1. BESIDE the SEASIDE
  2. Ep.45: 「ありがとう」が言え..
2024-08-14 26:42

Ep.45: 「ありがとう」が言えない

あなたは心地よい「ありがとう」が言えていますか?

00:10
MAYO
Beside the Seaside プロデューサー兼 家業アトツギの永野 真代です。
MISAKI
アートディレクター兼デザイナーの 髙橋 美沙紀です。
MAYO
東京と茨城の海沿いの街との 二拠点生活をしている私たちが、
人生のA面、B面、C面について あれこれと語る言語化雑談番組です。
MISAKI
今日は、「ありがとう」って言えない人、 言わない人っているじゃないですか。
あの、私なんですけど。
告白します。
MAYO
あ、そう?
MISAKI
うん、あのね。
MAYO
そう?
MISAKI
いやいや、正確には、かって言えなかった人で、
今は、なんで言えないのって、その、 叱責を過去に他人から受けて、
で、それで気づいて言うようにしてる っていう人なんだけど。
MAYO
ほぉ。
MISAKI
あの、ただ、それって、やっぱこう、 後天的に身につけたっていうか、
人間関係に摩擦を生まないためにとか、 あとはもう怒られたくないからっていうので。
ね、身につけたテクニックなので。
いわばね、付け焼き刃だから、
もともとがね、感謝とか、そういう人の気持ちを 想像するっていう能力に、
ちょっと乏しい側の人間なので。
やっぱね。
そう。
そう、時々ボロが出ちゃうので。
で、それでやっぱり、 あの、「ありがとうは?」って言われたりするから。
やっぱちょっと言わない側の人間では あるんだろうなっていう認識。
MAYO
うん。
MISAKI
うん。
でさ、よくさ、あの人って、 ありがとうって言わないよねとか、
言えないよね、あれなんで言わないんだろうね っていう議論は、
たびたび耳にするんだけど、
結構それって、ありがとうを言える人側たちの 会話で語られることが多くって、
なんかそういう言わない側の意見って あんまり聞いたことないなと思って、
あえてここで話してみようと思った次第です。
MAYO
確認してもいいですか?
MISAKI
はい。
MAYO
私はありがとうが言える人ですか、 言えない人ですか?
MISAKI
言える人です、大丈夫です。
MAYO
そうなんですね。これ、 自己認識をわからないもんですね。
MISAKI
あ、そうですか。
MAYO
ドキドキしちゃいますね、 自分が言えてるのか言えてないのか。
MISAKI
私ね、マヨさんは言えてる人で、 だからこっちも見習って、
03:02
MISAKI
それを返そうとしてます。 勤めております。
MAYO
なんと!
MISAKI
うん。やっぱそうね、ありがとうって言われたら、 ありがとうって返そうっていう気にはなるし、
そういう意味では、 ありがとうと言えるんだけど。
MAYO
いや、ありがとう。
MISAKI
いえいえいえ。
なんかね、そう。
だからそういう、 ありがとうって言われたら、 ありがとうって別に私も返せるし、
あとは、全くお礼が言えない、 ありがとうって言えないってわけじゃなくて、
自分がお願いしてやってもらったことに対しては、 やってもらったら、
ありがとうってちゃんと言えるんですけど、 このありがとうって言えないっていうのはね、
例えば、事前に、 私は掃除が得意だから掃除やるねって。
で、あなたは料理得意だって言ったから、 料理担当ねって決めたとするじゃないですか。
それで、きちんと相手が料理を毎日してくれることに対して、 ありがとうって言わないがちっていう。
そういうことです。
MAYO
あー、それ夫婦でやったら揉めるやつだ。
MISAKI
でしょ。
なんで当たり前だと思ってんだ、 こんちくしょうみたいな。
多分相手側からしてみれば、 そうだと思うんですけど、
私はそうやって言われて初めて、 あ、ありがとうっていうの必要だったの?
っていうちょっとハッとしちゃうっていうことが、 過去にあったんですよ。
その似たようなシチュエーションで。
MAYO
あー、そうなんだ。
MISAKI
そう、なんかね、これなんでかなって考えてみたんですよ。
で、いくつか思い当たる節があったので、 ちょっと言ってみるんですけど、
あのね、そもそも特に相手が何も言わずに 粛々とやってるんだったら、
やりたいからやってるか、それか契約上、 役割として納得の上でやってるってこっちは思ってるので、
ありがとうっていう感謝の言葉がプラスで 必要なものだっていう認識がまずないんです。
MAYO
うん。
MISAKI
ここまでついてこれてますか、いただいてますか。
MAYO
うん。
なんか、ミサキさんの気持ちも分かる気もする。
MISAKI
する?
