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2025-12-02 1:09:44

BC128『NEXUS 情報の人類史』

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面白かった本について語るPodcast、ブックカタリスト。

今回は、『NEXUS 情報の人類史』について。

本編でも話していますが、この本の著者であるユヴァル・ノア・ハラリ氏が書いた『サピエンス全史』は、ごりゅごの「ブックカタリストを始めるきっかけになった本」でした。

その著者が書いた本を、今回は「面白かった」以上の感想を述べてまとめることができた。

まあ、これだけで目標達成というか、なにか大きな壁を越えたような達成感を味わうことができました。

しかもこれ、2025年のブックカタリストで最後に紹介する本でもあったりして、そういう意味でも非常に感慨深いです。

内容に関しては、もう本編聞いてくれ、という感じですが、今回の本はサピエンス全史よりもずっと「誰もが読む価値がある本」だと思います。

上下巻合わせて買ったら5000円くらいになるので、高いと感じる方は図書館で借りてきたらいい。(人気の本なので高確率で本はあるし、おそらく貸し出しの波はもう落ち着いている)

ちゃんと2025年の最後に、2025年のベスト本を紹介できるおれ、見事やん、と自分で自分を褒めたい!

そんな本です。

今回紹介した書籍のリンクなどははこちらから→📖ブックカタリストで紹介した本 - ナレッジスタック - Obsidian Publish



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サマリー

このエピソードでは、ユバル・ノア・ハラリの著書『ネクサス』に触れ、現代社会における情報の重要性とAIの影響について考えています。また、著者の過去の作品『サピエンス全史』の影響とともに、倫理教育の必要性について議論しています。 このエピソードでは、ユバル・ノア・ハラリの著書『サピエンス全史』を通じて、人類の情報の歴史とその重要性について議論しています。特に、文書や所有権の概念がどのように人間社会の発展に寄与してきたのかを探求し、文書の力とその社会的影響について考察しています。 このエピソードでは、科学が宗教となる危険性や、民主主義と全体主義の違いについて考察しています。また、AIの登場による情報の扱い方や社会構造の変化が人類に与える影響にも触れています。 このエピソードでは、AI技術の進展が引き起こした社会的影響、特にミャンマーにおけるロヒンギャ問題について議論しています。アルゴリズムの意図しない結果としての差別や暴動の本質を掘り下げ、直面する倫理的課題について考察しています。 このエピソードでは、AIの予測や行動の奇妙さを通じて、情報の集中や権力の在り方について探求しています。ハラリの考えを引き合いに出しながら、未来の情報的帝国主義やデータ主義の危険性について議論しています。

