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2025-06-24 38:52

ホームスクーリングを調べたら心が軽くなった話 #21

子どもの可能性を潰したくない。

#声日記 #不登校 #発達障害 

サマリー

ホームスクーリングについて調べる中で、子どもの特性に合った柔軟な学びの可能性を発見し、息子の心の安定を考えることができました。集団に対する不安を克服するためには個別の学習環境が最適であると感じています。ホームスクーリングに対する理解が深まったことで、社会性や自己表現の重要性も再認識しています。特に、自宅での学びや活動が子どもの成長や自信に影響を与えている様子について語っています。また、ホームスクーリングに関する探求が心を軽くし、学校に依存しない学びの重要性を考えるきっかけを与えています。オンライン教育やスタンフォードオンラインスクールのような新しい学びの場が、子どもたちにとっての選択肢を広げる可能性についても語られています。

ホームスクーリングとの出会い
こんにちは、ビンズベのつぶやきラジオのあざらしです。
しばらく更新が空いてしまったのですが、今日は久しぶりにつぶやきたいと思いまして、話をしています。
今日はですね、今、息子が年長で、来年、小学校を入学に向けて、就学のことを今、よく考えている時期なんですね。
そんな中で、ホームスクーリングというものが一つの選択肢があって、それについてちょっと調べていくうちに、
私は結構、そのやり方がすごく魅力的だなって思って、なおかつ、学校に行っていたとしても、行けたとしても、生かせるものがあるなと思って、
すごく心が軽くなった話をしようかなと思います。
ちょっと今日は長くなるかもしれないので、途中で前半後半に分けるかもしれません。
もともとは、ホームスクーリングって自宅家庭学習で、学校に行かずに家を軸にして学ぶっていうところで、
今ね、現在、自宅保育と個別領域で過ごしているので、今のような状態がいつまで続くかは分からなくて、
しかも学習的なものも加わってくるっていった時に、私はその選択肢に対してすごくスーパーネガティブでした。
いろんな関係各所に相談をしていくうちに、ホームスクーリングのことを聞かれたときに、拒否反応が出ちゃって。
勉強を教えることというよりも、勉強に向かわせることがすごく負担しかないなって想像できたんですよね。
特性上なおさら。特性なくてもそうかもしれない。
やりたくない、興味が持てないことは全くやりたがらないので、そこにどうやって向き合うかっていうのが、私は想像しただけでも、「うっ!」ってなったんですよね。
だからもう、ちょっとキツイな、辛いですねって話をして、今は今その選択肢は考えてないんですね、みたいな話をしてたんですよね。
だけど、ちょっと2,3日ちょっとうーんって思って、ネガティブになって、だけどふと、そういう選択肢になる可能性は全然あるし、
フリースクールが合う合わないもしかしたらあったとして、学校行けなくて、新規もダメで、ってなったらもう自宅で見るしかないってなったときに、
私はこの状態で過ごすのかと思うと、ちょっとやっぱり嫌だ、それは嫌だなって思ったし、
選択してる人もいるから、いいところもあるのかもしれないなと思って、
一旦そのスーパーネガティブ感情を横にしまいまして、戸棚にしまいまして、
ちゃんと調べようと思って調べ始めたというのがきっかけです。
息子の特性と学校のメリット
これがね、すごいネガティブだったものが逆転しました。
息子の特性上、やっぱり集団に対して不安なんですよね。不安が強いんですね。
だから、努力でどうこうできるものがやっぱり今現在では難しくて、
私がやっぱり学校に行くメリットって、親としては預かり機能としてもやっぱりあるし、
結構無料というか、お金がかからずに大学までの道のりに向けて義務教育で
基礎的な学力を身につけることができるっていうのと、
あとやっぱり何より他の子どもたちと一緒に何かを作り上げるとか、
意見を交わすとか、そういったことができるから、
やっぱり社会性が身につきやすいのかなと思ってたんですよね。
