今回は前回からの続きです
MAYO
Beside the Seaside
家業アトツギ兼プロデューサーの永野真代です。
MISAKI
アートディレクター兼デザイナーの髙橋美沙紀です。
MAYO
私たちはそれぞれ、生まれ故郷茨城の海辺の町と東京とを行き来するような生活を送っています。
この番組は、そんな二拠点生活を送りつつ、
程よく肩の力が抜けてきた年頃の二人が送る言語化雑談番組です。
面白いね。全然違うね。
自意識の話から全然離れていっちゃった。
MISAKI
うん、離れていっちゃったけど。
性自認?
MAYO
性自認の話だったね。面白いね。
性自認の話。
いや、異性関係や異性からの目線を受けての自意識ってことだよね。今話してる。
そうだね。
同性は?ちなみに。
MISAKI
同性はね、なんかもう、考えたことなかったかも、それは。
MAYO
なんでだろう?
MISAKI
えー、なんでだろうね。今聞かれて思ったけど。
でも、さっき話した、自分に話しかけて嬉しいだろうかっていう視点は、やっぱり初対面のときはあるかもしれない。
MAYO
女性に対しても?
MISAKI
女性に対しても多少、多少っていうか、あるね。
それは人見知りっていうだけなのかもしれないけど。
MAYO
それはそうかも。
一方で、女子の人間関係めんどくさいなとか、
女性からのクスクスみたいなのがなかったのかとか。
MISAKI
それがさ、意外となくて。
私が鈍感だっただけかもしれないけど、
私がそれに対して回答を出せるとすると、もしかすると、
治外法権だっただけじゃないかっていう。
MAYO
どういうこと?
MISAKI
そういう憎しみの、くすくす笑いの対象にもなり得ないっていうかさ。
MAYO
同性同士で?
MISAKI
同性同士で。
なんか、あの子はあの子で、うんうん。
美沙紀ちゃんは美沙紀ちゃんだね、みたいな。
MAYO
それって、私たちが一緒にいた中高、それとも小学校?
MISAKI
中高でも。
MAYO
どっちも?
同性間の関係
MAYO
小学校でもそうだったし、中高でもそうだった?
MISAKI
特に、中高で感じたかな、それは。
MAYO
うーん。
MISAKI
なんか、うん。治外法権。
MAYO
小学校は?
MISAKI
この時は…小学校のくすくす…
なんかね、運が良かったのかな。
そんな、ないかもな、くすくす笑いはない。
なんか本当、面と向かって宣戦布告しに来る子はいたけど、なんか。
MAYO
たのもーってこと?
MISAKI
そうそう。
MAYO
やーやー我こそはってこと?
MISAKI
そうそう、やーやー我こそはみたいな。
MAYO
すごいね。
それ、逆に気持ちいい女子だね。
MISAKI
そうそう、分かりやすかったから、すごい良かったよ。
MAYO
相撲取ろうぜってことだもんね。
MISAKI
あとは、それだけに同等として見てくれてるのかなっていうのもあったから。
MAYO
いや、なんかどっちかっていうと、くすくす払いは、私は女子の方がイメージにあったなって思って。
男子からくすくすって…。男子の方が面と向かって行ってくる…
MISAKI
へー。
それはさ、あなたに関わりたかったからじゃない?っていうのを勘ぐってしまうんだけど。
MAYO
逆に女子たちは関わりたくないから、くすくすしてる。
じゃあ、関わりたくない人たちがくすくす笑うのかな?
男性からのクスクソ
MISAKI
へーえぇ?
