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2024-02-06 18:37

読書ラジオ『はつ恋』村山由佳

いつも聴いていただきありがとうございます。
この回もエコーかかっててすいません🙇‍♀️次から設定戻してます。(一気に録音したので気づかずでしたw)

⭐︎本紹介
はつ恋 (ポプラ文庫 む 4-1) https://amzn.asia/d/5N4nZJx
(配信の冒頭部分は本の説明文・あらすじを読み上げています。)

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00:05
こんばんは、ゆうこです。このチャンネルでは、私の読書録や日々の学びを音声配信しています。
今日は、村山由佳さんの『はつ恋』という小説について話してみようと思います。
南坊草の海沿いの町で、古い日本家屋にアイネコと暮らす小説家の花。
二度の離婚を経て、人生の後半を一人で生きようとしていた時に巡り合ったのは、幼少期を兄弟のように過ごした幼馴染の時代だった。
四季の美しい巡りの中で、喪失も挫折も味わった二人は、心も体も寄せ合いながら、かけがえのない時を積み重ねていく。
温かな祝福に満ちた大人のための傑作恋愛小説。
これは、読書仲間の方にお勧めいただいた本ですね。
人生の後半を一人で生きようとしていた花が巡り合ったのは、古くて新しい恋人だった。
ということで、私がどんな風にお勧めいただいたかというとですね。
これは、大人の可愛い恋物語です。
読んでよかったと思います。
時代という関西人の幼馴染と恋人になった花ちゃん。
この時代がとにかく男友達の長谷央にそっくり。
機会があったらぜひということで。
男友達はですね、千早赤姉さんの小説ですね。
そこに出てくる長谷央が、この初恋に出てくる時代とよく似ているということで。
なるほど。
人生こんなもんかなって思ってた40代。
そうとも限らないと思わせてもらえる小説ということで。
私40歳になりまして、自分の人生だいたいこんなものかなみたいな。
落ち着いてきたなって思っているところだったので。
まだ何事かがあるよというのを教えてもらえる小説。
まさにその通りだったなと思いましたね。
大人の恋愛小説です。
第一章はうずき。
きさらぎ、みなずき、ふみずき、はずきということでですね。
月日の流れに沿って2人の物語が描かれていくわけです。
主人公の花はですね、小説家。
03:01
南坊村の古民家に住んでいて、
昔大阪に小さい時に住んでいた時、
その時の幼馴染の時代と恋愛をしているという。
花の方が年上なんですよね。
時代は未だに花姉と言ったりするんですよ。
この時代がですね、大阪弁を喋るんですよね。
アホやなとか、ちょっとぶっきらぼうなタイプの大阪弁なんですよ。
それがですね、花の標準語と時代の大阪弁がいいコントラストになっていて。
花は常に一緒にいてほしい。
自分のことを抱きしめてほしい。
結構恋愛体質であるということを自分自身で言うんですけれども、
そういう花にアホやなと言って、
時代は抱き寄せて背中を撫でてくれるんですよね。
それがですね、花にとってはもうこの手は離すことができない。
そんな存在なわけです。
最初のこの渦月はですね、
こんなセリフで始まるんですよね。
時代がいきなりおかしなことを言ったように聞こえた。
俺にもし何かあっても悲しまんとけよ。
俺はもう十分幸せなんやから。
そう言われて彼を失った後の自分を想像し、
花は泣いてしまうわけですね。
で時代がびっくりして、
どないしてん、子供みたいに。
もしもの話やろ、みたいなこう慌てて眺めてくれるんですけど、
彼を失った後の自分を思い浮かべてしまうと、
泣いてしまうぐらい花にとっては大事な存在である時代というのが
最初の第一章で描かれるわけですね。
そういう関係性にある大人の恋愛が描かれるんだろうなと思いながら読んでいると、
第一章の中盤でですね、
生温かい春の風が吹き込んでくる。
時代な頑丈な首に抱きついたまま、
花は明け放った縁側の先を見合った。
梅や満作や小節や雪や薙ぎは終わったが、
今は染芽芳野と杏の花が満開だ。
足元には様々な種類の水仙と、