だけど息子の特性上、集団に対してすごく強い不安があるから、
そもそも心が不安定な状態でやってもやっぱり身につかないし、
逆にトラウマが増える一方になりそうだなって思って、
学校で学ぶメリットっていうのが、今現在の半年以上あるのでまた変わるかもしれないんですけど、
現在ではデメリットしかなくて、不安な中やるしかないっていうのがね、
そこにトラウマを抱えてなおさら人と接することが怖くなるんじゃないかなと私は思っていて、
正直茨の道だなって思ってるんですよ、現段階で。
それが支援給でもどうなんだろうとも思う時があって、
だからちょっと学校はすごく魅力的なところもあるしメリットもあるんだけど、
そこにとっては結構難しいのかなってずっと思ってるんですよね。
自宅での explorations
そんな中でホームスクーリングっていう選択肢を調べていく中で、
もちろんこの息子の特性を考慮して最大限可能性を潰さずに伸ばすことができるのではないかということと、
多分特性がなくてもこれから必要になってくる能力が育てられるなって思いました。
学校だと、やっぱり用意された問いとか問題を解いてもらう、考えてもらうっていうところが結構メインになってきて、
もちろん少しずつディスカッションしたりとか、自分で問いを立てるみたいな時間もあるんですけど、
やっぱり指定された時間の中で指定されたものを行うということの方が多いイメージはあります。
ホームスクーリングの魅力って、私が感じた魅力があるんですけど、それについて話そうかなと思うんですけど、
ホームスクーリングのイメージがまずあるんです。
もともとあったのが、家庭で学校の学習指導要領に沿ってプリントだったりとかね、
今だと学習教材があるのでそういうのをこなすっていうイメージが強かったんですけど、
いくつか種類があって、アンスクーリングっていう考え方があるんですね。
それがもう全く学習要領関係なくて、子どもが好きなものとか探求したいものを追求するみたいな時間とか、
あとは家事手伝い、家の身近なことをやっていくとかね。
だから家の中だけでとどまらずに、外部の施設に行って科学館とか動物館とかあとは図書館とか運動もするし、
その時その時で好きなこと、体験活動とかもするっていう感じなんですよね。
だからプリントとにらめっこしてやることはあまりないという状態ですね。
もちろん本人が望めばやればいいと思うんですけど、基本的にそういうことはやらないっていうところですね。
これがすごく私は、大学に行くまでに入試問題ちゃんと解けるのかとか思った時に、ちょっと不安じゃないですか。
だからちょっとどうなのかなと思いつつ、そこに書いてあったのが、それをすることで知識が後から追いついていくって書いてあったんですよね。
それはでもなんか理にかなってるなって私はちょっと思ってきたんですよ。
何でかというと、その本とかそういういろんな情報を見て思ったんですけど、好きなことをやっているうちにどんどん好きなことが派生していくんですよね。
例えば、歴史上好きな人物がいたとして、その人物伝とかを読んでいるうちに、その人物が生きていた時代の背景とか、使っていた道具とか、国、知り関係とか、結構いろいろ関わってくる。
その人物が例えば科学的なことをやってたりとか、文学的なことをやってたりとか、いろいろやっぱり出てきて、それを付随して調べていくと、どんどんつながっていくっていう考え方なんですよね。
そうやっていくうちに、たぶん自分が大人になってやりたいこととかが芽生えてきて強くなっていくというか。
それを叶えるためには、やっぱり大学とかそういうことを行く必要があると自分の中で見つけるというか、決めて、じゃあちょっと勉強しようかなという方向に行くのかなって思って聞いてたんですよね。
聞いてるっていうか、読んだりもしてるんですけど。
だから、それが本当かなって思いつつ、今息子とか娘を見てると、そういうのはなりそうだなっていうのもちょっと思えてきたんですよね。
今、息子はもともと踏切が好きだったんですけど、遠縁できなくなって結構ダメージを受けたときも、踏切だけが唯一の心の救いというか、踏切があれば外に外出もできたし、踏切を見に行くということで。
