00:05
スピーカー 2
テイル、JP、異談、真理、注意
スピーカー 1
この文章を読んでいる際、突然に心身の不快や不調を感じた場合は、すぐに文章の反読を中断してください。
スピーカー 2
職業柄というものなのかはわかりませんが、各地の民話や伝承、あるいは俗に階段と言われるものを集めていると、時として
スピーカー 1
これは話してはいけない、誰にも言わず心の中に留めておかなければならない、と直感的に感じるような話に出くわすことがあります。
よくある、自己責任経営の怪談や、一昔前に流行った不幸の手紙のように、これを読んでから何々をしないと、その人に明確な災いが降りかかる、とか、そういった話ではありません。
むしろ怪異としては地味で、怖がらせることを目的として作ったホラー映画や怪奇小説のような起伏もない、そういったものの方が多いかもしれません。
スピーカー 2
なんというか、ものすごく恐ろしい化け物が出てくる、という恐怖や、実際に話を聞いたことで何人もの死者が出ている、といったゆえんなどではなく、
スピーカー 1
ただ単純に本能が危険だと判断するのです。
スピーカー 2
怪談には語っていい話と語ってはいけない話がある、とはある著名な怪談作家の言ですが、そういった話を聞いた際にはまさにそんな印象を受けます。
私が思うに、恐怖というのは人という生き物が進化して、様々な情緒を繊維化していく中で、今も形を変えて進化を続けている、
スピーカー 1
そんな可変の感情なのではないでしょうか。最初というより、原初はおそらく死への恐怖だったでしょう。
人間が猿のような姿をして狩猟・採集を行っていた頃、唯一かつ絶対的な恐怖とは上位の生物による捕食であったと思います。
しかし、そこから人間は社会性を得て、それに伴って様々な感情を得るに至りました。
03:07
スピーカー 1
例えば、今いる地位が崩れることの恐怖。 例えば、大好きな人から嫌われてしまう恐怖。
スピーカー 2
それらはある意味、人間だから持てる感情です。 それらは死とはまた別の、
スピーカー 1
それぞれがそれぞれに持つ嫌なことを想像していくことによって形を変える。 そんな感情であるわけですから。
恐怖症なども良い例です。 私の友人には集合体に対する恐怖感情を抱いている人がいるのですが、
彼女は台所の流しに溜まる洗剤の泡ですら見ることを嫌がります。
もちろん、洗剤の泡が死に直結することはありません。 しかし、彼女はそれを怖いと感じ、できる限り接触を避けようとするのです。
それらを恐怖するに至る理由は、その人の出自や背景によって様々で、いろんな事情があることなのでしょう。
しかし、先ほどから書いている、「語ってはいけない話」については、それらとは少し違います。
各々が心の中に持つ嫌なことを、その話から想像してしまうといった形での恐怖ではなく、
スピーカー 2
ただただ近畿を感じ取ってしまうのです。 どんな出自の、
スピーカー 1
どんな性格の人が聞き、あるいは読んでいるかなどとは関係なく、
スピーカー 2
それがダメな話であることを無意識のうちに自覚してしまうのです。 私と同じような趣味、あるいは職業を持っている方も時々そういった話に出会っている方は
いらっしゃいますので、 ひょっとしたら今これを読んでいる中にも、
そんな経験に心当たりのある方がいるかもしれません。 これから書くのは、私が以前に聞いた
スピーカー 1
そんな近畿のうちの一つ、あるいは複数を、 できる限り希釈して描写したものであると思ってください。
スピーカー 2
もちろん、ここで書いた個人が特定されたり、 それこそ何らかの影響が読み手側に出ることのないように、
いくつかの嘘やぼかしを交えつつ書いていきます。 この文章を書く前に、大まかな構成と内容について、
06:06
スピーカー 1
何人か私の信頼できる方にチェックを入れてもらい、 了解をいただいておりますので、おそらく読んだだけでは何の影響もないと思います。
ただ、万一これを読んでいる途中で何かを感じ取ってしまった場合には、 すぐに読むのをおやめいただくことを推奨します。
スピーカー 2
先ほども言った通り、読んだ人に明確な災いが降りかかるといったものではありませんし、
スピーカー 1
そもそも霊障とはそんな単純なものではありませんので、 読むのをやめていただければそれだけで大丈夫です。
SCP、JPをご存知でしょうか?
