自己紹介の開始
ベルノート、この番組は、主婦であり木工作家である鈴木健太が日々感じたこと、考えたこと、大切にしたいことをおしゃべりするポッドキャストです。
今日はですね、自己紹介、自分語りの回にしたいと思っております。
本の惑星というポッドキャストがあるんですけど、その中でされている自分語り回が面白いなと思っているので、それを真似しようかなと。
その中でされているのが、0歳から、生まれた時から時系列に沿って自己紹介をされているんですけど、そんな風に話していこうかなと思っております。
多分全部というか、印象に残ったものとか、残っているものとか、自分の記憶にあるものだけになってしまうと思うんですけど、それを話していければなと思っております。
何でこの方法というか、やり方で自己紹介をしようかなと思ったかというと、人と会って自己紹介をするとなった時に、生まれてから今までの全てのことを紹介するということは多分ありえない、まずないというのと、
一つこういうボリュームのある自己紹介を残しておくというのは大切なことなのかなと思ったので、この方法でやろうかなと思っております。
では早速始めていきますか。
鈴木健太と申します。
1991年1月7日の生まれです。愛知県の市宮市というところで生まれました。
僕自身双子でして、同い年の姉が一人おります。
兄子下に弟がいるんですけど、兄弟3人兄弟なんですけど、誕生日が3人とも一緒というのが珍しいかなと。
双子の姉は同じ誕生日で当たり前なんですけど、兄子下の弟も同じ1月7日生まれで、兄弟3人とも誕生日が一緒です。
幼少期というかあまり記憶がないのであれなんですけど、アンパンマンシリーズの中では食パンマンが好きだったという記憶がありまして、
多分昔から何かアニメの主人公というよりは周りにいる主人公を支えるキャラクターみたいなのが好きだった気がします。
4歳か5歳くらいでサッカーを始めて、そのまま小学生に入ってからもサッカーを続けておりました。
サッカーをやっていたので、自分が左利きというのもあって、その時は中村駿介さんに憧れていた記憶があります。
運動神経は良かった方だと思うので、走るのも早くてクラスで一番早かったかな。
好きだった授業とかは図工とか、今物作りしているのでこの時から図工とか家庭科の授業が好きでしたね。
小学生の時に家庭科の授業で買った裁縫セットは今でも使っています。
家庭科の授業は記憶がすごい悪いのは好きだったので、ミシンとか使う授業も好きだったし、調理実習とか煮干しで出汁をとって味噌汁を作るみたいな。
あとは野菜の切り方とか覚えるのも好きでしたね。
あとは夏休みの自由研究というか自由工作では、木の貯金箱を作っていた記憶があります。
父親の知り合いの方の建築現場を邪魔して、いらなくなったフローリングの端材とかをもらって作っていた気がします。
あとは学級委員とか児童会の副会長とか運動会の応援団長とか、結構人の目立つというか前に立つようなこともしていた気がします。
5年生か6年生の時にお弁当を隠されるみたいなことが一回あって、そこからクラス内で目立つようなことをしないようになったのかなという気はしていて、
今までそんなことをされると思っていなかったのもあるし、隠された時はすぐにお弁当を自分が見つけてはいたんですけど、恥ずかしかったのか、それを言い出せなかったっていうのはすごく記憶にあって、
その後に先生からも隠されるようなことをしたんじゃないかみたいな、ちょっと責められた記憶もあるので、そこから目立つことをしなくなった気がするんですよね。
中学に入ってからも多分そういうクラス内で何か目立つようなことは控えたような気がしますね。
中学生はサッカーはやめて野球部に入ります。
父親が野球をバリバリやっていたので、小学生の頃からサッカーをやりながら野球では遊んでいて、その流れで野球部に入りました。
ポジションはセカンドをずっと守っていました。打つよりも守る方が僕は好きでしたね。
中学生でいうと、3年間ずっとクラスが一緒で仲が良かった子がギターをやっていて、その影響でギターを始めたり作詞を始めたりしましたね。
中2の時にスキマスイッチさんを知りまして、今でも覚えているんですけど、朝学校行く準備をしていてテレビを見ていた時にスキマスイッチさんの触れてみないよという曲が流れてきていて、
それを聞いた時にすごくいいなと思って、その曲が入っているCDというかアルバムを探し回った記憶があります。
技術の授業はやっぱり物作りとか、物を作る授業が好きで、美術とか技術とかが好きでしたね。
技術の授業で本棚を作るみたいな授業があったんですけど、みんなはキットに入っている付属の設計図でそのまま作っていたんですけど、
僕はそれが嫌で、自分で図面とか立面図とか書いて、自分の欲しい大きさ、形のものを作っていた記憶があります。
高校は自分の自宅から通える高校に入りまして、また全然野球は続けず、今度は水素学部に入ります。