だけど、ちょっとずつね、そうやって心が回復するに従って、ちょっと広がってきたんですよね。
踏切のほかに、今最近信号機とか、標識とか、歩行者信号とか、そういうことを広がってきて。
結構好きにやらせてるんですけど、自分で絵も、そのものを見て、写真を見て描いたりとか、
あと標識とかって結構文字も書いてあるので、文字を写し取ろうとしたりとか、踏切もそうですね、あとマークとか。
それが日本だけに留まらずに、海外の標識とか踏切とかも書いたりしてるんですよね。
だからローマ字とかもちょっとずつ、完全に覚えてはないけど、見て書いてるし、ひらがなとかカタカナ、漢字にも書けるものも増えてきています。
地理とかも、やっぱり世界に広がっているので、世界地図を見てここがどこだとか、そういうところにもやっぱり興味が出てきていて、
今この幼児の間でも、そうやって自宅で好きなふうに、自分で好きなふうに好きな時間を使って、
ってことをやってもらってるんですけど、広がっていく感じするんですよね。
やっぱり私が別に教えてるわけじゃなくて、勝手に好きなことをさせてるんで、
好きなことできる環境作りだけはして、絵を描ける画材を置いたりとか、カメラ撮影できる機材を置いたりとか、図鑑とかそういうものっていうのを置いたりとか、
最近はタブレットで、スクラッチジュニアンとか、YouTubeのショート動画、そういうのも今90本自分で撮って、
BGMつけて、音声入力で入力してとか、ナレーションつけたりして作ったりしてます。
すみません、今救急車が。
そんな感じで、創作意欲も何かを作り出す喜びだったり、何かを見つける作業とか、すごいなって思って見てて。
これって、今幼稚園もし行っていたら、やっぱり疲れて帰ってきて、それどころじゃなかったりもするのかなとか、
あとは、幼稚園と言うとね、やっぱり活動がある程度決まっていて、その中で自分がこなすっていうことが結構強いイメージがあって、
だからそれに行ってなかったからこそ気づけたものもあるのかなって私は思うんですよね。
幼稚園に行っている子でもそうなるのかな?ちょっとわかんないんですけど、
なんか十分、ちゃんと自分で見つけてできることを増やしていくんだなって思って見てます。
だからそういう好きなことが派生していく様子を見ていると、
45分間に区切って好きな教科じゃなくて、いろんな教科をバランスよくやっていくんですけど、
子どもたちに芽生えた問い、例えば、絵本読んでてもこれって何?とか結構鋭いこと聞かれるんですけど、
その場で調べられるかって言ったら、やっぱり集団の場だとなかなか調べるのが難しい。
一人一人個別に対応するのが難しい。
じゃあ自分で不思議に思ったところをメモして、どこかで調べるかって言うと多分忘れちゃうんですよね。
私もそうですけど。
だから疑問に思った時にすぐにインターネットとか動画とか図鑑とかで調べることで、
また深まるというか、自分で問いを立てて自分で調べて自分で見つけ出す作業が確実に定着していくなって見ていて思うし、
やっぱり自分の中で問いが芽生えるのを育てることができるのかなっていうのがやっぱり自宅とかフリースクール、オンラインのフリースクールとか、
オンラインじゃなくてもね、どんなフリースクールがあるかちょっと調べきれてないんですけど、
そういうちょっと柔軟性がある方がそういった力って育てやすいような気がしてきたんですよね。
集団、じゃあ学校みたいなところに行かないと社会性が育たないのかって私は結構そこが不安に思っていて、
ちょっとなんだろう、多分無意識に重荷になってたところなんですよね。
社会のこの決まりみたいなところに柔軟に合わせられないようになるんじゃないかとか、
育った自立、大人になった後に一人でそうやってね、やっぱり苦しいと思って難しくなっていくんじゃないか生きていくのかとかね、
そういうことを考えて苦しかったんですよね、私が多分。
だけどこうホームスクーリングのいろいろ知識を学んでいくうちに、
家庭にいても社会性って育てていけるっていうことが結構わかってきたんですよね。