ご存知でない方に簡単に説明すると、
福岡県倉手郡というところに住む、 失踪したある母子のビデオテープにまつわるSCPで、
このビデオテープに記録された映像には不定期なタイミングでノイズが入り、 不明瞭な音声のようなものとよくわからない画像が挿入されます。
スピーカー 2
異常性はこれを視聴した人がそのノイズに類似した幻覚と現状に悩まされるというもので、
スピーカー 1
報告書には記録、JP、番号という形式でこのSCPに関する様々な調査資料が添付されています。
以下は私の知るSCP、JPにまつわる話であるということにします。
私が福岡県の民話について調べ始めたのは約10年ほど前のことでした。
スピーカー 2
学術的な興味があったからといった高尚な理由ではなく、どちらかというとどこかに怪談のネタが転がっていないだろうか、という下世話なヤジウマ根性が根底にありました。
最初はネットで福岡地方の民俗語彙などを収集することから始め、
やがてその周辺に行く用事ができたときにはいくつか当たりをつけ、
スピーカー 1
近くにある神社や民俗資料館に立ち寄ってみたりもしました。
畳から見たら変な人だと思われたかもしれません。
09:02
スピーカー 2
突然見ない顔の来客が来て、民俗資料やその地の言い伝えについてあれこれと聞いていくのですから、
スピーカー 1
当然といえば当然のことです。
スピーカー 2
しかしどの地域にも話し好きの方というのは一定数いらっしゃるもので、
ありがたいことに何十分もかけていくつもの奇談の類を聞かせていただいたり、
神社の奥の方から古めかしい書物の類を引っ張り出してきてくださったりと、
スピーカー 1
丁寧に対応していただけることも多かったです。
今思えば、民俗学のフィールドワークに来た学生か何かに間違われたのかもしれませんが、
スピーカー 2
数年前、とある小さな神社で、
ハゲ頭の高校や禅とした官主さんに、
狐に馬鹿された男の滑稽話や、
スピーカー 1
海岸の大岩に変化してしまった天の悲しい物語などを色々と聞いていた時のことです。
スピーカー 2
来客は久々らしく、上機嫌に話してくださるそのご老人の話をうんうんと聞いていると、
スピーカー 1
話はそのうち彼の身の上話になりました。
スピーカー 2
聞けば彼は数十年前に奥さんを亡くされてから、
スピーカー 1
子供もおらず、ほとんど一人でここを管理しているとのことでした。
スピーカー 2
そういう場合には、御子をアルバイト等で雇わないものなのかと聞いてみたのですが、
スピーカー 1
今はどの家庭も忙しく、そのような神社の管理をするために働こうとする方はなかなかいないのだそうです。
考えてみれば、御子は月のものがある間はその職業内容が制限されるとも申します。
そのため、古い神社ではある程度年齢を重ねた方をのみ雇い入れる場合もなくはないのですが、
確かにそういった場合ならば、大多数の女性が社会で働く今の時代に、神社で御子として働こうとするというよりも、働くことのできる方は少ないでしょう。
私は彼のシワの多い顔を見ながら、ただ話を聞くことに専念しました。
スピーカー 2
奥さんの死因が何であるかは語りませんでしたし、私も聞かなかったのですが、
12:07
スピーカー 1
その話の端々に出てくる表現などからつなぎ合わせて考えるに、おそらくはその心、精神に関係するものであったのではないかと私は推測しています。
スピーカー 2
もちろん名前も知らない個人のことについて、むやみやたらに深く詮索する権利など私にはありませんので、
スピーカー 1
そう感じるに至った要因などを省述することはここでは省かせていただきます。
非常に優しく、気立ての良い方だったのだそうです。
観主さんの管理する神社は民社と言われる部類のもので、簡単に言うと個人経営のような形態でした。
通常、国家が祭祀を行うような観社と言われる神社の場合、
スピーカー 2
観主になるためには多くの勉強や実習の末に特別な会議を授与されている方でないと、そもそも偶事などにはなれないのですが、
スピーカー 1
これに対して民社だと往々にしてこの辺りが緩く、家計だけで後継ぎを決めるような場合も多いのです。
スピーカー 2
それが良い悪いという話ではありませんが、この神社も多分に漏れず、そのような傾向にあり、
スピーカー 1
つまり彼はいわゆる神社の家計であったのです。
スピーカー 2