音楽をしたいなというのがあったのと、男だらけの世界があまり好きじゃなかったのかもしれないですね。
野球も好きではいたんですけど、軟式と硬式でやっぱり違うので、硬式がちょっと怖かったというのもあるんですけど、
坊主にしたくなかったというのもあるかな、坊主にしたくなかったし、硬式の、高級のがちょっと怖いなというのもあって、水素学部に入りました。
楽器を決めるときにサックスをやりたいなと思っていて、多分それはめちゃイケで竹田慎二さんがサックスを吹いているのを見てかっこいいなと思ったからかなと思っているんですけど、
たまたま行った高校が水素学部が入ったときに小物先生が変わって、その小物先生が熱心な方だったので、結構強豪、強豪でもないな、強い、結構バリバリ水素学部をやる感じの高校だったので、
オーディションで楽器を決めますとなって、僕はバリトンサックスをオーディションで勝ち取りました。
小物先生がその時から変わったので、先輩がすぐに辞めちゃったんですよね。
教えてくれる人がそんなにいなかったので、教本とかはあったんですけど、ほぼほぼ独学で、独学というか自分なりに練習方法というか練習の仕方を考えて練習していた気がします。
基本的に一人で練習というか、一人で練習しているのが好きではあったかな。
曲の練習よりは基礎練習、ロングトーンといって音を長く伸ばす練習とか好きでしたね。
一つの音をどれだけ綺麗に鳴らせるかみたいな練習の方が好きでしたね。
一つの音を極めるみたいな練習の方が好きだった記憶はあります。
高校は本当に部活しかしていなかったな。部活していた記憶しかないので、ずっと楽器を吹いていた気がしますね。
高3の文化祭でギターは続けていたので、一人で弾き語りライブをしました。ギター1本とハーモニカをちょっと使ったかな。
この経験は多分大きい。自分の中では結構大きくて、一人で何かをするっていう、誰かに見てもらうっていう経験はすごく大きかったなと。
大学生活と将来への展望
この中で自分の作詞作曲した曲も一曲混ぜて披露しておりました。
高3になって受験と部活をどうするかみたいなのがあり、
基本夏の大会でみんな辞めるんですけど、夏の吹奏楽の大会があって、そこまで3年生は部活をして、
コンクール大会が終われば基本辞めるっていうのが今までの先輩たちの流れだったんですけど、
高校2年生の時からマーチングって言って、歩きながら楽器を演奏するっていうマーチングを始めたんですけど、
最初1年目なので大会出たんですけど、プライマリー部分って言って、勝ち上がっても東海大会っておしまいみたいな大会、コンクールに出てたので、
それ以上上は行けなかったんですけど、また来年も出たいなというか、出ますという宣言を大会が終わった後にし、
なので高3の秋ぐらいまでマーチングがあったので、理研勉強と部活と、ほぼ部活しかしてなかったんですけど、してました。
大学は建築系の学科に行きたくて、名古屋大学を目指してはいたんですけど、思ったような点数が取れなくて、
前期で名古屋大学を志望して、思ったように行かなかったので、後期どこか行けるところはというところで、
物理が得意だったので、物理でとりあえずどこか国公立で可能性が高そうなところを探していたところに、
三重大学の物理工学科というところがあったので、そこを受験して、大学は三重大学の物理工学科に最初入るんですよね。
そこで初めて一人暮らしを始めるんです。
一人暮らしを始めたタイミングで料理も始めて、料理は昔からやってはなかったんですけど、
料理番組見るのも好きだったので、小学校の時家庭科も好きだったし、料理自体は好きだったので、全然苦なくやってましたね。
嫌いなものが多いので、料理をする理由の一つとして、自分の好きなものを好きな味付けで作って食べれるというのが、料理をしている理由の一つでもありますね。
1年ぐらい大学は物理工学科というところで勉強していたんですけど、全然楽しくないなというので、建築を学びたいなというので、
物理工学科を2年生の夏終わった段階で辞めるという決断をするんですけど、誰にも相談せずに、親にも相談せずに、
結果辞めたいんで、事故報告みたいな、辞めたいんで許してくださいみたいな感じで言いましたね。
そこからもう一回、三重大学の建築学科を目指して受験勉強をして、20歳になる年に受験し直して、もう一回三重大学の建築学科に入り直します。
最初の三重大学に入った時点で、また水素学を続けたいなと思ったので、水素学部に入って、そこで今の妻と出会いますね。
辞めた物理工学科、最初の大学を辞めた後ぐらいで妻と付き合い始めております。
20歳ぐらいの時に妻とデートで初めてリアル脱出ゲームに参加して、その時の印象がすごい強いので、今もこのリアル脱出ゲームには妻と一緒にハマっているんですけど、
