はい。ということで、今回取り上げる本、読書効果の科学です。
はい。ということで、暮らしたターンとして、この本を紹介させていただくのですけども、その前にまず導入というか、簡単な話を考えたいんですけども、
このブックカタリストはお互いが本を読んで、面白かった本を紹介するという方向性でやってまして、そういう本を紹介するということは、これを聞いている人も本を読んでくれたらいいなっていうような願いがおそらくあるだろうと。
うん。
それは結局、なんとなくぼんやりとしていても、本を読むことは悪いことではない。いいことかどうか知らないけど、悪いことではないという世界観、価値観みたいなものが、少なくとも二人の間で共有されているという感じがすると思うんですよ。
うん。
例えば、ごとし大学生になった人が、ゴリゴさん、本を読んでいらっしゃいますけど、本を読むって何か意味があるんですねって聞かれたときに、どう答えるのかっていうことなんですね。
何か意味があるんですか。
はい。
一番学びやすいツールだった。
おー。
学ぶことに興味があるんだったら、一番簡単な学ぶ道具が本なんじゃないか。
簡単っていうか、簡単に学べることが良さであると。
そうですね。手軽的な意味でもあるし、その入手性の高さとか、ジャンルの網羅性の高さとか、その辺りかなと思います。
なるほどね。で、同じ質問を僕が答えようとしたときに、いや、面白いから読んでるんだよっていう答えになってしまうんですよ。
うんうん。
それ自身は間違いではないですけど、聞いた人にとっては不運で終わる。
そうですね。なんで面白いのって言ってあげるとダメですよね。
しかも仮に不運より強い興味を抱えたとしても、その僕の答えは僕の個人に閉じてる答えじゃないですか。一般に向けて開かれていないと。
うん。
じゃあその本を読むことってどんな良いことがあるのかを、もうちょっと科学的な知見で語ろうというときに、この本が役に立つんではないかと思って手に取ったという次第ですね。
ほうほう。ちゃんと説得的に話せるんじゃないか。
そういう知見が知ることができるんじゃないかなと思って手に取った本でして。
タイトルが読書効果の科学で、副題が読書の穏やかな力を生かす原則というところで、タイトルのこの穏やかなっていうのがついているのを見た瞬間に、この本は貝やなと思ったんですけども。
著者が猪原圭介さんという方で、今北里大学の特別講師、専任講師が追いやられていて、認知心理学とか教育の心理学とかその系統を専門とされている方で、出版社が京都大学学術出版会で、
2020年の10月なんで、少し前かな。半年ほど前に出た本ですが、帯に読書文化の未来を描けた忖度なしの読書効果論と書かれてまして、学力、収入、健康、言語力、寿命、仕事、人格に効果があるのかどうか。
本当にそれに効果があるの?と。どんな読み方でもいいの?っていう疑問が帯にあって、これはなんか面白そうではないかなという。
いいですね。例えばなんだけど収入と相関性なかったとかいい結論ですよね。
面白そうでしょ。そういう事件が出てくるんじゃないかなという期待感を持ってワクワクしながら手に取ったんですが、
大きな構成、目次案としては3部で分かれていて、全部で8章構成で、一応簡単に目次を追いかけますと、初めにという部分で、まず読書は社会にとって必要かという、かなりラディカルな問いが投げかれてまして、
第1章で読書研究を見る目を養う。第2章が誰がどのくらい読んでいるのか。この2つの章が第1部を構成しています。
これは本論に入る前の準備段階の章が第1部、第1章と第2章を構成している。
続いて第2部が本番で、読書効果についての科学的研究知見ということで、実際に先ほど挙げたような功能、学力とか収入とかについてどんな研究があるのかっていうのを、実際の研究を読み解きながら紹介していくというのが第3部から第6部かな。
3章が言語力を伸ばすか、4章が人格を高めるか、5章が心身の健康に寄与するか、6章が学力や収入を伸ばすか、気になるトピックがあるし、
特にビジネス書等の文脈で言うと、こういう効果があるよと、だから本を読みましょうということが言われているわけですが、それって本当のところはどうなのかを探っていこうというところが6章。
その6章の最後とちょっと繋がるんですけども、3部が読書とうまく付き合うためにというところで、ここまでの読書に関する知見、科学的な知見を踏まえた上で、どうして本を読むのがいいのか、あるいは本をどう読むことを指導したらいいのかということの具体的な提案に踏み込んでいくのが第7章と第8章。
第7章が結構大きな問題が書かれているんですが、読書の行動遺伝学ということで、遺伝というものをちょっとどう考えるのかということを踏まえて、8章、読書効果をうまく利用するために、全体としてこの本が何を提示するかというところが語られているっていうのがまず大きな構成になっております。
