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2025-05-20 51:32

BC114『イスラームからお金を考える』

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面白かった本について語るPoadcast、ブックカタリスト。

今回は『イスラームからお金を考える』について語りました。

我々ととても縁遠いと思ってるイスラームですが、大きな意味で「東洋的」に思えることも多く、本編でも出てきた「おかげさま」「お天道さまが見てる」とかっていう感覚は、非常に近しいものがありそうです。

そしてやっぱり、ちくまプリマーが素晴らしいんですよ。

今まで自分が読んだちくまプリマー新書の本は、本当に全部「アタリ」

難しくないのに、知らないことがいっぱいで、しかも長くないから読みやすい。

「大人の学び」の第一歩は、目に付く限りのちくまプリマーを読むことなんじゃないか、くらいのことを思ったりもしています。

ちくまプリマー新書 | 筑摩書房

今回出てきた本はこちらで紹介しています。

📖ブックカタリストで紹介した本 - ナレッジスタック - Obsidian Publish



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サマリー

今回のエピソードでは、イスラームが経済やお金に与える影響について探求しています。イスラム教の教えや文化、特にお金を儲けることに対する考え方が議論され、イスラーム人口の増加や現代における信仰のあり方にも触れられています。エピソードでは、イスラムの経済観からお金の取り扱いについて考察し、利子の禁止やザカートの義務について説明しています。また、無利子銀行の仕組みやその歴史的背景についても言及し、イスラム教の教えが現代の経済問題にどのように影響を与えるかを探ります。さらに、イスラームの経済観や寄付の概念が社会に与える影響について考察し、無利子銀行の登場や顕在化する問題を取り上げ、経済の持続可能性に関する新たな視点を提示しています。イスラームにおけるお金の考え方は、宗教的な規範と個人の自由に関する対話を通じて探求されています。

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面白かった本について語るポッドキャスト、ブックカタリスト。 今回、まず、コメントをいただいたコメントなどを紹介したいと思います。
あの、読書効果の科学についての感想で、アンフ先生が、僕も英語教育の非科学とか書いてみたいって言っているから、もうそれはもう書くしかないですよね。
そうですね、非科学ってところが面白いですけどね。 もう書いてみたいと言ったら、もう書くしかないっていう前振り野郎っていう。
まあでもなんかお忙しそうにされてるんで、時間の余裕があるかはわからないですけど、まあ多分書こうと思ったら書けるぐらいの、あの既にストックはお持ちなのかなという気はしてますけどね。
まあおそらくそうでしょうね。まずそのこのタイトルがパッと浮かぶということは、それだけ考えていられる、考えてきた、その経験があるはずで。
ぜひそれですね、こう影響を受けたなら、まず書いてしまって持ち込めばいいと思うので、なんなら。
そうですね。 ぜひ書いてほしいなと思います。あとあの同じく、この回のアフタートークで多分話したことに関してなんですけど、
そのアウトプットをすることを目的にしているのか、アウトプットをすることを通じて知的なトレーニングをしたいのか。
そこをごっちゃにしてしまうと、アウトプットという行為がいかにぐちゃぐちゃになってしまうか。
まあ質も低いですし、例えばそれを例えば3年とか続けた後に、当人の能力そのものが何も変わってないという状況があって、それはまああまり嬉しいことじゃないよなと思いますよね。
例えばね、やっぱり人が読んで分かりやすくオースゲー…分かりやす…オースゲーじゃないな、人が他人が理解しやすい文章という意味では多分AIに整頓してもらった方がまあ間違いなく分かりやすいですからね。
ただそれを続けていてあなたのしゃべりが面白くなるのかとか、根本的にその分かりやすく本体の方が分かりやすいしゃべりができる人間になるかどうか。
だからやっぱり人間力向上という観点か、人間力って大げさやけど、自分の能力を向上させる上で例えば生成AIとどう付き合っていくのかっていう観点を持たないと、
イェーイ、アウトプットがこんな小さい能力でたくさん生まれたぜ、イェーイっていうのは10年後を生き残るための生存戦略ではないという気がしますね。
そうですね。そういえばちょっとそれで思い出した話なんですけど、先日リアルでObsidianの話をした時に一緒にやってくれるとか呼んでくださった方が言っていた発言が非常に良いなと思って、
簡単に言うとデイリーノートに頑張って記録を残しましょうとか考えを書いておきましょうっていうことを進めていたんですけど、
それは苦労をするために書いているんだと。知的に汗をかかなければ能力は伸びなくって、極論デジタルノートを書くという行為は現代では楽をするためではなく苦労をするためにやっていることなんだみたいな言い方をしていて、
観点として、現代へのアンチテーゼな感じがして非常に良いフレーズだなと思って。
そうですね。ポイントは苦労をすればいいってもんじゃないですか。
もちろんもちろん。それはもちろん。
苦労のための苦労になったらあかんわけで、これを通していれば自分は何を磨いているのかっていうことを定期的に意識しないと練習好きの試合ベターみたいなことになってしまうので、そこを結構意識した方がいいよなと思いますね。
