2024-05-11 11:42

#683 「69」

たーなー/Web3フリーランス
NFTスタートアップあるやうむ広報・コミュマネ
Voicy「NFTからはじまる地方創生ラジオ」配信者

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はい、ちょっと雑談しませんか。たーなーのWeb3で働くラジオ第683回、「69」っていう話の69ですね。話をしたいと思います。
このラジオは、Web3時代の歩き方、考え方、働き方にキャリア形成、みたいな話をしているつもりのラジオなんですけれども、
69、69って言われて、皆様何を想像しますでしょうか?っていうね、これはちょっとあの、ピンクな感じも感じるかもしれないんですけれども、
村上隆先生の69っていう自伝的な小説がありまして、これが僕の人生のバイブルにしている本なのかな。
一番繰り返し読んでいる小説だし、心が病んだ時とか辛くなった時に、これを読むと元気になるってことを、
昨今のですね、最近の僕の財布で僕も当てられているので、当てられる時は当てられるんですよね。
ということで、落ち込んでいるというかですね、昨日かおとのりの放送かって吐き出して終わりにしたつもりだったんですけど、
続くと見てしまうとかあったりして、そこにめちゃくちゃ言及するわけではないんですけれども、
そうなった時に、自分のこうだよねっていう軸?中心のところがずれたり、何か感情とかがずれた時に戻れるところ、これこれっていうところがあることを思い出したという話ですね。
それが僕にとって69っていう小説なんですね。
これは本当にこう主曲の名言の数々というかですね、ここに書かれていることっていうのは僕をかなり形成していったものだったということで、
いくつかエピソードとかいろんな登場人物がいろんなことを言って、それが本当にめちゃくちゃいいんですけれども、
本当にいくつか話しますね。
後書きの中にですね、いろんなことがあるんですけど、後書きで野生化したニワトリ10mジャンプみたいなね、そういうのがあるんですよ。
これ何のこと?って思うかもしれないですけど、村上隆が結構元気がないものみたいな落ち込んでいたりとかね、
ドヨーンとしているところにやっぱり人は集まらないよみたいな感じのこと。
これは今の時代、差別的な発言とかなんとかってツッコミどころあるかもしれないですけど、
ニワトリがすごく束縛されて抑圧された中で生きてきたニワトリっていうのは全然元気がなくて、
コケコケコケみたいな感じで元気がなかったらしいんですけども、脳に放ってですね、野生の中で育ってた。
そうするとね、みるみる元気になってて、全然飛んだりしなかったのかな、10m飛んだってね。
本当かどうかわかんないですよ、みたいな。
本当に新聞に載ったらしいんですけども、みたいな話でしたね。
元気があれば何でもできるってブドウちゃんが言ってたんですけど、本当に一つはそうだよねみたいなところだったりとか、
あとは好きなエピソードで、村上隆たちはバリゲード封鎖、バリフーって言うんですけど、学校を封鎖してですね、
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屋上に垂れ幕を張ったりとかして、学校っていうのは制度っていうものですね。
当時はベトナム戦争とかなんとかあったりとかして、
国のね、パンクの時代だったんですね。69年ってロックンロールの時代というかですね、みんながラブ&ピースみたいなのを解いてたりとかして、
そういう時代だった中で、学校とか教師とか国からの抑圧みたいなことに対して、村上隆が結構徹底的に悪として書いてるんですね、小説にも。
そういったものに対抗するためにバリゲード封鎖っていうので、自分たちはこうだって一緒に表明するんですけれども、
ひょんなことからですね、バレちゃって捕まっちゃうんですね。捕まっちゃった時に、いわせってやつがね、ちょっとぽかして捕まっちゃうんですけれども、
いわせってやつは本来ね、寺の息子か何かで非常に優しいやつっていうか、そういうやつだったんだけれども、