このご時世に侵食、しかも彼のおっしゃっていた表現をそのまま借りると非公式なものとは、
スピーカー 1
ということで奥さんの家族からは猛反対を受けていたのだと言います。
スピーカー 2
最終的には半ば家を飛び出す形で二人は結婚し、幸せな家庭を築こうとしました。
しかしその生活も長くは続かないまま奥さんは亡くなり、心に大きな空白ができたような心持ちの中で、
スピーカー 1
彼は再び一人で神社を管理していかなくてはならなくなったのだそうです。
それで、と言って彼は先ほどまで私に見せていた分厚い書物を自分の手元に戻すと、ページをパラパラとめくり出しました。
スピーカー 2
倉橋貴陽と書かれたその本は、重厚な想定の民俗雑誌で、
スピーカー 1
今でいうところの長子や詩詩にあたるものだと思います。
15:06
スピーカー 2
この地は昔、どこどこの豪農が商屋を構えていたとか、
併合される前はこんな名前の村だったとかのありがちな情報の他にも、
スピーカー 1
民話や伝承の章が作られていました。
五十音順でその地に伝わる説話をはじめとした民俗語彙が説明されています。
スピーカー 2
今はそういった昔話の継承という観点でも、そういった情報を盛り込んだ詩詩を作るのはさほど珍しくはありませんが、
この時代にあって民俗学、当時にこの故障が浸透していたかどうかはわかりません。
スピーカー 1
民俗学的な論考のために特別に章を割いているというのは、それなりに珍しいことのように感じました。
探していたページを見つけたのか、彼が再びその本を私の方に向けて差し出しました。
そこは、「と」の欄で、「取り返し歌のこと」と書かれていました。
これを指して、彼は言います。
スピーカー 2
「恋が取り返しの歌っちゅうとよ。 あっちゃん行ってしもうたにょうごう。
スピーカー 1
いっぺんだけ呼び戻しゆる歌ってことだいね。 見ればそれは高齢術の一種のようでした。」
と言っても、こっくりさんのようなものではなく、どちらかというと行き口や沖縄地方のユタに似ているように思えました。
しかし、「取り返しの」ですか。
スピーカー 2
そう私は問いました。
スピーカー 1
取り返しの歌だったら覚えがあったのです。
福岡地方に伝わる婚姻儀礼の一種で、両家の親睦を深めたり嫁入り道具を収受するときに歌われる祝い歌のことを指して、こう言います。
スピーカー 2
こがんにもつばうけとるからにゃ、まんごまつだいかえしゃせぬ。 両家の大黒柱が音頭をとって、主演であから顔になった家族がそう歌う様子は、
福岡に何人か親戚がいる私もよく知っていました。 ですが老人は、
スピーカー 1
いんにゃ取り返しの歌よ。 と返します。
18:00
スピーカー 2
そしてその歌について詳しく語り出しました。 ここでもう一度釘を刺しておきますが、
スピーカー 1
この文章にはいくつもの嘘やぼかしが混ざっています。 今から言うことを正確に再現しても、まず何の成果も得ることはできません。
それができるのは未亡人に限るのだそうです。 ここでいう未亡人とは、今のように夫に先立たれた妻を指す意味ではありません。
スピーカー 2
その意味だけを指すのではありませんと言った方が正確です。 要は夫婦のうちどちらかに先立たれた人という意味で、
スピーカー 1
文字通り未だ亡くならない人のことを表します。 夫婦どちらかが死ねば、もう一方はそれに準じなければならない。
取り返し歌はそのような価値観が未だ残っていた時代に作られたものなのだと私は推測しました。
その未亡人は儀式に先んじて、何年か髪を切らずに伸ばし続けます。
頃合い、つまり取り返すに足る毛量になったら、それをすべて剃り落とし、取り返しの儀式のために使用します。
長く伸びた髪の毛を2本の毛束に分け、 これを縄に見立てて、締め縄をなっていきます。
締め縄というのは縄を縄向きが右縄、半時計回りか左縄、時計回りかによってその意味を変えるのですが、
この儀式においては、亡くなったのが女性であった場合には右縄、 男性であった場合には左縄にして縄を作るのだそうです。
締め縄が時計回りであった場合は、太陽の巡行を表すため、男性的な力を。
スピーカー 2
半時計回りであった場合には、それの対になる存在、 つまり月を表すため女性的な力を象徴するというのは
振動学でもよく聞く話ですので、 これもそういった話に関連するのかもしれません。
スピーカー 1
