今回は前回からの続きです

Beside the Seaside
家業アトツギ兼プロデューサーの永野真代です。

アートディレクター兼デザイナーの髙橋美沙紀です。

私たちはそれぞれ、生まれ故郷茨城の海辺の町と東京とを行き来するような生活を送っています。
この番組は、そんな二拠点生活を送りつつ、
程よく肩の力が抜けてきた年頃の二人が送る言語化雑談番組です。
面白いね。全然違うね。
自意識の話から全然離れていっちゃった。

うん、離れていっちゃったけど。
性自認?

性自認の話だったね。面白いね。
性自認の話。
いや、異性関係や異性からの目線を受けての自意識ってことだよね。今話してる。
そうだね。
同性は?ちなみに。

同性はね、なんかもう、考えたことなかったかも、それは。

なんでだろう?

えー、なんでだろうね。今聞かれて思ったけど。
でも、さっき話した、自分に話しかけて嬉しいだろうかっていう視点は、やっぱり初対面のときはあるかもしれない。

女性に対しても?

女性に対しても多少、多少っていうか、あるね。
それは人見知りっていうだけなのかもしれないけど。

それはそうかも。
一方で、女子の人間関係めんどくさいなとか、
女性からのクスクスみたいなのがなかったのかとか。

それがさ、意外となくて。
私が鈍感だっただけかもしれないけど、
私がそれに対して回答を出せるとすると、もしかすると、
治外法権だっただけじゃないかっていう。

どういうこと?

そういう憎しみの、くすくす笑いの対象にもなり得ないっていうかさ。

同性同士で?

同性同士で。
なんか、あの子はあの子で、うんうん。
美沙紀ちゃんは美沙紀ちゃんだね、みたいな。

それって、私たちが一緒にいた中高、それとも小学校?

中高でも。

どっちも?
同性間の関係

小学校でもそうだったし、中高でもそうだった?

特に、中高で感じたかな、それは。

うーん。

なんか、うん。治外法権。

小学校は?

この時は…小学校のくすくす…
なんかね、運が良かったのかな。
そんな、ないかもな、くすくす笑いはない。
なんか本当、面と向かって宣戦布告しに来る子はいたけど、なんか。

たのもーってこと?

そうそう。

やーやー我こそはってこと?

そうそう、やーやー我こそはみたいな。

すごいね。
それ、逆に気持ちいい女子だね。

そうそう、分かりやすかったから、すごい良かったよ。

相撲取ろうぜってことだもんね。

あとは、それだけに同等として見てくれてるのかなっていうのもあったから。

いや、なんかどっちかっていうと、くすくす払いは、私は女子の方がイメージにあったなって思って。
男子からくすくすって…。男子の方が面と向かって行ってくる…

へー。
それはさ、あなたに関わりたかったからじゃない?っていうのを勘ぐってしまうんだけど。

逆に女子たちは関わりたくないから、くすくすしてる。
じゃあ、関わりたくない人たちがくすくす笑うのかな?
男性からのクスクソ

へーえぇ?

私はどっちかっていうと、精神年齢、熟し度みたいな違いなのかなと思ってて。
一般的には女性の方が精神年齢高め、高校生くらいまでは。
小学生の頃は、男子の方が幼いから思ったことをメンチキって言っちゃうみたいな。
女の子の方が、そういう社会的コミュニケーション能力の高さから仲間を作り、敵を作り、
それに対して嘲笑うことで自分たちを上げたり、溜飲を下げたりするみたいなことをするのかなと思ってた。

