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2022-10-25 59:20

BC049「物語」とどう付きあうか

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テーマは”「物語」とどう付きあうか”。以下の二冊を取り上げました。

* 『ストーリーが世界を滅ぼす―物語があなたの脳を操作する』

* 『物語のカギ : 「読む」が10倍楽しくなる38のヒント』

二冊の書誌情報

『ストーリーが世界を滅ぼす―物語があなたの脳を操作する』

* 著者

* ジョナサン・ゴットシャル

* ワシントン&ジェファーソン大学英語学科特別研究員

* 邦訳されているものだと他に『人はなぜ格闘に魅せられるのか――大学教師がリングに上がって考える』がある。

* 前著にあたる『The Storytelling Animal』は未邦訳。

* 翻訳

* 月谷真紀

* 『Learn Better ― 頭の使い方が変わり、学びが深まる6つのステップ』も訳されています。

* 出版社

* 東洋経済新報社

* 出版日

* 2022/7/29

* 目次

* 序 章 物語の語り手を絶対に信用するな。だが私たちは信用してしまう

* 第1章 「ストーリーテラーが世界を支配する」

* 第2章 ストーリーテリングという闇の芸術

* 第3章 ストーリーランド大戦

* 第4章 「ニュース」などない。あるのは「ドラマ」のみである

* 第5章 悪魔は「他者」ではない。悪魔は「私たち」だ

* 第6章 「現実」対「虚構」

* 終 章 私たちを分断する物語の中で生きぬく

『物語のカギ : 「読む」が10倍楽しくなる38のヒント』

* 著者

* 渡辺 祐真/スケザネ

* 東京のゲーム会社でシナリオライターとして勤務する傍ら、2021年から文筆家、書評家、書評系YouTuberとして活動。

* YouTubeチャンネル「スケザネ図書館」主催。

* 『季刊 アンソロジスト』『スピン/spin』

* 出版社

* 笠間書院

* 『“深読み”の技法』(小池陽慈)という本も

* 出版日

* 2022/7/27

* 目次

* はじめに

* 序章 なんで物語を読むのか? 物語を味わうってどんなこと?

* 第一章 物語の基本的な仕組み

* 第二章 虫の視線で読んでみる

* 第三章 鳥の視点で読んでみる

* 第四章 理論を駆使してみる

* 第五章 能動的な読みの工夫

* おわりに

ストーリー・パラドックス

ジョナサン・ゴットシャルの主張は以下の二つにまとめられます。

* 私たちにとって物語は必要不可欠であるが、場合によっては毒にもなりうる

* 現代社会の「物語の技術」はすさまじいものがあるので注意が必要

情報としての物語は、複雑で無秩序なさまざまな出来事に秩序と構造を与えて、私たちが把握・理解しやすいようにしてくれます。

たとえば、その人が勧善懲悪な物語ばかりに触れていたら、現実の認識はだいたい「敵と味方」の構図に落とし込まれるでしょう。

言い換えれば、その人が持つ物語のバリエーションが、その人の現実認識のバリエーションに直結するのです。『啓蒙思想2.0』の言い方を借りれば、物語それ自体が一つの「外部足場」であって、それを使って私たちは現実を理解し、どのように反応するのかを決定しているのです。

どれだけ優れた科学知識を持っていても、それをどのように用いるのかまでは「科学」は決めてくれません。それを支えるのは、まさしく「物語」です。

この世に生まれる人と人の対決は、それぞれの価値観を醸成している物語と物語の対決として捉えることもできるでしょう。ミームとしての物語、というわけです。

かといって、私たちは「脱物語」的に生きていくことができません。伊藤計劃の『ハーモニー』は、そうしたことが可能になる世界の可能性を描いていますが、残念ながら現代の科学技術はそうした段階には至っていませんし、至っていたとしても人類がそれを選択すべきなのかは、別途倫理的な議論が必要でしょう。

なんにせよ、現時点では私たちは物語と付き合い続けていくしかありません。では、どうすれば好ましく物語と付きあっていけるのか?

それは、多様な(あるいは多様に)物語を楽しむことです。

物語を楽しむ

本編では部分的にしか言及できなかったので、『物語のカギ』のカギ一覧をリストしておきます。

*  1. 多義性を知ろう!

*  2. 多義性から「物語文」を作れ!

*  3. 内容と語りに分けよう

*  4. 時間の進行を計れ!

*  5. 人称ってなに?

*  6. 焦点化ってなに?

*  7. 語り手の種類を知ろう!

*  8. 語り手を信頼するな!

*  9. ジャンルを意識してみよう

*  10. 作者の死

*  11. メタファーを使いこなせ!

*  12. 書き出しを楽しもう

*  13. 小道具に着目してみよう

*  14. 自然描写の想起するイメージを掴め!

*  15. 五感をフル稼働させよう!

*  16. 書かれたことをそのまま受け取るべからず!

*  17. 結末を味わい尽くせ!

*  18. 言葉を味わおう!

*  19. 自分の人生を賭して読んでみよう!

*  20. キーワードを設定してみよう!

*  21. 二項対立を設定してみよう!

*  22. 二項対立を打ち破れ!

*  23. 隠されたものを復元せよ!

*  24. 他ジャンルを使ってみよう!

*  25. 作家の伝記を調べてみよう!

*  26. 比較・変遷をたどれ!

*  27. 元ネタを探ろう

*  28. 理論の使い方や歴史を知ろう

*  29. ケアに気を配ろう

*  30. 自然の視点に立ってみよう

*  31. ジェンダーについて考えよう

*  32. 時代背景を考えよう!

*  33. 時代背景を考えよう!

*  34. 暗記してみよう

*  35. 書き込みをしてみよう

*  36. 注釈を活用してみよう

*  37. 再読をしよう

*  38. 翻訳を読み比べてみよう!

「本の読み方」はあまり教えてもらわないものです。本好きの人が、少しずつ身につけていく「伝統の技法」感が若干あります。しかし、それらは言語化できないわけではありません。上記のように、さまざまな技法=技術が概念化可能です。

一冊の本を読むにも、さまざまな視点・観点の取り方が可能ですし、複数の本を読んで見ることで浮かび上がってくる情報もあります。そうしたことを体験的に知れば、私たちは一回一回の読書において没頭し、ときに理性を置き去りにしてしまったのとしても、そこから帰ってきたときに別様のまなざしをその本に向けることができるようになるでしょう。

でもって、それと同じ態度は、この社会を流れるさまざまな情報(物語)にも適用できるものだと思います。



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サマリー

このポッドキャストでは、物語とどう付き合うかを考え、物語の力や影響について解説しています。第1章では、ストーリーテリングの危険性を語り、加工されたナラティブの力に焦点を当てています。第2章では、物語の存在意義と社会的な役割について考察し、第3章では、物語が人の脳と情報処理に与える影響を探ります。適切な物語の扱い方が重要であることを示唆しながら、物語をどう捉え、多義性、語り手の信頼、二項対立などの観点から議論しています。また、自分で物語を作り、他の物語と対峙することの重要性や、多様な物語に触れることの意義、そして物語の力を活用する方法についても言及しています。

