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2025-05-07 1:22:25

BC113『読書効果の科学: 読書の“穏やかな”力を活かす3原則』

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今回は『読書効果の科学: 読書の“穏やかな”力を活かす3原則』を倉下が紹介しました。

タイトル通り、非常に「穏やか」な効果がじっくりと語られます。「科学的知見」を謳いながらえらく強めにその効果を主張するようなノウハウ本にうんざりしている方は、とても落ち着いて読める内容だと思います。

また、本編でも触れていますが、読書効果に関する知見を「インプット」するためだけでなく、科学的な研究結果やそのデータをどう「読み取れば」いいのかを、かなり丁寧に教えてくれている一冊でもあります。

個人的にはそうした読み取り方を少しでも学んでおけば、それ以降、書籍やWeb記事の「科学的」なデータへのまなざしがかなり変わってくると思います。

それこそ、そうした違いは「穏やか」なものでしょうが、5年、10年という単位で考えればかなり大きな差になってくるのではないかと予想します。

書誌情報

* 著者:

* 猪原 敬介 / Keisuke Inohara

* 出版社:

* 京都大学学術出版会

* 出版日:

* 2024/10/15

* 目次:

* はじめに──読書は社会にとって必要か?

* 第Ⅰ部 読書の力を正しく知るために

* 第1章 読書研究を見る目を養う

* 第2章 誰がどれくらい読んでいるのか

* 第Ⅱ部 読書効果についての科学的研究知見

* 第3章 読書は言語力を伸ばすか

* 第4章 読書は人格を高めるか

* 第5章 読書は心身の健康に寄与するか

* 第6章 読書は学力や収入を伸ばすか

* 第7章 読書の行動遺伝学

* 第8章 読書効果をうまく利用するために

* おわりに──読書の“穏やかな”力を享受していくために

倉下の読書メモは以下のページからご覧いただけます。

◇『読書効果の科学: 読書の“穏やかな”力を活かす3原則』 | 倉下忠憲の発想工房



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サマリー

このエピソードでは、読書効果の科学について語られ、著書の内容や構成が紹介されています。特に、読書の穏やかな力とそれを活かす原則が焦点となり、教育や読書の重要性が再評価されています。読書の効果を理解するための三つの原則が紹介され、特に読書の効果が穏やかであり、個人差が大きいことが強調されています。また、科学的知見を適切に理解する重要性についても触れられています。 このエピソードは、読書行動の科学的探求を通じて、読書がもたらす穏やかな力や影響について解説しています。読書の質的および量的側面や、累積的な読書活動、さらに語彙力の向上など、さまざまな視点から読書の重要性が語られています。 また、読書が語彙力に与える影響や、その科学的な知見について掘り下げています。読書の教育における難しさや、語彙力を伸ばすための介入研究の結果が説明されています。読書が語彙力、人格、そして心身の健康に与える影響についての科学的知見も紹介されており、特に読書が他者の気持ちを理解する力を高める可能性や、読書量と性格特性との関係が明らかにされる過程が描かれています。 読書の効果については、平均的な効果が穏やかであり、読む量は適度であるべきだと説明されています。遺伝と環境が読書行動に影響を与えることや、読書の楽しさを忘れないことが重要であるというポイントも述べられています。 このエピソードは、読書の効果や読書習慣の重要性、特に子どもに対する柔軟なアプローチが強調されています。また、さまざまなメディアで物語を楽しむことや、科学的な知見を通じた読書の考え方が紹介されています。

