無限シュークリームの味と名前の仕掛け
先日ファミリーマートから 無限シュークリームなるものが発売されたので、すぐに買いに出かけました。
どこへ行っても売り切れで、ようやく手に入れた頃にはもう4店舗目。 逆にね、期待に胸を膨らませてシュークリームを食べると
甘すぎず重すぎずしつこくなく、それでいてとろっとした滑らかさがあって、 まさにね、無限シュークリームの名を冠するにふさわしい味だったんですね。
そんな美味しさの余韻の中で、一つ気がついたことがありました。 この無限シュークリームっていうネーミングに
誰も知らないトリックが含まれているなってことに。 今日はその無限シュークリームのトリックについて話していきたいと思います。
少し前から無限きゅうりとか無限ピーマンみたいな言い方をするようになりましたよね。
今回の無限シュークリームも一見この無限○○の流れを組んでいるように見えます。 しかしよくよく考えてみると、そのね、善用っていうのは違っているんですね。
無限ピーマンも無限きゅうりも本来そんなに食べ続けられない食材に対して、 こういう工程を加えれば無限に食べられるようにできますよっていうところにネーミングのインパクトがあるわけです。
つまり、美味しさの裏付けとして無限っていう言葉がついている。 対してシュークリームっていう食べ物は、そもそもたくさん食べてしまいたくなるような美味しさを持っているものじゃないですか。
「無限」が与える許可と解放感
だから美味しさを裏付けるために無限は必要ないんですよ。 それにもかかわらず無限シュークリームっていう名前がなぜ魅力的なのか。 それは無限子食べて良いっていう許可がもらえるからなんじゃないかなって思うん
です。
シュークリームって美味しいことは間違いないのですが、実際には体型とかね、健康のためとかお金のためとか、あとクリームが重たくてみたいな様々な理由で美味しさ以外のところで無限に食べられないわけです。
だからこそ、そんな食材であるシュークリームに無限がつくと、食べてもいいですよっていう許可がもらえたことになるんじゃないかなって思うんです。
ともなってシュークリームを取り巻く束縛から解放された清々しい気持ちになるわけです。
具体的に言うと、重くなりがちなシュークリームが企業努力で無限に食べられるようになりましたっていうお題名目をこちらが受け取ることによって、そういう様々なシュークリームが食べられないっていう理由から解放さ
れて、全ての自分が持っている欲望をシュークリームにぶつけられる。
だから無限シュークリームっていう言葉が魅力的に響いているんじゃないかなって思うんです。
もし無限シュークリームが大ヒットしたら、これから無限ブームが各業界に伝播するかもしれません。
例えば旅行。旅行ってみんなできることなら無限にしたいものじゃないですか。
しかしお金もかかるし、もう一つね、スケジュール的な問題とかでなかなか実際無限にはできない。
そんな中で発表される無限旅行。対象の宿泊施設なら泊まれば泊まるほどお得になるみたいなプランね。
そんなプランが発表されたんだったら、細かいことは抜きにして無限旅行したいって、解放感を求めて予約する人が出てきてもおかしくはないですよね。
もしくは無限ラーメンみたいなものでもいいですよ。
カエダは完全無料。好きなだけ食べていい。そう言われると無限ラーメンを体験したい人が集まってきてもおかしくはないわけです。
欲望に無限がお墨付きを与えてくれると、一段階上の体験が解放されるわけですよ。
有限だからこそ生まれる価値
ただね、ここまで話してきましたけど、無限が当たり前になったらなったで、多分多くのものが陳腐化するんじゃないかなって同時に思うんですね。
シュークリームだって一緒で、食べたいけど健康に悪影響があるから我慢しなければならない1個にしようって。
そういう状況で食べるシュークリームだからこそ、その貴重さを前提にしているからこそシュークリームは美味しい。そんな感覚も絶対にちょっとありますよね。
無限シュークリームの時と同じ味のはずなのに、なぜか節制している時の方が濃厚な美味しさに感じる。
つまりシュークリームの美味しさの一部にも有限というものが含まれているのかもしれない。
どこかのタイミングで無限の味が飽きられて、みんなが再び有限を求めるターンが訪れるかもしれないわけです。
で、その無限が飽きられたっていう時制で大ヒットする商品、それが有限シュークリームなわけですよ。
それは消費期限がとても短いからなのか、カロリーがめちゃめちゃ高いからなのか、クリームが特別重たくてなのか、原材料が貴重だからなのかとか、どの理由で有限になるかはわかりませんが、
人生の裏返しとしての無限シュークリーム
しかし無限のような気がしていた事柄、今でいうとシュークリームですね。無限のような気がしていた事柄に有限であると突きつけられると、何かしらのその物っていうのは途端に熱を帯びるんじゃないかなって。
これはそう、人生と全く同じ構造なんです。無限のように扱いがちなものを有限だと認識し直すことで意味が生まれる。
毎日の食事だって無限に続くわけじゃない。この美味しさを味わえるのあと何回なんだって有限を意識すると、まるっきり違った体験になるわけですよ。
全ての行動は有限で、通勤するのも、排水溝掃除するのも、ハンガーの向きが違うから服をかけ直すのも全て有限排水溝掃除、有限ハンガーかけ直しなわけです。
未来の有限シュークリームは僕たちにそんな体験を提供してくれるんではないかと、今から楽しみなわけですよ。
ここまで全て踏まえて、無限シュークリームっていうものは何なのかを考えると、無限シュークリームは人生の裏返しシュークリームだとも解釈できます。
人生は無限のように扱われるけど、有限を意識することで意味を持つ。シュークリームは逆に有限のように扱われるけど、無限を意識することで意味を持つ。この対比なんです。裏返しなんですね。
だからこそ無限シュークリームは素晴らしい。とことんリアルな人生に対して、無限シュークリームは僕らに最上級の完美なファンタジーを想像させてくれるわけです。
皆さんもどうか無限シュークリームを知らなかったって人もこれを機に無限という免罪符に任せて欲望を解き放ってみませんか。きっとそれがファミリーマートが掲げるあなたとコンビニファミリーマートの本当の意味を理
解する時なのかもしれません。
今ギリの実家のキッチンでコソコソ話してるんですよね。やばい。
今日も変な話でした。ご静聴ありがとうございました。