ストーリーテリングの危険性
面白かった本について語るポッドキャスト、ブックカタリスト、第49回の本日は、物語とどう付き合うかについて語ります。
はい、よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
今回はクラシタの担当ということで、恒例でもないか、2回目の2冊本シリーズということで、2冊の本を取り上げてワンテーマにつなげたいなと思うんですが、
1冊目がストーリーが世界を滅ぼすという本。詳細は後々語りますが、東洋経済から出ている単行本です。
もう1冊が物語の鍵。読むが10倍楽しくなる38のヒントという本で、ユーチューバーのスケザネさんという方が書かれた本で、
片方は社会批評の本で、片方が読書ノウハウの本なんですが、この2つを紐付けて語れたらなと思います。
見るからにジャンルは違うんだけれども、キーワードとしてはどっちも物語。
そうですね。ストーリーないしはストーリーテリングというところがキーワードになっている本ですね。
これはあれですね、こういうふうに本の関連とか見つけて面白がれるんだぞっていうネタとして良さそうだなって感じがしますね。
タイトルが一緒ならヒントも見つけやすいし。
そうですね。一緒といってもストーリーと物語なので微妙に変換が挟まってますが。
副題に物語が入っているからいいんじゃないか。
確かにね。確かにそうだ。
だからミニトピックライティングというかね、読書の面白さっていうのがこの辺から立ち上がってくる。
読書の新しい面白さがこういう関連読みから立ち上がってくるんじゃないかなと思うし。
僕自身もこういう読み方が楽しいと思うので、2回目としてチャレンジしてみたいと思います。
1冊目なんですけど、ストーリーが世界を滅ぼす。物語があなたの脳を操作するというだいぶキャッチーな放題になってるんですけども。
現代がThe Story Paradoxというタイトルなんですね。
なのでだいぶ威厄が入っているんですが、その辺は売り出すためのマーケティングの名前の付け方だろうと思います。
著者がジョナサン・ゴッドシャルという方であまり知らないんですけども、
ワシントン&ジェファーソン大学英語学科特別研究院ということですが、別に英語学の本ではありません。
まだ翻訳されてないんですけど、彼の前の本、店長がThe Storytelling Animalということで、
人間が物語る動物であるということを比較的肯定的な側面から扱った本で、
本社はその続編で、逆に否定的な、否定的というか副作用があるというような観点からストーリーテリングする動物っていうのを語る本になっております。
重要なことじゃないんですが、翻訳者の方の名前を見たことがあるなと思ったら、
ランベターを翻訳しているっぽいです。
つきたに、まきさん。
なんていうんだろう、ブック語りとつながりでもあるわけですね、それで言うと。
確かにね。
スクラップボックスのリンクが赤字になってないから気づかなかったな。
そういうところで、この本は物語あるいはストーリーテリングの危険性について語っている本なんですけども、
この本自身が自覚的にストーリーテリングをしてるんですね。
自覚的にしている。
一つのテーマを徐々に論説していくというよりは、物語の構材ってこういうところがあるよねというのを多角的に語っている本なので、
正立てを追っていったら話が理解できるというタイプの本ではあんまりないです。
そうか、だから構造的に書かれているというよりも、もうちょっと物語的に書かれている?
ようやくしたりとか、例えばその収書だけを読んだら言いたいことがわかるというタイプの本ではないので、
正立てごとに追いかけていくというよりは、本の内容を再構成して重要なところをまとめたいなと思います。
一応正立てを追いかけると、序章が物語のカタリティを絶対に信用するな。
だが私たちは信用してしまう。
第1章がストリーテラーが世界を支配する。
第2章がストリーテリングという闇の芸術。
第3章がストーリーランド対戦。
第4章がニュースなどない。あるのはドラマのみである。
第5章が悪魔は他者ではない。悪魔は私たちだ。
第6章が現実対虚構。
最後の終章が私たちを分断する物語の中で生きに行くという感じで、結構タイトルからでは中身がわかりづらいと思うんですよ。
実際読んでみても、わかりづらいところが。話がとっちらかってるというわけじゃないんですけど、滝に渡ってるので、全体のテーマを章ごとにつかまえるのが結構難しいなという本です。
序章のタイトルを見て、スティーブ・ジョブズを思い浮かべてしまって。
なるほど。
スティーブ・ジョブズって魔法をかけるみたいな。社員たちも夢に落ち、夢に巻き込んでしまうというのかな。
ストーリーテリング力がとてつもなく素晴らしくて、ジョブズがこんな風になったら世界が素晴らしいだろうって言われたら、
社員たちは騙されてしまって、とんでもなくきつい仕事をさせられることになって、今度こそジョブズの無茶には答えないって思うのに、またすごい話をされるとやってしまうみたいなことがありそうだなっていう想像をして。
確かにね。それぐらい物語の力が強いということなんですが、この序章のメッセージというかケークというのは、実は最後で多少反転するというか、実はこういう意味だったんだよっていうある種のトリックが仕込まれてるんですが、
ネタバレになるから言うかどうかわかりませんが、気に留めておくと面白いフレーズですね。
例えばこの本って物語、このストリーテラーとか物語とかは何かっていうのを、例えば一章で定義してそれを使っていくとか言うのではなく、とびとびに物語とは何かみたいな話が出てくるんですね。
定義しているというよりは、例えている物語というのはこういう力があるみたいな例えを随所に出してくるんで、わりかし簡単には言えないんですけど、一応主要なところだけをピックアップして言うと、物語っていうのは何をしているか。
なぜ僕たちが物語というのを語るのかっていうと、なびかせるという、ひらがなでなびかせる。つまり他人の心に影響を与えるために僕たちは物語というのを使っていると。
一番わかりやすいのはさっきも出てきたようにそういうカリスマ的なものとか、あるいはセールスパーソン、ないしは政治家の物語、ストーリーテリングっていうのはわかりやすいですけど、実際もっと日常的なレベルでも僕たちは誰かに何かをしゃべるときに物語の構造なりその語りを使っていると。
それは打算的なものというよりは、社会的協力関係を構築するために使われていると。サピエンス全史のピラミッドを作ったときの話に、僕たちが虚構を信じるからこそ、ああいう偉業が成し遂げられたという話が出てきましたが、さっきのジョブズの話でも一緒ですよね。
だからそういうふうにしてチームを作ることができる。人を動かすことができる。仲間を作ることができるという物語の力があると。
ないものを勝手にみんなで一緒に想像できてしまうようにさせる。
人間の認知をある方向に動かすことができてしまうわけですね。物語というのは。
