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2024-05-09 23:11

読書ラジオ『じっと手を見る』窪美澄※ネタバレあり

いつも聴いていただきありがとうございます。
配信では出てこなかった言葉を以下に。

『じっと手を見る』というタイトルから、若者の貧困などという社会問題を安易にこの小説の背景に置き、勝手に悲劇の主人公として読んでしまう、自分の浅はかさ、傲慢さに呆れてしまう。
この小説は、そんな、自分の中にあるけど普段見て見ないふりをしているモノと強制的に向き合わされる。
ただ、2人の生が瑞々しくしなやかで力強いことに圧倒され、僅かな違和感の原因に気づくのにも時間がかかった(3回再読した)し、まだ気づけていないことがある気がする。
それも狙い通りなのだろう。窪美澄さんに完敗。でも清々しい。他の著書も読まなければ。

⭐︎本紹介
じっと手を見る (幻冬舎文庫) https://amzn.asia/d/71iC2go
(配信の冒頭部分は本の説明文・あらすじを読み上げています。)

⭐︎自己紹介
https://stand.fm/episodes/63c3432660a5d6684a4fd590

#読書 #読書感想 #読書ラジオ
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00:07
こんばんは、ゆうこです。
このチャンネルでは、私の読書ログや日々の学びを音声配信しています。
今日は、窪美澄さんの『じっと手を見る』という本について話してみようと思います。
富士山を望む町で暮らす介護士のヒナとカイトはかつての恋人同士。
ある時からショッピングモールだけが息抜きのヒナの下に、東京の男性デザイナーが定期的に通い始める。
町の外へ思いが募るヒナ。
一方、カイトは職場の後輩と関係を深めながら両親の生活を支えるため、町に縛り付けられる。
自分の弱さ、人生の苦さ、すべてが愛おしくなる傑作小説ということで、
最近、私がハマっている、あの本読みましたという鈴木穂波さんの読書番組がありますけれども、
そこで文庫解説の回というのがありまして、文庫解説に関するあれこれを特集していた回で、
ゲストで出ていたのがアサイリョウさんだったんですね。
アサイリョウさんがすごく熱く文庫解説について、
アサイリョウの文庫解説の流儀みたいなことを語っていて、
その中で久保美澄さんのこの「じっと手を見る」に文庫解説をした時の話を話されていて、
それで読もうと思った本になります。
デビュー作にはその作家のすべてが詰まっているというのはよく聞く話だ。
だが久保美澄という作家に限っては、どの作品からもすべてが詰まっていると思わせられる凄みがある。
常に出汁をしみせず、もう一滴も滲まないというところまで心を振り絞って書いている。
本人には笑われてしまうかもしれないが、読むたび勝手にそんな印象を抱くという書き出しで始まっているアサイリョウさんの解説はね、やっぱ素晴らしかったですね。
この文庫解説、読んでって感じ。みんなこれ読んでって感じ。本当に。
久保美澄さんの作品を読んだのは今回が初めてだったと思うんですけれども、
アサイリョウさんの解説に、どの作品にもすべてが詰まっている。
それが久保美澄の作家である。出汁をしみしないというのが久保美澄であるみたいなこと書いてあるので、
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このね、じっと手を見る、読んだ。これが久保美澄さんなのかという。確かに凄みがありました。迫力ある小説で。
恋愛小説なのかな。
ひなとカイトという2人が出てきますけれども、恋愛だけでは終わらない。
やっぱりね、自分のことに触れざるを得ない、帰りみってしまうような小説だったなと思います。
あとはですね、この解説の中には、今回の舞台は富士山が誇るべき世界遺産としてではなく、
外の世界へ出ようとするものを阻む壁、または外の世界に出た人間を引き戻す巨大な磁石のように感じられる街であると表現されていると。
また東京タワーも出てくるんですが、その東京タワーは東京に収まるべき人間を引き戻す磁石の役割を果たしていると感じられる描写があり、
その大秘に私は唸ったと、麻由良さんが唸ったと書いてあるんですけど、この解説を読んで私も唸りましたね。
ああ、そういう大秘の意図があったのかということで、もう本当にこの解説を読んだらすべて面白みが書いてあるんじゃないかと思いますので、
ぜひね、この文庫本を手に取って解説を読んでから、書説を読み、そしてまたこの文庫解説に戻るという、ぜひサンドイッチで楽しんでいただきたいなと思います。
なので、じゃあ何をこの配信で話すのかということなんですけれども、やっぱり私自身が面白いと思った感想を話してみようかなと思いますので、お付き合いいただけたらなと思います。
タイトルになっている、じっと手を見るですね。これは石川卓北の一躍の砂にも出てくる一節ですけれども、
ひなとカイトっていうのは貧困だとか、多分過疎地域、過疎に近づいている地域のお話だと思いますね。
そして、介護、閉塞感、そんな社会的な問題の宿図のような街で生きあいでいる若者2人、そんな構図だったかなと思います。
両親の生活を支えるために街に縛り付けられる、2人が選んだ職は介護士であるということでね。
