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2024-02-17 17:42

読書ラジオ『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』村上春樹

いつも聴いていただきありがとうございます。
訂正: 一人称語り→形式的には三人称、実質的には一人称語りです。
言葉足らずでした。

⭐︎本紹介
色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 https://amzn.asia/d/a8SSpU1
(配信の冒頭部分は本の説明文・あらすじを読み上げています。)

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00:05
こんばんは、ゆうこです。このチャンネルでは、私の読書ログや日々の学びを、音声配信しています。
今日は、村上春樹の『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』という本について話してみようと思います。
多崎つくるは、鉄道の駅を作っている。名古屋での高校時代、4人の男女の親友と完璧な調和をなす関係を結んでいたが、大学時代のある一つ前、4人から絶縁を申し渡された。理由も告げられずに。
死の淵を一時さまよい、漂うように生きてきたつくるは、新しい年上の恋人。さらに促され、あの時何が起きたのか探り始めるのだった。
というお話。この本はですね、多崎つくるという主人公と、その高校時代の4人の友人が出てきます。
多崎つくる以外にですね、4人は赤、青、白、黒がそれぞれの苗字に色が入っていてですね。
なので、色を持たない多崎つくるは、みんなから無色だというふうに言われていて、
ただそんな5人はとても調和の取れた関係で、お互いにこの関係を大事にしようとしてやってきた。
名古屋にいる5人はですね、多崎つくる以外は全員大学も名古屋市内で地元に残ることを決断したんですけれども、
多崎つくるはずっと夢だった鉄道を作る、駅を作りたいという夢を実現するために東京の工科大学に行くんですね。
そこから少し多崎つくるは4人と縁倒くなっていて、ある時、大学2年生のある時に地元に戻った時に、
4人と連絡が取れない。家に電話をして留守電話を残してもコールバックされない。
なんかおかしいなと思って赤と呼ばれている友人に会いに行くと、お前とは縁を切るといきなり言われたと。そんな話です。
そこから大事な友人からいきなり理由も告げられずに絶縁を申し渡されて、多崎つくるはもうガンガン痩せちゃうんですよね。
死の淵をさまよい、そこから漂うように生きてきたということなんですけれども、死の淵を脱して生きるということを選んだ多崎つくるは、
多崎つくるは36歳の立派な社会人になっていた。そこで2歳年上のサラという人と出会い、過去と向き合ってみたらというアドバイスを受けて、過去と向き合う。それが巡礼という言葉が意味するところなのかなと思いますけれども、そういうお話になります。
03:24
これもですね、ケアンさんとの読書会、早起きの読み話の課題本になっていまして、今日もその読書会の前につまみ食いということで、私がケアンさんとこんなことを話したい、私が気になった部分はここです、というのを先出しさせていただこうかなと思っています。
この本はですね、この1個前に読んだ国境の南太陽の西という本とよく似てるなぁと思いました。
あの本の主人公はじめも、こちらの主人公つくるも、割といい体をしていて贅肉がついてないアラフォー、そして彼らはプールで鍛えているというのがとてもよく似てるなと思いますね。
で、女性が出てくるんですけれども、これは共通する部分とは思うんですけれども、大体出てくる女性、その主人公と恋愛をする女性っていうのはどうも透かしてますね。
なんか物の言い方がすごい透かしてるなぁって思います。
そういう人が村上春樹さんのタイプなんですかね。
それとも村上春樹作品の主人公と相性がいいのはこういう透かした女なのかなと思いました。
でですね、面白かったのは、こちらの田崎つくるの方はですね、こちらも一人称の語りではあるんですが、
時々その一人称が、つまりつくるが自分語りで話している話なんですけれども、その中で突然唐突につくるのことを彼と呼ぶ、第3章で呼んだりする場面が出てきて、途中すごく混乱しましたね。
それは意図的にやってるのかなと思ったりしました。
つまり一人称語りかと思いきや、その第三者からの視点でこの物語を見ているという存在をちらつかせている、そんな効果があったりするのかなと。
それってつまり、この田崎つくるの物語ではなく、第三者もしくは何かこう見えない力によって動かされている物語である、というようなことを読んでいる側に思わせるような、そんな効果があるのかなと思いました。
06:09
ということで、ケアンさんと話したいことの1個目、一人称語りの中に、彼という第三者が出てきましたね、という話を話したいなと思います。
そして、この田崎つくるの物語は、5人の人間関係で成立している物語なんですね。
国境の南、太陽の西では、三角関係を意図的に主人公が作り上げているんじゃないかというような話をしたんですけれども、これは登場人物が自らの意思で、5人の関係を維持しようとしている。
すごく調和の取れた関係を自ら努力して、お互いに5人でいようということで、関係を構築している。
ですが、それが崩れるというのが、この物語のハイライトの一つだったりするんですよね。
それは、つくるが4人から絶縁を言い渡される、そのきっかけとなる事件があったからなんですけれども、それによって5人の調和の取れた関係が崩れる。
村上春樹さんというのは、その人間の関係性っていうものをすごく考えていて、3人だったり5人だったり、そんなふうに物語を構成されているのかなというふうに思いました。
それは、1人1人の人間関係だけではなく、1人の中に2つ以上の何かが秘めているというような表し方もしているのかなと思います。
例えば、1人の人間の体と心が分離してしまうだとか、逆に2人の人間が1人になって夢の中に出てくる。
そういう人の単位とか集団の単位とか、そういうものを人1人というものを超えて、1人を2つ以上の構成で捉えたり、2人を1つの単位で捉えたり、