それが協力するための物語の使い方もあるのと、同時に分断するためにも使えてしまうというところが、この物語の良いところであり、怖いところであると。
そういう両面性を指摘して、本書のタイトルであるThe Story Paradoxという言葉が使われるんですけど、これあんまりピンとこなかったんですけど。
酸素パラドックスっていう言葉があるらしいですね。人間に生きていくためには酸素って必要なんですけど、あれ毒なんですね、すげえ。
酸素がないと死ぬけど、酸素のせいで人間は死ぬんですよね。
どんどん酸化して老化していくし、酸素ばっかりになると逆に死んじゃうと。
つまり、必要不可欠な毒っていうのと同じ力を物語は持っていると。
僕たちは生きていくために物語っていうものが必要だけど、それが多すぎたりとか、その作用の反動によって悪いことも起きてしまう。
そういうのを捉えるのが本書のタイトルのThe Story Paradoxなので、日本語のタイトルだとストーリーを悪くやってるけど、実はそうじゃない。
両面性に焦点を当てているっていうところだけは踏まえておいたほうがいいなと。
タイトルでさっきの酸素の話で言うならば、酸素が世界を滅ぼすって書いてあったら、酸素がないと死ぬけどねっていうツッコミができる。
ストーリーも同じようなことなんですよね。
加工されたナラティブの力
そこだけキャッチに色づけられてるなということを覚えていた上で、もう一個後々出てくる物語の特徴なんですけども、物語っていうのは2種類あるんだ。
物語っていうか本書ではナラティブっていうのと物語ストーリーをほぼ同じ言葉として使ってるんですけど、一つがただ事実を淡々と並べたもの。
これが透明なナラティブと言われていて、もう一個が加工されたナラティブ。
人の心に訴えかけるポイントだけを抽出した物語で、しかもそれが起きたことの説明になっているもの。
これが加工されたナラティブ。
例えば透明なナラティブっていうと、例えばタスクマみたいなのを使って、その人の行動、一日のリストを上から読み上げていくものは透明なナラティブなんですね。
感情移入度合いが薄い?
上に選別がないじゃないですか。
機械的なみたいな言葉は近いのかな?
確かに近いと思います。逆に僕らが例えば宇羅島、いやいや、桃太郎を語る時って、桃太郎の日常は語りませんよね、基本的には。
機械的に全部均一に列挙してるわけじゃなくて、物語になり得る部分だけを抽出してますよね。
これが加工されたナラティブ。
彼が問題視するのは、力がある方が加工されたナラティブであると。
それは大抵起きたことの説明になっている。なぜこうなったのかが大体語られている。
物語の存在意義と影響
必ずなんでがある。
透明なナラティブはただ事実があるだけなので、そこには物語的な雰囲気はあっても説明はない。
この説明がさらに、大体の場合、道徳と正義に関係している。
例えば桃太郎は、とりあえず鬼が悪いですよね。
鬼が悪いことをしたから。
【佐藤】説明ないですよね、ちなみに言うと。なんで鬼が悪いのかは。
【おだしょー】でも、確か村を襲ったって話があったのかな。わからないけど。
とりあえず村の財産を取り戻したっていうような結末があるから、鬼に財産を奪われてたんですよね、村が。
だから村に対して悪いことをした鬼が桃太郎という正義によって退治されるっていう、ある種の道徳感をそこで表明していると。
で、浦島太郎は亀を助けたけども、開けてはならない玉の箱を開けちゃった。
開けたならないという禁忌を犯したので老人になっちゃったみたいな感じで。
【佐藤】全ての物語ではないですけど、僕たちが広く受け入れたり、心に浸透させる物語っていうのは、
大体その説明プラス道徳的ないし正義的なものを含んでいると。
【おだしょー】それで言うとあれなんですよね、金太郎って全然残ってなくて。
【佐藤】ああ、確かに。
【おだしょー】あれ予想なんですけどね、何もしてないからなんですよ。
【佐藤】うん、確かに。
【おだしょー】熊と相撲を取っただけで、何も悪いものを倒していなくて、
足柄山で元気な子でした、わんぱくな子でした、以上で終わっていて。
【佐藤】その同じ話はね、地球温暖化の話にも言われてるんですけど、
結局あれは敵がいないんですよね、地球温暖化をどうにかしようっていう時に。
明確な敵がいなくて、具体的な僕たちの行動っていうのがイメージしにくいから、
もっとわかりやすい陰謀論の方を、大衆は受け入れてしまうっていう話があって。
だから物語の中でも、より人の心に訴えかけるものがあって、
それは大体、加工されたナレティブで、
正義と道徳、あるいは人のこうしたらいいんだよっていう行動を起こす壺を押してくれる物語の方が生き残りやすい。
【佐藤】じゃあ、悪徳企業が氷を溶かして地球を海に沈めようとしているみたいに言った方が脅威になりうるかもしれない。
【佐藤】そうですね。そういう人が納得する形で提示した方が脅威にはなるとは思う。
ただ、それが正しいかどうかわからないけど。
【佐藤】正しいとは思えないかな。
【佐藤】結局、そういう物語というある種の構造を作ることで、
僕たちは人間から見たら無秩序な状況に対して一定の秩序を与えることができる。
だから必要なんですね。絶対に。
人間の脳が情報処理する上で何かしらの構造がなければ、
天野案にすることは間違いないわけで、
それが脳の情報効率の階として物語というのが好まれているし、
それは生物学的におそらくそうだろうと。
古来から物語というのは使われてきた。
それこそ狩猟民族の時代から人々は物語を語って、
例えば狩りの知識とか、あそこは危険だよみたいなことを
情報伝達として昔から物語は使っているし、
僕らはそのまま現代人になっていると。
面白い指摘なんですけど、
例えばホラーとかサスペンスの物語を
没頭して読んでいる人の心拍数とかっていうのは
物語と連動するんですね。
当たり前の話かと思うんですけど。
物語の力とリアル
主人公が危機的状況に置かれたら、
まさにその主人公が感じているような恐怖とかを感じるわけですね。
これはでも結構変な話です。
メディアの中身イコール現実になっているわけですね。
体感として。それはリアルなわけですよね。
そうであることが多分昔は必要だったと思うんですね。
情報を真に伝えるためには。
ただ狩猟時代の人類は液晶ディスプレイの中で
人が動いているっていうものを見ないまま進化してきたわけですよね。
だから嘘であるっていう生物学的な基盤を持ってないわけですね。
あの先祖代々伝わる話は全部事実か事実だと思われていたんだ。
神話とかもあれは本当だったんですもんね。
あるいは伝えるべき物語って真実さがあったし、
そこはだから全て有用なものだったわけですね。
だから僕らは、そもそも虚構とリアルを
瞬別する生物的基盤が多分ないんだと。
リアル、そうか、意味がなかったんだ。
そのことをやることに。
昔はそんなに物語あふれかえってたわけではないんで、
言ったら伝達するべき最低限の物語があって、
それは義義を挟むものではなかったわけですから、
そもそもそんな能力は発達してきていないと。
それに比べると、現代は圧倒的に物語が支配しているし、
その物語に対立する能力を僕たちは持っていないと。
