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2025-04-22 1:04:31

BC112 『脳と音楽』後編

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本編で触れたグレゴリオ聖歌。「こんな感じ」というイメージが伝われば幸いです。

グレゴリオ聖歌のミサ | 1 時間の神聖な聖歌隊の音楽と賛美歌 - YouTube

面白かった本について語るPoadcast、ブックカタリスト。

今回は、『脳と音楽』の後半を語りました。そして、今回は最終的な結論として一番「人文学」っぽい観点で話を締めることが出来たんじゃないかな、と思ってます。

音楽、という言葉一つにしても、前回話したような人体の構造に関する話もあるし、音色の話(フーリエ変換)なんかはかなり数学っぽい話。

今回話したようなことは、いわゆる「音楽理論」でもあるし、西洋の音楽の「歴史」でもある。

そして終盤は、音楽とはなにかという哲学的な観点も入ってくる話。

こうやって音楽一つの話にしても、様々な観点で語れる、ということこそが音楽の面白さだし、もっと広い意味で「学ぶ」ということの面白さなんではないかな、ということを思います。

今回出てきた本はこちらで紹介しています。

📖ブックカタリストで紹介した本 - ナレッジスタック - Obsidian Publish



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サマリー

ポッドキャスト「BC112」の後編では、西洋音楽の基礎や変遷、特に調整音楽の構造について深く掘り下げています。音楽と心理学の関係を探りながら、古代の音楽と現代音楽の違いを明らかにし、リズムの役割や音階の感情的な影響についても議論しています。脳と音楽の関わりを探求し、音楽理論が後付けであることや、調整音楽とモーダルミュージックの違いについて話しています。特に、現代音楽の多様化に伴って、音楽理論が説明しきれない側面が増えてきていることが分析されています。音楽が人の心を動かす秘訣は、適度な情報量と驚きにあり、経験が豊富な人ほど複雑な音楽を好む傾向があることが示されています。また、現代音楽では従来の概念を超えた実験的アプローチが試みられ、音楽の定義や評価が問われる状況が続いています。このエピソードでは、音楽の本質やサンプリングの新しい表現方法について議論し、ジョン・ケージの作品「4分33秒」を通して音楽の意図や芸術性について考察しています。音楽と言語の境界が曖昧であり、感受性の高い聴衆がどのように音楽を捉えるかといったテーマも扱われています。また、音楽と言語の関係や音楽が伝える情報の本質について探求し、音楽が持つ未翻訳の特徴や、著者のお気に入りの名言を通じて音楽の価値と深さについての考察が展開されています。