そうですね。そこはもちろん気をつけないといけないところなんですが、結構自分の中でもそういう言い方、考え方をあんまり言ったことはなかったなと思って、これから自分にも取り込んでうまく紹介というか、今後の自分の考えにもその考えを取り込んでいきたいなと思った次第です。
はい。
ということで、画面共有を忘れていました。今から画面共有をします。
はい。
今回は114回です。
はい。
イスラーム人口の現状
イスラームからお金を考えるという、チクマ・プリマーの本なんですが、これが非常にとてもわかりやすく簡潔にまとまっていて、同時にイスラームという我々の生活では非常に縁が薄い、言ったら全然知らんことがいっぱい書かれていて、
読書入門としても良いし、ポスト資本主義を考える一つの話としても非常にヒントがいっぱいあるなという感じの本でした。
なるほど。軽く書紙情報を教えていただけますでしょうか。
はい。チクマ・プリマーの476番、2024年の12月、半年ぐらい前ですかね、およそに出た本で、長岡信介さんという方が書かれています。
原職は京都大学大学院アジアアフリカ地域研究科教授というので、フィールドワークを通しての経済学をやられている方で、この本に書いてあることが専門と言ったらいいのかな、
イスラム経済からその資本主義を考えてみるみたいなことがもう完全におそらくライフワークになられている方なのではないかなという印象です。
なるほど。
確か仏教とかイスラム教の時とかにもちょっと話したかもしれないんですけど、知性学的にもイスラムのエリアって我々の住んでいるところから遠くて、文化的にもやはり現代はなんだかんだ西洋の影響が非常に強いので、知らんことだらけじゃないですか。
まあそうだよね。名前だけは知ってるけど実体がよくわからんみたいなこともある。
例えば最初に出てくるところでまず確かに言われて驚いたんですけど、ヨーロッパの人口比率みたいなものを調べてみると、10%以上の人がね人口のイスラム、宗教イスラムらしいんですよ。
なぜかというと元が移民だったから、移民が普通に結構たくさんいて、例えばイギリスに住んだイスラムから来た人っていうのはそのままイギリスに住みながらもイスラムを信仰し続けていて、そういうことをやっているとヨーロッパでも1割ぐらいの人はイスラムの派閥になってきている。
1割って結構多い。
日本にいるとやっぱりめちゃくちゃ気づかないんですよね。そういうことがほとんどないから。
さらにこれは高野秀樹さんの本とかにもよく出てきたんですけど、アフリカ圏とか行くと、今まで特に宗教的なもの、いわゆる三大宗教とかとは縁がなかったような地域の人たちとかも結構イスラムが広まっていて、そのイスラム教を信仰し始めているみたいな人とかも結構多くいる印象があって。
人口予測なんですけど、2050年になると世界人口の3割がイスラムの人になる。
それは今後拡大していくという計算がなされている。
そうですね。今後広まっているとか人口の増加率とかも多分計算に入れているんじゃないかなと思うんですけど。
おそらく22世紀になると、信者の数が世界で一番多い宗教がイスラムになるだろうと。
でも例えばイスラム教は積極的に布教活動しているわけとかではないんだよね。
宗教と経済の関係
そこに関しては、やっぱりそれに自分も知識が弱くて、いわゆるキリスト教が宣教師がやってきて日本とかいうところに広めたみたいなことは多分やっていないと思います。
にもかかわらず宗教的な需要が広がっていく予想されているということは、この世界のあり方と信仰というのがある種調和的なものがあると著者は考えている。
あともう一つは単純に地域の人口増加率があるので、ヨーロッパ圏なんて単純に人口も増えていかないじゃないですか。
アフリカとかアジアの中近都あたり、中近都の出生率とかは知らないな。少なくともアフリカなんかはまだ出生率が多い地域なので。
だからそこら辺でその国とか文化で宗教的な主流になってたとしたら、公年どんどん増えていくということ。
という意味でイメージなんですけど、やっぱり世界ってキリスト教が大半だよねって勝手に俺は思っていたりするんですけども、少なくともそうじゃなくなりつつあるし、
もう少し先にはそうじゃなくなることが多分これはほぼ間違いないぐらいのレベルなんじゃないかなと思います。
でもそれは結構この話から外れるかもしれないけど、第3の宗教革命ぐらい大きなインパクトがある話だよねきっとね。
何よりもキリスト教の人たちがやっぱり俺たちが世界の中心だと多分未だに思っている印象はあると思うので、
そうではなくもはや多数派は俺たちではないということを理解しておいたほうがいいんだろうなと。
そういう言い方をしておいてあれなんですが、イスラム教って特殊性が強いというか縛りが強いというか教えが強いというのかな。
宗教という言葉で括るには教えというものが非常に、イスラムというものが生活に近いニュアンスっていうのかな。
生活様式。
生活様式みたいなものを定義しているし、その教えの中で例えば後から出てくるんですけど、
利子を取ったらダメとかギャンブルダメとか記者の義務みたいなそういう教えがあったりして、
我々が想像する宗教というよりももっと生活に関するようなことも非常に深く教えが入り込んでいるというのかな。
全世界に存在する宗教においてどっちのほうが、つまり僕らがイメージする宗教って言われたら宗教的儀式というか、
例えば観光相対式とかその日常の中で特別な部分にだけ顔を出すものとしての認識があるけど、
イスラムはもっと生活全般にわたっているという話だと思うんですが、
世界中の宗教はどっちの方が、僕はむしろイスラム的なものの方が数が多いんじゃないかと勝手にイメージしてたけどどうなんかな。
これはあれですね。確かに言われて思うのが、日本がそうじゃなさすぎるからそういう書き方をしているというのはあるのかもしれない。
ただ家族のあり方とか結婚のルールとかって少なくとも仏教でそういうことは言っていないはずで、