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ただね、読んでいて私が辛かったのは、この2人が生まれ育った富士山を望む街で、ここから出ていきたいという思いを抱えることもなく、
またその、この2人がね、仕事をしている介護士というのはお給料が少ないんですよね。
にもかかわらずカイトは、父親が事業を潰してしまったというね、居酒屋を経営していたのかな。
それも閉店になってしまい、働き手がない中で家族の生活を支え、弟の大学の学費まで出しているという。
そんな状況に2人はですね、なぜ私たちだけがこんな面に合わなければならないんだというような、そういう悲壮感だとか怒りみたいなものがね、全然出てこないんですよね。
そういった疑問を抱くことすらない、その状況というのを読んでいる側の私としてはどうしても感じてしまうわけです。
そこがとても辛かった。
もし自分がこの2人のような状況だったら、すごく怒り狂ってるだろうし、世の中に対して、自分が置かれた状況に対して、もしかしたら親に対して自暴自棄になったり怒りをぶつけてしまったかもしれない。
けど2人はそうしない。そうしようという、気力さえもしかしたらないのかもしれない。そんな状況がすごく、自分だったらこうするのになぜみたいな、読んでいてそういう辛さもあったし、
もしこの2人の親だとしたら、親だとしたら本当に不甲斐ない思いで、2人を、自分の子供をね、自分たちの生活を支えるために、支えさせるために町に縛り付けて、
夢や時間を奪っているのかもしれないと思う親の気持ちになるとすごく辛い。けどそんなこと一切出てこないわけですね。その異常さにすごくね、読んでいてゾッとしたというか、
おそらくこういう状況はあまり、なんというかもう特別なことではない。きっといろんなところにあることなんだろうなというふうに思いましたね。
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なんですけど一番最初はですね、そんな社会的な問題にクローズアップするのではなくですね、この小説はですね、あの短編、連作短編のような形になっていて、章ごとに語り手が変わっていくんですね。
第一章はその中にある湖ということで語り手はひなになります。書き出しがですね、とても素敵で、一気に久保みすみさん大好きだなと思ったんですが、一度目に会った時はそうでもなかった。
でもその時だって嫌いというわけでもなかった。だけどはっきりとこの人のことが好きと意識したのは二度目に会った時、あの居酒屋の銭湯風の玄関かもしれなかった。こんな書き出しで始まるんですね。
そしてひなと宮沢というね、東京のデザイナーとの二人の情事がすごくセキララに書かれていて、この小説ってそういう小説なのかなっていうふうに思ったりしました。
口の中に宮沢さんの人差し指が入ってきて私はそれを舌で包み込みする。濡れた人差し指と入れ替わりに混んだ宮沢さんの舌が入ってきた。こんな描写がずっと続いていくんですね。ひなってそういう人なのかなと思いきや、最初に話したようにひなというのは置かれた境遇があまり恵まれていなくて、
介護士の仕事をしていて、楽しみはショッピングモールで買い物をすることだけである。そんなことに自分自身が全く違和感を感じていないというひな。そんなひながですね、宮沢との情事に溺れ込んでいく。
初めての快楽、楽しみ、人好きになるということを知ってしまったところからこの物語が始まっていくんですね。そこからですね、幼馴染のカイトが出てきて、そしてこの宮沢とカイトとひなの三角関係がどう変わっていくのか。
それだけじゃなくて、次の章の語り手はカイトになったり、そのカイトと関係を深めていくことになる職場の後輩が順に語り手を変わっていく。そんな中でひながですね、この情事に溺れ込むというのは第一章だけで、その後はですね、本当にこの
12:00
最初に私が話したような田舎独特の閉塞感、そして二人が置かれた家庭環境、あとは全体的に貧しい地域、そして富士山の樹海近くの街になるので、割と死が二人の近くにあるんですね。
そんな中で二人は、夢を見ることしない、自分の境遇を呪うことさえしない、死を選ぶこともしない、ただ生きていく、そういう状況が綴られていく中で、読んでいる側としては、ひなとカイトがこの生きていく、どんなことがあっても淡々と生きていく、
カイトの方は少しもがいたりしてしまう場面もあるんですけれども、それでも生きていくという、この二人の生きていくという揺るぎない信念なのか、自分たちもおそらく気づいてないであろう、そういう信念と強さみたいなものは、どこから来るんだろうなと思いながら、
どうかこの二人が、幸せになってほしいとまでは言わないから、少しでも報われてほしいというふうに思います。
そんなお話の中で、すごく印象的なのが、ひなの家の庭に生えている雑草なんですよね。
東京のデザイナーの宮沢はですね、最初ひなの家の雑草を刈りに来るということで、東京から州に一回通ってくる、それを理由にしてひなとの往生を重ねていたんですけれども、
雑草がね、ところどころ出てきたりするんですよね。宮沢が刈っている間は、雑草が刈られた直後は短くなるが、一週間の間にサーッと伸びてしまう。そして宮沢がそれを刈っていく。
で、その宮沢がひなの元を去った時に、もうその雑草を刈ってくれる男がいないわけですよね。で、肥料をやられる、肥料をもらうこともなく、雑草をただただ伸びていくわけですね。
で、刈られたとしても伸びていく。そんな雑草を見てひなはどんなことを思ったんだろうなーって思うんです。ひなが、庭の草を刈ってあげようかっていうか、刈らせてもらえないかな、そういった宮沢さんはもういない。
