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2024-03-03 23:58

読書ラジオ『1973年のピンボール』村上春樹

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1973年のピンボール (講談社文庫) [amazon]
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こんばんは、ゆうこです。このチャンネルでは私の読書録や日々の学びを音声配信しています。今日は村上春樹さんの1973年のピンボールという小説について話してみようと思います。
さようならスリーフリッパーのスペースシップ さようならジェイスパー 双子の姉妹との僕との日々 女のぬくもりに沈むネズミの渇き やがてくる一つの季節の終わり
デビュー作 風の歌を聴けで爽やかに80年代の文学を開いた記書が ほろ苦い青春を描く3部作のうち大いなる予感に満ちた第2弾
この小説にも僕とネズミが出てきますね。なので風の歌を聴けの 続きの物語のようにも思えるかなぁというところですが、そこは明確になってないのでね
そうかもしれないしそうじゃないかもしれないものとして読んでいくのがいいのかなと思います。 風の歌を聴けより私はこっちの方が好きですね
もうかれこれ1週間以上この 1973年のピンボールを繰り返し読み
こうかなぁかなぁなんて考える 時間を過ごしておりました
それぐらい面白かったですね 今まで読んだ村上春樹の作品の中で私はこれが一番好きかもしれない
ピンボールですね ピンボールっていうのはですね昔のあのゲームマシーンですね
フリッパーっていうこう 弾く棒みたいなものがあってそれで弾を飛ばして点数を競う
そんなゲームですね 昔懐かしのゲームなのかなと
私は実物を見たことがないですけれどもね あのバーとかに置いてあるところもあるようです
ここで出てくるピンボールっていうのはですね あるあらすじにもありましたけれども
スリーフリッパーのスペースシップっていう スリーフリッパーのスペースシップっていうのは実際に実在するピンボールらしいんですけれども
このスリーフリッパーのスペースシップっていうのはですね この小説で出てくる1970年
僕とネズミがジェイズバーでビールを飲み続けていた頃 ジェイズバーにあった台のことを言います
当時としては珍しいスリーフリッパーというモデルで フィールドが上と下に分かれて上に1枚下に2枚のフリッパーが付いている
ということで 良き時代の昔懐かしのモデルであるということですね
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このギルト社っていうところが作ったとされているんですけれども 実在はしないみたいですね
なのでスペースシップというピンボールはあるが それを開発した会社は架空ということで
風の時にもハートフィールドという架空の小説家が出てきましたけれども ここでも架空のピンボールのギルバート&サンズですね
というピンボールマシンメーカーが出てきたりします これはピンボールについての小説であると
この小説の中にも書かれているくらい タイトルにもなっているくらいピンボールの話が結構3分の1を占めるくらいなのかなと思いますけれども
ピンボール研究所ボーナスライトの序文はこのように語っているという一文があって これも実際あるのかないのか怪しいところですけれども
あなたがピンボールマシーンから得るものはほとんど何もない 数値に置き換えられたプライドだけだ
損なうものは実にいっぱいある 取り返すことのできぬ貴重な時間だという
あなたがピンボールマシンの前で孤独な消耗を続けている間に あるものはブルースと読み続けているかもしれない
またあるものはドライブインシアターでガールフレンドと勇気ある追跡を眺めながら ヘビーペッティングに励んでいるかもしれない
そして彼らは時代を洞察する作家となりあるいは幸せな夫婦となるかもしれない しかしピンボールマシーンはあなたをどこにも連れて行きはしない
そんな言葉が書いてあるということ もしあなたが自己表現やエゴの拡大や分析を目指せばあなたはテイルトランプ
反則ランプによって容赦なき報復を受けるだろう ハバナイスゲーム 良きゲームを祈るというふうにこの研究書に書いてあるとこの小説の中では
