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2022-03-01 1:13:52

BC032 『隷属なき道』

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今回の本は、BC026 『Humankind 希望の歴史』著者の前作にあたるものです。

Humankindに大変感銘を受けたごりゅごは、その影響でもう一冊、さらに著者のルーツをたどろうと手にしたものでしたが、これが自分の心を直撃。Humankindは「人間っていいものだよね」って話だったんですが『隷属なき道』はもっとどストレートに「おれたちが変えていこう」という熱いメッセージが込められたものでした。

本編では本書の一通りの部分に触れたんですが、特に印象的だったのがGDPについて書かれた5章の部分。自分がいかにGDPという「常識」に凝り固まっていたのかということを痛感させられ、この本をきっかけに資本主義や現代社会を無条件に受け入れていた自分の認識を改めることができました。

あなたのような人はたくさんいる。連携しよう。図太くなろう。ほとんどの人は優しい心を持っているはずなのだ。常識に流されないようにしよう。

本書の最後に書かれていたこの言葉を胸に刻み、より多くの方にこういった考えをブックカタリストを通じて「連携」を生み出していくことを、ごりゅごの今後の目標としていきたいと思います。



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サマリー

「隷属なき道」というポッドキャストBC032では、"れいぞくなきみち。AIとの競争に勝つ。ベーシックインカムと1日3時間労働"という本が紹介されています。同書の3つの主張(ユニバーサルベーシックインカム、週15時間労働、国境の撤廃)について、現代の豊かさと閉塞感、お金の使い道が話し合われています。ベーシックインカムは、お金がない人が長期的な視点を持つことができず、貧困状態から脱出が困難になる可能性があると指摘されています。また、GDPが経済の健康指標として主要な数値として扱われているが、価値と使用価値の区別ができず環境や農作物の重要性を見落としていることが問題視されています。その上、働くことを考え方や世界観を変える必要性があると提言されており、ベーシックインカムや週15時間労働などの解決策が示されています。

過去最大の繁栄と不幸
面白かった本について語るポッドキャスト、ブックカタリスト、第32回の本日は、「れいぞくなきみち。AIとの競争に勝つ。ベーシックインカムと1日3時間労働」について語ります。
はい、よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
簡単に初始情報等々を教えていただければ。
文芸春秋から2017年に出た本で、著者はルトガー・ブレグマンさん。
ブックカタリストで以前、HUMANKIND。
HUMANKIND、希望の歴史。
希望の歴史という本を書かれた方の順番で言うと、一作前になるんですかね。
はい、なるほど。
2014年にまずオランダで出て、そこから英語化され、一気に大ブレイクして、2017年に世界20カ国で発売され、そこから一気に有名になり、時の人になり、次のHUMANKINDも割といい感じで売れているという著者ですね。
でも、あんまり日本だとそれほど知名度がないんですよね。
そうなんですよね。一部の人がめっちゃよかったって言ってたんだけど、すっげー売れているという印象は、さほど強くなくて。
ただですね、今回のこの冷蔵無き道という本に関して言うと、ブックカタリストを今まで読んだ中で、一番読んでほしいと思った本なんですよね。
言い方は青臭くなるかもしれないですけど、めっちゃ熱くなって、これはみんなが読まねばならんぐらいに思ったりもしていて。
大きな著者の主張が3つあって、その3つの主張を裏付けるために、すごいたくさんの研究結果がちゃんと書かれていて、
さらに文脈の引用の仕方というか、参考文献の引用の仕方が上手なんですよね。
そこは多分、ヒューマン・カインドでもその能力は存分に発揮されていたというイメージなんですけど、
ヒューマン・カインドは大雑把に言うと、人類って素晴らしいものだよねっていう大きなテーマを歌ってたんですけど、
こっちは、世の中をもっとよくしよう、俺たちの力でよくしよう、やってやろうぜぐらいな感じのテーマなんですよね。
それが大変素晴らしく、以前ですね、前回は11月24日に読み終えてたんですけれども、
今回話すために改めてもう一回読みまして、
分かってなかったこととかもいっぱいあったりしたというのも割と大きな発見で、
哲学系とか政治系の、経済系の著名人の名前がいっぱい出てきたりするんですけれども、
その辺の名前も3ヶ月前は知らなかった人がいっぱいいたんですよね。
もちろん超有名人で、自分が知らなかっただけなんですけど、
その辺の名前が理解できるようになってから読んでみると、
改めてもう一回素晴らしいなっていうふうに思えたりもして。
副題がAIとの競争に勝つベーシックインカムと1日3時間労働というタイトルですけども、
経済とか労働の話なんですかね。
そうですね、この本では大きくテーマが3つ挙げられていて、
1つがユニバーサルベーシックインカム。
全員に一律に、条件なしに一定金額のお金というものを渡しましょう。
全員というのはユニバーサルという言葉からして、全世界市民ということですよね。
そうですね、人間であって生存している限り全員にお金を渡すべきだという、
具体的にそう記述されてたかはちょっとわかんないんですけど、そういう意味だととってます。
で、もう一つが週15時間労働。
すごいですね。週15時間労働ということは、タイトルにもあるけど、
5日の労働日で割ると1日3時間。
で、もう一つが国境の撤廃。
それはユニバーサルベーシックインカムをしようと思ったら国境の撤廃は必要。
国境を撤廃するだけで国がなくなるというわけではないということか。
厳密にそこまでそのことに関しては、言い方として国家をなくせという言い方はしてないですね。
国家に入ってこれないようにするのはやめろというのを一番強く言っているイメージですかね。
行き来の自由を完全に担保しましょうという。
そういうイメージですね。
移民を受け入れろという言葉かな。言うならば分かりやすく。
っていう3つの、もうこの段階でですね、やっぱり多くの人が
いやそんな無理でしょって言われるような意見3つなんですよね。
で、それをその1冊の本を書けて、なぜこれがなぜ言えるのかというところまで突っ込んで、
その資料がいっぱいあったり、さらにそこに熱い思いみたいなのもすごいいっぱいあったりして、
順番に話が進んでいきます。
ざっと目次というか章のタイトルだけを読んでいくと、
1章が過去最大の繁栄、最大の不幸。
2章、福祉はいらない。直接お金を与えればいい。
3章、貧困は人のIQを13ポイントも低下させる。
4章、ニクソンの大いなる撤退。
5章、GDPの大いなる差術。
6章、ケインズが予測した週15時間労働の時代。
7章、優秀な人間が銀行家でなく研究者を選べば。
8章、AIとの競争には勝てない。
9章、国境を開くことで富は増大する。
10章、真実を見抜く一人の声が集団の幻想を覚ます。
終章、負け犬の社会主義者が忘れていること。
大体、章のタイトルで流れはわかる人が読めばわかるのかなというイメージなんですけど、
まず最初の1章というのが割と問題提起というか、今がこんな時代だという説明の仕方なんですけれども、
ベーシックインカムを直接渡す
確か見出しにあったと思うんですけど、
過去最大に反映した現代で足りないものは別途から起きる理由であるという感じの話から始まりまして、
今の時代というのが、例えばGDPだったり物質的な話だったりで言うと、
もう信じられないレベルでやっぱり豊かになっているんですよね。
例えばで言うと、そのオランダの話で、
オランダの今のホームレスの生活費というものが、
1950年頃のオランダ人の平均よりもインフレ調整した上で、それよりも十分に多い。
ホームレスの人が一応、つまりギリギリ最低限の生活を送っているお金と、
1950年の一般市民が生活を送っているお金があまり変わらないということですか。
そうです。ホームレスの方が多い。
