00:04
こんばんは、ゆうこです。
1時間ぐらいライブをやろうと思います。
今日は1月13日土曜日、夕方の5時を回ったところですね。
今週から仕事、今年の仕事を始めという方も多かったんじゃないかなと思いますが、
私は結構疲れましたね。
疲れましたね。
今、引き継ぎをしながら新しい仕事もやって、二重でやってるような感じなので、
とにかく頭がですね、フル回転しっぱなしで、その要因というか、歓声状態が続いてるなと思いますけども、
ちょっとクールダウンしないといけないですね、こういう時はね。
そして、今日はさっき配信で、川上ひろみさんの【なめらかで熱くて甘苦しくて】という本の感想を話したんですけれども、
本当に漠然とした話しかできなかったので、ちょっと今日はこのライブで、こぼれ話というのはやってみようかなと思います。
この本を読み始めたきっかけなんですけれども、村田沙耶香さんの【私が食べた本】という書評を読んだときに、
川上ひろみさんの【なめらかで熱くて甘苦しくて】という本を紹介されていて、非常にその紹介文が素晴らしくて、私の興味を引いたというかですね、読みたいと思ったので買ってみたんですよね。
で、村田沙耶香さんの書評から少し抜粋して、この本を説明してみようかなと思うんですけれども、まず【柔らかく形を変えていく性】
あ、ケアンさんこんばんは。私の声聞こえてますか?またミュートで喋ってないかな。大丈夫かな。
03:00
今日は川上ひろみさんの【なめらかで熱くて甘苦しくて】の感想こぼれ話をやろうと思ってます。
あ、聞こえてますよ。ありがとうございます。
村田沙耶香さん曰く、【柔らかく形を変えていく性】が描かれた本だというふうに説明されていて、
人生の一部としての性、生きると死ぬ、そしてそれが繰り返される長い時の流れの存在だというふうに説明から始まっています。
短編のタイトルは、アクア、テラ、アエラ、イグニス、ムンドゥス。これはすべてラテン語なんですよね。
アクアは水、テラは土、アエラは空気、イグニスは火、そしてムンドゥスは世界を意味します。
一番最初のアクアは水というタイトルなんですけれども、水々しい少女時代の性が描かれるということで、二人の女の子が出てくるんですけれども、
苗字は二人とも田中、一人は水面、もう一人は水際という女の子ですね。
一人は前世の記憶があるという少女で、二人が住む団地では、昔行方不明になった女の子がいる。
その女の子の記憶をどこか、その前世の記憶として持っている、そういうお話なんですけれども。
やっぱり感想を言うの難しいですね。
この二人が小学生の時に出会って、そこから成長していく時間軸で書かれた本なんですけれども、
その前世の記憶があったり、車宅で行方不明になった女の子の死、または自分が置かれた家族の環境、母親がどんどん病気がちになっていて、
車宅の他のお母さんとはなじまない母親から、一生懸命勉強をしろと言われ育って、褒めてもらえない私。
06:10
父親は他に女性を作って出て行ってしまい、母親が自殺密輸をする。
そこで少女は死に引き寄せられていくわけなんですけれども、母親の死に際して、母親が生きていてよかったと思うんですよね。
そして、車宅で亡くなった女の子のことを思って亡く、それが成長していくということ。
だから、そこにある死の誘惑の中で、少女が大人になっていく、そこから生と死の狭間で生きる少女の成長みたいなものが書かれているんですよね。
だからね、これはなんかね、やっぱりおとぎ話みたいでしたね。ちょっとホラーの要素もあるような、そんな感じでしたね。
2編目はですね、寺ですね。土がテーマなんですけれども、まずこれは鏡という大学生が死ぬところから、死んだところから始まるんですよ。
鏡と同じ大学の隣のアパートに住む澤田が、お葬式ってどうすればいいのかなと、この寺の語りをする人に聞くところから始まるんですけど、ここで語っているのが誰なのかっていうのがずっと明かされないままなんですよね。
語りは浅見という女性の語りなんですけれども、澤田と浅見の関係性がよくわからない。
澤田は鏡のお骨を引き取って、母大人に弔うために旅に出るわけなんですけれども、浅見はそれについていくんですよ。
その物語の間に、すごいね、生めかしい私とあなたという、2人が出てくる死のようなものが間に挟まれていくんですよね。
それは何を意味しているのか、その本編との関連性は、
09:05
あきやんさんこんばんは。
2回目。
本編と、間違えた?