例えば外部、外外出するときもその施設を利用する際のマナーとかそういうこともちゃんと話をできるし、
家族間でのコミュニケーションっていうのが結構通常疲れた状態で、
学校から帰ってきて、こうやってるとやっぱりお互い甘えみたいな言葉遣いとかいろいろ。
だけどそういう関係性の中でもちゃんとチームとして機能させることで、
結構丁寧なコミュニケーションを取れるようになるのかなって私は思ってきました。
外ではできても家でできない方もいるじゃないですか。
自宅での育児と学び
それが逆で、家でしっかりやっていれば外でもやれるようになるかはちょっとわからないですけど、
でもそういうどっちにしろそれもコミュニケーションだなって思うので、
学校だけで全てが、社会性が網羅できるかって言ったらやっぱりそうじゃないのかなとも思ってきました。
ちょっとわかんないですね、そこ。なんかうまく伝わってるかわかんないですけど。
だからなんだろうな、あとはね、これがすごく印象的だったのが、
結構我が家で今、自宅で結構ゆるゆるで育児してるんですけど、
その中でも私が結構大事にしているのが3つあって、
絵本を読む、読み聞かせですね。
言葉に触れたりとか、私も本が結構好きなんで、
本を読むことでやっぱり世界が広がる感じもあるし、癒されるところもあるから、
絵本の読み聞かせを大事にしてるんですね。
言葉とか絵に触れる。
で、あとはそうだな、おうち工作。
最近は環境を結構頑張って整えています。
片付けはやらないんで、私がやってるんですけど、
でもそれを目をつぶっててもすごくいいことがたくさんあるのと感じているので、
いろんな画材をできるだけおいて、いろんな素材をできるだけおいて、
気軽に撮れる、いつでもセルフサービスで作り手にしています。
で、もう一つがあんまりそこに頑張れてないというか、
やりたいけどなかなかできてないんですけど、家事の分担ですね。
できるだけ、まだ分担までいかないけど、
家のことやってみたいって言った時にはできるだけ応えるようにしています。
一緒にやろうって。
それが掃除だったり料理だったりとかそういうところなんですけど、
そこもできるだけやっています。
社会性の育成
で、その中でね、一番、一番というか、
結構やっててよかったなって思ったのがおうち工作なんですよね。
ちょっとね、動演できなくなって、
結構苦しかった時期はできなかったんですけど、
みるみる元気になってきた時に半年ぐらい経ったかな、それぐらいに。
どんどん作ったり書いたりするようになりました。
で、うちの子の場合はもう2、3時間集中してずっと作ってたりとか、
朝から夕方まで作ってたりとかそういうことも結構あるんですよね。
で、そこで好きなことをやってくれててよかったなって思ったのが、
領域で小集団プログラムをやった時に、
6人ぐらいでそれぞれ違う特性を持った子たちが集まって、
午前中いっぱい過ごすんですけど、学校みたいな感じでね、
一つ机が座って、椅子に座って、
先生が前にいて、で、ちょっと活動するんですね。
で、その時ね、結構私は久しぶりの集団の場だったので不安だったんですけど、
想像以上に自信を持って取り組めていたんですよね。
そこが先生が解説をしていて、なるほどって思ったんですけど、
まず先生の話、前にいる先生の方に目を向けて、
先生の話を聞いたり、例えば形合わせだったら形をちょっと記憶したりとか、
やってることをちょっと覚えて、で、目線を机の下に落として、
課題に取り組む、再現をするっていうようなことをやってくる時に、
目線を遠く見て記憶して、で、下向けて再現するっていうのが、
大人は無意識にやってるんですけど、結構いろんな力というか作業してるんですよね。
無意識にそこをっていう話をしていて。
それが、なるほどって思ったのと同時に、
今やってるお家工作って模写、模写してることと一緒だなって思ったんですよね。
なんか写真とか図鑑を見て一旦記憶して、
で、自分の手元で再現するっていうのをやってるなって思ったんですよね。
それがまあ家でもやってるし、多分領域先でもそういうことをやってたりとか、