多いか。なるほど。
黄金時代のポルトガルと比べると、4倍ぐらい多くなっているらしい。
さらにそれはインフレ調整済みのデータである。
当時の1ドルと今の1ドルを別だとちゃんとカウントした上で、
そのぐらい少なくとも現代は金銭としては豊かになっている。
なのに、なんで俺たちはこんなに閉塞感を感じて、
やる気のない時代になった。
やる気というか、生きる目的が見つからないような時代になってしまったんだろう。
というような話をしていて。
一番大きな理由というのが、これだけ素晴らしい世界になったんですけど、
ここから次が見えなくなってしまったというのがやばいよね。
これ以上良くなる世界を想像できなくなってしまった。
それは物質的に豊かになったから、これ以上の豊かさがもっと埋めても仕方がないということなのか、
それとも我々の想像力そのものが欠損しているからなのか。
両方だと思います。
十分に豊かになってしまって、これ以上豊かな未来というものを、
我々が想像しづらくなってしまったというか、
勝手な印象なんですけど、1960年代ぐらいの日本とかアメリカの世界って、
未来予想図みたいなので、宇宙の車が空を飛ぶようになっていて、
自動マシーンがご飯を勝手に作ってくれて、
ドラえもんみたいなものが生まれたのもその頃の時代で、
その頃ってこんなすごい未来がいつかやってくるみたいな希望にあふれてた印象というものが、
実はもう現代もそれに近いような、
今日の天気はって言えば教えてくれたりするような未来が想像しているのに、
最近ってそういう未来というものを想像できなくなってしまっているんじゃないのかなっていう。
ちょっと話はそれますけど、
多分昨今のメタバース人気っていうのは、
リアル世界での希望が持てないから、
別世界の、別宇宙の方向に希望を抱いている人たちが、
そっちに移動しているふうに聞こえましたね、なんとなく。
そういうふうにも取れそうですね。
俺がメタバースの話で言うと、ちなみに印象を受けるのは、
やはりそこにビジネスがあるから人が群がっているという印象はすごい強いんですけど。
でもそのビジネスの元になっているのは、
何かそこの初期の頃にいた人たちが持ってた希望なんじゃないですかね。
これまでとは違った世界がそこに待っているという、
リアル世界では創出されているような希望がそこにあるんではないか。
僕はあまり感じてないですけど、
そういうのが何か起点になっているんではないかなという気がしましたね、今。
なんか言われてみると確かにそういう印象はありますね。
この話ではそういう拡張現実というか、
仮想世界みたいなことに関しては全く触れてはいなかったんですけれども、
確かに今そのVR云々というのはそういうようなことも結構あるのかもしれないですね。
現代の若者って、
うつ病が真剣にやばい病気にもなってきているらしくて、
さらにちっちゃい頃お前は特別だ特別だって言われて、
自分はすげえんだって思って、
社会に出た瞬間お前はクソだって言われてしまって、
いきなり突然なぜか特別な自分から自己責任の自分の世界に押し付けられて、
世界のギャップが激しすぎて大変なことになってしまって、
予測なんですけれども、
2030年には10代の最大の健康問題というのは、
うつ病が世界第1位のものになるという予測もされてしまっていたりして、
わりと深刻に世の中の閉塞感みたいなものは増してきているのではないかと。
ここで著者はJ.S. Millとかラッセルとかケインズとかが言っていたことっていうのが、
今重要なんだっていう話をしていて、
手段ではなくて目的、有用性ではなく、
良いかどうかを考える、
改めてより良く生きることというのをもう一度考えてみようぜっていうことを言うんですよね。
基本的にここからもいろんな過去のその辺の、
その辺りの時代の偉人の話を言っていたことっていうのを、
いろいろ引用しながら話は進んでいくんですけども、
もう現代の資本主義というものが、
みんなもうこれ以上成長がやばいんじゃないかっていうことは多くの人が感じているし、
最近だとSDGSっていう言葉が流行っていたり、
環境問題みたいなことも多くの人が考えるようになってきていて、
このままではやばいということはみんなわかってるんだから、
あとは俺たちはもうやるべきなんだよっていう感じのところでまず話が始まります。
労働時間と国境
2章から今度は割とストレートに、
ベーシックインカムを何でやるべきなのかとか、
何がいいのかっていう話になってきておりまして、
まず2009年にロンドンでホームレスにお金を渡すっていう実験をしてみたらしいんですよね。
ありましたね。
有名なやつですよね多分。
ホームレス全員に3000ポンドのお金っていうのを渡して、
自由に使っていいっていう言い方をした。
世間一般のもうヒューマンカインド的な話だと思うんですけど、
貧乏人のイメージというものはそんな奴らに金を渡したら、
酒とギャンブルに使って消え去るだけだろうっていうふうに思われていたんだけれども、
全然そんなことはなくて、
受け取った13人全員がこれまでたまっていたお金だったり、
そういう何らかの成長のための足掛かりとして使うことができて、
半分の人は家を持つことができたんだったかなそれによって。
いろんな実験をしてみると、
結果的にお金を直接渡してしまうのが一番良かったという実験結果ばっかり出てくるんですよね。
つまり物を与えたりとかサービスの形で提供するんじゃなくて、
その人が自己判断で使えるお金を現生を直接渡した方が良い結果になったと。
結局一人一人が自分が何が必要なのかっていうのは当たり前なんだけど、
人によって違うわけですよね。
それを公共の組織があなたにとってこれが良いと思うから、
こういうことにお金を使いなさいというのはパターナリズムというか、
そんなことをやっても結局効率が悪くなってしまう。
むしろこれが良いという判断を結局国が決めるより、
その人を信用してその人にこのお金を自由に使ってくれって言ってもらうというのが、
結局一番上手くいくようなお金の使い道で、
さらにいろんな実験とか研究結果を調べてみると、
そうした方が最終的に国が支払う総額としても安くつくという結果がいっぱい出てくる。
例えばホームレスを放っておくと公務員の人たちがお前たち出て行けって言って、
いろんな対策をしないといけないとかゴミ掃除をしないといけないとか、
そういういろんな間接費というのも結構バカにならない。
管理費みたいなのもすごくかかってしまうので、
そんなことをするよりもちゃんとお金をがっつりと渡してしまえば、
結果的に国全体としても支払う金額が安くなるんだから、
とっとと全員に渡してしまえばいいっていう感じのことを言っていて。
つまり2つの観点があって、
ベーシックインカムについて
先ほど言ったパターナリズムじゃなくてリベラリズムの観点において、
個人の判断を尊重させた方がいいっていうのと、
もう1個は経済原理性から言っても直接渡した方が効率がいいよと、
この2点から指示されるということですね。
そうですね。
例えば資産なんかで言うと、
アメリカで貧困撲滅のために必要なベーシックインカムの費用っていうのが、
1750億ドルぐらいだと見積もられているらしいんですよね。
これって計算してみると、
毎年使っているアメリカの国防費の4分の1ぐらいの金額でしかない。
なるほど。
極端なことを言えば国防費4分の1を削ったら、
もう全員にベーシックインカムができるぐらい、
お金というものはもう世の中にはいっぱいあるんだ。
なるほど。
その後結局、貧困の何が問題かって、
これは欠乏の経済学からの話がすごくたくさん引用されている話なんですけど、
お金がなくなってしまうと一番やばいのは、
お金がない場合にはお金のことしか考えることができなくて、
長期的な目線だとか、
一歩上からの視点で物事を考えることができなくなる。
簡単に言うとお金がないとバカになってしまうというのが一番の問題点で、
結局何をやるんじゃなくてもお金を渡さないと何も始まらないんだっていう話をしていて、
データを取ってみると欠乏状態というのは、
数字でいうとIQが13ポイント下がったことに相当するっていう話だったり、
結局これもお金を渡してしまえば解決するっていうことだったり、
お金を渡すことでその人の認知能力が上がり、
その人の認知能力とか生活の安定度が上がることで、