MAYO
私はどっちかっていうと、精神年齢、熟し度みたいな違いなのかなと思ってて。
一般的には女性の方が精神年齢高め、高校生くらいまでは。
小学生の頃は、男子の方が幼いから思ったことをメンチキって言っちゃうみたいな。
女の子の方が、そういう社会的コミュニケーション能力の高さから仲間を作り、敵を作り、
それに対して嘲笑うことで自分たちを上げたり、溜飲を下げたりするみたいなことをするのかなと思ってた。
MISAKI
違うね。
MAYO
面白いね。
MISAKI
違いだなって思った、本当に。
女子にもそういうイメージはもちろんあるけど、そこに性差がそんなにない感じはしてる。
MAYO
そこに性差がないんだとしたら、くすくす笑いしてきた人はあくまでその人、個人であって、
別に男子たちがくすくすしたっていう原体験にはならない気もするんだが。
MISAKI
あー、確かにね。
MAYO
特に私たちが見てきた昭和平成のアニメとかドラマとかは、くすくす笑ってるのって女子たちじゃないですか。
MISAKI
そうだね。
MAYO
だから、メンチキって言わないのは女子じゃないですか。だんだんヤンキー用語になってますけど。
だからなんか面白いなと思って聞いてた。
MISAKI
私もなんか話聞いてて、なんでなんだろう。何がそうさせたのかな。
MAYO
環境かな?単純な、その学年やそのクラスにおいてはそうだったっていう原体験でしかないってことかな。
MISAKI
結局ね、それが世界だからね。小学校の頃で言えば2クラスしかないような。
MAYO
あー、そうなんだ。2クラスだったんだ。
そういうことだよね。それが大人まで後引くような、異性から見る自意識につながったりするのか。
MISAKI
バリバリつながってると思う、私は。
MAYO
へー、面白い。
あんまりないな。
あんまりないなっていうのはちょっと語弊があって。
それなりに男性にカテゴライズされてる人たちから受けた嫌だなって思うことはあるから、
嫌だなって思ってる。
MISAKI
嫌だなって思ってる。
MAYO
特にそれが社会人になってからの方が大きいかも。
MISAKI
この前言ってた、構造に泣くっていうのはそういうこと?
MAYO
そうだね。構造に泣くの手前で、男ってしょうもないなーって。
でも確かにそうかも。美沙紀さんの言う通りかも。
男ってしょうもないなーとか、残念な生き物だなーって思うことが重なると、
あ、それってその人が残念なんじゃなくて、
そういう社会構造であったり、男性性という性という差がそうさせてるのかなとか、
ちょっと抽象度を上げて捉えるようにはなったかもね。
MISAKI
私たぶんその域まで行けてなくて、たぶんそんな早い段階では気づいてないから。
MAYO
でも私もこう思ったのは30代かな。
MISAKI
早いと思うけどわからない。
私と比べてっていう。比べる相手が私しかいないから。
MAYO
いやいやいや。
MISAKI
なんでそう思ったのか、きっかけとかっていう事件みたいなのがあった?
MAYO
でも、この報道でさまざまな学者さんを取材することも多くて、
学者さんと話しているとやっぱり、そういう学術的観点からすると、
社会構造から紐解く、問題点を明らかにして解決策へ導く、
みたいな思考をいただくことがあるので、
MISAKI
なるほど。そういう視点が入ってきたんだ。
MAYO
そうだね。
MISAKI
そういう考え。
MAYO
そうかもしれない。
MISAKI
そういうところから見るみたいな。
MAYO
特にジェンダーのことを取り扱うときに、
そういうふうに一旦目の前の憎らしき男性たちじゃなくて、
メタで捉えてみるとこういうこと、みたいな風な分析をしてくださる
専門家の方々に会って、そうかそうかみたいな、
MISAKI
はいはいはいはい。目の前の人のことではなくて、
そうさせている背後に、
MAYO
何があるのかを、
MISAKI
あるんだなっていうのを、憎むべきはそっちだなっていうこと?
MAYO
そうだね。憎んでても何も解決しないから、
つまり解決するためにどうしたらいいんですかって言ったら、
メタに上がるしかないっていう。
認知をメタに上げた上で、じゃあどうするかの方が建設的だなって思ったんだよね。
MISAKI
自分もその方が気持ちよく折り合いがつくっていうか、納得できるって感じ?
MAYO
そうだね。そうかもしれない。
一人一人を憎むのも難しいし、
自分が何個あっても足りないし。
一方で、そんなに私たちこうやってシェアできなかったじゃない?
個人的にすごくこんな嫌な思いを異性から受けたみたいなのって、
特にあまりシェアできるような環境じゃなかったので、
女性が少ない業種だったからかもしれないんだけど、
みんな一人で黙々と我慢して頑張るみたいなんだったんだけれど、
潮目が変わったよね。2010年以降の。
あの辺りぐらいからみんなで少しずつシェアして、
私たちだけじゃないんだみたいな。
じゃあどうしようか。
幸運にもメディアという一つの権力とも言われる仕事に就いている中で、
何か世の中のために良い方向に変えるためにはどうしたらいいかって考えた時に
メタに上がって考えてみようって思ったのかもしれない。
MISAKI
なるほどね。シェアできたことって結構大きかったりするのかな。
MAYO
そうだね。第一歩はシェアだった気がするよね。
MISAKI
どうやら私個人だけの問題じゃない、
私一対一の問題じゃないらしいぞっていうのがそれで見えてくるんだ。
ああ、そっかそっか。
MAYO
なのでシェアってすごく大切だなって。
始めの一歩だよね。
MISAKI
そうやって戦っていくみたいな感じ?
