社会人になったきっかけ
こんばんは、幸せを数えてひと息つくラジオ。
この番組は、出張セラピストの私、ゆいが、東京の下町からお届けするおやすみラジオです。
今日は、ポッキャトークテーマ、社会人編、です。
この前もね、先々週もやったんだけど、
おしかつ二次元ライフラジオのまこっちゃんの企画、
ポッキャトークテーマの、ヤングアダルト編の社会人編、です。
この前はね、大学生の時の話をして終わっちゃったから、
今日は社会人になってからの話をしようかなと思います。
20代、私、大して就職活動もせずに、社会人になってしまったんだけど、
就職活動するにはしたんだけどね、
地元の塾、自分が通ってた塾の採用試験は受けに行った。
昔のエピソードでも話したことあるんだけど、
私が受けてたの集団授業でさ、それで採用試験受けたんだけど、
個別指導の方が向いてると思うけど、どう?って言われて、
嫌ですって言って、で、試験落ちたんだけどさ、
そんなことはありました。
でもね、採用試験、会社で受けたのはそこだけで、
一応ね、教員採用試験でも受けるかとは思ってたんだよ。
効率のね。受けに行ったかな?行ってない。
いや、一応受けたんだっけな。
それもね、地元の熊本の教員採用試験を受けたことはあった。
それ現役の時だったか?
現役の時だったのかな?多分ね。
受けに行った記憶はあるな。
1年浪人してたから、ほら、後輩と一緒なわけよ。
1個下の後輩と一緒だからさ、
まあ、部活の後輩に試験会場で会った記憶があるから、受けにはいったんだろうね。
でもね、何にも勉強してなかったから、受かるわけないんだよね。
教員採用試験ってね、結構勉強ちゃんとしないとダメなんだよね。
しかも、私の専門科目が社会だから、
社会ってさ、教員免許って、中学校の免許と高校の免許、別々にあって、
小学校は私、知らないんだけど、中学校と高校、別々にあって、
で、社会科、ざっくりね、社会科っていうと、
中学校の社会科と、高校の地理歴史と、高校の公民っていう免許があるんですよ。
で、試験の時も、そんな感じだったのかな。
たぶんね、社会の先生って、全部持ってるっていう先生結構多いと思うんだよね。
教員採用試験の思い出
中学校の社会の免許取るためには、地理も歴史も公民も単位取らなきゃいけないから、
そこまでやったらもう、高校の地理歴史も高校の公民も、ちょっと頑張れば取れちゃうからね。
免許自体は単位さえ取っちゃえば、もらえるんですよ。教員免許って。
たぶんね、小学校はわかんない。中学高校はそうだった。
だから、ついでに取っちゃって、ただ社会科ってなると、
例えば自分の専門が、例えば法律だったとしても、
たまたまその就職することになった学校で、公民の先生が余ってたりすると、
全然専門とは関係なく、世界史を教えなきゃいけないとかね、
そういうことになったりもするんだけど、
私も中学校の時の社会の先生が、中学校ってね、一応歴史も地理も公民もやるはずなのに、
公民と歴史はやたら詳しいのに、地理だけほぼプリントで終わりみたいな感じだったんだよね。
今思えば、あの先生の専門は歴史だったんだろうな、みたいなね。
専門外ね、単位取ってるとはいえね、だから勉強してるはずなんだけど、
専門外のことを教えるのって結構大変だよね、とは思う。
で、なんだっけ、そもそもね、社会の先生って募集数が少なかったし、
今ね、教員不足だとか言われてるけど、社会はどうなんだろうな、
私そもそもだから専門哲学だからさ、哲学ってなると専門は倫理ってことになるんだけど、
今そもそもね、たぶん倫理の授業やってない学校も結構あるだろうからね、
もういらないっていう受験でいらないっていう子も多いだろうから、
なかなかね、難しいところではあったのよ、今以上にね。
今以上にもう、教員採用試験って受けられる年齢の上限が決まってるから、
もう何年も何年も受け続けてる先生とかもね、いるのよ。
先生ってだから、講師をしながら、正式な教員じゃなくて、
講師をしながら、毎年毎年採用試験受け続けてるみたいな先生もいて、
やっぱそういう人から受かっていく確率が高いみたいなことを、私の周りでは言われてて、
そもそも難しいし、結構勉強しないとダメだし、
で、私は何も勉強せずに行ったから、当然あっという間に落ちて、
で、その後塾の採用試験を受けたんだったかな?
