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2023-01-03 1:20:17

BC054 『語学の天才まで1億光年』

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面白かった本について語るPoadcast、ブックカタリスト。2023年最初の更新は、『語学の天才まで1億光年』をメインの題材に「外国語を学ぶこと」について語ります。

今年は「ブックカタリストシーズン3」として、これまでと同じようなことを続けながら、同時にちょっとだけ新しいことを試し続けていく、ということをテーマに、毎度隔週火曜日の更新を続けていく予定です。どうぞよろしくお願いいたします。

ごりゅご個人のテーマとしては、メインで取り上げる本は1冊なんだけど、その本に書いてあることだけでなく、できるだけ「他の本とつなげて話す」ということを主眼にして、いい意味で「1冊の本を紹介するだけではない」というスタイルを目指していこうと思っています。

で、今回取り上げた『語学の天才まで1億光年』について。

ごりゅごは、著者高野秀行氏のファンであり、この本に出てくるさまざまな地域を舞台にした著作をほとんど読んでいます。

そういう観点で読むと、まずこの本は「舞台裏を垣間見る」という楽しみ方があります。

そして、高野さんが訪れている地域は多くが「日本人にとって一般的ではない場所(アフリカのコンゴだとか、ミャンマーのカチン州だとか)」であるために、単純に旅行記として読んでも非常に物珍しくて面白い。

最後に、高野さんは大抵それらの地域を訪れる際には「その地域の言語を勉強してから」訪れており、そうやって大量の言語を学んだ経験を元にした「語学の学び方を学ぶ本」としての楽しみ方。

ブックカタリスト本編では全般的に「語学の学び方を学ぶ本」という観点で紹介しましたが、この本は「そういう難しいこと抜きにして単純にエンターテイメントとして非常に楽しい」本です。

こういうちょっとまじめな切り口で紹介して、同じような「高野秀行ファン」が増えることを目指した更新でもあるのです。

みんなして"人の行かないところへ行き、人のやらないことをやり、それを面白おかしく書く辺境作家"を応援しましょう。



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Summary

「語学の天才まで1億光年」という本をテーマにしたポッドキャスト、ブックカタリストでは、現在外国語学習の効果的な方法について話し合っています。英語の学習方法について考察し、言語を使ったコンテンツの効果を提案すると同時に、外国語を学ぶことで思考の幅が広がった経験を持つスラッシュもその体験を共有しています。また、彼の学習法を短期集中とリズム感重視にまとめ、様々な学習環境で成長したことを紹介しています。さらに、漫画やカードゲームを通じて英語学習の効果や言語文化の異なる使い方について考察し、外国語学習の目的はコミュニケーション手段であると結論付けました。また、モノマネをすることで外国語を話すことが向こうからも聞き取りやすくなり、個人的な文脈に合わせたモノマネがインプットとアウトプットを良好に回路させる重要な役割を果たすことが述べられています。