結果的にその人が置かれている貧困状況から脱出することも叶うであろうという感じですか。
そうですね。そのためにお金というものは結構出どころはいっぱいあるし、
結局その方が安くつくから合理的でもあるよねっていう感じの話も、
その2章3章を使っていっぱい言われていて。
これちょっと関連する話ですけど、
たまにツイッターとかで心療ないかとか精神科の先生がつぶやいてあるんですけど、
うつ病の人の8割ぐらいはお金をあげたらすっきり解決するんではないかみたいなことを言われてて、
ちょっと似てるかなと思うんですけど、
ある種の経済的な不安とそれを自己責任で乗り越えなければならないという状況が人のうつを引き起こしているとしたら、
このホームレス問題だけではなくて、実はもっとこの社会に広がる問題に寄与するかもしれないですね、その解決策は。
その話で言うと、それでもその話でもやっぱりベーシックインカムだって思うんですけれども、
会社がどれだけ環境がひどくても辞められないというのの全部ではないけれども、
多くの人は会社を辞めてしまうとお金がなくなるから、それが怖いからどんなにつらくても生きるためには会社に行かないといけないという選択肢しかなくなってしまう。
これがもし仮に、例えば年間150万円とかっていうぐらいのイメージだったかな、日本なんかだと、
っていう金額が無条件で必ずもらえるんだとしたら、
頑張って生きていこうと思えば何もせずに生きていくことはできるんですよね。
ちょっとでも貯金があれば、ひどい状況で辞めてしまっても食いつなぐことどころか普通にそのまま生き続けることができるんだったら、
社会全体として、それすらもやっぱり当たり前だけどコストなんですよね。
医療費だって税金から、日本の場合税金で多くが賄われているので、その分お医者さんのお金は、儲けは減るというふうに言えるんだけれども、
そもそも病気にならなければ、そういう医療費なんてものは理論的にはゼロになるはずで、
その分も結局お金が浮く、その浮いたお金をまたみんなのお金に回せば、みんなはますます嫌なところをやめなくても済むという良いループがきっと回るはずなんだっていう感じのことを言っていて、
さらにかつて世界はベーシックインカム的なものをやろうとしていたらしいんですよね。
ニクソンの時代に、全ての貧困家庭に無条件でお金を渡してあげようということをやっていたんだけれども、
その頃からちょうど政権交代のタイミングが重なってしまったりだとか、
あと過去の事例を調べさせたんだけれども、調べた結果というのが、調査というものがすっげえひどいもんで、
全然嘘っぱちばっかりだったっていう感じの結論に気づかずにベーシックインカムはやろうとしていたのに失敗してしまったっていう前例もあったりして。
19世紀のイギリスにスピーナムランド制度というものがあったらしいんですよね。
ちょうどマルクスの時代ぐらいの頃に行われていたものだったらしいんですけれども、
本当に大雑把に言うと一部の地域にその無条件に全員でお金を渡すということをやったりしていたんですけれども、
ちょうどその直後にすげえタイミングが悪く、農民の反乱みたいなものが起こったりもしていて、
その調査というものがまともに調査される前にその仕組み自体が廃止されてしまっていて、
ニクソンの時代にそのスピーナムランド制度がどうだったかということを調査したんですけれども、
その調査もまた捏造間違いだらけのデータというものが集められて、
本当の結果をわからないまま全然うまくいってませんでしたようにニクソン大統領という報告がされてしまったせいで、
あれこれベーシックインカムちょっとやべえんじゃねっていう流れになってやっぱり取り入れられなくなってしまった。
それはやっぱり後ろにあるでしょうね、そういうのが嫌な人たちがいて、
そういうねじ曲げが起こったっていうことだと思うんですけど。
あとね、後の方の話にも出てくるんですけど、思い込みの力というものがやはり強すぎるのではないかと思っていて、
そういうことは絶対にうまくいかないという前提で調査したら当然ノイズバイアスがかかり、
その客観的なデータは客観的なまま判断ができないっていうのも大いにあったんじゃないかと思うんですけれども。
たとえばですけど、この本を読むまでの感覚、ゴリゴさんの感覚で、
そのフリーマネーは人を怠惰にするっていうような感じはありました?
思いますね、この本を読むまでっていうよりも、もうちょっと大きくブックカタリストを始める前までぐらいのイメージなんですけど、
そのフリーマネーをもらって、少なくとも自分だったら俺は怠惰になるなって思ったし、
そのきっと多くの人は働かないんだ、ごくごく一部の人は働く可能性があるけれども、大半の人はほとんど働かなくなるのではないかというイメージはありました。
おそらく自分がそうだろうから多くの人もそうだろうというような推論の仕方ってことですよね。
たぶんこの制度の肝はそこなんですよね、基本的に。
フリーマネーが本当に人を怠惰にするかどうかっていうことで、もっと言うとフリーマネーって言い方がもうちょっと悪いですよね、きっとね。
うん、言い方がね。
つまり国民とか地球上の市民である権利としてもらってるわけで、全然フリーじゃないんですね、本来はね、おそらく。
で、先ほど言われた、例えばIQ上げる効果とか、関節子がなくなる効果以上に僕は思うんですけど、お金が与えられるっていうのは承認されてる感覚があると思うんですよ、きっと。
あなたはこの共同体の一員ですよっていう承認がそこに発生すると思うんですよ。
で、そのお金を例えば特定のクーポンとかではなくて、自由に使っていいですよっていうのは信頼を明かしますよね。
うーん。
で、彼が希望の歴史でもちょっとしたら語ってますけど、私たちはそう考えたように理解するし、そう期待されたように行うと。
だから、そのようにフリーマネーっていうか、与えられたお金がまさに怠惰にならなかったのは信頼があったから、信頼と期待に応えようとする思いがあったからなんですよね。
で、それがあるかないかで多分この政策っていうのは分かれて、うまくいくかいかないかが多分分かれてくるんだろうなと。
やる人が信じてなかったら、貰う人も信じないから、結局みんな信じられずにっていうやつですよね。
だから政策だけがあればいいということではなくて、人ってどういう生物なのかっていう理解が実は非常に重要なんではないかなという気がします。
それはね、そういう感じのことは思いますし、やっぱりこの人の主張がやっぱり全般的にそういうところなんですよね。
人間というものは、人間を信じれば結構人の根本は善性にある、善にあるっていうところを前提にして考えられているし、
俺たちはそう思えばできるんだぐらいのことをやっぱり弦外に本の中で常にそう言っている感じで。
さらに現代の場合の福祉の矛盾というか問題点というのが、お金を貰おうと思ったら、
自分はこんなに生活が苦しくて、こんなにダメで、こんなにお金を貰わないともうダメなんです、よろしくお願いします、お金をくださいお願いしますって言わないとお金が貰えないというのは、
人間の自尊心を全力で傷つける行為ですよね。
だから日本の生活方法はまさにそれですよね、あれは。
非業を得るみたいな感じですよね。
で、さっき言ったお金を貰える、全国民がお金が貰えるってのは権利の主張なのであって、主張というか主張すらいらないですけど、権利の発露なのであって、
やっぱり同じ制度とは言っても、あるいは貰えるお金が一緒であっても、人間としてのアティテュード、態度には違いが出てくるでしょうね、きっと。
生ポっていう表現がまんまそれですよね。
ヤユしているというかヒゲしているというか、
俺たちの金を勝手にパクってお金を貰っているというイメージで捉えている人がたくさんいる。
そうですね。
まずそこを根本的に、やっぱりそこが大きな問題でそこを変えないといけないよねっていうところから、
逆に言えばそこが変わればベーシックインカムなんて余裕でできるぐらい現代というものは豊かなんだっていうのが、
この中盤から後半にかけての話になってきていて、
GDPの問題点
その前の段階でその指標として現在使われているGDPという数字がいかにやばいというか、
かつてはすごく良かったかもしれないんだけれども、
まだこれしかパラメーターがないというのが非常に問題なのではないかっていうことを言っていて。
GDPって何の略でしたっけ?