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で、その恋が終わる時にひなはどういうことを思ったか。私は時間をかけて庭を綺麗にしようと思った。たった一人で。
で、その初めての常時ですよね。快楽を教えてくれた男との恋愛が終わった時に、全身が太陽の光を吸収して私の中で一つの力になっていくようだったとひなは心の中で語るんですよね。
誰に手をかけてもらうわけでもない、刈られても刈られても勝手に伸びていく雑草と自分を重ね合わせているのかもしれないなと思ったシーンでした。そこでひなは私はとてつもない自由を感じていた。
一つ恋が終わったというのに、というあの一言で終わっている。ここはすごくね、常にこの小説を読みながらなんとかひなが報われてほしい、カイトが幸せになってほしいと思う読者に対して、このひなの力強さっていうんですね。
そのメタファーなのかなとともに語られていて、読んでいる側にも何か光が射してくるような、そんなシーンでした。
そしてね、カイトはずっとひなのことが好きで、ずっと寄り添ってひなとともに一生過ごしていくというふうに思ってたんですけれども、東京から宮沢というのが出てきたり、自分にもその後輩との関係性が始まってしまった。
ひなと離れたり近づいたりという関係の中で、カイトはですね、無意識のうちにひなに対して、もう庭の雑草なんか好きにさせとけばいいんだよと。
どこかから種がね、風邪で運ばれてきたとしても、そのままにしとけばいいじゃないかと。何が生えても何の手入れをしまくってボボになってもそのままでいいじゃないか、みたいなことをカイトが言うんですよね。
それはなんか自分たちの初めての、世の中に対するなのか、生き方に関してなのかわかんないですけれども、すごく月並みな言葉で言えば雑草魂というか、誰に許可されたわけでもないけど生きているということの証明。
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誰にも邪魔させないというようなことを、なんかあえて言っているような気もしましたね。ちょっと深読みしすぎなのかもしれないですけれどもね。
そしてそのカイトとヒナが、お互いに別の人が現れたりいなくなったりする中で、一時期はカイトとヒナが手を取り合うという場面があったわけです。
そしてそれが最後どういうふうになっていくのか、この小説に最後があるのかなっていうのは、読みながらずっと思っていたところではあるんですよね。
まだまだ若い二人が、結末というものを迎えるにはまだ早いだろう。これからも人生が続いていってきっと苦難もあるんだろう。
それを二人で乗り越えるのか、一人ずつ淡々と乗り越えていくのか、どうしていくんだろうなっていうのが終盤になってすごく気になる部分だったりします。
果たしてカイトとヒナは再び手を取り合って生きていこうとするのか、お互いそれぞれの場所で強くまずはそのように生きていこうというふうに判断するのか、そんなところがね、この小説のラスト気になる部分だったかなと思います。
人の体は永遠に繁茂する緑ではないけれど、永遠じゃないから私はそれが愛おしい。そんなふうにヒナは言うんですね。
カイトの指を握った時のヒナの心の中の語りですね。
カイトの四本の指を握った。乾いた指の感触は枯れた草にも似ていたが、カイトの心臓から放たれた血液は指先にも届き、その熱を私の指に伝えていた。
本当にね、ところどころこういうじんわり胸に響くような一文がたくさんあってですね、読んでいてたくさんいろんなところに付箋を貼りましたね。
クボミスミさんの本をもっともっと読みたいなと思いました。文庫解説でアサエリオさんがクボミスミの小説にはどの作品からも全てが詰まっている、そんなふうに思わせる凄みがあるというふうに言っていたので、これ以外の作品も読んでみたいなと思いますが、
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おそらくどの作品もこのじっと手を見るほどの凄みがあるのであれば、きっと読み手の覚悟も必要なんだろうなと思います。
この小説を読んでいて、私はその田舎を捨てた身なわけですよね。だからヒナやカイトの気持ちっていうのはわからない、その境遇に置かれたこともないけれども、それをだから何なんだというような読み手に迫ってくるような凄み迫力がある小説だったなと思うんです。
これ以外の小説もそんなふうに読者に迫ってくる、あなたがどうであろうか関係ないというような迫り方をしてくる小説なのであれば、読む側もしっかり覚悟をして読んでいきたいななんて思います。
2020年で久保美墨さんはデビュー10周年されたということで、まだまだこれから先たくさんの作品を書かれる作家さんなんだろうなと思います。
浅井涼さんも最後ですね、作品すべてを代表作にするような力が今後どんな作品を生み出すのか、一人の読者としてとても楽しみだというふうに結ばれていて、私も全く同感だなと思いました。
ということで今日は、じっと手を見る久保美墨さんの小説について話してみました。この配信が気に入っていただけたら、いいねやコメント、フォローお願いします。励みになります。
今日も最後まで聞いていただいてありがとうございました。ではでは。
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