ポッドキャストの導入
面白かった本について語るポッドキャスト、ブックカタリスト、まずは今回いただいたコメント、感想などを紹介したいと思います。
はい、お願いします。
はい、ノートの記事なんですけれども、ヤマケンさん、2025年4月10日、庭の話を聞いてっていうので、
全部読んだら、それだけで終わらなくなってしまうので、全部は紹介できないんですけれども、
一番大事なのは、MOさんの語り方が非常に聞きやすく分かりやすかった。
さすが教師という印象。
さらに、MOさんの数学の授業は受けてみたいなと思ったっていうのが、とても良い感想だなと。
はい、MOさんも喜んでいらっしゃいました。この感想を見て。
まあ、そうですよね。それはお互いどっちも幸せになれる素晴らしい感想だなと。
まさに。
あとオチとして、Amazonのカートに入れた、まだ買ってないっていうのも良いオチだなと。
そうですね。買うタイミングっていうのはどうしてもあるので、カートに入れたという段階で、これはMOさん仕事したと言っても良いと思いますね。
アフィリエイトはこれでは評価されないから、そこが問題なんですけれども。
例えば、読んですぐ買いましたっていうのは、影響と関係が密すぎるので、
ちょっと間を空いた方が良いんで、ちょっと気になるなという程度で留めておくのが、このニュアンの話と繋がっていくんではないかなと思いますけど。
まあ、なんていうんだろう。そっちの方が健全だなというのは感じます。実際に。
確かに。その通りですね。
もう一つですね。アンフィールドロードさん。アンフ先生も。この人も教育系の方ですね。
はい。
音楽と脳の乾燥だとか、大量職人と職人芸どちらも必要だとか、これも文章というわけではなく、全文紹介はなかなか難しいんですけれども。
はい。
教員に求められる資質みたいな話とかっていうのも結構興味深い話だなと思うので、次回紹介しておくので、そこら辺もご覧いただけたらなと思います。
はい。
読書効果の紹介
はい。ということで、今回取り上げる本、読書効果の科学です。
はい。ということで、暮らしたターンとして、この本を紹介させていただくのですけども、その前にまず導入というか、簡単な話を考えたいんですけども、
このブックカタリストはお互いが本を読んで、面白かった本を紹介するという方向性でやってまして、そういう本を紹介するということは、これを聞いている人も本を読んでくれたらいいなっていうような願いがおそらくあるだろうと。
うん。
それは結局、なんとなくぼんやりとしていても、本を読むことは悪いことではない。いいことかどうか知らないけど、悪いことではないという世界観、価値観みたいなものが、少なくとも二人の間で共有されているという感じがすると思うんですよ。
うん。
例えば、ごとし大学生になった人が、ゴリゴさん、本を読んでいらっしゃいますけど、本を読むって何か意味があるんですねって聞かれたときに、どう答えるのかっていうことなんですね。
何か意味があるんですか。
はい。
一番学びやすいツールだった。
おー。
学ぶことに興味があるんだったら、一番簡単な学ぶ道具が本なんじゃないか。
簡単っていうか、簡単に学べることが良さであると。
そうですね。手軽的な意味でもあるし、その入手性の高さとか、ジャンルの網羅性の高さとか、その辺りかなと思います。
なるほどね。で、同じ質問を僕が答えようとしたときに、いや、面白いから読んでるんだよっていう答えになってしまうんですよ。
うんうん。
それ自身は間違いではないですけど、聞いた人にとっては不運で終わる。
そうですね。なんで面白いのって言ってあげるとダメですよね。
しかも仮に不運より強い興味を抱えたとしても、その僕の答えは僕の個人に閉じてる答えじゃないですか。一般に向けて開かれていないと。
うん。
じゃあその本を読むことってどんな良いことがあるのかを、もうちょっと科学的な知見で語ろうというときに、この本が役に立つんではないかと思って手に取ったという次第ですね。
ほうほう。ちゃんと説得的に話せるんじゃないか。
そういう知見が知ることができるんじゃないかなと思って手に取った本でして。
タイトルが読書効果の科学で、副題が読書の穏やかな力を生かす原則というところで、タイトルのこの穏やかなっていうのがついているのを見た瞬間に、この本は貝やなと思ったんですけども。
著者が猪原圭介さんという方で、今北里大学の特別講師、専任講師が追いやられていて、認知心理学とか教育の心理学とかその系統を専門とされている方で、出版社が京都大学学術出版会で、
2020年の10月なんで、少し前かな。半年ほど前に出た本ですが、帯に読書文化の未来を描けた忖度なしの読書効果論と書かれてまして、学力、収入、健康、言語力、寿命、仕事、人格に効果があるのかどうか。
本当にそれに効果があるの?と。どんな読み方でもいいの?っていう疑問が帯にあって、これはなんか面白そうではないかなという。
いいですね。例えばなんだけど収入と相関性なかったとかいい結論ですよね。
面白そうでしょ。そういう事件が出てくるんじゃないかなという期待感を持ってワクワクしながら手に取ったんですが、
大きな構成、目次案としては3部で分かれていて、全部で8章構成で、一応簡単に目次を追いかけますと、初めにという部分で、まず読書は社会にとって必要かという、かなりラディカルな問いが投げかれてまして、
第1章で読書研究を見る目を養う。第2章が誰がどのくらい読んでいるのか。この2つの章が第1部を構成しています。
これは本論に入る前の準備段階の章が第1部、第1章と第2章を構成している。
続いて第2部が本番で、読書効果についての科学的研究知見ということで、実際に先ほど挙げたような功能、学力とか収入とかについてどんな研究があるのかっていうのを、実際の研究を読み解きながら紹介していくというのが第3部から第6部かな。
3章が言語力を伸ばすか、4章が人格を高めるか、5章が心身の健康に寄与するか、6章が学力や収入を伸ばすか、気になるトピックがあるし、
特にビジネス書等の文脈で言うと、こういう効果があるよと、だから本を読みましょうということが言われているわけですが、それって本当のところはどうなのかを探っていこうというところが6章。
その6章の最後とちょっと繋がるんですけども、3部が読書とうまく付き合うためにというところで、ここまでの読書に関する知見、科学的な知見を踏まえた上で、どうして本を読むのがいいのか、あるいは本をどう読むことを指導したらいいのかということの具体的な提案に踏み込んでいくのが第7章と第8章。
第7章が結構大きな問題が書かれているんですが、読書の行動遺伝学ということで、遺伝というものをちょっとどう考えるのかということを踏まえて、8章、読書効果をうまく利用するために、全体としてこの本が何を提示するかというところが語られているっていうのがまず大きな構成になっております。
遺伝学というのは、どういうジャンルの、どういう研究の学問というイメージなんですかね。
遺伝がその行動にどう影響を与えているのかっていう、例えば双子立卵性創生児とか二卵性創生児を見たときに、環境とかの影響がその子供の傾向とかにどのような違いを与えるのかっていうことを遺伝の要素を踏まえて考えるというような分野ですね。
あ、じゃあその遺伝子うんぬんではなくて、遺伝というものが、例えばその人格とどう繋がる、相関関連があるのかどうかみたいなイメージ。
そうですね。それを踏まえて、そこまでその読書の研究プラスその遺伝的な考えも踏まえ、遺伝学的な考えも含まれて、最後第8章が語られるというようなコンセプト。
教育の視点からの考察
はじめに読書は社会にとって必要かということで、一番根源となる問いというか、読書がいいよって言ってもその社会にとって不要であるようなもの、有益なものがないもないとしたら読書がいいよって言ってもまあ趣味の話しかならんよねということで。
読書についての研究が蓄積され始まって、ようやく溜まり出したのが1970年頃から始まって徐々に溜まってきた。当然その世界的な識字率が低い状況では読書の研究なんてそもそもしようがないですから、結構おそらく近代的な研究だと。
一応その読書についての知見が溜まってきたから、ちょっと皆さんにそれを知ってもらいたいという動機が著者にはある。そういう知見を誰に知ってもらいたいかというか、本書の想定読者なんですけど、小学校の先生とか保護者の方向けと、つまり今本を読んでいる人というよりは
子どもたちに向けて読書の指導をしようとしている方に向けて、どう考えて指導したらいいのかということのヒントになるような本の構成になっているので、もちろんその話を引き受けて自分の読書について考えることもできるんですが、一応本書の目標としてはそのような指導者向け。だから面白いんですけど、研究結果をまとめているんですけども、いわゆる専門書じゃないんですね。
専門家が読む本じゃなくて、専門的にデータを何とかそういう知見を必要としている人に届けようとしているという本になっている。
一般的にはなので、その小学生先生とその保護者を対象にして、その人たちにわかりやすいように書かれている。
書かれているというところ。難しい内容をできるだけ読み解けるようにしようという、著者の願いみたいなのがこの本には随所に見られるかなと思うんですけども。
一応このタイトルについて、著者が書いているんですけど、その読書効果の科学的知見に真正面から取り組んだ唯一の書籍っていうのがあるらしくて、スティーブン・クラッシュエンという方のThe Power of Readingっていう読書の力。
読書はパワーみたいな日本語で訳でも出ているんですけど、本書のこの読書効果の科学って、そこにその読書の穏やかなっていう名前がついてるんですけど、
その穏やかな部分が差分なんですね。そのスティーブン・クラッシュエンの本で、その穏やかさっていうところを添えているのが本書の特徴であり、重要なメッセージの構成になっているんですけど。
その冒頭部分で、読書は有益だからもっと児童に本を読ませましょうという、そういうプロモーションの繰り返しではなく、読書には知られている以上の効果はあるが、万能でもなければ速攻性があるわけでもない。
万人が読書効果を持っているわけでもないし、大人も児童も肩の力を抜いて本を読んだり読まなかったりしようと。でも時にはどっぷり読書にはまって驚くような効果を上げる児童もいる。