吸い込まれそうな青色の忘れな草が乱れ咲いている。
ということでこの小説の魅力のもう一つはですね、
この南某草で暮らす花の自然は、
この南某草で暮らす花の自然豊かな生活が、
06:06
村山由加さんの素晴らしい筆記で描かれているということです。
これがすごく美しいんですよね。
まるでそこにいるかのように景色が、
その花の香りや雨の匂い、
雨が降って土から匂いがワーッと立つような、
そこに風が流れてくるみたいな、
その南某草の生活がありありと浮かんでくるような、
村山さんの美しい表現。
これがですね、この小説を読んでいて、
要所要所でそんな描写があってですね、
どんどんのめり込むように読んだ本でしたね。
そして季節が移っていくと、
その季節の草花の話がその章に書かれていて、
時代と花っていうのは、
南某草の家で二人暮らししているわけではなくて、
時代は大阪の実家と南某草の花の家を行ったり来たりしていて、
二人は一年のうち半分も一緒に過ごすことはできていないんですよね。
時代が大阪にいる間は、それをじっと待つ花、
その切ない思いだとか、
その切ない思いを抱えながらも、
小説家として自分がしっかり仕事をしたり、
南某草の家の手入れをしたり、
近所の人と交流を持っていくみたいなことが描かれています。
冒頭でですね、
花が時代が死んだ後のことを考えて泣き出してしまったというシーンがありましたけれども、
この本を読み進めていくうちにですね、
ある回想シーンっていうのが描かれているんです。
それは花が時代に再開する前ですね、
テレビ番組の企画で奥陽田の山寺を訪ねた、
そして宿望に泊まったことがあったという話なんですよ。
その時の番組の主眼っていうのは、
死を迎えるための訓練、
人間が等しく出会う死のための心の訓練がないのはおかしいということで、
宿望でですね、住職から瞑想状態に導かれていて、
こんな静かな問答が繰り広げられるわけです。
09:00
あなたの嫁はあと1ヶ月と宣告されました。
最後の日々、あなたは誰にそばにいてほしいですか?
どんなふうに過ごしたいと思いますか?
誰かに伝え残したことがありますか?
何か後悔を感じていますか?
そしてそれに一つずつ答えていくうちに、
喜怒哀楽のどれでもない、
それでいて全てを含んだ感情が胸の底の方から競り上がってきて、
閉じた瞼から米紙を伝って、
紙の中へと熱くてぬるくて冷たいものがどんどん流れ込んでいった。
おやつもなければ鼻をすすることもない。
ただ流れ出るだけの静かな涙だということで。
当時の花には愛するべき人がいなかったわけですね。
そんなふうに静かに自分の体内だけで流れる涙、
自分の死の真際を想像して、
そんなふうに涙を体内の中だけで流した花だったんですけれども、
時折と再開してしまったことによって、
時は死んでしまった後の自分というのは想像できない。
そんな自分になってしまったという。
すごく対比のシーンでしたね。
1章から半分近く読み進んできて、
この宿坊の回想が語られるという。
だから一番最初のシーンが、
こういうセリフで始まったんだなというのがわかる流れでした。
そしてこの宿坊の回想の中で、
花はもう一つ、住職に対してこんな悩みを打ち分けるんですよ。
体の中にオロチみたいな化け物が住んでいるような感覚なんです。
というんですよね。
花は小説家なので、小説を書くにあたって、
自身のリミッターを解除しなくてはならない瞬間が巡ってくることや、
もっとすごいものを書きたいと思うあまり、
あえて道を踏み外すのを自分に許してしまう時がある。
それを体の中にオロチみたいな化け物が住んでいるという風に花は言うわけです。
なだめておこうと時々は餌を投げてやらなくちゃって。
すると住職は、
昔からこういう言葉があってな。
山より大きいイノシシはデン。
花はじやじやと何かがこみ上げてきて、大爆笑してしまうわけです。
イノシシ、オロチ、化け物。
どんな名前で読んだとしても、
どうしたって自分の体から出て行ってくれないその生き物。
なだめて沈めるために花は文章を書いて暮らしている。
あの時と比べるとハセオトクラス今は随分変わった気がする。
12:04
それでも自分の体の中に何かを抱えて