高野秀幸さんの本の魅力
面白かった本について語るポッドキャスト、ブックカタリスト。
第54回の本日は、外国語の学習をテーマにして、語学の天才まで1億光年について語ります。
はい、よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
語学学習っていうと、結構ブックカタリストでもちょこちょこテーマに上がる、テーマに上がるじゃないな、上がってくるテーマですね。
そうですね。そういう意味で、個人的に高野秀幸さんという、編教作家、辞書という方の本が大好きで、今回、最新作というやつが、いろんな見方ができるんですけども、
語学を学ぶ、一つの大きな概念を理解するというのかな、なんか言語感を広めるとか、そういう意味でも非常に面白かったので、
ブックカタリスト的にも面白く、個人的な趣味としても言いたいことが言えて、すごく楽しいんじゃないかと。
なるほど。
いうので、今回のテーマに選んでおります。
はい、一応軽く初心情報をいただけたら。
はい、終影者インターナショナルで、2022年の9月から出てる本ですね。高野秀幸さんという、編教小説家と呼ばれる方で、すごいね、まず自分のプロフィール的なところから大好きで、
気に入った文章を引用するんですけれども、編教作家、人の行かないところへ行き、人のやらないことをやり、それを面白おかしく書くがモットー。
なるほど。
っていうので、自分が知ったのは、2013年の末とかで、高野秀幸ファンからしたらアマチュアなんですよね。
アマチュアかもしれないですけど、7年ぐらいの付き合いってことは結構長いですよね。
来年で10年、存在を知ってから。
で、その初めて読んだのがイスラム飲酒機構っていう本で、わざわざイスラムの国に行って酒が飲みたい。
もう挑発的ですよね、それが。
そういうことをやりたいがために、結構思ったよりやっぱり緩いみたいなんですよね、その本の話で言うと。
この人面白いなって、ちょうどそれがKindleが日本で展開したばっかりの頃だったんですよ。
そこから、よくKindleセールの対象にもなっていて、本が。
で、セールで新しいものを見つけるたびに買っているっていうので、ファンといって全部の作品を全部隅から隅まで読んだというレベルではないんですけれども、有名どころは一通り抑えていると思います。
で、特に最近がその高野さんの本が噛みがかっていると思っていて、一個前が確か、変狂飯ヤバそうだから食べてみた。
これもタイトル通りなんですけど、世界中の変な国に行きまくっている人にしかどう考えてもできないようなありえない食べ物を今までの旅全部からまとめた集大成的なもの。
南米のアマゾンに行ってリアル口噛み酒みたいなものを体験していたりだとか、カエルのジュースだったり、モルモットの丸焼きみたいなものだったり、シュールストレミングよりはるかに臭いアジアの本をっていうものだったり、とにかくいろんなものを食べているという強烈な本で。
で、ちょっと前にもその気に入っているやつで、謎のアジア納豆っていうので、かつての体験を振り返ってみたら、なんかいろんな国が実は日本だけじゃなくて納豆を食ってたぞっていうような話があったりしたんですけど、それなんかもね、あの何て言うんだろう、面白旅本的な書かれ方をしているんですけど、真面目に研究者が本当に分かってないレベルのことまで踏み込んで結構研究してて。
ちゃんとそのね、外国ミャンマーみたいなところから納豆を持って帰ってきて、研究所に持って行ってみて、ちゃんとその日本の納豆との違いどんなものなのかみたいなことを調べてもらったみたいなこともやって行ったりしてて。
多分おそらく年齢も50代、60代にはなってないのかなっていうぐらいで、今までの体験をまとめていくというフェーズに入っているような感じがして、高野さんが。
さすがにね、60超えだしたらね、今までと同じことはできないでしょうからね、きっと。
ただそのまとめのフェーズに入ってきてからなんかね、すごい噛みがかっているっていう感じがして。
だから今までは多分ある種、学者でいうとフィールドワークばっかりしてはって、その結果今、高野研究みたいなのが独自に立ち上がりつつあるみたいな感じなのかな。
そうですね。今回の言語の本にしても、テイストはあくまでもライトなもので、全般的にライトで読みやすいお話ではあるんですけども、結構すげえことをやってたり、深い話があったりっていうものがいっぱいあって。
当然、この人にしか書けない本ですね。例えば英語を勉強しようっていう本を書ける人は何百人何千人ぐらい日本にいると思うんですけど、高野さんが学んだのは最初は今後に行きたかったから、今後に行くためのまずフランス語を学んで、リンガラ語を学んで、まずリンガラ語って聞いたことないですよね、大変な人は。
言語学習の姿勢
スペイン語を学んでみたり、翻訳の仕事をバイトを受けた時には、なぜかやったことがないイタリア語のバイトをしたりだとか。
タイに行ってタイ語を学び、タイにいる最中にミャンマーの言葉を2,3個習ったりしつつ、中国語も習ったりしつつ、学んだ言語の数は、流石にこれだけの数の言語をやっている人は少ないだろうなっていうレベルまで言語をやってるし、さらに俺たちの常識で言うと、まず外国語を学ぶイコール英語ですよね。
ちょっとレアな人になると韓国語、中国語みたいなアジアの近所の国のことを学んだり、フランス語、ドイツ語、イタリア語、ポルトガル語、スペイン語あたりのヨーロッパとか南米とか世界中で通用するような言語を学ぶ人は結構いるとは思うんですけど、
タカノさんがまずはじめにやってるのがフランス語からリンガラ語みたいな感じで、そこまでの言語を学んだ人だから見つかってくる言語感みたいなのも面白いなと思ってます。
だから選挙飯とか謎のアジア納豆はタカノさんの食事に関する集大成やったけど、この本は言語あるいは言語学習に関する集大成みたいな本になっていると。
そうですね。大体そんな感じの。大きな流れで言うと、ちゃんと今までの本とも繋がっていて、ファンとしてはここはあの本の場面ね、みたいなところだったりっていうのが結構ちゃんと繋がったりもしていて。
本の構成としては大雑把に若い頃から最後のアジアの和州っていうところなんですけども、そこでアヘン作り、アヘン栽培を体験するところまでを大雑把に振り返りつつ、
同時にそこでの言語の体験とか言語学習を通して学んだことをみたいなのが振り返りができる。時系列の半分、次伝ではないんですけど、それに近いようなニュアンスで進んでいく感じです。
一応テイストっていうか文章としてはエッセイなんですかね。ノウハウ本じゃなくて。
完全にエッセイですね。読んでいるイメージとしては語りかけてくるようなイメージの話。最初は若い頃の話から最初に始まっていて。
いわゆる高校が早稲田の予備校じゃないや。なんていうんだったっけ。そのままエスカレーターで上がるやつ。そこに通っていて、おそらく高校に入るまではすごく勉強したんですけども、早稲田大学にはほとんど何もしなくても行けてしまうっていう学校に行ったせいで。
早稲田に入学はしてるんですけど、本にいわく勉強がいきなりもう全然できてない。英語とかもアホみたいにダメだったらしいんですよね。
ただとにかく根気がなくて地道に頑張るみたいなことが嫌で、地道に頑張らないためにすごく頑張る。プログラマーの美徳みたいなやつ。
ということのまず原点が最初にいきなり若い頃からあって、まず英単語を覚えるのが嫌だから、やったことっていうのが、一番よく使う10個だけとりあえず覚えてやろうって思って、一番よく使う10個を調べるためにいろんな単語を調べまくるんですよね。
一番よく使う10個のランキング付けをしていて、Likeがいっぱい出てきたとか、Doがたくさんになってきたとかってカウントをして調べたりしてるんですけど、そうやって一番よく使う品質英単語ランキングを作っていたら、気がついたらよく使う単語はもう無意識に覚えてしまっていた。
そうなりますよね、それは。単語の出現率っていうのは、要するにコーパスを作る、自分コーパスを作るということですけど、その時点でたくさんの文章とか単語に触れるわけですし、ある人の向き的な単語調で覚えるよりもはるかに文脈豊かに覚えられるでしょうし、
だから多分、自分が楽しめるゲームを作るのが遠いっていう感じですかね、この人は。
そう、それがね、基本的には最初から最後まで全部そういう感じでこの人は学んでます。で、例えば俺が英語を暗記というツールを使って英単語を覚えたっていうことをやるんですけど、大体の人からしたら、なんて言うんだろう、そんな面倒くさいことを地道にコツコツやれるかって思うんですよね。
逆に高野さんは真逆で、なんとか楽をするために苦労をしよう、楽をしたいと思って、実は結構ハードなことをやっているんだけれども、本人は楽をするための努力なので、苦悶なくやれてしまっているというのか。
まずその姿勢というのが、おそらくこれは外国語を学んでいくにおいて非常に重要な姿勢で、単語を覚えるとかっていうよりも、遊ぶように学んでいく、自然に覚えていくというのがまず根本的にあるところなのかなと。
これだから、Learn Betterでいうところの、自分で意味付けをしてるってことですね。勉強するっていう行為そのものに対して自分で意味付けをしてるっていう感じがしますね。
そうですね。やっぱり価値を感じないと覚えられないから、価値を感じるっていうことをまず最初にやっているのかなっていうイメージはあります。
自分にとって、たくさん出る単語を覚えたら楽だからっていうのがもうすでに価値付けなので、それを誰かが強制してるんじゃなくて、おのれの自発的な価値に沿って勉強法を自分で構築していっているっていう感じですね。
言語学習とコミュニケーション
そうです。まさにそういうことをどんどんここからもやっていきます。