文化にはめちゃくちゃ強く影響を与えていると思うんですけど、結婚はこうするものが当たり前だみたいな。
キリスト教も例えば政治とか人間関係とかまでに教えはないんじゃないのかなと。
難しい。難しい。聖書そのものに書かれてなくても例えば子供を卸すのはいけないっていう生活規範を導いて解釈しているみたいなことはあるわけで、
やっぱり接点は結構他の宗教でも多いような気がする。
やっぱり仏教があまり…
仏教は超ゆるいイメージは、さらに大乗仏教になって相当ゆるくなっているはずだからね。
そんな感じですね。
我々が相当やはり考え方に宗教の要素がないはずはないけど、他の宗教に比べて相当少ないんじゃないのかなっていうことも予想できるかもしれないですね。
確かに。
さらに言うとですね、このイスラム、アラーですね、神様っていうのが言語にもめちゃめちゃ深く浸透しているみたいで、
挨拶とかもほとんどがイスラムの言語が含まれているっていう言い方をすればいいのかな。
例えばイスラムで、飲食店でご飯食べた時にお会計お願いしますっていう言葉がヒザーブっていうらしいんですけれども、
このヒザーブってキリスト教的な話でいう最後の審判のことなんですよね。
えらい深刻やね。
宗教とお金とも今回のメインのコンテンツと結びついてくるんですけど、
イスラム教が特に変わっているのが、お金を儲けることは良いことだっていう考えが宗教として染み渡っている。
ある意味日本と真逆。
どんどん金を稼いで、稼いだ金をどんどん寄付しなさいというのが、美しいことでかっこいいことだっていう価値観があるみたいなんですよね。
ここが多分今回の話のそもそものコアなんじゃないのかなと思っていて、
宗教がそもそも金を儲けをすることが経験な信仰行為であるっていう考え方をしていて、
この人、イスラムの文明圏でいろんな学会とかにも出てたりしてるらしいんですけど、
イスラム文化圏での学会とかに行って、休憩中におしゃべりしますよね、世間話を。
そうするとね、あそこの油田に投資するといいぞみたいな感じで、
あの油田は儲かるぞみたいな感じで、ごくごく当たり前にお金と縁がなさそうな学者先生たち。
その金儲けが当たり前のことのように語られていたりする。
そのあたりっていうのも、例えばなんですけど、古いイメージかもしれないけど、
日本の学会で休憩中に金儲けの話をしていたら、なんか省られるというか、
神聖なる学会の場で金の話なんてするんじゃねえみたいなニュアンスになりそうなんですけど。
そこと真逆であるっていうところも非常に面白いところなんじゃないのかなと。
イスラームの教えと価値観
あとさらに言うとですね、もう一個これも自分の中でイスラムの概念として非常に重要なことなんじゃないのかなと思うんですけど、
寄付をしましょうとか他人を助けましょうとかっていうことをめっちゃ推奨している宗教なんですけど、
全部自分のためなんですよね。そのイスラムの考え方のイメージっていうのは、
さっきの金儲けの話とかお会計という話とかともつながってくるんですけど、
最後の審判が下された時に、イメージなんですけど、アッラーさんが人一人一人について会計帳簿をつけていて、
会計帳簿で黒字だった人は天国に行けて、
赤字だった人は地獄に落ちてしまう。
で、その良いことをすればするほど黒字がたまっていって、悪いことをすると赤字、お金が減っていく貯金、
良いこと貯金でいいのかな、概念としては。
良いこと貯金をいっぱい貯めれば貯めるほど自分は幸せになれるんだっていう考えの下で、厳正で喜んでたくさん寄付をする。
ちなみに良いこと悪いことは当然、宗教的に規定されている。
これは良いことだ、これは悪いことだっていうのは本人が決めることじゃないよね。
アッラーの考えとして、基本的に、例えばさっきの話でいう、
イスラムの経済観
汽車をすることは、これは良いこと悪いこと以前にあるラインまでやらないといけないことで、
必ず稼いだんだら返しなさいという考え方があって、そこももう一個ある考え方として、
全てのものというのは、アッラーさんが作ったもの、アッラーが創造されたもので、
我々はそれを借りて生かしてもらっている。
そこも、日本語だとおかげさまっていう言葉があって、それと非常に概念が近いんじゃないかっていう風に著者は言ってたんですけど、
アッラーさまのおかげで、我々は生きることができていて、
アッラーさまが作った油田のおかげで、我々はお金が稼げていて。
ああ、そっか。だから油田からたくさん利益を生み出すってことは、アッラーが創出したものをよりうまく活用しているというようなこと。
そうです。だから、稼いだらアッラーさまが作ったものを使わせていただいたのであるんだから、
ちゃんと返さないといけない。
おしゃれとして返せっていうのは、いわゆる貧しい人に助けてあげなさいとか、寄付をしてあげなさいみたいなイメージっていうので、
この辺りがこの本のメイントピックではないんですけど、環境問題の話とかでも非常に有効な考え方なんじゃないかっていう風に言われてたりもするみたいで。
一応、利他的な行動は推奨されてるけど、その根本的な欲望は自己達成とか、自己欲求満足とか、
少なくとも自分を大切にするという観点から始まってるわけだね。
そう。だから、みんなに勧めやすいなっていうのはすごく思ったんですよね。
死後の救済さえ受け入れられるのであれば、非常に倫理的かつ自己満足の両方が成立する考え方。
利子でありながら利他を実現させている宗教という考え方が非常に面白いなと。
自然に対しても、日本だと例えば、今思ったことないですけど、日本的な、神道に近い、仏教ではなく、神道とかの概念とイスラムの概念に意外と近いところが多いのかもしれない。
山の神がいて、みたいな概念とかともなんとなく似ているような感じもするし。
与えられているもの?なんとなくなんですけど、キリスト教の場合は神がお作りになられしものなんだけれども、我々人間だけ特別だみたいな概念があるような感じはする?