エスノグラフィ入門の再考
面白かった本について語るポッドキャスト、ブックカタリスト。 まず今回いただいたコメント、お便りなど、いくつか紹介しようと思います。
はい、お願いします。 ジンさんから、エスノグラフィ入門を拝聴。
自分が読んだことのある本でしたが、ブックカタリストの紹介を聞くと、また再読したくなってきます。
エスノグラフィの手法は、当たり前に見落としがちな生活を捉え直すのに、とても有効そうだと改めて感じました。
自分自身の今の生活でさえも、一度エスノグラフィ的に記述してみると、当たり前の日常の中に新たな気づきがあるかもなぁと考えています。
はい。 僕の記憶が確かであれば、ジンさんが紹介してくれて、僕が勝ったような気がするんで、
フィードバックが戻ってきてますね。 フィードバックバック?
まあ良いですね。一冊本一冊でそうやって何度もやり取りができるって。 確かに。
割とすごいことな気もするし、そうやってやり取りが増えていくと良いですね。
あともう一つ。 調査者はそのフィールドに流れる時間に参与することが必要。
そして自分の仕事に惹きつけてみれる視点であり、手触りが感じれるほどに寄らないと真実に迫ってかけないのかもね。
今回も深く読み込んでいるようで羨ましくもなる。
はい。 深くは確かに読み込みましたけど、
このやっぱりその参与するっていう工夫が、どういう実感を伴って理解されるかは人によって違うと思うんですけど、
やっぱり単に観察するというよりは、その場に関わっていくことで初めて見えてくるものがあるという感じっていうのをやっぱりその本でだいぶ感じましたね。
うん。 まあやっぱりあとはあれですね。
まだ公開されてないけど、MOさんのやつとかもそうだけど、
自分に惹きつけて読めるようになると独自っぽい話ができるのかなっていう。
まあそうですね。ただそれもちょっと問題があって。
自分の仕事にしか惹きつけることしかできない場合って、テキストを読めているのかどうかという問題があるんで。
音楽と心理学の関係
結局ね、なんて言うんだろう。テキスト。
ああまあそうか。でも正しく読むという単語は正しくないような気がするんですよね。
正しいかどうかは別としても、まず著者の意図を組む読み方をしつつ、
並行して自分に惹きつけて読むこともできるっていう、
少なくとも2つの線で走った方が本の読み方としては健全かなという気はしてますけどもね。
まあそうですね。言ったら基礎ができて応用ができる方がいいみたいな感じですよね。
うん。惹きつけて読むのは、役立たせるとか自分の知的生産に役立たせるっていう意味ではもちろん大切やけど、
基礎としてテキストがテキストと読めてということの2回部分に当たるとは思いますけどね。
まあそうですね。そこは難しいというか難しいところですね。
簡単ではない。
はい。ということで、今回112回ちょっと間が空いたんですが、
ノート音楽の続きの話をしたいと思います。
はい。お願いします。
今回はですね、割と著者が言っていることの他に、ずっと自分が言いたかったことというか、
最近気がついてすごく面白くなっていることというのもたくさんあって、
独自解釈多め、独自解説多めな感じの話になるのではないかと思います。
はい。
前回まではドレミファソラシドがどうやってできたのかぐらいまでの何となくの入りぐらいまで、
音楽の人体構造と心理学的な話をまとめてきたんですが、
今までが音に対する解説だとすると、ここから音楽に対する心理学的な解説になってくるという感じになります。
はい。
まず大前提として、これも本に書いてあるわけじゃないんですけど、すごい重要なことが、
西洋音楽を話のベースにしています。
ここで話されている音楽は、かっこ西洋が隠れているということですね。
そうですね。
少なくとも日本で聞く音楽と呼ばれるものが、ほとんど全てというレベルで、
もはや西洋音楽の影響なしに語れなくなってしまっているので、
それが音楽のすべてかのように見えてしまう部分があるかもしれないんですけれども、
全然そんなことはないどころか、多分音楽の今までの量というか、
世界にある音楽の中で西洋音楽だけがかなり特殊ぐらいの認識をしておかないと、
間違った捉え方になってしまうんじゃないのかなと。
ちなみに西洋音楽というのは、ヨーロッパのあの時代から作られてきた音楽のことということですね。
そうですね。そこをまず最初になので、ちょっと簡単に話していけたらなと思うんですが、
西洋音楽という言い方をあえて最初にしたんですけども、
もうちょっと細かいことを言うとですね、
西洋音楽の中で現在構造化されて、一般的に音楽理論として認知されている音楽というものは、
調整音楽という言われ方をします。
調整するの調整。
調子がいいの調に性別の性。
調が性格を持っている音楽という言い方をすればいいのかな。
調整音楽ってすごく大雑把なことを言うと、
18世紀ぐらいからいわゆる調整音楽的なものが始まって、それが現在の音楽の超多数派になっている。
逆に言うとなんですけど、つまりそれ以前の音楽、西洋の音楽は調整音楽じゃないんですよ。
調がなかったの?調に性格がなかったの?
調がない。
調という概念がなかった。
そうですね。もしよかったら一回チャットでURLを送るので、
ぜひこれを数十秒ぐらい聴いていただければと思うんですけど、
西洋の歴史に残っている中で一番古い音楽というのがグレゴリオ聖歌と呼ばれるもの。
すごいな、もう生俗性魔法があっという間になった。
どういう表現をしたらいいんだろう。めっちゃかっこいい音楽で、
いわゆる西洋の音楽はこういう感じのものから始まっているんですよね。
これはぜひ他のPodcastを聴かれている方もタイミングがあったら聴いていただけるとわかりやすいんじゃないかなと思うんですけど、
これって例えばなんですけど、雰囲気ずっと変わらないですよね、曲の。
どこから始まっても何なら変な感じしないじゃないですか。
確かに。
さらに終わった感みたいなものもほとんどない。
つまりどこかで盛り上がって回収して終わりに向かうような流れみたいなのがないってことか。
逆に言うと、そこが大雑把な西洋調整音楽というのは、それがあるものなんですよ。
なるほどなるほど。だからある種の音楽的構造があるかないかということ。
古代音楽と現代音楽の比較
そうですね。言い方を、いろんな表現の仕方があるんですけれども、
この本の著者は音階のキャラクターで心を動かす仕組みだという言い方をしている。
音階っていうものに何かしらの機能、ファンクションみたいなのがあって、
それを聴いた人の心をある方向とかにどんどん上げたりとか下げたりとかして揺さぶっていくみたいな役割を担っているもの。
逆に言うと、さっきのグレゴリオ聖歌って、そういうキャラクターみたいなものは基本的にないんですよね。
そういう、ある種のストーリーラインというのがないってことですね。
例えば、我々が馴染みがある音楽で言うと、盆踊りと歌楽だと思うんですけど、
それをイメージしていただくと、それもないですよね。
歌楽は確かにないね。歌楽はどっちかというと、さっき聴いた聖歌に使われるような、同じもの。
そう。フィーってずっと鳴っているだけで、特に盛り上がりはないし、盆踊りもドンドンドン、タカタッタッってやっているだけで、
曲論はリズムしかないぐらいだし。
テンションがずっと一緒ってことか。