期待しすぎずに楽しみに待っていようという非常に穏やかな。
めっちゃシンプルなことを言ったら、効果あると思うけど人次第だよねってそんだけですよね。
それだけのことが様々な研究結果を引きながら、総合的にこの視点が固められていくということで、
これはこのメッセージを見て、非常にこれから真っ当な話が話されていくんだろうなという期待感が高まりましたね。
そうですね。ある意味何も言っていないという言い方もできるんだけど。
でもこれが何も言っていないと感じるってことは、たぶんゴリラさんが読書について結構知ってるからじゃないかなと思いますけどね。
そういうことか。
やっぱり読書政策について本を読むのはいいことだ。みんなに均等に本を読ませましょうっていう教育制度、体制、姿勢がやっぱり今までずっとなされてきてたと。
もちろんそれは有益なこともあるけど、それにうまく合わない子どももいるんじゃないかっていう時に、やっぱりこういう考え方。
特に合う子も合わない子もいるっていう、現実で言ったら当たり前の話が、教育の分野ではどうしても欠けてきたような歴史がたぶんあるんじゃないかなと思いますけど。
本書の視点を取り入れると、もっと現実的な感じでアプローチを考えられるんじゃないかなと思います。
そうですね。学校によっては朝読書みたいな時間とかが強制的に設けさせられて、そこで10分、15分読めみたいなの言われるとか。
例えば、読書をすることは誰にとってもいいことだ。どんな読み方でもいいことだという信念のもとであれば、その授業政策は正しいこととされてしまうわけじゃないですか。
だからやっぱり、どういう読書がいいとか、あるいは読書は必ずいいのかっていう、ちゃんとラディカルな視点で再検討しないと、そのような学校の授業の設計とかが改まっていかないと僕も思うんで。
本書の著者もたぶん似たような傾向を持ってるんじゃないかなとはちょっと思いますけどね。
そうですね。極論、忍耐力の修行だみたいな言い方をすれば、同意できなくも、共感はしないけれども、理解できなくもないんだけれども。
本を読むことが人格的とか知識とかにとって、みんな等しくいいことだというような方針でたぶん作られていて、そこはやっぱりちょっとずれてるんじゃないかなというところは本書を読んでてもちょっと感じました。
一番最初に本書全体の原則、一番最後にまとめて提示されるんですけども、一応本文中にもちょこちょこ出てくる三つの原則っていうのがありまして、
読書の三つの原則
読書効果が実世界において効果的に発揮されるための三つの原則と。ちょっと長いですけど、非常に重要なキーワード。
実世界において効果的に発揮されるというのが結構キーワードになって、それはまあちょっと後から出てくるので覚えておいてもらったらいいんですけど、
まあ三つの原則。原則1が平均的には効果は穏やか、気長に気楽にと。原則2が読書のしすぎは弊害を生むと。目安は1日30分から1時間。
ラッシュさんやばいですね。
原則3が個人差は大きいと。読書そのものが合わない人もいると。この三つの穏やかな原則が本書として確認されていくと。
これ1なんですけど、穏やかではあるけれども小さいとか少ないとは言っていないってことですよね。
いやまあでも小さいと。
少しずつ。
少しずつであるし、基本的にはこれは瞬間的な効果は小さいと理解してもらっていいと思います。
蓄積が小さいということを言っているわけではない。
そう、平均的に見たら1回1回とか読書の1ヶ月の効果みたいなのはそんなに大きなものではないというニュアンスですね。
本著者が言いたいのは、読書という文化は不滅であると人類にとって崇高なる文化ではあると言いたいわけではなく、もし読書に変わるような教育的効果手段があるのであれば別にそれを変えてしまってもいいと。
でもあらゆるテクノロジーと比べたときに読書の意義がないんやったら別にそれは散ってしまってもいいと思った上で、それでも何か読書に効果があると言えるだろうかということを本著全体を通して確認していくという作業でもあります。
素晴らしい前置きですね。
素晴らしい前置きです。
第1部が読書の力を正しく知るためにということで1部1章と2章が構成しているんですけど、僕はここを一番読んでほしいなと思うんですね。
正しく知ろう。
どういうことかっていうと、これから研究データがいろいろ発表されていくわけですが、発表じゃない、紹介されていくわけですが、そのようなデータをどう読み取るのかどう理解するのかどう見たらいいのかっていうことが書かれていて、つまり統計的データの読み方の基礎的なものが一応限定的ではあるけど
ある意味めちゃくちゃ難しいやつ
ここがわかってないと、あらゆるデータが発表されても結局それを鵜呑みにするしかないわけで、それは結局エビデンスの乱用みたいなことにもなってしまうわけですけど、やっぱり科学的知見に触れるために科学的知見の読み取り方っていうのをやっぱり一緒に僕たちは学ぶ必要があって
一生とかって読んでも別に科学的な知見、読書に関しての知見が飛躍的に増えるわけじゃなくて読み取り方しか書かれてないんですけど、むしろここをじっくりどれだけ読めるかが、僕はその人の将来的な、例えばその人が教育に科学的な知見を生かしたいと思っている親御さんやったら、やっぱりまずここをちゃんと押さえておいた方が将来的に有効だなと、ここをちゃんと書いているところが先ほどの専門書とそうじゃない
そうか、ここは説明しないですね、普通専門書は
40歳になればなんとなくわかるとは思うんですね
もう少し踏み込んでいくと相関関係っていうのは相関係数っていうのを持つわけですけども、最小値が-1で最大値が1、これもなんかわかりますよね
で、例えば小学5年生の読書時間と語彙力の相関係数って0.23らしいんですよ
で、最大値が1ですから0.23ってなんとなく低い感じがしますよね
言葉の印象としては
で、0.23ってどれくらいかなっていうと、自動販売機のポカリスレットとかの製薬飲料水の売れ行きと日照時間の関係
っていうとあれですよね、一般的には案外あるなぁですよね
案外あるなぁですけど、日照時間なんで、つまり日が経ってる時間なんでそんなに高くない
とも言えるか
で、湿度と販売数の関係もこれぐらい
で、0.89とかになるともっともっと強くなるので、それは例えば気温と自動販売機の販売数
これはもう明確に関係がありますよね
誰が見てもレベルですよね
で、基本的に人間に関するこのような研究で出てくる数字って、0.89とかってほとんどないらしいです
なんか0.5を超えると十分あるだったと思うんですけど
それかなり強いぐらいの話なんですね
で、やっぱりね、その間隔、0.23とか0.5を見た時に、え、ほとんど関係ないやんみたいなことを思ってしまうと
やっぱり統計データを見合わやってしまうんですよね
で、小学3年生の読書時間と読書冊数、読んでる時間の総合と読んでる本の数が0.46らしいんですよ
これ必ず比例するように思いますけども
例えば分厚い本を読めば冊数は減るわけですから、必ず同じにはなるわけではないと
で、それがだいたい成人男性の身長と体重の相関係数に出ると
かなり高いですよね
これはまぁまぁだいたい高いと
で、小学5年生の語彙力と文章理解力が0.69なんですよ
やばい、やばい相関
これはね、やっぱりそのこの手の人間の研究で出てくるには珍しいほど高い相関があるらしくて
言葉をたくさん知っていると文章の理解度が高いという
当たり前のような感じることが0.69出てくるんですが
でもね、逆に言うとこれ1じゃないんですよ
要するに
言うても0.31の相関になってない部分がまずあるっていうところ
僕はね、これを見てやっぱりその
人間のこのような能力に対する科学的な知見で
1っていうのはほぼ出ないわけなんですけど
あのー
最近のビジネスショーは
うちていたがる
って言うわけですよね
そこではこんな人にはこうだみたいな断言がなされるわけですけど
3割は合わんってことですよね
合わんってことが普通にあるわけで
高い相関であっても3割ぐらいが違うっていうことがあるとした時に
その強い断言はどこから出てきたんだという風に
あのね、別にその疑う気持ちが植え付けられなくても
この数字を見たら自然に疑うようになりますね
ああいう知見を見ると
知見というか発言の強さを見ると
そうね、そういうのはやっぱ身体的に学んできたことなのかな
自分とかの話で言うとやっぱ
感覚はあるかもしれない
でもやっぱりエビデンスっていうのが
科学的な証拠があって
っていうのが言われた時に
その訓練されてないと
100だと思ってしまう
Rイコル1なんだと思ってしまう
それはやっぱり
逆に科学の力を上手く利用できてない
科学の力を悪用して上手に使っているんですよね
っていう感じになっちゃうんで
一覧性数補正時の知能指数の相関関係ですら0.7なんですよ
でももうめちゃくちゃ高いですよね
これは相当高いと思うんですよ
他のあれからしたら
でも僕らからしたらこれほとんど1なような感じが
やっぱりそれでも0.72ですし
生活質問誌って言ってます
ある同じ人に生活に対する質問を
2週間空いて答えてもらった
その得点が
つまり同じ人が
同じ問題に2週間空けて答えてる問題の相関が
0.84なんですよ
同じじゃない
だからやっぱりね
その1なんていうのは
幻想でしかなくて
人間の知的なとか能力的なものに関する
科学的な知見は
1っていうのは
人は必ず死ぬみたいな
当たり前のことは1かもしれませんけど
そうじゃない
ある作用とか相関について言えることは
0.5とかでもかなり高いぞというところ
つまり万人に向けて
何か言えることって相当少ないんだよってことが
この1章のこの部分
相関関係数のところを読むだけでもね
こう不倫落ちてくる
じんわりと不倫落ちてくる感じがありますね
たしかポピュラーサイエンスとか読んでると
やっぱり0.2とかである程度相関はあるみたいな
言い方してますよね
0.5
0.05ぐらいであんまり関係ないとかって言いますよね
それぐらいですね
だからポピュラーサイエンスで慣れてたら
この相関関係数の大きさの感じ方は
やっぱ違うと思いますけど
普通に見たときに0.5って
少ないやつだと思うと思うんで