神の公という言い方はするけど、公という段階で神とは切断された、つまりオブジェクトとして、あるいは個人、つまりインディペンデントな存在として西洋的な認識はあるような気がするね。
で、その辺りっていうのが結構知らなさすぎて、このリコとリタが上手いこと成立するような仕組みとかっていうのが非常によく考えられているなっていうところで。
で、もう一個、これも割と変わったことというのかな。
イスラムのちょっと変わった3つの教えっていうのかな。
一つは、利子を取ってはいけません。不労所得というものはダメです。なぜかというと、不労所得が経済格差の大元になるからです。
これはちょっとイスラムの歴史をそこまで知らないからあれなんですけど、イスラム教が生まれた背景っていうのが、やっぱり貧富の格差が大きくなっていた時代みたいなんですよね。
で、ムハンマドさん、もともと商人ではあって、商売しながらお金儲けはしていた人なんですけれども、同時に経済格差がどんどん広がっていくのは良くないと思われていたし、そういう時代にこの考え方だったから、まず所得が上手くいったというのかな。
で、その不労所得を、そもそもこれもさっきのアッラーの話と繋がって、全部のことかな、アッラーの話と繋がっていたりするんですけど、アッラーから与えられた時間というものを金を稼ぐ道具にしてはいけないみたいなイメージなのかな。
で、それに繋がってギャンブルと言われるやつもダメなんですよね。何が起こるかっていうのは全てアッラーのおもしめしで、それに関して金をかけて儲けるなっていうのは許さんと。で、同じ言い方で保険もダメみたいなんですよ、だから。
あーそうやね、近いもんね。
利子禁止とザカート
何かが起こった時のためにお金を払っておいて守ろうみたいな考え方もアッラーの教えとして、イスラームの教えとしてはダメなことにされてしまう。
おそらくそこはなので、もし何かそういう不幸があった場合にはみんなで助けてあげましょうというのがシステムとしてうまいこと言っているから、保険がなくてもいいのかなみたいなことは思ったりもする。
まあそうでしょうね、そこの寄付する文化と説得の考え方ではあると思うけど、いやでもこの利子の禁止とギャンブルの禁止ってさ、現代の経済が抱えている大問題をさ、シュッと解決する方策やなというような気がしますね。
そう、やっぱね、そこがあれなんですよ、この後の本編というか、メインの話がこの後に出てくるんですけど、そこともやっぱすごくうまいこと絡んでいる気がする。
うん、なるほど。
で、もう一個がザカートって発音とかちょっとわからないんですが、っていう汽車の義務、喜んで捨てるですね。
まああの寄付をしなさいっていうので、これはまた超面白いことにですね、すげー細かい数字も決まっていたりするらしくて。
ほう、なるほど。
なんか農作物は10%寄付しなさい。
お金の場合は2.5%寄付しなさい。
はい。
牛肉の場合は、牛だったら30に対して1、羊だったら40に対して1みたいに、そういうことは細かく数字が決められているらしいです。
それはわかるかどうかわからないけど、ずっと一緒なのかな?それとも状況に合わせて数値は変わっているのかな?
多分、項欄に書かれているんじゃないかなと思います。
だとしても変わらんわね。
この辺りはひょっとしたらこれから時が変わると、やっぱりこの割合っておかしいよね?みたいなことは十分起こりうるとは思います。
で、あともう一個、これも面白いシステムなんですけど、基本的にこれを集めるのはモスク、お寺ですね、イスラムのお寺が集めるんだけど、
どこにいくら納めようかとかっていうのは各自が自分で判断して決めるらしい。
っていう意味でも、日本だと税金とかもサラリーマンになると誰も確定申告しなくなってしまうんだけれども、
基本的に多くの国では自分で確定申告をするじゃないですか。
それと同じ概念で、自分で選んで自分でお金を払うっていう感覚っていうのは結構大事なんじゃないかなというのは個人的には思ったりしています。
そこは社会というような一つのシステムに参加しているという気持ちにはなるだろうね。
根本に全てはあらから与えられたもので、それを使わせてもらっているんだからと考えることが心の底からできたら、確かに喜んで捨てられるなっていうのはわかる気がする。
これだから所有の話と関連するけど、借りているだけのものと所有しているだけのもので人間の感覚って異なってくるでしょ?