おもろい。
おもろい。
この死と本編との関連性がどうなのかがよくわからない。
この死に出てくる私とあなたが、澤田と浅見、もしくは鏡の誰なのかっていうのもちょっとわからない。
死んだ鏡のような気もする。
この死に出てくる私は、細い白い糸で手首に紐を巻くんですよね。
結ぶわけです。
この紐が何かと私をつなぎ止めている、そんな象徴のような表現をされていくんですけど、何とつなぎ止めているのか、
単なるそういう壁の話なのかっていうのがちょっとわからないまま、物事が進んでいきます。
どんどん、澤田と浅見が鏡の骨を持って、母大寺にゆっくり旅をしていくわけなんですけれども、
その旅路の中で終着点に母大寺に近づいていけばいくほど、この死の内容がよりリアルさを増していくんですよね。
語りの私の感情が強く出てきて、すごくリアルな話をし始める。
そこで母大寺に濃厚通した後、一つの事実が明らかになるんですけれども、そこでこの物語のタイトルでもある寺、土ということの意味が最後、ここで、
なるほどなとなるんですよね。だからこれは、死をテーマにして、弔うとか、レクイエムのような話なわけですね。
人間の体を濃厚として弔うということと、魂を沈めるあるべきところに返すのか、解放するのか、ちょっと人によって表現はあると思いますけど、
12:18
そういうレクイエムのようなことが、絵の旅路みたいなものがこの寺という短編で表現されているかなと思います。
3編目のあやらはですね、水がテーマなんですけれども、これは出産の物語ですね。私がまず出てくるんですけれども、私は白者という、ひらがなで白者、おそらくこれ赤ちゃんのことを指してるんですけど、
白者を産んだ私の話が出てきます。出産のことにも触れているし、白者を産んで育てていく中での授乳だとか、そういったことがここまで描くのかっていうぐらいセキュララに描いてあって、
同じ女性としても、出産とか育児・授乳の語りをここまであからさまに言っちゃうのはちょっと読んでて恥ずかしいわっていうぐらいのことを書いてるんですよね。
ちょっとね、だからこの3編目のあやらを読んでいるときに、この母性とか女性とか出産、人を生み出す、生かすっていうことがテーマの話なんですけれども、ちょっと読んでいて恥ずかしくなるというか、すごくセキュララだし、
この子供を産み育てるという行為をこんな風に捉えるものなのかという驚き、あとはすごくある意味で違和感とちょっとした嫌悪感、でも言われてみると確かにそういうことなのかもしれないという
一方での納得感みたいなものがあって、読んでいて同じ経験をした身としてはちょっと気持ち悪い。ここまで言うのは気持ち悪いしちょっと恥ずかしい。
15:14
でもそういうことを表現するのが小説であり、なんか詩のようでもあると思いましたね。これはちょっと母親をやったことある人は読んでみてほしいなと思うんですけど、
これを村田沙耶香さんは面白がるというような表現をしているんですけれども、
出産による心と体の揺らぎ、そこから広がる世界すべてを面白がりながら肯定することができる、そういう力のある短編だというふうに書いてあるんですけど、なかなかそこの境地に行ける人いるかなと思いました。
私はちょっと無理、無理、無理、無理、無理と思いました。
ただ女性が、こういうのを言うのも恥ずかしいんだな私。だからね、やっぱり川上博美さんとか村田沙耶香さんの本を読みたいんだけど、なかなか私がうまく感想を言えないのはめっちゃ恥ずかしいからだと思いますね。
でも、すごい女性の根本的なところというか、真相真理にグサグサやるようなことを2人とも書かれるから、読まざるを得ないし引き寄せられるんだけど、それを感想として口にするのはやっぱ恥ずかしいんですね。
そうだ、いやちょっと恥ずかしくて感想が言えないという。
そして次のイグニスはですね、同棲している2人の話ですね。