忘れちゃったけど、
そもそもね、そんなに別に学校の先生になりたいって思ってたわけでもなかったんだよね。
こんなこと言うとあれなんだけどさ、思想強いって言われちゃうかもしれないんだけど、
学習指導要領っていうのがあるんだよね。
これにのっとって授業を進めてください、みたいな。
この教科の指導の目的はこれです。みたいなね。
こんな力を育てましょうとか、こういった意識を育てましょうとかね。
なんか、そういう指針みたいなのがたくさんあって、
あの、ちょっとうーんって思うことも多くてさ、
わかんない、考えすぎだったのかもしれないけど、
特に公立の学校で先生になっちゃうと、
これに従って教育を行わなければならないんだなーって思って、
うーんって、具体的に何がどうとは言わないけど、
ちょっとそこに納得がいかない部分が結構あって、
だから、そういう自分はたぶん公立の学校の、少なくとも公立の学校の先生には、
ならない方がいいんじゃないかなーみたいなね。
なんかほら、わかんないですけど、
会社の経営理念に共感できないみたいな感じ?
大げさに言うとね、そんな感じだったから、
そもそも向いてなかったのかもしれないんだけどね。
で、だから、うーんとね、
あ、そう、学生時代はコンビニのアルバイトとか、
あと、飲食店のホール?
飲食店?ホール?ホールっていうほどのあれじゃなかったんだけど、
小料理屋さんだったからね、
割と落ち着いた小料理屋さんだったから、
割とゆったり仕事はできる感じのホールだったんだけど、
忙しくない、あんまり。
で、そうだ、
居酒屋さんのさ、なんかね、
アルバイトの経験
ウェーイみたいな感じの居酒屋さんの面接も受けたことあったの。
大学生の時にバイトの面接を受けたことあったんだけど、
ちょっとね、そういうのよくわかんなくて、
当時、だから、コンビニのバイト、初めてしたバイトがコンビニだったの。
で、それは1年ぐらいやって、
で、その後、大学生の間はずっと塾の、個別指導の塾でアルバイトしてて、
で、ちょっと違う種類のバイトもしてみたいって思ったのよ、せっかくだから。
で、飲食店をね、受けに行ったんだけど、
最初、ウェーイって感じの居酒屋さんの面接受けに行って、
でさ、履歴書に写真貼らなきゃいけないじゃん、照明写真。
で、その照明写真が、コンビニと塾にしか履歴書出したことないからね。
そんな感じの写真を取って、貼って、で、履歴書持ってって、面接受けて、
で、普通に落とされたんだよね。
ちょっとうちの雰囲気とは合わないかも的なことを言われて、
要するに多分、真面目すぎたんだと思うんだよね。
すっごい真面目な感じで、スーツこそ着ていかなかったと思うんだけど、
でもそれなりにきちっとした服をね、普段着ない感じのちゃんとした服を着て、
で、面接行ったのに、そのウェイな居酒屋にね、ちょっと違ったみたい。
肩苦しすぎたみたいで、面接落とされて、
で、その後、ショッピングモールの飲食フロアみたいなところに入ってる居酒屋さんだったの。
その面接受けたのが。
で、その店の斜め前にある小料理屋さんに、後日、面接を受けに行ったのよ。
だからさ、斜め前だから、顔合わせることもあるわけ。
そこの面接落ちた店のね、居酒屋さんの店員さんと顔合わせることもあるから、
だから、その小料理屋さんには雇ってもらえることになったんだけど、
それをね、大将に話したら、
いや、お前、バカじゃないの?って。
お前、面接落ちた店の斜め前の店に、バイトに来るやつがあるか?って言われて、
えー、そうなん?って思って。
あとだから、同じ写真を使った履歴書を当然持ってたわけなんだけどね、小料理屋さんにも。
そしたら、その履歴書を見て、
いや、お前、この履歴書であの店は通らねーよって。
真面目すぎるわって、めっちゃ笑われた記憶がありますね。
難しいね、履歴書ってね。
雰囲気ね、大事だよね、と思いました。
