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Summary

子供の将来の自立のためには、教育の在り方を考え直す必要があります。学校の授業ではなく、友達や共同作業を通じて目標を決め、乗り越える経験を積むことが大切です。子どもの自立につながる教育についてRethinkするには、親が子どもを認めること、子どもに変化を褒めること、日常の楽しみを見つけることが重要です。

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子供の自立のために必要な教育
心と体の専門家が様々なトピックを取り上げて、健康について考え直す番組、Rethink Healthということで、今回は皆さんよろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
今回はですね、子供の将来の自立のために、教育というのはどういうのが必要なのか、みたいなことを考え直してみようかなと思うんですけども、
お互いですね、今子育ての最中というところで、なんだかんだ子供の教育ってどういうのが必要なのかなって考える機会はあるかなと思うんですけど、
やっぱり親心としては、年をとって大人になった時に仕事に困らないようにとか、人間関係でトラブルが起きないようにとか、
全体まとめていくと、自立していてほしいな、みたいな気持ちはあると思うんで、そういう時に子供時代にどういう刺激に触れたりとか、教育を受けとくといいのかな、みたいなことを改めて喋ってみようかなと思います。
はい。
という感じで、とりあえずうちはね、まだ上が4歳で下が0歳って感じで、あんまり教育教育って感じではないですけど、
三浦さんのところだと小学校とかになってきて、ちょっと年も減ってきたんで、学校だけじゃなくて、習い事とか考える機会が増えてくるんじゃないかなと思うんですけど、
子供の様子を見て、教育の在り方とか、どういうことを学ぶといいのかな、みたいな考えたりすることはありますか?
そうですね。どうなんだろうって、本当に健やかに学校に行って楽しいって帰ってきてくれることが一番だなと思うんですけど、
時々休むこともあったりもしますけども、まあそれも一つの自分の状態を伝えることができるっていう意味ではすごくいいから、
まあ本当に何だろうな、無理しなくていいと思っててやってます。だから中学受験とかいう話題も結構身の回りでは出てきてはいますけど、
全くそういうことに、親が突っ走ってやるとかいう感じもうちはせずに、なんかもう子供がとにかくやりたいっていう気持ちを確かめたいんですよね。
確かめてやる。それは本当宿題とかもそうなんです。自分でやるって決めたらやるとかですね。
それもやりたくなくてやってることもあると思いますけど、あと強さ、度合いですよね。やりたいとの度合いとかも、本当にやりたいっていう強い思いってなかなか出てくるもんじゃないじゃないですか。
人間に生きてて、そういうのがもし出てきたときはすごい大切にしてあげるけど、
まあそういう好奇心とかをまだまだ親としては、ちゃんと発見して認めて行動に移してあげるとか、もうその程度しか全然やってないんですよね。
具体的には本当初めに言った、健全に過ごしてもらうためだけ考えてます。全然教育っぽくないと思います。
いやーでもなんか、根本的な親の関わりとしてはその辺が一番大事なのかなって気はするんですけどね。
なんか無理やりこう、一般常識的にこうだからやりなさいっていうのじゃなくて、本当に個々人の子供にとってやりたいこととか好きなことって違うかなと思うんで、
そうやって本当に好きな度合いとかやりたい度合いが強いことに集中できるようにアシストするみたいのはすごい大事だなと個人的にも思いますけどね。
そうですよね。結局なんか仕事とかも、どんな仕事も大変なことがあって、一つ一つこう課題があって乗り越えるっていう連続だったりするじゃないですか。
でもまあそれを乗り越えた時すごい達成感とか実際あったりするから、そういうのはちっちゃいうちにしっかり実感してもらいたいなっていうのはあって、
なんか別に何か大きな異業を成してほしいとか、年級を取ってほしいとか、そういうわけではないっていうか、
日々の中でちゃんとやることをやるっていう感覚をちゃんと気持ちよく身につけてほしいなっていう感じですかね。
なるほどです。