序文に書かれているんですけれども あのこのピンボールやることによってあなたが得るものは何もないが時間を貴重な時間を損なう
というのはこの後ピンボールにはまって一度はそのピンボールから 離れることを余儀なくされた僕が
また再びピンボールを探してそれに出会うというその時間ですね歳月に対する アンチテーゼというかそれは何の意味もない
なさない行為なんだということを 予言しているような条文で始まるこの小説になります
舞台は1969年から73年の4年間 僕とネズミは実在この小説の中では
それぞれ別の人格として実在する700キロ離れた場所に住んでいる これは僕のお話でもありネズミの話でもあるというふうにされていて
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風邪の時には僕とネズミって 同一人物の別人格なのかなという雰囲気もありましたけれども
この小説では別戸の人間として別れているような表現をされています
1960年の春僕とナオコが20歳 ナオコというのは当時の僕の恋人ですね
で僕はこの翌年にナオコと別れ ジェイズバーのピンボールにはまり
その冬に新宿のゲームセンターのピンボールで高得点を稼いでいた そしてその年の5月
ナオコが思い出として語った地元の駅のプラットフォームにいる犬を見に行き ここでナオコは死んだというエピソードが出てきます
なぜ死んだのかとかそういったところは語られないんですけれども 恋人と別れたその時にもう何も欲しがるまいと思ったというような
エピソードが出てきます そして一方ネズミの方はですね
1970年のことを大学を辞めた春と言っていて この時一つの季節が死んだと言っています
ここでこの小説でめちゃ気になる表現の一つでもある こんな一文が出てきます
ネズミが大学を去ったのにはもちろんいくつかの理由があった そのいくつかの理由が複雑に絡み合ったままある温度に達した時
音を立ててヒューズが飛んだ そしてあるものは残りあるものは弾き飛ばされあるものは死んだとあります
このあるものは残り残ったのは僕でありあるものは弾き飛ばされ弾き飛ばされたのはネズミ あるものは死んだ死んだのはナオコなのかなという
まあこれもですねまぁ思わせぶりな表現であって はっきりそうと書いてないんですけれどもそうなのかなというふうに読み取れますね
そこから大学を辞めた春から3年間 ネズミは死んだロープを手にしたまま
薄暗い闇の中を彷徨っているという 自分の居場所が見つからないような3年間を過ごしていると書いてあります
そして1973年の9月この小説が始まるということでここから物語が動き出すんです よね
僕の方はいろんな出来事が起きるんですけれども ほぼすべて何かの比喩表現というかメタファーのことを指しているんだろうなというようなエピソードですね
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例えば 突然家にやってきた双子
灰電板 ゴルフ場ロストボール砂場
セーターのほころびそして最大のメタファーであるピンボール こういったものを取り巻く僕の物語1973年の秋から11月まで
2ヶ月間の僕のエピソードと 交差はしないんですけれども700キロ離れたネズミも同じように時間を過ごします
ネズミはですね J'sバーに通い女と出会い
レーンの近くの林の中にドライブに行き そして25歳のネズミは眠れない
考えろ
そして街を出る決心をする そんなところでこの2ヶ月間を過ごしていきます
この間どういうことがあったのかっていうのはぜひ読んでほしいんですけれども そしてまぁクライマックスですよね僕は
ある時 ピンボールが呼んでいるように思えるんですね
1970年に J'sバーで初めてピンボールに触り その年の冬新宿のゲームセンターでピンボールにはまり
高得点を叩き出したところでそのゲームセンターは なくなってしまったそこからピンボールのことは忘れていたんですけれども
1973年の秋にどうしてもピンボールが頭から離れない 自分を呼んでいるような気がする
そしてピンボール探しの旅に出るわけです 旅というかですね
実際はピンボールに詳しいスペイン語の大学教師と出会い 1970年代にはまった新宿のゲームセンターのピンボールの行方を知りたいんだということを
言って そのスペイン語教師に探すのを手伝ってもらう
そして見つけた 養鶏場の冷凍倉庫に格納されている約50台のピンボールがあると
いうことで秋の11月ですね 連休明けの水曜日にその倉庫に向かうという