ドックンロールっていうものを知ってしまったんですね。海外のそういう刺激的なもの、こういう生き方を知ってしまって、
こうか不こうか、そこに見せられてしまった。そういう生き方に見せられてしまった。
本来器用で何も知らなければ、そのまま何も知らずにっていうか穏やかに成長していって、結婚して、子供を産まれて、
寺の住職として地元で真っ当に生きていく予定だったと。だからこれが今ね、別にその生き方は幸せか不幸かみたいなことはちょっと突っ込まないでくださいって感じなんですけど、
先生が言うにはそれで幸せだったじゃないかと。だったんだけれども、村上隆、矢崎ってね、小説の中で矢崎って言うんですけど、矢崎と出会って、
ドックンロールとか外の世界を知って、いわせは変わってしまった。それを見入られてしまって、こういうことをやってしまったということ。
だから文化って罪だよねって、罪よなみたいなことを言ったときに、めちゃくちゃ僕はしっくりきたというか、
なんかその怖さみたいなところ、便利、だからさっきボイシーでテクノロジーの好か不好かみたいな配信をちょっと撮ったんですけれども、
なんかやっぱりいい面っていうのはやっぱりいっぱいあるんだけれども、その反面やっぱり不の側面もあるということは、
なんか非常にやっぱり今回また改めて思ったということですね。本当にも別に今回の件でそんなにもみんながみんななんかいろいろやっぱ好き勝手になった、
うどんさんが言うようにやっぱり自分の正義、俺は正しいだったりとか、やっぱりホットな話題に対してやっぱり意見を言いたくなるんですよね。
ここに対して基本的に、そうそう先日ね、ひよきんさんとも話してて、ひよきんさんもなんか言ってたのは建設的な意見とかが行われるのはめちゃくちゃいいことだっていう。
なんか僕もそう思っていますが、思ってるんだけれども、やっぱりそこがただの足の引っ張り合いとかなんとかってことになるとやっぱりちょっと違うのかなって思うし、
見てて僕はあんまりいい気分はしないなと思うが、一方でそうやって発言してる人たちにも発言してる人たちなりの正義って多分守らなきゃいけないものがあるので、
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この辺はですね、誰が悪で誰かどうかっていう線引きっていうのは自分でしかできないし、人が引く線と人の正義は自分の中で悪だし、
僕の中の正義っていうのは誰かの中では悪になり得るということの世の中の真理ですよね。
ただあんまりそこに、僕はその中にベジータじゃないですけど、純粋だった、純粋だったさ、純粋の悪だったかなみたいなね、
スーパーサイヤ人は純粋じゃないとなれないんじゃなかったのかみたいなクリーニングが言うんですけどね、純粋だったさ、悪だか、純粋の悪だけどなみたいな、
ベジータは悪なんですけど、ポリシーがあるからかっこいいんですよね、ベジータって。
悪っていうか結局はね、いいやつっていうか、結局ベジータっていいやつ風ですけれども、純粋な悪なんですけれども、ベジータってそういうやつだよねっていうことで、
1個認められる、でもピュアに強くなろうとしてるし、サイヤ人の王としてのプライドで誇り高いじゃないですか、誇りが高いんですよ、ベジータは悪なんだけど。
ダメですよ、人間、地球に降りてきて破壊行動とかしたり、いっぱいやっちゃうとか、栽培マンとか使ってヤムチャとかをやっちゃったりとか、ダメですよ、ダメなんですけど、やっぱりどこか誇り高いんですよね、やることがね、
みたいなプライドがあるみたいな、そういうのは結構僕は好きだったりするんだけれども、やっぱり誇り高くないよね、SNSの世界はって思ったりとかする。
だからこれをまた今日も話しちゃう時点どころが、僕の中の人間としての器の小ささですし、このさなか、こうやってなっているさなかですね、うどんさんがですね、実写顔出しのフリミン、アスターのアスターズリキー、
言えないんですけど、あれのところでフリミンやってて、ダブルピースでめっちゃ笑顔でやってるの、めっちゃ平和ですよね。
あれが正しい、なんか一個のラブ&ピースじゃないですけれども、なんかあの示し方、俺はこうだよっていう、なんか一個の示し方、何もそんな言わずに、