MAYO
そうだね。最初はじゃあ手を取り合って共に戦おうだったけど、
いや戦うんじゃなくて建設的なゴールってなんだろう、話し合いたいねっていう風になっていったんじゃないかな。
世の中の流れ的にも。
Me tooって言ってからWe tooになってじゃあどうしようみたいな感じになっていったんじゃないかな。
例えばジェンダーの話でいえば。
MISAKI
そうだね。
私個人の問題で結構終決しがちだったから。
MAYO
そうだよね。私は職業に助けられたところもあるかもしれない。
MISAKI
その視点が持てたっていうのはね。
MAYO
あ、でも、もしかしたら小さい頃からその気配はあったかもしれなくて、
原体験を今思い出したのは、これ今度はジェンダーじゃなくて障害の話なんだけど、
うちは自営業で旅館をしていて、両親ともに忙しくて、
代わりに私を育ててくれたのが、耳の聞こえないおばで聾者なんだけど、
私はすごくそのおばが大好きで、
四六時中一緒にいたんだけど、
おばはやっぱり耳が聞こえないから、一家団欒の時の会話とかには全部ついてはいけなくて、
後で何て言ってたのっていうのを手話で私に聞くみたいな。
こう言ってたんだよっていうのを聞いて、ああそうなんだ、それは面白い話だったねみたいなのをするのは、
私は通訳ができて嬉しい反面すごく切なかった。
だっておばは手話を用いればみんなと同じ理解度もあるし、
社会構造を意識するようになったきっかけ
MAYO
同じ瞬間に同じことを楽しんだり悲しんだりできるのに、
なんで手話を使わないんだろうみたいな。
当時はそれが良いこととされていた。社会通念上、聞こえることこそが良いことで、
聞こえる聴者に近づけることこそが聾者にとってもいいはずであるっていうのが文部省の、
当時の文部省の考え方でもあったから、
それが一つ一つの家庭に落としてきた時にそうなってしまっているのは多かったんだと思うんだよね。
だから聾学校でもありながらみんな一生懸命口話を学ぶみたいな、
読唇術を学ぶみたいな教育が当たり前のようにされていた時代だったんだよね。
そういうのを知った時に最初はもうお父さんとお母さんはどうして手話を使ってくれないんだと思ってたけど、
あ、違うんだみたいな。
その時代とか背景とか社会構造とかそういったものがあるんだと。
だから良かった、愛する人を憎まずに済んだみたいな。
じゃあその上でどうしていこうかっていう風に。
MISAKI
なんかその問題って私は最近知ったんだよ。
MAYO
あーそうなんだ。
MISAKI
やっぱり口で発する言葉、その技術の習得っていうのに時間が取られちゃって、
本来もっと学ぶべきことっていうのがあるだろうに、それが置き去りにされちゃってるみたいな。
手話でコミュニケーションが取れるんだったらそれでいいんじゃないかみたいな。
MAYO
そうなんだよね。もっと言えばそれが彼らの言語だからね。
つまり言語権という一つの権利を奪っているっていう風にも言うことができるんだが、
当時はそこまでみんな思い立ってなかったと思うし。
MISAKI
うんうん。やっぱり喋れなきゃっていう感じなんだ。
それがやっぱり良いことだっていう。
MAYO
そうだね。
MISAKI
良い道だっていう。
MAYO
そうだね。
今となっては不幸だと思うんだけど、
おばは読唇術がとても上手かったんだよね。
なので、聾学校では優等生として扱われていた。
MISAKI
そういう優等生って判断されるような技能なの?テクニック?