そういう遊びの中でなんか夢中になってやってることって、
結構社会生活を送る上で必要な力が育っていくんだなって思いました。
なんか、なんだろうな、
人とやりとりすることだけがやっぱり社会性じゃなくて、
ちゃんと相手の話を聞くとか、記憶する。
で、自分の中で整理して再現するっていうのが、
コミュニケーションだなとも思ったんですよね。
集中すること。
気が散る意味じゃなくて、ちゃんと目標として、
気が散る意味じゃなくて、ちゃんと目標物に対して注目して、
自分でも整理してアウトプットするっていうのが、
コミュニケーションの基本だなとも思ったので、
好きなことを没頭することとか、追求することで、
社会性は育っていくんだなとも思いました。
自分だけの世界のようで、そこに関心を向けるように、
関心を向けるようにもなっていくような気がしたんですね。
いろんな世界を自分で見つけて探っていくうちに、
他の世界のことも気になるようになってくるんじゃないかなっていうのも思いまして。
そうすると、相手のことも興味を持てるようにもなるのかなって、
そこはちょっと確信はないですけど、特性とかもあるので。
だけど、自分の持っている自信みたいなものを確実に積み上げられていく感じがしたんですよね、その時に。
だから、もしあのままなんとか幼稚園に復帰させてたとか、
ホームスクーリングの魅力
なった時とはまた、よりも今の形が良かったんだなという、
根拠のない自信みたいなものが、私の中にも芽生えてきて、
ホームスクーリングのいろんな知識、ちゃんとした知識を知ることで、
積極的にそっちを選択している方もいる。
不登校にならなくても、こっちがいいと信じて進む方もいると思うと、
なんかこれいいなって思いました。
息子は特性があるので、なおさら学校だけがやっぱり全てじゃないなと私も思ってきたので、
就学どうしようかなって、また違う沼に余ってます。
でも、もし学校に行きたくなったりとか、行きたいとか、行けそうなら、
全然そっちでも応援できるし、選択肢がどこに行っても怖くなくなったっていうのは、
大きいかもしれないですね。
例えば、学校通ってたとして、学校から帰ってきて宿題をしなかったってなっても、
なんかね、このホームスクーリングの知識があると別にやらなくていいんじゃないっていう感じになりそうだなと思いました。
むしろ逆にやらなくていいよとか言いそうだなって。
なんか、その辛い状況で宿題をすることのメリットみたいなのが、
嫌ならいいんじゃないっていう感じに私はなりそうだなって思うし、
逆にそう言われても認めてあげられるなっていうので、
学校に通ってたとしても、ホームスクーリングの知識って活かせることがいっぱいあるなって思います。
もちろんね、できるだけやらせることがいいのかもしれないですけど、答えはないんですけど、
それを言われても別にいいんじゃないという形で、
むしろちょっと学校に宿題は減らしてもらってもいいですかみたいな、
家でやりたいこと他にあるのでっていう話も、
それはモンスターペアレンジになるのか分からないですけど、
そういう学習以外の学びっていうのも、もっと広まっていったらいいなって感じました。
ね、っていうので、そんな感じで、私はホームスクーリングがすごく魅力的だし、
今ホームスクーリングのコミュニティにもちょっと参加しまして、
で、発信とかそんな積極的にはやってないんですけど、
情報を受け取る側ではあるんですが、
日本にいながら海外のプログラムに参加されてたりとかね、
知ってる方もいて、世界って広いなって、
なんか逆にワクワクするような世界なのかもしれないなって最近思います。
はい。
で、ちょっと長くなって、
どこまで話してるかちょっと整理できてないかもしれないので、
聞きづらかったら申し訳ないんですけど、
すごく魅力的なのがもう一個あって、
親が教える必要はないというか、完璧である必要はないっていうところがあって、
あくまで伴奏者なんですよね。
で、算数とかそういう教科を教えるっていうことも、
もちろんあってもいいのかもしれないんですけど、
どちらかというと、どうやったら分かるようになるのかなって、
