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逆に大きい秋を教えてください#91
2026-11-01 09:54

逆に大きい秋を教えてください#91

30代男性B型は小さい秋だけ見せられている

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サマリー

話者は、「小さい秋」という言葉によって、きのこや栗、紅葉など秋の断片だけを受け取っているのではないかと考える。春や夏、冬には桜、海、雪のような大きな自然との一体感があるのに、秋にはそれが感じにくく、ジャック・オー・ランタンが秋の象徴のように振る舞っていることにも違和感を示す。子どもが桜吹雪を追いかけて転んだ場面などを例に、大きな季節を感じた体験を挙げつつ、「大きい秋」を感じられないもどかしさを語る。後半の「見つけた世」では、公園で枝を引き寄せて葉を観察する女性や、商品の箱を開けて確認する人を見て、「その方法があったのか」と感じた経験を紹介し、自分もキウイを皮ごと食べる習慣を誰にも指摘されず続けているかもしれないという不安に触れる。

「小さい秋」に隠された大きい秋
逆に、大きい秋っていうのは何なのかって考えてます。 春夏秋冬の中で秋だけが
小さい秋とかいうロマンチシズムでうやむやにされて、 なんかこう、バラ売りのようにポロポロ訪れる感覚があるんです。
きのこ、さつまいも、くりさんま、もみじ、きんもくせいとか、 パーツに分かれてね、秋がお届けされてくる感じ。
加えて読書の秋、スポーツの秋みたいな、 実態としては1年を通して行われている人の営みがね、
秋こそという表情で、こっちをさらに混乱させてくるんですね。 食欲の秋とか、絶対に食欲に関しては冬の方が上回ってるだろうって思いますしね。
春夏冬、他の季節はもっと層になって、ゾーンになってるっていうか、 グラデーションで訪れている。
春一番が吹いた時にはもう春のグラデーションの中にいるし、 セミが鳴けばね、夏全体を感じられるし、
白雪がね、白くなってくれば、冬っていうゾーンに自分がすでにいる感覚があるんですね。 しかし秋だけは違う。
秋には連続性がありません。 栗ご飯を食べている時も、秋だなーっていう感じよりかは、
栗ご飯だなーって感じるんです。 小枯らしに吹かれた落ち葉を見ても、秋全体を見ているって感じはしない。
小さい秋っていう切り抜きを見ている気になるんですね。 それほどに小さい秋っていう言葉は罪深い。
僕らを大きい秋から遠ざけていると思うんですよ。 こうやってちょっと今話しましたけど、何をそんな
季節の王様とジャック・オー・ランタン
大きい秋にこだわっているのかと聞いている皆さんは思われたかもしれません。 小さい秋じゃダメなんですかと。
逆に皆さんにお尋ねしたいんですが、納得できますか? ランドセルを渡されて、はいこれが春ですよとか
セミの抜け殻を渡されて夏ですよって、そう言われているようなもんなんですよ。 小さい秋で満足してくださいっていうのは。
なんだかそういう損をしている感覚が僕を悩ませているんですね。 僕たちはまだ秋を知らない可能性だってあるんです。
少し話は脱線しますけども、季節の象徴って僕は巨大な自然であるべきだと思っています。
テレビゲームでね、火属性、水属性みたいなのがかっこよいのと同じで、 やはり季節の玉座には大自然が座っていた方がかっこよいんですよ。
春ならね、桜と川のせせらぎとか、 夏は新緑の山と青い海、秋は色づく山と冷たい風、
冬はしんしんと降り積もる雪みたいな、 この季節の王様たちをどこか感じられるものやこと、それが季節を感じるっていうことだと思うんです。
季節自体がね、言ってしまえば人間の尺度で、生活に合わせた形で切り分けられた、 たかが一つの尺度に過ぎないのだとしても、
僕はね、そういう大きな季節に触れていたい、つながっていたいって日々思っているんですね。
でも、秋はその一体感みたいなものがどうも難しく感じます。 原因の一つはさっきの小さい秋っていう話と、もう一つは最近カボチャが調子に乗っているせいだと思うんですね。