なるほど。
で、最初にその後、大学では探検部と言われる、世代的にあの頃、ムーとか川口探検隊とか、ちょっと世代が俺たちとはずれてるんですけど、あの時代の人で探検部というものも流行っていて、そこでいろんなところに行ったりっていうのを若い時に経験してるんですよね。
なるほど。
で、最初はまずインドに行って、インドは探検部に乗り遅れてしまったらしくって、一緒に行く人がいなかったんで、あの、しゃーなく一人で行ったっていう感じで行ってみたんですけど、あの脅威的に全くもって全然英語話せねえし通じねえし、やべえ、これはどうしようっていうレベルの苦労をしていたんですけども、旅先で騙されて全財産とパスポート全部盗まれてしまって、
インドの大使館に行って、なんとかその自分が英語でいかに自分、あの日本に帰るためには英語が話せないと帰ることができないっていうあのとてつもない体験をしたことによって、なんかね、結構言語感が変わったらしいんですよね。
で、わりと大きなことは、まず言語というのがそのコミュニケーションなので、相手に聞く意思があったら結構話せる。なので、片方が喋れるだけでは、向こうに聞く気がなかったら、それは日本語でもやっぱり全く同じだなと思うんですけど、相手が聞こうと思えば話せるようになるし、話さないと死ぬっていう状況だったら、何としてでも伝えようとする根性は身につく。
で、そういうことで、タカノさんはなんか自分でも言ってるんですけど、まともにネイティブの人と英語の会話はできないらしいんですよね。
なんか、本だったか、なんかセミナーみたいなやつに一回参加したんですけど、その時だったか忘れたんですけども、一緒に旅行、どこかで外国人と話してるのを英語で話してるのを聞かれたときに、タカノさんの英語って本当にブロークンでこんなもんなんですね、みたいなことを言われているらしくて。
一般的に英語がペラペラとかそういうのじゃなくて、言ったら根性で伝えるっていうか、言語外の言語の能力というよりもコミュニケーションの能力で、言語は一手段にしか過ぎないっていうのかな。伝えたいという意思が前提にあって、そのためにもちろん勉強はするんだけれども、できるできないとかじゃなくてやるんだみたいなのに近いようなイメージなんですけど。
だいぶ根性論に聞こえますけど、言いたいことはとてもよくわかります。
おそらく日本人が英語が話せないというのは、全く同じじゃない、真逆というのかな。できるのにやらないからできるようにならないし、できると思っていないからやらないしのマイナス無限ループ。
対して、やろうと思えば何とでもやれるし、何とかやってしまえばできてしまう。言語の意味というか存在価値というか、そもそも相手に言いたいことを伝えたいからであって、英語を学びたいはやっぱり動機にならないんですよね。
動機にはなるけど、覚えられないでしょうね。
本質的な目的はやっぱり英語を学ぶことじゃなくて、英語を使って何かしたいでしょとか、フランス語を使って何かをしたいでしょっていうのを思い知らされる感じがするんですよね。まずここで。
言語を目的とする学習方法の問題点
だから前回の回でいうと、スキルとして英語を学ぶというのは認識としておかしいだろうということですね。
タカノさんはそこも割と一貫していて、英語というか言語というものがRPGでいう魔法みたいなもんだっていう言い方をしていて、
探検部という性格もあって、とにかくやりたいことは現地に行って何らかの目的を達成したいものが明確にあるんですよね。RPGでいうラスボスを倒す。
タカノさんの最初のところでいうと、コンゴに行って厳重ムベンベというものを探したい。
で、ムベンベを見つけるために使えるツールというのが言語であって、その魔法があると旅がすごく有利になる。
なくてもクリアできるかもしれないけれども、そうじゃないとそこが重要だっていうところからやっぱり外国の学習を始めていて。
まあそうか。だから英語というのを学習したら自分というのがレベルアップして楽ちんになるというかじゃなくて、何かをしたいことがあって、魔王を倒したいから魔法の学習をするからモチベーションが湧いたりとか、効果的な学習ができる。
というか、違うな。実践が行われるか。
そうですね。そういうイメージはあるかも。
だって喋らないもんね、英語を学びたいから学んでる人って。多分机に座って学習するけど、使わないもんね、きっと。
それは使えるようにはならないわね。
いきなり最初のムベンベという怪獣を探しに行くために、まずフランス、向こうでは、今後ではフランス語を学ばないといけないと。
というかフランス語がないとビザの関係とかでも結構厄介だったりするっていうのとか、
あとテレビ局の人と一緒に探検に行くことになったから、なんとかここで一歩有利に立たねばならないみたいな感じでフランス語を学ぼうとして、
なぜか見つけたのが電車で出会ったフランス語のネイティブの先生にちょっと教えてくんないか1時間3000円で教えてくんないかとかって言って、そこに通って教えてもらうみたいなことをしていたらしく。
そこでは先生が全然やる気がなくて、まともにやってくんないから、すげえ頑張ってこっち側から教わる努力みたいなものもものすごくしていて、
言語を使って何かをすることの重要性
最初は普通にレッスン受けてたんだけど、先生も教えた経験というものがそもそも全くないので、教え方すら分かってないんですよね。
やったことっていうのがテープレコーダーを持って行って、向こうがレッスンの様子を全部録音しておいて、もったいないから家に帰ってそれを全部聞き返して全部学んで、
次回それを元にこれはどうやって言ったんだ、なんて言ったんだって聞くっていう、そんなことを繰り返していたりしてフランス語を学んだんですけども、
フランス語もテレビ局の一つ一緒に行こうみたいな話になった時に、やべえフランス語ができるだけでは有利に立てないぞっていうことに気がついてしまい、
ならその現地の言葉を探そう、話せるようになろうっていうので、リンガラ語と呼ばれるオーストラリア、西アフリカの共通語に近い言語というものがあるらしいんですよね。
原地の人たちがよく使っている言葉っていう感じ。
そう、現地ではまずそこからいきなりコンゴに行った場合のコンゴの言語感というものなんですけども、日本語って当たり前だけど全員が日本語話せるからここにいる限りは日本語以外のものは全部外国語ですよね。
そうですね。
このコンゴというものの言語感がそのピラミッド的な言語感というものがあって、まず地域によって民族によってめっちゃ言語が分かれている。
川挟んだ向こう側は全然違う言葉を話しているということがごくごく当たり前にあって、ただ当然それは不便ですよね。
なので、いろんな民族たちがやり取りをするためにシンプルな共通語としてリンガラ語というものが生まれて、現地では多くの人がリンガラ語を話せるし普通にやり取りをしている、その言語で。
多分日本のイメージで言うと、実家帰ったら大阪弁で話すけど外では共通語。その感覚でリンガラ語と自分たちの言葉というものをまず使い分けているらしいんですよね。
さらにもう一個上に、今後はフランスに支配されていた国家なので、フランス語というのもさらに高級な言語というか、ちょっと賢った言語みたいなものがあったりして、そういうのは公の場に行くと使うことがフランス語になったりしてしまうらしく。
ちなみに今後の公用語はフランス語なんですかね。
確かフランス語だったと思います。
なるほど、確かに正式な書類とかは、パブリックな書類とかはフランス語で書かれたりするわけですね、きっとだから。
そう、役所に行くとフランス語で書かれているし、確かリンガラ語だったかな、文字がない言語なんかもあって、アルファベットを当てて学んでたりとかそういうことをしたりもしていて。
さらにそういうところで面白いのが、当然例えばで言うと日本語で言う政治とか政府なんて言葉はリンガラ語には存在してないんですよね。
なるほど。
その概念、西洋的な概念が入ってくることによって新しく生まれた言葉というのは、日本は日本語に主に明治時代にすごい頑張って翻訳しましたよね。
そういうのがないので、向こうだとやっぱり当たり前にそこだけリンガラ語からフランス語に変わるみたいな、そういう言語のミックスみたいなことも当たり前に行われている。
今だと日本でもインターネットを今日本語に当てている人は誰もいないし。
そうですね。
野球の場合はスリーアウトみたいなやつ、ノックアウトみたいなやつ、三振みたいに割り当てたりはしているけれども、多分その感覚で使われている言葉というものが日本の日じゃないぐらいすごいいっぱいある。
そのあたりの感覚もね、やっぱり日本に住んでいたら当たり前すぎるから考えもしないというか、ヒントを考えるきっかけすら得られないというのかな。
たしかに日本語の言語感ってピラミッドじゃないですよね。ピラミッドみたいな構想にはなっていなくて、例えばカタカナ語、アルファベットとかを日本語でカタカナで言いますけど、カタカナ語だけで構成される言語層ってないじゃないですか。
そうそう、ないですね。
すべてがフラットに日本語というものに、一つの層にまとまりますよね、日本語の場合って。面白いな、それって。階層というか、すべてを一つに取り込む。
意図的にそうなっているのかな。はい、すみません。
おそらくそこで言うとね、日本語が世界で見たら圧倒的に特殊で、圧倒的に特殊なのが英語と日本語なんじゃないかなって個人的に思うんですけど、
アメリカの人たちは英語を使えばどこでも世界を通じる国で、英語が通じない奴らは野蛮人だっていう、なんかそういう感覚がありそうで、日本の場合は日本国にいる限りは日本語が通じないことは許せないことで、
英語という特別な言語があって、その他の外国語が存在しているっていうのが、なんか日本人の言語感じゃないのかなっていうのは、書いてあったかな、俺が思っているところで。