情報の調べ方を一緒に探したりとか、
どんなことしてみたいとか、こんなことしてみたいとか、
一緒に話し合う仲間みたいな、
フラットな関係でいられるっていうのがすごくいいなって思ったんですよね。
なんか、
勉強ができるように教えるんじゃなくて、
どうやったら自分が好きなことを探すときに見つけられるか、
探す方法を見つけるというか、
自分で学ぶ方法を一緒に探すイメージですね。
だから探し方ですね、探し方。
だからそのうちどんどんなんかね、
ホームスクールの方、いろんな実践している方の話を聞いていると、
最初はもちろん情報の探し方が分からないので教える必要はあるんですけど、
もう一人で勝手にやりだすらしいんですね。
一人でいろいろ探したり、体験しに行ったりとか、
やってみたいことが増えてやってみたりとか。
だからそれって一番大事な力だなとも思えてくるんですよね。
自分が学校に行ってすごい覚えていることって、
やっぱり目的、自分の中で目的意識を持って、
それに向かってやれたことがすごく印象に残っているし、
ずっと覚えていると思うんですよね。
好きなことを見つけてやっている瞬間。
それがやっぱりテストだから何とか頑張って覚えるっていうのも、
覚えているものもあるけど、
覚えているのってやっぱり心が動いているときじゃないと覚えれない気はするんですよね。
楽しんでやれているか。
だからその楽しんでやれるようになるのを、
先生とか親がこうやってやっていくものもあるけど、
自分自身で楽しめることが一番、
自分の内発的動機っていうんですかね。
それがやっぱり一番力強いなって思うので、
それをひたすらこなすことができるのが、
そのホームスクールの魅力だなって思います。
どうしてもね、学校に行っていると、
高速時間というか、学校にいる時間っていうのは決められてしまっているので、
それ以外の時間とかで、
そういう時間を作っていくのがやっぱり、
疲れて帰ってきて難しかったりするかもなと思うと、
最初からそれに当てるっていうのはすごくいいなって思ったんですよね。
学校全てを否定はしていないんですけど、
そういうなかなか活動が少ない気はするんですよね。
まんべんなく教育をするっていう意味ではね。
すごくそこは恵まれている証拠なんだけど、
ちょっとあぶれちゃうと、
そこがね、結局ゼロになっちゃうっていうのは、
つらいところだなって最近思います。
だからホームスクーリングのデメリットっていうのは、
やっぱり金銭的な支援がやっぱりないっていうところと、
あとはやっぱりその学習指導要領というか、
基礎的な学力以外の学びとか、
好きなことだけ好きな時間を使って好きなことをやるっていう学びの良さを、
理解が少ないっていうのがあるなって思います。
やっぱり金銭的な支援は結構家庭に入って閉鎖的になっちゃうし、
悪く捉えられると虐待とかそういうこともやっぱりつながりかねないこともあるから、
支援がないというか、支援した分、
例えば親が違うことにお金を使っちゃう人とかも多分いるから、
実際問題はそこは難しいのかなとは思うんですけど、
理解についてはやっぱり布教していくことが大事なのかなって思いました。
もしかしたら学校の先生とかもね、
ホームスクーリングの魅力
そういう学びをしていきたいと思っている方ももちろんいるんだろうけど、
なかなか変われないのかな、分かんないですけど、
苦しい社会的な構造になっているような気がしますが、
でもせめてそういう学びに対して理解をしていただけると、
学校がすべてということでせかされるということが結構残酷というか、
って感じるときもやっぱりあるので、
茨の道にわざわざ引き込まれるのも違うんですよね。
今はね、本人が行きたくて成長してそういう感じになれば全然いいんだけど、
嫌がっているのを連れていくのがやっぱりなんかちょっと、
いいことないなって思います。
はい、ということで、そういう学びをちょっと
見ていただきたいなって思いました。
けれども、自分一人でそこまでうまくやれる自信はないので、
いろんな人と助け合いながらやれたらいいのかなって、