借りたものを使ったんだから、それは持ち主に分け前を渡さんといかんよねみたいな感覚でもあるのかな。
今回のメイントピックっていうのが、やっぱり利子禁止なんですよね。
利子を禁止した場合に、いかにして世界の金融業というものが成立し得るのか。
極論を言えば、現代社会が発展したのって金融の発展とイコールぐらい言ってもいいと思うんですよね。
信用によって富が生まれることで文明の発展が加速した。
だとすると、利子を取らないでどうやって社会を良くしていくことができるのか。
概念として無利子銀行、利子を取らない銀行というものがイスラーム圏では登場して、割と割合として利用されている割合も大きくなってきているらしい。
概念は40年代に生まれて、70年代ぐらいから本格的に始まっていて。
例えばマレーシアに行くと、マレーシアっていろんな宗教があるんですよね。
マレーシアの銀行には入り口が2つあって、利子銀行と無利子銀行の窓口が2つあったりするということもあったりするらしいです。
この無利子銀行って、じゃあどうやってできるの?そもそも何なん?というので、
ちくまプリマーなので、めちゃめちゃ深い詳しい話までは踏み込んでいないし、自分もそこまで理解はできていません。
だいたいこんな感じのものだっていうのをざっと紹介したいと思います。
まずですね、言葉を覚える必要はないと思うんですけど、無駄あらばっていう用語があって。
いわゆる金貸して一緒に仕事しようぜって銀行のシステムとものすごく大きな意味では一緒なんですよね。
ある人はお金をたくさん持っている。ある人は商売経験が豊かで、
例えば、かつてのイスラムの世界で中国まで行ってきて、商品買い付けて帰ってくるみたいな経験値がいっぱいある。
っていう場合に、AさんはBさんにお金貸すから、中国行って売って買ってで、金儲けしてきてよ。
そのうちの利益山分けしようねっていう話をします。
Aさんにお金を借りて、Bさんはたくさん商品仕入れて、中国行って売ってきて帰ってきました。やったぜ、儲かったぜっていう。
これはよくある銀行的な概念ですよね。
うまくいったら利益を山分けというのも普通ですよね。
もう一個だけ普通じゃないのは、うまくいかなかった場合にお金を返さなくていい。
銀行から金を借りて商売をして、商売が失敗しました。借金はなしです。という概念がある。
すごいね。
で、なんでなのかって言ったら、金を貸すと借りるっていう概念と違うっていうのかな。
あくまでも二人ともパートナーであって、一緒に商売をしていて、お金を貸したからといって、私ははい、金貸しました、はい、OKとかそういうことではない。
お金を貸した側は常にお金を借りている、貸した相手のことをちゃんと観察して、口出しをして、ただ何もしないんじゃなくて、一緒に商売をしているんだという意識を持たないといけない。
はっきり言って別に日本の銀行とかでも概念としては同じなんじゃないかっていうことは自分も思うんですけど。
ただ、その建前を守らないとイスラムの教えに反してしまうんですよ。
とにかく金をただ貸しているんじゃなくて、一緒に商売をしていれば、そこでお金が儲かっても不労所得にはならない。
ある意味ではものすごく無理やり言い訳をこじつけをしてどうにか作ったという言い方もできるし。
まあそうやな。でも考え方としてはイスラム教の教えが守ろうとしているものを守っているという感じがする。
そうですね。だから不労所得は絶対ダメなので、何が何でも不労所得にはしない。
それをどうにかするためにこういう無駄あらばっていう概念を作って、言葉を作って、そういうふうに金を貸した側が失敗したとしても返せみたいなことを言わない。
あくまでもパートナーとしての共存の関係である。
だから言ったら、授業をするときに授業主体はいろいろな人手を割いたりとかして労力を払っているわけだけど、銀行はお金という労力をそこに参加させて、
それ自体で授業を成立させるわけだから、だから外から貸すのと内部にいるの。内部にいる場合、失ってもそれは内部の問題だっていう感じがするから。
それやっぱり不労を落として儲けない、行為によりリスクを取るということを義務付けているっていう感じがするんですが、仮にそうしたときそういう銀行の経営が長期的に成り立つのかどうかだけが気になりますけどね。
今のところうまくいっているみたいなので、考え方がちょっと違うだけみたいなイメージなんですよね。言ったら破綻しても返さなくていいだけっていう言い方もできるかもしれないし。
でも、貸してもらうのが難しくなる気がするね。
っていう感じはします。ただ基本的に大雑把なことを言うと、無利子銀行ってそんだけのことなんですよ。
そんだけのことだけど、銀行がお金返ってこなくてもいいっていうのはかなり異常自在な気がするけど。
無利子銀行の仕組み
もう一個大事なことっていうのが、基本的に個人からお金を集めないといけないじゃないですか。金を預ける方にも基本的には利子を払わないと預けてくれないですよね。
なので、ここにも無駄あらば的な関係性が成り立っていると考えられる。お金を預ける側はそこの銀行にパートナーとして俺の金を誰かに貸し付けることでお金を稼いでくれっていう概念として預けるっていうのかな。
だから、利子が勝手にお金が増えていく金庫にしまっているという感覚ではないということだよね。