それからね、面接受けに行くときは、そこのお店の雰囲気に合わせた感じのノリで行かなきゃいけないんだなって思いましたね。
学びだった。
でね、話それたんだけど、
そんな感じで、だから一番塾いっぱい働いてたから、
塾かなーと思ってね、採用試験も受けたんだけど、
落ちて、で、卒論も全然書いてなくて、4年生のときね、大学4年生のとき、卒論も全然書いてなくて、
で、だから就職活動とかしてる場合でもなかったんだよね。
卒論書かなきゃーって感じだったからね、とか言いながら全然書かないんだけど、
12月の末に卒論の締め切りがあったから、
さすがにそろそろ書かなきゃいけないと思って、12月ぐらいから卒論書き始めて、
ギリギリクリスマスとかだったんだよね。
そのくらいが締め切りで、で、なんとか書き上げて、
で、その後かな、だから12月入ってから、
さすがに就職先決まってないからまずいなーと思って、
その時でもまだ募集をしていた私立の学校の採用試験に応募して、
卒論書き終わった後の、ほんと年末、12月の27とか8とか、
冬休み入ってた時期だったんだと思うんだけど、
その頃に採用試験受けに行って、それで受かったんだよね。
ラッキーって感じだった。ラッキーだよね。
ラッキーだったかどうかちょっと微妙なとこなんだけど、
まあでも結果的にね、仕事にありつけたのはラッキーだったなって。
学校はね、あれだよ、ちょっとブラックだった。
だからすごく入れ替わりの激しい職場だったんですよね。
だから毎年毎年たくさん先生を募集してるみたいな学校だったし、
あとは、やっぱ大学のブランド力、
つくば大学ってもともと教育大学から進化したやつだから、
結構教育系には強いのかな?わかんない。
非常勤講師としての経験
関東だったからね、就職先がね。
まあ近所だったからっていうのもあると思うんだけど、
やっぱその学校入ってみたらさ、
つくば大の卒業生とかも何人もいたから、
多分そういう積み重ねがあってね、
サクッと採用してもらえたんだと思うんだけどね。
本当ラッキーだったね。
先輩方に感謝って感じだったんだけど、
だから私立の非常勤講師だったんだけどね、
クラス担任とかはないし、部活も担当しない、
授業だけをするっていう非常勤講師になって、
これはたびたび言ってるけど、
私はその時、地理の採用試験を受けて採用されたんで、
地理だけ教えてました。
本当はね、地理で採用されたけど、
世界史と公民がやる授業の数も多いからなのかな?
文系理系問わずに必要みたいな科目の方がやっぱ先生必要だから、
世界史か公民かやってほしいみたいなことも言われたんだけど、
あの、無理ですって言って、
ちょっと私には無理ですっていうね、
新卒の特権なんでしょうかね、こういうわがままは。
できません、自信がありません、とても無理です、本当に苦手なんです、みたいなことを言って、
なんとかね、その学校辞めるまで4年間働いてたんだけど、
地理だけを教え続けるっていう、
それもでもあれよ、中学校の地理と高校の理系の地理だけ、
文系の地理ってなるとやっぱもっと専門的な知識より必要になるからね、
一応、進学校だったんで働いてたところが、
文系で地理が必要になってくる子っていうのは、やっぱ筆記試験対策とかもしなきゃいけない子たちだったから、
それはさすがに担当させてもらえない、いや、したくもなかったんだけど、
理系の絶対点数を無駄に落とさないようにしなきゃいけない、みたいな子たちの授業を担当してましたね。
学生との思い出
印象的な出来事いくつかあったんだけど、学校で働いてるときにね、
いや、もちろんその生徒から先生ありがとうみたいな感謝のお手紙をもらったりしたのもね、すごく感動的ではあったし、
あとはバレンタインデーの時の話とかは、確か今年の2月頃にね、バレンタインの話した時にもしてるから、
まあ今回はいいかなーって感じなんだけど、
後の話もしたかな?