そう。いわゆる音楽がイントロがあって、Aメロ、Bメロ、サビ。
これって、いわゆる音楽みたいなものを聴いていると当たり前なように感じてしまっているんだけれども、
それは要するに、調整音楽の枠にはまった音楽であって、そうじゃない音楽もめっちゃいっぱいあるし、
結構そこを意識して聴いてみると、案外まずそこで音楽の見え方が広がってくるのではないかなと。
うーん、そうか。だから僕らが一般的に考えているストーリーラインを持った音楽っていうのは、
音楽の全体のフィールドのある特殊な一部でしかないという捉え方か。
そうですね。大雑把な歴史を言うと、例えばさっきのグレゴリオ聖歌っていうのが、
オクターブとユニゾン、同じ音を基本的に和音でハモるということをしていなかった。
ああ、なるほど。
あれ、たくさんの人が歌っているけど、基本的にみんな同じ音しか歌っていなくて、
そのハモりと言われるものがないんですよね。
で、もうちょっと時間が経ってくると、4度と5度の音、ドからミタファとドからミタソっていう音を重ねて、
ハモる的な歌い方が新しく生まれてくる。
それ、本に書いたことがしないけど、その歌い方が生まれてきたのと、
例えば楽譜の歴史みたいなのが重なっていたりするんですかね。
えっとね、ちょっとパッと思い出…本には少なくとも書いてなくて、パッと思い出せないんですけど、
楽譜はもうちょっと後だったと思います。
先にハモるが先にあったということなんですね、その場合。
そうですね。その頃も面白いのが、まだ4度と5度っていうのが、
割と主力のハモリ音で。
あ、3度じゃなくて。
そうそうそう、そういうことなんですよ。
実は最初期に3度って、
現代の音楽ちょっと学ぶと、CのメジャーとCのマイナーって、
3度が半音高いか低いかで、曲の雰囲気めっちゃ変わるよって言われているやつなんですけど、
実はそれは結構後から生まれてきたもので、
当初は3度の響きすらも気持ち悪かった。
あ、なるほど。
で、さっき言った音楽が響きが気持ちいいとか気持ちよくないっていうのが、
なんで決まるかっていうのは大雑把に前回も言ってるんですけど、
それぞれの音の周波数の比率が何対何になっているか。
で、ドから見た素は3対2の比率になっているから、
ドレミファソラシドの半音、12音階の中で一番違和感がない、
一番きれいに調和するのがドと素なんですよね。
で、同じく比率で言うと次に調和するのが、
確か4対3だったと思うんですけど、
ドとファがハモってくる。
で、ミの音っていうのは実は案外言い方によって濁る音で、
そこまでめちゃくちゃきれいに響く音ではなかったんですよね。
で、ただ結局音楽はさっき言ったように心理学であり、
さらに文化であり、農家学的なものであって、
経験値によってだんだん聴けるものの範囲が広がっていくもの。
味覚とかも結構似てるんじゃないかと思うんですけど、
ずっとそういうことをしていると、
当初はちょっと気持ち悪いかなぐらいだったやつが、
ちょっとこの気持ち悪い感じがいい感じだよねっていう、
大人になってビールが好きになると結構似ている感覚だと思うんですけど。
思うんですけど、例えば四角で言うと黄金比ってあるじゃないですか。
で、黄金比は大体文化的にも等しいような気がするんですけど、
音はどっちかというと味覚の方に近いという感じなのかな?
おそらく結局音波が、何て言うんだろう。
脳と音楽の関係
その度と素っていうのは、2の周波数の音と3の周波数の音が、
その揺らぎがどのぐらい揺らいでいるかというのを、
脳をそれが快と感じるか不快と感じるか。
なるほどね。確かに。
なので結局経験でかなり分かれてくる。
黄金比はどっちかというとあれですよね。サイエンスですよね。
自然界でこういうものが都合が良かった。
に対してやはり音は心理学の方になるので。
解釈とかの方の割合が大きい。
そうです。この後も話そうと思っている話で言うと、
音のテンポって極論得点より速い曲なんてないし、
ある速度より遅い曲なんてないですよね。
これも脳の反応速度によってやはり決まってくる。
なるほど。
という感じで、だんだんだんだん気持ち悪い音が
オッケーになってきて、いわゆる西洋で大体オッケーになった
というのが、まず3和音、さっき言ったドミソが
みんなのよくあるコード調整の元になる
というのが決まってきたのが18世紀ぐらい。
めっちゃ大雑把なことを言うと、
ここからこの時の感覚が音楽理論として現在
体系化されていると言えばいいのかな。
西洋以外の音楽理論っていうのは他にもあるんじゃないかな。
そこが面白いところで、自分が一番言いたいところなんですけど、
音楽理論って、なので全ては後付けなんですよ。
なるほど。
音楽理論があって音楽があるのではなくて、
音楽というものが存在していて、こうするとかっこいいよね、
こうしたらなんか気持ち悪いよね、これはやめといたほうがいいよね、
モーダルミュージックと調整音楽
こっからこうの時はいいけど、
こっちからこうはやっぱあんまかっこよくないよねっていうのを
後付けで無理やりルールとして言語化したもの。
それがあくまでも音楽理論であって、なので
理論的に正しいとか正しくないという言葉がそもそも間違っているんですよ。
なるほどね。
面白いなと思うのが、これ言語ともめちゃくちゃ似ていると思っていて、
言語学って後付けじゃないですか。
先に言葉が。
人間が喋っていてこれを体系的に説明しようとすると、
なんとなくこういうふうに説明したらいい感じに説明ができたよねっていう言い方をするんだけれども、
日本語でも今でも有名な、うまく説明できない話とかっていうので、
多分ご存知じゃないかと思うんですけど、象は鼻が長い。
これ主語は何なんやっていう問題とか、
みんなでご飯食べに行った時に、
何する何する。
俺はカツ丼弁当で何とかかんとかで、僕はうなぎだって言ったら意味が通じるんですけど、
僕はうなぎだって、アイアムうなぎですよね。
文法としては破綻しているんだけれども、
言語としては成立していて、
結局音楽理論というのがすべて後付けのものであって、
あらゆる音楽をこれで体系立てて説明できているかというと、
特に現代音楽が多様化しすぎてしまったせいで、
もはや音楽理論が成立しない音楽というものが西洋音楽の影響を受けつつ、
同時に音楽理論としては成り立たない音楽というのがすごく当たり前になっている。
健全な発展に聞こえるね。
健全というか非常に興味深くて面白い。
だから理論書を読んでもマジでわからないんですよ。
なるほど。
説明できていないから、結局これも言語と一緒じゃないかと思うんですけど。
文法書を読んでも喋れるようにならないっていうことね。
文法書を読んでも文法で説明できない。
ヤッホーとかっていきなり挨拶で言うじゃないですか。
おかしいじゃないですか。文法的には。
でもヤッホーっていうのが挨拶である文化はあるし、
文化によってやっぱ音楽というものも結局そのジャンルの文法みたいなものは、
あくまで音楽が先にあって、そこに合わせて後付けで、
なんとか西洋理論で説明しようとするんだけど、やっぱ無理ってなってしまうっていう。
特に一番有名なというかわかりやすい話で言うと、
たぶん以前アフタートークでも話してたと思うんですけど、
今の音楽、特にロックとかもいわゆる調整音楽ではないんですよね。