あります なんでこのピンボールをですね僕が必死になって探したのか
それはですねピンボールのことを 思うこのセリフで少し想像がつくのかなと思います
スリーフリッパーのスペースシップ彼女は素晴らしかった 僕だけが彼女を理解し彼女だけが僕を理解した
このスペースシップピンボールのことを彼女と言っているわけですね そしてもう少し
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進めていくとこんなセリフが出てきます あなたのせいじゃないと彼女は言ったそして何度も首を振った
あなたは悪くなんかないのよ精一杯やったじゃない 違うと僕は言う左のフリッパータップトランスは9番ターゲット違うんだ
僕は何一つできなかった指一本動かせなかったでもやろうと思えばできたんだ 人にできることはとても限られたことなのよと彼女は言う
そうかもしれないと僕は言うでも何一つ終わっちゃいない いつまでもきっと同じなんだ
リターンレーントラップキックアウトホールリバウンドハンギング6番ターゲット ボーナスライト
121150終わったのよ何もかもと彼女は言う こんなセリフが出てくるんですよね
途中で出てくるあなたのせいじゃないあなたなんか悪くない 違う僕は何一つできなかったという下りはもしかしたら僕と
何個の中で繰り広げられた問答なのかもしれないなと そんなことを想像させます
そして年が明けた2月彼女は消えたということで新宿のゲームセンターが 取り壊されて
ドーナツショップに変わった時にこの彼女と言っている3フリッパーのスペース シップとの交流が僕の中で完全に途絶えた
これはなおこの市から1年後年が明けた2月のことなんですよね それから3年後の秋にこの3フリッパーが僕を呼んでいる気がして話
探し始めると そんな流れになります
そして先ほど説明した通り元養鶏場の冷凍倉庫に そのピンボールを集集する
そういう趣味を持っている誰かの倉庫に探している3フリッパーのスペースシップが あるかもしれないということで僕は探しに行くんですよね
そこでその3フリッパーを見つけた時 スペースシップを見つけた時にもやっぱりこの僕と彼女はですね
会話をするんですよね その会話はちょっと
読んでみてほしいんですけれどもここで僕の
3フリッパーのスペースシップを探す小さな旅が終わり この小説の1973年の終わりを迎えるということで終盤に向かっていく
僕の物語はこんな終わり方を迎えます 一方ネズミですね
ネズミは自分の寂しさや孤独、渇きを埋めるように 海沿いに住む女との関係、週に1回出会う
会いに行くという関係にはまっていきます ただ
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ネズミはですねここから自分がこう 街を出ていかないといけない、出ていこうということを決めるんですよね
そのタイミングでこの女との関係も断ち切ることを決断します そして3日間
J's Barに通ってJに街を出ていくということを伝えようとするんですけれど 3日間言えなかった
そんな下りが出てきます この3日通って3日言えなかったっていうのはすごく私の中では引っかかってですね
というのも全然関係のない話で、相当序盤の方にですね僕が仕掛けたネズミ捕りに ネズミが引っかかって4日目の朝に死んでいたというエピソードが出るんですよね
つまり3日通って3日言えなかった で4日目にJに伝えてその日の朝に死んだのは
この人間のネズミでもあったのかなと そんなふうに思ってしまいました
僕とネズミっていうのはですね、少し比較して読んでいくと面白くてですね 例えば人間の誇り
プライドですよね、に対する僕とネズミの表現で少し違いがあって面白いんですけれども かつて自分はピンボールを
で高得点を出すということが誇りでもあったわけですね その誇りはかつて持っていたがもう今はなくしてしまった
何かを手に入れれば何かを失うということを僕は知っているというように僕は言うんです ただネズミは一方ないと生きられないものだと思っていて
ただそれだけだと暗すぎる まあそんな風に話します
ネズミは海沿いの町に住んでいてそこの灯台にすごく見せられるわけですよね 学生の時からその灯台が夕闇を照らし出すその瞬間が好きで何度も通っていた
それぐらいこう灯台や海に心寄せられるものがあって 最後僕は辿るべき道を辿るというふうに言うわけです