一番衝撃だったのはさ、連絡先をもらったんですよね、同僚の先生から。
よかったら連絡ください、みたいな、この話したっけ?
あのね、紙、メモ紙的なものにアドレスを書いたアドレス、メールアドレスだったかな?
当時ね、だから私24歳ぐらい、4、5歳の時に、多分相手は35、6歳だったと思うんだけど、の先生からメモ紙をもらった。
直接もらったんだっけな?忘れちゃったな。
直接もらったのかな?さすがにね、置いてたら他の先生見られちゃうもんね。
で、あの、そうそう、もらったんですよ。
もらったんですけど、正直その先生とは全然喋ったことなかったし、
あんまり喋りたい感じの先生でもなかったし、
やべ、これ聞かれたらまずいか?大丈夫か?
あんまり喋ったことない先生だったし、
やっぱね、年上すぎるとかね、とかまぁまぁまぁちょっといろいろとね、いろいろとあって、
うーんってなったんだけど、何が一番衝撃だったかってさ、
字がめっちゃ汚くてさ、
いや私は、中学生と高校生相手に授業してて、
もちろんね、地理の内容を教える、理解させるのも大事だったかもしれない。
大学入試に向けて、勉強をしてもらうのも大事だったと思うんだけど、
でもやっぱほら、中学校1年生の地理と、あと高校の理系の地理だったから、
そんなに優先度高くないじゃん。
他の科目に比べるとね、たぶんね、こんなこと言ったら、
熱意を持って教えてらっしゃる社会科の先生方に大変失礼かもしれないんですけど、
正直、ぶっちゃけそうかなって思ってて、
で、あとさ、やっぱ勉強って成績が全てじゃないと思ってるからね、
それ以外の部分でね、できるだけ他の教科にも役立つようなこととか、
一般的な知識ね、社会に出てから、正直、中学校の地理なんて、
ただの一般常識だと思うから、
そういうね、社会に出た時に恥をかかないために教えてるみたいな意識が強かったんですよ。
世界の国の名前言えるとかね、
あの、大体どの辺にある国だっていうことぐらいは知っておいたほうがいいんじゃないかなとかね、
都道府県どこに何があるぐらいは知っておいたほうがいいんじゃないとかね、
そのぐらいの気持ちだったから、
何でしょうかね、ノートの取り方。
ノートの取り方は、みなさん様々意見あると思うんだけど、
きれいに取ったほうがいいっていう人もいれば、きれいに取る必要はないっていう人もいるし、
きれいに取ろうとしすぎると、逆におろそかになるとかね、
いろいろあると思うんだけど、もちろんそれはもうね、
結局子供の個人の特徴、特性によるものだから、
何とも言えないと思うんだけど、
ただ、ノートを取るからには、社会に関してはね、
地理に関してはだけど、ノートを取るからにはね、
ノートも取らなかったら暇じゃん、地理の時間なんて。
あ、わかんないけど。
ごめん、その程度の授業しかできてなかったんだけど、
ノートを取らなきゃいけない、
どうせ取るんだったら、テスト勉強の時に役立つノートにしたほうがいいじゃん。
だから、どうせノートを取るんだったら、
後で見返さないともったいないじゃん。
だってね、ただのメモを取ってどうするの?授業中に。
いや、わかんないよ。
メモを取るだけで頭に入るって言うんだったらいいよ、いいんだけど、
その頭脳は他の教科にもうちょっと回してあげたほうがいいかもしれないから、
そこまですごくハイパースペシャルな新学校じゃなかったからね。
だから、どうせだったら復習したほうがいいじゃん。
ってことはよ、せめて後で自分で見返した時に、
自分ぐらいは何て書いてあるかわかるような字で、
ノート取れよって言ってたんですよね。
で、話長くなっちゃったんだけど、
いやその、連絡先渡してきた先生のメモの字がもう、
なんだお前小学生かみたいな。
字の練習とかしたことないのかな?みたいなね。
うーん、なんかそんな感じの、
35、6だよ?わかんないけどね。
ちょっと今思えば、35、6に対して多少幻想を抱いていた可能性があるけど、
でも当時の私からしたら10個以上年上の大人の人が、
こんな子供みたいな、いやちょっと下手すぎるでしょっていうね。
もうその時点でないわーだったんですよね。
いや、あのね、上手下手じゃないのかもしれないけど、
今ドキッとした人いるかもしれないけどね。
特に、うーん、わかんないよ?
