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2024-01-31 23:07

読書ラジオ『ベスト・エッセイ2023』後編

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ベスト・エッセイ2023 https://amzn.asia/d/1Lta7Tc
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00:07
こんばんは、ゆうこです。このチャンネルでは、私の読書ログや日々の学びを音声配信しています。
今日は、ザ・ベストエッセイ2023ということで、今日が本当に正真正銘のラストの回になると思います。
前編中編と話してきまして、私がベストエッセイの中で付箋を貼ったエッセイというものを紹介してきまして、
本当はね、前回で終わりにする予定が思いのほか長く喋ってしまったので、残りの3つは次回ということで、後編3回に分けて配信することになってしまいました。
なんだか思わせぶりな、あれでちょっと心苦しいんですけれども、
今日お話しするのがラスト3つということで、その中に私の選んだこのベストエッセイの中で自分的な、私的ベストエッセイもあるということで、早速話していきたいと思います。
今日話すのはですね、藤沢秀先生の白紙の手帳というエッセイになります。
藤沢先生もエッセイを書かれるんですね。
もう書き出しからですね、背筋がシャキッと伸びるような思いで読みました。
りんりんたる古風、自ら誇らず、なるほど、前週の語録から抜き出された言葉は腹がすわっていて思わず背筋が伸びる。
あるいは誰もがお馴染みの病状心これどう、いずれも心と丹田を鍛え上げた末の禅語は、高く悟って俗世間に生きる者の志言と拝察致す。
ということで、ははーっていう感じのありがたいお経のような書き出しですけれどもね、こんなエッセイもあるんだなと思いましたね。
病状心これどうというのはいろんな読み方があるそうなんですけれども、藤沢先生誰もがお馴染みのと頭につけてますが、私は知りませんでしたね。
勉強不足で、トップがいない。
剣道される方はね、この言葉が手拭いに書いてあったりするみたいですね。
知っている人は知っている、藤沢先生。
一つ訂正申し上げたいなと思うところでございました。
でですね、これが数年前の藤沢先生の手帳の一番最初のページに記されていたそうなんですよ。
それをですね、ご本人は何を持ってかような恐れ多い言葉を書き写し、念書に気合を入れていたのか、自分で自分を突っ込むという可愛げまで表現されているんですね。
03:12
本当にさすがこのバランス感覚。
ずっと第一線で大人気の作家さんを長年されている方は違いますね。
先生はですね、毎年毎年手帳を買って、よし今年こそは年年の抱負を書いちゃうタイプの人らしいんですよね。
すごく可愛いですよね。
途中になると、なんでこんなこと書いちゃったんだろうとかね、ちょっとデヘッてなるぐらいの笑っちゃうそうなんですけれども、
それでも毎年また手帳買って、今年の抱負みたいなのを書いちゃうと。
そんな可愛らしい先生なんですけれども、
ここ数年ほどは何も書いてないのである。
なんでだろうなってことで、コロナで帰省もできない自粛の日々だったので、
内省をする日々を過ごしていたわけだから、余計にそういう言葉を書き込んでもいいはずなんだけど、
全く白紙でね、なんかわけわかんない。
画状追加とかね、腰腹筋みたいなわけのわからない三末な事柄がチャラチャラメモってあるだけなのだ、みたいなこと言って。
それをね、ご本人はね、要するに面倒になったって言うんですよね。
すごく素直な方なんだなと思って。
どんどん藤沢先生のことが好きになりますね。
でもね、これだけじゃ終わらないんです。
ただ、書かないがゆえに思い続けるということもあるということで先生おっしゃるんですよね。
心の底で静かに自分を動かすものを感じ、
時にその面が涙ったり泣いたりして、言葉いせんの無意識の景色を覗くことがある。
もうそれで十分ではないか。
いやーもう、なんかね、みんな思い当たることありますよね。
手帳買って意気込んで書いてみたらいいものの、2週間くらい経つともう全くそのこと忘れちゃってね。
メモみたいなことを手帳に書いちゃう。
で、懲りずにまた来年同じことをしちゃうみたいな。
でも先生はね、もうそれで十分ではないかと言ってのけるわけです。
で、抱負だとか目標とかあれもこれももっともっとっていうのは若い頃ならありだろうし、
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でも自分はね、削っていく年代に入ってきたのかなとも思う。
そして何かやろうとする時には無心のくらいにて我が心をも我にも隠すという、
ずやみくらいの思いが勧佑かなんてね、いうわけですよね。
いやー素晴らしい。
もうなんかこのエッセイを読めただけでね、このベストエッセイ買った以上の価値があるなぁなんて思いましたね。
素晴らしい文章。
本当にあの星座してね、あの読んじゃうぐらいの、
茶化してないです。茶化、全然茶化してないんです。
本当にそう思うぐらいの素晴らしいエッセイだったな。
あのシャキッとなるだけじゃなくてね、可愛げもあるというそのバランス感覚に脱合というかですね、恐れ入りましたという藤沢秀さんのエッセイでした。
そしてこの編参院でもある堀江俊幸さんのエッセイですね。
タイトルは嘘でもいいから。
書き出しはですね、この2年ほどの空白と11年前の空白を二重露出のように重ねてしまうことがあるということで、
この2年ほどの空白っていうのはコロナのことでしょうね。
11年前の空白っていうのはおそらく東日本大震災のことなんだろうなと思うんですよね。