今現実的にはホームスクールをやろうとまでは思っていなくて、
学校には在籍をして、オンラインのフリースクールでもいいかなとか、
あとは学校に時々行きながら半々ぐらいにするとか、
そういうこともやれるのかなとか、いろいろ今ちょっと考えつつ、
最終的には本人に選んでもらおうかなとは思いますが、
はい、というので、なんか想像以上にでもね、
ホームスクーリングは魅力的なんだなって思いました。
世界とつながれる感じがします。
そこに当てられる時間が増えるっていうのはすごくメリットですね。
デメリットは金銭的なところで、
子どもとね、やっぱり過ごしているとじっくり仕事ができないっていうこともあるかもしれないし、
やるとしたらやっぱ在宅で何か仕事を探さなくてはいけないのかなと思っています。
お金もかかります。ホームスクーリング多分。
結局、図書館とかいろいろ利用できるものは利用してやるしかないと思うんですけどね。
うん、っていう感じに思いました。
だから学校に行ってても、宿題をやらないことに関してすごくデメリット、
あ、なんだろう、デメリットじゃないな、ネガティブに捉えると思うんですけど、
ホームスクーリングの知識があると、
ネガティブって決めつけるのは大人の都合だなって思ったので、
別に成績は悪かろうが、今大事なことを学んでいるんだと思えば、
否定しないでいられるなって思えたので、
すっごく軽くなりました。
家にいても社会性も育てられるし、
好きなこと、自分で問いを立てて考えることができるっていうのは、
結局大人に会ってから必要とされる能力だから、
今のうちからやれるっていうことが後になって、
時間をかけたくてもかけれなかったりするんだろうなと思うと、
私は宿題をやることが全てではないとか、
テストで100点取れることが全てではないと思ってきたので、
そういう面で勉強させなきゃとか思わなくていいんだなっていうところで、
心がかなり軽くなりました。
もし苦しいなって思っている方がいらっしゃれば、
ホームスクーリングってなると思うんですけど、
一旦じっくり本とか読んでみたりとか、
ホームスクーリングの魅力みたいなのとかね、
本人の意思を重視する、ペースを待つみたいな、
すごく大事っていうことが分かってくるので、
それが逆に救いになるなって感じました。
よろしければ一旦調べてみると、
ちょっと世界が広がるというか視野が広がるので、
いいなって思います。
今ちょっとね、これがね、
これから読んでみたいなって思っているのが、
ホームスクーラー界隈でちょいちょい情報に出てくる、
スタンフォードオンラインスクールっていうのがあるんですけど、
アメリカなのかな?アメリカ?
アメリカに拠点があって、
だけど全世界からオンラインの中高一般校、
オンラインのスクールなんですけど、
実績を上げているのかな?
開発者とかいろんなクリエイティブな人たちを創出している、
才能あふれる人たちを創出している学校として、
すごい注目を浴びている学校なんですよね。
その方が書かれている本が何冊かあるので、
ちょっと読んでみたいなって思います。
ほしともひろさんという方なんですけど、
その方の本は、
今まで触れなかったような知識も結構触れられそうなので、
気になっています。
という形で、
このハイスクールは全世界からオンラインなんで、
受講できるんですけど、めちゃくちゃ高いので、
ここにはいかないですけど、
要素みたいなものは取り入れることができるのかな?
って思ったので、読んでみたいなって思っています。
はい、今日こんな感じで長々と話をしてみました。
何か途中ちょっとまとまっていない感じがしたんですけど、
今も結構ホームスクールが私の中で結構熱いんですよね。
そうするかは分からないですけど、
子どもと過ごす時間がすごく楽しくなってきて、
今日はホームスクールを調べていたら、
心が軽くなった話をさせていただきました。
オンライン教育の可能性
ここまで聞いていただいてありがとうございます。
ではまたお会いしましょう。
38:52

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