MAYO
が、揉めるかもしれないなっていうのも分かる。
MISAKI
分かる?そうなんですよ。
MAYO
揉めるっていうかね、きっと相手に モヤモヤを生んでしまうんだろうね。
MISAKI
うん。
きっとやっぱりこの考え方って多数派ではない という自覚はあるので、
06:01
MISAKI
まあモヤモヤさせちゃってるかなっていう 反省も踏まえつつ。
MAYO
そこで言うと、相手が本当に納得済みなのか っていうところだよね。
MISAKI
うん。
それをね、察知する能力が低いと思う。
だから言い出してくれればさすがに気づくよ。
でも、それが察してくださいっていう態度だと ちょっと気づけない可能性は大いにあるよ。
MAYO
すごく日本全国の旦那様の思いを代弁しているコメントですね。
妻に察してって言われて、
ためにためてブチ切れられても、言ってよみたいな。
MISAKI
そうだね。よく言うよね。
その時言ってよっていうやつね。
MAYO
妻側としては言ってるつもりだし、態度にも表しているのに 伝わらないのよ、あなたにはみたいなね。
なので感情を込めて言ってみました。
のがこの場ですっていう。
MISAKI
そうだね。私もこんな意見初めて言いましたっていう。
MAYO
伝わらないんで感情も込めてみましたっていうのと。
なるほど。
それがさ、プライベートなのか仕事なのか?
ありそうでもないなっていう結論だよね。
たとえ契約をしたお仕事や社会契約、いわゆる結婚とか、
そういう関係においても、
ありがとうが必要なんだなっていう気づきがあるってことかな。
MISAKI
そう、ありがとうっていうのが必要なんだねっていうことだし、
例えばそこで不満を表明してくれたとするじゃないですか。
不満というか、ありがとうで済むこともあるっていうのかな。
ちょっと言い方が分からないけど、
ありがとうさえ言ってくれれば、
この気持ち収まるのにっていうのが
多分にあるんだなっていうことかな。
MAYO
ですですね。
MISAKI
さっきの例で言ったら、
「あ、そんな料理するのつらいんだ、
じゃあちょっと
私が料理をやろうかっていう言葉が、
ありがとうより先に出てきたら、
MISAKI
それはそれでちょっと違うんじゃないかっていうことを今思った。
MAYO
そうだね。
どっちもだったら最高。
MISAKI
なるほどね。
09:00
MISAKI
どっちもね。
MAYO
いつもお料理作ってくれてありがとう、たまには、
僕が作るね、はもうパーフェクトだよね。
MISAKI
そっちの、そっかそっか、両方別にあってもいいよね。
MAYO
そうだね。
ごめんね、なんか僕がお料理得意じゃないばっかりに負担が、
君に行ってしまって悪いなって思ってるからこそ、ほんとにいつもありがとうって思ってるよ。
それもいい気もするね。
MISAKI
うん。
MAYO
で、なんか辛そうだからやろうかみたいなのは、
いやいや、あなたが得意じゃないとかやりたくなさそうだからやってるのに、
なんかまるで自分は何も悪くないのに、
なんかそっちがすごい不満げ…
だからやりまーすみたいなのはちょっと違うんじゃないかっていう別のモヤモヤを生む可能性はあるね。
全部これ家庭内での様々なママ友から聞く話を総合すると。
MISAKI
うんうん、私も最後のやつそのまんまだもん。
MAYO
あ、そうなんだ。
MISAKI
だって黙ってやってる、そんなにツラいんだったらじゃあやろうかみたいな。
MAYO
やろうか、手伝おうかじゃないのよみたいな。
あなたもその本当はやってしかるべき立場の人なのよみたいな。
でもそのスキルだったり意欲がないからやって差し上げているだけですよみたいな。
MISAKI
そうだよね。
だからそうなんだよ、ありがたくやり続けてくれてるじゃん何も言わず。
それが図に乗っちゃうっていうかなんていうか。
そう、その姿を見てるともう何も不満もなくやり続けてるんだろう、OK、OKって
こっちは思っちゃうっていうことなんですよね。
だからそれをね、一旦疑ってみてもいいかもしれないね。
で、二つ目としては、やっぱベースの考え方がそういう感じだから。
自分はありがとうって言われなくてもそもそも平気だったりするんだよね。