国民総生産かな?
GNPとGDPがあって、
GNPは国内総生産?
Nは国家だったかな?
ナショナルですね、多分Nは。
国内総生産が国民総生産に変わったんだったかな?
まず最初にインパクトがあってすごかったのが、東日本大震災が日本で2011年にありましたよね。
日本の2012年と13年なんですけれども、2年連続でGDPって伸びてるんですよ。
なるほど、つまりお金がたくさん動いたっていうことですね、要するに。
それまで日本はGDPはずっと伸び悩んで伸び悩んでダメだったのに、
震災が起こったことによってGDPというものは2年連続で伸びている。
アメリカって第二次世界大戦が始まるまで大恐慌で、みんなお金がなくて仕事がなくてやばかったんですけれども、
第二次世界大戦に参加したことによって景気が良くなってしまった。
GDPという数字の問題点は目に見える数字しかなくて、
さらに言うと不幸なことがあると数字が伸びてしまうという、どんだけ矛盾しているねんという数字なんですよね。
例えば健康な人がそのまま1年起こったらGDPゼロですけど、その人が病院に行ったらGDPは上がるわけですよね。
要するに薬買ったりとか、そういうようなことですよね、簡単に言ったら。
全くその表現が本の中に書かれておりまして、GDPになって理想的な市民というのは、
癌を患うギャンブル卿で、離婚朝廷が長引くせいでプロザックを常用して、ブラックフライデーに狂ったように買い物にふける人。
こういう人が増えれば増えるほど、理論上GDPというものはどんどん大きくなっていく。
これは国民一人当たりの生産、生産?生産額?
消費額じゃないですかね。生産額じゃないんですよ。
だから、例えば資産価値みたいなものは全く考慮されないんですよね。
だから、戦争でやけの原になったからってGDPが下がるわけじゃなくて、
そのやけの原を例えば開拓してビルを建てるってとこで、消費が動くからGDPが上がってしまうと。
だから国内の状況っていうのは全く加味されてなく、ただ数字の上げ下げだけが見られているっていうことですね。
さらにGDPの問題点というのは、みんながこれが国を良くする国の強さの数字だというのかな?
ということを思い込んでしまっているせいで、これが伸びることは良いことであり、これが下がることは悪いことである。
というのが、例えばマスメディア、経済系のメディアなんかでは、これでしか究極、極論、国の良さを図っていない。
少なくとも、経済の健康指標としては非常に主要な数値ですよね、GDPは。
でも、例えばなんですけど、がんを患うギャンブル卿の人が多い方がいいか、少ない方がいいのか。
GDPの問題点
離婚朝廷が長引く人というのが多い方がいいのか、少ない方がいいのかということを考えた場合に、少なくとも俺はそれはない方がいいと思うんですよね。
良い社会だと思うんですよね。
つまりGDPは消費の功罪を図っていない、善悪を図っていないっていうことですね。
そうですね、結局。ちょうどそこで同じく、人申請の資本論の中でも出てきたような話で参考になった部分が結構いっぱいあったんですけど、
マルクスの価値と使用価値っていう言葉が出てくるじゃないですか。
簡単に言うと、価値というのは大雑把なイコールで言うと金額みたいな、お金みたいなものですね。
使用価値というものは、それを使った時にどれだけ便利になるかというもの。
結局、マルクスは、富というものは、本来は使用価値に等しいはずなんだけれども、GDPって価値しか測っていないんですよね。
目に見えない空気だとか水だとか綺麗な環境みたいなものは、使用価値は高いんだけれども、価値としては結局GDPという仕組みではゼロにしかカウントできなくなってしまう。
結局ここが大きな問題点であって、本に書かれていてすごく同意してしまったんですけど、農作物って今取れすぎてしまうと捨ててますよね。
ちょっと昔までは、資本主義的にはこうやらないと儲からなくなっちゃうから、資本主義的にはこういうことが大事なことなんだから、こういうことを知ってる俺って賢いぜみたいなことをちょっと思っていたりしたんですけれども、
普通に考えて食べられるご飯を捨てるのって、誰がどう考えてもバカじゃないですか。
そのバカなものを俺も少なくとも騙されていたとは言わないのかな。それが賢いことだと思っていたんですよね。
でも言われて考えてみると、そんなことを3歳の子供が考えたっておかしいという話じゃないですか。
むしろ3歳の子供が考えるからわかるっていうことかもしれないけど。
そのレベルのことを賢くなったつもりの大人が、それが正しくて賢いことだって思ってしまうという、この仕組みはやっぱりやばいよなっていうことをすごく思ってしまって。
結局GDPという数字で計算してしまうと、農作物を捨てた方がGDPは高くなるということになってしまうんですよね。
やっぱりこの仕組みというのが、かつてGDPというものは重要だったと思うし、実際重要だったんですよ。
それが重要だった頃っていうのは、戦争をしてた頃なんですよね。
戦争をしている時にどれだけ戦争兵器を作ることができるかという目安として、GDPというものはとてつもなく役に立つ経済の指標だったんだけれども。
それがなぜか現代でも重要なものだと思って、使われ続けているというところにやっぱり問題がある。
現代の問題があって、さっきも言ったように倉下さんが言ってたと思うんですけど、そもそも価値があるものとかないものっていうものを数字で測れないはずなんですよね。
結局数字で測ろうと思ってしまったので、そういう風にGDPという数字しか現状俺たちは思いつかなくて。
その数字でしか計算できないからGDPが上がれば、それは世の中にとっていいことだって思うようになって。
それがあまりにも当たり前の世界なので、農作物を捨てるということすらもおかしいことだと少なくても自分は思わなくなってしまっていて。
それに気づかなくさせてしまうのが資本主義という仕組みの闇というか、よろしくないところなのではないかと思っていて。
一直線で資本主義に結びつけずに、一旦例えばGDP以外の指標を作れないか。何かその指標で何かを判断するのをやめるっていう形の分岐も個人的にはあるかなとはちょっと思いますけども。
一応俺もそのようなことは思っていているのと、だから革命だなんてことは当然思ったりもしないので。
現代の世界の流れとして確かに良くなってきつつあると思うんですよね。
少なくとも俺一人の話で言っても、何の疑問も持たなかった自分がそう思うようにもなったし。
これを聞いてくれた一人でもそう思ってくれたら、それはそれで効果があったとも思えるし。
ポスト資本主義というものをこれから考えていかないといけないというのは間違いないことだし、そのために資本主義を打倒しなくてはならないみたいなことは当然思ってはいないんですけれども。
今のままではまず良くないし、少なくともGDPという数字で測ってしまうのはよろしくないよねっていうことは思っていて。
結局はGDPは戦争と工業産業時代に機能してた指標なので、やっぱり情報産業時代の資本主義で通用する、必要であれば指標を考えるっていう。
やっぱり産業の大きなタームが変わるときにはやっぱり指標も変わるべきで、それがやっぱり長いこと使われ続けているのが僕たちが世界を見余ってる理由の一つなんかもしれないですね。
効率化とエッセンシャルワーク
そうですね。あとは問題点として、やっぱり効率が良くなっていくものほど評価が低くなってしまったりだとか、
その技術が上がって安く作れるようになったものは、悪いものじゃない、しょぼいものにされてしまうんですよね。
コモディティと言われますね。結構一段低いレベルのもの扱いされますね。
この本でも大体の本と同じように金融業界全般を批判していたりするんですけども、そうじゃない人たちが評価されていなさすぎるというのが大きな問題で、
例えば医療や教育というものが重要だってことはこの人も言っているんですけれども、
医療や教育というものは労働集約ができないから効率を上げることができないものなんですよね。
