雨男の感覚
ReNormal Radio パーソナリティーのけいです。
パーソナリティーのしんぺーです。
この番組では、周りからちょっと普通じゃないよねと言われがちな言語学研究者で、大学教員のKと、
車椅子ユーザーで元上場企業の管理職、しんぺいの2人が、世の中にあふれる普通という言葉に突っ込みを入れながら、
これ、本当にこれって普通なの?と問い直し、解体して楽しんでいく雑談ラジオです。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
噛みました。
噛んだね。
噛みましたが、もう撮り直しはしません。
はい、このままいきましょう。
これが普通です。
はい、こんなもんです。
さて、今日のテーマは?
今回は、前回ちょっとだいぶ重たい話をしたので、
もっとライトな話をしたいなと思って、
僕、すごい雨男なんですよ。
私もなんですけど。
2人ともすごい雨男で、
むしろ譲りたくないぐらい雨男。
だいたいどっか行くと雨降るよね。
フェス行こっかって言ったら台風来るし、みたいな。
仙台遊びに来たときも雨じゃなかった?
雨だったかもしれない。
そう、とにかく雨男なんですけど、
最近、人類学の本とか歴史の本とか宗教の本とかをよく読む機会が多くて、
この雨男っていう感覚?
日本人のこの雨男っていう感覚というか、
こういうの多分他にいっぱいあると思うんだけど、
この感覚普通じゃないよねみたいなのがちょっとわかってきたというか、
ちょっと理解でき始めてきたみたいなのがあってね。
何の話?って感じだと思うんだけど、
宗教と文化の影響
雨男って、多分ね、多分だよ。
留学経験あるし、外国の方と喋ったこともあるけど、
こんなことを実証したことはないから、あくまで多分としか言えないんだけど、
神様でもない一般人が雨を降らせることができるみたいな感覚って、
すごい日本人的だなと思って。
なるほどね。
一応、レインメーカーとかレインブリンガーっていう表現はあるみたい。
あるんだ。
あるはある。
あるけど、
なんて言うんだろう、
人が天候を操りうるみたいな感覚ってあるわけじゃん。
晴れ女、雨男、晴れ女みたいなさ。
っていうのはそこまで海外では多くないというか、あんまり使われる雰囲気はない。
多分そうだよね。
だって、
あの、
ゴッドしかできないもんね。
西洋とか、西洋とか中東とかの考え方ってさ、
そんなことできるのはゴッドだけですみたいなさ、
考え方じゃない多分。
ね。
なので今回のテーマをざっくり言うと、
日本人のこの感覚普通じゃなくないっていうところに焦点を当ててみたいと思います。
そうなんです。
で、一発目が雨男と。
そうそうそう。
なんか結構普通にさ、こういう話するじゃない。
こういう話するじゃないっていうか、
何が言いたいかっていうと、
僕たちが思ってる以上に、
日本人って仏教とか多神教みたいなことの影響が結構根付いてるよねっていう。
ね、ほんと不思議だよね。
特に信仰とかはさ、別にしてないじゃない。
してないはずなのに。
お葬式の時に形式上仏教でとか、
当然ね、キリスト教信仰してる人とか、
ユダヤイスラムとかいろいろね、いろんな宗教信仰してる人は世の中にいっぱいいるから、
一概には言えないけど、
いわゆる無神教論者とまではいかないけど、
別に信仰してる宗教はないですみたいな人が日本人で大半じゃない。
敬虔ななほにゃらら教徒みたいなのはないってことだよね。
なのにも関わらず、めちゃくちゃ影響を受けてんなっていうのが超面白くて。
あの、ほんと何でも取り入れちゃうよね。
そうそうそう。
だってこう、なんだろうね、クリスマスは祝うし、
誰かが亡くなったら南無阿弥陀仏っていうくせに、
誰かが亡くなったらそれがきっかけで神社に行けなくなるからね、我々日本人は。
そうなんだよね。
すごい不思議な。
そういうね、形式的にやってるみたいなことももちろんだし、
もっと深層心理的なところで、
あ、これって日本人、日本人というか東洋人特有なんだみたいなことも、
なんか結構あるんだみたいなこと?