無理矢理コードを付けることできなくはないんだけど、
ロックとかはどっちかっていうとモーダルミュージックと言われるもので、
英語で言うと調整音楽、トーナルミュージック、
モードミュージックはなんて言うんだろう日本語そういえばわからないんですけど。
わからない。
1個のキーだけがあって、そのキーの中でちょっとだけ雰囲気を変えて音楽1曲にしてしまおうみたいなやり方というのが
そのモーダルミュージックと言われるもので、
実はこれ最初さっき言ったねグレゴリオ聖歌と一緒で、
ああ確かに。
主音というものは存在してるんだけど、コードみたいなやつが全然主役じゃなくて、
これを実際に演奏してみようとするとどうなるかというとですね、
例えばアコースティックギターでロックミュージックを弾き語りしても多くの曲はかっこよくない。
特に一番古い頃の、例えばディープパープルのスモークオンザウォーターをリフを弾けばかっこいいと思うんですけど、
あれ楽譜とかを買うとコードとか書いてあったりするんですよね。
DGDGとかって言って。
でもDGDGってやっても全く全くかっこよくないんですよ。
ああいう音楽というのは結局もはや調整音楽では成立しないような、
始まった感じとか終わった感じとか実はよく考えてみるとなくて、
ずっとあのリフだけでちょっとあのリフの雰囲気を変えるだけみたいな感じで音楽が成立してしまっていて、
かっこよく弾こうと思ってもコードでかっこよく弾けない曲っていうのもいっぱいもはや存在してきているし、
さらに言うと全ての音楽のルーツと、全ては言い過ぎか、
現代の音楽の多くのルーツとなったと言われるブルースっていうのが、
さっき言ったその調整音楽のルールをガン無視しているんですよ。
現代音楽の発展と理論
調整音楽って一番の大きな話っていうのは、まず安定した音がから始まります。
途中でちょっと不安定な感じになったり、だいぶ不安定な感じになって、
安定した感じになって、いい感じに終わったっていうのが大雑把な曲の流れなんですよね。
これもあえて雑な言い方をするんですけど、セブンスコードと言われるコードが一番不安定な感じなんですよ。
普通はまず、例えばメジャーのコードから始まって、いろいろあってセブンスコードに行った後にメジャーに戻るっていうのが、
その調整音楽の大原則なんですけど、ブルースは大雑把なことを言うと、ずっとセブンスしか弾いていない。
でも現代の我々は、本来は調整音楽の時代はずっとセブンスを弾いているということはずっと不安定で気持ち悪いんですよ。
でも、もはや現代人がずっとセブンスの曲を聴いて、これが終わらんくって気持ち悪いみたいに感じる人は、たぶんゼロと言っていいぐらいほとんどいない。
そのぐらいもはや音楽理論というものが、この100年200年で積み上げられてきた音楽の仕組みというのが、
この何十年で音楽の方が発展しすぎてしまって、理論が説明しきれなくなってしまっている。
っていうのが面白い話で、ロックの人たちは大体、俺たちには理論なんて必要ねえぜって言うじゃないですか。
これはつまり、まさに本当にそうで。理論を学んでもロックの文法は学べないんですよね。
理論ではダメって言われることをやっているのがかっこいいのがロックミュージックなわけであって、
そりゃあみんな理論なんて必要ねえぜって言うわっていうのも、ちょっとそっちからの理論からの観点でも納得ができる。
ちなみに、長吾の役割を使わない同じものを流し続けるっていうので、
パッとアンビエンドっていう音楽ジャンルを思い浮かべたんやけど、あれも一緒かな。
おっしゃる通りです。ほとんどの、いわゆる今の電子音楽は多分全部そういうモード、モーダルなものです。
それはやっぱり音楽っていうものが文化の中において果たす役割が変わってきているということなのかな。
ストーリーとして回収するっていうある種物語の代替とか、あるいはオペラで後ろに流れるみたいなものから、
もっとアンビエンドみたいな環境音楽に音楽っていうものの位置づけが動いてきているのかなとちょっと思ったんやけどね。
あれかな、なんか多様な方向に広がってきていて、
多分ね、調整音楽というものがやっぱ一番多くの物語が好きな人類にとって、
おそらく最も馴染み深いもので落ち着く音楽ではあるんじゃないかと思います。
なんだけど、人類がみんなそんなもんだけで満足するわけではなくて、
その満足の仕方が人によってかなり異なるようになってきているのかなっていう。
だからそういう意味で言うと、やはりこれも大きな物語は終わったっていう解釈もできるのかもしれない。音楽というものが。
そういう感じを受けたね。要するに非常に単純なストーリーラインから脱構築した音楽方向に向かって今開かれているというような流れを受けたね、今。
特にテクノとかダンス系のミュージックなんかで言うと、やっぱテンションずっと上げっぱですからね。
そうやね、確かに。
うん。で、結構テクノとかってそれで言うと、いわゆる気持ち悪い音使いとかを案外していたりもしていて、フリジアンとかがわりと好まれたりとかするのかな。
フリジアンはファソラシドレミファとかロクリアンっていうシドレミファソラシーとか、そういう変な音使いとかっていうのが好まれていて、
楽譜にするとね、フラットとかシャープとかがいっぱいついてればついてるほどね、なんかこう、いわゆる変わった感じ。
あ、違う、それもキーの話だった。ちょっとごちゃになってきたからやめましょう。
はい、わかりました。
まあ何にしても、その結構気持ち悪いと言われるものも、もはや現代人はほとんどもうね気持ち悪いと感じなくなってしまっていて、
理論だけではない、むしろ理論なんて、確かに英語でも文法を学んどいた方がやっぱ分かりやすいことはめちゃくちゃありますよね。
ただ同時にフレーズを暗記することをしないと使えるものにはならない。
で音楽の場合は、なぜか才能ある人はやっぱね、結局文法なんて知らなくてもできてしまうというのかな。
ただ逆に言えば、例えば俺とか、いわゆるそういう才能は足りなかったので、
勉強からアプローチして、その上で勉強だけでは、文法では説明できないことがあるっていう理解の仕方をすると、ちょっと通用するようになるのかなと。
賢い人たちが何百年もかけて積み上げてきて、これはかっこいいとかこれはかっこよくないとか、ベタで定番なものを散々まとめてくれているわけだから、
凡人が学ぶにはどう考えても近道なんですよね。やっぱり結局こうやって言ってるけど。
まあそうですね、センスだけではショートカットできないものを理論がショートカットさせてくれるわけだからね。
音楽と脳の関係
そうそう、脱構築するためのショートカットルートが音楽理論だっていう言い方でもあるのかな。
そういう意味では、やっぱり自分の場合はそういう理論を一切否定するつもりはなくて、理論を学んどいた方がいいことは多いよというのは、これは自分の意見ではあります。
結局音楽って何がどうなんというと、これはさっき言った調整音楽の話にかなり寄った話ではあるんですけど、
著者が言う音楽は何で人の心を動かすのか、何で感動するのかというと、適度な情報量があって適度な驚きがあることが音楽で感動させる秘訣であると。
重要なのがこの適度という言葉で、さっき言った例えばドレミファソラシドを基本的に外さないようにするぐらいの適度な情報量なら脳は理解ができるんですけど、