個人的にはまだ学校とかあんまり行ってないですけど、学校だったらある程度どんなことを学ぶかってイメージ湧くじゃないですか。
いろんな教科があってとか、体育の授業があってとか、いろんな授業があって、だから家とか家庭ではあえて学校ではあんまり触れない刺激を与えれるといいなとか思ったりしてるんですけど、
はい。
そういうのって何か意識したりしますかね。
そうですね、家は基本リラックスできる場所と思っているので、あと休みの日には本当に学校では行かないようなことをやってやるとか、体験を積むとかそういうのは意識してますけどね。
学校教育とは異なる経験の重要性
はいはいはい。
そうですね。
どうなんですか、学校の授業とか勉強は好きそうな感じなんですか。
そうですね、なんか意外と面白いなと思ったのは、学校のマット運動、マット体操とか教科書とかで学ぶことがありますよね。
そういうのも時には結構興味持っているんですよ。
友達と一緒にそれを向き合った時に、たぶん励ましあったり、悔しいって気持ちがあったり、そういうのが芽生えたりしやすいのかもしれませんね。
それがいい風に転ぶと子供の中では、もっと頑張りたいとかいう気持ちが湧きたりするみたいで、なんかそれは家では味わえないじゃないですか。
友達がいて、先生がいて、みんなでこれを頑張ろうみたいな、そういうシチュエーションって子供にとってはいい刺激だったりしますよね。
そうですね、自分も今の時代、本当学校の一番の必要性ってそういう友達とのやり取りとか、先生とのやり取りとか、
やっぱり勉強学習ってよりはそっちの方が多いのかなっていう気はしてて、
それこそね、学校の授業で学べるようなことってもうオンラインとか、ネットでいくらでも情報自体は得られるような時代かなと思うんで、
コミュニケーションとして自分の伝えたいことを伝えるとか、相手の意図を汲み取ってとか、
言うこと聞くとこは聞くし、ちゃんと意見あるとこは言うとか、そういうのがうまく、いろんな人といろんなコミュニケーションとれるようにというのが、
学校で学べると、その先にはかなり生きるのかなっていう気はする。
なんかよく、運動会とか批判されやすいじゃないですか、日本の運動会とかって。
確かに大変な練習をして子どもも嫌だって言ってたんですけど、本番では大きな声を上げてみんなで応援して、勝った負けたって喜んだりしてるし、
なんかすごいハッスルする行事だなと思いました。
別にそれによってものすごく傷ついたとかっていうわけではなかったので、問題なかったんですけども、
なんであんなに運動会とか学校のカリクラムとかがすごく批判されちゃうのかなっていうのは常々、
自分も何となく危機意識的にありつつ、なんだかんだと子どもを乗り切ってくれてるなって感じで思ってるんですけど、
せっかくなんで、学校に行くことでしか得られないこととか良さみたいな、そういったことをもしっかり認識しておきたいなっていうのは思いますよね。
そうですね。そもそもやっぱり教育って何が目的かみたいなところを考え直さないといけないような気はしてて、
運動会とかでも順位つけないようにするとかありますよね。
ありますね。
あれは多分多様性とか、ナンバーワンじゃなくてオンリーワンでいいとか、
なんかいろいろありますけど、だから上下とかじゃなくて、もうみんなそれぞれフラットで、
みんな違ってみんな良いんだみたいな感じだと思うんですけど、
そうですね。
まあでもなんだかんだ社会に出たときには、多少の他の人より優れたところがないと仕事にもならなかったりとかあるでしょうし、
やっぱこうなんだろう、みんな共産主義なのか資本主義なのかみたいなのもありますけど、
なんか共産主義的な社会だったら、もう別に他の人より優れたとかじゃなくても、
みんな同じような仕事があって、それをやれば生きていけるみたいなフラットな感じかもしれないですけど、
まあまあでも日本とか世界の一般的には資本主義的な形なんで、
他の人よりもある程度優れたところとか、上を目指していくことによって成長していくみたいなところはあるかなと思うんで、
まあまあどういうところを重視するのかっていう感じですね。
外部評価と自己評価のバランス
そうですね、ただもう資本主義で日本の社会に外れて生きていくってことはちょっと考えがたいかな、
極論は除いたとして、例えばすごく大きないじめに遭うとか、ひどいパオハラに遭うとかっていうのは例外として、
基本的にその場を自分のものにしていけるような、楽しいと思ってもらえるような、