で、一つ難しい問題なんですけども、
例えば小説とか映画とか何でもですけど、
没頭する瞬間、先言いましたけど、
没頭する瞬間っていうのが多分あると思うんですよ。
他の人がどう本読んでるか知らないからわからないですけど、
つまり没頭するってのは、その主人公とか登場人物に
意識が移っているような状態。
逆に言うと自我が一瞬消えているような状態。
こう体験されたことがある人はいると思うんですよ。
これ絶対全員が体験するかどうかわからないですけど。
そういう瞬間って、さっき言ったように、
それが嘘か本当かっていう判断する能力が止まっている。
そこに乗り移る本当だと思っていることが
熱中できている状態ですよね。
そうそう。だからそもそも本当かどうかも
考えなくなっている瞬間っていうのがあるはずなんですよ。
物語に入り込んでいる時っていうのは。
だからこれは理性をストップするための、
ストップするためじゃないけど、ストップしてしまう。
物語に入り込むと。
ということは、それが正しいかどうかを
物語の架柱にあるときは判断できないわけですね。
ということは、例えば陰謀論も、
論っていうよりは陰謀物語なんですよね。
論立てられているわけじゃなくて、
何かストーリーがあるわけですね。
さっきも言ったように、悪い奴がいて、
そこを僕たちは騙されていると。
それを真実を知っていて、
僕たちはその真実を明かさなければならないんだという
正義の物語なんですね。
しかも現在進行形の物語。
一番アクティブな物語が働いて、
アクティブに中にいるときは、やっぱり理性が止まっているんですね。
だからこれを理性だけでは多分対処できない。
だってそれが止まっているわけだから。
ここが難しい問題で、物語はその人の理性を超えて、
その内部的な価値観に入り込めるっていう特徴を持っている。
この理性フィルターを通り抜けることができる。
だからこの本の中では、
アメリカの人たちが、
例えばその人種的な偏見をどのくらい持っているかっていうのに、
普段どんなドラマを見ているかっていうのを
関連づけて調べたはずなんですけど、
普段見ている好きなドラマで、
例えば黒人の人が主人公たちの友達に出てくると、
圧倒的に偏見は少ないらしいんですね。
その人自身の。
言ったら価値観っていうのが、
フィクションによって想像されると。
よくよく考えたらですけど、
僕らが生まれるわけじゃないですか。
何かしらの価値観っていうのを、
どのように入手するのかっていうのを考えると、
内的に発明することはまずないですよね。
そりゃそうだ。
僕らの価値観を全て他者から取り込んで、
取り込んだ後に変更することはあるかもしれないけど、
絶対に入り口は他の人なんですよ。
周りから取り込むもの。
その圧倒的な情報源がフィクションなんですね。
大体の場合。
あるいは物語か。
親が例えば誰かのことをいいとか悪いとかっていう風に語る。
物語の影響と社会的関係
事実じゃなくて、
一つの物語として語る。
何しろテレビがそういうストーリーを語るっていうことによって、
僕らの価値観が醸成されてしまう。
あるいはその価値観を変更できる深さ、
心の深さに物語っていうのは入り込むことができると。
使い方次第といえばもうそれ以上のことはないんですけど、
人の価値観をある方向に運んでしまえる力がある。
その運ばせるっていうのを最初に言った、
なびかせるっていうこと。
物語の力として人の心を動かす力があると。
この話は理性と直感の対立にだいぶ似てますね。
ほぼ同じかもしれないです。
直感的なものは大体物語的っていうことと一つ言ってもいいかもしれません。
ここで一番の根拠のポイントなんですけど、
例えばSNSを僕たちは問題視しますけどよく、
著者が言うにはSNSが問題ではないと。
SNSを流れる物語が悪いんだと。
SNSを流れる物語。
SNSで語られている物語が悪いんだと。
同じように政治家が悪いというよりは、
政治家が語る物語が僕らの価値観を決めてしまう。
あるいは影響を与えてしまう。
負けたが語るファンタジー。
こうしたら成功できますよ、素晴らしい人生が語られますよという、
その語りが僕らの価値観に影響を与える。
つまり、そのようにすればそれが手に入るのだという考えが、
考えに影響されてしまう。
わかりやすい完全懲悪な物語も見たらすっきりしますけど、
それはもういやをなしに、僕たちが世界を見つめる視点も、
完全懲悪にしてしまう。
だから、著者は物語をなくそうという視点ではなく、
どうしたら物語から世界を救えるのかという視点に立って、
本書を書いているというのが一番面白いところです。
どうしたら物語から世界を救えるのか。
物語から世界を追いやったらどうにかなるということじゃなくて、
物語に侵食されているこの世界をどうしたら救えるのかという視点なんですけど、
ここでプラトンが出てくるんですね。
プラトンの国家という本があって、彼との有名な著作の一つなんですけど、
国家ってどんな本かというと、
国を統治するのは哲学王、理性を極めた人ですねきっと。
哲学王に任せりゃいいんだと。
その国では詩人、この詩人というのはストーリーを語る人という意味らしいんですけど、
詩人はもう出ていけと、一人もいらんということをプラトンは言ってるんですね。
頭の良いプラトンですから、おそらくそんなことを言っても完全に追い出すことはできないだろうと。
どうしたらいいかというと、国家が認めた国家に適応するストーリーだけを語る詩人だけはいても良いと言うんですね、プラトンは。
だからプラトンは僕たちが物語によって政治的に不拉致になってしまう可能性を理解するとともに、
その力をうまく扱えば僕たちを導けることも理解してたんですね。
賢いけどなかなか恐ろしい価値観ですよね。
プラトンがもし生きてたら結構あれですし、サイコパスっていうストーリー作品では、
芸術家っていうのが国に認められた人しか活動できないんですけど、
全く同じ話だなと思ったんですね。
だからストーリーをどう扱うかが覇権を握るっていうことをプラトンは理解していて、本書も問題式もそこにあるんですね。
科学と人文学どっちが大切かって話をよく出てくると思うんですけど、
ここまでの話を考えてみたときに、どう考えても人文学なんですね。
科学的な発展っていうのは確かに僕らのテクノロジーのレベルを上げてきますけど、
人をどう動かすか導くかっていうのはむしろ全然力学は人文学にあるわけですね。
物語をどう語るのかという分析にあるわけなんですね。
ここを完全に世界は見守っているし、このまま人文学の力が衰えたままだと、
人の印象に残りやすい物語だけが進んでいくだろうし、
物語の矛盾と社会問題
いわゆるそこでは正しい情報、
共有、つまり科学が目指すような情報の共有の形ではなくて、
いわゆるトランプ的な、トランプ的なはちょっと言い過ぎか。
真実がそれぞれに人の形だけあるっていうような方向に流れてしまう。
情報がそういうふうに流れると、当然民主主義も崩れてしまう。
だから世界が崩れてしまうというのが、本章のこの派手なタイトルの一つのメッセージですね。