MAYO
なるほどね。
MISAKI
そう、私はやりたいからやってるし、あとはやりたくなくても役割で決まっている場合はやっぱりそういう役割でやってるからそれは納得の上なので、
逆にちょっとありがとうって言われたら逆に戸惑うみたいな。
意味がわからないっていう発想になっちゃったりも。
で、本当に嫌なことをやらされるときっていうのは、
12:09
MISAKI
もうありがとうじゃちょっと追っつかないくらいに
私は怒りが発生してしまうので、
その…ありがとうで済むと思うなよっていう
感情になっちゃうので、
そもそもなんかありがとうっていう言葉に
効力をそんなに感じてない。
っていう…
うん…
で、まぁ、うん…
ちょっとアレだな…
なんか私が
鉄仮面人間みたいになっちゃったけど、
そもそもがそういう発想だったような気がする。
そういう考え方。
MAYO
なるほど。
MISAKI
うん。
MAYO
その、
報酬っていろいろあるじゃないですか。
大きく言えば、金銭的報酬と非金銭的報酬。
非金銭的報酬の中にも、
心理的報酬、
承認的な欲求を満たす報酬とかって、どんどんどんどん細かく分類分解できると思うんだけど、
ミサキさんは非金銭的報酬っていうのに価値を置いていないっていうことかな。
MISAKI
報酬を求めてやってるわけじゃないからね。
やりたいからやってる場合は、そのこと自体が、
私には報酬というか、
なんだろうね。
やってるし、
別にありがとうと言ってほしくてやってるわけじゃないから。
MAYO
報酬って、欲しいからやってるっていう感覚とは、
また別の問題だと思うんですよ。
私は別に全然心理学者でもなんでもないので、
あくまで自分の解釈なんだけど、
特に心理的報酬に関しては、それが欲しいからそこのプロジェクトに
ジョインするとか、その仕事をやるとか、タスクをこなす役割を担うんじゃなくて、
結果的に得られるもの。
最初は別に求めてなかったが、
与えられるとすごく幸せに感じるもの。
そういうものも報酬だと思うんですよ。
だから、求めてるか求めてないかっていうのはあんまり関係がない。
上で、
その非金銭的報酬を相手からもらったときに戸惑うんだね。
それが面白いなと思って。
ありがとうって言われたら戸惑っちゃう逆にっていうのが、へぇーっていう。
MISAKI
そうだね、戸惑っちゃったり。
何に対してのありがとうですかって本当になっちゃったりする。
15:03
MISAKI
自分の役割だからやったことですけどっていう。
MAYO
うーん。
MISAKI
だから最初の、
最初じゃないや、ちょっと前の話に戻ると、
自分がそんなのなので、
ありがとうって言ってほしい人側の気持ちがわからないっていうのは正直あるんだよね。
だからもう本当に今まで、
訓練に近いかも。
ありがとうって言われたらありがとうって返します。
あとはこういうシチュエーションだったらありがとうって返します。
っていうようなので身につけてきたっていう感じ。
MAYO
なるほど。
だから反応としてのありがとうはできるが、
自発的なありがとうがまだ難しいですっていうことですね。
MISAKI
そういうことですね。
MAYO
なるほど、面白いですね。
MISAKI
面白いですよね。
だからよくありがとうってあの人言わないよねっていう人が話題に上がることもあるじゃないですか。
そういう人っていうのはこういう思考回路なんじゃないかなっていう風に予想してみたっていう。
MAYO
そうだね、思考回路もそうだし、
まあ人間的な特性かもね。
全ての人がそうとは言ってないけれど、
例えばADHDとかASDとか、
総じて人の感情や気持ちを推しはかる、
慮ることが難しいがゆえに
社会的活動において
困難を抱える…
よね。
MISAKI
うん。
MAYO
うん。
だから悪気があるわけでは全くない。
MISAKI
そう。
MAYO
そのうえで、
さあお互いどう歩み寄ろうか
MAYO
っていう
お話なんだろうけど、
そういう、
こう、
ディサビリティ(身体的・精神的な障害がある状態を指す英語表現)
社会でみんなで生きていくための、
心地よさ、
っていうのは、
どうやったら
作り出せるだろうか?