一本道を歩きながら、今までのことを回想するようなシーンなんですけれども、時間の設定がですね、これは前後関係どうなのかなっていうのがよくわからなくなります。
18:08
何十年という大きな流れの中でのお話なんですけれども、それがね、どの時点で起きたことなのか、2人の関係は何なのか、誰と私の話なのかとか、その辺がね、すごく曖昧になっていきますね。
で、なんとなくなんですけれども、すごい昭和感があるお話で、懐かしさがあるというか、ギターの流しをやっている人とかの話も出てきてて、こういう点で私すごい円下だなと思ったんですけれども、
この短編では、今までの3編とは違ってですね、すごい内面の感情のような描写があまりなくなって、どういうことをやったみたいなことは、この時の流れの中で一本道を歩きながら振り返っていくみたいな、そんな話なんですけれども、
すごい壮大な物語を、一つの円下にしたような、なんかそんな話でしたね。円下って、最近、ヤシロアキさんの方に際して、ヤシロアキさんの歌の歌詞がよくインスタとかにも流れてきてたりしますけれども、
ツマミを炙ったイカでいいとか、そういう歌詞でしたっけ、すごい短く何かを説明したり、ポンと言ったことを被災して、すごくその情景だったり、2人の関係性みたいなのがふわーっと浮かび上がっていくのが円下で、
その中にある魂の叫びみたいなものが、声となって拳となって表現されていくのが円下なのかなと思うんですけど、そこには人生の喜びがあったり悲しみがあったり、両方あると思うんですけれども、
そういったことが表現されているようなお話、イグニスだったなと思いますね。
この短編のテーマは、男と女ですよね。そこにある生活と情欲みたいなものですね。
21:01
その男と女っていうのは、固定の2人がいるわけじゃなくて、人生の流れの中で出会ういろんな2人の話が、まるでたった1人の男とたった1人の女の話のように書かれている、そんな話でした。
最後のムンドゥスは、世界という意味のお話なんですけれども、これが一番よくわからなかったな。
それっていうのが出てくるんですよね。それ、itですね。
それと共に過ごす子供の一生が綴られているんですけれども、
家族のエピソードが途中であって、子供の一生を通じて、家族を通じて、いろんな世界を感じることができるんですけど、
やっぱりよくわからなかったな。ここはちょっと説明も難しいな。
どうやったらこんな小説が書けるんですかね。
川上博美さんの、なめらかで厚くて甘苦しくての文庫の解説を書かれている方。
もう自分では説明できないから、専門家の解説に頼ろうという、辻原さんという方が書かれているんですけど、この方も作家さんだと思うんですね。
この説明も専門的すぎて、レベルが高すぎて私にはちょっとついていけないんですが、ちょっとわかりやすいところまでいくと、この本は我々に施される冥府下りのレッスンと言ってもいい。
冥府は生と死の狭間にある。だから死に向かっていくレッスンだという話なんですかね。
24:07
エロスとタナトスの狭間、そこは我々も生きたまま参入できる時空であり、死者もまた死者でありながら参入して、聖者と交わることのできる世界である。
だからそうなんですよね。この短編のいくつかには、生きているのか死んでいるのかよくわからない人の語りが出てきたりしますね。
なんだろうな。私はこういう話はすごく苦手なはずなのに、なんでこんな一生懸命に読みたいと思ってしまうのか。話したいと思ってしまうのか。
川上博美さんがすごいなと、ただただ思いますね。でもまだ読めないんですよね。うまく感想を話せないし、読めてる気にもなれないですね。
けあんさん、短編集なのに濃いですね。そうなんですよね。すぐ読めましたよ、でも。2時間かからないぐらいで読めちゃいました。
読みやすいは読みやすいんですよね。すごく文章がきれいで、一つ一つの文章が短いので、主語とかがぐちゃぐちゃだから書かれてたりしないので、