ゲン担ぎみたいなのが多いのかな。
あーそうだね。
あれも特集なのかな。
六曜ってあるじゃん、大安ぶつ滅みたいな。
あれもさ、ほんと気にする人ってめちゃくちゃ気にするじゃん。
信仰の矛盾
例えばこう、とも引きの時に結婚式しましょうとかさ。
やっぱりあの、僕あれ、ビデオカメラマンやってたじゃん、ブライダルの。
その時はもうあれを、もう大安の祝日とかもう最悪って言ったらあれですけど、
おめでたいんですけど、ものすごい婚礼の件数が多いわけ。
朝の5時半から夜の9時半ぐらいまでずっとカメラ回してるみたいな。
鬼のような肉体労働をしてたんだけどさ、
でもやっぱりそれぐらい日本の人にその六曜の考え方って浸透してるよなって思うわけよね。
海外ってあんのかな、ここまで。
どうなんだろうね、個人的な厳格義とかはなんか聞いたことあるけどね。
もちろんね、ラッキーチャームがあったりとか。
負けるまでヒゲ伸ばし続けるとかさ、スポーツ選手とかもね。
そういうのとかなんか聞いたことあるけど、
なんかあくまで個人的っていうか。
そうね。
なんかなんだろうね、特殊なんだろうね、やっぱこの仏教と多色教のハイブリッドみたいなのが。
かなり特殊なんだろうなって感じるし。
そもそもだって神様の数でさ、キリスト教とかそれこそイスラム教って要は唯一神なわけじゃん。
神様は一人いて、その大弁者がいてとかね、っていう考え方をすると思うけどさ、俺ら800万だぜ。
あれもよくわかんないね。
やおよろずの神様よね。
たまにヒットするJ-POPの曲でさ、トイレにはそれはそれは綺麗な女神様がいるんやで。
そうそうそう、あの感覚とか絶対理解できないもんね、たぶんその西洋とかさ、中東の人って。
トイレの神様ってなんやねんってなるもんね。
トイレの神様がゴッドオブトイレとかいるからね。
そんなもんねえだろってなるよね。
そうなんかトイレを綺麗にしてれば報われるんだみたいな考え方が特殊だからね。
まあね、それはでも俺ね、一番最近漫画とか推しキャラっていうまではないけど、だいぶ好きなキャラクターとしてさ、
ハイキューの主人公の敵で途中で戦う稲荷崎高校っていう兵庫県代表の高校があってさ、
そこのキャプテンが北信介っていう人なのね。
これいつかもハイキューに関するテーマでやりたいけど、
その中のキャプテンの美学が「ちゃんとやんねん」なの。
で、何か練習の前に絶対トイレを綺麗にするみたいな、そういうことを絶対やってるんだよ。
ばあちゃんがまさに歌みたいな、トイレには神様がいるよって、で、ちゃんとやってると神様が見てくれるんだよっていうシーンがあるのね。
でも、全然自分自身宗教とかを、何かどの宗教を信仰してるっていうのはないけど、その考えってめっちゃフィットしたの。
わかるよね。理解できるよね。
わかるし、それ大事にしたいって思っちゃうのよ。
何なん?この感覚。
いやだからその、徳を積むみたいなさ、
あー、はいはいはい。
感覚がやっぱりちょっと特殊っていうか、あのー、キリスト教ってさ、そこのロジックが逆じゃん。