そしてその人々は、その天災と人災が連鎖した後、それが理論的にまた状況的に最良の判断かどうかっていうのを確認するよりも、
前に倫理的な判断を優先させて、街の火を落としたということで、冷静にコロナの蔓延を防ぐための行動として、
自粛というものが論理的に最良の判断なのかっていうのを判断するより前に、
お店の看板とかもね、どんどん消えていって、
そして東日本大震災の時もそうでしたよね。電力の消費っていうのを抑えるために、
電力の消費というのを抑えるために、
明るさっていうのは、活動の印であって、暗ければ明るい、明るいと、
明るさというのは、活動の印であって、暗ければ明るいと、
明るいと、
いわゆる、
というのも、言われてみれば、そんな記憶もあるなぁと思うところです で、明るさっていうのは活動の印であって
09:10
暗ければその活動を閉じているという、そんな感覚は確かにある
それでも暗さへの、もしくは過度にならない明るさへの神話っていうのは、自分の中にぶれない軸としてあると、堀江さんはおっしゃるわけですよね
で、その、もう世界は元に戻らないんじゃないかなって語っている人が
少なからずいた中で、それでも時が過ぎれば何事もなかったかのように、時計の針をそのことが起きる以前の時間に合わせる
そんな場面にも何度も出くわしたと、なかったかのように、また時計の針を進ませるみたいなこともあって
そういう場面に出かわすたびに、何だったんだろうという思いになってしまうと
堀江さんの文章っていうのはね、結構難解ですね
だから、何回か読まないと何を言っているのかわからなかったりしました
でもですね、あの
10代の頃、日曜日の夜にテレビで映画の解説をしていた人の
私はまだかつて嫌いな人に会ったことがないという本を手に取って
大変な宣言であると感じたことがあるという話を最後されるわけです
わけ隔てなく人と会って、自分に好意を寄せていなかった人もその魅力で老落してしまうのか
もしくは自分のところには好意を持ってくれている人しか近づいてこないと感じているのか
そんなことに思いを馳せながら
会いたい人を選ぶなどという発想とは全く無縁で
生きていた自分自身がこんなことを考えてしまっているのは
コロナという未知のウイルスのせいだとか
負の現状復帰をそしらぬ顔で提示する
なかったことにする狭い世間のせいでもなく
単に自分が人として堕落したからに過ぎないんだろうというふうに今反省をされるわけですよね
新たな厄災だとか新たな混乱に見舞われる前に
私はまだかつて嫌いな人に会ったことがないと嘘でもいいから
言える強さを身につけておきたい
ぶれない強さを持っていたいということを宣言されるわけですね
12:04
すごい思考回路の方だなと思ったんですよね
その明るさ暗さというものが活動の証であって
ただ明るければいいってものでもなくて
この暗さっていうものにどこか落ち着いている
暗度の念というものも感じていた
それでも全く暗いっていうことじゃなくて
ある程度の明るさというものは求めている自分がいて
ただそれは明るい暗いというのは例えであって
11年前も今も私たちに求めていたのは
平時の暮らしに戻りたいとか
現状復帰したいって言った時に
その本質は何だったのかっていうのを見つめ直すことだったのではないか
みたいなことに問いを投げかけるわけですよね
そこまでがすごい思考回路ですよね
そんなことを考えて書くまでの間に
何分ぐらいで書けるんだろうなと
そんなことに感心してしまいましたね
自由に人と会うことができない状況の中で
そんなに人と会わなくても大丈夫な自分でも
ただ話がしたいとか顔を見て生の声を聞いて
自分の人生を変わしたいと思うようになったんだけど
その平時に戻るという世の中の揺り戻しが
自分にとって人に会うということがどういう意味を持っていたのかという
根本的な問い直しを迫ったことでもあったと
そんなことを思われるわけです
すごい脳みそだなと思いましたね
すごいなと感覚いたしましたというエッセイでした
堀江俊幸さんの書かれた本はもっと読みたいなと思いましたね
ちょっと脳みそついていけないんじゃないかなと思うんですけれども
だからこそチャレンジしたいななんて思いました
ということで堀江俊幸さんの
嘘でもいいからというエッセイでした
そして本当に大変長らくお待たせいたしました
私が選んだザベストエッセイ23の中の
私好きベストエッセイはですね
三浦詩音さんの
親父ギャグの道理というエッセイでした
すごいですね
今日藤沢秀先生と堀江俊幸先生の
15:02
すごく大真面目な
エッセイを紹介しておいて最後
親父ギャグの道理というエッセイが
ベストオブベストでしたって言っちゃうっていう
このエッセイはですね本当に笑いました
こういう面白い場面に出会えるっていう
三浦詩音さんのね
出会いのスキルみたいなものすごいし
それをね言葉にしちゃうっていうね
天性というかね天才なのかななんて思いましたね
どんな話かというと
タイトル親父ギャグの道理ですからね
近所の店で夕飯を食べていたら
4人連れのおじさんグループの会話が耳に入ってきた
まず先に入っていたおじさんグループのところに
遅れてもう一人のおじさんが到着して
座っていたテーブルは満席だったので
隣のテーブルを引き寄せ始めたんですって
待ってたよーつってテーブルくっつけようって言ったら
遅れてやってきたおじさん
いいんだいいんだぴったりくっつけなくてとか言って
一つ離れたテーブルの席に座ったんですよ
三浦潮さんはコロナ対策かなって思ったそうなんですよね
もともといた仲間のおじさんも
なんで寂しいじゃねえかとかけげえそうに言うわけですよ
そしたらですねこの後から来たおじさんが
テーブルをくっつけない理由を述べたそうなんです
それはですね
わかる人いますか?