これは誰の語りなんだとか、考え始めたら読めないんですけど、そういうのを取っ払って、ただ文章として流れるように読めていきますね。
でも後で振り返ってみると、どんな話だったっけ?ってなっちゃう。
27:01
村田沙耶香さんの書評を読み返したり、辻原さんの解説を読んだりして、そんな話なのかな?ってなっちゃう。
だから読書をして、こんなに記憶に残らないけど、その強烈な読書体験だけが残っている本っていう、珍しいんじゃないかなと思いますね。
そういうの好きかも。さすがですね。ほんとおすすめです。ぜひ読んでみてください。
辻原さん曰く、5編目の最後のムンデスは、川上博美の真骨頂だと書いてあります。
子供の衣装を家族誌の中に書き出し、カフカ、シュルツ、ディネーセン、コルタサル、マルケスでもなく、独特で、だが彼らのテーマとモチーフと論理を必ず一つは共有する一編だということで。
すごいチャレンジですよね。
わからないまま放置します。
わかる時が来るんですかね。いつか開講する時があるのかな。何十年後かに。
ギリシャ神話みたいでもあり、日本おとぎ話でもあり、演歌だなっていう印象なんですけど、演歌のよつよみたい。
4つ目のやつですね、イグニス。何なんだろうな。どんどんね、抽象的になっていきますよ。
物語として把握できたのは、最初のアクアとテラかなと思いますね。
私はテラは、テラなら行けるかなと思いました。行けるってなんだよ。
30:02
でも途中で出てくるね、死みたいなものがよくわからなかったんだよな。
これは多分、死んだ鏡の魂を、何かこの世にとどまらせてしまうというようなことを表現している気がするんだけど、それでいいのかなとかね。
そしてこのテラのいいところっていうのはですね、死んだ鏡のお骨を持って母大寺まで旅をしようとする隣のアパートに住む大学生の沢田。
沢田がね、すごくいいやつなんですよね。
川上博美さんのこの本に出てくるのってほとんど女性で、男性出てきてもなんかよくわかんないから、唯一出てくる男性でちょっといいやつ沢田みたいな。
沢田の好感度がすごい高まっちゃって、相対評価として。だからこのテラが一番読みやすいのかもしれないですかね。
そして読んでいて、この二人の母大寺までの旅路を割と想像しやすいというか、情景が浮かぶのもあって、それが浮かんだとしてもあんまり嫌じゃないというか、
なんか爽やかな大学生ならではの、お金のない大学生ならではの工夫とか爽やかさみたいなものも感じられるので、初心者向けなのかもしれないですね、このテラが一番。
詩の部分を除けばですね、わかりやすいんだと思いますね。
そしてけんあんさんが読みたいって言った縁家のやつ。縁家のやつって、私が勝手に縁家だって言ってるだけなんですけれども。
イグニスはですね、ちょっと大人のお話なんですね。おじさんとおばさんって感じですよね。
どこか懐かしさはあると思いますね。昭和の時代設定な気もすごいしますしね。
33:03
ここに出てくる男性、青木って言うんですけど、青木は勤めていたデパートが潰れて、
職を失ってからしばらくパチンコばかりしていて、就職したと思ったら種屋さん、種とか苗を売る店に勤めて、それは定年まで勤めたみたい。
で、語りをしている私は、おそらくホステスさんなんですよね。青木とは千葉の店で知り合ったとか、毎週水曜日に来るお客だった。
青木は眉が薄い。開いた頭の端に髪も薄い。
そんな説明ですね。炙ったイカは出てこない。炙ったイカは出てこない。でもあの語りがね、男と女とかね、そんなのですよね。
町にはギターの流しがいた。店主の主人は時々賑やかしに月曜日を頼んだ。流しが弾くのは待っている女か横浜黄昏だった。
実際ちょっと円下なエピソードも出てくるんですね。炙ったイカは出てこないですけど、焼き魚とか煮魚は出てきますね。
