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2024-05-31 30:00

さよならAnchor。そして物語が最強という話。

Podcastを録音・編集・アップロードできる優良なサービスだったAnchorが、明日から使えなくなるようです。

映像つきPodcastへの流れが来てるのかなーと思いますが、便利なAnchorのおかげでPodcast続けてこれたので、寂しい気持ちです。


後半では「虎に翼」を事例として物語思考の話をしています。あんまりうまく話せなかったけど💦お聞きください。

サマリー

金田イクコさんは、ユーチューブより前からポッドキャストを始めています。最初は自分で録音し、編集していましたが、アンカーを使い始めると録音が楽になり、編集も簡単にできるようになります。しかし、アンカーがサービス終了になりました。代わりにリバーサイドというサービスが提供されますが、使い勝手が悪いと感じています。彼女は物語の人々の感性の差やフィクションに対する本気の感情などのテーマについて考察しながら、マーケティングとストーリーテリングの関係性について話しています。

アンカーを使い始める
こんにちは、自由で楽しい毎日を。IKUKO Laboの金田イクコです。このポッドキャストは、私の音声日記です。
毎日の暮らしの中で気になったあれこれを、気ままにおしゃべりしています。よかったら最後までお聞きください。
こんにちは、IKUKO Laboの金田イクコです。5月31日金曜日午前8時42分に収録をしています。
5月の最終日ということでございまして、お天気の方はね、残念ながら雨なんですけれども、今収録している
ポッドキャストで聞いていただいているかと思うんですけど、その録音をしている場所ですね、ツール。
こちらが、今日で使えなくなるっていう話です。今、現在は使えているんですけれど、これもしかして明日になったら本当にね、もうこのページにアクセスできなくなるのかなという感じなので、一応記念に最後に収録をここからしておこうかなと思っています。
あの、私がポッドキャスト始めたのはいつでしょう。結構YouTubeより前からやってるので、一昨年ですかね。
当初やり方が本当にわからなくて、自分で録音して、それをパソコンから、えーと、何だろう、ポッドキャスト、あ、違う違う違う、自分で録音して、それを自分のサイトの
ワードプレスのプラグインでポッドキャストを配信するやつがあるんですね。そこに送って、そこからは自動でAppleのポッドキャストとSpotifyに流すっていう、自動で配信するっていう、そういう機能を持っているプラグインがワードプレスにあるので、それを見つけて、最初、結構何ヶ月もそれを使っていたんですね。
で、欠点は、まず自分で録音したものを自分のパソコンに保存しないといけないということ。そうすると、冒頭のやつ、オープニングのやつと、それからエンディングのやつを自分でくっつけなきゃいけないってことは、つまり編集ソフトに一旦取り込んで編集をしないといけないってことですね。
まあまあね、音声データなので軽いし、作用として大したことはないんですけど、これが毎回となると、当時はそれじゃなきゃできないと思ってたのでやってましたけど、あるとき気がついたんですね。
アンカーっていう海外のサービスがあると。このアンカーにはなんと録音機能があるから、アンカーのウェブサイトにログインして、そこで録音ってやっておくと、録音がされて、で、そのアンカーの中の編集機能でBGMがつけれたり、それから前と後のくっつけるやつもそこで編集できて、で、そのまま配信すると、あらかじめ登録したスポーティファイだったり、
Apple Podcastだったりにも配信してくれると。これだったら自分のとこで編集しなくてよくないと思って使ってみたら、えらいこと楽だったっていうことですね。
まず自分のパソコンにファイルが溜まっていかないっていうことが嬉しいし、編集ソフト立ち上げなくていいっていうのも嬉しいし、気軽に録りたいなと思ったときにポンと録れるようになったのはそのアンカーがあったからなんですね。
で、いいじゃんと思って1年ぐらい使ってたかな、もうちょっとかな。そしたらある日このアンカーがスポーティファイに買収されるという情報が飛び込んできまして、えーと思ってたら本当に買収されてしばらくしたらスポーティファイ、じゃないなんだっけ、