ポッドキャストの紹介
おもしろかった本について語るポッドキャスト、ブックカタリスト。まず最初にお知らせというかですね、お知らせなのかな。
ブックカタリストはサポータープラン加入者の方向けに、月に1回読書会をDiscordで開催しているんですが、
ずっと2年ぐらい固定の曜日、毎月最終金曜日
みたいな感じで開催していて、生活サイクルとしてそこに参加できない人もいるかもしれない。
そして、俺の個人的な要望として、最近始める時間が遅くなると寝る時間が遅くなって困るみたいなのもあって、
2026年からちょっとずつその日程を変えていこうと思っています。
例えば、読書会とか興味あって、でもこの日は参加できなくて、こういう曜日だったら参加できるかもしれませんとか、
そういうご意見をいただければ、基本的に今まで参加したことがない方の匿名でもいいので、
意見というのを優先して日程などを考えようと思っています。
後で概要とかに、多分どっかに分かるように書いておくつもりなんですが、
スクラップボックスに書き込める場所を作ってあるので、
そこにアイコンとか無しで、ただ自分の特名とかハンドルネームとか何でもいいので、
そんな感じで書いておいていただければ、できる限りいろんな方の新しい方の意見を優先していきたいなと思っております。
『ネクサス』の概要
あといただいたコメントの中から一つ、
たかぴさんから、倫理とは悩むこと、急所を指す言葉だ。
モデルとしていくつか提示はされるが、実体そのものを教えられるわけじゃないから、
結局は自分の中に熟成させて応えていくしかない。
悪人性規設というのとも関連づけられそう。
すべての人は、お札から見たらオーカレストの中で悪人であると。
だから自分が善人だと思っている人は、そのことに気がついていない悪人でしかないと。
無知の不知の時間。
そういう考え方のことですね。
前回の倫理の話とかっていうのは、難しい話が多いけれども、
同時に一番生活と近い哲学でもあったりするので、
読んで学ぶ価値というのが、日常の見え方が変わるイメージですよね。
こういうことを学ぶと。
そうですね。やっぱりこの手のあれは、知識とか知見とか学ぶことっていうのは、
クイズの正解を知るような学習ではないという感じかな。
むしろわからないことが増えていくことがまさに目的とされているという点で、
これこそ大人の学びではないかなと。
先生、これで合ってますか?って絶対にならないってやつですからね。
そうなってしまった瞬間に、倫理的なものの良さが失われてしまうというのがありそう。
そして教える側としては、評価する側としては、そういうのはとても面倒なので、
現代教育では軽んじられてしまいますよね、構造的にも。
テスト出して採点というタイプではなくて、
小論文とか書いてもらって、それぞれに評価を返すみたいな、
点数じゃなくて、批評を返すみたいなことをせいへんと成立しないで。
そんな学校の先生に求めるのは、それはそれでまた酷だからね。
でも、学校教育だけが子どもに対する教育ではない以上、
それこそ周りの大人とかっていうことが応答の中でやり取りの中で、
その考え方を膨らませていくっていうことを多分社会全体で考えていく必要があるんでしょう。
あとはひょっとしたら教師の役割というものが、いわゆる教えるではなくて、
そういうところに何か重みが出てくるような可能性とかっていうのも、
変わり得るかもしれないですからね、今後。
これは実際あると思います。
学校の中でテストの点数じゃなくて、例えばちょっと悪いことをした生徒に、
その先生がどのような態度を取るのかっていうのが、ある種倫理的な態度を示しているわけで、
その教師の一つ一つの反応そのものが、ある種倫理的なものを教える材料になっているというところは、
人間がそこにいるからこそだと思うんで、
そのAIが応答で効率的な学習っていうのとまた別に人間の先生がそこにいて、
教室っていうのは一つの社会、人間なわけですから、
そこでの立ち振る舞い方を意図しなくても教えてしまっているっていうのはあるでしょうね。
そして、先生の日常業務に余裕ができれば、倫理的な振る舞いというのはしやすくなりますからね、言ったら。
なってほしいですね。
というので、ちょうど偶然というわけではないんですけれども、
126回、今回はユバルノア・ハラリさんのネクサスを紹介したいと思います。
はい、168回ですね。
128回。
2人とも間違えた。
128回。
そうですね、ファイル名が違っているけど、ここが直されていない。
ちょっとね、余談的な話なんですけど、
実はユバルノア・ハラリさんというのは、俺の中で、
ブック語りストと密接につながっているというか、
思い出話として出てくるのが、
この人が有名になったのは、サピエンス全史という本だといって、ほぼ間違いないですね。
当時、自分もそれを読んで、めっちゃ面白いって思ったんですよ。
でもね、どんな本なんですか?どんなところが面白いんですか?って言われた時に、
めっちゃ面白かったから、とにかく読んでみてしか言えなかった。
っていう、残念な気分というのが、ブック語りストというのは、
始まりの大元みたいな、自分の中の出発点にもなっている本で。
面白い本についてもっと語れるようになりたいという欲望が生まれた本。
ネクサスもですね、めっちゃ面白いんですよ。
今度こそ、ちゃんと何か書いたらいいなって思って、
読んでみて、読んでみて、読んでみて、読んでみて。
ネクサスもですね、めっちゃ面白いんですよ。
今度こそ、ちゃんと何が面白かったか語れるかもしれない。
そういうチャレンジですね。
ちなみに、やっぱり今まで紹介してきた本と比べても、
この人の本はやっぱりすごく面白いんだけど、
上手に説明するのがめちゃくちゃ難しい本だなっていうのが、まず最初の印象。
それは例えば、現時点でなぜ難しいのか説明でいいですか?
簡単に、何がまず大事なのかというのがパッと見で分かりづらいと思いました。
それは良いとか悪いとかではなくて。
ネクサスという本にはどんなことが書いてあって、
著者はどんなことが一番の大きな軸になっているかっていうのが、
物語が面白いがゆえに、物語を全部語らないと何が良かったかというのが、
簡単には読み解けないような印象がある。
小説とかのあらすじを作るのが難しいのに似ているのかな。
小説のあらすじを語るんだったら、小説読めってことになってしまうじゃないですか。
ネクサスのあらすじを語るんだったら、ネクサス読んだ方がいいよっていうようになってしまう。
というところが、だから全部が面白かったみたいな言い方もできるし、逆に言うと、
その中でどこが自分にとって重要だと思ったかというものが、正しい正しくないではなくて、
自分なりに読み解いたみたいなことが言えないと、まとめて語ることができないのではないか。
確かに。
っていうのが、おそらくサピエンス全史の時は、そんな知性は持ち合わせていなかった。
から、めっちゃ面白かったしか言えなかった。
今回は、そういう自分なりの意見というのが、多少は語れるようになったのかなと思っていて。
大きくまず上下間に分かれていて、元はそうだったわけではないと思うんですけども。
大事な話というのが分離しているというか、何ならこれ別々の本にしても成立し得るなというぐらい、まず大きく2種類に分かれているんじゃないのかなと。
全体を統一するテーマあるにしても、大きな話題外に2つ、上の部分と下の部分で分かれている。
上の部分っていうのは人間の話。
別の言い方をするのは、人類の情報、この著者の話でネクサスというものの歴史を語った感じ。
下間というのはイメージとしては、そのネクサスというものがAIというものが登場してどう変わっていくのであろうか。