あー。
要はなんか、もともと罪を抱えて生きてるから、
はいはい。
償い、償いながら生きなさいっていう考え方じゃん。どっちかっていうと。
だからその償いのためにそれやりますみたいな。
いいことがあるからそれやるっていうよりかは、その、償うためにやるみたいな。
要はその、いい人になるためにやるみたいなさ、救われるためにやりますみたいな。
そっかそっかそっか。もともと悪いから、なんか良くしてようやくトントンみたいな感じ。
そうそうそう。だから、まあその少なくとも僕が理解した限りね、本当にそうかどうかわかんないけど、
だからそのトイレを掃除したから良いことがありますみたいな考え方ってさ、多分よくわかんないんだと思うんだよね向こうの人って。
なんか帰ってくるっていう考え方するじゃん。
うんうんうん。
なんか悪いことを言ったらなんか自分にその言葉が返ってくるよとかさ、
で、あのメジャーリーガーで活躍してる大谷翔平もゴミ拾いをしたらなんか自分に良いことが返ってくるみたいな。
うんうんうん。
奴は54個ゴミを拾ったんよ、今シーズン。
そしたら54本ホームラン打ってたと思うんやけど。
っていう考え方をしたらめっちゃ日本人的よね。
いやそうだよね。
そのサッカースタジアムでゴミ拾って帰るとかさ、
すごい評価してくれるじゃん海外の人も。
日本人偉いんだよな。
あんだけ得つんどったらさ、そろそろワールドカップ優勝するで。
そうそうそう、そういう考え方をするじゃん日本人って。
思った以上に自分が日本人的でした。
ゴミ拾ったから勝てるわけないじゃん別に。
理性で考えたらね。
そこの考え方がかなり特殊なんだよね。
この間読んだ本とかで言うと、
お供え物で食べ物を置くとか、
めでたいから鯛を一回供えてからから食べるとかさ、
そういう感覚も特殊なんだろうね多分。
理解できないと思う、多分あれって。
その生贄みたいな考え方はあるけど。
サクリファイスではなくて、
じゃないじゃん。
そうそうそう、どっちかって言うとさ、
よくしてあげようみたいな考え方じゃん神様に。
神様によくしてあげることによって、
いいことがあるんじゃないかみたいな考え方してるじゃん。
確かにね。
めっちゃ面白いね。
それが結構、
はびこってるよねっていうか、
ビジネス的なことでも、
生活的なことでも、
たぶん気づいてないけど、
めっちゃあって。
生活はわかる。
いろんな部分はわかる。
生活はわかる。
いろんな部分で、
自分もやってるなって思う。
例えばこう、
自分がイライラしてるなって時に、
結構部屋散らかってるなっていう気がして、
部屋片付けたら、
そのイライラが解消されるかなとかって、
割と思ったりするんだけど。
ビジネスでもある?
いや、あるよ。
例えば?
何だろうな。
合理性がないことをさ、
結構、
やるよなって思う。
合理性がないこと。
別に外資系の企業とか勤めたことないし、
あくまで感覚的な話として受けとってほしいんですけど、
すごいロジック立ってるじゃない?