もしくはすごい大変だったとしても1日ぐらいでリカバリできるぐらいの人間になってもらいたいなっていうのはちょっと思ってる。
だから認知行動両方の範囲に入るかもしれないけど、受け止め方とか、やっぱり本人の引きずる度合いとか、
打ち止めの考え方の問題とか、そういうものに関しては、できる限り本人に素直に認知してもらいたいなって気はしますよね。
そうですね。
それが共同作業とかじゃなくて、1人の中でも目標を決めてやる中でうまくいかないことで乗り越えるとか、
個人の中で経験して高めてることもできるかもしれないですけど、やっぱり学校とかだとやっぱり友達とかがいて、
みんなで共同作業とか、みんなで目標を決めながら乗り越えていくみたいな経験はなかなかああいう場じゃないとできない気がする。
そうですね。
一つよくありがちな問題っていうのが、やっぱりその外部尺度によって評価されたことが自分の劣等感につながっちゃう。
学校の何点とか何位とか、ただ本当に向き合わなきゃいけないものは自分自身があれですよね。
自分に負けたかとか自分を超えられたかみたいな、そっちの方にちゃんと目を向けられる。
大人になっても、社会のいろんな圧力に負けずにやっていけるからすごい思います。
そうですね。社会の中で生きていく上では外部の評価ももちろん入るんですけど、
とはいえ別に自分の中での評価軸として、ちゃんと持っていれば外部の評価がどうであっても自分はこうなんだとか、
自分のやりたいことはこうなんだみたいな軸が持てるといいような気はするんで、
それを両方ちっちゃいうちに養っていけるといいなっていう感じですかね。
そうですね。逆にそういうのを養うためには、やっぱり家での過ごし方、家族との過ごし方ってすごい重要な気がしてきます。
なるほど。そういう意味だと、今の一般的な子どもの教育っていうと、外部の評価に左右されすぎっていうのが多いんですかね。
自分の中で目標を決めてやるとか、さっきの自分自身、自分の思いとかそういうのに着目する機会がないですかね。
どうでしょうね。でもやっぱ少ないかもしれません。やっぱり気づく時ってどういう時かって言ったら、親の投げかけ方とかじゃないかなと思います。
親がやっぱり言葉で、あなたはあの子により劣っているとか、ではやっぱりいけない。それが入っちゃうからね。
あなたにとって、今日のあなたが一番素敵でしょとか、今の笑顔が素敵だねとか、そういう言葉を投げかけてあげたことで子どもが気づくっていうか。
なるほど。
そういう意味では、もともとない中にどういうふうにそういうのを気づかせていくかっていうことを考える方が大事かなと思います。
子供の自立を促す教育 ① 子どもを認める
なるほど。そこはだから特に、どんな状況であっても親がまず子どもを認めてあげるみたいなのは、そういう子どもが自分の軸を持つためには重要になってきそうな感じがしますね。
しますよね。
親がね、外でもそうやって比較されて、親からもあの子と比べて、うちの子はどうなんだみたいなことばっかり言ってたら、ずっと外の弁覆機にして自分の中を見れないみたいな感じになりそうな気がしちゃいました。
なんか何でもいいかもしれない。家で卵焼きを作ってみて、今日すごく美味しいねとか、今日よりもっとふわってなったねとか、ちゃんと言葉とか共有する。
小さな出来事とかが意外と子どもにとっては、
なるほど。
そこにいう実効程度感が上がるとかいう。
なるほどね。
学校だとそこまであれですもんね、対一人として、昨日との比較とかって先生がいちいち言われなかったりする分。
確かに。
あとやっぱなんか今まだうちちっちゃいんで、子どもが4歳とか、そうすると何か、いわゆるどんな下手な絵っていうか、書いても褒められるじゃないですか。
そうですよね。
基本的に上手だねとか、前よりちょっと書けるようになったねとか。
それがやっぱなんか学校みたいになった瞬間に結構数値化されてっちゃうっていうか。
そうですね。
周りと比べられる機会も少ないし。
だから本当にちっちゃい時は当たり前に何かちょっとでもできるようになったら褒められてたっていうのが、なかなか褒められなくなってくるから、
だからこそどんな時でも承認されるっていうか、ちょっとした変化でも褒められるとか、そういう場があった方がいいんですかね。
いいんじゃないかなと思って、うちの場合とかそういう意識してますけど、
アドラーとか子供を無闇に褒めてはいけないとか言っちゃうから、みんななんか吐き違えてしまってるかもしれませんけど、
