では今回のお話ですが、 オショリン、どうしてサバイのメガネは日本トップまで地位を詰めたのか、
辿り着いたのかについて話を展開していけたらなと思っています。 オショリンという作品がありまして、これは藤岡陽子さん、もしくは藤岡春子さんという方が小説で書かれていて、
また3年前にはそれを原作とした映画作品もありまして、 小泉幸太郎さん、北野紀衣さんなど、
一部著名の方も主演されています。 話の内容としては、主に明治時代の福井県の豪雪地帯を舞台に、収入源が立たれる村を救うために、
松永御醍醐で、松永光八、この2人が兄弟です。 その兄弟と夢美という女性を中心に、ゼロからメガネ作りに全身全霊を注いでいった、そんな話となります。
自分がこのオショリンを知ったきっかけとしては、 3年前、宮城県仙台市にいた時になります。
仙台にいた時に、学校現場で働いているジムの女性の方に教えてもらいまして、 新井さん、オショリンって作品知ってますか?って。
自分はその時、何ですか?って、本当全く知らなかったので。 で、サバイのメガネを舞台にした作品なんですよって。
多分その人からすると、自分が福井県サバイ市出身っていうのを事前に知っていて、 話のネタ、会話のネタとして提供してくださったんだろうなぁって、今思うと、そう考えられるのですが。
自分は、そうなんですねって言って、その後小説読むことなく、映画も見ることなく、スルーしちゃっていたのですが。
でも、ある時、本当最近ですね。 どうしてサバイってメガネで有名になったんだろうと思ったんですよね。
そう思った時に、書店に寄ったら、オショリン小説見つけまして、 わぁ、これ今読むタイミングだと思って。
さらに、オショリンの帯には、今プロ野球、レッドソックスで活躍されている 吉田雅隆さんのコメントもありまして、ある種それも後押しになって購入して、
読んでみようと思いました。 約300から350ページぐらいかな。
まあまあボリュームあったんですけど、読み切りまして、 読んで良かったなぁって、3年越しに思いました。
普通だったらね、 ジムの女性の方に勧められて、1週間か2週間、
それくらいのスパンで読めよって思うかもしれないのですが、 3年越しに読み切りました。
で、 今、このオショリンで印象に残ったことも話し述べていきたいのですが、
予備知識として、メガネのマーケット、 これだけちょっとさらっと共有できたらなと思っています。
1990年代以降、福井県のメガネ製造業出荷額等の推移、
1992年に約1144億円。
これがピーク、一番規模があった時で、 2000年代に入ると約950億、そこから700億にまで下がり、
2010年代に533億までいって、 現在は500億程度、
高くても550億程度なので、 全体的にここを2、30年で見ると、
携帯産業って言ったらあれなんですけど、市場規模は下がっています。 一方、海外はどうなんだろうと思って、それも調べてみたところ、
イタリアが金額ベースで圧倒的1位でした。 総生産額で見てみると、約9000億から1兆円。
単純計算、今のマーケットと生産額比較すると、 日本の約20倍もあります。
びっくりしました。 ここでどうしてなんだろうって、それについても触れてしまうと、
話があちこち行ってしまうので、ここまでで一旦とどめておきます。
じゃあ、オショリンで印象に残った点3つ取り上げるのですが、 まず一つ目が、たくさんの指定とかを乗り越えてきた産業なんだなと思いまして、
もともと、眼鏡を福井県の地場産業としてやっていこうって伝えたのは、弟のコウハチからです。
コウハチは福井で生まれたものの、仕事は大阪でいろんな職種をやりながら行っていて、
眼鏡を知ったときに、これを福井にも産業として導入するといいんじゃないのかっていうのを、兄の御座いもんに説得しました。
弟は本当フットワーク軽く、陽気な性格でもあるんですけど、兄の御座いもんはどちらかというと村のことを考えたり、
慎重な性格なのもあって、当初は眼鏡を地場産業としてやっていくことに否定的でした。
ただ、コウハチからの、これからの日本には教育が普及していって、勉強、読書する人も増えていくと。
そういった人が増えていけば、眼鏡はなくてはならぬものになるし、
ぜひ眼鏡を作ろうと、そういう熱意に押されて、兄の御座いもんは、じゃあやるかと腹をくくりました。