それは多分、日本という国と日本人にとっての外国っていうイメージと多分重なって、日本にとって外国ってアメリカのことで、それ以外の国ぐらいの認識、だから外国の対応と外国語の対応が多分一緒じゃないかなと思いますね。
たぶんね、どこの国にもそういう要素は結構あるんですけど、そういう言語の観点から見ても、その日本という国をやっぱりちょっと客観視できるような気がするし。
だから、日本の言語感と英語の言語感を知ってるだけだと、特殊な奴しか知らんってことになりますよね、その場合は。結構僕たちはそこに閉じ込められてるわけですね。
そうそう、ほとんどの国においては、まず2カ国語、3カ国語ぐらいがわりと当たり前に使われていたりだとか、っていうことがまず当たり前にあるという前提が、信じられない、日本にいると。
こういう、だからパブリックの場に出た時に普段使いとは違う言語で喋るっていうのは、もうかなり違和感がありますよね。
言語を使うことによる思考の変化
そう、なんかね、やっぱり日本に生きているとわからないことがありすぎる。そういうことが。考える時ってどうするんだろうって思うし。
だから、たぶん考える概念によって変わるんじゃないですか。だから政府について考えようと思ったら必然的に言語がそっちに引っ張られるんじゃないですかね。
そうか。少なくとも、だから、やっぱりそこが明治の日本が偉大だったという、ちょっと日本万世な感じになってしまうんですけども。そこで多くの言語を日本語に翻訳したことっていうのは、現代までの日本の発展においては結構重要というか、大きな出来事だったんだろうなっていうのはやっぱ思うんですよね。
だからあらゆるものが日本式に変換されて取り込まれている。だから僕らが知っている哲学とフィロソフィーは多分違うものなんですよね、きっと。
うん。ただ母語で近いレベルのことが考えることができる。
そうやな、確かに。
確かに。
それを今からギリシャ語を学んでギリシャ語で考えましょう、ドイツ語を学んでドイツ語を考えましょうはちょっと困難なので。
そうか、でもまぁ例えば昔、遥か昔の場合って哲学書って絶対にラテン語で書かれてたから。
最初期の中世ですね。
だからその頃はそういうさっき言ったピラミッド的な言語感は多分普通にあったんでしょうね。ヨーロッパは今でもあるんかな、わからないですけど。
今はないかもしれないですけど、中世ヨーロッパはそのラテン語が書き言葉としてあって、当然母語があって、ゲーテじゃないか。
ゲーテとかカントの頃からでしたっけ、母語で書くようになったのって。
デカルトは結構挑発的に論文はどっちも書いてるけど、確か有名な2作はどちらもフランス語で書いたって話し合ったような気がする。
曖昧やけど。その頃は結構上位言語というか高級言語というかパブリック言語っていうのがあって、それでラテン語で書かれてない哲学書なんて認められないっていう風潮があったんですけど。
現代日本ではないし、アメリカでもたぶんないでしょうね。
その話を引き延ばすと、日本語で言うとやっぱりデスマスで言語を書いたらいかん。
はいはいはい。
あれも細かなことを言えば、やっぱり日本語ではない、違う、違う日本語を使い分けているというのか。
論文のであるっていうのを使うっていうのは、確かに日本語ではあるけど言語体系、言語感かな。
言語は一緒でも言語を作動させる原理が違っているものがそこにはありそうですね。
おそらくやっぱみんな当時の上流階級というか知識階級の人たちはその感覚で使い分けられていたんだろうなって思うんですよね。
そうか、日本も昔は漢文を書けないと知識人としてはダメっていうのがありましたからね。
俺たちは、であるで書くなら、うまい下手はさておいて、たぶんできるんですよね。
おそらくはね。
交互で喋っていたことをである調で書き直すということはおそらくできるはずで、そういう感覚があるんじゃないのか。
なるほどね。
そういう意味でもやっぱり外国語というものに知り込みすることが何ともったいないことかっていうか、
いろんな思考の幅を広げるためにもやっぱり外国語を学ぶことというのがかなり大きな重要なことというか、大きな体験の脳が柔軟になるというのかな。
さらにさっきの話で引き戻すと、言語をまるごとそのものを目的とするよりは、その言語を使って何かをすることを目的とした方がいいですよね。
そうですね。例えばで言うと、完全に止まってるんですけど、ハイデが用語を知りたいからちょっとドイツ語を勉強してみようとか。
そういうのがいいですよね。だから。
自分の最近の話で言うと、アメフトを英語で聞くようになったのがだんだん当たり前になってきて、
単語をある程度思えるようになってから、マーベルスナップというゲームの実況をほぼ英語のものしか見なくなったんですよね。
すげーな、それ。それはすごいわ。
正直、日本でいいコンテンツと思われるものが、1個すげー好きなやつがあるんですけど、他の日本人の方が配信しているものというのが好みに合わない。
それなら、俺は英語で聞くわって思っていて、文脈でどうとでもなるというか、わからなくてもいいというか、外国語の捉え方のイメージが変わった。
はい、なんとなくわかります。
逆に、例えば日本語だとしても、この公開時効果を持ったキャラをここに置いといたら、
6ターン目ウェーブを置いたら勝てるでしょ、みたいな用語とかっていうのも、
しゃべっているのは日本語だけれども、マーベルスナップを知らない人にはわからない言語なんですよね。
同じようなことが、外国語というかゲームというかそういうことでも、ものすごくあるなというのがすごくわかって、
キーになる語彙はめちゃくちゃ少ない。
カードゲームであれば、カードゲームの用語をちょっと覚えてしまったら、結構言葉がわからなくてもわかるっていうのかな。
高野さんの学習法
アメフトにしても、ずっとわたきゃーってしか言ってないんですよね。
ま、そうやったな、確かに。
とか、細かな言い回しで、3点リードみたいなものとかが、なんかバイスリーみたいな言い方をしていたりだとか、
そうやって自然にちょっとずつ覚えていったんですけども。
あと動画の場合は、その映像的ヒントがあるから、
そうそう。
想像力をプラスすることで、より意味が取りやすくなりますね、きっと。
なので、例えばで言うと、英語学習を目的特化するんだったら、ゲーム実況とかはすげえ相性がいいと思います。
まあ、そうでしょうね。
特に、スナップは当然市場が海外も広いから、あれやけどね。
でも、日本のリソースでは弱い部分を海外のチャンネルで補うっていうのは、
自分の趣味、関心という目的がある以上、意味があるもの、自分にとって意味がある行為になりますよね。
やっぱり言語として、そこが目的であれば、ちょっと世界観がそういう意味で変わったような気がして。
確かにだから、僕らの英語教育を受けてるせいで、文の意味をきちんと理解できないと、読めた、理解したことにならないみたいな呪縛が結構あるのかもしれないですね。
そう、極論ゲーム実況なんて言語いらないですからね。
まあ、そうやね。
確かに。
というか、僕、YouTube見るとき音声切ってること多いからね、そのゲーム実況も画面しか見てないことあるからね。
そうそう、いろんな人の実況を聞いていると、結構、生まれてる人とかもいっぱいいるし。
まあ、そうでしょうね。
あと、さらに言うと字幕が超絶優秀なので。
特に英語の。
そう、英語の動字幕を見れば、少なくとも本気でやろうと思うんだったら、ここで何言ってるかを詳しく聞くことは、戻って簡単にできるんですよね。
まあ、でもそれはやっぱ有効でしょうね。
例えば、自分の興味がない名スピーチとかをリスニングさせられるぐらいだったら、そういう動画を見る方がはるかに楽しいでしょうね。
今で言うと、たぶん1日20分、30分ぐらい、英語に触れるようになったというのかな。
そこから、聞き取れなくても分かるっていうのか。
はいはいはい、そうやね、確かに。
そういう感覚をちょっと身につけられたような気がして。
たぶん、そういう感じで高野さんとかもぶっ込んでいっているんだろうなっていう。
最初のぶっ込みがあるかないかが、たぶん一番大きな違いなんでしょうね、きっと。
ぶっ込みっぷりで言えば、すごいですからね。
もうちょっと話を掘り下げていくと。
例えば、ムベンベを探しに行った時とかは、まともにリンガラ語が話せるのは高野さんしかいなくて、フランス語もある程度できる人は高野さんしかいなくて、
現地の民族のところにフランス語しか話せない今後の研究者とか大学のチームとかで一緒に行ってるんですけど、
強制的に通訳になるんですよね。
やっぱりそれが非常に重要なことで。
例えばテクニック、ノウハウとして海外旅行に行くときに、自分より言語できるやつと一緒に行ったらダメ。
当たり前なんですけど。
しゃべらなくなるよね、絶対。
そう、完全に頼ってしまってしゃべらなくなるので。
とか、後の方に出てくる話なんですけど、中国語を学ぶときにも意識した、かなり強く意識したらしいんですけども、
日本人がいる環境で中国語を学んだらあかんと。
その留学をする場合であっても絶対日本人がいないような場所に行かないといけない。
っていうのもそのごくごく基本なんだけれども非常に重要なところで。
困ったときに日本人に頼るか中国人に頼らざるを得ないかでだいぶ変わりますもんね。
っていう感じで、まずその今後に行って、次にスペイン語を学んでいるのかな。
今度はアマゾン、南米アマゾンでその会議を産もうかというやつを見つけたいみたいな話をまた思いついて、
アマゾンに行くんだけれども、スペイン語かポルトガル語か悩んで、
ブラジル行くなら、ブラジルだとポルトガル語、逆か?
我々の知識の無さが露点されますね。