そういう単に指摘ばっかりしろっていう意味ではなくて、
もっと関係性とか精神的な意味なのかなとは思いますね。
あれに関しては。
ちゃんと重要していくっていうことが大切なんでしょうね。
でも親というのは心配だからね、手とか口とか出ちゃいやすいんですけども。
そうですね、こうなったら社会でこうなっちゃうだろうなと思うとあらかじめ指摘しとこうってなっちゃうかもしれないですけど、
それもなんか親の中の常識で言ってるだけかもしれないし、
時代が変わったり、全然環境が違えばその同じ行動しても褒められたりとかする場もあるとは思うんで、
そうですね、親の固定観念みたいなところに引っ張って押し付けないみたいのはやっぱ大事なのかもしれません。
そうですね。
子供の自立を促す教育 ② 好奇心と楽しみを大切にする
あとなんか地味に結構日々の暮らしを楽しむスキルとかもすごい子どもの力尽きる身につけとくとすごいいいかなと思います。
私とか結構小っちゃい頃なんかそういうことよりたまにドカーンと旅行行くとか、
海外旅行行くとかそういうご褒美とかがプレゼントみたいな感じだったんですけど、
それよりもっとこうなんかやっぱり小さい日々の中に楽しみとかがある方が、
本来はいい気がしてて、
なんかそういうお金がなくても生活を楽しむとか、
そういうこととかもなんか子どものうち気づかせるのも一ついいんじゃないかなと思います。
まあそうですね、そういうなんか大きな成果とか大きな刺激がないと楽しめないっていうと。
そう刺激の何かそうそう、
慣れっていうか与え方とかその辺ですか。
そうですね。
まあでもそれこそ本当なんかちっちゃい子供の時の方が、
こういう身近なちっちゃいところに目が向いて楽しむ能力あると思うんですけど、
そうですね。
道端になんか綺麗な石が落ちてたとか、
綺麗な花が咲いてたっていうだけで楽しめるっていうか、
そういうのがだんだんこう、
そういう刺激が物足りなくなってきたりとか、
細かいところの感受性が落ちていったりするかもしれないですけど、
そういうちょっとした楽しみとかがいつまでも楽しめると、
それは豊かな暮らしになるなって感じがしますよね。
そうですね、感受性ってすごい大切ですね。
だんだん大人になってくると麻痺してくるんですかね。
まあなんか、平均的なのは20代ぐらいでやっぱりそういう刺激が、
なんか刺激肩みたいになってしまって、
その後にだんだん落ち着いていくっていうパターンなんですかね。
まあそうですね。
まあね、年取っていけば逆にまたちょっと細かいところに目が向いたりするかもしれないですし、
そうですよね。
まあそういうもんですよね。
20代とかは大きな刺激は求めがちですけど。
そうですね、まさに。
それはそれでやっぱり体験してみないとわからないところもあります。
そうですね。
まあそれでね、好奇心持ってもっと新しい刺激を追い求めてみたいなことで、
広がる世界もあるとは思うんで。
そうですね。
それも大事ですけど。
ある程度、独創みたいな、ある意味。
ちょっとそういったものも入れてみて。
そうですね。
まあそうですね、ざざっと今回の話で言うと、
意外と教育っていう話でしたけど、
何を勉強したらいいとか、どういうスキルを身につけた方がいいみたいな話ではなくて、
子どもの好奇心をちゃんと引き出してあげるっていうか、
興味をちゃんと見つけたりとか、
それでもこう、一度決めたことはやるとか、
単力みたいな話もありますけど、
自分で決めたことはやるとか、
人付き合いの共感とか、そういう感受性とか、
そういうとこ大事だよね、みたいな感じでしたかね。
そうですね。
いい感じで始まったと思いますね。
そうですね。
本当に。
本当にこう、短期的な必要なスキルとかは、
もう簡単に身につけられる時代かなと思うんで、
そういうちょっと漠然と、なかなか抽象的ですけど、
そういうコミュニケーションだったり、好奇心だったりっていうのが、
大事だよねっていうのは個人的にも思うところなんで、
子育てでどういうふうにしたらいいのかなって考えてる人は、
ちょっと考えてみるといいんじゃないかなと思います。
はい、そうですね。
はい、じゃあそんな感じでした。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
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