違うね。

面白いね。

違いだなって思った、本当に。
女子にもそういうイメージはもちろんあるけど、そこに性差がそんなにない感じはしてる。

そこに性差がないんだとしたら、くすくす笑いしてきた人はあくまでその人、個人であって、
別に男子たちがくすくすしたっていう原体験にはならない気もするんだが。

あー、確かにね。

特に私たちが見てきた昭和平成のアニメとかドラマとかは、くすくす笑ってるのって女子たちじゃないですか。

そうだね。

だから、メンチキって言わないのは女子じゃないですか。だんだんヤンキー用語になってますけど。
だからなんか面白いなと思って聞いてた。

私もなんか話聞いてて、なんでなんだろう。何がそうさせたのかな。

環境かな?単純な、その学年やそのクラスにおいてはそうだったっていう原体験でしかないってことかな。

結局ね、それが世界だからね。小学校の頃で言えば2クラスしかないような。

あー、そうなんだ。2クラスだったんだ。
そういうことだよね。それが大人まで後引くような、異性から見る自意識につながったりするのか。

バリバリつながってると思う、私は。

へー、面白い。
あんまりないな。
あんまりないなっていうのはちょっと語弊があって。
それなりに男性にカテゴライズされてる人たちから受けた嫌だなって思うことはあるから、
嫌だなって思ってる。

嫌だなって思ってる。

特にそれが社会人になってからの方が大きいかも。

この前言ってた、構造に泣くっていうのはそういうこと?

そうだね。構造に泣くの手前で、男ってしょうもないなーって。
でも確かにそうかも。美沙紀さんの言う通りかも。
男ってしょうもないなーとか、残念な生き物だなーって思うことが重なると、
あ、それってその人が残念なんじゃなくて、
そういう社会構造であったり、男性性という性という差がそうさせてるのかなとか、
ちょっと抽象度を上げて捉えるようにはなったかもね。

私たぶんその域まで行けてなくて、たぶんそんな早い段階では気づいてないから。

でも私もこう思ったのは30代かな。

早いと思うけどわからない。
私と比べてっていう。比べる相手が私しかいないから。

いやいやいや。

なんでそう思ったのか、きっかけとかっていう事件みたいなのがあった?

でも、この報道でさまざまな学者さんを取材することも多くて、
学者さんと話しているとやっぱり、そういう学術的観点からすると、
社会構造から紐解く、問題点を明らかにして解決策へ導く、
みたいな思考をいただくことがあるので、

なるほど。そういう視点が入ってきたんだ。

そうだね。

そういう考え。

そうかもしれない。

そういうところから見るみたいな。

特にジェンダーのことを取り扱うときに、
そういうふうに一旦目の前の憎らしき男性たちじゃなくて、
メタで捉えてみるとこういうこと、みたいな風な分析をしてくださる
専門家の方々に会って、そうかそうかみたいな、

はいはいはいはい。目の前の人のことではなくて、
そうさせている背後に、

何があるのかを、

あるんだなっていうのを、憎むべきはそっちだなっていうこと?

そうだね。憎んでても何も解決しないから、
つまり解決するためにどうしたらいいんですかって言ったら、
メタに上がるしかないっていう。
認知をメタに上げた上で、じゃあどうするかの方が建設的だなって思ったんだよね。

自分もその方が気持ちよく折り合いがつくっていうか、納得できるって感じ?

そうだね。そうかもしれない。
一人一人を憎むのも難しいし、
自分が何個あっても足りないし。
一方で、そんなに私たちこうやってシェアできなかったじゃない?
個人的にすごくこんな嫌な思いを異性から受けたみたいなのって、
特にあまりシェアできるような環境じゃなかったので、
女性が少ない業種だったからかもしれないんだけど、
みんな一人で黙々と我慢して頑張るみたいなんだったんだけれど、
潮目が変わったよね。2010年以降の。
あの辺りぐらいからみんなで少しずつシェアして、
私たちだけじゃないんだみたいな。
じゃあどうしようか。
幸運にもメディアという一つの権力とも言われる仕事に就いている中で、
何か世の中のために良い方向に変えるためにはどうしたらいいかって考えた時に
メタに上がって考えてみようって思ったのかもしれない。

なるほどね。シェアできたことって結構大きかったりするのかな。

そうだね。第一歩はシェアだった気がするよね。

どうやら私個人だけの問題じゃない、
私一対一の問題じゃないらしいぞっていうのがそれで見えてくるんだ。
ああ、そっかそっか。

なのでシェアってすごく大切だなって。
始めの一歩だよね。

そうやって戦っていくみたいな感じ?

