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始まりました、おおきなかぶは抜けるのか。この番組は、日常で起きた一人では消化できない些細な悩みや出来事をおおきなかぶとして、ちょっと不思議な関係の3人がうんとこしょどっこいしょと引っ張ってみるポッドキャスト番組です。お送りするのは、石橋と?と?です。よろしくお願いしまーす。
湧谷光織ちゃん?、ということで。
そうなんですよ、今日なんと。
期待感がもう。漏れちゃってる言葉の前に。
湧谷光織ちゃんのやる気ね。
楽しみすぎて。
はい。
なんと今日は、初めてゲストをお呼びしての回になります。
やったー。
ワイワイ。
今まで3人でいろいろやってて、3人の視点も本当に全然違うから、面白くて盛り上がったと思うんですけど、またなんか、1人プラスしてやる回もあったらいいんじゃないかなって前もっていろいろ話してて、
第1回のゲストで友人を、僕とバッシーの共通の知人というか、
素敵なお友達を。
素敵な友人を呼んでの回になります。めっちゃ楽しみで。
あゆみさん初めて?
初めてだよー。
散々話だけ聞いてたからさ。
確かに。
すごい楽しみにしていた今日。
昨日のLINEのグループめっちゃ盛り上がってたし。
いろいろね。
それではもう登場してもらいますか。
僕の友人で東京大学経済学部4年生のひかりちゃんに今日はゲストで来てもらいました。
登場してもらいましょう。ひかりちゃんです。
よろしくお願いします。
ワイワイ。
キラキラなんだよね。
めっちゃそうですよ。
ありがとうございます。
本当に名前の通りですよね。
ひかりです。ひかりに織姫の織って書いてひかりって読むんですよ。
すっごい素敵な説明だね。
初見だとなかなか読めない漢字をしてるんですよ。
みおりって呼ばれたりとか。
ただ私3姉妹の長女なんですけども。
ひかりに織姫の織でひかり。
一個下の妹が中華の華に織姫の織で華織。
一番下の妹が美しいに織姫の織でみおり。
3姉妹全員織っていう字がついてて。
3姉妹で織姫っていう。
かわいい。
のっきからトークがめちゃめちゃ上手い。
本当だよ。
美しいですね。
美しいエピソードだ。
ひかりです。よろしくお願いします。
軽く自己紹介した方がいいですかね。
軽くでいいので。
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興味分野みたいなところをちょっと話してと言われているので。
賢い喋り方。
すごい賢さが。
あふれちゃってる。
知性と品性が。
ありがとうございます。
私は大輝さんとはもともと結構2年前ぐらいから知り合いで。
きっかけは大学のコミュニティだったんですけれども。
お互いずっと音楽やってきてて。
音楽が好きだっていう繋がりがあって出会ったっていうところもあって。
私はずっと音楽やってたので。
音楽とか芸術とか。
もっと広く言うと形の見えないものっていうのが。
人に与える価値みたいなところにすごい興味を持ってました。
ただでも最近はそれをどうやって形にして人に伝えるかみたいなところにすごい興味を持っていて。
面白い。
一つの形として言葉。
特に指摘表現のアウトプットみたいなところをちょっと修行しようかなと。
指摘って声?
声の方です。
なので筆を取って無理やり文章を書くみたいなことを最近はやってます。
よろしくお願いします。
お願いします。
気になる。
魅力が溢れてるんだよな本当に。
そうなんですよ。
今私も必死で止めてる質問したいのに。
まだまだまだ。
そうだよね。
そうだよね本当に言うとそうだった。
そうだったそうだった。
本当に賢いし本当に魅力溢れる。
すごいそのバランス感覚が素晴らしいんだよね。
本当に本当に。
この二人でバッシーと僕と本当に話してるんですけど。
知性はもちろん東大出てる4年生。
勉強だけではなくそういった美術芸術の分野とか。
ピアノめっちゃ上手いんですよね。
マジで。
超上手い。
絶対音感?相対音感?
どうなんでしょう。でも私母がリトミックってわかりますか?