っていうお話
になっていく
んだと思うんだけど、
うーん、
そういう意味でこの話は面白いなって思った。
MISAKI
なるほど。
そうね。
うん、ありがとう。
そこまで何だろうな深まる話でも…話に、持っていけるって思ってなかったから、
18:01
MISAKI
すごく今意外っていうか、
私としては、おそらくは少数派であろう意見をあえて言ってみることで、
でもそういう人たちの気持ちに寄り添ってみてねっていうような話ができればいいかなっていう風な、ふわっとした提案だったので。
MAYO
うん。
私は前職時代も、それから
そもそも自分の生育環境的にも、
障害とか
難病とか、
生きづらさを抱えている人たちが
周りにいたので
そういう知識とか
経験があるんだと
思うんだけど
ない人もいるもんね
MISAKI
そう思うよ
MAYO
なので
自分の生きづらさを言語化できる
もしくは言語化しようとしている
っていうのはすごくいいことだと思うんですけど
あとミサキさんがどうしたいかかな
MISAKI
本当に、
まあそうだよね
MAYO
別に生きづらさを抱えていてもいいっすみたいな
強い人もいるじゃないですか
それってあなたの感想ですよねみたいなことを
のたまえちゃう人とかはきっと
ありがとうが言えない自分を認識したとしても
別に自分はそういう人間なんで
嫌だと思ったら離れていいんですよみたいな
感じだと思うんですけど
ミサキさんはどうなのかなっていう
ミサキさんがどうありたいかかもしれないね
MISAKI
私はそういう特性が自分にあるっていうのは
認識できた上で
ただやっぱりなんだろうな
ありがとうを言える言えないっていうのの
もっと以前に感情をね
理解できるようになりたいなっていう
そういうふうには思ってるから
MAYO
なんとかしたいとは思ってるの
MISAKI
なんとかしたいと思って、たぶん、今
今はテクニックでなんとかやってるけど
例えばそういうテクニックでなんとかならない
ボロが出た時に
勝手な思いですけど
見限らないでほしいなっていう
のをお伝えしたい
21:00
MISAKI
もしあなたの周りにそういう人がいたとしても
ちょっと待ってくれっていう
引き止めたい気持ちはすごくある
MAYO
なるほど
いや面白いね
何が面白いなと思ったかっていうと
冒頭になぜありがとうが言えないのか
それはあくまで私は私の役割
あなたはあなたの役割が明確化されているからだ
つまりこれは私は私の世界でやっているん
ですよみたいな
感覚でもあるわけじゃないですか
そこにあんまり
コミュニティというか相手というか
第三者が介在していない気がしていて。その世界観には。
だから、ありがとう言われると戸惑っちゃうと思うんですよね
いやいや自分の中でもそれ完結している話なんで
特に反応いりませんみたいな
MISAKI
でもそうだね
その感覚そうだと思う
MAYO
さはさりながら
じゃあって言ってコラボレーションを辞めようと
その人が去ろうとすると
おいちょっと待ってくれって思うっていうのが
面白いなぁと思う
そうかそこはやっぱり
人は欲しいんだ他人
他者が欲しいんだっていうのは面白い
MISAKI
やっぱり関わりたくはあるのよ
確かに何か
面白いっていうか
今ちょっと面白いとしか言いようがないんだけど
不思議だね
なんか不思議な感情の動き方をするよね
面白い
MAYO
うん
どちらもミサキさんだろうから
二者択一になる必要はないし
どっちも持ってていいんだと思うんだけど
ただし一方で
やっぱり他者とのコラボレーションを望むのであれば
そうだよね
テクニックのその先のありがとう
MISAKI
そう
MAYO
が言える
ミサキも欲しいなってことですね
MISAKI
そういうことです
今すごく
ほんと学習していきたいなって思ってるんですけど
これ
MAYO
これやっぱり学習なのかな
MISAKI
そう
そこにも違和感あるよね
MAYO
違和感というかまだ未知の世界なんで
24:01
MISAKI
あぁ、そう?
MAYO
あれなんですけど
学習
いわゆる学校で行われる
勉強っていう意味での学習じゃなくて
経験学習ってことだよね
やってみて失敗も成功もしてみて
何でだったか自分で内省して分析して
フィードバックするみたいな
それをもう一度くるくる回していく
経験学習のサイクルモデルなのかなって思うけど
今日のところはこれを言語化できた
そして私との対話で
ここまでたどり着いたってところも
いいんじゃないかなと思いました
MISAKI
なるほど
新しい形だね
そうだね
MAYO
面白い対話でした
MISAKI
私も今まで多分こういうのって
言っちゃいけないだろうなと思って
言わなかったところもあったので
それが言えたっていうことが結構大きいなと思いました
まず
MAYO
ミサキさんに告白されて
そうだったのかって思う反面
そうかもって思い当たるところもあったり
しつつ
受け入れられるのは
受け止められるって自分で思っているのは
たぶん周りにそういう人が結構いるので、
ま、そんなタイプの人なんだろうなっていう
MISAKI
そのぐらいの距離感で付き合ってくれると
すごくありがたいよね
こちらとしては
MAYO
私にもきっと
人に接しづらいなと思うところがあると思うから
それをどんどん言語化していって
お焚き上げしていって
みんなそういう人だ
嫌だって思われてもしょうがないし
そういうところもあるけどこういうところもあって
結果的にお付き合いしていきたいなと思ってもらえたら
うれしいなって思っています
MISAKI
はい
MAYO
番組では皆さまからもお悩みやエピソード
トークテーマを募集しています
メールアドレス
bcside2@gmail.comです
MISAKI
最後までお付き合いいただきありがとうございました
MAYO
それではまた次回
26:42

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