MAYO
読唇が上手い子が優等生っていうぐらいの文化だったんだと思う。
MISAKI
マジか。
MAYO
でも、自分の声すら聞こえない人に話していることを全部理解しろって
すごい酷なことだなって私は思っている。
MISAKI
それはそうだろうね。
周りから見たら結局数だからさって思うんだよね。
手話を使って話す人は圧倒的に少ないわけで。
多数派に寄ってかざるを得ないっていうことだったんだろうね。
MAYO
多数派に寄ってかざるを得ないというか、
寄ってくことこそが幸せなのであるっていう優勢思想だよね。
MISAKI
そっかそっか。そうだね。
MAYO
今ではマイノリティの声も平等に聞くべきであり、
それだったら世の中を変えるのであれば、小さなコミュニティの声こそ聞いて寄り添って、
そこからどうしていくべきかを考えることだっていうふうなことが生まれているけど、
当時は全くなかったよね。
MISAKI
そっか。それが身近で感じてて。
MAYO
嫌いになりたくないのに嫌いになっちゃいそうみたいな、両親のことを。
どうしようってもやもや思ってて、
でもある時、そういうドキュメンタリーを見て、
ああ、よかった、構造のせいだったみたいな。
これはおばが言ってる話とも合致するみたいな。
MISAKI
それで誰も憎まなくて済むっていう。
MAYO
そうだね。
MISAKI
そう思わせてしまった要因があるっていう。
MAYO
社会的な背景や構造があるんだなって。
その素地があったから、マジョリティが作り上げた構造を疑うみたいな視点はあったかもしれない。
自意識と社会意識の関係
MISAKI
そういう視点って大事だよね。
別の方向から見させてくれる人だったり、ことだったり、物だったり、何でもいいんだけど。
MAYO
本当だね。現体験。
MISAKI
それをドキュメンタリーとかで。
MAYO
そうそう。それでこの世界に入りたいと思ったんだよ。
MISAKI
それは早かったね、出会いが。
MAYO
そうだね。だから小学校の卒業文集にも、
メディアに行きますみたいなことを将来の夢で書いてた。
MISAKI
書いてたっけ、そっかそっか。
それがあれだよね。
MAYO
何?
MISAKI
軸が。
MAYO
ちょっと、何?悪口言おうとしてる?
MISAKI
軸がブレないよねっていう。
最短距離で行ったよねっていう、からかわれる。
MAYO
そうだね。
MISAKI
あれでしょ。本当それはそう思う。私もそう思ってる。
MAYO
同窓会でからかわれるよね。
MISAKI
そうそう。
MAYO
最短距離で行ってるつもりはないんだけど。
MISAKI
でも作戦立ててさ、自分なりに道筋立ててマイルストーン置きつつさ。
MAYO
いやいや、全然そんなことない。結果的にな〜。
MISAKI
見えるっていうことだよね、やっぱり。
MAYO
そうなんだよね。見えるのは何でかなとは確かに思ってる。
MISAKI
本当?何でかと思ってる?
MAYO
私は私ですごく回り道したり、失敗もたくさん積み重ねてるのに、
最短距離ってからかわれるのは何でだろう。
もう最近の最短距離なんじゃないかぐらい言われるのは何でかなーってまたそれもメタに上がって見てるみんなの反応。
MISAKI
まじか、分析されてるな。
MAYO
それで言うと多分自意識っていうか、自意識なのかな?社会意識なのかな?
社会を見る目みたいなのは早かったよね。
MISAKI
結構そうだね。ありそうだね。
確かに。
ちょっと広い視点で見るというか。
確かに。
その差じゃない?
MAYO
自意識もありながら社会にも目が向いてるから、散漫なのでそんなに考えてないっていう。
MISAKI
考えないようになるんだよ、多分。
そういう視点の動かし方ができると、多分。
MAYO
マクロで見たりミクロで見たりみたいな。
MISAKI
小さいところで対峙してるよりは。
MAYO
時々ドツボにハマったりもしてるんだけどね。
MISAKI
そこを感じさせないよね。
MAYO
すごくドツボにハマったり。
MISAKI
私が見てないだけなのかもしれないけど。
MAYO
すごくもったいない時間の使い方もしてるのに、そう見られないのは確かに何でだろうと思ってる。
MISAKI
見たいようにしか見てないのかもしれないけど。
そうであれっていう。
MAYO
そうであれ。お前はそうであれ。
MISAKI
あるかもしれないけどね。
MAYO
面白かった、今日の話も。
みんなにとって面白かったかどうかは分かりませんが、
じゃあ今回もこの辺りで締めましょう。
MISAKI
締めるぞ。
MAYO
番組では皆様からもお悩み、エピソード、トークテーマを募集しています。
メールアドレス bcside@gmail.com
まで送っていただけると嬉しいです。
MISAKI
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
それではまた次回。