なんだと想像しました。預ける側も。なので、なくなるかもしれんということなんですよね。預けた金が、この銀行の商売がうまくいったらガッポリお金が儲かるかもしれないけれども、この銀行の商売が失敗したら俺たちのお金はなくなるかもしれないという感覚でいるのではないか、預ける人は。
だからもう貯蓄じゃなくて純粋に投資的な感じで銀行にお金を入れているという。
個人が会社にお金を貸すっていうのは大変だし難しすぎるので、やはり間に銀行が入ることで、その銀行は個人からのお金を一括して集めて、専門の組織として成立して、銀行は銀行で会社一個一個に対してよく調べてお金を貸して儲けを山分けするということをやることで。
まあ預金者としては、やはり利子ダメとか言いながら金なくなるの困るので、できるだけなくならないでほしいですよね。
というので、その銀行を間に挟むことで安全度も高めつつ、同時にその投資ができることで経済を活性化できるようにしようとしている。
ちなみに日本の場合って1000万円まで口座の預金って保護されるわけでも、イスラームではされへんもんね。
そこの観点がだいぶ違うよね。やってること、お金をどっかに入れて利子が返ってくるっていうことそのものは一緒でも、マイナス側のリスクの触れ方が全く違うので、やっぱり心構えそのものが変わってくるようなと思いますけど。
やっぱり精度が変わることで感覚が変わるでしょうね。そもそもの貸付騒ぎみたいな概念というのがひょっとしたらないのかもしれない。
初めからそういうつもりで預けてる。なくなるかもしれへんと思って預けてるわけで、やっぱりその対する姿勢とか、自分のものが奪われたというような感覚は多分ないよね。銀行が潰れたとしても。
そうだ、メモしてなかったから忘れてたんですけど、サブプライムの時にイスラム経済圏はダメージ少なかったらしいんですよ。
でしょうね。
ただ、それ以上は調べられていないので、それがなぜだったかとかどういうことなのかって、この辺りぐらいかなっていうちょっとふんわりとした認識しかできてはいないんですけど、
イスラム経済が注目されたきっかけっていうのも、サブプライムローンの時に割とダメージが少なかったっていうことも大きかったみたいです。
まあでも面白いよね。だから、例えば日本の場合って不良債金っていうのがあってさ、バブル期にさ、特にお金も必要としない人に貸してたわけよ。
でもそれがさ、結局さっきのようにさ、銀行がリスクを取らなあかん場合ってさ、そんなこと絶対にせえへんわけやんか。
まあ普通に考えたらね。
だからやっぱりその本当に必要なとこだけ回すっていう、純活、正しい経済の純活、正しい機能をしてたんやろうなというのはちょっと推測しません。
その教えとして、面白いのがやっぱ商人が作った宗教なんですよね。神から選択を受けたっていう定義にはなっているんだろうけれども。
当事者の考え方の基盤がやっぱり、どうしたらお金、人とお金の関係がどうなったらいいのかっていうその人の思想みたいなものが色濃く出ているという感じがする。
たぶんそのお金を、やっぱり幸福のためにお金を使うというものを社会システムとして実装せねばならん。
で、利子というものがおそらく最も悪で、それが一番の原因だから、それをなんとかなくさせないといけない。
結局面白いなと思うのは、お金を稼ぐのはいいけど、稼ぐことと使うことがセットになっているっていうことじゃないですか。
稼いだやつが貯めるから問題なんですよ、経済ってのは。回らないからね。だから稼げ稼げ回せ回せっていう方がやっぱり一番経済にとっていいんだなっていうのは思いますけどね。
そう、そこがおそらく、やっぱり自分の感覚で言うとちょっとの発想の転換ぐらいのイメージなんですよね。
何もかもドラスティックな変更っていうイメージはあんまりなくって、少し考え方を変えればこれに近いことができるような感じはして。
そういう意味でも、もちろんこれは答えではないし、同じことがすぐさまできるとかそういうものではないんだけれども、ポスト資本主義みたいなことを考えるときにこの概念というかこの感覚というのは非常に参考になる、考える材料として非常に良いという印象がありました。
もう一個ですね、さっき言ったのは無駄ラバ。いわゆる返さなくていいお金山分けシステム。もう一個ですね、これもイスラームの概念で面白い、スーパーいいことポイントがたまるサダカ。
そのさっき言った貴社の義務、寄付はこれだけやらないといけないですルールというものは義務なんですよ。やったからといってポイントにならないんですよね。その天国に行くためにはポイントをプラスにしないといけないので、この義務以上のいいことをしないと天国に行けないと考えられている。
なので、みんなして必死こいていいことをするらしいんですよ。いいこと競争をさせるという仕組みがその概念として存在している。で、面白いのがですね、このいいこと競争ってお金だけじゃなくてもいいらしくて。
例えばイスラムに行くと女性専用車両みたいなものがめちゃくちゃ日本よりも早くから実装されていたりだとか、バスに乗るときに女性とか子供とか老人とかそういう人に当たり前のようにその人たちが先に乗って健康な大人たちは最後に乗るみたいなことがごくごく当たり前の行為として根付いていて。
