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2023-12-20 19:31

読書ラジオ『まつらひ』村山由佳

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まつらひ https://amzn.asia/d/iAkhhl2
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こんばんは、ゆうこです。このチャンネルでは、私の読書録や日々の学びを音声配信しています。
今日は村山由佳さんの『まつらひ』という小説について話してみようと思います。
初恋の相手と結ばれ、レタスの丘にとついだ真央子。
夏の竜人祭りが近づくと、毎年なぜか夫と激しくも連れ合う縁務を見るのだった。
4歳の娘の世話と出家作業に追われることし、忌まわしい事実が。
原始の炎に誘われるように秘密は膨らみ、快楽は満ちていく。
祭りと性愛が6つの舞台で響き合う禁断の作品集ということで。
ゆかさまワールド全開の短編集になります。
タイトルの『まつらひ』というのはですね、ひらがなでまつらひと書いてありまして。
本を開くと、まず一番最初にこの言葉の意味が書いてあります。
まつらふと書いて、祭るの未然形に継続の設備語ふのついた形であると書いてあります。
そして柳田邦夫はこれを祭りの語源であるとしたということで。
祭りの語源であるまつらひという言葉がこの本のタイトルになっているわけですね。
本の想定はですね、漆黒の黒のバッグに、これは赤いチョークなのかな、朱色に近い赤のコンテなのかな、色鉛筆なのかな。
ちょっと粉っぽいタッチで、揺らめく炎をおバッグに金魚がゆらーっと水の中を泳いでいるような絵が書いてあります。
とにかく妖艶な想定ですね。
そしてあらすじにもあったように、祭りと性愛が響き合う禁断の作品集ということで。
エロいお話ですね。
サクッと言ってしまえば。
中にはもうめちゃくちゃタブーなお話もあって、ちょっと読めないっていう人もいるかもしれないので、
冒頭にあったレタス農家のマホコの話なんかはちょっとね、これは犯罪じゃないかっていう設定なので苦手な方いらっしゃると思いますが、
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この6編の中でも少しライトで読みやすいという風に私が思った柔らかな迷路という短編のお話を今日はしたいと思います。
柔らかな迷路というのはですね、この短編はすべて日本のお祭りが舞台になっているんですけれども、
柔らかな迷路は福岡県南部城下町の柳川、年に一度開催される拍手祭というのが舞台になっています。
拍手祭というだけあってですね、北原拍手をしのんで明日である11月2日を挟んだ前後3日間に行われるお祭りのことです。
この柳川というところが出身の、真宏は普段ドキュメンタリー番組を制作する会社の海外ロケなどのコーディネーター系に通訳をしている真宏と
その夫ですね、契約カメラマンの雄一、この2人が主人公になります。
真宏と雄一は結婚しているんですけれども、その間接的なきっかけになるのが、2人の共通の上司というか会社の同僚である秋月という人ですね。
秋月という人は結構年上で業界でも名の通ったプロデューサー。プロデューサーの業界人にありがちな軽さはなくて、みんなから慕われるすごく最高で良い上司。功績は部下に譲り、責任は自分が取る理想の上司と言われる秋月なんですね。
その秋月はめちゃくちゃ家族のことを大事にしていて、そんな秋月をあんな風に家族を大事にする秋月さんっていいねと言った雄一の一言がきっかけで、真宏は秋月さんをいいねっていう人だったらきっといい人だと思って付き合うようになったっていう慣れそうめがあります。
ただそんな2人の結婚生活はうまくいかなくてですね、そのきっかけになるのもこの秋月という人です。秋月は途中で病気になってしまうんですよね。
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で、そのお見舞いに行けなかった真宏。真宏に対して雄一がある一言を言って、そこから2人の関係がおかしくなっていって、ついには離婚をしてしまうということになってしまったんですね。