この理由はですね
このおじさん曰く
ほらおしっこにちょくちょく行かなきゃなんねえから
通路空いてた方がいいだろう
執行猶予だって言ったらしいんですよ
本当に
下ネタの親父ギャグでね
最悪なんですけど
うまいこと言うなと思いましたね
もう一回言うと
ほらおしっこにちょくちょく行かなきゃなんねえから
通路空いてた方がいいだろう
執行猶予だって言う
周りのおじさんもうまいこと言うねえ
道理だ道理だって言って
感心して納得する仲間のおじさんたち
三浦志雄さんも
執行猶予
おじさんまじでうまいこと言うと
不覚にも吹き出してしまったし
三浦志雄さんもね
官暦にはまだ間があるとはいえ
最近貧乳になってきたみんなので
道理だ道理だと
自分もうなずくしかなかったと
本物の親父ギャグのきらめきに
18:01
静かにシャポを脱いだということで
そこからですね
人はなぜ親父ギャグを言ってしまうのか
ということを分析されているんですよ
それは30歳ぐらいの時からずっと考えてきたっていう
本当か嘘かわからない話を持ち出されるんですね
その理由っていうのはもう二つだろうと
一つは年齢が上がるにつれ
蓄積される語尾が増えてしまうので
同音異義語を次々に思い浮かびやすくなる
さっきの例で言うと
執行と執行っていうね
二つ目の理由は年齢が上がるにつれ
喉の筋力が弱まってしまう
そのため若者ならば
同音異義語を連想したとしても
これ言ったら惹かれるなと思って
ぐっと思いとどまれるんだけど
中年以降になると
飲み下すことができず
そのまま口に出してしまう
つらい、つらすぎる原因だということでね
でも三浦飛雄さんもね
今後は私もヒロキなって
友人とご飯を食べる時はね
フォーメーション執行猶予と宣言して
テーブルをくっつけない形で
ご飯食べようと思ったということでね
いやー面白いですね
でですね
おじさんたちにとって親父ギャグは
受けとか惹かれるかもとかを
云々するものではなくて
もはや挨拶だとか等級練習に等しい
日常に組み込まれたルーティンであり
それを通して互いの体調や気分を押し量る
対応系みたいなものなんだなと思ったということで
私もおじさんたちを見習って
官暦になっても
友達とアホなこと言い合えるように
風通しのいい間柄を保ち
今から肩をほぐしておこうと思ったのだ
ということですね
途中ね、その等級練習だとか
肩をほぐしておこうと思ったって書いてありますけど
私が説明をはしょったところに
親父ギャグの応酬を
等級練習をするピッチャーとキャッチャーのミットで
なんなく球を受け止めて
そういうキャッチボールのたとえがあって
こうやって野球でたとえるという昭和感を出してしまったということで
自分で突っ込んでたりするんですけどね
本当に天性の明るさというかですね
これだけ笑えるエッセイっていうのは
なかなかないんじゃないかなと思って
特にこのベストエッセイはですね
21:00
去年、アントニオ・イノキさんが亡くなった年でもあったので
アントニオ・イノキさんの死を悼むお話だったりとか
あとは西村健太さんが亡くなられた
そういったことだったり
コロナとか
そういう少し悲しいお話
人間の精神に関わるような
エッセイを書かれる人が多い中で
三浦詩音さんはですね
のびのびと下ネタの親父ギャグを題材にして
エッセイを書かれて
それが見事このベストエッセイに掲載されているというね
そののびやかさに私は
このベストエッセイの中の
ベストオブベスト
として自分の中でね
ナンバーワンだということで選んでしまいました
ということで長々と話してきましたが
私的ザベストエッセイ2023のベストは
三浦詩音さんのエッセイ親父ギャグの通りでした
きっとね皆さんもこのベストエッセイ読んでいただければ
自分の好きなエッセイストや
面白いなと思うエッセイにいくつも出会えると思います
ぜひ手に取って読んでみてほしいなと思いました
そしてラストの回もね長く話してしまいましたが
どうかあの私の熱量のなせる技ということで
ご容赦いただけたらなと思います
ということで今日はザベストエッセイ2023後編
最終回ということでお話ししてみました
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今日も最後まで聞いていただいてありがとうございました
ではでは
23:07

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