そんな体と心の分裂だったり、2人を1人にする統合、1人を5つ並べて5人の共同体にするみたいなことを、この小説の中で実験的に繰り返しているんじゃないかなというふうに思いました。
ということで、ケヤンさんと話したいのは、この2つ目ですね。この構成、人だったり体と心の構成、そんなものが意図的にありそうな気がしますよね、というのが2つ目の話したいことですね。
09:05
そしてこの小説のテーマっていうのは、やっぱり生と死、創出と再生、統合と分裂みたいなことがすごくテーマになっていて、それが繰り返されていくっていうのがすごく面白い部分だなと思ったんですよね。
西島由紀夫は、輪廻転生を物語に書きましたけれども、この作るの話は輪廻転生こそはしないんですけれども、同じテーマが繰り返されていって、また起こる、手に入れて失ってとか、そういうことが繰り返されていく物語だったなと思います。
そんなことがテーマでしたよねっていうのも話したいことの一つだなと思います。
あとはですね、ここから先はちょっとネタバレのような話になっていくから、どうしようかなと思いますが、物語を読み進めていくうちに、作るが自分の過去と向き合う、つまり友人たちに会いに行く巡礼が始まる場面から一気に読書スピードが加速してですね、すごく面白かったですね。
最後の方に行って、作るはどんどん過去と向き合って、一人一人の友人と会っていくわけですけれども、終わりが見えてくるわけですよね。
ページ数もどんどん少なくなって、残りあと一人っていうところまで行った時に、どういう結末なんだろうかっていうのを予測しながら読むんですけれども、その時私がどんなことを思いながら読んでいたかというと、どうかこの結論が出ないでほしいなっていうことをすごく願いながら読みましたね。
結局これはどういう物語なんだったんだっていう答えが最後出てしまうと、面白くないんじゃないかなってすごくがっかりするなっていう気がしながら読んでたので、謎が謎のまま終わればいいなと思いながら読んでました。
果たしてこれはどういう結末を迎えるのかっていうのはぜひ読んでみてほしいんですけれども、けんあんさんはどんな思いで読んだかなっていうのも聞いてみたいなと思います。
あとはですね、重要な人物としてつくるに影響を与える人物ですね、4人の友人以外にハイダという、ミスター・グレイって途中で故障がついたりするんですけれども、大学時代の後輩が出てきたり、大人になってからの恋人サラが出てきたりするんですよね。
12:00
このサラの存在っていうのが私ちょっと気になっていて、これ実はユズの姉なんじゃないかなってちょっと思ってます。
ここまで話してきてユズっていう名前が出てきてないから、この本読んだことない人はあれって思うかもしれないんですけれども、けんあんさんには伝わるのかなと思う。
サラはユズのお姉ちゃんじゃないですかって私思ってますが、けんあんさんどうでしょうか。
そしてですね、つくるは大学時代の友人、ハイダ、大人になってから出会った恋人になりたいと思っている女性サラですね。
この2人っていうのはつくるが巡礼に行く、もしくは気づきを与えるお告げのような存在だったりするんですよね。
2人は自分の肉体だとか料理をするだとか、つくるの巡礼をサポートするみたいな支援を自分の体や時間を使ってつくるに捧げている場面があるんですよね。
明治的には表現されてなかったんですけれども、自分の体や時間を捧げてつくるの行動を引き出すという何か契約のようなものがそこで発生しているようでもあり、
ハイダとサラっていうのはブッダでいうところのスジャータの役割だったり、ブラフマンのような存在だなというふうに思いました。
この物語を巡礼というキーワードで1つテーマが与えられているというところから、少し政教的な部分でこの物語を見てみると、
サラとかハイダの役割っていうのは、お告げを与えるものだったり、支援する役割だったり、そういうふうな役割を与えられた登場人物なのかなと思ったりしました。
それによってつくるが行動し始めて物語が進んでいく。最初にも話した通り、1人称語りから3人称に切り替わっているところもあったりして、
この物語はつくるの物語ではなく、第三者から見た時の1つの世界、場面を構成している第三者がいて、登場人物たちは動かされているとも考えられるんですよね。
とすると、ハイダ、サラの役割っていうのは、そこで登場人物を動かしていく、お告げを伝える役割だったり、そういう存在として登場させたのかなというふうにも思います。
15:09
そんなことを話したいなぁなんて思ってますね。
あとは気になったキーワードとしてですね、タサキつくるは色彩を持たない、向かう場所も帰る場所も失った。
でもサラからはタサキつくる自身が駅になりなさいと言われる。
タサキつくるはそうやって何かを手に入れて失って、向かう場所が見つかったと思ったら失い、帰る場所を作ったと思ったら失う。
それでもまた自分の人生を続けていく、それの繰り返しであるというふうに思いますね。
そうやって繰り返しの円環的な物語が展開されているような気がしました。
とにかくタサキつくるの物語と、故郷の南、太陽の西を読んで思ったのは、
村上春樹の作品というのは、登場人物の心情を読み解いたり、登場人物に共感したり、反感を持つとか、そういうような小説ではないんじゃないかなというふうに思います。
なんとなくですね、第三者の見えざる力って言うんですかね。
この小説にもスターウォーズのフォースっていう言葉が出てきますけれども、
そういう見えざる力が登場人物たちを動かしているような、少し中道体のような世界にも見えるなぁと思いました。
いずれにしても私はずっと村上春樹さん苦手だ苦手だなんて言っておいて、直近で読んだこの2冊、めちゃ面白くてすぐ読めちゃったので、
これ苦手意識払拭できたんじゃないかなぁなんて思ってます。
なので、あのきっかけを与えていただいてすごく嬉しいなっていうのと、早くですね、この2冊、読書会で話したいなと思っているところです。
ということで今日は、色彩を持たないタサギ作ると彼の巡礼の都市、村上春樹の作品を読んでみました。
巡礼の都市、村上春樹さんの本について話してみました。
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最後まで聞いていただいてありがとうございました。ではでは。
17:42

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