遺伝学というのは、どういうジャンルの、どういう研究の学問というイメージなんですかね。
遺伝がその行動にどう影響を与えているのかっていう、例えば双子立卵性創生児とか二卵性創生児を見たときに、環境とかの影響がその子供の傾向とかにどのような違いを与えるのかっていうことを遺伝の要素を踏まえて考えるというような分野ですね。
あ、じゃあその遺伝子うんぬんではなくて、遺伝というものが、例えばその人格とどう繋がる、相関関連があるのかどうかみたいなイメージ。
そうですね。それを踏まえて、そこまでその読書の研究プラスその遺伝的な考えも踏まえ、遺伝学的な考えも含まれて、最後第8章が語られるというようなコンセプト。
はじめに読書は社会にとって必要かということで、一番根源となる問いというか、読書がいいよって言ってもその社会にとって不要であるようなもの、有益なものがないもないとしたら読書がいいよって言ってもまあ趣味の話しかならんよねということで。
読書についての研究が蓄積され始まって、ようやく溜まり出したのが1970年頃から始まって徐々に溜まってきた。当然その世界的な識字率が低い状況では読書の研究なんてそもそもしようがないですから、結構おそらく近代的な研究だと。
一応その読書についての知見が溜まってきたから、ちょっと皆さんにそれを知ってもらいたいという動機が著者にはある。そういう知見を誰に知ってもらいたいかというか、本書の想定読者なんですけど、小学校の先生とか保護者の方向けと、つまり今本を読んでいる人というよりは
子どもたちに向けて読書の指導をしようとしている方に向けて、どう考えて指導したらいいのかということのヒントになるような本の構成になっているので、もちろんその話を引き受けて自分の読書について考えることもできるんですが、一応本書の目標としてはそのような指導者向け。だから面白いんですけど、研究結果をまとめているんですけども、いわゆる専門書じゃないんですね。
専門家が読む本じゃなくて、専門的にデータを何とかそういう知見を必要としている人に届けようとしているという本になっている。
一般的にはなので、その小学生先生とその保護者を対象にして、その人たちにわかりやすいように書かれている。
書かれているというところ。難しい内容をできるだけ読み解けるようにしようという、著者の願いみたいなのがこの本には随所に見られるかなと思うんですけども。
一応このタイトルについて、著者が書いているんですけど、その読書効果の科学的知見に真正面から取り組んだ唯一の書籍っていうのがあるらしくて、スティーブン・クラッシュエンという方のThe Power of Readingっていう読書の力。
読書はパワーみたいな日本語で訳でも出ているんですけど、本書のこの読書効果の科学って、そこにその読書の穏やかなっていう名前がついてるんですけど、
その穏やかな部分が差分なんですね。そのスティーブン・クラッシュエンの本で、その穏やかさっていうところを添えているのが本書の特徴であり、重要なメッセージの構成になっているんですけど。
その冒頭部分で、読書は有益だからもっと児童に本を読ませましょうという、そういうプロモーションの繰り返しではなく、読書には知られている以上の効果はあるが、万能でもなければ速攻性があるわけでもない。
万人が読書効果を持っているわけでもないし、大人も児童も肩の力を抜いて本を読んだり読まなかったりしようと。でも時にはどっぷり読書にはまって驚くような効果を上げる児童もいる。
期待しすぎずに楽しみに待っていようという非常に穏やかな。
めっちゃシンプルなことを言ったら、効果あると思うけど人次第だよねってそんだけですよね。
それだけのことが様々な研究結果を引きながら、総合的にこの視点が固められていくということで、
これはこのメッセージを見て、非常にこれから真っ当な話が話されていくんだろうなという期待感が高まりましたね。
そうですね。ある意味何も言っていないという言い方もできるんだけど。
でもこれが何も言っていないと感じるってことは、たぶんゴリラさんが読書について結構知ってるからじゃないかなと思いますけどね。
そういうことか。
やっぱり読書政策について本を読むのはいいことだ。みんなに均等に本を読ませましょうっていう教育制度、体制、姿勢がやっぱり今までずっとなされてきてたと。
もちろんそれは有益なこともあるけど、それにうまく合わない子どももいるんじゃないかっていう時に、やっぱりこういう考え方。
特に合う子も合わない子もいるっていう、現実で言ったら当たり前の話が、教育の分野ではどうしても欠けてきたような歴史がたぶんあるんじゃないかなと思いますけど。