ポルトガル語かな、ポルトガル語っぽい気がするけど。
ブラジルだけポルトガル語で、南米の他の地域はスペイン語ですね。
なのに高野さんはスペイン語を学びたくなってしまって、
それは南米のコロンビアにトリップできる薬があるらしくて、
アマゾンのコロンビアのところでトリップできる薬というものを体験したくて、ポルトガル語を学んだことにしたらしく。
その話、その薬のトリップ体験というのも、また辺境米誌の方にエピソード出てきたりもしていて、
本にもなっているんだったかな。
そういうところも面白かったりするんですけど、スペイン語はすごくね、外国語としてめっちゃわかりやすくて、すげえいいって言ってました。
そのほとんどの、高野さんはスペイン語は平安京言語であるっていう言い方をしていて、
基本的に言語って外部からの影響で不規則な変化というものがめちゃめちゃ多いんですよね。
スペインは歴史的な経緯もあって、確か中世から近代の頃に王室が結構現代スペイン語みたいなものをきっちり定めた影響なんかもあったりするんですけども、
すごく体系立っていて、さらに発音も日本人とすごく相性がいいみたいで、
大雑把に言うと、アイウェオみたいなカタカナ読みをすれば、だいたい現地の発音になるっていうのもあって、すごく学びやすくて便利で、
さらにスペイン語は、みんな心が広い言語だみたいなことも言っていて、
アメリカ人相手に英語を通じなかったり、わかりにくかったりするとすげえイライラした顔されるんだけど、
スペイン人はそういうことが全くなくて、できてもおめえスペイン語できるすげえみたいなのもないし、できなくてもこいつ本当に鬱陶しいなみたいなのもなくて、
すごくフラットに話してくれてめっちゃよかったみたいなことは言ってました。
【佐藤】それはスペイン人気質なんでしょうね。
【岡田】スペイン語気質かな。
【佐藤】スペイン語がもたらす気質。
【岡田】スペイン語を受け入れた国家の気質なのかわかんないんですけど。
タカノさんは少なくとも大きなレベルでスペインには行ってないんですよね。
南米に行っているだけなので。
【佐藤】スペイン人じゃないか。スペイン語を話す人々の気質か。
【岡田】それでいうとこの人が面白いのが、例えばフランス語も学んでるんですけど、フランス語が全然わからないらしいんですよ。
今後に行くフランス語ならできるんだけれども、
1回バイトでフランス語とか英語の翻訳をやったことがあるんだけど、本当に全然わからない。
例えばフランスで言えば、フランスにはパリという都があって、
俺もフランス語がわからなさすぎてわからないんですけど、
革命によって自由を手に入れてみたいな文化的背景と言語というものとか、
強く結びつきまくっていて、翻訳を本気でやろうとすると、
言語を学ぶことと文化を学ぶことはほぼほぼイコールになってくるみたいなんですよね。
なのでフランス語の翻訳をしようと思っても、フランス語が喋れるのに翻訳は全然できない。
っていう面白いこともすごい言えて、さらに言うと面白かったのが、
高野さんが大学の卒論で書いたのは、
今後人の作家のフランスの小説を日本語に翻訳したやつだったかな。
そういう前代未聞な卒論で、その学年で一番良かった成績みたいなのは取ってるらしいんですけども、
やっぱりやってることがわりと企画外れというか、交渉力とパワーで持っていっているっていうのは結構あって、
フランスに行って、ここですでにもう何言語かわからないぐらいすでに覚えてるんですよね。
フランス語とリンガラ語と、リンガラ語行った時に現地の人と話すボミタバ語っていうやつもちょっと習ったりもしていたりもするみたいで。
あともう一個そこで忘れてたんですけど、やってて多分効果があったというやつが、
自分でリンガラ語講座みたいなテキストブックを作ってたりもして、部員みんなに配っている。
それは一番学習効果が上がりそうな予想はしますね、確かに。
突撃リンガラ語講座っていうので、ワープロで売ってたやつが見つかったとか、本に写真もちらっと載ってたりするんですけども。
そうですね。だから自分で本を書いててもいますけど、やっぱり本を書くというのが一番学ばざるを得ないというか。
普通の人にそれができるかどうかは別としても、自分用の教科書とか、ブログに学んだことを書いていくとかっていうのが現代的なそれに当たるのかな。
学ぶこととか教えることとか教え合うことも含めてだと思うんですけども、やっぱりそういうことを。
それも多分本人は勉強している自覚はないんですよね、当時。
そうでしょうね、きっと。
言語と文化の関係
なのにめっちゃ効果的なことをやってしまっているというので、ある視点で見るとやっぱり天才なんですよね、この人は語学の。
確かに。
ただ本人曰く、やっぱり耳が良くないからすごく苦労するし大変で、一般論で言うとやっぱり耳の良さが言語のコツになる。
全体的に感じるのは、教えてもらうという受動的な態度がほとんど感じられないというところかな。
先生についてるんですよね、ちゃんと外国語を学ぶときは。
ただ確かにそういうイメージは全然ないかもしれない。
知識を授けてくださいって言って、上から知識が追ってくるのを待ってるっていうような感じが一つもしひんのがさすがやなという感じですね。
かもしれないですね。
この後さらに高野さんは大学卒業を1年か2年遅れて卒業して、次何しようと思って、タイの講師が、タイで日本語学科の講師ができるか。
それのために卒業をしたんだ、頑張って。
大卒であることが条件だったから、もう辞めてもいいかと思ってたけど頑張って卒業したんだ。
それもまたタイ語も、別にタイに行きたかったからでもなんでもないので、それも短期集中、2週間とかすごい勢いで一気に勉強してたりしてて。
そこも重要だって言ってます。短期集中で、短期間でいいから、とにかく最優先でその時間を確保しろと。
そこは毎日90分を週5日の2ヶ月だったかな。
さらにそこはカルチャーセンターみたいなところらしいんですけども、めっちゃやる気がある人たちばっかりで、日本人とネイティブと両方から順番に学ぶこともできたって言ってたかな。
それも良かったと思う。文法的なものは日本人から学べると便利なことが多いし、ネイティブから生きた本物のものっていうのが学べるし。
結構お金がかかってもいて、それも良かったし、近くもなかったっていうのも良かったって言ってて。
理想の学習環境というのは近くない、安くない、融通が効かない。NOVAの真逆みたいなやつですね。
最近のビジネスショーに対してのアンチテーゼンみたいな話ですけど、でも結局そうやと思います。
交換で順番に外国語を教え合おう、日本語と英語を一緒にやりましょうみたいなやつが一番ダメな典型みたいなやつで、
さらに無料で融通が効くものというのが最も長い続きしないというか、効果が出ないというのかな。
短い期間でリズムみたいなものっていうのもあるって言ってたんですけど、
言語を学ぶリズムもあるんだろうし、言語自体のリズムみたいなのもあるし、生活に一気に取り入れてしまって、
ある程度真似てしまう、やってしまうっていうのはすごく重要みたいで。
長期ではやれないけれども、短期ならばとにかくどんなことがあっても最優先で語学講座の時間作ってっていう風にやってしまう。
おそらくなんですけど、それは想像なんだけど、2時間かける週5の2ヶ月ぐらいのことをやれば、
すごく頑張ったらある程度できるというレベルに到達できるんじゃないかなっていうのを、
本を読んでイメージできたような気がして。
おそらく2ヶ月それができたら、言語に限らずだいたい初級には入れると思いますね。どんなジャンルのことでも。
っていうのをすごく思って、そうやって考えると簡単じゃないですか。
その程度でまあまあ喋れるんだって思ったら、努力をする価値があるというか、感じやすい。
高野さんは見事なもので、タイ語学んだらいいんだけど、向こうに行くにあたって、
日本語どうやって教えたらいいかっていうのを何も考えてなかったっていう、ちゃんとオチがついていて。
タイに行って、授業でも結構1年で辞めちゃってるんですけど、結構面白いことをやっていて、
漫画とカードゲームの力
漫画を使って学んだっていうのが一番役に立った方法だって言ってました、向こうでは。
ドラえもんみたいな簡単なやつを、タイは歌詞本が当時盛んだったとかっていうので、
漫画借りてきて、その生きた本物の言語というのはそこなんだっていうのはすごい書いてあって、
それ同じくカードゲームとかでも思うんですよね。
カードゲームにしてもアメフトにしてもそうかな。
テレビの字幕みたいなのって、きれいな文章なんか書いてないんですよね、当然。
そういうところに英語の深い感覚が込められているというのかな。
マジック・ザ・ギャザリングを、倉田さん確か英語版やってたんですよね。
そうですね。
英語版のイメージとかってやっぱ思うんですけど、何て言うんだろうな。
単語1個ってすごくそのワンフレーズに深い意味が込められているというのかな。
カードゲームね、結構自分の論で言うと英語を学習に結構いいんじゃないかと思っていて。
僕はいいと思います。結局、なぜ英語版をやり始めたかっていうと、英語版の方がカードが安かったんですね、その頃。
同じ理由です、俺も。
説実なんですね、結局。
しかも英語版を使える方がちょっとかっこいいみたいなのもあったんで、そういう動機づけから学んだし、
さっき言ったようにゲームをやる上でその英語を使うことに絶対なるんで。
だから実用的でもあるし。
やっぱり同じ単語が違うカードでたくさん出てくるから、なんとなくわかるんですよね。
そのなんとなくわかる感覚って個人的に重要かなと思います。
そうそうそう、そういう感覚が。少しの言葉を深く理解できるだけでかなり広がるような気がして。
マーベルスナップでオンリビールとかオンゴーイングみたいな用語っていうのも、