その科学編長から人文学を見直そうみたいな主張が割とある感じなんですね。
これで言うと。
見直そうといえば廃れてきてるよねという話ですね。
できれば戻した方がいいけどねというところが後半に語られていまして、
非常に雑多な話をしてきましたが、言いたいところは2つで、
まず僕たちの物語は良い方向と悪い方向に働く。
良い方向は社会的な協力関係とか、
公社会性、社会的応力を挙げるっていう力を持つとともに、
別の力、分断の力もあるんですね。
分断の力は、例えば完全聴学の物語が一番はっきりしてますけど、
敵を作ってしまうわけね。
俺たちと彼らっていう線引きを生んでしまう。
この線引きが要するに物語に起因してると著者は言うわけですね。
僕たちの中でもこの話は何回も出てきましたけど、
その線引きっていうのが意味論的なものじゃなくて物語論的に生まれてると。
そこの物語的なものから生まれてるから、
僕たちにとってはかなり深い部分になってるし、
より行動に影響を与えてると。
だからそこを何とかした方がいいけど、
物語というものそのものはもうどうしようもない。
どうしようもないっていうか、
さっき言ったように僕たちを引きつける物語っていうのは
加工された物語なんですね。
なのでもうすでにお酒で言うと上流された後なんですね。
抽出された後なんで。
アルコール度数が高いやつが出回ってるんですよね。
それを例えば何とか別にしたら、
もうそれは物語ではなくなってしまう。
だから物語じゃなくなったものと、
今すでに流れてる物語では、
僕たちは物語の方を好むわけですから、
このやり方はうまくいかんと。
脱物語的なものではないやり方で、
僕たちは対峙しなければならないと。
結局この調査が最終的に言いたいのは、
例えば僕たちと彼らっていう敵対関係は、
物語から生まれたものであると。
そのような物語、
この僕たちっていうのは何でもいいんですけど、
世界で一番悪影響があるのは多分ユダヤ人ですよねきっと。
俺たちとユダヤ人っていう線引き。
これが多分一番やばい。
このような線引きはさっきも言ったように、
誰かが内的に獲得したものではないんですね。
内的に構築したものではない。
誰かのストーリーに触れたからなんですね。
だから悪いのは物語なんだと、
著者は言いたいわけです。
ユダヤ人差別主義者が悪いんじゃなくって、
ユダヤ人差別という概念が悪い。
そこのある物語を、つまり人ではなく物語を憎めという風に、
彼は物語を語るわけですね、この著者は。
どうしたって物語が避けて通れへん以上、
人対人の物語じゃなくて、
人と物語の物語に著者はしたいわけですね、きっと。
むずいですね。なかなかに難しいですね。
非常に難しいことを言っておりますけど、
物語というのがそれぐらい強いことで、
現代にはとりあえずあらゆるところに物語があふれかえっていて、
僕たちはそれに翻弄されている。
そもそもだって物語に抗う術を生物学的に持ってないからだというのが、
本書の大きなメッセージです。
これが大体半分ぐらいなんで、
そうは言ってもどうしたらいいのかっていう問題を考える上で、
次にあげる本がヒントになるかなと思って、
ピックアップしたのが、物語の鍵という本です。
物語をどうやって捉えようかということによって、
物語をできるだけ客観的なわけではないのか、
多様な視点から物語を捉えられるようになる。
物語の捉え方
まさにそういう説をしたかったということですね。
生物学的に物語の捉え方が未熟やとしても、
外部足場を使うことによって物語をより多面的に捉えること、
簡単に言ったら、そういう技能を身につけることは多分可能であろうという希望を抱けたらいいなと思って、
この本、物語の鍵を取り上げました。
以前ちょっと違っていたんですけど、
そんなに気負わずにこの本を手に取ったんですけど、
結構ガチの本ですね。
ナメて書かったらそうじゃなかった。
有名な読書家の方が、自分なりの本の読み方を紹介する本かなーみたいなことを思ってたら、
結構ガチなテキスト論とか物語論が語られていて、
しかも非常にわかりやすく平たく書かれていたので、
ちょっと本気で驚いたんですけど。
この本はオレオレ読書術じゃないってことなんだ。
全然違います。
いわゆる読者論とか読書論とか作家論とかテキスト論とかが、
わかりやすい形で、あんまり専門用語に深入りすることなく、
しかも現代的な物語を例にしながら語られていますので、
本の読み方がわからない小説っていう場合には、
この本非常に役立つと思います。
多義性を知る
章立てとしては1章から5章立てになっていて、
物語の基本的な仕組みを語るのが第1章。
以降は2章が虫の目線で読んでみる。
第3章が鳥の視線で読んでみる。
第4章が理論を駆使してみる。
第5章が能動的な読み方の区っていう風にご分割されていて、
その中で38個のテクニック、本書でいうと壺ですね。
鍵ですね。壺じゃない。鍵を紹介していると。
鍵っていうのは要するに扉を開けるものですね。
それを扉を開けると何かが出てくる。
つまり新しいものを引き出すためのノウハウ?コツ?
みたいなものが鍵っていうことです。
さすがに38個全部を紹介するのは無理なんで、
さっきの話、ストーリーとの付き合い方、物語との付き合い方で
何かヒントになりそうなものっていうところで言うと、
一つ目の鍵、ナンバーワン。
多義性を知ろうというスタートになっているものなんですけど、
多義性っていうのが物語の鍵で、
いろんな解釈ができるってことですよね、基本的には。
いろんな解釈ができるってことを僕たちは案外知らないんですよ。
これは何のせいなのかわからないけど、
例えば国語の教育とかで、さっきのゴンギツネは、
おそらくですけど、正しい解釈っていうのが学校的にあるはずなんですね、きっと。
答えが1個しかないんですよね、国語のテストには。
だから文学的なもの、本来多義的なのに、
それを学校教育の枠組みの中で、もしそれが多義性がそぎ落とされてるとしたらもったいないですし、
ある意味それを本書からも知るのがいいですし、
読書界の面白いところは多分ここにあるんですね。
ああ、そういうふうに読めるのかとかっていうのを、
喧嘩越しにならずに語れるとしたら、まさに良いと思います。
多義性を知るっていうことは、一つの物語に飲み込まれすぎなくなるということなので、
別の見方もあるなと思えることなので、
世の中に流れるストーリーテリングを別の視点から眺めるためには、
この多義性っていうのがキーワードになるのかなと思います。
たとえばさっきの桃太郎の話でいうと、
語り手を信用するな
どんなヒントみたいなのってありますか、多義性を意識する。
たとえば多義性っていろいろありますけど、
桃太郎は、普通にさっき言った鬼を退治するって完全調学の物語としても読めますけど、
書かれていないので、たとえば桃太郎の旅立ちと成長の物語としても普通に読めますよね。
おじいさんに拾われた桃太郎が大きくなって旅に出る。
旅立つっていう英雄の物語としても別に読めますし、
あと、鬼ってそんなに悪いことをしたのかなって感想を持つ人もいると思うんですよね。