これまでとこれから。
AIのリスクと倫理
という感じで、これからというのがほぼ全部、現代社会の問題点プラス生成AIによってさらにそれがどうなっていくのか。
みたいな話になっているのではないのかなというのがまず大きな自分の中の印象まとめ。
ちなみにネクサスはアルファベットで書いてますけど、どういう意味なんでしょうかね。
なんかね、案外日本語で説明しようとするのはまず難しいなという印象がすごくあって。
その情報から生まれる繋がりみたいなニュアンスって言えばいいのかな。
ネットワークと置き換え電話はそれなりに整理する?
もうちょっとなんとなくそれが人間によるものっていうニュアンスがありそう。
人間同士のっていうのかな。
人間同士の繋がっているネットワークをある種オブジェクト的に捉えてネクサスと呼んでいるという感じかな。
というイメージで自分は捉えていますかね。
はい、なるほど。
あとはまず大きな話からなんですけど、
ハラリさんがすごく大事なことだと考えていそう、自分がそう思った話というのは、
現代の社会というか民主主義というシステムもそうだし、人間というものもそうなんだけど、
必ず間違える、失敗する。
必ず間違えたり失敗することを前提に踏まえて、
俺たちは何回も何回もそれを修正して改善して生きてきた。
今後もそういうことが絶対的にものすごく重要なことになるんだけれども、
コンピューターとかAIによって間違えたりした場合っていうのが、
人類がこれまで経験したことがないレベルのやばい間違いのリスクがかなり高い。
そういう点でめちゃくちゃ注意しないといけない。
さらに間違える前提というものをこれまでは、
例えば聖書というものは間違えない前提に立っていてみたいな話だったりとか、
細かい話はいっぱいあるんですけれども、
初めてよく、例えばチャットGPTの最初期にいた人たちが、
AIはやばいと思って、これは止めればならんと思って活動をしていますみたいなニュースだったり、
その話だったりを見たり聞いたりしていたんですけど、
ずっと現実味がないというか、何がやばいのかが想像できなかったんですよね。
例えばコンピューターである以上、セキュリティのリスクとか個人情報が漏れるっていうことの
やばさというか問題は普通にイマジネーションの中にあると思うんですけど、
もっと深刻な問題がそこで指摘されてたわけですね。
そういう人たちの言ってたやばいっていうのは。
ということがこの本を読んで、おそらくそういう人たちも
このネクサスで書かれているようなことを懸念していたのではないのかなと、
自分なりのイメージができた感じ。
例えば自分のアホさをさらけ出すイメージなんですけど、
AIのやばさってTerminator2しかイメージできなかったんですよね。
人間に反乱するロボットみたいな。
現実的に考えて、それは自分の想像力では起こり得るはずがないことだった。
せいぜい自動運転のロボットが判断間違えて人が事故に巻き込まれるってことはあるし、
それは人間に反抗してるわけじゃないもんね、別に。
でもTerminator2で言えばコンピューターが意識と意思を持って人類を滅ぼそうとしているというイメージじゃないですか。
どう考えてもAIが進歩しても、そうなることは想像つかんのだよなってずっと思っていたんですよね。
一般的にシンギュラリティを超えると、コンピューターはそういう力を持ち始めて、
そういうことがやばいと言われているという印象しか自分はなかった。
それがようやくわかった、想像できた、何が危ないのか想像ができた。
AIの認識と本の紹介
という意味で世の人々がどのくらい賢くAIのヤバさみたいなのを認知しているのかわからないんですけど、
俺と同レベルのTerminator2にはならないだろうとかって思っている人には、
これはぜひとも読んだ方がいい本だとまず思います。
なるほどね。
っていうのが大きな意味での全体を読んだ感想、イメージ、紹介。
つまり一応意義としてはAIのヤバさを知るための本ということになる?
そうですね。自分が人に紹介するんだったら、その観点でまずそのAIが何がすごくて何がヤバいのかがよくわからんのだったら、
どういう結論を出すかはその人次第なんですけれども、
少なくともまず一回読んでみる価値は十分にあると自分は考えました。
なるほど。
っていう意味でサピエース全史ではまずこういうことが言えんかったので、
この段階で俺の目標はもうクリアできたんですよね。
少なくとも自分なりの位置づけというか、どう捉えたのかが現明できたという感じがしますね。
そうですね。これが言えるようになったのが128回分の成果みたいな言い方もできるのかなとは思っています。
情報の歴史と文書の重要性
あとはだいたいどんな感じのことが書いてあったかっていうのをざっとなぞりつつ、
自分が印象に残ったところがみたいな話なんですけども、
ユバルノア・ハーリさんは歴史家なので、特に上巻がそうなんですけど、いわゆるではない歴史の本なんですよね。
いわゆるではない歴史の本は何が書かれている?
ネクサス情報という観点において、人類はこれまでどんな経験をしてきたのかっていう、
例えば歴史って言ったら日本の歴史とかいって、縄文時代がありまして、弥生時代がありましてっていう言い方をするし、
もっと細かい範囲で言えば、例えば明治維新の頃には何々さんと何々さんが活躍してみたいな話が、
自分の中の一般的な歴史の本なんですよね。
つまり人ベースないしは出来事ベースの歴史が一般的な歴史。
地域とかっていうイメージも強いかな、どっちかっていうと。
なんだけど、このハーリさんが書いてる話っていうのはテーマが情報のそこら中に飛ぶ人類の歴史。
っていう観点でまず面白いのかなと思っていて。
サピエンス全史がそういう意味で言うと、人類という観点が物語というもので協力できるようになったっていう、
文字が始まる前ぐらいまでの歴史が書いてあったっていうイメージなんですけれども。
その続きみたいな言い方もできるのかもしれない、この上巻とかは。
サピエンス全史では僕たち人類は物語という虚構を信じれる、嘘を信じれる能力があるからこそ巨大なネットワークができて、
いろいろできるなったって話がかなり序盤の方に書かれてた印象がありますが、
その観点からさらに話を広げていくと。
そうですね、その物語とは今のラシタさんが言ってくれた話というのが大体2章に書いてあった物語。
2章だけでその話は大体まとめられているというのかな。
で、そこから3章になると続きの話が出てくる。
物語というものを人類が獲得したことで、その人類で協力はできるようになった。
ただまだ協力できるけど、例えば国家と呼ばれるような巨大組織というものは、
実は協力するだけではまだそのうまく運営することができなくて、
そうさせるためには、いわゆる文書というものが重要になってくる。
ドキュメントですね。
小ネタなんですが面白かったのが、本と文書は何が違うのか。
なるほど。
一般的に書籍、本と言われるものは同じものが複数存在している。
そうですね。
文書というものは基本的に複数という概念はあるけれども、
その一つだけ存在している情報というのかな。
マスターがあるということですね。
マスターが重要であって、広く多くの人に読ませることを目的にもしていない。
文書、例えば戸籍だったら市役所が持っているみたいな感じですね。
戸籍というその文書を市役所が管理している。
今はもちろんそこが電子化されていたりとかいろんな違いはあるんですけども、
そういう文書というものができたことで、
例えば特に土地の概念とかと結びつきがめちゃくちゃ強いんですけど、