これドから全部の半音使っていいドドシャープレレシャープミミシャープっていう音を全部使ったりすると、やっぱり情報量が多すぎて人間は処理しきれないんですよね。
あと普通だったら例えばドからいきなり高い2オクターブ上のソに飛ぶみたいなことはあまり起こらないんですけど、そういうのもあまり起こらないことがずっと起こっていれば、それもやっぱり情報量が多すぎるし驚きが大きすぎて人類は反応ができない。
これはもう文化とか芸術全てに言えることじゃないかと思うんですけど、前のやつをちょっとだけ変えるぐらいがやっぱり秘訣なんですよね。売れるための。これは本を書く場合とかでも同じなんだろうなと思っていて。
例えばアトミックシンキングを20年前に出しても全くもって誰にも反応されなかっただろうなとは思うし、今まで人類全体の文化の積み重ねがあった上で予測がちょっと裏切られるぐらいっていうのが、人がかっこいい音楽だって思うための秘訣でもある。
なので経験値が多い人になればなるほど、基本的には複雑な音楽を好む傾向があるのかなとも言えるし。ただジャズなんかは複雑になりすぎてしまって、素人がもはや気持ち悪くて何やってるのかわからんみたいな言い方をできるようにもなってしまっているし。
そういう電子アンビエントだったりテクノだったりなんていうのは逆に情報量の観点でいうとどっちかというとむしろ減少方向に向かっていて、あれは音色とかそっち関係がやっぱどういう、今までとは違う情報量とか驚きの与え方になっているというのか。
なんならアンビエントとか驚きを極限まで減らそうですからね。ちょっとずつしか減らないからずっと同じとはまた違う楽しさがある。
だいたい人間の脳というのがずっと同じことを繰り返していることに変化が起こると0.2秒ぐらいで変わったっていうことに脳が検知するらしいです。
0.2秒ってどのぐらいの速さなのっていうとBPM60の曲だと16分音符1個が0.25秒ぐらい。というので著者が言うには非常に素早く反応できているみたいな言い方をしていて。
自分はちょっとここは不満に感じるというか、そんなことないんじゃないかぐらいに思ったりしたんですけど。だいたい音楽1分間に120BPMぐらいのテンポっていうのがよくある音楽のよくあるテンポの基準ぐらいじゃないかと思うんですけど。
その計算でいうと8分音符1個分ぐらいで人間は次の変化に反応できるというのかな。
だとするとやっぱりそこに例えば音楽の秘訣というかかっこよく聴かせる秘密みたいなのはそういうところにもあるんじゃないかなと思っていて。
ジャズなんかを勉強しているとコードが変わる半拍前に先のコードを弾くのがかっこいいと言われているんですよね。
これさっきの話を言うと意外とちゃんと繋がっていて、120BPMってジャズだと遅いことは多いんですけど、8分音符1個分ぐらい先のことを先に弾いておいて、その後次のコードが入ってきて、
そこでさっきもコードが変わっていたんだって認知できているみたいな感覚というのがジャズでいうおしゃれで先取っていて前に前に進んでいく感覚でかっこいいみたいなことがあったりするし、
こういう反応の速さというのもおそらく我々が音楽的にかっこいいと感じる仕組みと脳の構造というのはきっと大いに繋がっている。
現代音楽の挑戦
だから0.2秒という秒、会話の科学で出てきた応答するのが0.2秒じゃなかったかなと。
確かそんなもんでした。
だからそういう応答の感覚がこれぐらいということですね。
そうですね、電音が反応できるのが0.2秒ぐらいなんでしょうね。
だから超速弾きとかは脳が認知できないんですよね。
なるほど。
そこはね、やっぱそうだよなって思った。ギター界のすごく速い人たちはその数倍の速度で弾けたりするけど。
あのかっこよさはアスリート的なかっこよさっていうのか、みたいなことはすごく思うけど、音楽的には人間の認知の限界はおそらく超えているんだろうなっていう。
だからレティーナディスプレイよりも綺麗でも人間はわからないっていうのと一緒にね。
うん、に近いんじゃないかな。
でもあれですね、リフレッシュレート120はまだ反応できるからね、人間それでいうと。
それでいうと、検知っていうのと認知っていうのはまたちょっと違うのかもしれないですね。
なるほど。
120Hzが60Hzが120Hzになると、スクロールした時にやっぱり明らかに書く角度が変わるのはわかるので。
なるほど。
そうだとすると、やっぱ速弾きとかも120Hzぐらいまでなら違いはわかるってことでしょうね。
耳が慣れたらできるかもしれないね、そういうのはね。
うん。1秒間に120はちょっと人間には無理だろうと思うけど。
まあはい、ここら辺までがいわゆる結局、西洋の音楽、今までのいわゆる俺たちがよく聞く音楽ってなんだっていうイメージの話かな。
音楽の定義と目的
で、あと最後にそのまとめに入っていく段階にあたって、いわゆるね、現代音楽というものにも著者はちゃんと触れていて。
やっぱね、絵画とかでも同じなんですけど、現代の最先端のものってね、素人からしたら何やってるか意味わからんやつなんですよね。
ま、つまり前衛芸術っぽく聞こえてくる。
そうですね、やっぱり前衛という言葉になってしまって、少なくとも大衆が娯楽として楽しむには非常に困難なものになってしまうし。
それはおそらく美術もやっぱ同じ方向に向いていて、どちらもそういう解説書みたいなものを見ればいろいろ出てくるんじゃないかと思うんですけど、
音楽もやっぱそういう方向が存在しているというのか。
で、なんでそういうものがあるのかとか、それは果たしてどんなものかっていうのもある程度、著者がまとめてくれていて。
まずね、大雑把な音楽の歴史で言うと、クラシックとかは聞いたことある方があるかもしれないんですけど、基本的にクラシックというのは誰かがやったことをもう一回やったらあかんのですよね。
うん、なるほど。
常にみんながやってなかった新しいことを目指さないと、価値がないって言い方がいいのかわからないんだけれども、その評価がされがたい。
そうするとですね、音楽がやろうとしていた方向というのは、情報量を極限まで最大化していこうと。
そういう方向をだんだん進めていくようになってしまって。
例えば音の密度を高めるとかそういうことに進むわけね。
うん、そこで例えば有名になったものというのが、シェーン・ベルクさんと言われる人が無調音楽というものを作り始めました。
はい、調がない。
さっき言った調整音楽の真逆な感じ。
ただし、いわゆるロックとかそういうシンプルな音使いだけで曲を作るんじゃなくて、めっちゃたくさんの音階を使って、始まった感じも終わった感じもないよくわからん音楽を作ろうとし始める。
普通はドレミファソラシドをしか使わないのに、イメージですけど、レのシャープも使うしソのシャープも使うしラのシャープも使って、それらを全部組み合わせて音楽にしてみようぜみたいなことをし始めるみたいなイメージかな。
そういうことをやっていくとですね、まずそこでやろうとしたことがだいぶ行き着くところまで、音をたくさん使おうの限界はここに来てしまった。
じゃあ次何しようって考えると、そこからがいわゆる有名なジョン・ケージとかジョルジュ・リゲティと言われる人の変な音楽になってくるんですけども。
例えばこれもね、もし時間があったらっていう感じで調べていただくと面白いんですけど、ジョン・ケージの有名な曲でウォーターワークというのがあります。