例えば、暴力は良くないじゃないかっていう見方も多分ありますし、
桃太郎は太郎だから、フェミニズム的にどうなんだという読み方もできると思うんですけど。
あとあれか、きび団子1個で犬猿騎士獲死して、社畜物語でもある。
そういう、この短い時間でもそれぐらいピックアップできて、
道徳的観念が埋め込まれているとはいえ、解釈の幅が広いですし、
広い物語もあるし、狭い物語もあると思うんですけど、
結構読み方っていろいろあるよなっていうことを知っていくのは、
単純に物語を楽しむっていうこともありますし、
さっき言った世界に溢れる物語との付き合い方を一回見直せる。
そうか、考えるきっかけになりそうですね。
物語っていうのは多義的であるっていうことを知るっていうことは、
それぞれの人が解釈していることが違うだろうという、
他者性にもつながってくるんで、これは一つ目に投げられているだけあって、
非常に重要なポイントだと思いますね。
村島太郎なんてね、難しいですからね、話として。
あれ難しいですね。
なんでカメ助けたのに異世界に送り込まれてしまうんだっていう。
その時間は楽しかったけども、その後、彼が悪いんですが。
見知らぬ人についていったらいかんっていう話かもしれないですよね。
いや、言いつけを破ったらいかんじゃないですか、あれはやっぱり。
でも、設定でいうと遥か未来に来ちゃったんでしょう?
一般的な解釈だと。
だと、ちょっと言いつけを破りたくもなるでしょうが。
確かにね。極楽の時間を過ごした代わりに未来に飛ばされるのはちょっとね、
だからあれ、恩に見合ってない例が。
いいことをしたからといって、いいことが返ってくるのは限らない物語にもある。
そうしたら、いじめられてるカメは見過ごそうみたいな教訓も出てこない。
解釈もできますよね。もしくは助けて去っていくのがかっこいいんだぞってことかもしれないし。
だから、確かにそれは言えるかな。
物語っていうのは直接語らず示すっていうことが多いんで。
例えば、登場人物に相手を愛してるとは言わせずに、愛してると思わせる行動を取らせるってことが多いんで。
そこに解釈の幅の余地が普通の説明文よりはるかに広いんで。
物語であるからこそ物語の読み方を乗り越えられる。
既存の読み方を乗り越えられるのが、ある種物語の良さでもあるかなという気がします。
それにさっきの話の関連のストーリー性で言うと、
あと8番、語り手を信用するなというのがありまして。
いいですね。
これはミステリー読んでる方だったらお馴染みだと思うんですけど。
語り手が犯人だとするわけですね。
意図的な情報を隠すとか、ある種のトリックをするためにわざと偏った語りをするとかっていうのが普通にあるわけですね。
ミステリーの読み手はそれにだいたい慣れてるんで、
何を言ってるとか何を言わないとかっていうのを結構読みながら、
つまり、言ったことをそのまま信用してるというよりは、その読み手の奥にある意図を探そうとする。
この読み方こそ、まさに世界に流れるニュースと接するために必要なことなんですね。
あの人はこれがいいと。
ミステリー、役に立つぞっていう。
僕らはこれまでSFっていいよねって話ずっとしてきましたけど、
ミステリーもいいよねって多分言えると思うんですよ、きっと。
著者が巧妙に都合のいいところだけ書いて、都合の悪いところは書かずに騙してくる。
一応種明かしをしてくれるので、騙されてたって気づける。
ミステリーはその場合いいですけども、
現実の場合、例えばポジションドークしてる人が僕はポジションドークしてますとは言わないわけで。
でもその語り手が全てを真実の通り、あるいはあるがままに全部語ってるわけじゃないっていうことを
一番意識させられるジャンルがミステリーなんで、
そういう意味で物語そのものというよりは物語を語る主体を意識して、
主体と読む人の関係性を客観視する。
客観視はできないかもしれないけど、一歩引いた視点で見つめるっていうのが
ミステリーで訓練できるんじゃないかなというふうに思います。
たしかにね、いろんなパターンありますからね。
なんか2人ずっと繋がってると思ったら、1章と2章で違う人が主人公、私になっていたとか。
そういう時の絵っていう感じが多分大切で、
物語を疑う視点、語りを疑う視点っていうのが後から身につくと思うんですよ。
先ほどの生物学的に身につかなくても多分訓練で身につくことってのがたくさんあって、
本の読み手、特に特定のジャンルの読み手っていうのは、
そういう情報処理を身につけてる人が多いから、
そのいわゆる有識者には本を読んでる人がいっぱいいるんじゃないかなというのは、
これはただのザレ事ですけども。
ミステリーでいうと絵がないことが重要ですもんね。
たしかに、たしかに。
映ってしまったらバレてしまいますからね、大抵のやつは。
ミステリーをドラマ化したものとかのカメラのカットの仕方を見るとかも面白いですよね、きっと。
どう見せないかみたいな。
ああいうふうに、さっきここまで2つ言ったような訓練を僕たちはほとんどしてないんですね。
それは結局物語と対峙する力が非常に足腰が弱いままに、
大量の物語と接している状況になっているんじゃないかなと。
これは結構、SNSを見ていると感じることが多いですね。
語り手を信頼するな。
そうですね、SNSで言うならば。
ごく当たり前のことのように感じますけど、別に当たり前じゃないんだなというのは思いますね。
虚構新聞に騙されている人っていうのが世の中には本当にいっぱいいて。
いますね。
アイロニーがわからない、皮肉がわからなかったりするのも結局情報としてだけ受け取っている。
メタな視点が欠けている。
それは結局そういう訓練がないから。
そもそもメタな視点は後から言語を学ぶののさらに1個後ぐらいに身につけるものじゃないかなという気がするんで。
あんまり訓練はされないですね。
絵本を読んでもらうと教科書で文学作品を読むぐらい以降、大学に行かないとテキスト論というのはやらないんじゃないですかね、教養としては。
少なくとも自分は学校でそういうジャンルのことを学んだ記憶はないですね。
だから物語って楽しむぐらいしかコマンドがないパターンが多くて。
楽しみ方にもいろいろあるよねと伝えるのがこの本なんですけど。
僕はこの本をさらに楽しむだけじゃなくて、多分実用的にも意味があるよとさらに読み返すみたいな感じの読み方をしております。
もう一つ二つ挙げると21と22が面白いんですが。
21が二項対立を設定してみようという話。
22が二項対立を打ち破れなんですけど。
例えばさっき言った桃太郎と鬼っていうのを正義と悪として見るのが二項対立ですよね。
これ結構ね、二項対立っていう概念があんまり普及してないというか意識されてないことが多いなというふうにSNSを感じるんですけど。
二項対立って結構普通な概念じゃないですか、A対Bみたいな。
敵を作るとかでいいんかな、簡単に言うなら。
でもね、二項対立っていうのは、二項が対立してないと意味がない。対立っていうのはつまり同じ土俵に乗ってないといけないんですね。
対立ともに立つから、向かい合って。