教育。
リトミック教育っていう。
小さい子に音楽を教えるお仕事があるんですけど。
それの講師が。
そうなんだ。
その影響かわからないんですけれども。
結構ちっちゃい頃からリズム感だったり音感だったりみたいなものを楽しくトレーニングするみたいなことに。
親が積極的だったので。
そのおかげかもしれないですね音楽が好きな。
もうジャーンって弾いたら勝手に合わせてくれるんですよピアノを。
本当すごい。
すごいよね。
あとは人格だったりとか、最新関係というか。
本当に。
そのバランス感覚も本当に素晴らしいし。
なんかすごい気持ちいい番組なんだけど。
ひたすら褒めちぎる。
これも本当にすごいよね。
極めつけにビジュアルがいい。
声もいい。
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めちゃくちゃ可愛いですよね。
本当に。
ありがとうございます。
そうなんですアイリーさん。
そんな最高のお友達を。
すごい紹介したくてアイリーさん。
あのね。
もうちょっと難しい。
質問したいことがいっぱいあるから何喋っていいかわかんない。
止まっちゃった。
振りずしちゃった。
どうセーブしていいかがわかんない。
とにかくすごい気になりますね。
いろいろね。
形のない。
形がないものを表現したいって言ってたっけさっき。
確かに。
そうですね。
形のないものというか。
私経済学部の学生で、文学部の学生だったりとか教養学部の学生だったりとか哲学専攻みたいなそういうことをしていないで、
結構リアルなビジネスの動き方とか売上とか利益の動き方、企業の成長の仕方みたいな数字を追ったりとか、
現実世界にフォーカスした勉強みたいなのをずっとやってきてたんですよ。
その反動かわからないんですけれども。
でもやっぱり世の中に質的な価値をもたらしているものっていうのは、
そういう数値的なところでは測りきれない最後の余白みたいなところにあるんじゃないかなみたいなことをぼんやり考えたりはしたんですけど、
とはいえそういうことに興味があるなって、
辞任したのは大学に入ってからで、
ずっとちっちゃい頃からただただ音楽が好きだったので、
それと組み合わさって今の興味が嫌なっているのかもしれないですね。
いつもだったらここでこの3人の株の種を持ち寄るんだけれども、
今日はゲストにヒカリちゃんが来てくれているということで、
ヒカリちゃんが株も持ってきてくれているということで、
嬉しいお裾分け会。
ヒカリちゃんの株をぜひお願いできたらと思うんですけれど。
そうですね。
さっきこの収録を始める前に少し大輝さんとかとも話してたんですけれども、
私結構自分で全部決めちゃう人なんですよ。
他人にまだ自分のモヤモヤした状態で相談して、
答えをもらうみたいなことってあんまりなくて、
それこそ受験とか、
そういう人生の意思決定みたいなところも全部誰の相談も受けずに決めてたりとか、
それ以外でも人間関係だったり、
他のすごい細かい日常の意思決定も、
本当に全部自分で決めちゃうんですよ。
で、それを見て周りの人とかに、
自立してるよね、みたいなことを言われることがすごく多いんですけど、
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自分一人で意思決定ができるっていう意味では自立してるなと思うんですけど、
ただ私って、とはいえ私一人では生きる意味みたいなのをすぐ見失っちゃうタイプで、
家族とか恋人とか友人に限った話じゃないんですけど、
私が私らしく生きてる姿、自立して生きてる姿を、
誰かが本当に無条件にすごいねって肯定して愛を注いでくれるみたいなのが、
すごく自分の自己肯定感につながってるなって思うんですよ。
でもそれって逆に、自立してるように見えて他人にめちゃ依存してるような気がしていて、
自分の本質はどっちなんだろうとか、
むしろ自分は人に依存しやすいっていうことを名言できる人の方が、
本能的に強かったりするのかなとか考えたりする。
種を一言で言うと、誰かに追われていたい問題って書いてあるんですけど、
みなさんそれぞれどうなんだろうと思って。
誰かに追われていたいっていうのは、どういったところと今の自立と依存、
他人への依存の狭間でどうなんだろうっていうバランス感覚を悩んでるみたいな問題じゃない?
追われてるっていうところとちょっとギャップがあると思うんだけど。
自立と依存って対義語じゃないですか。
そのバランスをどう取るかみたいなのがその人の生き方だと思うんですけど、
私それぞれがめっちゃ極端に遠いところにあって真ん中に立ってるみたいな感じなんですよ。
でも、みなさんが自分の自立してる部分と人に依存してる部分がどんぐらい離れてるなって思うか、
実は結構関係なく、もう完全自立一本人関係なく生きてるか、
もう他人の評価にすごい左右されながらでも波に乗りながら、
それを生きてるのが生き方だって思うかみたいな。
全然答えのないぼんやりした話なんですけど。
難しい問題ですね。
確かに。
追われてたいっていうのは、他人がどう評価をしてくれるかとか、
他人があっての自分であるところが追われてたいっていう表現になるみたいな感じ。
そうですね。たぶん誰かにすごいねって言われてないと自立できないっていう感じです。
それはもしその評価がなかったらどうなると思う?