本書の視点を取り入れると、もっと現実的な感じでアプローチを考えられるんじゃないかなと思います。
そうですね。学校によっては朝読書みたいな時間とかが強制的に設けさせられて、そこで10分、15分読めみたいなの言われるとか。
例えば、読書をすることは誰にとってもいいことだ。どんな読み方でもいいことだという信念のもとであれば、その授業政策は正しいこととされてしまうわけじゃないですか。
だからやっぱり、どういう読書がいいとか、あるいは読書は必ずいいのかっていう、ちゃんとラディカルな視点で再検討しないと、そのような学校の授業の設計とかが改まっていかないと僕も思うんで。
本書の著者もたぶん似たような傾向を持ってるんじゃないかなとはちょっと思いますけどね。
そうですね。極論、忍耐力の修行だみたいな言い方をすれば、同意できなくも、共感はしないけれども、理解できなくもないんだけれども。
本を読むことが人格的とか知識とかにとって、みんな等しくいいことだというような方針でたぶん作られていて、そこはやっぱりちょっとずれてるんじゃないかなというところは本書を読んでてもちょっと感じました。
一番最初に本書全体の原則、一番最後にまとめて提示されるんですけども、一応本文中にもちょこちょこ出てくる三つの原則っていうのがありまして、
読書効果が実世界において効果的に発揮されるための三つの原則と。ちょっと長いですけど、非常に重要なキーワード。
実世界において効果的に発揮されるというのが結構キーワードになって、それはまあちょっと後から出てくるので覚えておいてもらったらいいんですけど、
まあ三つの原則。原則1が平均的には効果は穏やか、気長に気楽にと。原則2が読書のしすぎは弊害を生むと。目安は1日30分から1時間。
ラッシュさんやばいですね。
原則3が個人差は大きいと。読書そのものが合わない人もいると。この三つの穏やかな原則が本書として確認されていくと。
これ1なんですけど、穏やかではあるけれども小さいとか少ないとは言っていないってことですよね。
いやまあでも小さいと。
少しずつ。
少しずつであるし、基本的にはこれは瞬間的な効果は小さいと理解してもらっていいと思います。
蓄積が小さいということを言っているわけではない。
そう、平均的に見たら1回1回とか読書の1ヶ月の効果みたいなのはそんなに大きなものではないというニュアンスですね。
本著者が言いたいのは、読書という文化は不滅であると人類にとって崇高なる文化ではあると言いたいわけではなく、もし読書に変わるような教育的効果手段があるのであれば別にそれを変えてしまってもいいと。
でもあらゆるテクノロジーと比べたときに読書の意義がないんやったら別にそれは散ってしまってもいいと思った上で、それでも何か読書に効果があると言えるだろうかということを本著全体を通して確認していくという作業でもあります。
素晴らしい前置きですね。
素晴らしい前置きです。
第1部が読書の力を正しく知るためにということで1部1章と2章が構成しているんですけど、僕はここを一番読んでほしいなと思うんですね。
正しく知ろう。
どういうことかっていうと、これから研究データがいろいろ発表されていくわけですが、発表じゃない、紹介されていくわけですが、そのようなデータをどう読み取るのかどう理解するのかどう見たらいいのかっていうことが書かれていて、つまり統計的データの読み方の基礎的なものが一応限定的ではあるけど
ある意味めちゃくちゃ難しいやつ
ここがわかってないと、あらゆるデータが発表されても結局それを鵜呑みにするしかないわけで、それは結局エビデンスの乱用みたいなことにもなってしまうわけですけど、やっぱり科学的知見に触れるために科学的知見の読み取り方っていうのをやっぱり一緒に僕たちは学ぶ必要があって
一生とかって読んでも別に科学的な知見、読書に関しての知見が飛躍的に増えるわけじゃなくて読み取り方しか書かれてないんですけど、むしろここをじっくりどれだけ読めるかが、僕はその人の将来的な、例えばその人が教育に科学的な知見を生かしたいと思っている親御さんやったら、やっぱりまずここをちゃんと押さえておいた方が将来的に有効だなと、ここをちゃんと書いているところが先ほどの専門書とそうじゃない
そうか、ここは説明しないですね、普通専門書は
40歳になればなんとなくわかるとは思うんですね
もう少し踏み込んでいくと相関関係っていうのは相関係数っていうのを持つわけですけども、最小値が-1で最大値が1、これもなんかわかりますよね
で、例えば小学5年生の読書時間と語彙力の相関係数って0.23らしいんですよ
で、最大値が1ですから0.23ってなんとなく低い感じがしますよね
言葉の印象としては