触れずに、なんかその、ただ楽しく自分のことをやってるってあれは本当に一個の正解だなと思って、なんか痛快ですよね、なんかリスペクトみたいなところになるんですけれども、
どうにもこうにも僕はですね、見たくはなくてもですね、ついつい流れてしまうものを見てしまってですね、やっぱこう反応してしまうみたいなところはあった時に、
そうなんか、うーんって考えてたら、たまたまですね、この69っていうこの小説を思い出して、あ、そうだそうだと思って、僕の真ん中、根っこの部分っていうのはこの69に書かれているような感情。
だからこの小説っていうのは、この村上隆がですね、学校1の子で、マドンナのですね、心をこう射止めたくてですね、とにかくモテたかった。
一番かっこいい、一番かわいい女の子にモテたくて、モテたくて目立ちたかった。だからロックンロールを聞くし、流行りものを知ってかっこつけるし、バリゲート風さっていうすごいことをやって、
なんかあれ矢崎さんがやったんでしょみたいな感じでちょっと言われて、へへみたいな感じでモテたかったんです。いいですよね。
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なんかその動機っていうのはそれぐらいのものなんですよ。女の子にモテたかったからやりました。なんかかっこいいじゃないですか。みたいな感じですね。
なんかそういうかっこよさみたいなところがあったりとか、さっき言ったテクノロジーじゃなくて、その文化ってことに対してだったりとか、世の中の抑圧とかなんとかってことに対する反抗だったりとか、元気いっぱい明るくて元気いっぱいなんですよね。
ちょっと危険な香りもしながらっていう。なんかそういったところがやっぱり僕の根っこの中で、それは18歳の時に、17歳か、17歳の時にその小説を読んで結構影響されてたんですよね。
それは多分今でもなんか脈々と20年経っても、そういえば僕の中心っていうのはそこらがあったと思った時に、心がざわついた時とかには6C9を読もうってことを決めました。
読んで、そうだよなって。矢崎県って言うんですけど、小説の中では。矢崎県がね、県だったらこうするなって。県だったらこうやって面白かった。県だったらこういう家まで帰せたろうなって。県だったらこういう風に戦っていくだろうなみたいなことを、なんかちょっと僕の中のリトル県というかですね、心の中に県を持ってですね。
戦うっていうか、戦わないんですけれども、みたいなところを思い出させてくれたことに、今回の件に6C9ってものを思い出させてくれてありがとうみたいなことで締めたいなと思います。やっぱりなんかね、性格的にはいろいろ言いたくなるとか突っ込みたくなる性格なんでしょうね。
いや、こうじゃないってね。だから僕も一人の正しさ、自分が正しいと振りかざそうとしている賃金な人間の一人なのかなと思いつつ、なんかやっぱり、ひおきんさんも昨日スペースで話を聞きながら思ったんですけど、やっぱり彼はね、後継子が楽しい。僕はとにかく後継子が楽しいんです。後継子以外に興味はないです。それも強いなと思いました。
自分の中でこれっていうことで、他のものが目に入らないとか、気になるんだけど、それを情報を得られないっていうぐらい忙しかったりとか、ハマっていることがある。自分はこれをやるっていうことがあることが結構幸せだなと思うので、そういうところに突っ込んだりとかしてるってことは暇なんだろうなっていうところと、もしくはやっぱりどうしても許せない、自分の中で許せないことがあって走っていく。そう考えるとしょうがないよねっていうことだったり、何の話してるかわからなくなってきたんですけど。
最後に言いたかったことは、639という本を読んで、僕はまた一歩、苦しくなった時は村上隆のこの639を読んで原点に帰ろうと思ったというお話でした。最後までお聞きくださりありがとうございました。明日もお耳が空いてましたら、ではでは、後がよろしいようで。
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