そしてね、犬が出てくるんですけれども、この犬がなんか噛みついたりするんですよ。
これは夢なのかリアルの話なのかが全然わかんないんですけど、すごい血が流れるとか、血が流れるとか、すごく血が流れるとか刺すとか刺されるみたいな話になっていて。
なんでこの男と女の間に犬が出てきて差し合う話になるのかはよくわかんなくて。
途中で、最後の方ですね。懐かしく思うことがまだある。
昔、男がいた。男は女で失敗して都落ちした。という伊勢物語のね、語りを現代語訳したものがいきなり途中から始まっていくんですよ。
でも青木はプレイボーイではないので、なんでここで伊勢物語が出てくるのかがちょっとよくわかんない。
36:08
でも、何なんだろう。本当何なんだろうな。本当何なんだろう。
でも最後の方はまたおとぎ話っぽくなっていくんですよ。
昔女と一緒に道を歩いていた。女は喉が渇いたと言った。泉があったので飲むかと女に聞いた。女はうなずいた。でも器がなかった。
手ですくって飲ませてやった。何なんだ、おとぎ話かってなっちゃう。
最後の方、その男は青木ではなくその女は私ではない。その男は青木でありその女は私である。どっちやねってなるんですけど。
だから、誰か特定の男と女の話をしているようで、それは特定の人ではないみたいなことを最後打ち消していくんですよね。
いや、読み返しているとちょっと疲れてきましたね。道なんですよ。道を歩いている。何十年かけてこの道を歩く話なんですよ。
何なんでしょうね。川上博美さんの書評集みたいなのがあったら読んでみたいですね。本人のインタビューとかあったら聞いてみたいですね。
どうやったらこんなことが思いつくんだろう。でも映画化されているお話は私結構好きなんですよ。
西野幸彦の恋と冒険っていうのは竹内豊さんが主役で映画化されてましたけど、あれはすごい好きなんですね。竹内豊さんが好きっていうのはめちゃくちゃ90%ぐらい好きの理由を占めてますけど。
あとは先生のカバーンですね。これは小泉恭子さんが演じてましたよね。これも映画良かったんですよね。そういうお話を書く川上博美さん。
三度目の恋はわりと物語として読みやすかったというかわかりやすく書いてくれた感がありますけど、この短編集はなかなか難しかったですね。これでもかというようなテーマを書いてるんでしょうけど。やっぱ恥ずかしいんだな。恥ずかしくて感想を口に出せない本のナンバーワン。
39:37
滑らかで熱くて甘苦しくて。配信でも話したんですけれども、熱くて甘苦しくてっていうのがどのあたりを言ってるのかもよくわかんなくて。
熱狂の中にそれはふっと気配を消す。人生の不思議と法上を描く魅惑の物語ってあるんですけど。熱狂ってあったっけなーとか気配を消すものはもういくつもあって、出たり消えたりいろんなものが出たり消えたり、ないと思っていたものがあったり、あるかなと思っていたものがやっぱりあったりするんですけど。
熱狂っていうのかな。ぬるま湯の中で読んでるような本だなと思いましたけどね。
何なんだろう、ずっと何なんだろうって言ってますけど。
いやほんと、みんなに読んでほしいですね。読んで、いやこういうことでしょって言ってくれる人がいたらすごく嬉しいかもしれない。
いややっぱちょっとわかんなかったね、だったらそうですよねってなるんですけど。
非常にね、困りましたね。村田沙耶香さんが好きなのもなんとなくわからんでもない、こういうの好きそうだなと思ったりもしました。
村田沙耶香さんの書評、私が食べた本から山田英美さんの学問と賢者の愛、金原ひとみさんの星へ落ちる、桐野夏夫さんの濁女を買いましたね、私は。
で、書評で書いてあった本で買ったもののうち、一番最初に読んだのが河上ひろみさんのなめらかで熱くて甘苦しくてだったんですけれども、
42:10
1冊目からもう迷路に迷い込んだというか迷宮入りになってしまったんで、この後の4冊どうすりゃいいんだという途方に暮れている状態です。