例えば、連邦軍とジオン軍っていうのは対立してますよね、軍隊として別で。
もちろん連邦の方が強いわけですが、それぞれに正義があるという形になってますよね。
勝った方が正義になるっていう、例えば漢語が表されている物語でもあるんですけど。
二項対立じゃない形の認識っていうのがあって、ゼロイチと言うんですかね。
私が正しい、全てその他は間違ってるみたいな。
ああ、そういうふうになりうる。
そっか、ガンダムの話で言うならば、地球連邦は正しいであって、ジオンは間違っているになるんだ。
ただ間違ってるだけで、ジオン以外に他の軍隊があったとしても全て間違ってる。一緒くたにされてしまってる。
対等になってない?A対Bじゃなくて、まずAがあって、そのA以外は全部ないものとして扱われてしまう?みたいな。
それはやっぱゼータガンダム見ないといけないですよね。
一見、この二項対立の捉え方とAしかないって似てるように思うんですけど、全然違うんですね。
で、どう違うかというと、例えばさっき言った悪として捉えたときに、悪という概念って、
例えば哲学で言うとC的なものでしかないよねっていうふうに考えられたら、鬼にも正義を見出せるかもしれないですね。
でも桃太郎だけが正しいとなっていると、もう鬼は風景になってしまってる?
物語の役割と二項対立
モブになってしまってるから、そこに主体性を見出すことができないわけですね。
だから、二項対立を打ち破るためには、まず二項対立を作らないといけないんですね。
そうか。うんうんうん。
これ、ややこしい話してるように思いますけど、悪と正義っていう概念を立てることによって、
悪の中にも正義があるかもしれないと思えるっていうところ。
相手がいなければ、相手のことをおもんばかることができない。
だから、土俵に乗ることによって初めて、ぶつかり合いとか交代とかがあるわけですね。
ネットの議論っていうのは、相手こうなってないんですね。
相手の否定だけなんですね。
どっちが残るか。どっちが俺が本当のAで争いっていうので、
A対Bの構図になってないことが多いんですね。
うんうんうん。
なので、物語を捉えるときとして、まずそこにある二項対立を見つけて、
しかもその二項、自分で作った二項対立を自分で打ち越え合わすっていう情報処理の仕方?
物語を続けてやるっていうのは、結構訓練になると思います。
あと、誰にも迷惑かけないね、この遊びは。
こういう遊び方はね、桃太郎でやれますよね、たぶんそういうのが。
こういう構図があるけど、これ例えばこういうふうに反転できるんじゃないとか、
あるいは桃太郎と鬼が調和するエンディングは考えられないかっていうふうに、
新しいストーリーテイングをすることもおそらくできるんで。
桃太郎対犬猿騎士のクーデターみたいなやつで、もっときびだんごをよこせっていうことは起こり得ますよね。
そうですね。村人が頑張ってきびだんご体制を作るっていう、産業家に向けての道のりとか、いろいろあって。
物語の理解と作り方
視点を変えることで新しい物語が立ち上がる。
で、これ結構重要な話で、物語論とかっていうのは読者の技術なんですけど、
それひいては新しい物語を立てる技術でもあるんですよね、基本的には。
今の話でね、桃太郎産業革命みたいなストーリー作れますからね、たぶん。
読み方を変えるっていうのは新しい物語を作れるっていうところ。
これはだから、世の中に悪しき物語がたくさんあったとしても、視点を変えれば自分なりの、それなりに機能する別の物語を立ち上げられるかもしれない。
それはやっぱり物語力というしかないような、本を読むことで鍛えられるある種の技能でないと、そういう物語には立ち向かえないので。
物語に立ち向かうためには、自分から生み出す物語でないと多分対抗できないんではないかっていうのが、前のストーリーが世界ホロボスで感じたことなんで。
だから皆さんの物語を上げていって対抗しましょうというのが、この2つの本を通じて言えることかなと。
その他の38のうち、その他の本はだいたい読書術とか、読書メモとかの話があって、それはそれで役に立つと思います。
それはぜひ読んでみてください。
とりあえず今回僕がピックアップしたのは、物語とどう対峙するか、向き合うのかっていうところをキーワードにして。
なるべく悪しき物語に負けない物語の足腰を鍛えたらいいんじゃないかというのが、2冊を通して考えたことです。
なんか思ったのが、多様な物語を知ることが重要そうですね。できるだけメタな視点で。
おそらくそうやと思います。だから自分の好きな小説だけを読んでるんじゃなくて、むしろ普段読まないような小説家の本を読むとか、普段読まないジャンルの本を読むことで、
自分が物語と思っているもののバリエーションを広げることができるし、それは結果的にさっきも言ったように、自分の価値観を多分変えることにつながるんじゃないかなと思いますね。
だから物語を楽しめる人はたぶん人生を楽しめるっていうのは、ちょっと大きく言い過ぎたんですけど。
自分の人生は物語ですからね。
ということだと思うんですよね。だから僕が出したのは基本的に人文系の本で、あんまり小説は上げないですけど、でもやっぱり小説的なもの、文学的なものの重要性はむしろ現代では上がっているんじゃないかなと。
そういうのがないと、人が言った物語をそのまま受け入れてっていう。だから最初の出会いが全て決まってしまう。
良い物語に触れたら良いし、悪い物語に触れたらそのまま悪いっていう、ある種の宿命論とか運命論になってしまうんで、物語を書き換えられる力っていうのを身につけた方が良いのではないかなと。
物語の重要性と多様性
もうすでに僕の物語が語られているわけですね、要するに。だから逃れられないですね、これはもう。
すべてを多分物語としてしか捉えられなくて、科学での解決方法でいうと、例えば数学を学ぶとかっていう方向になるのか、それを物語ではない理解をしようとすれば。
だから昔の啓蒙主義、理性主義っていうのは、もっと科学的なものに人類を寄せていけば問題解決だと言ったわけですけど、それは結局無理だったわけですね。
啓蒙主義が物語ですもんね。
たしかに。そうやな。で、啓蒙主義2.0では、個人じゃなくて集団にめくばせしようという話になったわけですけど、だからその集団に注目したときに、集団の情報のバイパスになっているのは何かっていうとやっぱり物語なんで。
だから個人はその知識をつけることももちろん大切ですけども、科学の中にある物語も含めて物語的なものをどう扱うのかどう付き合うのかっていう観点から捉え直した方が、もちろんそこの土台が危ういと、どれだけ知識を学んでも多分陰謀論的なものに落ち着いてしまう可能性が高いので。
一般的に工学歴の人が陰謀論にハマりやすいっていうのは多分そういうことですよね。
なんかね、村上春樹さんの小説かエッセイで読んだんですけど、彼は法務系の取材をたくさんされてるんですね。信者とかあるいはその被害に遭われた方とかっていう。
そうなんだ。
で、宗教の中に捉えられてた時っていうのは人がいて、その人が当然その環境は洗脳方向に向いてるわけですけど、春樹さんの小説を隠し持ってたらしいんですね、その人は。