なんていうサービスだったっけ、スポティファイフォーポッドキャスターズという名前になって、このアンカーがずっとその表向きの名前だけが変わってて、中身はアンカーのままでずっとなったんですね。まあまあ特にこちらには影響がないので全然いいよって感じだったんです。
リバーサイドの提供
そういうわけでアンカーを使ってるのは2年ぐらいになるんでしょうかね。ただそのアンカーがなんとサービス終了になるっていう、そのアナウンスが出たのが今年の初めで、それに代わってリバーサイドっていう別のサービスが提供されることになるそうです。
で、こないだうちちょっとリバーサイドのテストをしていたんですけど、なんかBGMのつけ方がわからないとかつけれないっていう話もグーグルで検索するとあるし、今後そういうの整備されていくんでしょうけど、
アンカーに比べて何が違うかというと、映像配信ができるらしい感じですね。もうその収録画面に映像が映るようなそういう画面になっているんです。もちろん音声だけで指定すれば音声だけが撮られるんですけど、そもそも映像を撮りましょうよっていう手のツールなんですね、そのリバーサイドっていうのは。
その分選択肢が多くて、やっぱりこの管理画面が見にくい。何をすればいいかっていうことが探しづらい。今使っているアンカーはそういう映像でっていうのは一切ないので、もういきなり録音ボタンしかないっていう、もう誰も間違えようがないっていうぐらいのシンプルな表示なんですけど、これがなくなってしまうっていうのは本当に不便だわって。
誰がポッドキャスト配信するのに映像をつけるのって思うけど、これきっとつけれるならつけようかねっていう話にだんだんなっていくような気はする。別に自分の顔出さなくてもね、別の映像でもいいわけだし。
まあ今日日ほらAIがとっても進んでいるので、自動生成によって、何だろうその話の内容に対応するようなものをつけてくれるだのっていうサービスはもうあっという間にできそうな感じがします。
なので時代の流れ的にはそういう方向なんだろうなと思うので、スポーティファイがそういう選択するのも当然かもしれないですけど、ローカルなポッドキャスト配信者としては寂しいなっていう、不便になるなっていう、そんな感じがしております。
で、ここのところ数回多分ダンスの話ですとか、ワクビズっていう新しいサービスを始めるですとか、そんな話をずっとしてきたと思うんですけれども、今日は全然趣向を変えて、最近ハマっている朝ドラですね。
なんていうタイトル?虎に翼っていうNHKの朝ドラの話をします。これすごい久しぶりに面白くて、自分的にはカーネーション以来ぐらいのテーマが刺さるっていうか、女の人が頑張っていく話がもうデラ好きなので。
で、何かな、しかもその、主人公がゴツゴツぶつかりながら行くっていうのが好きですね、基本的には。なので周りからチェアホヤされてあっという間にみたいなのって、全然リアリティないなって思っちゃう派なんですけど、この
虎に翼については一番最初からぶつかり度合いが半端なかったので、面白くて見てました。女性初の裁判官になった人、戦前の昔の女性に一切権利がないみたいな憲法だった、
昭和の戦前の昭和の時代に、なんか上司にも弁護士資格をみたいなことで、弁護士になっていった人が主人公なんですね。戦時中はいろいろあって、今、ドラマの進行としては終戦を迎えて、
その板手から立ち直ろうかというところまで来ていて、今日かな昨日かな、日本国憲法ができたというところまで来ています。
その日本国憲法には国籍やら人種やら性別やら何やらに関わりなく人権が保障されているよっていう、平等だよっていう話が日本国憲法には書いてあると、そこまでドラマが進んでいるんですけど、
そのドラマの前半で、主人公が受けてきたいろんなバッシングとかいろんな差別はすべて女には権利がないっていうところで、もう法律がそうなっているので、どうもこうもしょうがないというか解決できないっていうジレンマに閉じ込められたみたいな感じの前半だったんですけど、
その呪縛であるところの旧、昔の憲法、それからそれにそれから出てくる女性には権利がないみたいな、課長の言うことを聞くんだみたいな、戦前は法律でそういうふうに定められていたので、もうそれ以上のどうしようもなかったんですよね。
その戦前の法律が消滅したと、敗戦によって。それによって、男女平等だと、人種とか生まれとかにも関係ない、みんな平等だっていう憲法が施行されたんですよね。