どうなんでしょう。評価がなくなった環境にいたことがなくて、
だから想像できないんだけど、どうなんでしょうね。
もしかしたらものすごい態度の人間になるかもしれないと思いますね。
逆に評価っていうのは、ポジティブ評価とネガティブ評価があると思うんだけど、
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基本ポジティブ評価のことを言ってる感じですか?
そうです。
逆にネガティブ評価を受けたみたいな経験とか。
もちろん、ポジティブ評価しか受けてない22年生だと思うんで、
ネガティブな評価を受けたことは多少あるんですけど。
その時にどう思ったかとか。
ネガティブであれポジティブであれ、評価をされるってことは興味を持ってもらってるっていうことじゃないですか。
なので、どっちかっていうと興味を持ってもらえることに、
すごいじゃあ頑張ってやるみたいな気持ちになるのかもしれない。
ちょっと改めて質問になっちゃうかもしれないんだけど、
自立とこの追われてるっていう関係の真ん中にさっき立ってるってヒカリちゃん言ってたっけ?
はい。
真ん中なのかなっていう感じするね。
真ん中なのかな。どうして真ん中ってちなみに感じる?
そうですね、自立してるねって言われた時も、
とはいえ他人に興味を持ってもらって、
無条件に愛を注いでもらえるっていうことで、
生きてる実感を得られるよねって言われることのどっちにも頷けるか。
なるほどな、なるほどなるほど。
なんかさ、私だったらどうかなっていうのを今、ヒカリちゃんの話を聞きながら考えてたんだけど、
やっぱりさ、みんな何かしら、例えば追われるっていうのって、
つまりは他者が自分を認識して何か言ったりとか、何か反応したりみたいなことだと思うんだけど、
なんかそれのフィードバックを得て、じゃあこうしようっていうふうにヒカリちゃんが考えて、
自分でそこをある部分持続してるみたいな感じがするなぁと思って。
めっちゃわかる。
だからなんかその、自立か追われてるかが両極端のところにあるっていうよりかは、
なんかそれが絡み合いながら、なんかヒカリちゃんっていうものができていってるのかな。
確かに。
でもなんか多分自分でアレンジして進むみたいな力が、
ヒカリちゃんは多分きっと強いから、
意味を見出すとか。
自分でその工夫してこんな感じで進んでみたいなとかっていうふうに、
なんか料理をする力が強いっていう感じなのかな。
だからなんかそれを言い換えると自立っていう感じにもなるから、
自立っていう言葉だけで考えると、
なんか全くその他者の影響を受けずに、
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なんかちょっと孤立してるみたいなニュアンスも浮かぶんだけど、
っていうよりかは、なんか自走上手っていうか。
めっちゃわかる。
受け取りながら自走するのがめちゃくちゃ得意な人っていうことなんじゃないのかな。
強ぇー。
なんか私の中で100%自立してる人っていうののイメージは、
なんか別に誰に何を言われようが、
自分だけから溢れ出てくる無限のエネルギーがあって、
誰に評価されようと好きなようにそれを表現して、
自分がそれで100%満足するみたいな。
それを、じゃあ人にどう評価されるかとか、
承認欲求とかそういうところにつなげずに、
なんかこう自分だけが存在する世界ですごい満足できる人。
そういうのが自立してる人なんですよ。
なるほどね。
なるほどなるほど。
ヒカリはその状態になりたいみたいな感じなのかな。
そうなんですよ。
まあその、そういうタイプじゃないんですけど、
そういう人、そういう風に見える人を見たときに、
羨ましいなとは思います。
これバッシーも結構何回か言ってるような話でもあるのかな。
言ってましたっけ。
気持ちからは消えてくるモントじゃないけど、
なんか自分でこうやっぱり。
確かにそう生命力というかね。
なんかこうやりたいことがパッと出てくるとか、
そういう人を羨ましいみたいな表現を使うことが結構何回かあったと思うんですよ。
でも今客観的な話聞いてて、
そういう人っているんですかねっていう問題。
めっちゃ思いました。
どうなんだろうみんなどこかで、
それを何と表現するかわかんないけど、
依存してるなのか歪んでるなのか甘えてるなのかわかんないけど、
どこかで必要とされないと生きていけないんじゃないか説が今浮上しました。
僕の考えてるテーマと、
本当にここの半年くらい考えてるテーマと本当に同じだったから、
大前提、僕がちょっと投げちゃった部分があったかもしれないけど、
自立と依存が対義?