言語の文脈と表現
オンゴーイングは日本語だと英俗、オンリビールとか公開時なんですけども、
オンゴーイングみたいな用語ってうまく日本語にはなりづらい。
確かに。
そういう感覚を身につけるためにもいいような気もするし。
漫画とかも同じですよね。効果音みたいなやつっていうのがどう使われているかとか。
これは何ですか?これは私のペンですなんて日常生活で使う人はいないわけで。
そうですね。
これ何?ペンいる?っていうぐらいのことで日本語はわかってしまうけど、
教科書にそれは書いてないんですよね。ちょっとそれ取ってとかっていう言葉が。
だから文法を学ぶための作られた文章って感じだもんな。
文法というものも、そもそも文法っていうのが、これは高野さんの本じゃないんですけど、
研究者が勝手に後付けで枠にはめただけのもので、本質としては多分文法というものはないはずなんですよね。
そうですね。本質をどう言うかによるけど、
僕たちの言語処理は文法に沿って行われているわけではないのは確かに。
読むときには文法だとスムーズではあるんだけれども、
やりとりで文法通り正しく話せる人なんて、まずまず存在しないし。
僕らのこの喋ってるのを書き起こしたものを本にしようとしてますけど、文法に全然沿ってないですからね、この喋り。
それで会話を整列しますからね、基本的に。
そうそう、なので結局外国語も同じだっていうところで。
なのでやっぱりアメフトで言うと、試合はわかるんですけど、選手のインタビューは未だに全然わかんないんですよ。
なるほど。
なんか、若者用語みたいな言葉とかもすげー入ってくるし、
なんかそのオーメンみたいな言葉とかっていうのの、なんかよくわからんバージョンがいっぱいあったりして、
変な口癖とか全然わからんし、質問に単語で答えられるってやっぱわかんないんですよね。
あー、そうか、なるほど。
っていうのも、そこが生きた英語なんだろうなだし、生きた英語がわかってないんだろうなっていうことでもあるし。
うーん、そうか。生きた言語っていうのは文脈の中にある言葉ということなんやな、要するに。
日本人の英語の教科書に書いてる文章っていうのは、文脈が剥ぎ取られた内緒単純化されてるものであって、そこが多分会話に使えないし、
漫画っていうとかストーリーっていう文脈があるから、その言葉の意味が際立ってわかるようになる。
動画も一緒で。そういうとこから入らへんと結局使えないっていうことなんですね、きっと。
同時に言語は文脈でしかないというか、なんか面白かったのが、中国語をタカノさんが学んでるときの話なんですけど、
中国人は天気の話なんかしないって言われたって言うんですよね。
日本語のありふれた、俺たちの世間話の題材として、
おはようございます。あー、今日はいい天気ですね。寒くなってきましたね。って超基本会話じゃないですか。
そうですね。
でもそれって、そういう文脈で我々はそういう話をするのが無難だということを文化として認知した上で、
今日はいい天気ですねって言っている。
つまりこの人は当たり障りのない話をしているぜっていうことを両者共有して、そこで行われている会話と。
そうそう、それはだからなんて言うんだろうな、そこまで含めて日本語なんですよね。
はいはいはい、なるほど。
なので、英語の人たちがこのペンは私のペンですっていうのはやっぱり英語じゃないんですよね。
なるほど。
で、例えばで言うと中国だとご飯食べましたか?らしいんですよね。
あー面白いね、それ。
それね、結構いろんな地域にやっぱりそういう言葉を使っている地域はあって、台湾も当然そうだし、
ピダハンの人たちも飯食ったか的なことを言うだとか、
あとさらに言うと、挨拶すら結構近代になってできてきたものだっていう話とかもあって。
中世の人はどうしてたの?もういきなり本題ってこと?
そうそうそう。
へー、面白いな。
狭い世界で全員顔見知りなんですよ。
そっかそっかそっか、挨拶する必要がないか。
挨拶の意味がなくて、これはピダハンとかこの本に出てくる最後のワっていう首カリ族の村なんですけれども、
そういうところとかでも全部そうなんですけども、
こんにちはとかありがとうとかごめんなさいというのが、
用語としてもちろんないという意味ではないんだけれども、誰も使わない。
だからアメリカは、西洋はハイ大好き文化なので、
とにかく何かあったらハイって言っておけばいい?
逆に例えばピダハンの国だったりワ州の国だったりする場合っていうのは、
相手を見かけた時には、例えば名前を呼ぶ。
会った時に暮らしたさんっていう話だったり、
最初にいきなりどこに行く?何してる?とか、
帰ってきたんだとかご飯食べたっていう。
ご機嫌をうかがったりしないしする必要もない。
1日にたって何回も顔を合わせる人にいちいち挨拶してたら、
キリないですからね、結局。
挨拶は微妙な距離感と言ったらいいのかな。
仲間じゃないレベルの顔見知りの人たちと仲良くするための言語の手段で。
違う部族の人とすれ違ったら挨拶するかもしれないけども、
普段の自分たちの日常の中では行われないと。
家族で確かにただいまは言うんだけど、
あれはちょっと挨拶じゃないですよね。
家ですれ違う時には挨拶しませんよね、絶対に。
その感覚があって、
例えば高野さんが和宗に行った時なんかでも、
ありがとうとかごめんとかっていうのもどっちも全然存在しない。
ただ申し訳なさそうにしているだけだったりだとか。
あと友達っていう言葉がないだとか。
ある意味みんな友達だからってことですね、きっと。
ある意味みんな友達、そういう言い方になるのかな。
特別な名前をつける必要がないってことですね、それに対して。
病気に対しても名前がない。
風邪とかいう個別の症状に対して名前がないってこと?
向こうに行くと例えばマラリアとかよくかかったりするんですけども、
アフリカとかかな。
マラリアという病気はなくて、存在しないから用語がないというか。
その人が苦しそうにしてるみたいなことしかないっていうこと?
お腹の病気、頭の病気、胸の病気。
西洋からすると解像度が低いということだけども、それで困らないのかな、別に。
日本語だって多分ほとんどの病気に関して言うと日本語結構少ないと思うんですよね。
確かにそうかもしれない。
仲良くなるための言語
頭痛は病気じゃないじゃないですか、腹痛も。
で、言われてみると病名ってやっぱり大抵は結構外国語になっているというか。
まあそうか、確かに。西洋から来ている言葉が付けられてるか。
そういう感じで、言語の当たり前というものが何もかも違うっていうのを一冊読んでいてすごい思い知らされるような感じがして。
他にも、中国語を学んでいる時にも独自の研究みたいなことをしていて、覚えやすくするためのまた努力みたいなことをしてたりするんですけど。
後で知ったんだけれども、これは音韻論という言語学の分野らしいみたいなこととかを自力でやっていたりだとか。
やっぱり自力でやるからいいんやろうなという気が全体を通して感じますね。
方法論、方法を自分で作っていくからこそ効果的なものになるし、こうやって続けられているという印象があるな。
仮説を当てはめて、仮説がずれたら都度直す。そういうやり方で基本的に全部やってきているみたいです。
それは言語以外のあらゆる方法論について多分言えることだろうし、それを楽しめる人だからこそっていうところなのかな。
やっぱり世の中にはそういう試行錯誤はやりたくないと。
ちゃんとできる方法を教えてくれという人にとってはこういうのは逆に言うと苦痛かもしれないですけど。
でもやっぱり効果を上げるためにはこういうのが一番いいんでしょうね、きっと。
全部探検らしいんですよね。
探検的なものになると高野さんはめっちゃやる気が出て燃えてくるらしくて、探検だっていう概念になると全部やる気になってくる。
だからその日本語、タイの日本語の教師が続かなかったらもうやっぱり2年目以降、探検じゃなくなってくるから。
そもそもその頃から高野さんが狙ってたことっていうのはタイに行きたかったっていうか、たまたまタイでラッキーでタイに行った時にやろうとしていたっていうのが、
ミャンマーの和州にあるアヘンを自分で栽培するということをやってみたい。
ただ超国境紛争地帯で外国人は当然入れないので、どうにか入れる方法はないかっていうことを模索する中でタイに行ってたりもしていて。
実際にその本を初めて読んだ時に、どうやったらそこの国に行けるんだろうって思ったんですよね。
何をどういう裏技を使ったんだろうっていうのをすげえ思ってたんですけど、ちょうどいいからそこはネタバレなしで本を読んでくださいっていうところにしとくといいかなと思うんですけど。
結構アナログというか人間関係から持っていくのが、やっぱり偶然と人間関係っていうのが重要なところで。
最後にまとめなんですけど、現代は最近になって例えば外国語がめっちゃ楽になったらしくて、例えばスマホのおかげで英語じゃない言語でもチャットでやり取りができるようになった。
これまではキーボードはローマ字しか書いてないから、ローマ字じゃない言語の入力の仕方がわからなかった。
それがスマホだと文字が見えるんですよね。
ソフトウェア、キーボードだもんね。
それによってタイピングができるようになったし、当然翻訳ツールというものもめちゃめちゃ便利になったので、大抵のことはもう翻訳ツール使えばやり取りなんて余裕でできてしまうし、
多くの外国人とかのやり取りっていうのもそういうツールがすごく当たり前になってきたし、Zoomとかを使ってやり取りっていうのもごくごく当たり前で、そんな中外国語を学ぶことにどんな意味があるんだろうかっていうところにちゃんと見事な結論を出してくれていて、
高野さんが言っているのは、外国語を学ぶことによる一番大きい効果は仲良くなれることだ。
相手と。
