カッコいいの考察
ベルノート、この番組は、皮膚であり木工作家である鈴木健太が、日々感じたこと、考えたこと、大切にしたいことをおしゃべりするポッドキャストです。
カッコいいとは何か、これを少し前から自分なりに考えてはいるんですけど、
僕はスーツアクセサリーを木を使って作って、それを届けているんですけど、
それをカッコいいと思って、自分がカッコいいと思うものを作って届けようとしてはいるんですけど、
カッコいいという言葉は人によって違うというのもあるし、
僕自身の中にもカッコいいは一つではないというか、いろんなカッコよさというものがあると思うんですけど、
自分が思うカッコよさをちゃんと言葉にしたいなと思ってはいて、
具体的なカッコいいものは人それぞれ違っても、
抽象度を上げていくと何か共通する部分があるんじゃないかなと思っていて、
共通するカッコよさみたいなものが伝わる、
どういうか伝えることができれば自分の作品にもう少し興味を持ってもらえる人が増えるのではないかなと思っていて、
なのでそのカッコよさというもの、自分の中のカッコよさを言語化、言葉にしてみる回にしようと思っております。
カッコいいの定義
まずカッコいいの辞書的な意味、辞書での意味でいうと、
姿、形、様子などが優れていて、好ましい、見栄えが良いという外観、見た目のカッコよさについて書かれていて、
カッコいいの語源というか元になった言葉を調べると、
カッコオというものがあるんですけど、カッコオという漢字は立心弁に合う、意見が合うとか合うに過ぎと書いて、
カッコオというのが語源とされていて、これを組読みというか別の読み方で、
あたくもよしとか言って読むんですけど、意味としてはあるものとあるものがうまく調和するとかっていう意味があって、
ちょうどいいとかぴったりみたいな意味があって、こっちの意味だと内面的な内側のカッコよさみたいなのを表しているなと思っていて、
これは今のカッコいいにも当てはめられると思っていて、
カッコいいの種類というか外観、見た目が単純にカッコいいというのと内面的なカッコよさ、
生き様であったりとかその人の考え方、言動がカッコいいって思うこともあるし、
外観のカッコよさと内側、内面のカッコよさがそれぞれあって、
外側だけカッコいいって思うこともあれば内側だけカッコいいって思うこともあって、
その両方同時に、外側も内側もカッコいいって思うこともあって、
カッコいいの種類には3つある気がしてはいるんです。
内面と外面のカッコよさ
僕のカッコいいと思うものの一つに紳士的なもの、ジェントルマン的なものがあって、
最初にこの紳士的なものをカッコいいと思ったのは、
バンピースのサンジっていうキャラクターがいるんですけど、
僕はこのバンピースの中でサンジっていうキャラクターが好きで、
カッコいいなと思ってて、
カッコいいなって思っている理由というか、
カッコいいなって思っているところは、
サンジは料理人なんですよね、料理人なんで、
手は料理をするために使うものであって、
銭湯とか人を傷つけるために使うものではないということで、
銭湯は足だけで行っていたり、
あとは死んでも女はけらんとか言って、
女性に対して攻撃は絶対にしないとかっていうところとか、
そういうところがカッコいいなと思ってて、
自分のルールを守っているというか、
自分が決めたことを通している感じとか、
カッコいいなと思ってて。
そのサンジっていうキャラクター、
サンジはいつもスーツを着ているんですよね。
自分がスーツというか、
スーツをカッコいいと思っているのは、
スーツ自体をカッコいいと思ったのか、
スーツを着ているサンジという人物像が、
人物像というか生き様がカッコいいと思ったから、
そのサンジが着ているスーツをカッコいいと思ったのではないかっていうのがあるんですよね。
最初からスーツをカッコいいと思っていたのか、
サンジというキャラクターがカッコいい、
たまたまそのサンジがスーツを着ていたからカッコいい、
スーツをカッコいいと思うようになったのかわからないんですけど、
どっちもありそうな気はするんですけど、
でもたぶんサンジというキャラクターがスーツを着ていたからこそ、
スーツをカッコいいと思うようになったんだなと思っています。
そのルールと、自分のルールを徹底するっていうカッコよさでいうと、
もう一人カッコいいなって思っているのがあって、
トランスポーターという映画、海外の映画があるんですけど、
その映画は運び屋の人が主人公の映画なんですけど、
その運び屋にはルールが3つあって、自分でルールを3つ決めていて、
1つは契約厳守、
もう1つは依頼主の名前を聞かない、
3つ目が依頼品は開けないというルールを決めて運び屋をしているんですけど、
その主人公もスーツを着ていて、
その主人公は同じスーツを何着も持っていて、
1着汚れたら同じものを着直して仕事をするとかっていう、
そこもカッコいいなと思ってはいるんですけど、
逆に今度はスーツを着ているキャラクターをカッコいいと思うようになるというか、
最初はサンジというキャラクターがカッコいいと思って、
スーツをカッコいいなと思うようになったんですけど、