それに対して例えば工場で製品を作るだとかお米を作るだとかっていうことは100年前に比べてありえないぐらい効率が良くなって安く作れるようになっているんですよね。
そうなったら相対的に医療だとか教育というものがお金が高くなるのはごくごく当たり前のことで、
それをなぜか現代はお金がかかりすぎているからこれをもっと使うお金を少なくしないといけないという方向に進んでしまっている。
そうじゃなくてこういうものにこそお金を使うべきで、それをやっぱりGDPで評価してしまうというのが一つの大きな問題点なのではないかということを語っていて。
安い方がいい、安い方がいいっていうのはものづくりの発想で。
集約できる産業の頭の使い方のまま来ちゃってるし、価値判断もそれに準じてるという感じですけど、
エッセンシャルワークとか知的生産の技術が効率化できないものに価値を見出す。
しかも価値の測り方が多分俗人的というか人によって違うので、単一の方程式では多分出せない価値の作り方が必要になるんでしょうね、きっと。
そうですね、我々がまだ見出せていないんだと思うんです。
それを超えられるその概念というものが。
資本主義の仕組みと価値観の問題
そのまま引っ張ってきてしまっているんだけれども、少なくとも意識を変えることで世の中は変わるというのが最後の方に言っていることなんですけれども。
そういうことを考えないといけない。
労働時間を短くするっていうのも、さっきのベーシックインカムの話と同じく途中まではどんどん短くなっていたんですけれども、
少なくともマルクスが資本論を書いた頃の時代って、読んだだけの話なんですけれども、
週7日間毎日16時間労働みたいなことが当たり前だったやつが、週5日になって15時間になって、1日やっと8時間労働を勝ち取ってみたいな話で、
どんどん技術が上がってきて、世の中の効率というものが良くなってきて、
ケインズは2030年ぐらいには週15時間ぐらいで済むんじゃねっていうことを予測していたらしいんですよね。
のに、なぜか途中から何をどう間違ったかではないんですけれども、
悪いのは自由主義だっていう言い方を弦外に言っているんですけれども、
自由で競争をして、俺たちが勝ったやつが全部持っていくという仕組みをより強く競争を促進してしまったら、
結局みんなが働きまくるような社会になってしまっている。
結構いろんなところであるんですけど、週に1日8時間頭を使う仕事というのは、
8時間もフルパワーでやることってもう無理だっていうのは多くの研究が言っていることで、
1日6時間に満たないのが想像力を発揮できる仕事の限界、4時間ぐらいでいいという研究結果なんかも見たりしているんですけれども、
働きすぎても結局かえって効率が悪いだけで意味がないぐらいの言い方をしてもいいのかな?
のになぜか働かないと競争に負けて取り残されてしまうから、
そういう働くことが当たり前になってしまってどんどん働くということをやってしまっているんだけれども、全然そんなことはない。
エッセンシャルワークがいかに重要かっていう話がすごいその後に出てきた面白かったやつなんですけど、
1968年にニューヨークでゴミ清掃員がストライキをやったらしいんですよね。
労働環境を変えてくれというような。
当時本来禁止だったんだけど、絶対やってやるって実際にやってしまって、
最初はニューヨークの市長とかもお前たちふざけんなって超強気でいたんだけれども、
一瞬でニューヨーク中がゴミの山になってしまって、
1週間で緊急事態宣言が発令され、結局市長も強気でいられたのは1週間だけで、
そこからもうごめんなさい、僕たちが悪かったですっていうので、
労働をひっくり返って、ニューヨークの人たちはいかにゴミ収集というお仕事が大事なものかということを思い知らされたらしいんですけども、
高級住宅街もゴミであふれて臭くてやってられないみたいな現象が起こったらしいんですよね。
対照的なのが、1970年にアイルランドで銀行がストライキで全部止まったらしいんですよね。
全ての銀行が?
みたい。
へー、はい。
1970年5月に、今度銀行の人たちが、俺たちがいないという世の中は絶対うまくいかない、俺たちの環境を改善しろみたいなことをやったんですけど、
半年経ってもらうと、景気が良くなってしまった。
でもそうか、銀行にお金を預けへんから、お金は回り出すかもしれないね、もしかしたら。
6ヶ月間稼働しなかったんだけれども、何にも問題が起こらなくて。
仕組みとしては、アイルランドは国中にパブがすっげーいっぱいお金中継あるので、
そこが人的資本というか、パブでの人間関係が中継点になって、分散型の貨幣システムとして機能したらしいんですよね。
ナプキンの裏に、俺はお前に5000円借りた、みたいなことを書いておくというので成り立ってしまって、
企業が企業で独自漕ぎってみたいなのを発行して、6ヶ月間銀行が存在していなかったのに、
経済というのは1970年なので十分に現代ですよね。
その頃に銀行がなくなっても何も問題がなくなってしまった。
今のコロナの時代でも、エッセンシャルワークというものがいかに欠かせない仕事なのかというのは、
多くの人が思い知っているのかもしれないんですけど、
これだけエッセンシャルワーカーというものが重要なのに、なぜか、なぜかじゃないですね。
資本主義の仕組みでは、この人たちはお金が安い、給料が安い上に、さらに社会的な地位も高くない。
ここがやっぱり問題で、さらにブルシットジョブという本とかも流行っていると思うんですけど、
この本でもそれに関しての話が出てきていて、
世の中の大半の人が自分の仕事は意味がなくてくだらないって言うのに、
でも仕事を辞めてしまうと生きてゆけないので、やっぱりくだらなくてしょうもない仕事だって言っているんだけれども、
やるしかない、やらないと生きていけないから辞めずに、つまんねえ仕事だな、意味のない仕事だなって思いながらも、
仕事を無理やり作って仕事をしている、不利をしている。
これまたそのベーシックインカムの話とかでもやっぱりつながってくるんですけど、
仮にこの人たちが全部仕事を辞めて、そのお金というもの、その人たちの給料をうまく分配回してあげることができれば、
やっぱりこれまたみんな働かなくてもお金をもらえるんじゃないか、ベーシックインカムの原資ってもっと増えるんじゃないかっていうことになってくると思うんですよね。
全般的にこういう感じの話が続いているんですけど、
現代の特に問題点の一つとして、優秀な人がみんなGoogleに行って、Facebookに行って、銀行に、モルガンチェインスに行ってみたいなことになってしまっていて、
ちょっと前まではアメリカのIBリーグ卒業者という人たちは教師になったり、公務員になったり、エンジニアになったり、
エンジニアは今でも同じ言葉になるのかな、になったりしていたのに、
現代はみんなウォールストリートに行き、Googleに行き、Facebookに行きということになってしまっていて、
その人たちを育てている大学とかって、多くは国や州がお金を出していますよね。
みんなのお金ですごく優秀な人を育てているのに、そのお金というのがなぜか、なぜかではない。
結局そういう金融業だったりGoogleだったりFacebookだったりということに行ってしまっていて、
もし仮にそれが病気の治療に使われるだとか貧困問題の解決、環境問題の解決にもっとお金が投資されていれば、
世の中ってもっと良くなってたんじゃないかということを言っていて。
富の偏りと富の外部性
しかもそれらの企業は大体節税に頑張っている上に、国内労働者を増やさないという20,30のトラップがあるんで、
動画でもよろしくなさそうですよね。
例えば、負の外部性を持つ職業という言い方をしていたんですけれども、
そういうところにもっと税金を足さない的な、やってもいいけどもしやるんだったらお前たち高い税金を払えという仕組みが必要だということは言っていて、
ある研究によると、研究者が仮に1ドル儲けた場合、5ドル以上の金額が世界全体に還元されるらしい。
対して、銀行が1ドル儲けた場合、どのぐらいだと思いますか?