海外の会社の判断って。
アメリカとか特にそうだけどさ、
目指すべき姿みたいな、
世界観みたいなものがあったとしても、
そこに利益追求することができなかったら、
全然余裕で妥協したりするじゃん、
利益の方に振ったりするじゃん。
なるほどね。
日本人ってそれできないじゃん。
正しくないからやめとこうみたいな。
そうそう。
どうなんだろうね。
悪いこと起きるんじゃないかみたいな。
何て言うんだろう、
俺たちこうやって言ったし、
ここの理想と反することって、
日本における社会的責任感
利益出ないけどやっちゃダメだよねみたいな、
考え方できるじゃん。
SR活動ってさ、
別に日本だけじゃないと思うんだよね。
Social Responsibilityというか、
社会に対する責任みたいな。
日本だとそれを要は、
そうやっていたら我々得するかもよりやってるかもしれない。
得するからやってるかもしれないっていうよりかは、
あらかじめ謳えないっていう方が正しいかも。
例えば、CO2削減量を
例えばね、何パーセントにしますみたいな目標を出したときに、
当然そこにコミットはするんだけど、
何パーセントになったときに、
これ会社に利益出ないってなったら、
向こうの企業って妥協できるんだよ、そこって。
もう何年伸ばそうみたいな。
でも日本人ってそれできないから。
子会社買ってそこがめっちゃ削減してるから、
それをうちの。
とかやったりするじゃん。
そうそうそうそう。
そういうのもあるし、
そもそも謳わないみたいなことをしたりするわけ。
仏教的価値観と教育
これやろうと思ったら利益こんだけ減っちゃうから謳わない方がいいよね、
みたいな思考になるわけ。
なるほど。
それってさ、
バチ当たるじゃないけどさ、
言ったこと守らないとバチ当たるみたいなさ、
考え方あるじゃん。
あるね、ありますね。
正しいことをちゃんと追求しなさいみたいなのも、
正しいことを追求しなさいっていうことが、
他の宗教にないかって言われたらそういうわけではないと思うけど、
そこに重きを置くみたいな感覚が、
ものすごい、
仏教的っていうか、
っていう感覚をなんとなく持ってるよね。
返ってくるって感覚じゃない?やっぱり。
そうなんだよね。縁だろうね、だからね。
御縁みたいなさ、
全部繋がってますみたいな、
これとこれは違うじゃん、みたいな考え方があんまりできないっていうか。
輪廻っていうの?そういうの。
不思議な考え方してるよね、それはでもね。
そうそうそう、なんかそれがさ、
自然とやってるじゃん。
当たり前だと思ってやってるじゃん。
当たり前にやってる。
それが、
それが良い悪いとかって話じゃなくて、
それが面白いよねって言って。
子育てしてる時に思ったのが、
僕はね、ご飯粒をやっぱ残しちゃいけないっていうことを、
個人的には大事だなってすごく思うんだけど、
その時にやっぱり親に言われたのが、
ご飯粒残すと目潰れるよって言われたの。
迷信みたいなのかいわゆる。
そうそうそう、しんぺーもそうだった?
いや、目潰れるとかはないかな。
でもなんかその、もったいないことをすると、
良くないよね、みたいな。
なんとなくの感覚はあるよね。
結構過激派じゃない?
いや、結構過激派だよね。
だからそのさ、飯残しちゃいけないみたいな、
分かる分かる。
日本特有だったりするじゃん。
だからフードロースは多分ほんとに、
他の先進国とかと比べたら、
少ないような気はするのね。
でもさ、フードロースしたら、
目潰れるんだって言われるって、
めちゃくちゃ怖いよね。
めっちゃ怖いね。
でもなんかその、仏教的な説明ができないけど、
感覚としては持ってるから、
そういう迷信にしたっていう感じなんだろうね。
あとは教育上しやすいからっていうのもある。
そうそうそうそう。
でもなんか根本は仏教的な考え方だよね、
多分そういうのって。
でもそう、信じてたよね、小っちゃい頃はやっぱり。
宗教と文化の影響
そういうの信じるよね、親から言われたら。
今だって子供に教えるってなったとき、
え、これってどういうこと?ってなるわけよ。
そうなるまで全然気づけないというかさ。
いい子にしてないと鬼来るよとかね。
めっちゃ使ったんだけどさ、
もうね、4つくらいでバレるんだよね。
鬼来ねえじゃんってなるよ。
でもなんかさ、感覚としてはさ、
理解できるじゃん。
鬼が来るかどうかっていうことより、
