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2024-05-03 12:59

読書ラジオ『春宵十話』岡潔

いつも聴いていただきありがとうございます。

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春宵十話 随筆集/数学者が綴る人生1 (光文社文庫) https://amzn.asia/d/eI5mMD1
(配信の冒頭部分は本の説明文・あらすじを読み上げています。)

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00:05
こんばんは、ゆうこです。
このチャンネルでは、私の読書録や日々の学びを音声配信しています。
今日は、岡潔さんの春宵十話について話してみようと思います。
数学は論理的な学問であると私たちは感じている。
しかるに、岡潔は、「大切なのは情緒であるという。人の中心は情緒だから、それを健全に育てなければ数学もわからないのだ。」と。
さらに、「情操を深めるために人の成熟は遅ければ遅いほど良い。」とも。
幼児からの受験勉強、学級崩壊など、昨今の教育問題にも本質的に応える普遍性。
大数学者の人間論、待望の復刊。
岡潔さんは、1901年大阪市生まれ、京都帝国大学卒業。
その後フランスに留学し、生涯の研究課題となる大変数解析関数論に出会う。
往年、その分野における難題、三大問題に解決を与えた。
49年、奈良女子大学教授に就任。
60年、文化勲章を受賞。
63年に毎日出版文化賞を受賞した本書。
春章10話をはじめ、多くの随筆を残した。
78年没という。
50年まだ経ってないんですね。
なので、青空文庫にはまだね、岡さんの書かれた作品っていうのは出てないんですけれども、
青空文庫に出たら朗読したいななんて思っています。
岡清さんっていう方はですね、
ネットで岡清って検索していただくと写真が出てくると思いますが、
すごく特徴的なのはね、頭が大きい人なんですね。
前頭腰から後頭部にかけて、
人の頭2つ分ぐらいがね、
なんか顔と後頭部で2つ分ぐらいの大きさかなと思いますね。
すごい痩せてる方でひょろーっとした体格で、
頭だけがね、縦ににょきっと伸びていて、
後頭部も後ろにもりーっと出てるっていうね。
今ワンピースであのペガパンクの回やってますけれども、
ペガパンクに似てるなぁなんて私は思いましたね。
なので天才って感じですね。風貌からしてもね。
相当、脳が発達されている方なんじゃないかなと思います。
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春暑十話の春暑というのはですね、
春の宵と書いて春暑と読みます。
春暑一刻値千金っていう言葉もあるんですけれども、
春の夕暮れ、夜の口あたりはとても過ごしやすくて優雅な時間である。
値千金に値するという意味ですね。春暑十話。
まあなんとも文学的な響きのタイトルがついた随筆なんですけれども、
この春暑十話という公文書文庫の本を読んだんですけれども、
春暑十話には十篇ありまして、
人の情緒と教育、情緒が頭をつくる、数学の思い出、数学への踏切、
フランス留学と親友、発見の鋭い喜び、宗教と数学、学を楽しむ、
情操と智力の光、自然に従う。
1、2、3、4、5、6、7、8、10。
十篇入っていて、これが春暑十話。
その後、宗教について、日本人と直感、日本的情緒、無差別地など、
細々と書いてあるんですね。
これはですね、好き嫌い相当分かれるんじゃないかなと思います。
このおっちゃん何言ってんねんって思う人は、相当最初の方でね、
アレルギー反応を起こすだろうし、私なんかはね、こういうの大好きなんですよね。
なんかすごい読めるなぁと思って読んでたんですけど、
序盤の方にですね、岡清さんが、「芥川龍之介が好きだ。」みたいなくだりが出てきて、
その後も何度も芥川龍之介だとか松尾芭蕉の話が出てくるんですね。
あと夏目漱石も好きだって言ってたかな。
だから、私好きな界隈の人なんだなんて思いましたね。
面白いのはですね、
頭で学問をするものだという一般の観念に対して、
私は本当は情緒が中心になっていると言いたい。
人には交換神経系統と副交換神経系統がある。
交換神経系統が主に動いているときは、
数学の研究ではじわじわと少しずつある目標に詰め寄っているとき。
副交換神経系統が主に働いているときは、
情緒に乗ってどんどん書き進むことができる。
そのバランスが保っているときはいいかもしれないが、
副交換神経系統が調子に乗ってどんどん書き進んでいっちゃうと、
胃腸の動きが速すぎて下痢をするなんてね。
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大腸に解養ができることに繋がってしまうなんて言ってますね。
感情に不調和が起こると下痢をするというが、