その時一緒にゲームをしたというか、グループになった方の中に夫婦で来られている方がいて、その時に彼女とこんな風に結婚しても一緒に来れたらいいねみたいな話をしていた記憶があります。
大学時代に初めてバイトをするんですけど、イタリア料理のお店のホールのアルバイトをやってみたんですけど、
この時はものすごくポンコツというか全然仕事ができない人になりまして、水のグラスは倒すわ、お皿を下げるタイミングはあまりうまくないわ、料理のメニューも覚えられないとか、
結果3ヶ月というかほぼ2ヶ月か、最後の2ヶ月はあまり行っていないので、3ヶ月くらいで辞めているんですけど、ホールに出たくないと言って結構ドリンク作る場所に隠れていた記憶があるんですよね。
後から思い返すと、自分のテリトリーがないというか明確ではないのが多分僕はすごく居心地が悪いんでしょうね。
ホールなんでお客さんがいるテーブル、相手のテリトリーに自分から踏み込んでいかなきゃいけないという状況が、多分すごく居心地が悪く自分の能力というかをうまく使えるような場所ではなかったのかなと後から思っているんですけど、
そもそも自分のテリトリーがないというのが僕にとって多分すごく大きくて、大学建築なので図面とか描いたりするスペースが一人ずつあるんですけど、大学内に。
大きなテーブルがいくつも並んでいるだけなので、明確に自分のスペースはあるんですけど、あんまり人が多くいる空間が好きではないというのもあって、
すごい心地が悪くて、ずっと家にいたんですよね。大学に授業がある、講義があるときだけ大学に行って、後の時間は家にいるみたいな生活をしてましたね。
あと、自分のものを自分の管理下に置けない場所があまり好きではないんですよね。
自分の所有物を不特定多数の人が行き来する場所に置いておきたくないというのがあって、あまり大学内にいなかったですね。
なので、カフェで読書とか全然できないんですよね。全然集中できない。周りが気になって。
建築を目指した理由の一つとして、住宅を自分で設計して、その設計した図面で自分で建てたいというのが多分僕の中で一番建築をやりたかった理由なんですけど、
大学の授業で最初の頃は本当に小さい規模の課題というか、住宅とかその規模の設計課題になるんですけど、
建築士を目指す基本学科なので、ビールとか大型施設とか都市計画とか、もっと規模が大きな課題になっていったんですけど、
規模が大きくなるとどうしても興味が持てないというか、あまりやって楽しくなかった記憶がありますね。
就職活動をするとなった時も、大工さんを募集している会社に絞って就職活動をしていて、
大企業とか大きな企業は絶対自分には向いていないだろうなと思って最初から候補に入っていなかったですね。
24歳で就職、公務店の社員大工候補か社員見習いとして就職するんですけど、
その前に、就職する前に妻とは結婚しているので、働き出す前に結婚しております。
働き始めた時から妻がいるので、結婚していたので、
二人で一つというか、一人、自分が妻を支えるみたいな働き方、考え方があまりないんですよね。
一応社員大工の候補として入ったんですけど、
工房ベルの創設と成長
一年は現場監督としてその現場、会社のやり方を学びましょうというような感じで、
一年現場監督さんの下に就いて、
二年目から一応会社でお願いしている大工さんの下に就いて学び始めたんですけど、
そもそも話、今の住宅自体がプラモデルみたいにプレカットで木も加工されてきて、
組み立てるだけみたいな、あまり木を加工しないなみたいなふうには思っていて、
その一年で、自分が10年後、5年後、10年後、
この大工さんが今しているような仕事をしたいのかというのは疑問に思い始めていたのと、
会社と大工さんの間でどういう話があったかわからないですけど、
あまり大工を育ててもらっているというか、
大工のことを教えてもらえているという感じがあまりなかったのと、
会社は会社で、大工としてだけではなくて現場監督みたいな役割もしてほしいみたいな、
会社と大工さんの間の板挟みみたいな感じになっていたところもあって、
あまりうーんと思い始めていて、
1年半くらいで最初の会社は辞めています。
辞めて、辞める前くらいに妻が妊娠しているのがわかり、
辞めた後、次はもうちょっと木を加工する仕事、家具とか、
住宅という大きさではなくてもうちょっとコンパクトな家具とか木工をやりたいなということで、
公務店の中の家具部門があるところに入ります。
そこでは飲食店のテーブルとか重機とかをメインに作っているところだったので、
そこで今の僕の仕事につながる木工の基礎というか、
木材のことであったりとか、フラッシュといって骨組み組んで、
周りに薄いベニヤ板を張って板を作るんですけど、
そういうフラッシュの加工だったりとか、
あとは手道具のみかんなとか、木工の機械の使い方とかプレナーとか、
そういうのを基礎はこの会社で学ばせていただいていて、
その中でその会社で木製の小物の一種サイト運営を初めて、