この辺でじっくりちゃんと見ておくのが
いいんではないかと思うんで
そうするとやっぱり
効果があったかないっていう
0,1じゃなくて
効果があるにしろその大きさはどのくらいだったんか
っていう視点で見た方がいいと
だから効果があるとは言えるかもしれんけど
それが0.2のあるなのか
0.5のあるなのかもやっぱ違いますし
その程度で見る
メタ分析の重要性
うむじゃなくて程度で見るという視点が
大切だと語られる
例えばさっき言った
小学5年生とか小学3年生とかっていう
研究データがたくさんあるわけですけど
でも一般素人として
それは結局小学3年生を調べただけじゃないの
ある学校の小学3年生を調べただけじゃないの
という疑問も持ってしまうわけですけどね
データの一般性の疑問と書かれてるわけですが
実際それはその通りなんですけど
人に対する研究っていうのを
大きなデータで集めていくっていうのは
相当に難しいと人間の協力が必要
なのでたくさんの
そういう3年生と3年生の研究とかを
複数集めたメタ分析っていうのがあるよと
まず紹介されます
これもポピュラーサイズで慣れてたら
非常によく出てくる話だと思うんですけど
たくさんの事例から集めてるんで
その研究自体が
一個一個の規模が小さくても
対象にしている人の数を大きくできる
っていうのがメタ分析の良さであると
複数のメタ分析をさらにメタ分析する
スーパーシンセンスというのもあるらしいですけど
スーパーシンセンス
シンセンス感の分析もあると
ジョン・ハッティの教育の効果という本は
それをやってるらしいんですけども
そういうメタ分析を見てみると
読書行動と語彙力の相関関係については
性の相関があるみたいなことが
もう一応言えるらしいですね
本をいろいろ読んでた語彙力が
プラス本を読んでる行動が多い人は
語彙力が高いということは
一応科学的な知見で
性の相関があるとは言えると
あれですよね
例より大きければ性の相関ですよね
とりあえずそこまでは言える
だからいわゆる科学的な
科学的に知見で
効果がありますと報告されてます
ということ自体は別にこれは間違ってないけども
そういうことがとりあえず言えるようには
ある程度の研究対象を母数とした研究を踏まえても
そういうことが言えるようにはなってきているのが
現状であるけども
そういうメタ分析の弱点というのが
著者には紹介されてまして
圧倒的なサンプルサイズと
裏打ちされた説得力とあまりにも強い
要約力の副作用として
単純化された結論を
安易に受け入れてしまう
何その科学的知見に基づくやつはそれですよね
で例えばさっき言ったそのメタ分析は
99の研究結果がメタ分析されてるんですけども
そのうちの大半が
欧米とオーストラリアの英語圏の研究らしいですね
中国の研究が1個だけあるだけだと
日本の研究はゼロだと
そういう研究結果を
日本の子供向けの政策とか考えるときに
そのまま無批判に受け入れるのは
ちょっとどうだろうなという疑問があるわけですね
でもだからといって
日本の研究がゼロだから
そんなものは全く参考にならないっていうのも
あんまり科学的なタイプではないですよね
おそらくは
だからそういう研究が何を見てて
どういう条件で集めてて
どう分析してとかを踏まえた上で
じゃあもう片方に日本の子供っていう現状があって
この2つを視野に入れて考えていくのが
現実的な政策を考える上で
対策を考える上で重要ではないだろうか
ということが示されてまして
これももうごもっともだなと思うんですけど
やっぱりメタ分析
エビデンス主義に通じるんですけど
何か科学的に言われたら
やっぱそのまま受け取ってしまう
つまり統計データを正しいとしてしまって
読書行動の枠組み
僕ら1個1個の個人の現象的なもの
現象学的な視点が抜け落ちてしまうっていうのは
前の話だと通じると思うんですけど
そこをもうちょっと説中していくっていうことが
必要だろうということが提示されますね
結構たくさんの話があるんですが
話って言うと相当長くなりそうなんで
一応この以降の研究データを踏まえる上で
重要だっていう話が
読書行動ってさっき言いましたけど
読書行動って一応
概念が整理されてまして
複数の要素で構想されていると
そうか
そうですね今文字を見て思ったんですけど
総合として読書行動というのがまずあると
その中身として読書活動と
読書関連活動と
累積的読書行動というのがあると
読書活動が実際に本を読むということで
状況的読書活動と
累積的読書活動に分けられると
文字で聞いてるだけでちょっと分からないと思うんですけど
状況的読書活動っていうのは
これはだから読書研究をするときに
使われる概念ですけど
小学5年生の読書とか
あるシチュエーションで区切ったときの
読書活動を見るときの視点
累積的読書活動っていうのは
その研究してその時点までの
その当事者が今まで積み上げてきた
読書の活動のこと
この2つの視点があると
読書関連活動っていうのは
実際に本を読むわけではないけども
本に関連する活動
例えば本屋に行くとか図書館に行くっていうのは
読書関連活動
本を買って帰るとか
それを本棚に並べるとかも
読書関連活動になると思う
そういうのも実際どんな風にしてるのかを
研究する対象にできると
累積的読書行動っていうのは
その人がこれまでに生きてきた
文字と接するような全てのことが
対象にされると
ここの研究は一番難しいと思うんですけど
今言ったのが大体量的な側面
量的な側面
何冊読んだとか何時間読んでるとか
週にどれくらい図書館に行ってるかっていうのは
数的な量的な側面ですけど
質的な側面を挙げるとしたら
テキスト要因
どんな内容を読んでるとか
どんなジャンルを読んでるとか
読み手要因っていうのは
読解力が高い人が読んでるとか
低い人が読んでるとか
その読み手のコンテキスト
要因っていうのは
どんな理由で読んでるのか
学校の朝の時間に
強制的に思わされてるのか
家帰って趣味で読んでるかとか
そういう状況に関する要因
これは質的な側面で
一応これもある程度
量的に換算することはできますが
一応この二つ量的と質的
さっき言った読書の分類によって
読書の研究っていうのが
様々に行われていますよ
ということが紹介されます
読書に関する測定方法
もう一個最後に
読書行動の測定方法なんですけど
つまりある研究が
Aさんの読書行動とかを
研究するときに
どんな方法があるかっていうと
まず読書日記法っていうのがあるらしいですね
被験者に毎日読書日記を書いてもらうと
クソ困難な仕事だな
これは非常に効果が高い分
負荷が高いんで
なかなか実施が難しいと
質問手法って言って
要するによくある
僕らがイメージしたアンケートとか
どれくらい読書してますかっていうこと
だからこの場合
小学1年生とかの場合
うまく思い出せない場合があるから
ちょっとデータとして
信頼度が低い場合があると
ただし実施するのは非常に簡単なので
多くの場合これ使われていると
あと僕が知らないのが
再認テスト法というのがあって
チェックリスト法とかと
呼ばれるらしいんですけど
本のタイトルとか
著者が大量に載った紙があるらしいですね
テスト用紙
そこには存在しない本も
書本とか著者名も載っていると
その紙の中から
自分が知っているものだけを丸してください
というテストを行うらしいです
実在しないものとかを丸したら
マイナスになって
ちゃんと知っているものを丸してたら
プラスになるっていうので
その点数で
その人がどれくらい
読書に関しての知識を持っているか
これはだから
本をたくさん読んでいる人は
本の名前とか著者を知っているだろうという
前提のことで行う
大まかにそれは多分正しいと思う
統計で見た時に
そんな大幅にずれることはないんで
特点そのものはずれてはいないですけど
直接読書力みたいな
その人の人間のスキルを
測っているわけではないというのは
ちょっと違いではありますね
基本的にこんな程度しか
統計ではわからないですよね
だからなかなか難しいんだけど
大まかにこういうやり方
この3つのやり方があって
検査されているということは
この研究を読んでいく上で
知っておくといいと思いますね
こうやって調べた結果で
わかったことだということを
知っておけたことですよね
語彙力の向上
読書能力どうやって測るのって
結構ラディカルな疑問だと思うんで
こういうふうに
測られているというところが大秘書
だから大秘書は
読書研究に関する知見の読み方と
その研究がどんなふうに構成されているか
あるいはデザインされているのかが
紹介される
ここを踏まえていくと
あとの章がずっと
スッと読みやすくなると思う
そうですね
やっぱ現状できる科学で
最善の方法ではあると思うけれども
やっぱこれを無批判に
全部信じるのは
やっぱり違うなと思いますよね
本書でもやっぱり
研究のデザインに対して
ちょっと不足があるんじゃないか
という研究は
基本的には取り上げないか
取り上げざるを得ない場合は
一応その旨を
著者なりのコメント
そういう形で書いておられるので
読んでいけば
研究に対する批評が
もうちゃんと磨かれると思いますね
本書では
第1部構成する後半の第2章が
誰がどれくらい読んでいるかということで
これは実態研究
実態の調査かな
実態調査
その読書効果に対する研究というよりは
現状
日本人は例えば
どのくらい読んでいるのか
という話で
ここはもう本当にざっくり言うと
まず二極化が起きていると
二極化が起きていると
まず読む人と読まない人が分かれていること
これは実感としてあると
読んでる人が
読む量も増えてるってことが起こってるらしいですね
そうか
そういうことなのか
これまでは30分から1時間読んでたのが多かった
割合としては
1時間から2時間読んでる人の割合が増えたみたいなと
もともと全然全く読んでない人の量も増えているという
そういう山が2つあるような形になってきている
というのがまず
報告されている一つと
あと読まない人はずっと読まない
これは当たり前なんですけど
やっぱりある時期に読まなくなった
ただもうそのままずっと読まないっていう感じ
それは傾向としてずっとあるらしいですね
読まない人はずっと読まない
この2つ
だから現状の日本の漢字でいうと
二極化が起きてて