で、秋月は亡くなってしまって、真宏も一人になって、たまたま帰っていた自分の実家で行われていた拍手祭に出て行ったところ、また雄一と再会すると。
簡単に言ってしまうとそういう話なんですけれども、この本の中でめちゃくちゃいいなと思ったのは、真宏はコーディネーターなので、海外ロケのコーディネーターなのでいろんなところを旅するんですよね。
で、そういう旅をしている時の自分の行動みたいなのを振り返って、こんな風に思いを巡らす部分があります。
身に馴染んだはずの家で休んでいる時でさえふと目覚めると、どこか旅先の宿のベッドにいるかのような錯覚を起こすことがあった。
真宏はいつも不思議に思った。どうして目が覚めるたび、時間を確かめずにいられないんだろう。
翌朝に予定が入っているわけでもないのに、反射的に時計に目が行く。
そうしてなんとなく安心するのだ。今が何時何分かを知ったという、ただそれだけのことで。
結局のところ、錯覚ではないのかもしれない。ある意味において、人は常に旅先の宿にいる。
そこが自分の家であり、自分のベッドであっても、旅の途中であることに変わりはない。
目覚めて時計を覗き込む時に確かめているのは、実は時間ではなく自分の居場所なのだ。
と思う一説があってですね、私はこの文章がすごく素敵だなぁと思ったんですよね。
あの、よくあるあるなのかなと思うんですよ。夜中に目が覚めて、
何をするかというと、ほとんどの人がね、時間を確かめる、そういう人が多いんじゃないかなと思うんですよね。
で、時間を見て、ああ、まだ3時半だったのか。
ああ、4時回ってるからこのまま起きようかなとか思うんだけど、何故時間を確かめてしまうのか。
で、村山由加さんは、それは時間を気にしているんじゃなくて、自分の居場所を確認しているだけなんだ。
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自分の家のベッドで寝ているんだ。
自分の家のベッドで寝ていても、人は常に旅先の宿にいる。人生そのものが旅であって、たまたま自分の家にいたり、そこで目が覚めたとしても、旅の途中であることには変わりがない。
自分が旅している今この瞬間、どこで目覚めているのかの場所を確認している、そういうことなんじゃないかというふうに言うんですよね。
そんなことを考えたこともなくて、いや村山さんはやっぱりすごいなぁと思ってしまいましたね。
この話はどこかその真宏が、自分の居場所を探している物語であるような気もするんですよね。
もともと秋月に対して恋心を抱いていたわけではなかったけれども、人としての尊敬や憧れは確実にあったわけですよね。
そんな秋月に憧れを抱くもう一人の雄一と結婚をしたけれども、秋月が亡くなってしまうことをきっかけに別れてしまった。
一体自分の居場所はどこなんだろうと。
どこに自分が安らげる場所があるのか、実家なのか、元夫の場所なのか、それとも違うところなのかみたいなことを、この物語全体を通じて広がる。
なんとなく探しているのを眺めている読書なんですよね。
最後、やっぱりクライマックスのシーンでお祭りの夜にある出来事が起きるんですけれども、
なんかそこはすごく良かったなーって。
この、ゆかさんのね、祭りと性愛が響き合う禁断の作品集の中にあって、この柔らかな迷路だけは何かちょっとホッとできるような部分もあって。
読んでいただけるならこの柔らかな迷路がいいのかなと思いました。
そして、居場所を探している、人生そのものが旅であるみたいな、そんなことをこのストーリー全体で伝えているんじゃないかと言ってみましたが、この短編のタイトルは柔らかな迷路なんですよね。
なので、それも少しちょっと旅を思わせるタイトルかなと思います。
12:05
何が柔らかで、どれが迷路なのか、みたいなこともこの本の中には書いてあるので、タイトルも通じて何かをさまよっていて、
それ自体が別に不幸なことではなく、そうすることが人生でありそれが旅なんだ、というようなことが感じられる本だったなと思います。
そうするとですね、今どういう状態だったとしても、明日はきっとわからないなぁなんて思うんですよね。
今この人と一緒にいても明日はどうなるかわかんないなぁとか、今誰かと一緒にいるわけじゃなくても何かがあるかわかんないなぁなんて、そんな不確実性を楽しむっていうかですね、