それだけじゃなくて続いて、その兄弟から、マスナガ末吉という村の腕利きの大工に、
ぜひ眼鏡作りに貢献してほしいと、やってほしいと説得したり、その末吉の説得の後には、大阪の眼鏡職人である
米田佳八とか、東京の名工とも呼ばれる小吉山松太郎など、要するに腕のある職人を期間限定で福井に来てもらって、
まだ眼鏡を作ったことない。これから眼鏡を作っていく、初心者の職人に対してレクチャーしてもらうために、説得する。
たくさん説得していって、否定はされていくものの、なんとかそこを乗り越えていく。その熱意というか、熱量って言っていいのかな。
覚悟というか、その腹の座り方が作品読んでいく中ですごい感じましたし、それこそ眼鏡工場を作って、眼鏡を実際に作ってみて、大阪に持っていくんですよね。
大阪に持って行っても、もうこことこことここがダメですみたいなのをたくさんダメ出しもらって、それを修正していって提供できる。
さらには東京とか大阪のような一流の眼鏡と同等のレベルにまで引き上げたっていうのは、当時働いていた職人は多分1日14、5時間とか働いていたと思うので、
いやーすげーなーって、作品を見ながら思っていましたね。
2つ目は、目が見える、見えないについて。これはどちらかというと、作品を読んでから自分なりに考えたことです。
先ほど、増永御左衛門、高八、2人とも眼鏡を作ろうと決めた後、増永末吉に説得しに行ったという話をしたと思うのですが、
増永末吉が承諾したのは、娘の常の振る舞いとかがきっかけでありました。
増永末吉には嫁の増永小春という人がいまして、その2人の元に1人の娘常っていう明るくて勉強も好きで、学校の本もあるのになぜか学校に行かなくなった女の子がいまして、
高八は娘の常を見ているときに、どうしてこんなに明るくて、ちょっと本読んでみて、音読してみてって、全然文字も読めるのにどうして学校に行かないんだと。
高八はそれを疑問に思って、大阪から試作品として持っていた眼鏡を常にかけてもらったんですよね。
そうすると常は自分の世界が変わったと。
例えば、人の顔の細かさまでわかる。
要するに、肌がなんとなく見えていたものから、肌の細かいところまで見えるようになって、
それこそ常はお父さんの末吉の肌見て、お父さんの肌汚いねみたいな、そういう話もしたり、
遠くにある文字も見えるようになったりして、この眼鏡をかけていけば、学校の黒板に書かれている字も読めるようになるみたいな。
これがわかるからもう学校行けるみたいな、そういった嬉しい振る舞いを見て末吉は最終的に承諾したのですが、
ここから自分が思ったのは、確かに1900年代の眼鏡を知らない、眼鏡かけたこともない人からすると、
自分の視力が良い悪いかなんて絶対にわからないなと思いましたね。
なので、やっぱり眼鏡が良いかどうかわかってもらうためには、まずはかけてもらう必要があるなと。
でも一方で、時代に応じて何が問題なのか、何が価値あるのかっていうのは、定期的に見直して自分たちで定義し直すっていうことも大事。
なのでそれに見合った価値だったり、プロダクトサービスを提供すること。
それを思ったのは、やっぱり先ほど少しだけ触れた眼鏡のマーケット。
今、日本全体では眼鏡のフレームの出荷額、市場規模が下がっている一方で、イタリアの市場規模はすごい伸びている。
それは、当時1900年代とかにおいては視力が見えないっていう、そういう問題に対して視力が見える。
これがもう十分価値のあるものとして成り立っていた一方で、今現代我々からすると、眼鏡はもちろんコンタクトもあるし、レーシックもある。
相対的に見たら、目が見えるようになる、世界がきれいになるとかそういう見えるようになるだけでは価値としては弱い。
だからイタリアって歴史とかそういう歴史資産をうまく眼鏡作品というか、作っている眼鏡にストーリーとして載せて売り出していったのかなって個人的には考察あるのですが、
そういった時代に応じて何が問題なのか、何が価値なのかっていうのを定期的に見直すことって本当に大事だなと思いましたし、
それをそう思ったのも、今まさに別で読んでいる山口周さんという方が書かれたコンテキストリーダーシップ論だっけな、そういう新書があるのですが、
それを読んでいて、そこと通ずるところがあるなと思いました。