私は彼の頭のあたりに視線をやりました。 振動の伝承者たる神社の官主には当然、低髪の義務はありません。
21:05
スピーカー 1
しかし彼の頭は不自然に剥げ上がっており、 髪剃りを当てたような赤い傷跡が所々に残っていました。
締め縄を用意したならば、それを結ぶものも用意しなければなりません。
この場合、それは手製の小さな鳥居に結ばれることになります。
鳥居の主な材料となるのは、 個人の墓石と遺骨が一般的であるとのことでした。
スピーカー 2
笠木と冠、そして2本の柱といった、 それが鳥居であると判別できる最低限のものさえ揃っていれば良いらしく、
スピーカー 1
そのため装飾的な明神鳥居ではなく、 作りがシンプルな神明鳥居を作る人が多いようです。
スピーカー 2
鬼門の方角に結び目を作った後に、 その結び目を燃やし、
それと同時に歌を歌います。 不死や歌い回しは聞きませんでしたが、
スピーカー 1
その死は概ね以下のようなものです。
あがんみまけば、たまよびするにゃ。 けりよけりよとつんぼがみ。
スピーカー 2
この歌を行うと、その人の中に配偶者の御霊が憑依し、
スピーカー 1
様々な幻覚や幻聴といった形で、 自らの意志を示すのだといいます。
これを行うことができるのは人生に一度きりであり、 仮にここで憑依に失敗した場合でも二度目はないのだそうです。
私はこれを聞いた時、彼に二つの質問をしました。
一つ目はこの死に関することでした。
このけりよという語を私は存じ上げないのですが、 どういった意味なのかを教えていただくことはできるでしょうか。
先ほどまでと変わらないにこやかな調子で、 老人はすぐに答えてくださいました。
それは漢字を当てると、「消え」であり、 そのまま神への消えを表すのだそうです。
帰り夜が転化して、けりよになったのだと。
24:00
スピーカー 2
ありがとうございます。
スピーカー 1
それでもう一つの質問なのですが、 奥さんはあなたに何と言ったのですか。
老人は、こおもての濃面のような、 とても恐ろしい笑顔で私に言いました。
来るな。
スピーカー 2
なるほど。わかりました。
スピーカー 1
ありがとうございます。
私は多分、そんなことを言ったと思います。
日の暮れた神社を後にする直前、 老人は最初の時と変わらない笑顔で私に言いました。
なあ、またじいさんの話し相手になってくれや。
はい、またいつかこちらに来たら会いに行きます。
それから私は、あの老人とは一度も会っていません。
さて、これが私が知っている SCP、JPについての話です。
これを皆さんがどう読むのかはわかりませんし、 私としてはできれば知りたくないというのが本音です。
スピーカー 2
では、なぜこのような文章を書くに至ったのか。
スピーカー 1
それが気になった方がいらっしゃるかもしれませんね。
それは、実はこのことを経験した数年後、 つまり今、
この話についてのちょっとした進展があったからです。
もしかしたらまるで進展とは言えないのかもしれませんが。
スピーカー 2
ひょんなことから、私は九州地方についての民間信仰や民話、
スピーカー 1
つまりは民俗学をちゃんと勉強させていただく機会を得ることになりました。
となると、やはりこの体験のことが頭をよぎります。
そこで私はもう一度、あれらのことに関して調べ直してみることにしました。
それは主に、「けりよ」という言葉についてでした。
あの説明を聞いた時に感じた違和感のようなものがどうしても拭えず、
数々の民俗語彙辞典や民俗学誌を漁りました。
しかし、どこにも、「けりよ」という言葉は見つかりません。
「きえ」は仏教用語だからと宗教用語辞典も繰りましたが、そちらも同様でした。
27:06
スピーカー 1
そして、そこに至って私は違和感の正体に気づきました。
神道の伝承者であるはずの観主が、どうして仏教用語を用いた儀式をしていたのでしょうか。
私はとある大学で、宗教学の非常勤講師をしている方に連絡を取り、
私が経験したことについて意見を仰ごうと考えました。
スピーカー 2
意見自体は様々に出していただけたのですが、
しかしそれによって何かの疑問が評解されるということはなく、
スピーカー 1
結果という結果には乏しかった。
結果という結果には乏しかったというのが正直なところでした。
彼の言ったこの言葉が今も私の頭の中にぐるぐると残っています。
スピーカー 2
取り返し歌だっけ?