本当は情緒の中心が実在し、
それが体全体の中心になっているのではないか。
そんな風に言うんですね、岡木よしさんは。
岡木よしさんの本を読んでて思うのは、
この人は脳の働きと身体的な症状、
あとは本当に心がどこにあるのかっていう話はちょっと置いておいたとして、
その心の動きみたいな、
心と言えるか情緒なのか直感なのか、
そういったもののバランスを常に身体的に、
感覚的に感じ取っている人だということです。
ウィキペディアでね、逸話としてあったのは、
岡木よしさんは朝目覚めた時に、
今日は当たりの日なのか外れの日なのか、
必ずどっちかを選択して、
今日は当たりの日だと思ったら、
一生懸命数学の研究を進めて、
外れの日は何もしないでゆっくり過ごす、
みたいな、そんな過ごし方をされていたそうなんですよね。
で、当たり外れの基準っていうのは、
先ほどの腹交換神経の働きなんじゃないかと思いますけれども、
非常に理論的に、
数学っていうのは正確に理論的に進めるものである、
答えがある学問が数学だ、みたいなことを言いますけど、
岡木よしさんの本を読んでいると、
どうもそうではないなというふうに思えてきますね。
物事っていうのは常に定まるということは難しいものなんですけれども、
それのバランスをとっていく、
調和する部分がどこなのかというのを、
仮説を立てて解き明かしていくみたいな、
それが岡さんの勧めた数学のアプローチなんじゃないかな、
なんて思いますし、
この人の生き方そのものが、
そんな風であったのかもしれないなというふうに思います。
この本には数学のことが語られているというよりかは、
脳の動き、情緒、あとは無差別地みたいなことでね、
宗教のことにも語られますし、
どうも先日見ると、
日本人の精神とか、
アイデンティティのようなものにもつながっているような気がします。
例えば、文化の型を西洋流と東洋流の2つに分ければ、
西洋の主にインスピレーションを中心にしている。
09:00
例えば、新薬聖書がインスピレーションを主にしていることは、
芥川龍之介の西方の人を見ればよくわかる。
これに対して東方は上層が主になっている。
木に例えると、インスピレーション型は花の咲く木で、
上層型は大木に似ている。
上層が深まれば境地が進む。
これが東洋的文化で、
漱石でも西田育太郎先生でも老年に至るほど境地が咲いていた。
芥川龍之介は西洋風であり、
その作品というのは常にインスピレーションが働くものであったと。
夏目浮漱石というのは東洋流であって、
常に上層が成熟されていく過程で生まれたのが、
その時々の作品である、なんていう風にお母さんは分析するわけです。
何のこっちゃ意味わからへんっていう感じはあるんですけれども、
私はこんなのが大好きでですね、
一度読んだだけでは、わかったとは言い難いんですけれども、
折に触れてこの本を読み返したいなと思いますし、
岡清志さんが面白いと言っていた芥川龍之介や夏目漱石の本、
まだ読んだことないものが含まれていたので、
読んでみようかななんて思いますね。
やっぱり読書をしていて面白いのはまさにそういうところだと思います。
一人の作家の作品を読んだ時に、
そこから先に広がっていく読書の世界、
あれも読まなきゃ、これも読まなきゃ、なんて思うんですけれども、
そうやって読んでいった先に、
一滴が空いてパッと振り返ってみれば、
やっぱり自分の好きな本とか作家っていうのは、
なんとなくまとまりがあるように思えてくる。
ある日、自分の好きな作家の作品を読んでいると、
そこにまた別の自分の好きな作家の作品が載っていたりすると、
めちゃくちゃ嬉しいんですね。
こんな瞬間に出会うためにコツコツと読書をしているのかもしれないなって思うぐらい、
本当に嬉しい瞬間だったりします。
岡清さんっていうのはね、
もう今となっては、なんで読もうと思ったか思い出せないんですけれども、
岡清の春暑十話の中で、
芥川龍之介だとか、夏目漱石と出会えたっていうことがすごく嬉しくて、
また、一回読んだだけではわからない、
何度も読みたいと思う、
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何度も読みたいと思う本と出会えたっていうことがまた別の喜びとしてあってですね、
すごく満足した読書時間でした。
50年ね、
亡くなられてから50年経たれると青空文庫に出てくるようになると思いますから、
その時に私がこのスタイフをやっていればですけれども、
朗読したいなあなって思います。
ということで今日は、春暑十話岡清さんの本について話してみました。
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今日も最後まで聞いていただいてありがとうございました。
ではでは。
12:59

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