これってざっくりですけど、主人公が苦しんでいたその理由の根拠だったものが一瞬で消えたという話で、敗戦によって。これは今になってみるとGHQが作った憲法だとかいろいろ言ってるし、事実そうなんだろうとは思うんですけど、敗戦国でしたからね、その瞬間。
それは何か言えないですよ。何だったらそのまま占領されてもおかしくないぐらいの、アメリカの51番目の州に本当になったかもしれないぐらいの、そんな状況、しかも半分にされてね、来た半分はロシアが持っていくとかさ、何があってもおかしくない状況の中で、
なんとかこう、日本っていうのが維持されて、その時に憲法を決めるんだって言ってGHQが決めたとて、まあそれそうなるよねっていう。今の時点からするととんでもないんだけど、当時からしたらすごくもう最善の解決法だったんじゃないかなって私は思うんですけど、
そのドラマの中の主人公も前半彼女を苦しめていた、そのめちゃくちゃ古い法律が一瞬で消えたというところに今ちょうどドラマが進んでいるので、これからどうなっていくかはわからないんですが、そんな話になってます。
私たち的には戦後の生まれですので当然、男女平等だっていう法律憲法を小学校6年生の時に学校でも習ったし、なんなら私ちっちゃい時に父親からこうやって言われたんですよ。これからは女も男と対等だぞって、女でもやりたいことやっていいんだぞって、お前も頑張れみたいなことをすごいちっちゃい時に言われた記憶があるんです。
だから勉強も頑張って仕事も頑張れるぞって、すごくちっちゃい時で、たぶんそこの映像、覚えてる映像からひもとくに5歳より前だったはず。覚えてるからたぶん5歳ぐらい。年長3ぐらいの時かなと思うんですけど。
それ以後そういう話は特にせず、私成長していったんですけど、ずっと頑張っていた理由は勉強とかをね。結構その一言に発端、そこを発端としているような気がしなくもないっていう。
その男女平等に関しては父親は結構こだわっていて、私が就職っていうか大学を選ぶ男になって、絶対教員養成大学に行けって言い張ったその一人なんですよね、父親は。みんな言いましたけど、他の親族も。
父親は民間なんて言ったって男と対等には働けないから、給料もそうだし仕事内容もそうだし、立場もお着身だから先生になれって言ってました。私が学校好きかどうかっていうのは別問題として、彼が言うこともわからなくもないですよね。
当時の昭和の状況を見るとね、お着身と電話番以上終わりみたいな感じでしたからね、女性の仕事って。そんな中で教員になれたのは、今になってみるとラッキーだったのかなって。確かに仕事内容はほぼ対等でしたので。
一時間授業始まってしまったらもう一人ですから、その生徒40人に対して自分一人で全部対処していかなきゃいけないところに追い込まれるので、その意味ではそれが男だろうと女だろうと、子供から見たら一人の先生としてやっつけてやるぞと。
そんな感じですね。すごい敵対的だったんで当時。そこで戦っていく経験ができたっていうのは20代でね。今に繋がっているかなとは思うんですが、その話は置いといてとにかく。
だから自分自身、私自身の体験とそのドラマが重なる部分があるっていう話ですね。で、ここからが今日話したいことなんですけど、フェイスブックに虎に翼グループがあって、朝ドラを見てそれについてみんなで語り合って楽しむグループですね。
すごい盛り上がっているんです。私はとりあえず登録をしてみたんですけど、気がついたことがあって、面白がっていろんな話を繰り広げている人たちがまあまあ主だとしても、結構な頻度で激怒している人がいるんですね。
ドラマ中のことについてね。激怒内容はいろいろなんですけど、例えば時代交渉的にこの当時の人はそんなことを言ったはずがないとか、戦時中になってくるとみんな戦争協力を当然するじゃないですか。戦前の人ですからね。
ドラマの舞台も戦前ですから、そんなところで戦争反対とか言ったらとんでもない、そのまま引っ張って彼で牢屋に入れられますよね。
登場人物たちは流されて本当に戦争協力というか、赤髪来たら召集されていくし、普通に巻き込まれていくわけなんですけど、そのことに激怒している人がいて、どうしてこんなところで協力するんだって激怒する人がいて、それに対して何を言っているんだ、当時はこうだぞとか言って激論になっているところがあって、
それが結構細かいことについても激論している人たちが結構いて、こういう態度は許せないとか、戦争には反対すべきなのに、しなかったらこの人たちは許せないとか、本当に本気で激怒している人たちがいるのに私びっくりしてしまって、