読まない人はずっと読まないという
そういうことが起きているというのが
第2章で本当に
今ざっくり説明しましたけど
が紹介されてます
本番第2部
読書交換についての科学的知見研究ということで
非常に様々なことが研究が紹介されます
全部追いかけるのはとても難しいので
具体的なところは本書を直接読んでいただいたらいい
やっぱり全体として穏やかなというところが
語られているので
こうすれば必ずこうなるという話は
一切出てこないということは
覚えてもらいたいんですけど
まず読書は語彙力を伸ばすのかという問題なんですけど
まず伸ばすのは伸ばすと
伸ばすに決まっているという話なんです
というのも僕らは
言葉を内的に生成するわけではなくて
言語を生成するわけではなくて
他の誰かから学ぶことで
聞くこと聞いたり見たりすることで
言葉を獲得していくわけですよね
本を読むっていうのはその一つの手段なわけで
それはだから教育的
伸ばさないはずがないのか
伸ばさないはずがない
絵本を読んで言葉を覚える子どもがいるんであれば
言葉を覚える手段として当然あるわけで
本を読んで語彙力が伸びないということは
まずないわけで
だからどう伸びるのかとか
どんな読み方として伸びるのかということは
一つ研究材料になるし
伸びるのは決まっているというのがまず確認されて
面白いのは偶発的単語学習の実験というのがありまして
意図的に学ぼうとしていない状況で本を読んだときに
学習が進んでいるのかが実験されたんですね
それは結論から読書中に意図せずに
語彙を学ぶことは起こっているらしいと
どういうことかっていうと
これから文章を読んでもらうときに
被験者が知らない単語がそこに含まれていると
その知らない単語は別に
本当に実在する言葉で知らん言葉でもいいし
人工的に作られた言葉でもいいと
本を読み合うときに
その未知語、知らない言葉に対しての試験を行うと
読む人はその言葉が試験されているとは想定していないわけですね
読み終えた後にその言葉について試験されるわけですから
もし覚えていたとしたら
それは意図しない学習がそこで行われていたと言えるだろうと
平均学習率が15%くらい
だから意図していない勉強、意図していない読書でも
大体15%くらいは無意識に学習が起きていると
これだからね、面白いんですけど
僕の読書経験からでも言いますけど
ただ面白く読んだ本でもこれぐらい覚えてるってことですね
言い方としてはそうできる
逆に言うと
何か本を読んで
頭に残らなかったって嘆いてる人はいると思うんですけど
だから75%くらいは覚えてられなくても別に普通で
むしろ1回読んだだけで
多分10%くらいちょっと覚えてるんじゃないかなと僕は思うんですよね
そういう読書でも
平均的学習率として15くらい
多分あるんじゃないか
それぐらい言えると思うんです
この実験で面白いのは
未知語、つまり知らない言葉が増える割合が大きくなると
その学習効果が下がるらしいんです
まあ想像はできる
実際僕の読書経験でもそれは言えると思います
だからほとんど知ってる内容のうち
ちょっとわからん言葉が含まれてたとしても
それは文脈で推測して
その言葉の意味を何となく把握するってことが起こり得ますけど
知らない言葉が増えれば増えると
そのような推測が難しくなって
そもそも分かってないままに読んでるってこともあって
それは覚えられない
だから難しすぎる本を読んでも全くわからない
未知語が全然含まれてない本を読んでも
当然5位は増えない
だからちょうどいい
ちょっと難しい
少し自分のレベルから見て
ある程度の割合未知語が含まれてる本っていうのが
おそらく良いテキストなんだろうなということが
まずこの学習の研究から分かりますよね
ですね、あと同時に思ったのが
やっぱ同じジャンルを10冊ぐらい読めば
ある意味その分野の7、8割ぐらいの言葉が
覚えられそうな気がするし
特に重要なものは何回も出てきてるわけで
復習効果があるわけですから
より深く覚えてるでしょうし
だからやっぱり同じジャンルを何回も呼ぶと
読書が語彙力に与える影響
こうやって勉強するぞっていう強い意思がなくても
人はやっぱり無意識的に
そこの使われてる言葉とか
言葉の意味っていうのを学習することが
おそらく起きてるんで
強い勉強法がなくてもある程度
読むテキストのレベルさえ間違えなければ
学習が進むんじゃないかということが
なんとなくまず想定される
ですね、もう一個同時に思ったのが
クッソ難しいのを諦めずに
分かるまでずっと読むも
もう一段階先のことを考えると
めちゃくちゃ割の良い練習なんだなと思って
かもしれないですね、そういうことも言えるかもしれない
とにかく平均読書学習率が15%
勝手に無意識に学んでるのがあるとして
それはだからこれで
科学的な知見が出ましたと
これはそのまま読書すれば
語彙が増えると言えるのかどうかってことですね
つまりここで生態学的打倒性はどうかという
難しい言葉が使われてるんですけど
それって実験しただけですよねってことなんですね
特殊な環境で読書をしたときに
その効果が出るのは
非常に誠実な本ですねやっぱこれ
でも僕らが例えば日常的にしている読書で
同じことが言えるのか
あるいは学校で先生に本を読ませたときに
全く同じことが言えるのかっていうことを
もうちょっとちゃんと考えた方がいい
でやっぱりさっきまで言うと
選書の難しさがあると
自分が選ぶと
優しい本ばっかり読んでしまって
レベルが上がらないし
先生が読んだ本は好みに合わない可能性があって
それはやっぱり楽しんで読めないし
その後やっぱ読書の効果もあんまり上がらないと
でリーっていう研究者が
本人に合った本を選べるのは本人だけっていう
非常に大切な提醒を述べてまして
こうするとやっぱりじゃあ
読書に対する子供に向けの教育って
相当に難しいなということをまず感じますね
これはね
そうですね
無限に本があればいいじゃんって一瞬思ったけど
それはそれでまたやっぱ選べないですよね
選べないですね
だからやっぱり教師ってたるものの
その一つのスキルは
その人のレベルとか好みを見定めて
これがいいんじゃないかって言える
選べる能力が多分あるんじゃないかなとはちょっと思いますね
この研究データを見ると
適度に選択肢を絞ってあげて
でも決めつけてはいかんというとこもあると思うし
これは結構特殊な技術が必要だと思いますね
だからとりあえず本を読めば語彙が上がるっていうのは
当たり前と言うとしても
実生活上での読書が語彙学習につながっているのかは
ちょっと研究を見て考えたいなというところが
確認されて次の話なんですけど
さっき言った3年生とか5年生に対する研究っていうのが
横横断研究なんですね
横一斉にやる
もう一個縦断調査っていうのがありまして
縦断調査っていうのは同じ人を
長い期間で追っかけるやつ
親子調査データっていうのがあって
それは小学校1年生から高校3年生までの縦断データらしく
これはかなり大規模だと思うんですけども
一応日本でもそういうデータがあると
そういうデータを見たときにまず
ちょっと怖いなと思ったのが語彙力スコアっていうのが分析されたんですけど
小学6年生の中央値
語彙力スコアの中央値っていうデータが
中学3年生の21%ぐらい
高校3年生の12%ぐらいが
高校6年生の中央値より低いんです
だから中学3年生とか高校3年生の
20%とか10%は小学6年生の
語彙と同じかそれより低いってことなんですよ
全体で見て?
全体で見たときに
小学校6年生の真ん中ぐらいの人の値
語彙力、語彙レベルとしましょうか
語彙レベルが仮に10やったとしたら
小学3年生の20%も語彙力10ぐらいなんですよ
中学20、中3の20%が
語彙力10しかない
高校3年生でも10%ぐらいは同じぐらいしかない
結構やばいですね
これは結構やばいと思うんですよ
アフタートークでも学力崩壊という本を紹介したと思うんですけど
問題文が読めなかったら解けないですよね
小6の中央値でしょ
トップ値でもないですもんね
そうそう
だから語彙が読めないと
日本語の問題はすべて日本語の文章で書かれてるわけですから
日本語の文章が読めないと
あらゆる学科についての問題が解けないということになってしまうんで
語彙力がそんなに伸びてないということは
やっぱりこの大きな問題だと
だとしたらどうやって語彙力を伸ばしましょうか
っていうふうに教育政策は考えるべきですね
当然
だから語彙力の伸ばし方っていうのがやっぱり重要な
科学的な知見に求められることなんだということが
ここで語られて
これは確かに語彙力というのを舐めたら
想像以上に結構すごい
3パーとか5パーなら分かるんだけど
10パーなんだ
10パーとか20パーは
高3で10でしょ
だからやっぱり相当にどっかから語彙力が伸びてない
ずっと留まったまま
でも小学校出てから何もせんとか分かるもんな
想像として
その語彙を伸ばす訓練せずに
自分らが同じ共同体で同じ語彙で喋っている限り
新しい語彙が増えないと思うんで
田舎ヤンキーがそうなるってことですよね
そういうふうに
置かれた環境でそういうことは全然あり得ますね
一応読書は語彙力を伸ばすというのがあって
語彙力が読書を伸ばすという総合関係も一応あると
本を読んでいる子供は語彙力が伸びてるし
語彙力が伸びたら本を読むようになるから
読書量も伸びるっていう
どんどんどんどん上がっていくということは一応あると
ただし研究結果のデータを見たら
そんなに巨大な効果があったわけではないと
読み取れたんですけど
著者が言うには
もしかしたらデータが不十分である可能性もあると
その読書と語彙の関係性について
日本のその研究では
読書時間が0時間の人と2時間の人1時間の人
全部混ぜて読書効果を判断してたんですね
でもゼロの人は読んでないから効果がないわけじゃないですか
だから平均見た時に低い方に触れますよね
だからそこを考慮したら
もしかしたら違うデータが出るかもしれない
教育における読書の難しさ
っていう一応コメントもあって
別にだからどうっていう結論はないんですけど
その研究データがもしかしたら不十分かもなっていうことが
一応法則されてましたね
じゃあどうやって語彙力を上げるかっていうところを見ると
さっきの横断とか縦断じゃなくて
介入研究っていうのがあるらしい