あれ、自分も字汚いかもって思った人いるかもしれないけど、
そういう次元じゃなかったんだよね。
いやいやいや、いいんですよ。
教師としての葛藤
ノートは、自分で読むノートは、汚かろうがなんだろうが、
自分でわかればいいと思うの。
ただ、ただね、人に見せるもの、人に読んでもらうものも、
そのくらいの、なんていうの、読めなさ、汚さで書いてるんだとしたら、
もうそれは、字が下手な人の言い訳だと思うの。
字なんぜ、ノートなんぜ、自分が読めればいいんだよとか言ってる、
なんかちょっと俺賢いぜ的な人いるけどたまに。
それで、人に見せる文章に関しても、そんな字を書いてるんだとしたら、
それは、字が汚い人の、ただの言い訳だと思うんです。
人に見せる字は、人に読んでもらえる字にしないと、意味ないじゃん。
ちょっとね、今の職場にもいるんじ、汚いやつ。
俺はこういうスタイルだからとか言ってね、開き直ってんの。
イラッとするよね。
お前のせいで、私はその字を消して、名前を確認して、
なんて書いてあるのか確認して、書き直すひと手間が増えとるんじゃ、こっちは。
と思ってね。
イラッとしてるんで、せめてね、皆さん、大人の皆さんは、
せめて、読める字を書きましょうね。
書いてください。
みたいな出来事があったりとかね。
あと、めっちゃ嘘つく女の子いたなぁ。
すっごい嘘つきの女の子がいて、
あの子を元気にしてるかなぁ。
私が見てたの、中学校1年生の時だったんだけどさ、
すごくすごくみんなに対して、ものすごく媚びを売る女の子だったのよ。
だから、彼女なりにね、いろいろ考えた結果、そういうスタイルに落ち着いたんだと思うの。
それまでの老いたちの影響もあったと思う。
なんかいろいろ苦労してんだろうなぁと思ったんだけど、
それにしてもめちゃくちゃ嘘つく。
相手に取り入るために、実際には起こってないことを話したりするのよ。
虚言癖って言われてた、その子。
めっちゃ嘘つくって、クラスメイトからも言われてたし、
先生たちからも言われてた何人かね、その子を知ってる人からは、
あの子は嘘つきだからみたいな。
もちろん、その宿題を忘れた時の嘘とかっていうね、レベルもそうなんだけど、
それ以上にね、嘘ついてくる子だったんだよね。
どうしてるかね、まっすぐ育ってるといいんだけど。
ちょっと嘘に付き合うのめんどくさいから、
私には嘘つくのやめてって、
私は嘘つく人嫌いだからさって言って、
嘘つくのやめてもらったんだけどね。
結構ひどいこと言ったかもしれないね。
なんかもうちょっと優しく言えばよかったね。
私には嘘なんかつかなくていいんだよって言えばよかったかもしれないけど。
ちょっとね、まだ当時私もそんなに心の余裕がなくて、
生徒に対してもはっきり言っちゃうタイプだったから、
このままじゃ生徒の心に傷を負わせてしまうかもしれないと思って、
やっぱ教師向いてないなって思ったりしてましたね。
でね、そうやって働いてたんだけど、
なんかすごくお金がなくてさ、当時。
なんでなんだろう。
なんでそんなにお金なかったのかよくわかんないんだけど、
まあ単純にお給料っていうか、
もらってる額が少なかったっていうのもあるんだろうけど、
20代の仕事と憧れ
なんかね、ものすごくお金足りなくて、
1日の食費500円とかね、そんな感じで生活してたんですけど、
あまりにもないから、これはもうダメだと思って、
なんか他の仕事しなきゃと思ってね。
別に副業禁止じゃなかったから、私のその雇用携帯では。