あとは悲しみの表現ですね。赤髪来て召集されて出ていく人たちを当時はおめでとうございますみたいな勢いで見送るのがずっとされてたんですよね。
お国のために死んでくるのはいいことだから、素晴らしいことだから、死んでこいみたいな。そんな風潮の中で、行かないでとか、生きて帰ってきてとか、言えない状況だったですよね。
たぶんね、私も見たわけじゃないけど。その中の主人公たちの旦那さんの別れのシーンとか本当に味わい深くて、言葉にできないその思いを、2人の共通の思い出の変顔をして笑わすっていうのをやるんですけど、最後に。
そこで私なんか累戦崩壊なんですよね。言えない気持ちをそうやって表す2人にグッと来ちゃって。ところが、もうね最近の若い人はって言いたくなっちゃうけど、それが理解できない人がいて、あんなところであんなことさせるなんて、この脚本画の意味わかんないって書いてる人結構いるんですよ。
あ、汲み取れないんだ、この表情による言えないことを伝え合うっていうその表現が汲み取れないんだって思って、私結構心底びっくりしましたね。
だから言葉で言っちゃいやとか、生きて帰ってきてとか、なんかそういう悲しいんですってことを口で言わないと表現できてないっていう人たちが結構な数いるんだなと思って、びっくりしました。
フィクションの本気の感情
人それぞれだし、こういうものを味わうための感性っていうか深みみたいなものの差もものすごい差があるんだなっていうことを思ってびっくりしたんですけど、そういうやり取りをしばらく見てて、私は思ったんです。
でもね、言ってもね、ひとつも、だからドラマですから全部、1から100まで全部作り話じゃないですか。実際にいた人をベースにはしてるけど、その人がそういうふうに言ったかどうかってわからないわけで、すべてが脚本家の人が書いてる作り話、フィクションなわけですよ。
この本当じゃないことに対してガチギレして討論し合うってどういうこと?
今日話したいのはそこのとこです。もう一回言うと、事実に基づいているとはいえ事実では全然ない。
今風にアレンジしたり脚本家のアレンジによって作られている事実ではない作り話、お話に対して本気で激怒して激論を戦わす人がいるんだっていうこと。または本気で感動して泣いちゃう人がいっぱいいるんだって。
これっておかしいと思いませんか?いや、事実じゃないのに。本当にフィクションですから夢物語っていうか架空のもの。この世に実際には存在していないテレビドラマの中だけに作られている世界に本気でそれを本当のことのように受け止めて、だからこそ泣いちゃったり怒れちゃったりするわけですよね。
これ人間の能力の一番すごいところはそこだって言われてるんですけど、本当にそこにないものを本当にあるように勘違いできる能力。難しく言うとゲシュタルトって言うんですけど、新しい世界を頭の中だけで構築できるっていうやつですね。
だってどこに訪ねて行ってもあの人たちいないんですよ。役者さんが演じてるだけなので、そのキャラクターってドラマの中にしかいないですよね。だけど本当のように感じるでしょ。これすごいなと思ったんです。
だし、それが何て言うのかな。各人の意図、意図した通りに受け取る人はばっかりじゃないんだなってことはわかったんですけど、意図したことと違う勘違いをして受け取っても、それでも本気でガチギレするっていうことは変わりないので、しめしめって感じじゃないですか。
で、私がよくいろんなマーケティングの勉強をする中で、ストーリー思考って言って、お話で伝えるのがすごく一番いいとか、人ってお話でしか理解できないんだとか、そういう説があるんですね。
ストーリーテリングとかストーリー思考とかストーリーマーケティングみたいなことなんですけど、昔よく田舎でリンゴ作ってる人がみたいな話あるでしょ。1本のリンゴの木を無農薬で育ててこんなこんな苦労をして、そしてできた貴重なリンゴって言ったら1個2000円ぐらいで売れたりしてるんですけど、あれもストーリー。
そのリンゴ自体が目の前に来ても他のリンゴと見分けがつかないはずで、だけどその1個のリンゴにすごい何十年の苦労みたいなストーリーがあるっていうところが付加価値になって売れるので高く。
だからストーリーをつけて売りなさいよっていうのは本当に教科書的に言われてることなんですけど、そうは言ってもね、そんなんさ、そのリンゴの人はガチで本当だったかもしれないけど、うちの例えば楽室にどんなストーリーをつけましょうかって言っても、そうそうそんな感動的なストーリーってわけにいかないので、なかなか特にまだ楽室に関してはまだできるんですけど、