介入研究っていうのは例えば子供たちを集めて
サマースクールに参加してもらうと
あるグループはAのことをしてもらう
あるグループはBのことをしてもらう
あるグループは何もしないと
した時にサマースクールが終わった時に
例えば語彙力がどう変化してるのかを測ると
プラスの変化があった時に
Aは語彙力に変化をもたらすものだって分かると
いわゆる科学的な実験ですね
要するに実験的なことをするのが介入研究
これがはっきり分かれば分かるほど
政策とかを考える上では役立つわけですね
面白いんですけど
メタ分析した結果ね
介入は語彙力にプラスの影響を与えないことが分かったというのが
素晴らしい結果だと思う
いくつかトリックというか内側がありまして
その研究をほとんど多く見ると
児童のモチベーションが関係していると
サマースクールに語彙力の改善のためのサマースクールを始めます
参加してくださいって言った時に
どんな子供が参加しやすくいいかというと
当然語彙力得意な子供は参加しないわけですね
基本的には
むしろちょっと自分の語彙に心配のある子供とか
両親とかがそこに参加しようと思う
ほぼ100%親の介入でしょうね
やっぱりそういう状況からスタートした時に
好ましい結果が得にくいということがまずあり得るのではないかと
もう一個がその研究の多くは
さっき言ったミチ語のテストばかりじゃなくて
一般的な語彙力のテストも含まれてたんですね
一般的な語彙力のテストということは
その人がどんな言葉を知ってるかなんですけど
あまりにも語彙っていうのはものすごく巨大な空間なわけですけど
この介入研究で介入した時の
期間も短すぎるか
介入した時に増える語彙っていうのが
領域Xだったとして
その試験にそのXが含まれてなかったら
増えたかどうかわからないわけですよね
あるいはXが一部しか含まれてなかった
その一部の分しか増えないから
そうした時に本当に語彙が増えてるのか
ちょっと測りきれてない可能性もあるのではないかと
勉強者は述べておりました
でも一応その他の研究結果を見ても
語彙力が低い児童において
もともと語彙力が低い児童においては
そうした介入とか学習成果は
小さいという結果が出てるらしくて
これはさっき言った
知ってる言葉が増えれば増えるほど
未知の言葉がわかりやすくなるということ
僕は関係してるんじゃないかなと思うんですけど
やっぱ言葉がわからんと
勉強いつまでたってもできるようにならんと
それ以上増えてはいかないということがあって
だからやっぱりその辺が
介入研究の成果
こういう僕たち
僕たち社会が改善したいのは
この語彙力が低い児童なんですけど
そういう児童に対して
介入した時に効果が低いっていうことが
多分一番難しい問題としてあるんじゃないかなと
ちょっと読んでて思いました
そうですね
ラーメンベーター的にもやっぱ結局
一番まず大事なのが好きであるかどうかというか
興味を持てるかどうかなので
そこなかったら
そりゃそうだっていうのも思いますね
語彙力が低い状態で文章を読むのも苦痛でしょうから
余計やりたくない
余計になる
だから不のループの循環にはまってしまう可能性は
全然高いですよね
全体的に介入したら絶対に効果が上がらないとまでは
研究結果の不足があるので
はっきり言えないですけども
仮にあったとしても
語彙っていうのはさっき言ったように膨大な空間なので
急に上がることはないんですね
基本的に語彙にはコツがないって書いてあるんですけど
確かにそんなすごいね
コツがないか
文法とか発音とかはコツみたいなのがあって
それをマスターしたら次からスルスルできるようになりますけど
語彙ってそれはなくて
着実に語彙を増やすしかない
努力をするしかない
語彙はちょっとずつ増やすしかないっていうのが
原則位置とか変わってくる
平均的に効果は大台下で
気長に気楽にやっていくっていう
楽しく長く続けていくことで
少しずつ語彙っていうのは増えていくんだろうな
というのが読書と語彙の関係
だから本を読めば
たぶん1ヶ月本を読んだら語彙がバーって増えるってことはまずなくて
何年か通してやっていくうちに
徐々に語彙は増えていく
何年か続けていくためにはやっぱり
それが楽しくないといけないんで
最初の楽しさをどう担保するのか
やっぱり一番難しい課題かなとは
ちょっと読んでて思いました
やっぱりその
読みの跨い効果って
止めるものはより富に
貧しいものは貧しいっていうことがあって
読書している人はやっぱり
読みの跨い効果の前者の部分
豊かなものはより豊かになることを意識するんですけど
逆もあるんですよねやっぱり
読めない人が読めてない状況に対して
読めてる人が読めばいいじゃんっていうような
言い方はたぶんそうじゃないんだよなとは思いますね
読書の語彙力への影響
この困難な状況に置かれている人たちは
読書を断然さと読んできた人たちに比べて
語彙も少ないし読解力も低いから
やっぱり相当に困難を抱えていると
これを読めって言われて読めんってやつですよね
だからどうその最初の読みに
関与したらいいのかっていうところが
あるような
3章は
3章は結構考えてて
読みながら考えることが多かったんですけど
あともう一個最後に
読者は書く力も高めるということで
これは書き手にとっては非常に嬉しい話なんですけど
基本的に論理的には十分にあり得ると
なぜならば書くプロセスの筆で
読むプロセスが含まれているからということで
実際そうなんですね
自分が文章を書く時に
自分がそれまでに書いた文章を絶対読むわけですから
それを遂行する時も
新しい文章を作る時も
これまでに書いた文章を読んで次の文章なので
読むスキルが高いと書くスキルも
高くなるかどうかしらけど
やりやすくなってくるだろうなとは思うんですけど
これはね
実証的にはあんまり
効果が証拠があるとは言い難いという話で
なぜかというと書く力を評価するのが
読む方がまだテストは簡単そうですよね
簡単ですけど
この書く力っていうのを仮に
概念を定義した時にある程度の
長さの文章によって
文章作成者が自発的に考えたことや
体験したことを
より良く書く力と定義
どう書いたら
より良くなってるのかが
だいぶ主観的になってしまうんで
だからこの
科学の知見から言って
書く力を高めるという
証拠が出揃ってるとは言い難い
というのが
著者がちゃんと補足しているところです
だから3章のテーマを
ふくり返っておくと
読書は語彙力を高めるかということですけど
高めるのは高めるけども
本を読んだら高まるというような
簡単な話じゃないというのが確認されたところですね
高めるのは高めるけれど
そうですね
あとは1日で効果ない
でもやっぱ同時に思ったのがやらんかったら
絶対高まらない
だからどう
最初に取り組んでもらって
どう続けていってもらえるかというのが
語彙力を高めるためには必要で
読書と人格の関係
だから本を読む時間を
作りました
本を読みましょう
じゃあ卒業後には語彙力が上がってる
ということには多分ならなくて
もうちょっと決め細やかなフォローが
必要だなというところで
だいぶ紹介されるくらい
多いんですけど
4章だけずっとじっくりやらせていただきたいんですが
読書は人格を高めるかという話で
性格が良くなるか
教養主義的な感じでありますよね
本を読めば
得が高い人になれるみたいな感じ
それって本当なのかというところで
それも科学的な知見が出てくるんですけど
まずビッグファイブモデル
第何回か忘れましたけど
ビッグファイブモデルですね
神経症傾向
外交性傾向
愛法遂衛傾向
協調性傾向
禁弁性傾向
5つのパラメーターで人の性格
行動傾向を分類する
みたいな感じ
この5つのパラメーターで
何が一番読書量
つまり読書量と相関を持っている
性質ってどれだと思います?
協調性
だと思うんですよね
今の話で言うとそうだと思う
禁弁性だと思うんですけど
開放性らしいですよ
唯一パラメーター関係あったのは開放性らしい
開放性って新しいものを知る
みたいなものとして理解したら
確かにそうかもなという気はしますが
しかもこれあれですね
芸術家に必要な素質ですね
ビッグファイブで出てきたやつは
もちろんさっき言ったように
R1とかの相関では全然なくて
もっともっと低いんですけど
他は全然関係なくて
唯一関係があると言えたものが
開放性だったということですね
まず読書
物語の読書は
他者の気持ちを押し量る
力を高めるかどうか
かどうか
これはおおむね高めるだろう
なんですけど
なぜなんだろうかと
理由ですね
因果はどうなっているのかっていうので
3つ仮説があるらしいんですよ
シミュレーション説っていうのがあって
読書するときに
黒いインクのシミを
音に変換してるだけじゃなくて
僕たちはその世界を描いて
その世界に没頭していると
没頭しているというのはどういうことかというと
脳が実際に
その現実の現場に遭遇していると
同じ動きをしている
ネットワークが駆動している
だから現実を
擬似体験している
からそれによって他者の気持ちという
その登場人物の気持ちを
押し量っているから
押し量る訓練をしているみたいな
能力が磨かれているというのがシミュレーション説
次が人間心理についての
知識獲得説
例えば今のは体験
経験でしたけどシミュレーション説
そうじゃなくて人は
権力に就くと横暴になる
っていう概念知識
を知る
知識から
権力の罪に就いたから横暴なこと
してるんだなみたいな
想像ができる
これは体験ではなくて
知識なんで2つはちょっと違いますけども
どちらにしろ
どちらにしろ何かしらのものを
得得して
現実に対応する
力を磨いているというのがこの2つの説
性格説というのがあって
それは
基本的に否定されている
この3つあってその人の
性格やからそうだったということは
これは一応否定されているので省略しますけど
この3つの説の
どれかとむしろこれは複合
ではないかというような話があって
なんていうのかな
スパセン
SP小文字のA
CENフレームワークっていうのがあって
ソーシャルプロセスアンドコンテント
エントランド
バイナラティブっていう
ものの省略結構長いんですけど
基本的に
社会的認知を促すのは
物語らしいですね
それは何かわかります
この物語っていうのが
まずその物語が