全然わからない。
マイナス60セント。
銀行は儲ければ儲けるほど、世界全体の富が失われていく金産になってしまうんですよね。
要するに手数料ですからね。
彼らの収入の発資提言というのは、手数料ということは、AからBにお金が直接移動するときにちょっと上乗せさせてもらうということで、
仮にAからBに直接お金が移動するんだったら、その分損はなくなるわけですからね、基本的には。
減る減るで正しいんですよね、確かに。
これは、富の外部性を持つ職業という言葉が、大変わかりやすい言葉というか、概念としていい言葉だなと思って、
そういうことに税金を課すべきだということと、
俺たちが、やっぱり、生計を立てるために仕事をするのではなくて、どうやって生計を立てたいかというふうに視点を変えて考えないといけないぞということも言っているんですよね。
生きるために働くんじゃなくて、働くために、どうやって働いたら自分は世の中に良いことをして生きていけるんだろうか、そういうことを考えようということを主張していて、
例えば良い兆しというものも現れていて、さっき出てきたニューヨークのゴミ収集員、あれって今はヒーローらしいんですよね。
成り手が多すぎて、すごい競争を勝ち抜かないと慣れない職業。
勉強ができなくてもいいんです。要するに体が強ければ慣れる仕事で、
1日12時間の超肉体ハードワークらしいんですけれども、当時の記事によると金属5年で年房7万ドルプラス残業と各種手当がついてきて、
日本円にすると1千万円近くぐらいの年収になるという憧れの職業になっていて、
ゴミ収集員というものはみんながなりたいし、働いているところもかっこいいものとして認識されているみたいで、
こういうものが増えていくことで世の中が良くなり得るよねということを言っていて、
流通が発達したことが貧富の差をすごく大きくしてしまったという話があって、
ここで今度はコンテナ物語を引用して話が出てきておりまして、
世界にコンテナというものが流通することで輸送費というものがもう事実上ゼロと言えるぐらい安いものになった。
技術の進歩と働き方の変革
しかも時間通り予定通りに着くことによって、より安全に計画通りに生産が進められるようになったという話でしたね。
このこと自体は間違いなく素晴らしいことなんですけれども、
これができるようになったということは、ありとあらゆる商売が世界を相手に戦わないといけなくなってしまい、
世界を相手にして一番になれない限りはもう生き残れないことになってしまったんですよね。
これが現在はインターネットの登場によって、そういうことをごくごく少数の人間でできるようになってしまったので、
一部の人間がとんでもないくらいのお金を設けることができるようになり、
多くの人はまあまあ負けるぐらいになってしまった。
現代のアメリカの貧富の差というものがどれだけやばいかというと、
奴隷時代の古代ローマよりも大きな差になっているという話が出てきていて、
今の貧困層の人たちは古代ローマの奴隷よりも貧しい生活というか、
一般市民との差がそれよりも大きなお金の差が生まれてきていて、
世界の富というものがほとんど全てが一部の人が持っていくようになってしまっている。
他にもやばい、いかに富が偏っているかという話がいろいろあったんですけど、
2009年の金融危機の時代にゴールドマンサックスが支払ったボーナスという金額、総額が、
世界で最も貧しい2億2400万人の収入とイコールである。
世界トップの62人の人間の総資産が、世界の半分35億人の総資産よりも多い、
というぐらい富の偏りというものが本当にやばいことになってしまっていて、
富が偏るということ自体はやはりゼロにはできないし、ゼロではない方がいいともこの人は言っているんですけれども、
だとしてもちょっとヤバさの次元がおかしすぎますよねっていうのが大きな話で、
結局今の時代にもうとてつもないことが技術が発達していて、
多くの人は何もやらなくてもいいはずなのに、みんな働かないといけなくなっていて、
最近がどれだけすごいのかっていう話がその中にもいろいろ出てきていて、
チェスの王者、ディープブルーっていうのが世界のチェスの王者を破ったって言って有名になったのが1997年のことなんですよね。
もう俺たちが生まれている時代なんですよ。
なるほど。
当時のディープブルーの性能が1テラフロップのクロックにテニスコート1面使って5500万ドルかけて作ったマシーン。
2013年には2テラフロップのマシーンというのが世界ですっげえ売れているんですよ。
それがPS4。
なるほど。
97年の5500万ドルのマシーンの2倍の性能を持つPS4は5万円で買えるようになってしまった。
5万円してなかったですよね。
そうだね。
さらに言うと今だと自動運転ってもういつできるかだけだっていう言われ方をしてますよね。
まあそうでしょうね。
それもちょっと過去を振り返ると2004年の段階でなぜ人間はまだ必要とされるのかっていう論文が書かれていたんですけど
その段階で車の運転は自動化できないから人間は必要だっていうことを言っていたりもしているらしいんですよ。
なんか今生きていると自動運転ってずっと前からもういつかできるって言われていると思っていたんだけれども
実は15年前はまだ実現できない、実現のめいぼしすら経っていないぐらいの不可能なものだった。
ここ10年の機械学習のすごさということなんでしょうね、それは。
これだけすごくなっているものを有効に使えばやっぱり働かなくてもいいでしょうっていう結論になりますよねっていう感じのことを言っていて
生きていくには働かなければならないという概念すらも思い込みというか思い込みなのかな。
教育によって植え付けられているもので、かつてのユートピアと呼ばれるもの。
この本の中でもユートピアという言葉がいっぱい出てきたんですけど、ユートピアの中では誰も働いてなかったんですよね。
イメージではエデンのその手はただダラダラだべっているだけ。
俺たちの今の技術とコンピューターをうまく使ってあればほとんどの人はユートピアでだべっているだけでももう生きられるようになるはずなんだから
そこに向けて行動というか世界認識を変えて世界を変えていかねばならんというのがその大きな提言という感じになっていて
これもなんか最近覚えた言葉なんですけど認知的不協和。
認知的不協和と社会の変化
深く信じることが現実と対立すると世界観を改めるのではなくて、それまで以上に堅くなってしまって現実を無理やり再調整してしまう。
酸っぱいブドウというやつですね。
フェスディンガーさんがUFOを信じている人たちのところに調査に行って、いつまでたってもUFOが来ないのにこの人たちは無理やり話をこじつけて
やっぱUFO大丈夫になりましたみたいな結論にしてOKにしてしまう。
外から見たら誰がどう考えてもお前たち無理やり話ねじ曲げてるよね。
それもう間違ってるでしょって思うのにそうなって認知的不協和な状態に陥っているとそれを全くそれに気づくことができない。
俺たちみんな認知的不協和なんじゃないって言ってるんですよ。
まあそうでしょうね、おそらく。
ちょっと前にリーマンショックという超絶ヤバい現象が起こったのになぜかもうそんなことを忘れて
いまだに金融業の人たちは一般市民の何百倍というレベルどころじゃないですよね多分の収入を得ている世界にいつの間にか戻っていて
当時のグリーンスパンさんは過去を振り返ってもあれしかなかったって言って俺は間違っているとは絶対に認めていないらしいんですよね。
まあでもその当人とか金融業者が自分で認められるかって言うとそれはかなり難しいでしょうね。
だからその人たちが認知的不協和だったのは仕方がないとしても我々もなんかもうそれって変えられない?