その筆文字で書いた楽ですよ。楽、楽、楽、商品。その商品についてどんなストーリーを作るって私本当に10年ぐらいそれを悩んだんですけど、結論そんなもんないよって。
何の思いもなくただ成り行きで作って売ってただけなので、そこになんか差別化のためのストーリーって言われても全く思いつかずギブアップだったんですが、あれですね、本当のことを書こうとしすぎるとそういう目に合うんだなっていう。
本当に人を感動させるストーリーっていうのは本当のことじゃないんだなって。本当のことをベースにした架空のお話に人って感動するんだって。
それが本当である必要はない。これって要するに嘘をつけっていうことっていう話なんですけど、悪意を持って人を騙してやろうと思って作ったものはそれはいけないことかもしれないですけど、あのテレビドラマはどうなのって。
もちろん悪意なんかないし、人を感動させたくて、感動するお話っていうものを作りたくて、特にそれを販売するっていう意図はないですからね。その意味で、害はないっていうか悪意はないと言えるのかもしれないけど、
物を売るにしたって、結局はその相手の人が感動するかどうかっていうのは、そこに架空のストーリーがあって、それを信じさせることができるかどうかっていうところに尽きるなって。
本当のストーリーがあれば、もちろんそれでいいですよ。ただ、本当っていうのはどういうことって言ったときに、いろいろあるじゃないですか。大人の事情みたいなやつ。
その辺を、それを読んだ人、聞いた人が共感できるような、そういうストーリーにしていく必要があるなと思いました。
フィクションを作る漫画家とかの人でも、いやこれ嘘だよなって思ってる人いっぱいいると思うんです。こんなこと現実にはありえないよなって当たり前じゃないですか。超能力やる人とかいない。
自己表現と喜び
カメハメハとか言って、誰がどこでそんなことしてる人が現実にいますかって全部嘘なんですけど、それが面白いわけなんで、私だってじゃあそういうお話作ったっていいよねっていうことを今日お話ししたかったってことです。
こうやって口に出してみると、すごい悪いことをしようとしているようにしか自分でも感じないんですけど、いやいやいや言いたかったのはそこじゃなくて、お話で感動させたいっていう、私のもともとの昔からのそういう思い。
もともとは小説家とかになりたかったので、全然ストーリー思い浮かばないんで一つも書けないんですけど、でもなんかそういうフィクションみたいな夢を与えて、そこで感動してもらいたいっていうのは私の多分、もうちっちゃい時からずっと根底に流れている何かなので、
それを何とか仕事にも使えないかって言ってるところで、今マーケティングっていうものにようやくちょっと活路を見出していて、お話し語ることができるからですね、マーケティングの中では。
それを信じて、それにグッときて、それが刺さって実際に受講してくれる人もいるので、昨日もお一人申し込みがあったんですけど、楽室の方でね、私が書いた広告のコピー、私が書いたLPの中の文章に反応して、私もそういうふうになれるかどうか試してみたいのでって言ってきてくれてて、
私が投げたボールをきちんと打ち返してくれてる感じがして、伝わった感が半端ないんですね。
これが楽しいから、私がマーケティングなら続けていけるって思うところです。
自分が間違えず自分の本当に思っていることを発信したら、それを真正面から受け取ってくれる人がいるっていうこと。そんな人の数じゃなくて、いるっていうそのことに私は感動するわけですよ。
私の言葉を受け取ってくれた人がいたって。それで喜びを感じることができるので、その喜びは受講料いくら入りましたとは別の喜びですね。そっちはそっちで嬉しいし助かる、実際問題。
でもそれより前に申し込みがあった時点で、何とも言えず嬉しい。自分から発信しているから、それが返ってきたときに嬉しいんですよね。
この喜びがやめられない喜びであって、私が企業には興味がないけど、企業塾みたいなことをワクビズっていうのを始めているのも、この感覚を味わってほしいからで、別にビジネス始めてほしいと若干違うんですよね。
自分から世界に発信した人でしか味わえないこの感じを味わってほしいなと思うという。そんなような話でございました。では本日は以上です。
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