いい子にしてないと悪いことが起こるっていう。
あるある。
ロジック?その。
あれマジで意味わかんないけど、
けどスッと入るじゃん、日本人って、その感覚が。
入る。
いや、いまだにやっぱ、
でも自分も思うよ、やっぱりこうなんか、
あの、例えば学会発表しますと。
で、じゃああの、移動中の電車で、
自分も荷物多いけど、なんかお年寄りの方がいてね、
席がないってなったときに、
どうぞって言って座ってくださいとかってやるわけよ。
そしたらなんかもう、
俺はこの学会発表うまくいくなみたいな。
あのね、科学者だろお前って言われたら、
すいませんって言うしかないけど、
一切根拠も全く何にもないけど、
でもそれで心の平成は保たれるんだよね。
確かにね。
でもさ、なんかそれ、
なんか話広げちゃってごめんなんだけどさ、
その、
障害者優しくしなさいみたいなのとか、
あったりするじゃん。
あ、まあ確かに。
で、当然さ海外に行っても助けてくれるし、
なんかあったらね、
例えばちょっと段差上げるのに海外の人手伝ってもらったりとか全然あるけど、
なんかそこ助けるっていう感覚もやっぱ違うのかな。
動機として。
違いそうですね。
もしかしたら、ヨーロッパだとそれをするのが当然。
教義上それが当然。
だけどなんか日本の場合そうした方がいい、
みたいな。
やっぱそういう感覚なのかもね。
見返りを求めてるってわけじゃないけど、
そうした方がいいっていう。
そうするのが当然、
今ゼロに近づくのかプラスに近づくのかっていうのが違いがありそうな気がするな。
ありそうだよね。
それもなんかすごいさ、
宗教感だよね、多分。
いやだからさ、
お祈りを捧げるときにお賽銭をするじゃん。
我々。
お金入れないとお願いを言う権利さえないのってちょっと思ったことある。
たまたまなんかお財布忘れて神社行っちゃったときに、
とりあえずパンパンってして、
二礼二拍手を一礼はするじゃん。
うん。
でもそのときに心の中でさ、
いや別に今回お賽銭忘れたけど、
うん
うん
さすがに神様そこまで懐狭くないよねっていう失礼なことを考えたことある。
でもベーシックなやり方としてはお賽銭ありきじゃん。
そうだね。
あれって基本お願い叶えてねっていう場所でもないじゃんね、神道上は。
お願いただただ聞き入れて見守ってくださいっていう。
それは成すのは自分ですよっていうのが本当は神道のあり方らしいんだけど、
前調べたときに見たやつではね。
でもその見ててくださいねさえ言えないの?みたいな。
それこそ100円玉じゃなくて500円ちょっと今回入れとこうかなとかってさ、
割とみんなこう節目だったら1000円入れるとかあるじゃん。
金額の差によって見定め方って全然違うのかみたいな。
なるほどね。
もしかすると神様が1000円分しっかり見てくれるのかなとかさ、
100円入れるのと全然違うのかなとかさ、
本当は教義上ありはしないだろうけど勝手に日本人はそこにお金の金額の量と、
それによって得られるRPGとかゲームで言うとバフみたいな効果を求めてる気がするよね。
プロテスタントの人とかはマジで理解できないんだろうね、そういうの。
めっちゃあいつらプレイするために祈るためにお金払ってるやんって思ってるかもね。
カトリックとかは歴史的に理解できそうじゃん、なんとなく。
ロジックとして。
教会側がお金取ったりとかしてきたからさ。
それもね、さまざまな形で。
宗教上どうなのっていうのはあるかもしれないけど、
結構文化として違いそうだよね、そこがね。
だから全然信仰しなくても宗教の影響めっちゃ受けてんだなって思うよね。
そうだね。
根付いてるよね、ちゃんとその考え方が。
根付いてる。
バチが当たるとかっていう考え方とか本当にめっちゃ日本的でさ、
さっきの縁みたいなものを英語で説明しようかっていうとどういう訳語になるかなって思うもん。
確かにね。
縁とかたぶん辞書で引いたらボンドとか出てくるじゃん、絆みたいなさ。
そういうこと。
そうそうそう、だから、でもそうじゃないじゃん、我々の言う。
そうじゃないね。
うまく言語化できないけどそうではないね。
他だとフェイトとか出てきそうなんだよね。
宿命とか運命みたいな。
それじゃないじゃん。
違うね。
フェイトは運命だっていうのはわかるけど、フェイト縁ですって言われたらん?違くね?って思うじゃん。
だからたぶん。
ないんだね。
ピッタリくる単語はないんじゃない?