で、0.23ってどれくらいかなっていうと、自動販売機のポカリスレットとかの製薬飲料水の売れ行きと日照時間の関係
っていうとあれですよね、一般的には案外あるなぁですよね
案外あるなぁですけど、日照時間なんで、つまり日が経ってる時間なんでそんなに高くない
とも言えるか
で、湿度と販売数の関係もこれぐらい
で、0.89とかになるともっともっと強くなるので、それは例えば気温と自動販売機の販売数
これはもう明確に関係がありますよね
誰が見てもレベルですよね
で、基本的に人間に関するこのような研究で出てくる数字って、0.89とかってほとんどないらしいです
なんか0.5を超えると十分あるだったと思うんですけど
それかなり強いぐらいの話なんですね
で、やっぱりね、その間隔、0.23とか0.5を見た時に、え、ほとんど関係ないやんみたいなことを思ってしまうと
やっぱり統計データを見合わやってしまうんですよね
で、小学3年生の読書時間と読書冊数、読んでる時間の総合と読んでる本の数が0.46らしいんですよ
これ必ず比例するように思いますけども
例えば分厚い本を読めば冊数は減るわけですから、必ず同じにはなるわけではないと
で、それがだいたい成人男性の身長と体重の相関係数に出ると
かなり高いですよね
これはまぁまぁだいたい高いと
で、小学5年生の語彙力と文章理解力が0.69なんですよ
やばい、やばい相関
これはね、やっぱりそのこの手の人間の研究で出てくるには珍しいほど高い相関があるらしくて
言葉をたくさん知っていると文章の理解度が高いという
当たり前のような感じることが0.69出てくるんですが
でもね、逆に言うとこれ1じゃないんですよ
要するに
言うても0.31の相関になってない部分がまずあるっていうところ
僕はね、これを見てやっぱりその
人間のこのような能力に対する科学的な知見で
1っていうのはほぼ出ないわけなんですけど
あのー
最近のビジネスショーは
うちていたがる
って言うわけですよね
そこではこんな人にはこうだみたいな断言がなされるわけですけど
3割は合わんってことですよね
合わんってことが普通にあるわけで
高い相関であっても3割ぐらいが違うっていうことがあるとした時に
その強い断言はどこから出てきたんだという風に
あのね、別にその疑う気持ちが植え付けられなくても
この数字を見たら自然に疑うようになりますね
ああいう知見を見ると
知見というか発言の強さを見ると
そうね、そういうのはやっぱ身体的に学んできたことなのかな
自分とかの話で言うとやっぱ
感覚はあるかもしれない
でもやっぱりエビデンスっていうのが
科学的な証拠があって
っていうのが言われた時に
その訓練されてないと
100だと思ってしまう
Rイコル1なんだと思ってしまう
それはやっぱり
逆に科学の力を上手く利用できてない
科学の力を悪用して上手に使っているんですよね
っていう感じになっちゃうんで
一覧性数補正時の知能指数の相関関係ですら0.7なんですよ
でももうめちゃくちゃ高いですよね
これは相当高いと思うんですよ
他のあれからしたら
でも僕らからしたらこれほとんど1なような感じが
やっぱりそれでも0.72ですし
生活質問誌って言ってます
ある同じ人に生活に対する質問を
2週間空いて答えてもらった
その得点が
つまり同じ人が
同じ問題に2週間空けて答えてる問題の相関が
0.84なんですよ
同じじゃない
だからやっぱりね
その1なんていうのは
幻想でしかなくて
人間の知的なとか能力的なものに関する
科学的な知見は
1っていうのは
人は必ず死ぬみたいな
当たり前のことは1かもしれませんけど
そうじゃない
ある作用とか相関について言えることは
0.5とかでもかなり高いぞというところ
つまり万人に向けて
何か言えることって相当少ないんだよってことが
この1章のこの部分
相関関係数のところを読むだけでもね
こう不倫落ちてくる
じんわりと不倫落ちてくる感じがありますね
たしかポピュラーサイエンスとか読んでると
やっぱり0.2とかである程度相関はあるみたいな
言い方してますよね
0.5
0.05ぐらいであんまり関係ないとかって言いますよね
それぐらいですね
だからポピュラーサイエンスで慣れてたら
この相関関係数の大きさの感じ方は
やっぱ違うと思いますけど
普通に見たときに0.5って
少ないやつだと思うと思うんで
この辺でじっくりちゃんと見ておくのが
いいんではないかと思うんで
そうするとやっぱり
効果があったかないっていう
0,1じゃなくて
効果があるにしろその大きさはどのくらいだったんか
っていう視点で見た方がいいと
だから効果があるとは言えるかもしれんけど
それが0.2のあるなのか
0.5のあるなのかもやっぱ違いますし
その程度で見る