ちょうど始めたぐらいの時に僕が入って、それを任されるというかことがあって、
作ったものを売るというので、自分がやりたかったものに近いなというので、
その運営を通じて自分が試したかったことを試せていた気がしますね、このECサイトの運営で。
26歳の時、入ってすぐのぐらいの時に長女が生まれるんですけど、
長女が生まれるぐらいの時に引っ越しも重なりまして、長女が生まれた次の日ぐらいに発熱をしまして、
40度もいってないか、39度ぐらいまで上がったかな。
多分いろいろなストレスというか緊張の紐が解けたんでしょうね。
発熱をしたのはすごい記憶にあります。
27歳の頃に、2018年頃に今の自分の工房ベルっていう自分の作品を作りを始めて、
ECサイトを作って売り始めるというのをしたのが27歳ぐらいですね。
27歳の時に長男が生まれ、生まれたぐらいで自分でやり始めていたので、
自分のやってることに時間を使いたいなと思い始めて、
会社を辞めて、その年に開業届け出して、
いろいろイベントの出展したりとか、ギャラリーさんの展示会に参加したりとか、
カフェの展示スペース借りて作品展示してみたりとか始めたぐらいが28とか、2019年がそれぐらいですね。
そこからいろいろ委託販売とか、クラファンとかやってはみたものの、
そんなにうまくいくわけもなく、30の時にもう一回家具を作っている特別な会社に就職し直しまして、
最後に古典を開いて、それを機に一区切りつけた後に、一区切りとしてもう一度会社員として働き始めました。
そこは薬局の重機とか作ったところですね。
主に薬局の重機か、それも木工のところなんですけど。
でも働きに戻ってはいるんですけど、ずっと自分の作品というか、
工房ベル自体は残してちょこちょこ作品は作り続けていて、
それまでは今みたいにスーツアクセサリーに絞ってなくて、
コースターとか雑貨、女性向けのアクセサリーとか、本当に何でも作ってはいたんですけど、
もう少し絞った方がいいんじゃないかって。
イベント出展してても、木を使っているのはわかるんですけど、
当面から見て何屋さんかわからないっていうのがあったので、
2022年ぐらいからスーツアクセサリーに絞ろうっていうので、
自分がスーツが好きっていうのもあったのと、
今まで販売してた反応が良かったものがネクタイピンとかスーツアクセサリーだったので、
自己中心的ディタの重要性
それに絞っていこうかなっていうので、2022年31歳ぐらいから絞って、
スーツアクセサリーに絞ったのを機に東京へのイベント出展を始めるんですね。
やっぱりスーツを着る人が首都圏というか関東の方に多いっていうのと、
こっちの三重県とか愛知県で出展してもそんなに反応が良くなかったので、
もう少し場所を変えてみようということで東京への出展を始めましたね。
2022年の終わりぐらいに働いてた会社を辞めるんですけど、
辞めて主婦になります。
主婦の方が自分には向いてるというか、合ってると思っていて、
妻は外に出て働きたい人なので、自分が家にいて家のことをやる方が
2人にとってどっちも都合が良いというか、持てずもたれずの関係になっているのかなと
今では思っているんですけど、
ちょっと前までは自分の生活費すら稼げないのはどうなのかなという
ひけ目というかのあったんですけど、
僕自身が妻がいないと生活費稼げなくて生活できていけないように、
逆に妻も僕が家にいて家事をして子供を見てないと
今みたいな働き方はできないので、
今は2人で一つみたいな生き方でいいんじゃないかなって。
あと2023年に楽天大学の中山真也さんを知るんですけど、
中山さんを知ったことが僕にとって結構大きいというか、
今に至るまでに結構大きいなと思っていて、
ポッドキャストのMINLABOに中山さんがゲストで出ている回を聞いて、
中山さんという人を知ってすごい面白い人だなと思って、
そこから本を買ったり、いろいろ追っかけというか、
いろいろ見ているんですけど、
自己中心的ディタという考え方がすごい僕にとって
大事というか、この考え方を学んでから
物事がいい方向に転がっている感じがあって、
自己中心的ディタというのは自分がやりたいこと、
ついついやってしまうことと、あとは得意なこと、
あとは人から喜ばれること、
その3つが重なるところを自己中心的ディタと呼んでいるんですけど、
やりたくて得意で喜ばれることをやっていくといいですよみたいな考え方があって、
それはすごく自分にとってそれを考えていくことが大事だなと思っています。
これでだいたい今までのことは話を終えたかな。
30分くらい一人で喋っている。
普段はあまりないことなので疲れました。
これで僕の整りが多少慣れても分かってもらえたかなと思います。
最後に1つは、
皆さんの気持ちを分かってもらえたかなと思います。
最後までお聞きいただきありがとうございました。