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2024-02-15 17:11

読書ラジオ『国境の南、太陽の西』村上春樹

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国境の南、太陽の西 (講談社文庫) https://amzn.asia/d/9jdY8Fb
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00:05
こんばんは、ゆうこです。このチャンネルでは、私の読書録や日々の学びを音声配信しています。
今日は、村上春樹さんの『国境の南、太陽の西』という本について話してみようと思います。
今の僕という存在に何らかの意味を見出そうとするなら、僕は力の及ぶ限りその作業を続けていかなくてはならないだろう。
たぶん、ジャズを流す上品なバーを経営する絵に描いたように幸せな僕の前に、かつて好きだった女性が現れて、
日常に潜む不安をみずみずしく描く話題作、待望の文庫家ということで。
村上春樹さんの、結構初期の頃の小説だと思いますね。
1992年、刊行されたお話になります。
この本はですね、今度ケヤンさんといつもやらせていただいている読書会の早起きの読みっぱなしで、感想をお話ししましょうということで課題本になっているんですけれども、
本日はつまみ食いということで、私がこの本を読んでケヤンさんとこんなことについて話したいなと思っているポイントというか、私なりの感想を少し先出しで話してみようかなと思います。
まずですね、主人公の僕と、まず最初に小学校の時に出会う島本さんという女性が出てきますね。
島本さんは足が不自由なんですね。片足をちょっと引きずるというか、少し癖のある歩き方をされる人です。
その人との淡い初恋のようなものを経て、高校生の時には同級生の泉と付き合い、その泉のいとことを浮気をし、大人になってからは結婚するゆき子に出会う。
ゆき子と結婚生活をして順調だったところに、初恋の島本さんと出会ってという、ざっくり言うとそんなお話ですね。
僕はですね、そうですね、だから私が気になったポイントをどんどん言っていこうかなと思うんですけれど。
まずあれですね、村上春樹さんの本って、私いつも読み切れなくて、あんまり村上春樹作品の傾向とかそういうことを語れないんですけれども、
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なんとなくですね、主人公の男性って、自分のこと僕って言うよなっていうイメージがあって、この主人公もですね、僕って言うんですよね。
で、その僕っていう、自分のこと僕っていう大人、おじさんが出てくる。で、周りにいろんな女性が出て、僕は大体モテるんですよね。
で、その中にすごいこう、なんていうか、写実的な性描写っていうのが出てくるんですよ。
ここまでの性描写がいるのかって、読みながら思っちゃうのと、僕という、少しなんかこう、村上春樹さんが透けて見えるわけですね、主人公の僕に。
なんとなく村上春樹さんをイメージしてしまいながら読んでしまうんだけど、そこに僕が、めっちゃリアルな性描写で性行為をしている僕みたいな。
すごい読んでてね、っていうか居心地が悪い。
それが私にとって村上春樹の作品が苦手な理由の、最大の理由がそれなんじゃないかなって。
今回もそんなことを思いながら読んでましたね。
なので、まずケアンさんと話したいのは、まず一人称僕っていう語りどうですかってことと、この性描写いりますかって話をしてみたいなと思って。
でですね、この小説に特化して、私がどんなことを思ったかっていうとですね。
ここからはかなりネタバレというか、ネタバレの内容を含むので、国境の南、太陽の西をこれから読もうと思っている人は、ちょっとネタバレ嫌だわっていう場合はここまでにしておいてほしいなと思います。
まずですね、私が思ったのは、印象的な島本さん、大人になってから再会する島本さんのフレーズの中に何度もね、はじめくんっていうのが繰り返し出てくるんですよ。
それが結構違和感でですね、僕と、はじめくんっていうのは僕のことなんですけれども、僕と島本さんは君とかあなたとか、そういうふうにお互いを呼び合ってるんですけど、時々島本さんはね、はじめくんって言うんですよ。
で、それがすごく違和感で、なんだろうなぁと思ってちょっと遡って、高校生の時に付き合っていた泉がね、はじめくんって言ってるんですよね。
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これって偶然なのかなと思って。
妻になるゆき子は、僕のことをはじめくんとは言わないんですよね。
なので、泉と大人になった島本さんっていうのは、私これ同一人物か何かなのかなって思ったんですよ。
もしくは、幼い頃の島本さんが憑依しているのか、泉が憑依しているのかわかんないですけど、そういうちょっと曰くつきの島本さんっていう人と大人になったはじめくんが再会しているのかなぁなんて思いましたね。
なので、これ3つ目ですかね。
はじめくんっていうセリフから、泉と大人になった島本は、同一人物、もしくはどっちかがどっちかに憑依しているんじゃないかって私は思いますっていう話をしてみたいですね。
そしてですね、はじめっていうのは、何かが欠けている男なんですよね。
自分の中に空いている穴を埋めようとするように、女性と性行為をするわけです。
ただ途中で砂漠っていう表現が出てくるんですけれども、いろんなものを取り込んでいって、花とか生き物とか取り込んでいくけど、全部死んでしまって最後に残るのは砂漠。
この砂漠ははじめのことを表現しているのかなと。
で、はじめは砂漠で空いている穴を埋めるように誰かと性行為をする。
つながるっていうことは不完全な自分を穴埋めするような存在を探しているとすると、最初はじめが構造として成立するのが、はじめ・島本さん。
島本さん、高校生の泉っていう三角関係が一個成立した構造だったなと思うんですよね。
はじめが高校生の時に泉と付き合うんですけれども、ずっと島本さんのことを心に残しながら泉と付き合うわけです。
それがすごく調和が取れてたのかもしれないなと思いました。
