えると結構普通なことに帰ってきますからね
普通なことっていうのはやっぱりどういう点かな
健全性が高いから普通になっているというか再現性があるから普通と言われているというか
普通っていうのは程度が低いことじゃなくてむしろ強度が強いことなんですね結局
ずっと残っているそういうことですね
それをやっぱり僕らは1回自分の頭で考えてみるっていうことで
自分の価値観に根付かせていくことが多分必要でそのためにこういう本がずっと出版されてるんでしょうねきっと
2000年前からね答えだけ知っても意味がないから考えるっていうプロセスを通さないと意味がないから
その時代のコンテキストにあった本が常に出てるんでしょうきっと
とりあえずそんなところですかねこの本については
ということでブックカタリストは番組を支援していただけるサポーターも募集しておりますので
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それでは今回もお聞きいただきありがとうございました
ありがとうございます