二項対立じゃないけど、
両極端にあるものみたいな前提がちょっと違ってきてるんじゃないかみたいなところがあって、
そのバッシーの話の通り、
人は社会の中でしか生きられないからこそ、
絶対に人との関係は切り離せないから、
そこで生まれる、例えば他人のフィードバックとかは絶対あるものとして、
そこをありきで自立とかっていうものを考えていくのがいいんじゃないかなっていうふうに最近は思っている。
そこを切り離しちゃうとか、
逆に切り離せる人間っていうのは人間じゃない気がする。
人間って漢字が人の間って書くから、
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人と人との関係性でもう生きてるっていうことの真理がその漢字で表れてると思うんだけど、
自己啓発したみたい。
貝を増す語り。
わかるわかる。
それは思ってて、だから人との関係の中で生きていこうって逆に僕はこの半年間ぐらい納得して、
めっちゃ素敵。
依存って言うと言葉がちょっとネガティブなイメージがあるけど、
それってすごく健全な依存というか、
その良いものな気がする。
コミュニティというか何というか。
一つの基準としてメタ認知があるとは思うよね。
例えばこれ依存してるな、これが自分から発してるものだな、
これは誰かからの押し付けだなっていうところを、
その状況を見てれば依存には究極にならない気がする。
それこそさっきの愛理さんが言ってたような、
自分でうまく組み替えていくというか、利用してホースを決めていくじゃないけど、
そうできるのはメタ認知があるからだと思う。
そうだよね。
選び取るみたいなのがイコール自立。
他人の評価とか他人が発したメッセージを、
自分受け手として解釈したり得ていく。
そうやって自分でルートを決めていくみたいな。
そこは依存というわけじゃなくて、本当に能動的なものだなっていう風に聞いててすごい感じた。
なるほど。
なんかその、一般に天才って呼ばれる芸術家みたいな、
自分で自分を売り出そうとしなくても、勝手に人がそれを掘り出して勝手に評価するけど、
その評価に対してその自己表現のあり方とかを全く変えることなく、
ただ自分の作りたいものだけを作る人っているじゃないですか。
人と人は最低限社会との接点を持たないと生きていけないので、
そういうのはあると思うんですけど、
とはいえ自分のやりたいこととか表現したいことっていうのに、
他人からの評価を介在させる人とさせない人がいるのかなって思ったりするんですよ。
ちょっとその依存とかとはまた話が変わってくるかもしれないんですけど、
そういう天才肌の芸術家みたいな人って本当にいるんですかね。
すごいわかるな。
なんかバランスなんじゃないかなっていうのを今話し聞いてると思ってたんだけど、
例えば私は全く、あえて依存という言葉を使うならば、
依存ってなんか私の中では他者からの影響をどれだけ受けてるかみたいなこととして今仮に依存で使ってるけど、
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依存っていうものを全くしてない人私もいないと思う。
でもなんかね、ちょっと話はずれちゃうかもしれないけど、
理学療法士の人から聞いた話で、
小学校、高学年の子だったかな。
体がちょっと不自由な子がいて、
うまく体を動かすことができなかったんだけど、
原因を調べていっても、身体的な例えば、
体の作りとしての何か問題があるわけではないんだって。
どうやらいろいろ調べていった結果、
幼少期の時に、なかなかちょっと、
お母さんがその子を見てあげられる時間がどうしても少ない環境だったから、
見られるっていうことが少ない環境で育ったらしいの。
なった結果、おそらくその子が自分自身の体を認識しきれなくて、
体を動かすのが不自由になったんじゃないかっていう仮説なんだけど、
説いてる理学療法士の人がいて、
何が言いたかったかっていうと、
それもさ、
自分が小さい時にまだ、
自意識もまだ芽生えてない時に、
母親がそういうふうに自分のことを見るっていう、
自分は意識してないけどさ、他者からの目線がもうそこで小さいというか、
まず生まれた段階から入っていくじゃない。
多分それで、自分っていうものが多分無意識でどんどんできていくんだと思う。
自分を自覚していくみたいな感じなのかな。
どうしたってそれは多分出発点としてあって、
なんだけど、多分バランスで、
なんかもう十分その他者からの目線をもらったから、
あとはもうちょっと自分で完全に自走して、
物事を作っていくわっていうような人が、
天才派だっていうふうにもしかしたら見えるかもしれないし、
でも途中途中で、今自分がやってることを、
問題ないよねっていうふうに確認しながら進めるような、