自分が行く場所だったり行く道っていうことに対して 辿るべき道を辿っていくというんですけれどもネズミはどこへ行けばいいのかわからない
一体どこまで行けばいいのかわからない そしてまた海に見せられていく
ネズミは進歩も変化も結局は無に向かっていく行為である 人間は最終的に腐る
死んだら腐敗するということを言っているんですけれども 死ぬため死ぬということがわかっているのに進歩したり変化したり学んだり
そういったことがどこか虚しい 無に向かっていくだけなのにというふうに言うわけですね
18:06
そして車の中町を出ていく決心をしたネズミは 冬の海のことを思うというシーンにつながっていきます
そして僕はおそらく生き残るわけですけれども ここから次の青春3部作の
羊だったりそれ以降の物語につながっていく そんなあらすじには大いなる予感に満ちたという表現がありましたけれども
次が読みたくなるこのピンボール 間の物語だったなぁと思います
結構駆け足で言っちゃいましたけれども どうなんでしょうね私はめちゃくちゃ面白くてすごくハマったんですよね
でちょっと一部読んでみましたけれども このスリーフリッパーのスペースシップについて語るシーン
そのそのものと会話をするシーンのセリフがすごくこう読んでても リズムがいいというか
センスもいいしすごいおしゃれだなぁと思うしとても色気がある そんな風に思えて
文章一つ一つをとってもめちゃくちゃ素敵だし 声に出したくなる口ずさみたくなるようなセリフだし
このメタファーがいくつか出てくるんですけどもピンボールは何を指しているのか あとは配電盤というのは何を指しているのか
配電盤っていうのは過去の学生時代の僕であり 1970年という時代でもあり
僕が人とつながるその場所であったジェイズバーのことでもあり そういった全ての思い出のようでもありそれを葬式として葬り去ったんだという
声が何を意味するのかなーっていうことを考えたりですね そんなことを考え出していると止まらなくて
本当にこのピンボール読んだ人と話したいなとか もっともっといろんなことをこれはどうなのかなってこう読み解いていきたい気持ちに
駆られてますが それ以上にですね次を読み進めていきたいという思いの方が強くなってきたので
一旦ここらでピンボールは終わりにして次は羊を巡る冒険に進んでいこうかなと思います
ちょっと今日は早口でいろんなことをキュッとまとめて話してしまったんですけれども
どうだったでしょうか どうだったでしょうかって
21:00
ねー あのこの前ケイアンさんともね早起きの読みっぱなしという読書会で村上春樹について話したんですよね
でその時私が話したのはケイアンさんは50代で私は40代 1970年
とかその前後に生まれて私は83年なんですけれどもこの時代の残像というかですね その空気みたいなものは少しわかるわけです
小さい時にこの時代があってその時の雰囲気をテレビだったり その当時住んでいた家とか町の雰囲気で多少はわかるから
この小説に書かれている時代背景 の部分は
にたどり着くには足掛かりとなる実体験があるわけですね自分自身 ただ
20代2000年前後に生まれた方っていうのは全く違う時代なんじゃないかと思っていて そこには
アイフォンですよねインターネットだったり アイフォンというスマートフォンデバイスができた時代に生まれた人たち
まあこういう それ以前の物語ということにどうやってアクセスできるんだろうなという
疑問が結構あるわけですね だから20代の人が村上春樹のこの初期の風の歌だったり
ピンボールを読んでどういう風に時代を捉えるのか 全然わかんないわーってポイッとなるのか
わかんない頃からこそ面白いと思えるのか そんなところについて少し聞いてみたいなぁなんていう思いにも置かれています
とにかく村上春樹はですね読んだら誰かと話したくなる
1回読んだだけでは飽きたらなくて何度も何度も繰り返し読みたくなる すごいこう魔力を持った
小説家だなぁと今のところは思います なので次は羊ですね
風 ピンボール 羊 これで先週の3部作になりますので
次に進んでいきたいなというところです ということで今日は1973年のピンボール
村上春樹の本について話してみました この配信が気に入っていただけたらいいねやコメントフォローお願いします
励みになります今日も最後まで聞いていただいてありがとうございました ではでは
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