相手と。情報を伝えるための言語だったらITによって簡単にその壁を乗り越えることはできるんだけれども、相手と仲良くなるためにスマホで翻訳ツール使って見せたりしてやり取りしてても仲良くなんてなれないよね。
親しくなるための言語というものはなくなることはない。
親しくなるために相手の懐に入るという意味で相手の言葉を学ぶということかな。
この人がやっていることは全てそこなんですよね。
外国語のノリと文脈
向こうの言葉を話してあげるとめちゃめちゃ喜ばれる。
外国人が頑張って私日本に来ましたどこどこに行きたいですって喋っているイメージというのかな。
多分高野さんの小魅力の全てはそこに集約されているんだろうなっていうイメージがあって。
とにかく相手にちょっとでも言葉を習ってそれを相手に向かって使って相手に気に入ってもらって、それは仲良くなる手段でもあるし学ぶ手段でもあるし上達する方法でもあって。
間違ってたら教えてくれるんですよね。
タイに行っててタイで日本語教師してる時なんかでもタイ語を生徒たちに使っているんだけれども、間違ってたりする場合に生徒からもどんどん教えてもらっていて生きたタイ語というのをどんどん学んでいる。
全てはそこにあってやっぱり使わないといけないし使うことが目的でもあるし使うことでできるようになるし使って仲良くなれるし。
まさに言語とは何かっていうものに対する答えっていう感じがするな。
人とコミュニケーションを取るためのツールを使うとはどういうことかっていうことを生涯かけて試してある方という感じで。
それやっぱりこの人の探検とかにも全体的に通じるけど、知りたいという気持ち、好奇心というのかなが真になっているというか土台になっている。
その気持ちがあるからこそ各種のノウハウが生きてくるんであって、相手のことを知りたいという気持ちがないけどそのノウハウを真似しましたっていうのでは多分同じにはならないだろうなという感じがしますね。
そうですね。最後にコツを一つというか、言語においておそらく一番重要だっていうのが現地の人っぽく話すにはとにかくモノマネすることだっていうノリを合わせないといけない。
非常によくわかります。
ノリを合わせることによってノリを合わせて真似すると通じやすいし聞き取ることもすごいしやすくなるらしいです。
例えばで言うと、大語っていうのは口を大きく開けて高めの声を出す傾向があり、鳥のさえずりのような優しさみたいなものがある。そういう感じで喋ると大語っぽくなる。
今のワインのテイスティングみたいな表現だったな。
ビルマ語っていうのは低い音で舌を口の中にベタッとくっつける感じで堂々と相手の目を見ながらなんだけれどもでも優しく話す。
なるほどね。そこの最後の部分がポイントなんやろうね。優しく話すとかっていうところがその言語の文化と結びついてるんやろうね。
英語というのは例えば喉の奥の方から声を出してアクセントが強くて途中のティーの音とかゴミのシーンとかもガンガン消えていく言葉でこれも相手の目を見て笑顔で話す。
中国語なんかは腹から声を出して連打するらしいんですよね。そのすごいでかい声でパワーがあるっていうのかな。
タカノさんはその外国中国語の先生の初めてその人のニーハウっていうのに心を打たれたみたいなことを言っていて。
息の出し方がもう違うんか。確かに違うな。
今の俺のニーハウは偽物なんですよね。ちょっとパッと思いつかないけどそういうふうにそう言わないと中国語にならない。極論。
日本語というのは口先の方で話して唇の動き最小限っていうのが東北だけでなくやっぱり日本全部がそういう傾向があるみたいで目を合わせずに恥ずかしげにおどおどした態度を取ることが重要であると。
これは相手より自分を小さく弱く見せることが礼儀正しいと感じる文化があるのでそうしているのだろうというその推測もちゃんとあるんですよね。
なるほど。言語文化論というのは言語使用文化論みたいな感じだね。
これだけの言語を体験して真似して真似しまくってやった上でこう言っていることなのでだから発音記号を見ても所詮真似はできないとも言っているから。
近い喉の形は作れるだろうけどさっき言った息の出し方とかってそのものを表してはいないからやっぱり不完全でしかないっていうことですよね。
何を喋るかっていうことも含めてどうやって喋るかリズムアクセントその内容すらも言語だっていうのかな。
喋る勢いとかノリとかその文化的に話すモードとか飲み会で盛り上がるモードとかっていうのもあるし確かに同じ日本語だけれどもそういうノリが苦手な人はそういう部分の言語があまり得意ではないんだろうなっていう見方もできるし。
確かに。
なんかそのそこまで含めて言語というものの感覚がやっぱこういう本を読んででもちょっと学べることはあるんじゃないかなと。
確かに。
なんかね外国に行った時とかにもよくアメリカで何も喋れんかった時にその自分が思い知った話なんですけどやっぱそのね言葉がわからないということと同じくらい困ったのが何を言ったらいいのかがわからない。
とか文脈がわからなくてわからないっていうのがすごくあるなと思って。
それはねなんかやっぱ日本語でも同じ体験をしているなって例えば思ったりしてコンビニに行ってなんかね何て言ってるかわからなかったりするんですよね。
はいはいはいはいわかるわかる。
で何だろうっていうと今までの文脈と違う言葉を言われると何て言ってるかわかんないんですよね。
言語とコミュニケーション能力
お箸つけますかっていうことを未体験だったりするとそれ結構聞き取れなくって袋いりますかっていうのは初めて言われた頃って聞き取れなくって。
でそれを外国に行くと同じことが大量に起こるなっていうことをすごい思って。
そのなんかねアメリカに行った時もそのなので聞き取れるんじゃなくて文脈が理解できるようになったらその聞き取れるようになったんですよね。
スーパーで買うときは向こうは何て言ってるのかがわかるようになった。
ここはパスポートを見せろって言ってるんだっていうことがなんかそのパーぐらいの音でわかるっていうのかなっていうのがやっぱ外国語を学ぶところはやっぱそういうところがコツというか本質というか。
まあやっぱ行かないとわかんないだろうなというのもあるし逆に言えば日本語でも同じようにわかんないだろうなっていうことも結構思ったりして。
コミュ障だというのはそのなんて喋ったらいいかわかんないっていう要素が結構あるんじゃないかなってその時に考えたんですよね。
まあだからそうねその人が持ってる文脈とその場が要求する文脈がずれてるということがそのコミュ障が多いことでしょうねきっと。
そうだから喋ることが苦手なのではなくてあのその文脈に合わせられないというのかな。
だいたいコミュ障の人はその他人に関心がないことが結構多いね。
いろんな性質がそこはあると思うんですけれども。
場とのずれっていうのは絶対にあると思うわ。
逆に言えばそこはねなんていうんだろう直したいと思うのであれば言語を学ぶという目線である程度解決できるんじゃないのかなというのもその当時自分は思ったりもしたし。
だからインキャ言語を学ぶみたいな感じで取り組めばいいみたいな。
そうそうヨウキャ言語パリピ言語を真似するとかね。
っていう感じで横にそうやなでもそうやなそのその真似するあるいはないし演技するっていう感覚で入っていくっていうのはありでしょうねきっと。
使ってみればいいと思うんですよだからあのなんて言うんだろうグラスを持ってウェーイってやればなんか通じる気がするっていう。
いやそこはあると思うよきっと。
だってウェーイって言ってる人全員も多分そのうち何人かはとりあえずウェーイって言っとこうと思って言ってる人たちやと思うから。
うんでそれが外国語学習でもあるというかなんて言うんだろうなんかねえっとだからコミュ力言語力と外国語力をもうちょっとね密接に絡み合っているのではないか。
あーまあそうよね確かにそうやと思う。
でまあ自分もそういうことで結構苦労というかなんて言うんだろう得意ではなかったりしたこともあるんだけれどもなんかあの学びによってそこも解決できるぞっていうことは強く思うようになって。
まああのやるとかやらないとかでもないしまあそういうヒントとしてもいいんじゃないのかなという感じなんですけれども。
まあそうね結構学びの多い本ですねこれは。
そうなのでその本自体はすごくライトでなんて言うんだろう読みやすいさらっと読んでしまえばそれだけなんですけれどもあの学ぼうと思えば面白い要素はいくらでもあるんじゃないのかなと思います。
そうですねあの例えば論文っぽい文章を自分で書いてみると多分論文が読みやすくなりますし書評っぽい文体で書いてみると書評って読みやすくなるんですよねこれ結局。
結局この文脈例えば論文はこういう文脈でこういう情報が置いてあるってことがわかるようになる。だからインプットとアウトプットっていうのはこうしてるんですね。
でそれはなぜかっていうと聞き取りもそうなんですけど人間の脳って予測してるからなんですね予測してるから情報処理できる。
で自分の中にその予測の経験値が溜まっていないと当然予測ができない何か外れてしまうから聞き取れないっていうことが起こる。
でこれは多分聞き取る以外のあらゆるインプットについて多分言えることで。
で多分日本人はその日本の文脈のインプットしかしてないからアウトプットもおそらくできない。
だから言語を喋ることが実際に喋ることがそのインプットとアウトプットの回路を開いていくっていう感じに言えるんかな。
でもまあそのモノマネする話と教科書を作る話は非常に共感しましたね。
いろいろ使えそうです。
モノマネは一般的に日本人やっぱりその英語を英語っぽく話すっていうのはあんま得意ではないというか。
あのノリで話さないといけないというのかな。
Hello this is hello everyone みたいな。