この三角関係がある程度は調和してたんですけれども、泉の中にはじめが求めるもの、自分のものだというものが見つからないということでこの三角関係が崩れ始めるんですよね。
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そこに出てくるのが泉のいとこの名もなき女性なんです。
このいとことはじめは浮気をしてしまうんですよね。
ここで初めての性行為をするんですけれど、そこですごいのめり込んじゃって、脳が溶けるぐらいセックスするっていう描写があって、この時はちょうど調律が取れてるわけです。
ここで新しい三角関係のはじめ・泉・泉のいとこっていう、この三角形の調律がまたここで出来上がるんですよね。
でも結局このいとことの関係が泉にバレてしまって、泉はすごく傷つくわけです。
そこから大学社会人になって、はじめが自分を喪失する、失われた期間というのが存在するんですよ。
会社に勤めて働いたり、何人かの女性と関係を持ったけど、自分が生きているという実感がない期間がある。
そこでは調和の取れた三角関係というのが成立しなかったんです。
それがもう一度成立するタイミングがあって、それはどういう状態かというと、結婚するユキコという奥さんですね、妻。
また島本さんのことを思い出すわけです。
妻のことをすごく愛していて、娘が二人いて可愛いんだけど、島本さんのことを思いながら妻を抱くみたいな。
ここでまたはじめ・島本さん・ユキコという三角関係の調和の取れた構造が出来上がる。
だからはじめは不完全な存在で、それを何とか調和の取れた完全な構造にしたいとして、
三角関係を実際、リアルな世界、もしくは精神の世界の中で三角関係というのを自然と築いていく。
そんな構造があったなぁと。
ということで、ケアンさんと話したいことの、もう何個目か忘れちゃいましたけど、
はじめは三角関係で調和する人間だよねって話してみたいなと思いますね。
そして島本を再び失うわけですよね。
果たしてこの島本さんっていうのは、誰だったのかっていうのはさっきも話した通り、
実は憑依した泉なんじゃないかとか、泉に憑依した島本さんなんじゃないかとか、
色々ちょっと考えちゃうんですけど、どっちにしても再び島本を完全に失う。
それはすなわち今後三角関係っていうのがもう成立しないわけなので、
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完全にそのはじめっていう存在を永遠に、完全にすることはできないっていう、
そういう状態を意味するのかなと思います。
そこで出てくるのが、国境の南、太陽の西。
国境の南っていうのは、ナットコールキングの歌で出てくるんですけれども、
それはメキシコのことを指すんですよね。アメリカの国境の南にあるメキシコのことを指す。
国境の南側には何かがあるが、太陽の西には何もない。
太陽の西側って、ずっと夕日が沈んでいく太陽があるか、沈んだ後の夜があるかだけなので、何もないんですよね。
太陽の国境の南には何かしらが存在するが、太陽の西側には何もない。
みたいなことを最後のほうにセリフとして出てきます。
で、そこで島本があるお話をするんですよね。
それが何かというと、ヒステリアシベリアナっていう話があって、
これがね、結構初めのことを言ってるんだろうなと思うんですけど、
あなたは農夫でシベリアの公園にたった一人で住んでいる。
毎日畑を耕して、見渡す限り何もないんだけど、
北には北の地平線、東には東の地平線、南には南の地平線、西には西の地平線がある。
それだけで、毎朝東の地平線から太陽が昇ると、畑に出て耕し続け、
西の地平線に太陽が沈んだ時に家に帰ってきて眠る。
だけど、ある日、あなたの中で何かが死んでしまう。
わからない何かが死んでしまった後のあなたは、東の地平線から太陽が上がって、
中空を通り過ぎて日の地平線に沈んでいく。
その太陽を毎日毎日繰り返しているうちに、あなたの中で何かがプツンと切れて死んでしまう。
そしてあなたは地面に桑を放り出し、そのまま何も考えずにずっと西に向けて歩いていく。
太陽の西に向けて。
そして疲れたように何日も何日も飲まず食わずで歩き続けて、そのまま地面に倒れて死んでしまう。
それがヒステリア・シベリアナですね。
太陽の西側には何もないが、そこに向かわずにはいられない。
とり疲れたように飲まず食わずで歩き続けて、ある日死んでしまう。
それは島本を再び喪失した初めのその後を言っているようにも見えるかなと思いましたね。
と思いましたけど、ケアンさんどうですかというのは最後に話したいことだなと思いますね。
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全体を通じて、えっと、マラカミハルキさんの本って全部読めた試しがなくてですね。
エッセイぐらいしか読めませんとかって今まで言ってたんですけど、この国境の南、太陽の西は一気に読みましたね。
やっぱりですね、このストーリー面白かったなっていう感じですね。
一気に読んでは面白かったって普通に思う小説だったなと思いますね。
でも読書会をするからって、ちょっと気になったところに付箋を貼り出したら、すごいこれも気になる、これも気になるみたいなのがたくさん出てきちゃって、
早く感想を話したいみたいな気持ちになりましたね。
マラカミハルキの本を読んでそんな状況になったのは初めてなので、すごい読んでよかったなと思いました。
次の次の土曜日かなと思いますけれども、ケアンさんと早起きの読みっぱなしの読書会やりますので、
今日私が話した内容、私が気になっている部分とか、こうなんじゃないかなって思うことについて話せたらいいなと思っています。
そして次はですね、色彩を持たない板先作ると彼の巡礼の都市というマラカミハルキの作品をもう一冊読んでいるので、
これもね、結構読み始め、まだ数十ページではあるんですけれども、結構面白くてスルスル読めているので、しっかり読み切りたいなと思っています。
ということで今日はマラカミハルキさんの国境の南、太陽の西という本について話してみました。
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今日も最後まで聞いていただいてありがとうございました。ではでは。
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