そもそも神道の考え方にその儀式はそぐわないよ。
そもそも日本の霊魂館では、幽霊や音響っていうのはホラー映画みたいにただ怖がって忌避するものじゃない。
スピーカー 1
異形して遠ざけるものじゃん。
スピーカー 2
ましてや、そんな御霊をわざわざ至願から、それも観主が呼び出すなんてありえないよ。
スピーカー 1
それ、本当に神社の人?
この後私は、あの場所をもう一度訪ねることにしました。
スピーカー 2
訪ねると言っても、あの老人ともう一度話す気はさすがに起こりませんでしたので、
スピーカー 1
せめて神社を遠まきに見るだけでもと思ったのです。
一度行ったところですので、さすがに忘れていません。
しかし、何度調べてもそこには神社などありませんでした。
以前そこにそういった施設があったということも全くないそうです。
スピーカー 2
これが先ほど言った神典の一つです。
本当はここで筆を置く予定だったのですが、
スピーカー 1
実はつい数日前にもう一つ大きな進展がありました。
先日のように、以前行ったはずの住所には神社も、そしてあの老人もありませんでした。
しかし、その住所から私の家に大きな封筒が送られてきたのです。
30:06
スピーカー 1
かなり悩んだ末に、私はその封筒を開けることにしました。
中には一本のビデオテープが入っていました。
以上が私が以前に聞いた禁忌のうち一つ、あるいは複数をできる限り希釈して描写したものです。
これで終わりです。
ここまで読了していただいた方、本当にありがとうございました。
何度も申し上げている通り、ここまでの話にはいくつもの虚構が混ざっています。
その虚構は程度も規模も大小様々ですので、あまり考えすぎないことをお勧めいたします。
スピーカー 2
しかし、ここまで読んでいただいた方々に対する感謝の気持ちに変えて、
スピーカー 1
その中でも特に大きな虚構の一部をこれから皆さんに示したいと思います。
スピーカー 2
これはこの文章だけでない、他の部分にも関わる嘘ですので、
スピーカー 1
もしも万が一私が語ったこれらのことについて、自分でも考えてみたいという方がいらっしゃった場合には教えておいた方が良いかと思ったためです。
以下はこの文章の本筋とは違ったものになりますので、特に気にならないという方はここで閲覧を終了していただいて一向に構いません。
もし、このまま閲覧を継続するつもりの方には、以下に3つほど私から注意点を書かせていただきます。
スピーカー 2
1つ目は、この文章の元となった話は紛れもなく、一番最初に書いたような
スピーカー 1
語ってはいけない類の怪談であるということです。
スピーカー 2
そんなことがないように最新の注意を払って書いてはいますが、
スピーカー 1
もしあなたが考察の末に何かを感じ取ってしまった場合には、何度も書いていますが、それ以上の詮索はご遠慮ください。
2つ目は、私が今から示すのは私がついていた嘘の一部分であるということです。
スピーカー 2
まず〇〇と書いていましたが、それは嘘で、本当は××です、といった丁寧な文章ではありません。
スピーカー 1
そういったものを期待されている場合には、そのご期待には添えない可能性が高いです。
33:07
スピーカー 1
3つ目は、今から示す情報は少なくともこれまでの文章の本筋とは全く関係ないものであるということです。
閲覧は本当に自己責任であり、見ても見なくても今までの文章の根幹が変わることはありません。
以上の3点を理解された上で閲覧を希望される方は、このまま閲覧を続けてください。