まだ今度未来とかそういう出会いを楽しめるような気持ちになれるのかなというふうに思います。
まつらいの中のですね、柔らかな迷路の感想について話してみましたが、
あの村山絵花さんはですね、すごく激しい、女性の激しい面をあからさまに描く作家さんだなぁと思っていて、
その激しい部分が前面に出ている人ではなく、それがすごく体の奥底にあって、自分でも気づいていないような人のその部分に焦点を当てて、どんどん描いていくっていう描き方をされるのかなと思っていて、
女性男性関わらず、限らずですね、激しい部分っていうのは誰にでもある部分なのかなと思うんですけど、それを絵花さんは簡単にこう暴いていくというかですね、
それがむしろ人の本性というか隠しきれない部分はそこなんじゃないかという、そんな描き方をされるのかなと思っていて、
あの、だから、あの、偽れないですよね。読んでいる側もね。なんか普段はね、スッとした顔で、私もそうですけど、なんかすごいこうちょっと清廉潔白な風を装ってますが、
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人の心の中には絶対的に快楽というものに対する好奇心があって、それに抗えないのが人間なのかなと思うんですよね、私は。
だからあの、古来から人っていうのは、こういったストーリーだったりアートとかでそういう部分を表現しようとするし、どんどん追求していっても答えにたどり着けない。だからこそ面白いことなのかなと思います。
村田沙耶香さんも、一番自分が興味があるのが、やっぱり快楽だっていう風におっしゃっていて、それはすごくよくわかるなと思ったのは、人と触れ合っている時の快楽だけではないなと思うんですよね、私は。
なんかこう肺になっている時、スポーツをしていてゾーンに入っている時とか、あとはサウナに入って整っている時、本を一気に読み切って息をするのも忘れていて、読み切った後のあの瞬間、感動する映画を見ていて、もうデトックスなんじゃないかっていうくらい涙をだらだら流して、
泣き切った後のなぜか爽快感があるみたいな、それと同じくらいドッと疲れるみたいな、ああいうものって私全部一種快楽だと思うんですよね。
で、どっかしら人間はそれを味わうことを楽しみにしているし、でもそれを表だって気持ちが好きだみたいなことは言えない恥ずかしさというか奥行かしさがあって、日本人は多分それがとても強いと思うんですよね。
でもみんな心の奥底ではそういうものを求めているし、どこかでこういった小説家とかにそういうところを暴き立てられるのを、それも楽しんでいるような気がして、私はそういったことに正直なほうだと思うんですよね。
自分がこの本を読んで自分がどう感じるかみたいなことは全部正直に受け取りたいなと思っているし、それを偽るぐらいだったら本を読まないほうがいいと思うんですよね。
嫌な気持ちも幸せな気持ちも全部受け取ってみて、なんで自分はそう感じるんだろうって思うことが読書だなと思うんですよ。
ちょっと話をずれましたが、なのでこういったねタブーだったりエロスがテーマの小説もガンガン読みます。
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何の意見表明だって感じですけど。
なので今まではあんまりこういうちょっと口に出せないような大人の小説の感想はあんまり言わないようにしてきましたが、ちょっと慣れてきたのでね、こんな話もちょっとずつしていきたいなと思います。
きっと大人の女性はね、共感していただける部分があるんじゃないかなと思いますので、よく言ったみたいなね、そんな声もお待ちしております。
それを言いたくてこの本の感想を言ってるところありますが、私も人間で大人の女性なのでこういう本も読みます。
ということで今日は村山由加さんのマツラヒという小説について話してみました。
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今日も最後まで聞いていただいてありがとうございました。ではでは。
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