なんで昼間は、平日の昼間は学校で働いて、
夜は今も続けているセラピストの仕事をね、することにしたんですよね。
当時も出張タイプの、そのビジネスホテルとか自宅とかに、
お客さんの自宅とかに行ってマッサージするみたいな感じのスタイルのセラピストだったんだけど、
当時さ、私スーツを着たサラリーマン、
あのビシッとスーツを着たサラリーマンね、
クタクタじゃなくて、ビシッとしたスーツのサラリーマンかっこいいみたいな思想の持ち主だったんですよ。
当時の私、20代中盤ぐらいの私ね。
うちの親もね、スーツなんて着ることない仕事だから、
水道工事屋さんだからね、スーツなんか着ないんですよ。
ネクタイとかも締めてるとこ、ほぼ見たことないよ。
なんで、そういうのもあって、スーツのサラリーマンに憧れがあったんで、
そのね、サラリーマンがいっぱい居そうなところで働けば目の保養じゃんと思って、
そんな不純な動機で、当時は新橋に働きに行ってましたね。
いや、サラリーマンと言ったら新橋でしょ、みたいなね。
だから、新橋とか銀座とかね、あの辺を中心に仕事してたんだけど、
いや、多かったですよ、スーツのサラリーマン。
だからさ、ホテルとかに行ったりするから、
地方から出張で来てるサラリーマンの人がすごく多かったんですよ。
もちろんそれ以外の人たちもいたけどね、自宅に呼ぶ人とかもいたけど、
だから、最初は良かったんだけどね。
最初は良かったよ、だって仕事行けばさ、目の保養になっていいなって思ってたんだけど、
思ってたんだけどさ、新橋のサラリーマンってさ、ちょっと違ったよね。
ちょっと違った。
銀座はね、銀座も大して変わらなかったかな。
基本的に酔い潰れてるんですよね、あの人たちね。
夜だからね、仕事するのがね、仕事行くのが夜だから、
もう夜の新橋のSL広場にいるサラリーマンなんで、
だいたい酔っ払ってるじゃん。
もうね、そうなんですよ。
銀座もそうよ、なんかもっときらびやかな街かと思ってたけど、
酔っ払ってぐでぐでのおじさんとかだよ、もうね。
なんか違ったと思って。
あっという間に、若き日の私の憧れみたいなものは打ち砕かれたんですけどね。
いい勉強になりましたね。
あと、やっぱ実用性が大事だなって思った。
ちょっとね、今はもう別にビシッとしたスーツには特にこだわりはないし、
そんなことよりなんだろうな、
説明書を見ないでちゃんとカラーボックスを組み立てられるとかね、
水漏れを自分で修理できるとかね、
ドアの緩みを自分で直せるとかね、
そういう技能を持ってる人に憧れますね。
いや、カラーボックスぐらいは組み立てられないと無理なんだけどさ、
せめて私よりはそういうね、
大事なのはスーツよりもサバイバル力だなって思いました。
でね、そんな感じの20代社会人編でした。
実用性の重要性
その後はまあまあ、なんとなく仕事を続けて、
今に至ってるって感じなんだけどね。
30代まだ、まだとか言ったけど、30になってから7年も経ってるのか。
まあいいや、今日20代編なんでね、今回のポッキョトークテーマはね、
20代編?いやとは言ってないけど、
ヤングアダルト20代編ということだったんで、
この辺でおしまいにしておきましょう。
今月企画会ばっかりだったね、ごめんね。
でもまあ別にね、企画会じゃなくてもこういう話をすることはあるんで、
いいかな?
ということで、
今日も最後まで聞いてくれてありがとうございました。
明日も幸せな一日になりますように。
おやすみなさい。