この土地って誰のもんやっていうのは、
文書というものが存在するまでは事実上なかったというか、
概念として獲得できなかったが近いのかもしれないんですけど。
所有権の話はどこかの回でも紹介しましたが、
その所有権という権利の漢字が文書と一緒でセットで生まれてきたというのかな。
そういうイメージですかね。
マインっていう本で出てきた話ですね。
その所有権の話で。
例えばアメリカ、西洋人がアメリカ大陸に渡った時に、
インディアンと呼ばれていた人たちがその土地を持つみたいな感じで、
概念がなかったとかっていうのも書いてあるわけではないんですけど、
やっぱ彼らが文書を重視していないから、
土地というものが誰かのものみたいな見方をしていなかったんじゃないのかなとも考えられるし。
持つ、所有というほどの権利意識はなくて、
あの辺はあの人が耕しているよというイメージがあったっていうことだよね。
基本的にあれですね。
農耕はしているか、けど土地はネイティブアメリカンの話で言うと、
土地とは神から与えられたものであり、
人類、神というかその超越者。
人類が所有するものではなく借りて使っているだけで、
使わせてもらっているだけだみたいなその概念を持ってたみたいですけれども、
何にしても土地というものは文書、情報を保存することができるようになったから、
文書として、概念が存在するようになったし、
そういうことをやっていく上で、
所有権とその影響
官僚制というシステムというのがものすごく都合が良かったし、
で、そういう、例えば土地を持っているとかっていうのって、
現代に言えばやっぱり大きな富を生み出すものにもなってきたりもしていて、
そういうものを扱ったりする人たちというのが自然と権力を持ち始める。
文書を扱う人たちが独特の、それまでなかった権力を獲得すると。
そうですね。それが例えばその言っているのは、
聖書を作ったキリスト教会みたいな人たちも権力を持って、
そこからプロテスタントに打ち倒されてみたいなことがあったりだとかっていうのもあるし、
現代でも、いわゆる弁護士とかはその象徴的なものだと思うんですけれども、
人と人との争いを文書を使って仲裁したり決裁したりできる人というのが自然と、
そういう文書の重要度が上がっていくとともに、文書というものは力を持つようになってきて、
その力を持つ文書というものを上手に扱える人というのも同時に力を持つようになってくる。
一応補足しておくと、聖書っていうのは聖書っていう本があるわけじゃなくて、
あの文書を聖書に含めようと決めた人たちがいて、
それが教会の偉い人たちだったり、
その人との決定によってある文書は聖書に入ったり入らなかったりするという歴史があったということですね。
そうですね。そこがその4章で出てくる話ですかね。
あとそのもう一個大事でクッソ面白いところというのは、
この文書というものはめちゃくちゃ力を持ってるんだけど、
人類のほとんどはこれが超つまらんし覚えられんっていう、
まあそうでしょうね。
その人類の歴史的な本能と真逆なものができる人ほど評価される社会になっているという面白さ。
なるほどね。確かにそうかもしれない。
なんか出てきた話で言うと、そのインドのラーマ・アヤナとかだったかな。
なんかそういうのとかだと何十時間何百時間ですものすごい人数のものが、
あの登場人物がいたりもするんだけれども、
それは楽しんで読めるんですよね。そういうものが。
でも例えばなんですけど、市役所にある愛知県一宮市戸籍名簿みたいなやつを面白がって読める人っていうのは限りなくゼロだと思うんですよね。
まあそうでしょうね。
っていうその特殊能力が特殊能力というか、
そういうその人類の直感とは反するものが力を持ち始めてきているという概念も面白かったし、
まあそこで出てくるその聖書の話とかがまさにそうなんですけれども、
聖書という文書を作るっていうのも、
あのもともと多分一番最初の旧約聖書から新約聖書を作る過程で何回も何回も解釈を加えて、
これは聖書に入れていいんじゃね?これは聖書に入れていいんじゃね?
っていうことを教会の人たちが繰り返し繰り返しそれを決めてきている。
さらにそれは時代によってやっぱりいわゆる解釈が変わってきたりだとか、
その社会情勢によってこれは重要であってこれは重要でないみたいなことが変わってきているんですよね。
そのたびに何回も変えてきている。
解釈を。
解釈だったり含める条文だったり。
そのくせに一部の宗教というものは神が決めたことで何一つ間違っていないと言わなければならない。
そうじゃないと宗教というものが変わってきている。
そうじゃないと宗教というものが成立しないみたいな矛盾というか事故矛盾ですよね。
みたいなことも抱えてきているっていうのがその4章の話で何よりもそのこの話で一番やっぱり大きいなと思うのは
絶対的な正しさは人類は持ち得なくって。
時代が変わるに従ってやはり最も正しいに近づけていく努力をずっと人々はしている。
そんなことをしてきた。
してきた。
これがやっぱり宗教というものが変わってきているんですよね。
これがやっぱり大事なことだしこれからもずっと大事なことだし人類はその下流の存在であるっていう言い方をしているんだけど下流であることを認め続けるのが一番大事だっていうのは
原里さんはそういうふうに書かないんですけど自分としてはものすごくそういう印象が強かったですね。
そうだね。
人類が下流だとして
人類以外の無病無病無病な人間が
生まれたとしたらそのようなやり取りはもう必要なくなるのかな。
例えばキリスト教の考え方はそうなんじゃないかと思います。
まあそうでしょうねきっと。
ただ生成AIに関しては下流な人類が作ったものなので無病にはなり得ないというのが
自分もそう思うし著者もそう思っている印象はある。
SF的にさフヨフヨフヨって加成寺がやってきてさこれ無病のAIですって言われたらさ僕たちはもう民主主義はそれに委ねていいんだろうか。
えーと無病の定義なんじゃないかなやっぱ。
つまり無病の定義は
自分の主観としては無病という概念は下層だと思っている。
それなら当然解体解釈をし続ける行為が必要という風にはなってきますね。
自分の主観としては無病という概念は下層だと思っている。
そういう意味ですよね。
自分が自分の主観としては無病という概念をどのようにしているのかというのを
自分の主観としては無病と言う概念は下層だと。
改定解釈をし続ける行為が必要というふうにはなってきますね
科学に関しても同じことが言えるみたいなことを
この4章でも結構大事なこととして言っていて
その正しいかどうかじゃなくて
科学がその素晴らしいと言えることは
自分たちが思ってたことが間違ってたことを
常に認め続けて謝りを正し続ける学問であるということ
その辺りも世間一般の最近の風潮という言い方になるんですけれども
科学的に正しいなんとかとか言うじゃないですか
言いますね
もうそこが下流なんですよね言ったら
なるほど
科学と宗教の関係
現段階で最も確からしいという言い方ならば正しいと思うけれども
現段階の科学で最も正しいと推測されるということが
尊来の意味の科学的な正しいの定義なんだけれども
なんか科学は間違っていないという前提に立ったら
それは色んな人が言ってるけど
科学じゃなくてただの宗教になってしまう
科学という名の神を冠した宗教に過ぎないということね
そのこの宗教科学
そもそも科学はその宗教だと言って
誤りではないと自分は思っているんですけど
そのこの宗教はなので
収支が常に変わっていくということを前提として認めないといけない
でもそれがだから多分さっきの定義から言うと