なんかね、楽器としてはトライアングルぐらいはあったかな。あとはですね浴槽とか、鼻とか、浴槽になんかドボンって音してトライアングルを鳴らしてとか、
なんかそういうことを超大真面目にやる音楽みたいなのを作って世間からですね、これ何なんだって言われ、ジョン・ケージは音楽とは音を出すことであり、私は音を出しているのだからこれは音楽であるみたいな話が始まったとか。
あとジョルジュ・リゲティさんはですね、ポエム・サンフォニックという曲があって、どういう曲かというとですね、メトロノーム100台のネジを巻いてカチカチカチカチ鳴らします。
そうするとネジ、個体に誤差があるので、だんだん聞いてるとちょっとずつちょっとずつメトロノームが止まっていって最初はめちゃめちゃカチカチカチカチでうるさかったやつが謎の調和を持ってリズミカルになって終わるっていう曲。
それはまた舞台とか劇場で演奏されていたのかロックアウトなのか。
ロックオンなのか えっと基本的にですねこの手のクラシックって演奏機会はめちゃくちゃ少ないらしいんですけど
演奏されてるらしいです 確かリゲティーの曲もジョンケージの曲もクッソ不評だったはずです
それはお金払って劇場行ってそれ聞かされたらたまたまではない 確かどっちも超不評だったと思うそのあたりはちょっとあの各自興味がある方調べてみて
はい まあででもあの変な話なんですけど
えっとこういうここまで曲論を突き詰めてみるとあの 普通の音楽が聞きたいって言われるらしいんですよね
でもあのまあこれ哲学な考え方だと思うんですけど じゃあ普通の音楽って何なんと
普通っていうことがわからんかったら音楽なんてその定義できないじゃん じゃあジョンケージの音楽リゲティーの音楽と普通の音楽は何が違うんだろう
でこれをまあ少しずつ考えてみようっていうところで まあ著者がまず言える代表的なところで言うとまず本来は楽器じゃないものが使われている
よねってこの2つどっちも その浴槽に何かな放り投げるとかメトロノームはえっと音楽を練習するためのもので
あって楽器ではない でもう一つ変なことっていうのが
さっき言ったあの白とか 旋律メロディですねとかは音たくさんの音が同時になるっていうのが存在していない
じゃあこんなものを音楽と言っていいのかと言うんですけれども えっと著者が言うにはやっぱりねこれはその作曲の目的が違う
えっと音楽の定義は後でもう一回改めてまとめようと思うんですけど あの
音を使って人の心を動かそうと考えている その観点ではさっき言った8風呂場に何か
花瓶を落とすようなものとかメトロノームを鳴らすっていうのは どっちみんな意図は同じなんだけれども
これらはやっぱ目的を達成しようとする時のあの 実験的な意図がどうしても悪目立ちしてしまっている
音楽の本質と表現
はいはいはい確かであの結局さっき言ったウォーターウォークの話で言うと ちゃんとですねあの子供の落書きみたいなやつなんですけど
楽譜あるんですよまんまでしょうねきっとねちゃんと構成も考えられているんですよ さらに言うとこれも音楽の重要なことなんですけど
繰り返しがありつつ繰り返しがちょっとずつ変化してるんですよね これは音楽の本質を言っていいんじゃないって
うん確かに言えそうでもう一つさっきの100台のメトロノームの話にしても えっと毎回演奏は変わります
でもあのまあ今の音楽では少ないかもしれないけど毎回演奏が変わることなんておかしな ことじゃないですよね
まあジャズなんか特にそうですよねうんでさらにあのちゃんと考え尽くされて その計算され尽くされて作られた偶然なんですよね
だから完全にカオスのランダムではないということでねそうねら狙って作ったもので 音楽を使って人の心を動かそうという意図を持って作られているという意味では
全部同じであると なるほどで例えばじゃあ雨の音
あれって音楽的な感じになんていうのは感受性が高い人はなんか雨が奏でる音楽が みたいな言い方をしますよね
そうですねでこれを音楽としていいのかっていうと 著者は違うんじゃないのか作曲者の意図がないよねああそうですねあのさすがですね
あの著者が言うやはり音楽というものは 演者がいて聞き手があってで音を介して意図を持って伝わるものが
音楽だと言えるのじゃないか 広い意味でいうとコミュニケーションかそこで何かしら行われているわけだね
そうですねなので雨の音が聞こえてくるは音楽にはならないんだけれども 例えばいろんな雨の音をサンプリングして
糸を持って雨の音を聞かせてあげればそれは音楽と言えるのではないか なるほどっていうのが著者の考え方ででこういうふうに言ったやっぱり
いろんな音楽の面白さが隠れている気がして 思考実験やけどじゃあ例えばジェミニーとかチャット gpt に何か適当に音楽作ってって言って
作られたそれは音楽なのかなでも音楽として作られてるから音楽 演者があのそれはまだわかんないことなんですけどジェミニーが
えっと演者だと言えるのかどうかそうな確かに あと糸を持っていると言えるのかどうか
糸が持ってるように聞こえたとしたら音楽と言う我々は音楽だと認識するになるん じゃないかなそれで言うと
確かにでやっぱこれサンプリングなんていうのもやっこ実は現代だからできるよう になった非常に新しい音楽の表現の仕方だっていうふうに著者はいっていて
ヒップホップとかだと今なんか当たり前にサンプリングとか使われてるんですけど やっぱこういう実はだからランダムというのはなんていうんだろう
糸があるランダムであれば著者は音楽であると考えている なるでえっとこういうサンプリングなんかもね有名なところで言うとビートルズが
あのリボルバーだったかなレボリューション9っていうので初めて いわゆるサンプリングを使ったみたいに言われていたりもするし
あの面白いのがですねえっとハイドンとかモーツァルトの時代 あの頃もそのねサイコロミュージックみたいなちょっと名前は適当につけられたものなんです
けどそういうものが本当に存在していたみたいで えっとね2小節ぐらいの楽譜というのが例えば1番から100番まで貼ってあって
適当な順番で並べて演奏してみましょうっていう遊び そんなことっていうのもあの結構昔から
存在していたりしてまあこれって古代のサンプリングとも言えるし 確かにここだあのやっぱ人間がえっとまぁ西洋の文脈だけなのかもしれないけど
やっぱ音楽でやろうとしていたことが現代のテクノロジーできるようになったことは 結構いっぱいあるんじゃないのか
ビートルズの時代のサンプリングってあのテープに録音して テープで再生する場所探してそこを再生するみたいな
死ぬほどのことをやっていたらしいですからね 今だとそのコンピューターを使えば何て言うんだろう
ちょっとここってやってあげればボタンを押せば一発で出てくるみたいになってきたし そういう観点で見るとやっぱもう1個言えるのがあの
クリエイターが何て言うんだろうの糸さえあれば そのための修練とかも少なくて済むし
表現できることというものの幅もめちゃくちゃ広くなっていて まあやっぱりこのコンピューターの時代になってついに音楽はなんかみんなが作るとか
演奏するという観点でも楽しめるようになってきたんじゃないのかなーっていうのは 自分は結構思っています
まあ著者の中でやっぱりその人間の意図の生むっていうかまあその音楽性のつながる ということですけどね