なさそうだね。
バイチャンスとかなのかな?バイチャンスでもないじゃん。
バイチャンスでもないね。
なにかしらの因果関係とかを我々想定してるわけやろ。
結構ちゃんとセンテンスで説明しないと無理な概念なのかもしれないね。
そうだよね、だってもしかしたら前世というものがあったかもしれなくて、
前世だった時の自分がこういうことをしたかもしれなくて、
それがあなたに作用したおかげで今こうして巡り会えたかもしれない。
これを縁と言います。
あーってなるよね。
それは私たちが今までトイレを掃除してきたからだとかそういう話だもんね。
そこも繋がってくるよねみたいな話だもんね。
絶対説明できないよねそんなの。
バタフライエフェクトなんじゃないじゃん。
まあ確かに感覚としては近いかもね。
近いよね。
向こうでも通用する熟語として考えるんだったら、
どっかで何かが作用した結果今こうして結果をこの結果に。
因果関係みたいな話だもんね。
そうそうそう。
そういう因果があったよねみたいな。
バタフライエフェクトビヨンドなんて言うんだろうな。
いやでもなんかそういう因果があったよねっていう感覚は理解できると思うけど、
その因果がトイレを掃除したことだよねみたいなことは多分理解できないと思う。
事実として直接繋がることじゃないと。
昨日ね、さっそくね、きれいにしたからみたいなね。
うん。
いやだってなんかそれこそMリーグのさ、
あのコナミ麻雀ファイトクラブの佐々木寿人プロがトップ取ったときにね、
ナイストップみたいなツイッターとかが溢れる中で、
あそこに奥様の手塚紗掬さんだったかな。
なんかそのプロ雀士なんで奥さんも。
ああそうなんだ。
でご夫婦なんだけど、やっぱりこの昨日掃除したからだねみたいな書いてる。
いやーいいね。
日本人の感覚の分析
いいよねーそういうのね。
いや別に今日以外も掃除してるしみたいななんか、
返信を佐々木寿人プロがしてたような気がして。
めっちゃ笑ったんだけどさ。
めっちゃおもろいよねそういう感覚。
本当に全くなんかロジックないっていうかさ、
でもなんか勝手に考えちゃうそういうのは。
ね。
まあでもなんかそれを読んでさ、
理解できる僕たちもなんか、
共有してるんだよね。
普通じゃないよねって思えないもんね。
ああわかるわかるってなるっていう。
世界で見たら本当にけったいなことしてると思うんだけどさ、
確かにだわ。
そうかおもろいね。
まあって感じかね。
はい。
結構。
まあ今回は。
でなんなのって話やけど。
でも、でもたぶん我々は、
たぶん何かいいことしたらいいことあげると思うんだけど、
たぶんね。
たぶんね。
たぶんね。
我々はたぶん何かいいことしたらいいことあるかもって思い続けるし。
そうだね。
僕はたぶんなんか、なんかいろいろ物事うまくいかないなって思ったら掃除はするし。
まあでも大事だよね。
なんかそのこの感覚がその、
僕たちの国民性ではないけど、
なんか日本人とか東洋人独特の考え方であって、
世界に出た時にこういう考え方って通用しないんだとか、
向こうの人ってこういう考え方だからこういうことしてんだっていうことを考えるための、
うん。
その、なんて言うんだろう。
一個の視点というかさ。
うんうんうんうん。
全然感覚違うねっていうのが、
そうだね。
裏にね宗教の影響あるよねみたいなところがわかってくると、
話すこととかね。
うん。
だいぶ変わってきたりとか。
確かに。
するし。
でもそこ最終的には僕はマルクス・アウレリウスの考え方?