人との差なのかなと思って。
だからちょっと極端な例を出しちゃったけど、
出発点としては多分みんな一緒で、
やっぱり他者がいることで、
自分っていうものを認識して作っていくんだと思うんだよね、みんな。
でもなんか本当そのバランスなんじゃないのかなって思った。
他の人と違うから、自分ってあるんだって認識しますので。
そうそうそうそうそうそう。
こういうふうに相手が触って自分がこういうふうに感じるっていうことは、
24:00
自分にこういう感覚があるんだみたいなのがそこで初めて芽生えるっていうことだ。
こういうことやったらみんな笑ってくれるんだとか。
フィードバックで自分に実装するもの、
実装すべきじゃないものみたいなところを認識していきながら成長していく。
社会の中で営んでいくみたいなのはめちゃくちゃあると思う。
アーティストの例はすごいわかりやすかったよね。
確かにそういうアーティストもイメージでしかないけど、
だからそういうアーティスト自体が本当にいるのかどうかっていうのも、
僕はちょっと疑問に思うところがあって、
少なくとも社会で生きる中ではお金稼がなくちゃいけないし、
やっぱり生きていくためには。
そういった中で全てを、
例えばお金を全く気にせずに本当にできる人。
かつ、生み出すのはいいんだけど、
生み出したものによって極論害を与えてしまうようなものを生み出してるけど、
それは自分が生み出したいものだから、
ずっと続けるみたいな感じで貫徹できる人がこの世にいるのかどうかっていうのはすごい気になって。
なんでかっていうと、
芸術家もやりたいと思ってるけど、
作った作品によってどんな感じで社会に影響を与えられるかとか、
世界に対して生み出した価値みたいなものをやっぱ認識することによって、
なんかこう活動をずっと続けられてるような気もする。
想像の一期しか出ないし、
なんかいろんな人の話を、本を読んで、
ちょっと実感できることでしかないけども、
なんかそんな気もするから、
やっぱこの他者、社会の中で生み出した天才も、
どっかしらそういうやりがいじゃないけど、
他者に影響を与えることによって、
その営みが続けられてるみたいな面もあるんじゃないかなって、
今聞いててめちゃくちゃ思った。
確かに。
なんかその、
芸術っていろんな形がありますけど、
基本的には、
何か自分以外のものに対して強いメッセージを発したい時とかに、
それが綺麗なまとまった言葉とかではなくて、
そういう誰もが理解できる共通言語ではない形で表現されたものっていうのが、
絵だったり音楽だったり、
いろんな芸術、演劇だったり、いろんな芸術の形なのかなって思うと、
その出発点自体に、
そもそも誰かへの発信みたいなのがある時点で、
人っていう存在が、
その芸術家の中にもあるかもしれないですね。
なんかね、私、
ヒカリちゃんが天才っていう表現をしたのもすごく面白いなって思って、
そこにすごくヒントがあるなって思ってたんだけどね。
天才ってさ、
天の才能でしょ。
天からの才能を存分に発揮してる人が多分天才ってことだよね。
でさ、天才に生まれてからずっと天才っていうよりも、
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天才になれる時期がみんなあるんじゃないのかなと思って。
だから、つまり天からさ、みんなその才能を預かってるわけだけど、
だからみんな天才になれるんだけど、
何が天才を邪魔するかってさ、
それこそ、なんか人からこう見られるかなとか、
社会ではこういうふうにした方がいいかなみたいな、
いろんなある意味ノイズが出てきたりした時に、
ちょっとそのさ、自分がこうしたいっていう本能ちょっと邪魔したりするんじゃないのかなって思うの。
だから、ある意味、
誰かその他者がいることで自分っていうものを認識はするんだけれども、
だけど、自分っていうものは本当にこれを発信したいし、
これを発したいんだ、表現したいんだっていうのを出してる人っていうのは、
天から才能を預かってるものを本当に発してる状態で、
天才って見えるんじゃないかなと思った。
見えるっていう。
そうそうそうそう。
あくまで見えるみたいな。
見えるっていうか、天才っていう状態とも言えるのかもしれないけど、
だからそれこそ、突然さ、年齢を重ねて表現方法が変わって、
なんか急に天才的な表現をするようになる人とかもいるし、
最初からそれができる人もいるし、
逆にそれができなくなるアーティストの人とかもいるじゃない。
だから、なんかそれも人生のバランスっていうかな気はする。
バランスとかもめちゃくちゃ大事。
だから、誰でも天才になり得るというかね。
生きてる間ずっと、大丈夫かな、大丈夫かな、大丈夫かなって振り返って、