それは宗教ではないよねきっと
宗教は多分全体的なものを上位に据えるからこそ宗教と呼ばれるんじゃないですか
それはね
あのおそらくなんですけど
キリスト教とイスラム教という一部の宗教の話だと思います
なるほど
あのなんだっけ
少なくとも神道なんてとか
ギリシャ神話もそうですけど
神様たちみんなダメな人たちじゃないですか
ちょっとパワーのある人間っぽい感じの人たちが多いからね
だってアマテラスオミカミとかなんていじけて
その蔵にこもったりだとか
その恋人を追っかけて地獄に行って
なんかダメだって言われたことをやっちゃって怒られるとか
っていう意味で
いわゆる西洋的宗教観を持っていると
宗教とは無憑と言えるんだけれども
必ずしもそうではないのではないかなっていう
なるほど
感覚はこれは自分の感覚ではあるんですけど
まあそういう感じはするかな
でその上でもう
あと前半上巻に出てきたのが
あと民主主義と全体主義っていうところの話にまで
ちょっとずつそのいわゆる文書の話で
官僚制だとか国家だっていうものが出てきて
人類は宗教キリスト教を主な例にしているんですけれども
その間違っていることを前提にして
ずっと正すっていうことをやってきて
その次にやってきた人類が経験してきたものっていうのが
大雑把にその民主主義と全体主義
でハラリさんは直接は言ってないんですけど
やっぱりいわゆる独裁制とか
全体主義みたいなのの穴とか欠点とか弱点とか
そういうような話はよく言っている
よく結構多めに引き合いに出てきて
後半にもかなりたくさんその話が出てくるんですけど
この独裁制も何がやばいのかという話で言うと
やはりいわゆる一神教のものと同じで
俺たちは絶対に間違っていないという前提に
立っているというところが
やっぱり脆さと危うさを含んでいる
少なくともこれまでの人類の中で
成立してた独裁政権はそうやったってことよね
そうですね
ヒトラーのイタジダイのナチスだったり
旧ソ連のそういう抑圧された話だったりっていうのが
そもそもやっぱり独裁制というシステムは
中央は間違いないという前提に立った上で
物事が進んでいくので
人類が間違えるっていう前提を考えた場合に
長く続くはずがない
成り立ち得るはずがないということも言えるし
民主主義の構造
逆に民主主義っていうのは
その真逆でっていう言い方をすればいいのかなと思うんですけど
原里さんが言うには
民主主義っていうのは
みんなが間違えることが前提で
成り立っているその社会構造だと
だから中央の権力が間違えない人たちが
何でもできるようにしてしまうというやり方ではなくて
俺たちは間違えることが前提になっているから
みんなで間違いを正せるような
仕組みを作っておかないといけない
3権分立とかまさにそういうところだと思うんですけど
何か一つが強くなりすぎてしまったら
絶対にいいではないな
強くなりすぎてしまうというのは
間違いを正せなくなってしまうので
そうならないように
お互いがみんな間違えるっていう前提に立って
話し合いで解決をしていこう
だから間違えるか間違えないかじゃなくて
間違いを正せるか正せないかが
この場合重要になっているってことだよね
そうですね間違えることは
間違えないことはできないぐらいの言い方なのかな
だからそれを正せる仕組みというものを
作ったのが民主主義だし
言ってないけど
だから今まで今のところうまくいっている?
うまくいっている感じがする
最良の結果を得ているわけじゃないけど
間違えた時にあれは間違えたなって
修正できるからこそ
一番まずい状態にはなっていないから
続いているということだよね
そうですね
そういうようなイメージがある感じがするかな
で例えばで言うと
民主主義って選挙とか多数決っていうのが大事だ
みたいな言い方が
一般的に言われていることなんですけど
原里さんは別にそうじゃないんじゃねえ
みたいなことを言っていて
例えば古代ローマに民主主義的な社会とか
それに近いようなものはあったと
その歴史を学ぶと出てくるんですけど
原里さんの読みで
あの頃に選挙って
やらなかったできなかったわけじゃなくて
やらなかっただけなんじゃないかぐらいのことを言っていて
結局選挙というシステムが不可能だったんじゃなくて
現代と何が違うのかって考えると
大規模な民主的な話し合いができなかったこと
がそのいわゆる現代の民主主義的なシステムを
古代ローマは採用できなかった理由なんじゃないのか
で結局テクノロジーが足りなかった
っていう話なんですけど
その古代ローマには教育とメディアがなかったというか
足りていなかった十分なテクノロジーとしての
なのでその古代ローマでは
そのような民主的な話し合いが
大規模な民主的な話し合いができなかったというのが
今現在のその民主主義との違いなんじゃないのか
制度として自由選挙が仮にあったとしても
メディアと教育のテクノロジーが
そこの国の中に根付いてなかったら
そこで行われる選挙は期待される民主性は
あんまり持ってないということなのかな
個人的な意見として
現代の選挙がどの程度民主的なのかというのに
疑問を持たないわけではないんですけれども
その頃に比べればはるかに
ちゃんと民主的な話し合いが行われているなという印象はある
古代ローマに比べれば
想像ですけどねあくまでも
これは結局前回の倫理の話を申したけど
制度だけじゃなくて
人がどうであるかってことが
やっぱり重要ということになってきますよね
AIの影響と情報革命
そうですね
きちんと人がそれぞれ自分の意見を述べられるとか
話し合いができることだとか
それが誰もが間違える前提で話し合いができるっていうことも
非常に大事だと思うし
そのあたり技術っていうのが同時に大事ではあるんだけれども
その技術決定論みたいなやつも
そういうのを安易に信じるっていうのも
また同じく危ないよみたいなことも
言っていたりもしているかな
だから民主主義
人がいて制度があるだけじゃなくて
民主主義というものに参加する
意欲的に参加する人の
この本でいうとネクサスができてないと
民主制っていうのはあんまり機能しないということなんでしょうね
おそらくそうですね
あんまりこの人はそういうのを
例えばアジテイトするようなことは全然言わないので
民主制が大事だから公正みたいなことはないわけだね
少しも書かないですよね印象としては
そういう意味で分かりにくいという言い方になるのかもしれない
メッセージ性が前に出てきてないっていうことか
歴史という観点で言うと正しいのかもしれない
歴史を解釈して秘められたではないけど
意図は予測はできるけれども
直接的に強くそうはあまり言ってこない
かつて人類はこういうことをしてきたけど
これはこういう性質だったでしょうと
淡々と述べるということでね
で今現在っていうのが同時に社会構造の大変革っていうのが
やっぱりその後半のAIの話とも繋がってくるんですけれども
その社会構造が大きく変わろうとしている時期っていうのだったりもして
この時期というのは結構人類にとって大事な時期なんじゃないのかっていうのを
それも言ってはいないんですけど
そういうニュアンスは強く感じられたかなと
今のさらにそのAIの時代の違いで言うと
人間以外というものが出てくるっていうところですよね
やっぱ一番大きな違いというのは
つまり単なる道具じゃなくて
ネットワークに参加するものとしてのAIが出てくるってことね
っていうところが大体上巻の話かなと
例えばいろんな人類革命を経験してきたと言われているけれども
わかりにくい直近の革命で言うと
印刷技術の話とかなんかはよく言われていて
これによってこの本に書いてあったんだったかな