僕らが今生きている社会を
表現していなくてはいけない
あるいはそこの中に社会と呼べるものを
含んでいる必要がある
だから人が一人出てきて
頭の中で考えて
終わるっていうのはこれは物語ではないわけですね
少なくとも
ここで言う社会的認知を促す
物語ではない
そこに言った人との関係とか
あるいはその人が
所属する共同体がどういうものであるか
っていうものがそこに表現されていなくと
その社会的認知っていうのが
促すような物語ではない
もう一個は正確な社会的知識を
含んでいくこと
これはさっき言った
知識概念の獲得と一緒だけど
社会がこう動いているかっていう
説明なり
説明か
何が含まれているものが
そういうのが含まれている物語に触れることで
社会的認知が
促されるだろうと
面白いのが物語は
社会的認知の学習のための
理想的環境ではないと
そのフレームワークを発表した
方が述べられてて
別に
物語を使えば
非常に効率的に社会的
認知が進むものではないと
特に
即時的フィードバックがある学習とは違う
つまり何かやりました間違いです
っていうフィードバックがある場合って
学習ってすごいしやすいと思うんですけど
物語ってそれはないんですね
物語を読みましたそれで社会が分かりました
っていうフィードバックが来ないわけですよ
一応終わったらあいつは
権力についてその調子に乗ったから
殺されてしまったんだなみたいな
想像はできるけどその想像が正しいかどうかは
その人と接しないとまだ
わからないわけですね
なので
物語というのに長期間触れて
現実にその知識を得た知識とか
シミュレーションで対峙して
フィードバックをもらってまた
別の物語とか自分なりの
数を変えてということを
時間をかけて磨かれていくもの
それをこの研究者の
マーっていう方は
筋力を鍛えるというメタファーで述べてまして
一気に
なるものじゃなくて
じんわりと社会的認知
トレーニングみたいものを
物語を通してしかもその特に
理想的なものではないけども
ゆっくり時間をかけてやっていくっていう風に
紹介されているのがこの
フレームワークですねこれは非常に
そうだろうなという感じがしまして
物語を読むときに僕たちはだから
ただ楽しむだけじゃなくて多分それを通して
そこにある社会っていうものの
概念とか人の心のありよ
っていうのをまず学んでいくと
こう考えるときに
やっぱり
いわゆる文学
複雑で深みのある
登場人物を提示する文学と
ステレオタイプで分かりやすい登場人物を
示すポピュラー小説を
2つ比べたときにやっぱり
文学の
複雑な文学の方が効果があるらしいんですね
社会的に
この研究ではそう言っている
人の心を読む
これもよくある研究
ですけど人の目の
写真だけ見せて
感情を押し量るっていうテスト
でやっぱりちょっと違いが出るという
これもだからただ目の力
目で判断する力が上がっただけだろう
と言われたらそれはそうなんですけど
その実験自体に問題はあるというか
疑問はあるかもしれないけど
そういう結果
そういう効果についての違いが
まずは2種類の
タイプの小説で違いがあるというのは
ちょっと面白かったですね
そうか、芥川賞は
直樹賞より芥川賞がいいぞ
っていう言い方ができるんですよね
その話で言うと
子供向けにある種の
人格形成を望むときにどういうのを読んだらいいか
というのはこういうところで考えられるとは思います
でももちろんだからといって
文学を読まない読書はダメだ
みたいなことは全く言わない
つまらなくて読まないよりね
読んだほうがいいだろうなと思うからね
それは間違いないですね
ここの章もちょっと面白い話があるんですが
時間がないので飛ばしまして
読書と心身の健康
第5章が心身の健康ですね
これも
ドバッとまとめますけど
基本的に
ボケにくいみたいな認知に対する
効果はあると
そんな穏やかですけど
ある
ただし読めば読むほどいいとは言えない
やっぱり
週12時間の読書がベストと
さっきは1日1時間だから
ちょっと多いですよねその平均パラメータ
2時間ぐらいかな
だから読まない
読まない日を含めての
2時間ぐらいまで
がまあいいと
これもいろいろあるんですけど
当たり前ですけど本を読む時間が増えると
他の行動をする時間が減ると
当たり前だ
特に
小学校とかは
まだ良くても中学校から
受験勉強みたいなのがあると
受験勉強を
している子供が
読書の時間が
読書の適度な量
増えてしまうと
睡眠時間とか
友達との交流が減るわけですよ
こうなると
良くないだからさっきの
1時間半ぐらいは子供ですね
子供を対象にして
比較的うまくいっている子供と
そうじゃない出た子供を比べた時に
その大体1時間半ぐらいが
ちょうどいい学生生活を送っている
っていうことの研究だった
これはもうちょっと広く大人向けにも
言えることだよね12時間ぐらいは
大人向けに言えると思いますけど
とりあえず読みすぎは
ダメっていう
それしかしないのが遺憾っていうイメージですよね
言い方としては
他のことをしてって言うのはあるんだけど
もう1個は
読書量が増えた原因っていうのが
さっきゴルフさんで言われたように
他のことができないから
例えば孤独だからとか
もっと言うと
病気になって他の活動が
できなくなったから
読書をしましたっていう人が
データとして入った時に
読書をすると不健康
読書と不健康の相関が上がってしまいますよね
だからデータから
読書が増えたら即っていうこと
読書時間が長い生活
長すぎる生活っていうのは
不健康の可能性があるというのは
ちょっと言えると思う
統計的には絶対出てきてしまう
とも言えるのか
基本的に読むのは
例えば
20歳から本を読み始めて
例えば目が十分使える
70歳くらいまで
適当な量で本を読んでいく
っていうのは多分認知的に
当然いいとは思うんですけども
だからといって本を読めば読むほど
いいとまでは言えなくて
他の活動を妨げない限りの
ある程度
自分の生活時間の中で
読書っていうのをするのが
おそらくいいだろうということですね
遺伝と環境の影響
6章が
学力や収入を飛ばすか
ですけどここはもう飛ばします
気になる方は読んでください
一番気になるところを
飛ばします
第7章が
読書の行動遺伝学
なんですけども
読書を
人に進める
進める人の一つの信念
として
知能とか性格
っていうのは少なくとも直接変更
することはできないと
でも読書をするかどうかっていうのは
個人の裁量で決められるじゃないかと
変化させられるじゃないかと
だから読書をしようという
働きかけは有効なのではないかという
信念があるとして
それは本当なのか
というところが語られているんですけど
そこで出てくるのが
遺伝なんですよね
読書行動もやっぱり遺伝の影響を受ける
親の読書が得意な遺伝っていうのを
持っている子どもはやっぱり読書が
ある程度得意になる傾向が出てくる
もう一個ややこしいのは
遺伝に対して
環境っていう要素があると思うんですけど
環境も結局
遺伝に影響されるんです
なぜならば
文化的資本が
読書が得意な遺伝子を
持つ親の家は
大抵本がいっぱいありますよね
その子どもが
読書を得意に生まれてきた時に
本がいっぱいの上に
本がいっぱいの環境に
生まれているわけですけど
環境なのか遺伝なのかややこしいですよね
結局
100%遺伝
あるいは環境って
言いづらいところが結構あるという話で
やっぱり遺伝の
影響は避けがたい
でも遺伝だけで100%説明できない
さっきの創刊を
見たとしてもやっぱり遺伝やから
Rイコール1っていうことはならない
遺伝だけでは説明できないものもいくらか
はあると
でもやっぱり遺伝っていうのはあるんだっていうことが
読書の楽しみと提案
複数強調されてるんですけど結局
遺伝的に無理な人は
無理ってことなんですよ
これは結構諦めの言葉に聞こえるかもしれないけど
無理なものは無理っていう
ある種の定観は結構重要で
それは無理な人に
例えば無理な子供に
無理な読書をずっと続ける
ってことはこれ教育というよりは
拷問に近いわけですね結局のところ
もちろんその
初め苦手に見えたけど
読書に面白い本に
触れることによって読書能力が
開花するってことは一定数あると思うんですけど
ある程度
介入働きかけをした後に
それでも無理ってなったら
この子には
違うアプローチをした方がいいって思える
ためには
それはやっぱりその遺伝による差っていう
もっと言うと個性ですね
この個性って言い方すると
非常にふんわりするけど
遺伝的に無理って言うとかなり無理っぽい感じがすると思うんですけど
それぐらいの認識で
持った方がむしろ
個々の子供にとって適切なアプローチが
出てくるんじゃないかなっていう話と
あと
子供が年齢が高まるほど
遺伝率つまり遺伝が
その傾向に与える影響って
高まるらしいんですよ
僕たちは大人になるほど
遺伝の影響を受け
行動に
表現しやすくなってくる
遺伝子に反応する
そっちに近づいていく
僕なんか逆やと
ずっと思ってたんですけど
でも
よくよく考えると子供の時って
特定の環境にいるわけですよね
だから環境に受ける影響が
強いわけですよ
でも大人になると複数の環境に行くわけですね
環境の影響が慣らされてくると
残るのは何かっていうと
遺伝なんですね遺伝的
つまり僕がDNAで持ってるものの影響が
より強く見えてくるようになるという
話なんですね
これなんかだから
生きていけば個性的
自分らしく個性的になるような気がして
ある意味一番自分らしく個性的になっている
ある意味一番
自分に持ってたものが
発露されてくる
三つ子の話100話で
こういうことなんだなとはちょっと
思いましたね
そういう遺伝の話も
こういう読書に関する
傾向の話をする時にやっぱりその
遺伝の話っていうのは
抜け抜くことができないと
例えば
子供の頃に読書を
していた人が
中学校の頃に語彙力が
伸びているという研究があったとして
それはそういう遺伝子を
持ってたからではないかという疑問が
ずっとあると
ある遺伝子を持っていると
ある時期に本を読みたくなり
ある時期に語彙が伸びるという効果があったとしたら
さっき言った
読書によって語彙が伸びるっていうのは
疑似相関なわけですね要するに
第三の要因の
遺伝子っていうのを見逃していると