なんでそれをやっているかというと、そうするとポイントが貯まるから。お金を払うっていうのはもちろん、一般以上にお金を払うとそのいいことポイントが貯まるんだけど、単純に優しくていいことするだけでもいいことポイントが貯まると宗教として教えられていて、みんなが必死こいてそれを実践しようとしている。
そうすると、みんなして自分のために他人に席を譲ることができるようになる。
さだかっていうシステムが、結局これがあることによって、いわゆる寄付というか福祉みたいな言い方をしなくても良くなってしまうというのかな。
なるほどね。 そんな難しい概念よりも、やっぱり生活の中ではわりと当たり前にその感覚っていうのがあったりするので、非常に他人に優しくが天然でできる仕組みなんだなぁと。
天然という表現が適切かわからないが、外部的な強制なしにある種の自発性に頼って任せることができる。
たぶんね、一部そんなものを全く信じていない人がいて、悪いことして地獄に行くなんていうことを全く持って信じない人というのはいるんだろうけれども、たぶんそういう人は社会できっと袋叩きにあいやすいんだろうなっていう。
まあそうやね。だから難しいそうやな。日本の場合って昔の言い方ですとおてんと様が見ているという言い方をして、それで他人に対して適切な行動を取ろうというような規範性が多分維持されていたと思うんですけど、
まあそれ自分のためどうなんやろ。でもそこはやっぱり自分のためと他人のためが重なる考え方が多分いいんだろうな。結局それは宗教の力を借りるかどうかは別としても、その2つって別に反対のことじゃないよねっていう風な思想があれば多分いいんでしょうね。
たぶんおてんと様が見てるも、抗議の神道なんじゃないかなみたいに思ったりするんですけど。仏教と神道が混ざった日本独自の宗教みたいなやつ。
それのおかげで社会秩序規範みたいなものが成立されてきたからその時代それが言われてたという感じはする。
あと最後にですねもう1個。さっき言った、さだかのスーパーすごいバージョン。超金持ちがもっとすごい寄付をするっていう。これもなんか用語があって、用語を覚える必要はないと思うんですけど、ワクフという名前の仕組みがあるらしいです。
何かというとお金持ちが学校を作ってみんなで使ってくださいとか病院作ったんでみんなで使ってくださいってイメージとして俺は3億円払ったんできっと天国に行けるはずだみたいなイメージなのかな。
ここで面白いのがですね、病院とか学校を作るときにただそれを作って寄付するだけでは続かないんですよね。
お金を稼がないといけないから病院とか学校や。で何しようっていうと一緒に市場も作る。市場の賃料を学校とか病院の運営費として活用していこう。
なるほど。お金を儲けていいことをするんだけど、押し付けだけのいいことではない。ちゃんとその持続性みたいなものを加味しつつ、しかもポイントは病院とかが儲けられるようにするわけではないというのがすごい発生。
病院とか学校って当たり前だけど人が集まるので、その隣に市場があったらそれは儲かるよね。すごく利にかなってると思うし。そこに場所代を取って学校の金にすればいいじゃん。
確かに。 病院の赤字の運営に充てるとか、それで自動的にって言うとあれだけど、割と国家に頼らない福祉の仕組みみたいなイメージもあるし。
もちろんマーケットがうまくいかなかったら、病院もうまくいかなくなるという道連れはあるにせよ、病院が利益追求するあまりに本末念頭のことをするってことも避けられるし、国家権力によるやいや言われるみたいな雨下り先になるみたいなことも避けられるというメリットはある。
これもちょっと工夫することで非常に面白いよなっていうサンプルなんじゃないのかなって思うんですけど、ただ当たり前なんだけどここにも問題みたいなのはあったりして、病院がボロくなってきた、市場がボロくなってきたときに勝手に直せん。
もうプレゼントしてしまったものなので、持ち主すらもこれ直しましょうみたいなことができなかったりする。一部の市場なんかはそこ自体がもう観光地化していて、ボロいことが売りになっていて、昔からの歴史残るなんとかみたいな感じで、それを売りにして十分儲かっていたりはするんですけど、どんな設備だろうがやはりやっている限り、
どこかでボロは来て、ガタは来て、修繕をしないと持続的に続けていくことが難しいのか。そこに最近、今度は無利子銀行が現れることによって、これもちょっとずつ解決するようになってきているみたいなんですよね。
寄付とサダカの概念
理論的にはっていう話なんですけど、改装できてきれいになれば、もう一回お金が稼げるはずで。ということは、その改装できるお金さえ手に入ればいいわけで。ということは、そこに無利子銀行さんが一緒に商売をして、金を稼いであげれば、理論的にはうまいこといきますよね。
全部、よく言われている経済の仕組みをほんのちょこっとひとひねりしただけっていうイメージなんですけど。これによって、こういうワクフみたいな問題というのも無利子銀行の登場によっていろんな可能性が生まれてきている。
この後は、よく知っている感じの自分の話とかだったりもするんですけど、ここに例えば、ネット活用してクラウドファンディングみたいなものでお金を集めるみたいなことが最近も増えてきているみたいな話だったり。