この世界はもう変えることができないんだっていうふうに思い込んでいるんではないか?
まあでも多分この後時代的なこの後ですけどやっぱりそのトランプ先鋒っていうのはそのそうじゃない人たちの反乱の声やったような気もしますけども。
そうですねトランプさんはそういうところで認知的不協和をうまく使ったというのとトランプさんの話も最後に出てくるんですけど
過激なことを言えば言うほどちょっと過激なことが普通に見えてくるんですよね。
トランプさんはその技をめっちゃ上手に使ってそれはありえんでしょちょっとやばいでしょやりすぎでしょっていうレベルまでやばいことを言っといて
じゃあやっぱこのぐらいにしとくわって言ってちょっと本当なことを選ぶ。
でも実はちょっと本当なことって振り返って元に戻って見てみると結構やばくねっていうレベルのことだった。
オバートンの窓という用語でそれは何か説明されるらしいんですけども
なんかその一般的なものっていうのはあの政策としてある程度まで本当なものであればその受け入れられるんですけれども
どちらかに偏りすぎてしまうとその政治家はそれをやってしまうと統計的にその当選できなくなってしまうからそういう無茶なことを言わなくなってしまう。
トランプさんはそのオバートンの窓をずらすっていう表現をしていたんですけども
その普通っていうものをそのめちゃめちゃ過激なことを言うことでその自分がやりたい方向に無理やりねじ曲げてしまうことで
間を取ってちょっといいことをちょっと大丈夫な感を持たせてしまう。
この本自体がそれを目的にしているってこの人は言ってるんですよね。
まあそうでしょうね。そんな感じがしましたね。
こういう普通の人からしたらめっちゃ無茶でしょっていうことを言っておかないと結局世の中が変わらないというかそこをきっかけに変えていかないといけない。
そのためにこういう底限がないとダメだっていうことも言っているし
何かが起こった時に想像していなかったことは実行ができない。
だからそういうことがある時のために何かできることをちゃんと考えておかないといけないというふうにも言っていて
そのためにこういうベーシックインカムみたいな話だったり
週15時間労働みたいな話だったりっていうことを今から考えていかないといかんっていう話をしていたりとか
仕事という概念を根本的に改めましょうと
自分にとって本当に重要なことというのは何なのか考えましょうっていうことを言っていて
死ぬ瞬間の5つの後悔という有名な本があるらしいんですけれども
多くの死の際を見取ってきた看護師さんという
その人たちが後悔していることはありますかっていうことで聞いてみると
どういうことを言っていたかというやつなんですけども
あの場面でもっといいパワポの資料が作れたと思うなんて言っている人は誰一人存在していなくて
まあそうでしょうね
仕事を一番多かったやつは
まずは意見というのは他人が自分に期待する人生じゃなくて
自分のための人生を生きればよかった
第2位というのがあんなに働かなければよかった
まああのだいたい本当想像の通りなんですけれども
結局だからあの誰一人仕事を自分のことを生きたいと思っているのになぜかその認知的不協和によって
こうじゃないと世の中はこうで変えられないと思い込んでいるのではないか
ということを根本的に変えていかないといけない
この人がねちょっと面白かったなというのが
本の中でフリードリヒハイエクとミルトンフリードマンの2人というものを尊敬しているって言っているんですよね
フリードリヒハイエクさんとミルトンフリードマンさんというのは
すごい大雑把に言うと今の自由主義と言われるものを作り出した
悪い言い方をすると今の悪い世界を作った奴らこいつらだ
ぐらいなことをこの人なら言う立場なんですけれども
全然そんなことはないと言っていて
この人たちは自分の信念に基づいて当時ありえないと言われていたことを
信念に基づいて行動して世界を変えた奴らだって言ってるんですよね
実際にその当時に生きていないのでちょっと想像はできないんですけれども
60年代70年代の西洋全般欧米社会日本も含めてなのかな
その共産主義的なものが結構うまくいっているんじゃないかとみんな思っていて
その自由競争が過激な世界ではなくて
ベーシックインカーも本当にやろうとしていたりだとか
そういう公共政策によって国を良くするみたいな
個人の権利と世界の変革
もっと個人主義自由主義の競争ではない方向が当たり前だと思われていた時代だったんですよね
そんな時代をミルトン・フリードマンとかフリード・リヒハイエクとかっていうのは
個人の世界というものを作らねばならんという信念に基づいて行動して
実際に世界を変えることができた
俺たちも無理だって思ったら絶対に変えられないんだし
当時こういうことができた人たちを見習って変えていかなければならんということを言っていて
最後にスイスで2016年にベーシックインカムの法案というものが
国民投票なんかにかけられたらしいんですよね
当時大多数で否決されてしまったんですけど
この人はそれはすごくいいことだって言っていて
議論はここで終わったんじゃなくてここから始まったんだと
実際にスイスで1959年の段階で
女性の選挙権というものが反対大多数で否決されているらしいんですよね
1971年にもう1回選挙をしたらほとんどの人が賛成した上で
女性賛成権というものが可決している
たった10年でみんなが絶対反対って言っていたものが
みんな賛成というものに大きく変わっている
2016年にベーシックインカムの法案が反対多数で否決されたというのは
裏を返せばここから議論がついに始まって
10年後にはもう全く別の世界が現れるかもしれない
変えていくのは俺たちしかいないんだ
自分が変わらないと変わんないっていう感じのことを言っていて
本文の中ではあなたのような人はたくさんいる
連携しようずぶとくなろう
ほとんどの人は優しい心を持っているはずなのだ
常識に流されないようにしようっていう感じで
世界を自分たちの力で変えていくんだっていう感じの
熱い話をしておりまして
結構文章日本語訳も含めてすごい上手いんですよね話の流れが
なんか俺が喋ってどの程度伝わったかというのは
ちょっと何とも分からないんですけれども
読んでいてめっちゃすごいことが書かれているというわけでは
決してないんですけれども
全部が話の流れの組み立て方というのかな
こうなってこうなって
実際にこういうデータがあってっていう話を読んでいると
すごい引き込まれて
なんか俺もやらねばならんっていうことを
読むたびに思わされるというのかな
そういうことを目的に書いている本だから
大成功というわけですね
大成功なんですよね
俺はもう見事なまでに
著者が思っている通りに影響を受けて
これはみんなに読んでもらわないといけないというのが
俺の仕事だなと思って
なるほどね
ほとんどの人は優しい心を持っているはずなのだっていうのを
さらに強調するのが次の本だわけですね
希望の歴史なわけですね
ベーシックインカムと社会変革
そこは人類全般についての大きな話になるわけですね
そういう人類やからこそ
お互いに信頼して生きていくことができるはずだ
ということを言いたいわけですね彼は
基本的に主張は一貫していて
やっていることというのも大きな意味では変わらないとも言えるのかな
なるほど
実際にどうやらこの終章というものが