2023年は迷宮入りですよ。コナンですよコナン。
2023年はすごくいい本をたくさん読んだなと思っていて、でもそれは今の私がいいなと思える領所であったというのはもちろんそうだと思うんですけれども、
わかりやすい本を結構選んでいた可能性があって、レベル上げするには早いんじゃないかなぁなんて思ったりしてますね。
帰ってこれなくなりそうですね。そうなんですよね。
感想を話そうとしなければいいだけの話なのかもしれないです。
読語館とか読んでるその佐中はすごく楽しいので、読書体験自体はめちゃくちゃ良かったんですよね。
なんですけどその後ですよね。なんかこうやってスタイフで話してみようとか、どういう本だったっけなーってちょっと振り返ってみようみたいなことはちょっと難しかったですね。
滑らかで暑くて甘苦しくてはね。
うまく話せる人いるのかなぁと思ってスタイフの中を検索してみたんですけど、この本の感想を話している人いなくて、
第一号は私のあんな話でいいのかなぁなんて逆に思ってしまいました。
ぜひ教えてほしいですね私に。
わからないって言ってるゆう子さんの話を聞くのは結構好きですよ。
そうですか。じゃあいいか。需要があるんですね。
45:02
いやでもわからないことは知りたくなっちゃうのでね、私自身としては結構切実ですね今。
わからないものを見つけてしまったので、そう思いながら異邦人を目にすると、
異邦人はいろんなガイドというか補助線があるじゃないですか。
その研究されている方もいるし、解説している方もたくさんいるから、こっちの方がなんかまだ親切な気がしますね。
ちょっとね、2024年1月から読書の迷宮に迷い込んでしまいましたね。
ラビリンスですね。
ということで、1時間弱かな話してみましたけれども、
一生懸命こういう本のこととかね、考えている時間っていうのは悪くないなぁと思いますよね。
自分のことに気づくプロセスだったりもするし、
さっきも言いましたけど、いや私恥ずかしいんだな、こういうことを口にするのははばかられるんだなっていうのは改めて気づいたりですね。
日本人らしさっていうのがあるんですかね。
でも強烈に引き寄せられてしまうのは、やっぱり口には出せないけれども、最大の関心、テーマだったりするっていうことなんだろうなぁと思いますね。
あとは分からないものは分かるまでは、
分かるようになりたいみたいな、そういう気持ちがすごくあるので、
どうやったら河上博美さんが分かるようになっていくんだろう、仲良くなっていけるんだろうなぁなんて、すごく今、そのことを考えてますね。
村上春樹さんにはそういったことがあって、
自分のことを書いているなっていう気持ちがあるからかもしれないですね、河上博美さんの本はね。
2024のテーマは河上博美かもしれないですね。
放置できないんですね。
48:02
放置できないかもしれないですね。
ずっとこう、もやもやがどっかにあるかもしれないですね。
その河上博美さんをどっかで意識しつつ、いろんな本を読んでいくことに、
持ちできないかもしれないですね
ずっとこう
もやもやがどっかにあるかもしれないですね
その川上博美さんをどっかで意識しつつ
いろんな本を読んでいくことになるんじゃないかなって思います
だからすごくバイアスがかかっていくかもしれないですね
川上博美バイアスがかかった私の読書体験がこれから始まっていくのかもしれないですね
それは面白いな
それはそれで面白いかもしれないですね
フィルターがかかるっていうかね
面白い
よくわかんないもののフィルターをかけて
物事を見るとか読むとかそれもどういうことなんだって思ったりしますけどね
なんか比較したりはするんでしょうね
でもこうやって話しながらふと思うのは
私はプロの読書家でもないし
そのなんか習ったとかでもないし