Have a nice day って言って去っていかないといけないし。
でもやっぱりそういうノリで外国人に喋ると向こうも当然聞き取りやすいですし、そこからなんかコミュニケーションが始まっていくんでしょうねきっと。
うんまあ確かにねそこでHi I am Japanese みたいなことを言ってもなんかやっぱノリとして違うだろうなっていうな。
だからやっぱりこいつ英語喋りたくないんだろうなっていう空気が伝わってしまうんですよねきっと。
それはあんまり会話相手としても楽しくないでしょうからねきっと。
そうまあ難しいですけどね地域によってっていうかあの相手によって当然もちろん個人差はそれ以上に強く存在するので一概に言えるわけではないんですけども。
モノマネの重要性
あのまあモノマネ耳で聞き取ってモノマネするって子供がやってる原点だと思うんですけど。
でモノマネすると自分の口から出る音が自分の耳にも入るんで結局。
2回聞いてることになりますよねそれ。
そうですね英単語はねやっぱ覚えられないとき音読はね明確に効果があったのでその身体化という点でもまあそういうことは重要なんじゃないかなと思います。
でお便りを読もうと思ったんですけどやっぱりこれはノリ的には最初の方が良さそうですよね。
なんかもう締めに入ってるもんな空気が。
やっぱまあ流れとしては最初の方がいいなって次回からあのやっぱお便り的なやつは最初にやった方がいいかもしれないですね。
まあじゃあとりあえず気持ちを切り替えて頂いた頂いたお便りのコーナーを始めましょう。
TwitterでつぶやいていただいているハッシュタグBookCatalystをつけてつぶやいていただいたものだったりお便りコーナーというかお便りのフォームから送っていただいたお便りをいくつか紹介したいと思います。
葵さんからBookCatalyst BC-05に私たちはどう学んでいるのかを拝聴。
ゲストの方が普通に冷静に語っていてすごい。
能力という言葉をどう捉えるかは難しい課題だ。
パラメータ化して点数付けしたくなるけれどもっと繊細に扱わないと。
ちなみに全体を通して前回の回って好評でしたよね。
そうでしたね。なんかめっちゃ反応たくさんいただけて良い評価で。
あとそのゲストTKSさんがすげえめっちゃ上手やんって言っている方が多かったですね。
そうですね。さすがという感じでした。
この本がやっぱり面白かったですよね。すげえ。
これはあれか、Learn Betterを読んで思ったことはある意味すごく普通のことなんだけどめっちゃすげえだったんですけど。
この本はそういう意味で言うと新概念の塊だったような感じがして。
確かに。
読みやすさで言うとさって考えたらLearn Betterが読みやすいと言えなくもないんだろうけれども。
去年読んだ、去年じゃない今年。
放送日で言うと多分去年読んだ中では一番面白かったその学び系の本だなっていう印象ですね。
あと同じくデラメガネさんからもブックカタリスト、私たちはどう学んでいるのか聞き終わりました。
学びについての新しい提言
TKSさんの丁寧な語りが素晴らしい。そこにいつものお二人の掛け合いが合わさり良い回でした。
学びについて自分の考えが揺さぶられる内容で子どもたちの学びについても改めて考えさせられました。
ぜひ手に取ってみたい本です。
はい、ぜひ手に取ってください。
そうですね。
人はいかに学ぶかっていう本がありまして、中高新書から出ている本なんですよね。
日常的認知の世界ってことで、これは認知と学習の話なんですよ。
中高新書907番で、実は結構古いんですよ。1989年が初版なんですね。
実はこの本でも古い学習観っていうのが否定されてるんですよ。
で、新しい学習に向けて提言されてるんですけど、全然日本の学習って変わってないなっていうのを改めて思いましたね。
本自体、この私たちがどう学んでるかってすごい良い本なんですけど、
その話自体が20年以上前から繰り返されてるこの謎ってなんだろうなっていうのはちょっと思いますね。
僕らの学ぶっていうことについての概念が全然変わってない。
結局常に揺さぶられ続けているっていうところって何なんだろうなって思いますね。
変化が早くなったのが、この30年とか50年はさらに変化が早くなってますからね。
追いつけてない。体制とか文化みたいなものが。
やっぱ前に何かで出てきたんですけど、追いつけないというか、世代が変わらないと早々変わらないような気はして、
まだ30年は世代変わんないですからね。50年経たないと。
そうか、そういうことか。
でも学びについての自分の考えが揺さばれる内容っていうのは確かにわかる本ですね、この本は。
めっちゃそういう感じはしますね。
あと一個、けらいさんから、ちょっと前の話についての言及なんですけど、
性格と学習法の関連性
ブックカタリストパーソナリティを科学する特性語印子であなたがわかる、
をゴリュゴさんが語る回を聞いた。
ちょうど個人的に自分と同じように他人も感じるとは限らない人間の性格にはどのような種類があるのか、
みたいなテーマを最近考えていて、この本を読んでみたくなった。
まあなんか、ジャストフィットって感じがしますけど。
そう、もうジャストフィットですね。
この性格にどのような種類があるのかというのを、脳科学と統計を使ってというのかな。
調べたのがこれで、おそらくそのパラメーターを左右する脳の成分みたいなのもある程度特定されていて、
結構性格って、何て言うんだろう、人間の性格というものに対する科学的な解像度が上がると言えばいいのかな。
ほとんど本編を聞いてくださいという話になってしまうんですけど。
そうね。
この特性語印子という、ビッグファイブというやつはすげえ面白かったですね。
全くそれを、これ10年以上前に出てる本だけど全く知らなかったので、かなり影響を受けた。
だから逆に言うと、仮にパーソナリティーとか性格語印子で人をある程度類型化したら、
そのタイプにあった学習方法って多分考えられますよね、きっと。
どこまで行ってもどこで線を引くかという問題は必ず出てくるんですけど、
1通りより5通りの方がいい可能性はあるし、10通りの方がいい可能性は高いし。
だから好奇心応勢、語印子覚えてないですけど、外に興味がある人は高野さん方式はかなり合うでしょうね、きっと。
外向性が高い人に向いているということなのかな、それで言うと。
確かにそうですね。
そのまま真似しやすさはあるでしょうね。
逆にそうじゃないタイプの人の学習法もきっと考えられると思いますね。
俺、外向性がすごく高いとは全然思わなくて、
例えばで言うと、隙間時間に暗記とかはすごく自分の性に合ってると思うので。
分かる分かる。
神経症傾向があんま高いとは思わないけど、神経症傾向が高めな人とかは多分そういう学習法は見ているし。
そこで合う合わへんっていうのを見ていけばいいんじゃないかなっていう気がしますな。
そういう言い方をするとやっぱりそうですね。
いろんな方法があって、必ずしもこれが答えだというのはもちろん言えないので、
参考になる部分はめちゃくちゃ多いんですけれども、
その答えを一個に決めつけてしまうところもまたちょっと違うのかなと思うので。
学校的な勉強法があって、多感度的指揮があってっていうふうに、
いろんな指揮の中で自分はどういう道を進んでいこうかっていうのを開発していけばいいっていう感じですね。
あと、あんまりここでは触れなかったですけど、
当たり前にすげえいっぱい勉強してますからね。
その学ぶにあたって。
対語にしても集合2週毎日2ヶ月間少なくともみっちりやってるし、
さらに現地に行ってからでも当然勉強しているし。
そうでしょうね。
余裕で忘れてしまうらしいですけどね。
勉強することそのものは楽にはならないけど、
多分その過程にどんな意味を見出すかが人によって多分違うんかな。
いろんな方法があって、自分の場合少なくとも暗記によって単語力が身について、
1年前に比べたら英語YouTubeジャンル限定を当たり前に聞くぐらい、読む、見るぐらいはできるようになったので。
それはすごいと思うよ。
例えば僕、勉強しました。英語の試験で900点取りましたって話聞くよりはるかにすごいと思うよ。
目的があるからですね。それで言うと。
それがだって言葉を使うってことだって思うもん。
試験を900点取ることは言葉を使うことじゃないからさ。
そういう意味だとそうかもな。目的は一番達成できているかも。
そうですね。わからなくてもいいわっていうのがやっぱり一番の発見だったかな。
そういう開き直り方ね。
動画を見て理解ができる。やっぱり戻ってくるんですけど、本とかと一緒なんですよ。
何を持って理解できたと言えるのか。
結構大丈夫なんだなっていう気がしたっていうのかな。
確かに確かに。
という感じで、10年好きでやっと紹介できたっていう感じもあり。
高野さん、確か通算30冊ぐらいこの方はもう本を書いているみたいで、結構すごいんですよね。
作家としても先を行っている先輩として。
ジャンルは全然違うんですけれども、参考になることは多いんじゃないかなと思った次第です。
はい、ということでブックカタリストは番組を支援していただけるサポーターも募集しています。
サポーターの方には本編収録後のアフタートークの視聴だとか、月1回の読書会だとか台本の公開など様々な特典も用意しています。
あと最近ちょっと新しいことをちょっとやろうかなって考えていて、それはアフタートークで話したいと思っておりますので。
もし気になる方、概要欄のリンクから飛べるブックカタリスト公式ページをご確認ください。
それでは今回もお聞きいただきありがとうございました。
ありがとうございます。
01:20:17

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