そうだね。最初はじゃあ手を取り合って共に戦おうだったけど、
いや戦うんじゃなくて建設的なゴールってなんだろう、話し合いたいねっていう風になっていったんじゃないかな。
世の中の流れ的にも。
Me tooって言ってからWe tooになってじゃあどうしようみたいな感じになっていったんじゃないかな。
例えばジェンダーの話でいえば。

そうだね。
私個人の問題で結構終決しがちだったから。

そうだよね。私は職業に助けられたところもあるかもしれない。

その視点が持てたっていうのはね。

あ、でも、もしかしたら小さい頃からその気配はあったかもしれなくて、
原体験を今思い出したのは、これ今度はジェンダーじゃなくて障害の話なんだけど、
うちは自営業で旅館をしていて、両親ともに忙しくて、
代わりに私を育ててくれたのが、耳の聞こえないおばで聾者なんだけど、
私はすごくそのおばが大好きで、
四六時中一緒にいたんだけど、
おばはやっぱり耳が聞こえないから、一家団欒の時の会話とかには全部ついてはいけなくて、
後で何て言ってたのっていうのを手話で私に聞くみたいな。
こう言ってたんだよっていうのを聞いて、ああそうなんだ、それは面白い話だったねみたいなのをするのは、
私は通訳ができて嬉しい反面すごく切なかった。
だっておばは手話を用いればみんなと同じ理解度もあるし、
社会構造を意識するようになったきっかけ

同じ瞬間に同じことを楽しんだり悲しんだりできるのに、
なんで手話を使わないんだろうみたいな。
当時はそれが良いこととされていた。社会通念上、聞こえることこそが良いことで、
聞こえる聴者に近づけることこそが聾者にとってもいいはずであるっていうのが文部省の、
当時の文部省の考え方でもあったから、
それが一つ一つの家庭に落としてきた時にそうなってしまっているのは多かったんだと思うんだよね。
だから聾学校でもありながらみんな一生懸命口話を学ぶみたいな、
読唇術を学ぶみたいな教育が当たり前のようにされていた時代だったんだよね。
そういうのを知った時に最初はもうお父さんとお母さんはどうして手話を使ってくれないんだと思ってたけど、
あ、違うんだみたいな。
その時代とか背景とか社会構造とかそういったものがあるんだと。
だから良かった、愛する人を憎まずに済んだみたいな。
じゃあその上でどうしていこうかっていう風に。

なんかその問題って私は最近知ったんだよ。

あーそうなんだ。

やっぱり口で発する言葉、その技術の習得っていうのに時間が取られちゃって、
本来もっと学ぶべきことっていうのがあるだろうに、それが置き去りにされちゃってるみたいな。
手話でコミュニケーションが取れるんだったらそれでいいんじゃないかみたいな。

そうなんだよね。もっと言えばそれが彼らの言語だからね。
つまり言語権という一つの権利を奪っているっていう風にも言うことができるんだが、
当時はそこまでみんな思い立ってなかったと思うし。

うんうん。やっぱり喋れなきゃっていう感じなんだ。
それがやっぱり良いことだっていう。

そうだね。

良い道だっていう。

そうだね。
今となっては不幸だと思うんだけど、
おばは読唇術がとても上手かったんだよね。
なので、聾学校では優等生として扱われていた。

そういう優等生って判断されるような技能なの?テクニック?