仕事にしていきたいとか何にもなくもう本当に趣味というか
ライフワークの読書なんですけれども
なんでこんな一生懸命に読んだり話したりすんだろうな自分っていう
後で配信を聞き直してみてすごく滑稽ですね
何やってんだろうとか思いますね
あのそれはケアンさんと読書会をやるってなった時に
すごくこうらしょう文を何回も読んだりこうかなーかなーと考えたり
あの亀野伊宝寺もそうなんですけど
何をこんな一生懸命になってんだろうなとか思いますね
51:08
これが楽しんでいるっていうことなのかな
ちょっと変態ですよね変な人ですよね
と思いますね
うんちょっとわかる
よかった一人じゃなかった
そうですね
変態いいじゃないですか
そうですね
だからね私の配信を聞いてくださってる方っていうのは読書が好きな方が結構多いというか
その面白さみたいなものをそれぞれお持ちで
自分の楽しみ方を持ちつつ私の話も聞いてくれている人が多いのかなと思うんですけれど
みんなこんぐらい変態なのかなーとかちょっと気になりますけどね
当たり前ですけど人の考えていることってわからないのでね
自分の考えていることも今口にしていることが本当に本心かどうかってなんか
よくわかんない時ありますけれども
すごい曖昧なことを結局は言ってるんだろうなぁなんて思いますけれども
そんなことをずっと楽しんでるんでしょうね本を読んで
読んでいる時の感情とか
浮かんだことをそのまま口にしているわけでは絶対ないと思うので
時間の経過とか
その口に出すという
フィルターを通して取捨選別しているものがこうやって配信になっていくと思うので
そういう何かを抽出している作業っていうのもそれはそれで面白い
という
こんなことまで
思い浮かんだ
川上さんの本
すごいエネルギーを秘めた本だなぁと思いますね
影響力が半端ないですね
54:01
違法人が楽しみです
違法人もう私一回忘れ始めてるかもしれないです
時間が空いて話してみるときの面白さみたいなのがあんのかなぁなんて思ってるんですよね
あと1週間ありますけれども
そのくらいでちょうどいいですよ
面白くなりそうですね
違法人ね来週けんあんさんと
違法人ねカメの違法人の読書会やりましょうって言ってるので
あれも読んだんですかシーシュポスの神話
私まだこっちを読んでないんだよな
よっ
読んで
ない
すぐ寝ちゃいそうですね
すごいな
目次不条理な論章不条理と自殺不条理な壁
哲学上の自殺不条理な自由
不条理な人間
ドンファンの生き方
劇
制服
もう眠い
不条理な想像哲学と小説
キリーロフ明日を持たぬ想像
そして209ページにシーシュポスの神話
すごい付録はフランフフランツカフカの作品における希望と不条理
とにかく不条理がテーマなんですね
おやすみ
子守唄になっちゃう
なんかサイの瓦に出てくる鬼のような話なのかなと思いますけどね
シーシュポスの神話って
57:05
その辺の話が
読書会でできるといいかなと思います
ということで
1時間ぐらいになりましたので
今日のライブはこの辺で終わりにしたいなと思います
私にしては珍しく歯切れが悪すぎるというか
自分で言うのもなんですけど
なんかよくわかんないことを口にする配信っていうのは
あんまりなかったような気がするんですけど
私はこう感じましたぐらいは
毎回言えてたような気がしますけれども
こんなのもたまには良しとしたいなと思いますね
お疲れ様でした
ありがとうございますけんさん
また来週よろしくお願いします
私は今日この後バレーボールの練習の練習始めがありますので
夜体育館に行ってこようかなと思います
今日の夜はね結構冷え込んでると思いますので
皆さんも暖かくしてお過ごしください
よかったです
ありがとうございます
ということで他にも聞いていてくださった皆さん
どうもありがとうございました
今日はこの辺で終わりにしたいと思います
ありがとうございました
ではでは