信託っていう仕組みがどうやらイスラムの発祥の概念みたいだっていう話だったりとか。 日本にも同じような仕組みって結構昔からあるんだよっていう話で。
たのもしとかもあいっていう名前で言われてるやつ。仲間うちでお金を貸し合って、緊急の何かお金が足りない時にみんなで寒波ですね。現代的な言葉で言うならば。みたいなものっていうのが日本にも昔からあるし。
オウミの商人というのは寒波を良しっていう言葉を使って、そういうふうに買う側と売る側と作った側とみんながみんな儲かるようにしていくという概念があって。イスラムって全然縁がなさそうなイメージがあるかもしれないんだけれども、結構日本人の感覚で近いものっていうのはいっぱいあって。
そこはひょっとしたら西洋の人たちよりもこの文化とか概念考え方っていうのを文化として理解しやすい立ち位置にいるのかもしれない。みたいなことは思ったりもしました。
西洋イクスラッシュイコール資本主義の問題に対してやっぱりその共産主義的なあるいはアナーキズム的な感じで対抗する理論が組み立てられたりとか、日本で言うとお金なんてなくていいじゃないという製品の思想とかもあるわけですけど。
それはやっぱり現代の部分の文化文明というものがある程度の経済活動をベースに発展してきているし維持されているというところもあって、それをひっくり返すこと自体かなり革命が必要で、それよりはやっぱりゴルゴさんがおっしゃるとおりちょっと考え方を変える。
まあでも無理し銀行ってちょっとじゃない。言葉にするともうめちゃくちゃちょっとじゃない。変えることで何かその起きている弊害っていうのをケアできるとしたらやっぱりこれは新しい第三の思想として取り入れていくべきものだというのが感じます。
文明とか資本主義を否定するのは非常によろしくないと思って、Tシャツを作った時に思い知ったんですよね。Tシャツ1枚が1000円2000円で買えるってもう完全に資本主義のおかげで。
これ本当に自分で俺が作ったら5万で売らないとダメなんですよね。トランプさんがアメリカでiPhone作ろうぜって言ってるのと同じ無理筋っていうのかな。
無利子銀行の役割
言われてますよね。確かアメリカで今iPhone作ったら200万になるぞとかって言ってて。そこはちょっといろんな歪みがまだまだあることではあるんだけど、やっぱあの世の中そんな単純じゃねえんだよっていう。
そうやね。だからやっぱり市場とか経済って回るっていうことが重要で、やっぱりそのせき止めている者たち、アホみたいなお金持ちとか内部流を増やす企業とか、貸さない銀行みたいなものがその資本主義をそもそも痛めつけているようなところがあって、やっぱりそこをどうフィクスしていくのかっていうところを考えた方がいいんでしょうね。
そうまあ単純に宗教の話だけで考えてしまうと、自分はそのいわゆる地獄の概念とかやっぱないので。その自分は自分が天国に行くために人に優しくするということは、まあ多分そういう考えでは行動できないんですよね。
でももっと本当に理工的に、人に席譲ったら気持ちいいよねっていう話だと思うんよ。
うん、まあ本当そんだけだと思う。
それがもっと当たり前のレベルで認識されたら、少なくともちょっとは良くなるよね、社会で。
まあやっぱねその忙しくないことなんじゃないかと思うんですよね。もう一個のヒントはやっぱ自分の中で。
なんかその例えば毎日睡眠、8時間寝る暇がないっていうのはやっぱそのやることに余裕がなくなるので、あらゆることに。
まあそういう意味でも考えを直す、改めるきっかけにはなるというのかな。
うん、そうやね。まあ宗教的にいろんな厳しいことが決まっているけども、例えばその人の幸福とか精神的な自由そのものが剥奪されているわけではないし、やっぱり生活にはなんか規範というか基準というか秩序みたいなものをある程度設定した方がいいんだろうなという話もちょっと思いましたね。
そうですね、結局100%の自由というのは大変すぎて難しすぎるので、ある程度決められたことがあった方が楽になるとは思うし、自分の価値観では現代の宗教は縛りが強すぎると思うんだけど、でもその方が生きるのが楽っていう考え方は理性ではなんか理解はできるっていうのかな。
そうね、だからおかしいなと思った時にその宗教を変えられる自由さえ残っていれば、あとはむしろ人の生活に基盤を与える概念装置ってちょっとなんか物々しいけど、そういうものだなという気はしますね。
正直これを読んだだけではまだ、俺細かいツッコミをされたらほとんど全然わからんので、自分なりに理解はしたと思っているんですけど、もっと多分非常に高度なことはいっぱいあると思うので、そこはもし興味を持っていただいた方が各自いろいろ調べていただいて、この本とか良かったよっていうのを教えていただけると俺が一番嬉しいです。
はい。
ということで、今回のご意見ご感想などは、メールのあるお便りフォームやTwitterブルース回のハッシュタグでカタカナブックカタリストをつけてお寄せください。
それでは今回もお聞きいただきありがとうございました。
ありがとうございます。
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