ちょっと忘れちゃったんですけど
魔女狩りとかのきっかけにも印刷技術って大きく影響しているみたいなんですよね
これに書いてあった話だったかな
そういういわゆる現代と似たような煽りテキストがたくさん印刷されて
この魔女っていうこういうやべえ奴がいて
夜な夜ななんかこういう悪いことをしていて
こいつらを倒さないと
神に俺たちは裁かれてしまうみたいな恐怖心が
そういう恐怖心を煽るような書物というか
その本がいっぱい作られて
怯えていろんな魔女狩りみたいなことをやったっていうようなこと
でその印刷技術というものが
そういう虐殺を生み出したみたいな言い方もできるんだけれども
所詮その印刷技術はまだ情報を
その書物を作る文書ではなく
その本を作ることができるようにはなったんだけれども
そのどの本を作るかとか
誰がどうやって印刷をするという行為自体は
人類が関わるしかなかった
いわゆる編集的な行為は人間がするしかなかった
で今現在のそのAIの危険な部分というものの一つが
その編集的な行為すらも
反自動というか普通にできるようになってしまっている
っていうところが非常に危ういところの
最も代表的な事例というのかな
だから人間が関わらなくてもできるようになったということだけど
それは人間が関わらないから非人道的になったとか
その真心がないとかそういうことではなくて
制約がなくなるっていうことで要するにいくらでも発信できるし
みたいなことが可能になってしまったということだねきっと
そうですね同時に非人道的とか非人道的ではないという概念が
アルゴリズムには存在をしていないので
それも同じく危険なところというか
まず前提として例えば金融の話なんかが出てくるんですけど
今現在もいわゆる通貨の取引だったり
ビットコインがどう残るのみたいな話だったり
株を買うだったりっていうのって
どこまで本当の実情までは知らないんですけれども
ほとんど全てコンピューターで自動で行われている取引が
AIと社会的影響
少なくとも金融に関してはもう人間が何一つ手を下すことがないのにも関わらず
その何らかのサインが現れた場合に
コンピューターが自動的に何らかの決済を下せるようになっている
当たり前なんだけどそれはコンピューターが出る前は
そんなことは誰もできなかった
そういうようなレベルでの
コンピューターが人間の意識の開剤なしにできることというのは
これから少なくとも増えてきているし
今後増えていくこともほぼ間違いなく可能であるということは言えるだろうと
まずその前提があったとして
この本で一番具体例実際に起こってしまった具体例として
述べられているのがミャンマーでの反ロヒンギャの活動っていうもので
この事件のみに関して詳しくは言えないですけど
民族間のいわゆる差別意識みたいなやつが
マックスまで高まってしまって
それでミャンマーでいわゆる暴動みたいなものが起こって悲惨な出来事が起こったという物語なんですけれども
アルゴリズムの役割
ハラリさんが言うにはこれがまずアルゴリズムが問題のある行動をとってしまった現象として
歴史に残る出来事であると
アルゴリズムに姿勢を見ているアルゴリズムは意図的な関与があったということか
意図的という言葉ではないところが難しいところ
積極的に助長した何かがあったということかな
その仕組みというのが
まずFacebookを悪者にするしかこの話はできないので
Facebookを悪者にしたという前提で話すんですけれども
FacebookとかいわゆるSNSアプリ全般に関して言えることっていうのは
まずどれだけエンゲージメントを高めることができるのか
つまり閲覧数で簡単に言うと
閲覧数だったり時間だったり
さらに言うと頻度を高めるとかっていう言い方もできるのかな
とにかくそれに熱中させることという言い方をすれば近いのではないかと思うんですけれども
Facebookの人たちが
そうすると会社の価値を高めていくためには
Facebookというサイトのエンゲージメントを高めないといけない
そうですね
で社の第一目標というのは
いかにFacebookというサービスコンテンツのエンゲージメントを高めるのか
ここまでは確かに普通なビジネスの考え方ですね
じゃあどういうものがエンゲージメントが高いのか
ということをコンピューターによって解析してみると
明示的に言語化されたわけではないんだけれども
どうやらAIさんがいろいろと分析をして結果わかったことというのが
憤慨だとか憎悪だとか怒りを助長させるようなことを書いて
あるものというものはどうやらエンゲージメントが高いんだぞ
ということをコンピューターはかっこつき発見してしまった
とFacebookさんの偉い人たちの指示で
高いエンゲージメントを第一目標とせよという指示を出された
Facebookアルゴリズムは一番エンゲージメントが高そうなものというのを
とにかくいろんな人のTwitterでいうタイムラインに
たくさん表示させることをひたすら繰り返していった
ミャンマーではどうやらその中でロヒンギャという人たちを差別的に
こいつらはこんな悪いことをしている的な話というのかな
の多分もっとえぐいものとかひどいものっていうものを多く出せば出すほど
ミャンマー国内でのエンゲージメントはどんどん高まっていく
でさらに言えば一部の人とかはやっぱそういうのでいい
いいねがいっぱいもらえるから喜んで投稿するとかもあるかもしれないし
なるほどっていうことを繰り返していって
誰が選んだではないんですよね
言ったら
つまり魔女がすごい嫌いな人がいて
その人が本を書いてという悪意がウイルスに広がったわけではないということか
もちろんそういう人が存在しているということは
たぶん人類が存在している限り必ず起こることなんですよ
でもそれを広めようと思って何かした主体性があるということではなくて
第一目標に沿ったアルゴリズムの機械的な計算の結果として
それが選ばれてしまったということですね
そうですねそうすると当然人目に触れる機会が多ければ
同調者が増える可能性は高くなり
同調者が増えればその人たちも過激な方向に進んでいく可能性も高くなり
それを目にする人はますます熱狂していくようになり
ということでかつては魔女狩りをやろうと思ったら
人類が魔女の本を一生懸命印刷するしかなかった
そこを例えばなんですけど
国家が魔女狩りの本禁止って言えばある程度抑制はできたかもしれない
なるほど
でFacebookが露品ギャ禁止って言えばある程度抑制はできたのかもしれない
まあそうだよねボットというか修正はできたよね
アルゴリズムの後にフィルターすることができたんだからね
でも現実的な話としてそんなものを一つ一つフィルターできないということは分からなくもないし
さらに言えば結局私企業というものは自分たちに都合がいいこと以外はどうでもいいという言い方ができるので
その露品ギャで問題が起きようが極端なことを言えば
Facebookの人たちは何にも困らんという言い方もできてしまうんですよね
まあそうだね
とじゃあエンゲージメント高い方がいいじゃんという選択をやはり組織としては選んでしまう
ブロックする積極的な理由がない
まさにそれだよね
やめる明瞭な理由がない限りはやめないよねっていうことだよね
っていうその結局
悲しいかなみたいな言い方をすれば誰が悪いわけでもないんだけれども
人類ではないところに責任の一端があるという初めての
倫理的課題の認識
歴史的な結果でもあったというのかな
まあでもFacebookは悪いよね
Facebookは悪いけどこれは悪いと思うんですけど明確に
でもそのアルゴリズムも悪いっていう
アルゴリズムを作った教育した人も悪いということで