で、よなよなその小説を読んでたおかげで、洗脳されずに済んだっていう話を書かれていて、それどこまで本当かわからないですけど、でも物語の力ってそういうところにあるし、つまり物語に抗えるのは物語しかないっていうのを一つ示す話かなとは思うんですよ。
その一つの方向からしか話を聞かされないと、もう多分その精神力とかそういうものでなんとかなる話じゃないですかね。
で、正しい科学知識を持ってたらそういうのにはまらないっていうわけでもないっていうのはもう別に立証することでもないので、だからむしろ僕たちはどんどん物語っていうのを豊かな物語に触れることをしていった方が良い。
それがその人の価値観とか倫理観とかをおそらくは育ててくれるでしょうし、それはもう人生を楽しむだけじゃなくて、この社会の共同性を保つためにもおそらくは必要なんだろうなと、大げさな話に思いますけど、でもやっぱりそこの差って生きてる中で大きいなとは個人的に思いますね。
おだしょー 物語、そうか、多様な物語、深い物語。インターネットでやっぱ長い物語にはなかなか出会わないですからね、大きな物語っていうのか。
おだしょー そう、ロングストーリー、記事にとっても普通の物語にとってもロングストーリーには出会いにくいけど、でも逆に例えばナロー系とかっていうのがあるじゃないですか。あれ、存外に長いんですよね。
おだしょー なんか20冊ぐらい余裕で続いてたりしますよね。
おだしょー あれ、1回1回の更新が短いんですね、要するに。それが超連続して起こるときに、僕たちはその物語を吸収できる。だから、SNSは流石に長い物語は向かないですけど。
おだしょー 例えば、この物語1時間って結構長いんじゃないですか。他のBotcastに比べれば。だから、不可能ではないと思うんですね。インターネットプラス長い物語っていうのも。ただ、コスパが悪いんですね。ビジネスから見たときに。
おだしょー 物語というのが言ってみたら、コスパが悪いかもしれないですからね。
おだしょー だから、そこの考え方をビジネス的なマインドセットとは別の形で生み出していく。生み出さうというほど強くはなくてもいいですけど、何かが生まれてくるのを期待したいところではありますね。だから、やっぱり本を読もうという話、最終的にはなるんですけど。それは知識を増やすためというよりはという感じが、この2冊を読んで感じたことですね。
おだしょー そうですね。ジャンル。様々なジャンルがありますからね。
おだしょー 一つのジャンルの中でも視点って結構いろいろあるし、SFやったら人類がハッピーエンドで終わる作品もあれば、ディストピアで終わってしまう作品もあるし、科学技術が良いものと捉える作品もあれば、その悪いところを捉える作品もあって。
そういう観点の多様性に触れられるっていうのは、やっぱり小説、つまり楽しんで読めるわけじゃないですか。眠たい抗議じゃなくて。だから、やっぱり物語という形を取ることで容易に摂取できる。しかもその価値観が多様になっていくっていうことができるのが良さじゃないかなという気がしますね。
啓蒙思想2.0とかって本、素晴らしいんですけど、あれ独領できる人はめっちゃ限られてると思うんですよ。かなり分厚いんで。だから理性主義の限界っていうのがあって、どうしても僕らの情報伝達の大半がニュース含めてストーリーになってるっていう点を改めて注意すべきでしょうし。
科学の世界にいる人はやっぱりそのストーリーの重要性を再認識すべきでしょうし。科学者で面白い本を書く人はだいたいストーリーが上手いですね。
おだしょー うん、そうですね。それはもちろん。
サピエンス戦士とかもその代表例じゃないですか。ビッグヒストリーですかね。あれはもう。だから別に小説を書かなくてもいいですけど、物語を楽しむっていうことを再評価できるんじゃないですかね。
だからこのストーリーが世界を滅ぼすを、物語が分かっているやつと分かっていないやつに分断するために用いるのは論士に外れてるんで。
彼が、著者が望みたかったのはそうじゃなくて、ストーリーそのものに目を向けようという話なんで。だからもっとストーリーに注目する。語られる物語そのものであって人を憎まないようにするっていうストーリーを構築できたとしたら、素晴らしいかなと思います。
やっぱ図書館とか行くと、本屋さんに行くと大半が売っている本って物語で。やっぱそんだけ好きなんですよね。人類というものが。
だって映画俳優とか莫大なギャランティーじゃないですか。水道工事してくれるおじさんはローギャランティーじゃないですか。生活の必須っていうことで考えたら明らかにおかしいですよね。
映画俳優はいなくても死なないですからね。
だから大体その虚構とかあるいはスポーツのように、僕らの心に訴えかけるストーリーを作り出す人たちを僕たちの社会では大体大歓迎しているということが本の中にも書かれてましたけど。
それぐらい好きで欠かせない。だからこそ悪さもできるし良いこともできるっていう。この講座を踏まえておく必要はありますね。
物語を使って悪いことをするっていうのは悪いことっていうか、オンラインサロンとか大体そうなんですけど。
主催者の人が何か社会的に意義のあることを言うんですよね。基本的には。言わないのは多分ないんじゃないかな。それをその物語に共感する人がついてくるっていう。
基本的にはそういうふうに人を動かす装置になるからこそ物語の扱いには慎重になる必要がありますし、一人の受信者というか情報の受け手としてその物語体制度を上げておくっていうのが、
たぶん重要な知識を得るとかその前段階に必要な利手らしいというとちょっと固いけど、利手らしいじゃないかなという気がします。
そこで物語を読む鍵。簡単な簡単な答えで言うといっぱい本を読んでいろんな物語を読んでみましょうっていう結論になるっていうのは良いですね。分かりやすさとして。
あと一つの本もいろいろ読めるよっていうパターンもあるよね。たくさん読むっていうのも、たくさん読むのも二つあって、本をたくさん読むのと一冊の本をたくさん読むっていうその平面ちゃうな縦横がありますけど、どっちもいいですねきっと。
だから例えば読書会みたいなやつも一般的に当然なんだけど物語についての読書会が多いというのもそういうところがあるんでしょうね。
おそらくそういうと思います。あれが楽しいのはまさにその多義性に出会えるからでしょうねきっと。
それはねやっぱなんかあの古典とかで、古典文学みたいなやつのなんか読書会とかはやってみてもいいかもしれないですね。
まあ短いのでやったらいけそうですね。
カフカとかかな。
カフカ、あるいはシェイクスピア。そんなに長くない。
とかっていうのはありかもしれないですね。
確かに。
はい、ということで今回はこのぐらいにしたいと思います。
はーい。
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それでは今回もお聞きいただきありがとうございました。
ありがとうございます。
59:20

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