みたいなのにすごく収束するなと思って。
習慣的な思考とか性格とか人を形作るみたいな。
うんうんうん。
日本人っていうすごく大きな生命体を考えた時に、
我々のその性格、我々らしさ、日本人らしさをこう作ってるのってそういう、
アニミズム的なものとか輪廻を尊重する考え方だったのかなとも思っちゃうよね。
うんうんうん。そうだね。
アニミズムもなかなか、
こっから話すのあれだから、別の機会で話せればいいけど、なかなかやしね。
そうね。
日本人のこういうアニミズム的な感覚ってね。
だからこそね、そういうコンテンツが結構強かったりするのかもしれないけど。
文化と宗教の影響
確かに確かに。
日本人でした。我々は本当に。
我々もちゃんと日本人ってことでしたね。
めちゃくちゃしっかりあの、自分の行動規範の中に根付いてるのを。
根付いてるよね。
今、しんぺーはあんまり何か言わなかったけど、ある?最後に何か一つ。
自分はこういう、何て言うんだろう、日本人らしさ、アニミズムらしさっていうのがあるなみたいな。
え、そういうの?
え、なんだろうな。
俺めっちゃ言ったやん。
ご飯粒残してとか。
いや、ある。全然あるよ。あるある。
具体例を。
山行ったりとか、
祖父の実家が結構山奥だったりするのね。
だいぶ田舎の方でさ。
はいはい。
自然いいなーみたいな感覚もあるけど、
でもなんかやっぱ感じるみたいなところもあるもんね。
なんか汚しちゃいけないとか。
あー、そっかそっか。神聖な場所みたいな意識ってこと?
山の神様とか、川の神様みたいなのがやっぱいるよねみたいな感覚は、なんかなんとなく持ってる。
やっぱあるんだね。
いやでも、あるよね。
うん。
神聖な場所。
それを言ったところでさ、いやいやってならないじゃん日本人って。
ならないならない。
あー、わかるわかる。
海は汚しちゃダメって思うよね。
そうそうそうそう。
自然信仰なのかね。
そうねー。
そういう部分もあると。
うん。
何かが起こった先が一神教じゃないところに求めてるなっていうのはなんかすごい感覚としてあるかも。
確かに。
うん。
確かになー。
いやーこれでまた多分ね、あとね、僕30分くらい別のお話できそうだなって思って。
それはもう、また別のトークテーマするじゃん今度の。
ね。
神社の石とかね。
あーね。
あれも超アニミズムだしね。
昔住んだ近所の神社に2つ石があってさ。
うん。
やめよう。面白いからこの話は。
めっちゃ気になるんじゃないの?みんな。
聞く方がおかしくなるからね。
もう聞いてくるかもしれない。
あの神社の石どうなったんですか?つって。
コメントが来なかったらいい。
あ、そうだね。もしコメントが来なかったら。
コメントが来なかったら話さないから。
もう話さないことにしようか。
神奈川県相模原市の水郷田名というところにある田名神社、田名八幡宮だったっけな?
そこにあるじんじい石とばんばあ石っていう石があるんだけど。
石の話。
そこと相模川が結びつくんですが、それはリクエストがなければ一生話しません。
あるといいね。
あるといいね。
そこまでめちゃくちゃ話したいわけじゃないけど。
めっちゃアニミズムだなと思ってね。今不意に思い出した。
アニミズムはアニミズムで切り取ってまた別のテーマにしたらいいかもしれない。
面白いから。
千と千尋の話もするんやろな。
するかもね。
はい、ということで今回はトークテーマが
日本人のこの感覚って普通じゃなくない?っていうことで話しました。
なんかこういう他にもこれもなんかすごく日本人的だよねとか、
なんか我々の感覚独特だよねとか、
いや実はむしろそうじゃなくて海外も一緒だよとかっていうのがあれば、
ぜひコメントなりなんなりでお寄せください。
はい。
はい、ということで今回はこの辺でありがとうございました。
ありがとうございました。