ゆっくり進むっていう、そういう道のりは誰しもにあるけれども、
どこか一点で、ある意味、多少の評価はノイズとして、
自分のありたいように進むことを大切に真っ直ぐ行く人が、
外から見たら、その地点から天才に見えるっていう。
そうだね。だから、天才になってくると、
自分の道みたいなのがあるじゃない。
美学みたいなのが。
だから、ノイズって多分感じなくなってくるよね。
周りで起きてることの受け取り方も変わってくるから、
ある意味、天才にしか見えない世界はあるんだろうなって、
天才状態っていうのを考えるっていう気はする。
たぶん、私、その天才状態に対する強い憧れがあるんですよ。
なので、こういう種が出てきたのかもしれないですね。
なるほど。
私もすっごい天才状態憧れるんだけど、
天才状態って、自分はさ、夢中になってて、そのとき気がつかなかったりするんだよね。
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だから、なんか、もう本当に自我がなくなってるときに天才状態になってたりとかもして、
それこそ後で気づいたり、他の人が何か言われて気づいたりとかっていうことな気もする。
だから、ひかりちゃんも実は天才状態になってるかもしれないよ。
天才イコール、めちゃくちゃ美学をすごい貫いてる人のイメージがちょっとあって、
1年間ちょっとくらいライブハウスで天井みたいなのをやった経験があるんですけど、
そこですごい、アーティストさんとかいっぱい見た中で、
明らかにアーティストって美学を持ってるから、そこにすごい羨ましかったんだけど、
その美学っていうのイコール、自分の譲れないもの。
そういうところが、明確であったら、その軸で判断いろいろできるから、
他人の評価のノイズが変なようにそこに左右されなくなる。
もちろん真摯に受け止めてるんだけど、でも、
俺がやってる意義はこれだから、みたいな感じで開き直ってるところがあって、
そこがある意味、自立って捉えられるところでもあるのかなって、
今の話聞いてめちゃくちゃ思ったし、
僕はでも光も、譲れないところみたいなところはあると思うから、
そういうところの場面で、いろいろ意思決定とか、
発言をしてる光を見て、僕はすごいちゃんと自分を持ってるなって思ってるからこそ、
そういう側面はあるはず。
逆にそこがブレてるなって思うところは、
まだ探求すべきところっていうヒントになるのかなって思ってる。
まだここは僕確定してないから、
今後人生で考えとかなきゃいけないなっていう感じで旗を立てるみたいなイメージで、
人生を進んでいくみたいな。
そういった感じで、僕は今も進んでる感じがする。
っていう番組なんですよ、これ。
この感じでね、勝手に見解を述べていく。
たしかに、アイリーさんの天才っていうワーディングが気になったっておっしゃってたのを聞いて、
すごい無意識に使ったなって思った。
たしかに。
めっちゃあるっすよね。
いや、すごいです。
見どころが。
まさにそれが私が一番最初にぼんやりした種として持ってきた、
自分の自己肯定感が自立しているように見えて、
それを誰かが無条件に肯定してくれるっていうところにある。
そういう意味で人に依存してるんじゃないかみたいなぼんやりとした気持ちが、
実は、完全に自立しているように見える人を天才と呼んで、
そこに強い憧れを持っているからだったのかなとか。
33:05
整理が上手い。
すごいなぁ、咀嚼がすごいね。
整理の力が。
天才の人もやっぱり積み上げていく過程とかあって、
変才状態になっていってるって、アイリーさんの言葉から考えたら、
僕もすごい腑に落ちてる。
たしかにそうだな。
面白いよね。
他者から言われたことで、ある意味ヒカリちゃんはすごいちゃんと聞いてるんだよね。
だからその聞く耳を持ってるっていうのは、ある意味すごくそれも個性だよね。
確かに。
そういう意味でもバランス感覚っていうかね。
そうそうそうそう。
何よりメタ認知できてますよね。
それを自分ですごく言語化してるのが、本当に賢いって思う。
逃げずにやっぱり言語化してる。
賢いボタン押したよ。
面白いちょっと。
こんな一つの種をこんなに深掘ってもらえると思われて。
深掘りたくてね、うちら。
ゲストはずっと楽しいですよ。
そうなの、そうなの。
最初は誰かに追われていたい問題でしたけど。
そうだね。
そうだね、なんかすごい旅に出たね。
旅でしたね。
すごい喋っちゃった。
すごい掘りましたね。
はい、ということで、この番組では取り扱ってほしい出来事、株の種を皆さんからも募集しています。
抜いてみたい株の種をお持ちの方は、概要欄のリンクからぜひお便りをお願いします。
あなたからお便りお待ちしてます。
今日の株どうだった?