読んである書かれている時期を見る限り
当時2014年に出ている本なので
オランダで
ベーシックインカムの話は2016年で
終章というのはおまけとして
世界展開する時に付け足された章
なのではないかなと思われるんですけど
書いているイメージで言うと
だいぶ実際に変わってきている
という印象は受けて2014年に問題提起され
2017年に世界で発売され
今が2022年
俺が気づくまでに4年もかかっているので
自分が気づいた順番としてはものすごく後の方だと思うんですけれども
ベーシックインカムの話というのが
10年で世論がひっくり返るということを考えたら
この5年10年というものが
ものすごく重要な期間なような気もするし
ぼーっとしていたら余裕で取り残されるなっていうことを
良い意味でも悪い意味でもやっぱり思ったりもして
日本でもちょくちょく議論というか議題には上がっていますけどね
ベーシックインカムの話は
法案自体はまだかけられていないと思いますけども
少なくとも議題に上がるようになったというだけで
やっぱりこの著者のやることは成功で
ひょっとしたらできるんじゃないかと思う人が増えるということが
世の中を変えるというか
全員が幻想を持つことが世界を変えるきっかけであるみたいなのは
ユバルノア・ハラリのやつとかかな
能力主義と価値の再評価
結局幻想を持てれば世界は変わり得るんだというのと
自分はね
多分これを読むまで資本主義ということに
疑問を持ちもしなかったというのかな
最近競争が激しくなってきていて
世の中あんまり良くない感じだよねっていうぐらいの
曖昧な考えしかなかったものが
だいぶクリアになったというか
問題点では問題点なのかな
自分がこういうことを考えればならんなというふうに
思うことができたりだとか
自分が世の中を生きて良くするために
どういうことができるかということを考えたときに
結果的にまたブックカタリストとか
こういう活動なのかなっていうことも思ったりしたんですけど
自分ができる行動の種類で言うと
できるだけ噛み砕いて伝えるというのかな
こういうことが起こっているということを伝える
みたいなことが自分がやりたいことで
ひょっとしたら割とできることなのかもなというのを
これを読んで改めて考えたりしていて
なのでやはり改めて読み直して
これはいろんな人に読んでもらうために
もっと語っていかないといけないなというのも思っていますね
そうですね
例えば読書会するにあったらいいテーマの本じゃないですか
そうですね
それはすごくいいと思います
こういうことができると思うという話し方もできるかもしれないし
こういうことを自分はやろうと思ったということが
言えるかもしれないし
ベーシックインカムについて是非ここで議論しても
やっぱりそうは言っても疑問
特にベーシックインカムと社会主義・共産主義の
結びつきが頭にあると
どうしてもそっちの道はダメじゃないかなっていうのが
先入観としてあると思うんで
改めて議論し直してみるっていうのは
面白いかもしれないですね
そうですね
そういうことをやっぱり人と話すことで
勝ち負けとか正しい正しくないではなくて
それを話すことによって
もう一つ次のものが生まれているというか
それを一市民で俺は政治には関係ねえではなくて
やはり考えないといけないよなっていうのが
この本を読んで思ったところ
考えないじゃない
考えるだけではダメで
考えて行動しないといけないなですね
ということを思いましたね
実際に自分ができそうなことといえばやはり
ブックカタリストをより多くの人に聞いてもらって
世の中を良くするための本みたいに
そこまで堅苦しく考えなくていいんですけど
そうですね
善の道を歩みたいと思うというか
グッドの方ですね
コモングッド
そのための方策法として
自分は結局エッセンシャルワーカーではないというのは
弱みではないんですけれども
エッセンシャルワーカーではないというのは事実なので
その中でやはりできることをやるしかないのかな
というのを思わされたりもしました
エッセンシャルワーカーとかも
絶対こういう考え方でやっていけば
きちんと評価されるようになるべきだし
きちんと評価されるはずだということも言っていたりして
能力主義なんて結構なことである
という感じの主張で語っていて
その真の貢献度であれば
ゴミ収集作業員、看護師、教師の給料は絶対上がるし
ロビースト、弁護士、銀行家の給料というのは絶対下がる
つまり価値の測り方そのものを変えていけば
エッセンシャルワーカーも自然に評価されるようになる
しかもそれは能力主義だという言い方は
一般的には批判的な言い方なんですが
真の能力主義であれば
看護師、教師なんて給料めっちゃ高いはずだ
ということを言えたり
もっと効率よくお金を使わないといけないというのも
結局ホームレスにお金を使ったら
一番それが効率いいんだという感じのことも言っていたり
そうですね
その点の話はサンデルさんの本とかを絡めても面白そうですね
この問題の根源は能力主義でも資本主義でも
多分ないんだろうなと思いましたけど
そうですね
根源という意味で言うとそれだけではないですねきっと
もっと人間的な思い込みのところが一番大きいんじゃないかっていう
でもその能力主義とかそういう変な考えを助長しているものが
現代のシステムであるというのは一部事実なのかなとは思います
そうかだから能力主義を肯定してるってことは
共産主義ではないんだね
社会主義的ではあるけど共産主義的ではないんだな
面白いな
一定程度の格差はいるって言ってますからね
なるほど
格差をゼロになったらやっぱり結局みんなやる気なくなるんだろうなっていう
例えば現代の日本で年収150万円で一人150万なら
物理的に生きることは多分可能なんですよね
でも毎年iPhone買ったりはできないんですよね
そうですね
それをやりたいならやっぱり働くだろうし
お年どころとして例えば150万円ぐらいなら
お笑いを目指す人がバイトをせずにお笑いに3年できるけれども
毎年iPhoneは買えないのでそういう人が働くし
っていういいぐらいのバランスかもしれないなとも思いますね
きっと今の国というか世界の技術だったら
日本でいうと年収150万円ぐらいなら
全員に配れる余剰は絶対あるんじゃないかなとも思いますね
その辺のやっぱりそう考えられるようになったのが
ここに書いてあったそういう数字だったり
そういう根拠だったりっていうところなので
ぜひこれはオリジナルを読んでほしいなと思います
ということで今回の感想や質問などがあれば
ハッシュタグカタカナでブックカタリストをつけて
Twitterでつぶやいていただけると
ゴリゴと暮らしたか確認して紹介します
この番組はブックカタリストのサポーターからの支援で
内容を充実させることができておりまして
サポーター方向けの特典として
本編収録後のアフタートークだとか
月に1回の読書会なども開催しています
最近アフタートークは本編で紹介しきれない
いろんな本の紹介だとか感想だとかも
一緒に語っていますので
ご興味がある方応援していただける方は
サポーターのご加入もご検討ください
それでは今回もお聞きいただきありがとうございました
ありがとうございます
01:13:52

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