さっきのでそのジェミニーの利用とかも例えば悲しい音楽を作りたいんです ゆっくり目の店舗でって言ってジェミニー指示して出てきたものに対してこっちがフィードバックして
完成していくようなものは多分それは音楽として認められるってこと おそらくあのもう音楽って言っていいんじゃないかなぁと思うしそうだとするとやっぱ
もう誰でも音楽作れて楽しいですよね 確かにうん
ジョン・ケージの意図
厚いダウとかでもやっぱそういうねジェネレーティブなものとかあとランダムなものとかって 結構当たり前にできていてそれにアンビエントとかって割とそういう路線で作られている曲なんかも
あったりして そのアルペジオである行動を鳴らすんだけど次のどの音かっていうのは乱数でランス
あー発生させた上でえっとまぁ イメージできるじゃないですか乱数で出てきたのがずれてたら近い方の音に合わせればいいんです
よね 変換してやるっていうことをやってあげて次に何秒後に変化するみたいなやつも乱数で
作ることができるし そうすると例えばあの cd と違ってなんていうのコンピューターに再生されれば無限に変化する
音楽とかも 理論上は作ることができるでその中からそのあるワンシーンだけを切り取ってあげるとめっちゃ
かっこいいとかそのどういう意図をそこに込めるのか とかもまあいろんな楽しみ方がありますよねっていう
でえっとまぁこの変な音楽の最終極めつけ最強ミュージック 4分33秒
まあそれねえっと簡単に説明するとジョンケージさんが作った 現代音楽おそらく最高峰
そうでしょうねですよねえっと指揮者が立ち上がっ 指揮棒を持って立ってえっと4分33秒間
全く何の音も鳴らずに4分33秒経ったらその曲はおしまい まあ前衛の極めりゃ何言ってんだこれはっていうのを極めたような曲なんですけど
はいえっとねこれもやっぱちゃんと意図があるらしくって 8
なぜ生まれたのか テクノロジーのおかげで生まれた曲だと言えると思います
ほうなるほどジョンケージさんが 無教室と言われる一切音が響かない場所
はいというものを体験してそこ入ったら 普通やっぱ何も音がない世界ってなんなんやろうって思うじゃないですか
でそこを体験してみるとですねなんと音がないと思ったら あったんだとはいで何の音が聞こえたかっていうと一つがあの血液が自分の
体内を巡る音が聞こえた なるほどでもう一つが神経系のその勝手な活動で耳鳴りのような高音みたいなもの
が聞こえてしまった でこの体験を通じてあのジョンケージさんは完全な無音というのはその人が生物にある限り
不可能なものであるということに気がついて 84分33秒という曲に
込められた糸というものは8環境を全く 0の音にして
そこから聞こえる曲音について耳を澄ませてみましょうという 糸を持った音楽である
無音を作り出すことによって逆接的に音を介して聴衆の心を動かすことを目的としている メロディーも楽器も一切使ってないけどジョンケージの糸はそこにある
音楽と言語の境界
なのでまぁあのこれが楽しめるかどうかと言ったら まあ全く持って楽しめないと思うんですけど
その芸術としてはそういう価値があって まあでもケージが意図しているように真剣にその音つまりそこにそのバーとか自分の体の音
とかを聞こうとしたらやっぱり耳の質感というのは変わってくるでしょうねおそらく うーん
そうでねあのめちゃくちゃ難しいことにそれを体験することはやっぱりめちゃくちゃ難しい と思いますよね
4分33秒とかね youtube でいっぱいあるんですけど なんかねあの咳の音とかが何回も響いてたりとかね
そのちょっと人が歩く音が聞こえてくるとかね まああの考えようによってはそこすらもという言い方もできるかもしれないけど
なおさらそういうことだと思うねうんそのまあそうやって楽しむんだったら人生で1回 ぐらいはあの真剣に4分33秒を体験してみるのも悪くないのかもしれない
またやっぱりそういう意味でいい 芸術性が非常に高いよねそういう娯楽性よりは芸術性が高い作
そうですねだからやっぱ娯楽として楽しみにこれを毎日聞くかって言ったらまあ絶対と いうレベルでありえんし
確かにでかあのまあでもかっこよさというものがそこにあるんだってわかれば なんか1回ぐらいは聞いてみてもいいかもしれないと思えるかもしれない
確かそういう点ではやはりそのやっぱ価値がないと切り捨ててしまうのは短絡的 なので
まあこれだけ評価されている多分 ということはやっぱりそういう理由があるんだなぁと
でしょうねはいでえっとまぁ最後まとめ的なものなんですけど えっと結局さっき音楽は言葉のようなものだっていう言い方をしていたんですけど
これまた哲学で難しい話なんですが音楽と言語は何が違うんだろうか問題 なるほどまあこれもあの基本的な著者がこう考えているというもので唯一絶対の
正解なんてものが出せるものではないとは思うんですけれども さっき言った音楽の定義だとですね
えっと実は言葉は音楽になってしまうんですよね でしょうね演者が聞き手に対して音を介して意図を持って伝わるのが音楽だというので
あれば言葉は音楽であるという言い方ができてしまう そうだするとやっぱちょっと定義が曖昧で足りていないのかな
ということにもなってしまうでじゃあもうちょっと考えてみようという感じで まあどっちもその
さっき言った人から人へ音で心が動かすという観点にしてしまうと同じだし どっちも統合的な仕組みが存在している
一音一音だけでは意味を持たなくても人塊になると意味を持ってくる でまず一つ著者が考えた音楽と言語のちょっと境界は曖昧なんですけれども違い
みたいなところで言うと 8言語の方が解釈の幅が狭いはず
曖昧なところが少ない逆に音楽は解釈の幅がもう少し広くって曖昧なことが多い というのがまず一つのあの音楽と言語の違いなのではないか
例えばある文章を読んで これは何のことを示していますかっていうと
8言語で帰ってくる答えはかなり限定されるはずですよね そうですね対してある音楽を聞いてこれは何を意味していると思いますかっていう
と多分相当幅広い 解釈のされ方をするはずとはいえ解釈が絶対その音楽だと答えが限定される
かというとえっとこっちとこっちだったらどれが近いみたいな言い方をされれば 音楽でもある程度解釈を
人類共通の解釈みたいなものはあるのかもしれない でさらにもうちょっと掘り下げるとあの映画とかオペラの演出なんかではそういう音楽でキャラクター
音楽と言語の結びつき
を表現するみたいなことも演出として使われていたりして まあ有名な奴だとあの上手のサメの音楽
あの音楽というものが音楽なんだけれどもかなり言語的な働きをしている ダースベーダーが出てくるシーンというのもダースベーダーがいなくても
あの音楽が流れてしまえばそこにダースベーダーがいる まあ記号性があるというそういう意味でまぁやっぱこれだけの説明だけではやっぱまだ
ちょっと足りないっぽいぞ っていうふうにも言えて
まあえっと結局さらに言うと音声言語言語自体にも実は文字情報と文字ではない 情報というものがやっぱり方含まれているよねと
書き言葉では失われているかもしれないんだけどある文章の語尾を挙げてあげれば それは質問だと普通の人は普通の人はというかまあ脳の構造的になのかな