っていうまとめのコーナーです。
っていうコーナーがあるんです。
まとめのコーナーですね、ここは。
どうだった?
最初、たいきさんから声かけてもらって、株の種を持ってきてって言われた時に、
株かーって。
すごいなんかこう、それこそ日常で瞬間瞬間に考えたことみたいなのを、
あえてその詩的な、ポエディックな表現にするみたいなことはしてたりしたんですけど、
それをすごいなんかこう、現実的に議論できるトピックとして、
もう一回練り直して言語化するみたいなのが、なかなか難しくて、
最初持ってきた時も、なんか自分の中でも、どうもその種の色がわかんないみたいな感じだったんですけど、
まあそのさっき話した天才っていうワーディングもそうですけど、
多分この3人か4人が集まらなかったら、なんか出てこなかった話とかにつながってて、
36:05
面白かったので、なんか私的には結構抜けてきたんじゃないかなと思いましたが、どうでしょう?
嬉しい。嬉しいし、コメント力がすごい。
まじで、あの、終始コメント力がすごく高い。
かけ起こしてもレポートでそのまま出せるからね。
構成とかもね、完璧で。
提出できるこのまま。
できるよね。
すごい。
いやでも面白かった。めちゃくちゃ面白かったな。
みんな考えてることも同じなのかなっていうのも分かってたし。
似てるところもあるし。
今日かぼって僕自身も見えることがあって、面白かったにつきます。
いやー、面白かったですね。
でもヒカリちゃんがその、自分一人で解決するって言ってたから普段、
それをポンと持ってきてくれたのがなんかすごい嬉しい。
嬉しかった。
確かに。
どんな違いがあったんですか?他の視点が入るみたいなところで新鮮さみたいな。
なんかやっぱり、こういう日常でぼんやり考えたことに対する結論まで、
全部自分で閉じてやってるわけではなくて、
それは放置してふわふわ頭を巡ってるみたいな感じで、
実際決めなきゃいけないこと、すごい細かいことで言うと、
明日のレストランどうするとか、
塾はどこにするとか、どこで学を受けるとか、
そういうことは全部自分で決めてきたんですけど、
人生のどう生きるかとか、哲学的な話とかは、
人と話して、自分が持ってない視点を見つけることに価値があるっていうのを、
なんか今日感じました。
やっぱオープンマインドでいるのが大事かもしれない。
コメント力に感心していたら1回が終わってしまう。
まずずっと感心してる。
わかる。
すげえ面白かった。
すっごいわかる。
なんか絶対、各コミュニティにヒカリちゃんみたいな子がいたら、
絶対議論もまとまるし、冷静に考えられそうだし、
で、すっごいいろいろ妄想しちゃった。
そこまで。
ありがとうございます。
めっちゃ楽しかった。
いつもとまた感覚が違って。
違うよね。
違うですね。
全然感覚が違う。
今回と次はそれぞれ持ってきたカバーで、また4人でヒカリちゃんゲストでお話しするので、
それも楽しみです。
もう1回できる。
もう1回できる。
めっちゃ嬉しい。
修士素直な大輝さん。
素直です。
はい、ということで初ゲスト会でございました。
では次回も。
一緒に大きなカバーを抜きましょう。
またねー。