読唇が上手い子が優等生っていうぐらいの文化だったんだと思う。

マジか。

でも、自分の声すら聞こえない人に話していることを全部理解しろって
すごい酷なことだなって私は思っている。

それはそうだろうね。
周りから見たら結局数だからさって思うんだよね。
手話を使って話す人は圧倒的に少ないわけで。
多数派に寄ってかざるを得ないっていうことだったんだろうね。

多数派に寄ってかざるを得ないというか、
寄ってくことこそが幸せなのであるっていう優勢思想だよね。

そっかそっか。そうだね。

今ではマイノリティの声も平等に聞くべきであり、
それだったら世の中を変えるのであれば、小さなコミュニティの声こそ聞いて寄り添って、
そこからどうしていくべきかを考えることだっていうふうなことが生まれているけど、
当時は全くなかったよね。

そっか。それが身近で感じてて。

嫌いになりたくないのに嫌いになっちゃいそうみたいな、両親のことを。
どうしようってもやもや思ってて、
でもある時、そういうドキュメンタリーを見て、
ああ、よかった、構造のせいだったみたいな。
これはおばが言ってる話とも合致するみたいな。

それで誰も憎まなくて済むっていう。

そうだね。

そう思わせてしまった要因があるっていう。

社会的な背景や構造があるんだなって。
その素地があったから、マジョリティが作り上げた構造を疑うみたいな視点はあったかもしれない。
自意識と社会意識の関係

そういう視点って大事だよね。
別の方向から見させてくれる人だったり、ことだったり、物だったり、何でもいいんだけど。

本当だね。現体験。

それをドキュメンタリーとかで。

そうそう。それでこの世界に入りたいと思ったんだよ。

それは早かったね、出会いが。

そうだね。だから小学校の卒業文集にも、
メディアに行きますみたいなことを将来の夢で書いてた。

書いてたっけ、そっかそっか。
それがあれだよね。

何?

軸が。

ちょっと、何?悪口言おうとしてる?

軸がブレないよねっていう。
最短距離で行ったよねっていう、からかわれる。

そうだね。

あれでしょ。本当それはそう思う。私もそう思ってる。

同窓会でからかわれるよね。

そうそう。

最短距離で行ってるつもりはないんだけど。

でも作戦立ててさ、自分なりに道筋立ててマイルストーン置きつつさ。

いやいや、全然そんなことない。結果的にな〜。

見えるっていうことだよね、やっぱり。

そうなんだよね。見えるのは何でかなとは確かに思ってる。

本当?何でかと思ってる?

私は私ですごく回り道したり、失敗もたくさん積み重ねてるのに、
最短距離ってからかわれるのは何でだろう。
もう最近の最短距離なんじゃないかぐらい言われるのは何でかなーってまたそれもメタに上がって見てるみんなの反応。

まじか、分析されてるな。

それで言うと多分自意識っていうか、自意識なのかな?社会意識なのかな?
社会を見る目みたいなのは早かったよね。

結構そうだね。ありそうだね。
確かに。
ちょっと広い視点で見るというか。
確かに。
その差じゃない?

自意識もありながら社会にも目が向いてるから、散漫なのでそんなに考えてないっていう。

考えないようになるんだよ、多分。
そういう視点の動かし方ができると、多分。

マクロで見たりミクロで見たりみたいな。

小さいところで対峙してるよりは。

時々ドツボにハマったりもしてるんだけどね。

そこを感じさせないよね。

すごくドツボにハマったり。

私が見てないだけなのかもしれないけど。

すごくもったいない時間の使い方もしてるのに、そう見られないのは確かに何でだろうと思ってる。

見たいようにしか見てないのかもしれないけど。
そうであれっていう。

そうであれ。お前はそうであれ。

あるかもしれないけどね。

面白かった、今日の話も。
みんなにとって面白かったかどうかは分かりませんが、
じゃあ今回もこの辺りで締めましょう。

締めるぞ。

番組では皆様からもお悩み、エピソード、トークテーマを募集しています。
メールアドレス bcside@gmail.com
まで送っていただけると嬉しいです。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。
それではまた次回。