書き続ける、生き続ける花を抱きしめてくれるのは
自分だけではなく時代がいる。
そんな幸福を改めて感じるシーンだったと思うんですよね。
だからこのシーンを見たときに、なんかわかるなと思いましたね。
私は小説家ではないんですけれども、
自分の中に化け物のようなものがいて、会いたいの知れない。
おそらく負の感情の凄まじいものみたいなのがあると思うんですよね。
道を踏み外して落ちるとこまで落ちてしまいたいという欲望ですよね。
渇望のようなものを感じる時っていうのがどうしたってあります。
きっとみんなそういうものを抱えて生きてるんだろうなと思うんですけれども、
そんな化け物が出てきがちなのが夜だったりすると思うんですけど、
そういう独り寝の夜に自分だけではなく自分が愛する人が一緒にあって
自分ごとその化け物を抱きしめてくれると思うと
それはすごく幸福で手放せない存在なんだろうなと
この一説を読んでそんな風に思いました。
だから花はもう一度手にしてしまった時代を手放すことはできない。
時代が死んでしまって残された自分を想像することっていうのはきっとできなかったんだろうなと思いますね。
私もそうなんですよね。
女性の方が長く生きるとよく言われますけれども、
私はできれば自分を見とってほしいなと思うんですよね。
一人残されるっていうことが想像できないななんて思ったりするので、
花と近い感覚を持っているのかもしれないなと思ったのと、
その時、花の、というか大人の恋愛の不都合な真実みたいなものにちょっと気づいてしまったのは、
この年齢ですごく最愛の人に出会えて、できればいつも一緒にいてほしい。
そう思ったら抱きしめてくれるっていう、その手があるっていうことはすごい幸せなことだなと思うんですけど、
それが常にそこにあるとは限らないっていうジレンマですよね。
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量と質が伴わないというのが大人の恋愛の不都合な真実なのかなと思ったりしました。
時代がずっと花のそばにいて、南坊主の家から仕事に行くという人であれば、花はもっと満たされるんだろうか。
こうやって一年のうち半分以上は離れて暮らすからこそ、ずっと新鮮な気持ちを保ち続けていられるのか。
そうではなくて、やっぱり365日、朝起きた時も夜寝る時も一緒にいてくれるっていうのが望ましいのかななんて、
そんなふうに思ったシーンでしたね。
ということで、大人の恋愛小説、ただただ幸せな二人が美しい南坊主の梅沿いの街で暮らす生活が描かれているということで、
最初に戻りますけれども、人生こんなもんかなって思っている40代、50代の人はちょっと読んでみてほしい本だったなと思います。
改めてご紹介いただきましてありがとうございました。
最後にですね、ときおくんは、ときおくんはって言っちゃいますけど、ときおは大阪弁なんですよ。
ちょっとね、河内弁なのかな。
雑な大阪弁を言う大阪人なんですよね。
アホかとかね、何言うてんねんみたいな結構強い大阪弁なんですけど、
私はこういうちょっと強めの大阪弁より少し柔らかい京都弁の方が好きだなと思いながら読んでましたね。
解説を書かれているコテマリルイさんはその大阪弁がたまらないっていうね。
するかいそんなもんみたいな。
お前の方だよねみたいな。
これがたまらないって書いてあるんですけど、
もしねちょっと強めの大阪弁が苦手だっていう人はね、関西の人みんなこんな感じじゃなくて、
わりと京都の人はもう少し柔らかく話しますよっていうのを、私はちょっとそっちの方が好きだなと思いました。
ちょっとそれだけ一言言っておきたかったなと思います。
はい、ただこの小説の面白さには何の影響もないレベルの話なので、
18:08
時代の大阪弁というのもすごく魅力的だったなとは思います。
ということで今日は村山由加さんの初恋について話してみました。
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励みになります。
今日も最後まで聞いていただいてありがとうございました。
ではでは。
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