あのジャック・オー・ランタンとかいうふざけた、 ふざけたカボチャですよ。
僕たち生活の中であのオレンジ色のカボチャを見ることで、秋だなーっていう感情を完結させてしまっているところがある。
一時期の異様な盛り上がりが落ち着いて、いつの間にかクリスマスよろしく、修行館が大らかな僕たち日本人がね、毎年しっとり親しんでいるイベントです顔をしているじゃないですか。
秋の代表やらせてもらってます顔をしているじゃないですか。 ジャック・オー・ランタンはそうやって僕たちのことを嘲笑っているんですよ。
大きな季節の記憶と大きい秋への憧れ
もっと僕が感じたいのは、よくねわかんないけど、柿食えば金がなるなり法隆寺的な、ああいう大きな秋、あれを感じたいんですね。
ねえ皆さん感じたことありますか?大きな秋。今まで体感した一番大きな秋って何がありますか?
たぶんね、春、夏、冬はあると思うんですよ。僕だったらね、ちょっと個人的な話ですけども、走る子供がね、我が子が桜吹雪を追いかけて転んだときに、ちょっと大きな春だなーって感じたんですよ。
あるいは海のね、家で、すだれにびっしりトンボがくっついているときを見たときとか、まつげに雪をのせながら、ススキノで二次会会場を探しているときとか、もうすごい大きな季節、大きいってなる瞬間があるんです
よ。
大きい季節っていう感じがね、あるんですよ。でも秋はない。どうしても大きい秋を感じたい。だからといって能動的にもみじがりとかをするのも、それはそれでもう大自然じゃない気がしている、そんなわがままな気持ち
もある。
ねえ、何ですか今日の。
今日はこの大きい秋を感じたいっていう、妄想にとらわれた30代男性の猛言なんですね。
もはや自分がどうしてここまで躍起になって大きい秋を感じたいと思っているのか、言っているのかもわかりません。秋とは何なんでしょうか。
好きなソフトクリーム屋さんが9月の終わりに一時休業するからちょっと早く行かなきゃみたいな感じで慌てて食べに行くってこれ秋なんですか。
日中異様に気温が上がったから急遽バーベキューをするってこれは秋でしょうか。
冬のアウターを今のうちに買うのは秋なんですか。
ねえ、何なんですか。秋を楽しむより寒い日のストレスが上回ってくるのも何なんですか。
耐える気持ちが強すぎて秋を感じるとかそのフェーズにも入ってない。
いつか大きな秋を感じられる日を夢見ながらね。
そんな心の内をただただ話す変な話でした。
ご静聴ありがとうございました。ちょっといつもと違う感じでした。お付き合いありがとうございました。
見つけた世:公園の観察とキウイの食べ方
見つけた世のコーナーです。
見つけたものをただね僕がつらつらと台本も何もなく話すそんなコーナーなんですが。
先日公園に行ってね。大きめの公園に行ったんですよね。子供を連れて。
その時に珍しい葉っぱなのか実なのか分かりませんが大きな木の枝それをガシッと掴んで
枝を寄せて葉っぱを直接観察する50代くらいの女性の方を見つけたんですね。
すごくすごいなと思って。それいいんだっていうね。いいのかどうかは分からないんですけども
その方法あったんだって思ったんですね。
似たような事例で西松屋で売られている子供用のスイート。
あれ箱に入って売られているじゃないですか。その箱を開けて直接物を確認している方がいたんですよ。
それもいいんだと思って。いいのか悪いのか置いといてですね。その方法あるんだっていう。
ああいうはみ出したところっていうんですか。
僕もね小学生の頃までキウイ、果物のキウイって皮ごと食べるものだと思ってて
すごい同級生とかにどびきされたんですけどいいんだっていうかその方法あるんだを
自分も同じように保持している可能性があるなと思って
それがね誰かに指摘されないままずっとそれをやり続けているのかもしれないって
その不安に駆られたそんな見つけたようでした。
ご静聴ありがとうございました。
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