そう感はあるけど
因果ではないってことですよね
一応
統計的な
ちゃんとデータを見たら
読書と語彙の伸びはちゃんとあると
言えると
著者自身がさっき言った疑念があったんですけど
それは一応解除できたと書いてあったんで
もちろん遺伝は関係するけど
遺伝だけではないというところ
この両輪が抑えておくといいと思います
これはだから
子供とかを見るときでも
やっぱり
向き不向きというものの絶対性っていうのは
どこかで出てくるというのは
覚えておいたほうがいいと思いますね
最後第8章なんですけど
最後提案ですね
ここまで
語られてきたことのまとめでもあるんですけど
最初に言った
原則1
平均的な効果は穏やかで
気長に気楽にということで
語彙があって
読書効果のことなど
忘れて気楽に
読書と付き合うことが
それを親や
教師がやれるのか
わかりませんけど
こだわりすぎても
結局相関は低いわけですし
遺伝によって絶対無理なことも
あるわけですし
しかも効果が出るのが
積み上げた後のことでもあるわけですから
短期的な効果を求めて
こういう効果があるから
本を読みなさいというと
気楽さがなくなってくるわけですから
そうすると読書というのが
押し付けになってくるんで
緩やかな気持ちで
見守ったほうがいいし
大人についてもそうやと思うんですよ
ここまで読書効果のことを
いろいろ語ってきましたけど
最初に出てきたように
楽しい本を読むということ
多分読書のコツとしては
あるいは極理としてはないと思うんで
いろんな
効能が効果が確かめられた
最終的に
それを別に忘れて楽しんで
読むのがいいだよと
書かれているのが
僕は結構ロックやなと思ったんですけど
第2の原則も
読みすぎは兵が読むと
目安は
30分から1時間ぐらい
おそらく小学生に向けて
という話ですよね
大人に向けてもやっぱり
十何時間あれ多いもんな
読まない日も
加味した時に土日は読まない
他の活動するとかってやった時に
これぐらいのもんで
全然十分やし
逆に土日はたくさん読むとかもあって
それは別に選択はできると思うんですけど
ここの
目安なんですね目安はって書いてますけど
これが尺子定義の
規範ではない基準ではない
あくまでこういう時間を
ベースに考えたらどうかということで
結局自分が
営んでいる生活
とか自分の性格とか
今自分が何かやりたい
っていうのに照らして
意識的に調整するのが
いいのではないかという提案で
これもね本当に
真っ当だなと思うんですけど
まじでね睡眠が6時間より少ないんだったら
本なんか読むより寝ようって思うからね
ほんまにそうだから
私は読書1時間で成功しました
で1日の睡眠時間を
5時間でしたとか
それはお前が耐えられただけだったよな
みたいなそういう生物だったから
とあと早く
死ぬかもしれないしね
しかも例えばその
えーと独身
男性だったのか
パートナーがいたのか子供がいたのかによって
変わってくるわけじゃない適正な時間
っていうのはそれを
考えないままエビデンスで
こうだからという最初に出てきた話は
やっぱり乱暴でまあでも
目安があった方がいいというのは僕もそれを
考えますんで
あとずれてもいいというのを
強く言っておかないといけないんですよね
でもやっぱり例えば普通に生活して
1日4時間読むのは相当多いと思いますよ
これは4時間は多分多い
社会生活を営んでいたら
困難ですね
僕らのような
偏った生活してた場合
ですらちょっと読むのは難しい
つらい
だから何時間でもいいけど
活動してる時間のうちの何時間かは
例えば30分しか
読めへんかったなってその後悔を
抱く人特に
SNSとかで読書家をフォローしてると
全然読めてないみたいな感じ
があるかもしれませんけど別にそれで
多分全然良くてそういう
読書の重要性とアプローチ
ラインを目安をベースとして考えていく
っていうのがいいということが提案されてまして
まあ四国もっともだというのが
原則2で原則3が
個人差は大きい読書そのものが
合わない人もいるというのがあって
子どもについて
読んでみたらいいんじゃないとか言って
本を促すとか
読めるとこに本を並べておくっていう
ところまでは別にいいと
でもそれ以上は別に
もっと読めと言うのも間違ってるし
読みたくない子どもに
押し付けるのもやっぱり違うと
だからそのやっぱ楽しみのための
読書をキープしておけば
その習慣化せよなって言わなくても
子どもは本を読む人間になるわけですね
基本的にはで楽しんで
いろんな本を読んでたらやっぱり
新しい本を読めば読むほど
新しいジャンルに手を出すほど語彙も
自然にゆっくりと増えていくわけで
それはあとは
読みすぎをちょっと読みすぎで
静止してあげればでその他の
友達と遊ぶ時間とか
家の何かを手伝う時間とか
課外活動する時間とかを
キープしてあげれば読書っていうのは
非常によく付き合っていけると
で合わない人に対しては例えば
物語が重要だと言いましたけども
それは小説に限らんわけですね
物語の効能っていうのは
映画でもいいし耳で聞いてもいいし
いろいろ
今だったらVRとかもありますけども
何かしらの物語要素を
踏まえるものがあれば
全然いいんで
子どもの特性を
見極めてメディアの提案を変えていくとかも
やっぱり子どもに
子どもと接する上では重要ではないかと
述べられてますし
大人が自分をマネージするときも
やっぱり
字を追うのが難しいって時に
オーディオブックっていうのは
半読書みたいな半分の半ぐらいの
読書効果があるなと
僕も聞いてて感じたんで
そういう風に
選択肢を提示してあげるのが
確率的に本を読めというよりは
はるかに人間的というか
理理的な対応やなとは
思いますね
しきじ生涯とかって
思っていたより
相当多くの人が持っているとかって
言われてるんですよね
その人たちも相当の工夫して
文字を読むっていう能力を
獲得していく
脳の仮想性としてはすごいなと思うんですけど
決定的に合わないであれば
物語とか知識を増やすっていう
場面において
必ずしも読書である必要はない
子どもがどうしても無理であれば違うのを
提案するっていうのは
懐の広い教育の方針やなとは
ちょっと思いますね
うちの息子とか
何も本読まんからね
学校では何か読んでるっぽいのかなそういえば
でもやっぱり
子ども幼少の頃会わなかったけど
中学になって
読み出すみたいなパターンもあるみたいですね
何も期待しなく
期待じゃないな
言わんとこうと思ったし
読んでいるところを見せようっていうのだけは
意識している
子ども自身があれ
なんか楽しそうなことしてるなという姿
背中を見せることで
読んでみて
合う合わないが当然あるわけですけど
合わなかったらしゃーないなって
ある程度気楽に諦めて
もっとその能力を開発できるような
趣味とか対象に
没頭できたらそれはそれでいいかなって
思えることがやっぱり
そういう広い心で思えることが
読書との健全な
付き合い方をしていく上で
自分自身でも子どもに対してでも
言えることかなというところで
全体としてやっぱり
非常に穏やかで
現実的実際的で
非常に人間的
機械的コンピュータ的ではない
態度を啓蒙される
メディアと物語の役割
本だったかなと
思いますね
知見の紹介もやっぱり面白かったですけど
著者のスタンスとか
研究結果に対してこういうところが不十分
じゃないかなってコメント付けるところはね
歴史学はどう読むかやったかな
の本を読んだ
言ったらある種学術的な
マナー賞に触れる
本としても今生は面白かったんで
そうかドストレートに
書いてあることを信じるだけでもダメで
そうですね
こんな風にして読めるよとか
ここにはアラがあるんじゃないかなって
示されることで言ったらエビデンシャリズム
との距離感も変わってくると思いますし
ノウハウ
っていうもののR1みたいなのがない
っていう風にすることは多分
読書以外のノウハウとの
読書以外の方も変わってくると思うんで
広範囲において
広く学べる本
でしたが
いわゆるアメリカの
ポピュラーサイエンスみたいに
ストーリーエピソードを
入れてそこに学術的な
知見を混ぜてこれすごいでしょ
っていう本じゃなくて本当に研究データを
読み取りでいくんで
人によっては退屈に感じる部分は
あると思いますそれはもう
そこはゆっくり読んでいくことが
むしろ現在では
必要な読書のスタンスじゃないかな
と思いましたねだからこれ結構ね
本を読むことを日常的にしてる人ほど読んでほしい
科学的な知見とノウハウ
エビデンス
ブームに疑問を
投げかけるという観点でとても
良さそうな感じが
しますね
自分の生活とか
自分の身の回りに適応するときに
こういうフィルターを通して見えひんと
勘違いしちゃうよねってことは
常々思いましたね
科学的な知見というものを
ちゃんとそれって
あなたが
どこから得てきたどういうデータなの?
っていう
実験のデザインからしてだいぶ
さっきの
視線を読めれば人の心が
わかるもう2,3回の
飛躍があるような
めちゃめちゃ飛躍してると思う俺は
言いたいことはわかるけど
一つのデザインですよねその実験の
それだからこれだからこうだ
って言い切れない
科学って言い切らないそういうものですよね基本的にはね
そういう部分的なデザインの知見を
組み合わせて
可能な限りの最善を尽くすだけで
絶対合ってるとは言えない
だから科学的に絶対の効果って言ってる時点で
それはもう科学的ではない
まあ科学が宗教化してるやつですよね
それは
ノウハウにちょっと話していただきますと
昔のノウハウって
スーパーパーソンのノウハウを紹介するもの
だったんですよ
今はどんどんエビデンスによって科学的
検証されたフニャララっていうのが増えてるんですけど
どっちもやっぱり
舞うつばで
割引でしかなかったもの
変わってないと思うんでそこを
改めて確認できたのは良かったですね
極論だってね本書いてるってことはね
それだけなんかこう
頑張っているというか
そうやね
得意な人であることは間違いない
はいということで
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01:22:25

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