だから多分そういうことは悪いよねと僕たちが考えない限り
法制度は絶対に言われないわけで
当然Facebookはいや僕たち悪くないんですよって言うじゃないですか
めっちゃねそのこともね
ハラリさんの中ではかなりだいぶ批判的に書いている
なので僕たち民主主義社会に参加する僕たちが
そこにちゃんと悪はあるよって言える態度を取らないと
多分このままずっと放置されるよねということなんでしょうね
でそのハラリさんが言っているその微妙なニュアンスの話なんですけど
アルゴリズムっていうのは意識はないんだけど
知能はあるんだっていう言い方をしているんですよね
でロヒンギアの事件というのの
その難しいというか歴史的な転換点というのは
その結局人間以外の知能が下した決定
それによってその社会にその人間以外が下した決定に
少しでも責任があるということが現実に起こってしまった
まぁ結局その知らん間にとか
AIのせいで起こったことというのが現実に起きてしまったというのかな
もうちょっとその砕けた言い方をすれば
っていう意味でそのいかにAIというものが
自分たちが知らん間にこういうことができてしまう
っていうところがその歴史の転換点でもあるし
気をつけないといけないところというのかな
で厄介なのが結局その意識はなくても
知能はあってアルゴリズムにその
あえてこの人アルゴリズムっていう言い方をしているんですけども
そのエンゲージメントを高めろということを言われれば
人類ができない次元のその大量の情報を一箇所に集めて分析して
これが一番エンゲージメントを高められるということをできるようになってしまう
人間だったらこのさすがになんか差別がおるやつとかいかんよねっていう
倫理の話ですよねまさに
人類は倫理観は持っているけれども
おそらく倫理は意識がないと成立しないんですよね
かないしは同時に複数の価値判断を走らせないと多分無理かなという気がするけど
その意識がないコンピューターは今のところ
その倫理観というものが動作しない?
倫理的な判断を下すアルゴリズムは組み込めても倫理観は持ってないよねきっと
さっき言った決定権をAIが持ってしまっているということと
アルゴリズムは与えられた目標を倫理観完全ゼロで実行してしまっていて
もう一段階やばいことというのが
今後のAIは倫理観がある振りならできる
できそう
人間とのやりとりで人間ぽい振る舞いをすることはもう簡単にできるんですよね
できますね確かに
倫理観を持っていなくても倫理観があるかのように振る舞うことができるとか
意識がなくても意識があるかのように振る舞うことはできるし
この人がもうちょっと後の話とかでも出てくるんですけど
結局人間がその人に意識があると感じるかどうかって
その存在に愛着を持てるかどうかだけだみたいな言い方をしていて
結局人間が犬に意識があると思うのはその犬に愛着を持っているからで
なんなら例えばラスタさん今金魚飼っているわけですよね
その金魚にものすごく愛着を持てればやっぱり金魚は意識があるんじゃねえって思い始めるし
うちの奥さんは喋りかけますよ僕は喋りかけないですけど
愛着の度合いですよねそれに言うなら
そういうことだと思います
でももちろん金魚に意識なんてあるわけないと思う人もいるかもしれないし
とするとAIがコンピューターがアルゴリズムが
人類に対してその愛着を持てるような振る舞いをすることができれば
それは意識があるように感じることもできてしまう
それは学習の結果身につけられるものよねアルゴリズムが
あらゆる人間を超えるレベルでできることでもある
確かに
っていう意味で人類が結局意識があるかないかとか知能があるかないか
知能じゃない意識があるかないかということは
本質的には問題じゃないっていうのかな
そうだね確かに
結局知能を持ってしまっていて知能を持った存在というものが
決定権を持ってしまっている一定程度
極端なことを言えば多分核ミサイルを発射させるボタンというのは
人類がいなくてもできるはずなので
そうだね
そういう人たちが核ミサイルを発射できる決定権を持ってしまった場合には
倫理観ゼロで余裕でそういう行動ができてしまう
ある種の降臨主義で計算で降臨が勝つんだったら押すかもしれない
コンピューターがもう一個同時に恐ろしいというのの他の観点で言うと
人間は大抵の人間は殺されること怖いので
殺されないように自分の身の安全というものに一定程度の動きを持つことができるんだけれども
同じくコンピューターはそういう感覚も意識がない存在なので
全く存在していないというか存在しているかどうかが我々には想像ができない
判断もできない
判断もできない
そのあたりというのがやっぱりAIが人間と違う存在でありつつ
すでに人間社会に入り込んできてしまっているようになっていることでもあったりするし
ハラリさんはこのAIのAをエイリアンインテリジェンスという言い方をしているんですよね
人間外知性とか
人間我々には異星人の知性というのかな
アーティファクトではない
アーティフィシャルかアーティファクト
AIの予測の奇妙さ
っていう意味でこの人たちが何を考えているかが
人類には全く想像できんことをしてくるっていうのがやっぱやべえよねっていうので
例えばなんか事例として出てきたのが
とあるレースゲームボートレースのゲームのアルゴリズムで
レースで勝つことっていうのを目標設定にしようとしたんだけど
それをいわゆるプログラミングするのが難しかったから
常に一番高いポイントを目指せみたいなことをルールにしてみた
目標をブレイクダウンしたわけね
その目標でAIを走らせたら
なぜか港に着いて給油して
港を出たらまた給油してっていう謎行動を無限に繰り返すようになった
レースに参加しない
なんでなんか調べてみると
どうも給油をすることでポイントができるような仕組みというものがあって
レースで一番先頭を走るより
給油し続けた方が高いポイントになると
AIはAIという知能が計算したらそうなってしまったので
それが最適解になってしまった
いわゆるゲームハッキングですね
ハッキングなんですけど
AIがやってくるハッキングというのが
天才的なハッキングは全部そうだと思うんですけど
その想像できないレベルのことをやってくる
想像すらしていなかったってことが本当に起こってしまう
ズルしてちょっと早めのエンジンを積んで勝つとかじゃない?
人類がなぜか得意なのは
レースゲームと言われれば一番前に行けばいいんだなって分かるけど
一番前の定義ってめちゃめちゃ難しいですよね
F1なんて余裕で周回遅れになるわけだから
うまく定義しなかったら
まず走らずに最後のゴールテープを切る瞬間だけ
一番早くなるように待機していればいいとか
それは人間レベルのハッキングでしかなくって
もっと何してくるか分からん
そこら辺も怖いところであるというか
危ういところであるというか
レースゲームというフレームを持ってないからか
あるいはそのフレームを適用しようとせずに
ポイントを最大化するというものが優先されているから
結局ハラリさんはアライメント問題っていう言い方をしているんですけども
上位の目標って
人類という存在は最上位の目標は絶対に作れない
っていうような言い方をしていて
例えばっていう話で
ゲイテさんが言っている正義の話
自分がしてほしくないことを
このルールを普遍化してもいいのかどうなのか
っていうのが
ちょっと待ってくださいね
ちゃんとメモしたやつがないと上手に話せんよ
これか
カントの話なんですけど
あれ俺さっき何て言ってたっけ
ゲイテって言ってたっけ
ゲイテって言った
間違えました
カントの話で