そう解釈するし大丈夫かって言った時に あの死にそうになってた大丈夫ですっていうのと元気に大丈夫ですっていうので
8大丈夫なようかどうかというものはちゃんと伝わりますよねと であの隣の部屋で喧嘩してたら内容がわからんくっても
あれ喧嘩してるっぽいなっていうのは我々は想像できてしまう そうするとまた困ったことにやっぱり言語と音楽の幅がぐちゃぐちゃになってきてしまった
でさらに言うと8これ別の話でそういえば出てきたんですキング牧師の愛幅ドリーム っていう
私には夢があるあの演説有名な演説 あれを聞いてみるとですねえっとやっぱ音楽的なものがものすごく多分にあって
喋っていることは演説なんだけれども なんかいい音楽を聞いた時のような気分の良さ力量リズムその
音域みたいなものがあると思うんですけれども 結局やっぱね音楽をというかし言葉をどんどん極端にしていくと音楽になっていって
しまうんじゃないのか でそれを踏まえて著者が考えたやっぱ音楽とは
何なのかというとえっと音で伝わる情報のうちの 文字で表せないものというのを音楽と言っていいのではないのか
そうすると普通の僕らの言葉会話にも音楽性が含まれていると そうですねえっと100%音楽ではないけれど我々の会話にはたいかなり音楽が含まれて
おり逆に言うと書き言葉は音楽は含まれていないとも言える とあのプラトンさんが言った違いソクラテスさんが言っていたこととかある意味で
一理あるという言い方もできるかもしれないし 音楽性のない対話というのはあかんとそう音楽性のないか言葉にはやっぱ情報が抜け
落ちてしまっているのではないのか まあでもやっぱ客客あの音楽性がないものすらも残しておいた方が人類は地の再利用
というものができたのでそこは結局 なんていうのはそう言い切れるものではないとは思うんですけれども
まああとは個人的にはこの表現をするとですね文字のない言語に対してのカバーが できなくなってしまう
文字で表せない言語はじゃあ音楽なのかっていうとそういうことにはなってしまうので やってが全てが音楽ってことでなのであのおそらく最も最適な答えというのは
著者が考える えっと音楽とは翻訳が不可能な音で伝わる情報
言葉に直せないというようなことをより敷衍したわけっていうものこそが音楽という ものの本質なのではないかっていうのが2回に分けてずっと語ってきた
最終的な結論というのかな なるほどであの最後の最後には結構ね有名な人のいろんな音楽とは何かっていう
名言みたいなやつがいっぱいこう引用されていたりして えっと著者が一番気に入っていたのはレナードバーンスタインっていうあの
カラヤンと同時期の有名な指揮者の人なんですけどその人が a ミュージックジャスティーズ
っていう言葉を残しているらしくて まあ著者はこれが一番好きだと
言っていますミュージックはただそれである それ以外にはいいようがないもうですねあの結局日本語にすると余計な言葉がつき過ぎて
しまう 英語を英語のまま味わうしかない
だから何か僕たちが音を聞いてその感動しているその心の震えそのものが音楽である ということだねこれはうん
まあ他にもいろいろとあのジョニーデップの言葉とか8 いろんなマーラーの言葉とかバーン
米東弁の言葉とかそんなようないろいろ 有名名言みたいなのも
あったり するのでまぁその辺はあの見ていただくとっていう感じですかね俺そんなに英語上手に
読める自信もないので まあ音楽は音楽でありその音楽以外の何物でもないというのが最終的な結論にはなって
しまって まあでもあの著者が言うにはやっぱ学べば学ぶほど考えれば考えるほど結局結論は出て
こなくって でもその結論が出ないというところにこそやはり音楽の価値があるんじゃないの
かなぁと なるほどねっていうのが最終的に
著者が言いたかった考えたことという感じです まああのだいぶ2回にわたってだいぶ長い話をしてしかもあの本編
音楽の本質と情報
本に書いてなかった関係ない話もできてだいぶ 満足度は高かったんですが
まああのはいああ音楽に 一つとってもやっぱなんて言うんだろうな頑張ればブックカタリスト的な観点にも
できるのかなぁとまあでもやっぱり歴史もあるし科学もあるし まあその文化そのものでもあるし人文的な要素がたっぷりあるよね
うーんっていうのはあのいろんな意味でこう自分が 興味を持ったことを自分に引きつけて話すみたいな言い方になるのかな
今回の話を踏まえると まあそうですね頭その音音人間にとって音楽とは何かとか楽器を演奏するって
いうことの人類史とかそういうのもちょっと興味がありますね うーんあーそうですね前に軽くあれですよねピアノとギターの話とか
出てきたりして今は8ギター全盛期になっていてっていうのが まあ個人的には最近またピアノ全盛期になってきているんじゃないのかみたいな
印象があるみたいなことをすれば話していました作曲ってももっと目近になって きた時に例えばまあ
生きていく上で文章を書くとは何かみたいな問いができると同じように生きていく 上で作曲するとはどういうことかっていうことも考えられるようになる
じゃないですかねきっとね うーんまあね作曲も文章を書くもどっちもやっぱ
まあ文章はあれかこうの方が文化で言うと後だから非常に高度なことになるけど音楽 とかもその外中文化になってしまっていますからね今や基本的に演奏をして楽しむ
ということが困難になってしまって高度化しすぎてきている それをもうちょっと身近なものとして捉え直せたら多分もっとだから原始的な
喜びが生活の中に戻ってくる気はするん まあクラブミュージックとかね個人的にはやっぱ原始的な喜びに近いんじゃないのかなぁと思って
いて あの決しては悪く言うつもりじゃないけど音楽としてはシンプルで踊りやすくって
でその作る側も負荷が比較的そういう専門性を高くないというのかな その音楽的に複雑なことをするわけではないところでかっこよさを追求する
というかっこよさ まあサンプリングを拡張すだけあの dj も全体を通してあれ作曲するわけに要するにあの
バーの音楽を作っているわけもそうですねさらに言うとあれもかなりさ 即興性は高いものになると思うし
まああの著作権というねあのまさにマインの話と絡んでくるんですけど その著作権のせいで楽しみ方が不自由にはなってしまっているんだけど
そうやね確かにうんなのでこう そういう意味で現代でやっぱ
音楽を楽しむんであれば今現在結局コンピューターが一番良い道具なんじゃないのか 楽器なのではないか
それはそうっていうのはちょっと思ったりはしますかね 身体性がただ低いという問題があってそこやねそこをつまりあの
結局やっぱパッドが一番いいんじゃないのかっていう コンピューターと相性が良くってそれなりに身体性もある楽器で多様な表現ができて
という感じでまああのいい感じに話もまとまるんじゃないのかなと思います はいということで今回のご意見ご感想などはお便りフォームやツイッターブルース
現代の音楽とその楽しみ方
会でハッシュタグブック語り人に寄せください 感想やお便りは励みになっておりますのでよろしくお願いします
あとはサポーターも募集していますので気になる方概要欄などから詳細ご覧いただければ幸いです それでは今回もお聞きいただきありがとうございました
ありがとうございます
01:04:31

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