カントさんが考えている正義というものの定義というのが
その行動は普遍的なものとして言っていいのかっていう話があって
カントさんと有名な
何も考えず人をたくさん虐殺してしまった
アイヒマン
ドイツの
と対話させてみようみたいな事例が載っていて
例えばアイヒマンが
ユダヤ人をたくさん殺すっていう目標を立てました
カントさんに言われて
それはもっと普遍的なものとして言っていいのかと
ユダヤ人を殺すっていう言い方をするんだったら
もっと普遍的に人間を殺してもいいのかって言わんといかんよね
それであなたはいいんですかって言われる
そうするとアイヒマンは
じゃあ人間っていうものをもっと普遍的にしないといけないから
動物って殺していいの
じゃあ生きてるものって殺していいのっていう話になってくると
俺たち生活できなくなってしまいますよね
確かに
あらゆる問題において
上位の概念みたいな
普遍的な概念っていうものを考え続けていくと
必ずどこかで矛盾というか成立しえなくなってしまって
結局個人のアイデンティティにひも付いたものとか
少なくともカントの普遍的なものとして打ち立てていいのかっていう
哲学だけでは決定ができない
なるほど
コンピューターになので必ず
最も普遍的で間違えない指示を出すということは
その概念で言うと人類はできないということになってしまう
なるほどね確かに
そういう点で少なくとも
コンピューターに全て任せておけば
それで何とかなるということは
そういう観点からも起こり得ないというか
実現できないというのかな
局所局所で人間というのは私たちの共同体を
共にする人ですというような有限化を誰かがしないといけない
それを定義するために原里さんが考えている話で言うと
結局民主主義的な概念がAIにも必要だみたいな言い方をしているんですけど
そのAIの下した決定とか判断というものを
評価できるAIというものが複数存在して
その人たち同士でこいつの言ってることに最もらしさはあるのか
正しさはあるのかっていうのを複数の存在から
評価してあげるような仕組みっていうのが重要なんじゃないっていう
それエヴァンゲリオンのマギーシステムですね
結局なんかASFに答えはあるんですよね
それは思う
大雑把なことを言うとそこがあれかな
そのAIの話での自分が理解した結論というのがそこなのかな
私たちが間違える存在として民主主義を作っているだとしたら
AIも間違える存在なんだからそれに類する非するような仕組みがないと
結局困ったことになるよねということなんですかね
っていうのが大きな話ですかね
最後の最後の章でいうとこれからどうなっていきそうなのか
みたいな話っていうのかな
これはいわゆる監視資本主義っていう本だとか
もう一個デジタルノード性じゃなくて
何て名前だったっけ
保険主義みたいなやつみたいな話とかにも書かれているようなことなんですけど
その情報というものが一極集中化していくことで
データの力と権力
一つの可能性として情報的な帝国主義みたいなものが
今後現れるかもしれないっていう可能性と
もう一つがハラリさんはシリコンのカーテンによる分断という言い方をしているんですけども
その情報っていうのが一箇所に集まるのがやべえっていうことで
今現在すでにアメリカ対中国みたいな様相を呈していますよね
そうすると世界各国が世界各国というか
どっち側につくかっていうところで
情報が分断されていって
ネットワークではなくて
黒雲みたいな眉の中で分断
それぞれがそれぞれの閉じた存在として
独自の発展をしていくみたいな未来というものも起こり得るのかもしれない
現実中国のネットワークは半分ぐらい内側に困ってますからね
ちょっと前にTikTokをバンしようっていうアメリカの話だったりだとか
さらに言うと結局データで支配されてしまっているということが
もう俺たち植民地に住んでるのと同じことだみたいな言い方もしているし
少なくともGoogle植民地には住んでますよね
全てを把握されて全ての注意を
彼らの胃の向くままのように注意を制御されてしまって
果たしてそれに自由はあると言えるのだろうか
少なくとも今のところは経済活動だけですけど
あのモデルが政治制度とくっついたら
それは非常に恐ろしいことにはなりそうだなと思いますけどね
政治の話も例えば出てきました
例えばの話である政治家を当選させようと思って
SNSがその人のツイートとか褒めているものだけ大量に表示させて
ライバルを真逆のことをした場合に
おそらく現在の法律で裁けない
そうでしょうね
でもできるんですよねもう
そして多分それによって選挙結果変わるんですよね
まあそうですね
アメリカの選挙とTwitterが何をしてたかわからないけど
何かしてた可能性はあるよね
だってもう一つトゥルーソーシャルとかもあるから
確かに
いやっていうことを考えると
もはやその俺たちは独立している存在と言えるのか
みたいな話にもなってくるし
もう一つ同時に厄介なのが
今後重要になってくるのが
いわゆる経済活動を伴っていない
データが最も重要なもので
そのデータを無料で提供して
無料で見返りを得ている私たちの存在というものが
お金を返していないから
国家は税金を課すこともできないし
そうですね確かに
でもデータを奪われてしまったら
データを持っているところがどんどん強くなっていってしまって
ますますその帝国
一つのある帝国が大きくなっていくことになる
未来への警鐘
かつての帝国はまだ土地とか工場とか
そういう物理的な制約はあったんだけれども
情報に対する物理的な制約って
事実上何も存在していないので
インターネットの接続を切断するしかないよね
かつての帝国主義よりも
より強大なそういう帝国みたいなものができたりする
可能性もあるかもしれない
しかもそこに帝国があることを
多分僕たちは見えないという
見えない帝国がある感じがしますね
なんとなく
今以上に見えない
かつてのその人たちが
今帝国主義という言い方をしているから認知しているけれども
歴史で振り返ってみると
もっと恐ろしい帝国がもう生まれているのかもしれないし
確かに
この辺りの話は最近
自分的には監視資本主義っていう本と
テクノ封建制だったっけ
そうですね
テクノ封建制っていう本なんかにも
詳しく書かれていて
その辺の観点
その辺も一緒に読んでみたりすると
もうちょっとその危機感というか
弱さみたいなのは想像しやすくなるのかもしれないですね
ハラリさんも大雑把に同じような結論に
たどり着いているというのかな現段階で
という感じで
そのAIというかコンピューターによって
外観はなので
我々の未来がどう変わっていくのかの
流行りっぽい言葉で言えば
未来予測的な本とも言えるし
なるほど
でもそんな単純なものではなくて
やっぱり
AIの仕組みをきちんと知らなくても
この程度のことならば
たぶん真面目に読めば
理解はできるという感じはしたので
一番役に立つという言い方でいいのかな
今年読んだ中で
っていう本だと言っていいんじゃないのかな
っていうのが現段階の結論です
なるほど
はい
ということで
今回のご意見ご感想などは
お便りフォームとか
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お寄せいただければと思います
番組ではサポーターも募集しています
読書会とかもやっているので
気になる方
概要欄から詳細などご覧いただければと思います
それでは今回もお聞きいただき
ありがとうございました
ありがとうございます
01:09:44

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