今度は逆にスーツを着ているキャラクターというか、
人をかっこいいと思うようになってきてるんですね。
例えば、耳を澄ませばのバロンっていう猫のキャラクターもスーツ着てますし、
あとは呪術回戦でいうナナミさん。ナナミさんのスーツ着ててかっこいいなと思ったり。
内面のかっこよさが外面のかっこよさに引っ張られたり、逆に外観のかっこよさが内面のかっこよさに引っ張られることもあるなと思ってます。
でもサンジでいうと、サンジはタバコを吸うんですけど、
僕自身タバコを吸うこと、タバコ自体にかっこよさを感じてなくて、
それは多分別のタバコを吸う人物というか、タバコを吸う場面、シーンをあまりかっこいいと思ってないからなんだろうなと思って。
なので全部外観のかっこよさと内面のかっこよさが行き来するわけではないんですけど、
多少、多少、内面のかっこよさが外面もかっこよく見せるということがあるのかなと思ってます。
もう一つ、かっこいいが分類というか仕方があると思っていて、
外面と内面のかっこよさともう一個別で、かっこいいの基準が自分基準か他人基準かというのもあると思っていて、
自分がかっこいいと思って、他人が人がかっこいいと言っているからそれをかっこいいと思うのか、
人はかっこいいと思ってないけど自分はかっこいいと思うのか、
人のかっこよさを基準に自分のかっこよさを決めるのか、
人のかっこよさは無視して、自分だけのかっこよさを貫くのかみたいな違いはあると思っていて、
他人基準でかっこいい、人がかっこいいと思っているものをかっこいいと思うというのは、
たぶんかっこ悪いと思われたくないというのが裏側にあると思うんです。
かっこよくないはかっこ悪いとイコールになるんですけど、
かっこ悪くないはかっこいいとイコールにならないと僕は思っていて、
かっこ悪くないと思われたいという選択の仕方はかっこいいとは言えないんじゃないかなと思っています。
なので他人基準でかっこいいを選んでいるのはかっこよくないと僕は思っていて、
他人基準のかっこいいは言い換えれば僕は流行とか流行りみたいなものだと思っているんです。
例えば流行色は2年前にこの色にしようという検討が始まり決められていたりして、
世間がかっこいいと言っているものは何か。
別のメディアが作り上げられたかっこよさをかっこいいと思うのはかっこ悪いというか、
カッコいいとは何か
それだけの基準でかっこいいと思うのは違うなと思っていて、
世間が作り上げたかっこよさを自分がかっこいいと思っているならそれはそれでかっこいいんですけど、
それを外れるとかっこ悪いと思われるからそれをかっこいいと位置づけているのはかっこ悪いという感じかな。
流行は作られるものであって、流行を作るということは何かダサいものというものを定義というか裏側に作ることになるんですよね。
なので流行を作るのはものを売るために何かをダサいというかかっこよくないですよという何かを作り、
それとは違うものがかっこいいですよというものを作っている気がして、僕はあまり好きではなくて、
ただ自分の作品をより多くの人に届けるとなったときに流行に乗らないという選択というかどうかなと思うところもあり、
ただそれはかっこよくないと思っている自分もいてという感じがあって、
やっぱり流行しているからそれに近いものを作品を作るというのはやっぱり僕の中では何かしっくりしていないというか違うなとは思っています。
それで僕自身が作品に込めているかっこよさというか、ものづくりを作品を作っている上でかっこいいと思っているものでいうと、
さっきの3次の話ではないですけど、ルールというか制限というかを自分の中では決めていて、
木に着色はしないというのは絶対作品を作る上で決めていて、木の色を活かすというのはそのルールは設けていて、
それがかっこよさにつながるのかどうかわからないですけど、着色をしてしまうと使う木がそれでなくてもいいようになってしまう気はしているので、
作品とその価値
着色はしないで木の色を活かして、その木を組み合わせて作品を作るというのはこだわって大事にしてやっていることですね。
あとは、流行に左右されないもの。流行は僕はあまり好きじゃないというのがあるので、流行に左右されないもの、飽きない。
なので、飽きないデザインというか、5年後、10年後、長く使ってもらいたいというのはあるので作ったものを使い捨てではなくて、
5年後、10年後使っても古臭いと思われないデザインというか、飽きないデザインというか、何か一つぶれないものというのはかっこいいのかなと思っています。
あとは、ルール制限というのは他人から決められたものではなくて、自分でこれをやると設定して勝手に守っているものであって、
そこに外的要因が入っていないというか、自分だけの美学というか、自分だけが知っていてそれをちゃんと守っている美学みたいなものはあると思っていて、
そこに自分の意思がちゃんとあるものはかっこいいなと思っています。
自分だけの美学でいうと、カフリンクスってシャツの袖口を留める装飾のボタンがあるんですけど、
カフリンクスはほとんど外というか、袖口からほぼ見えないので、着けている本人は着けているという自覚というか、自分で着けているので知っているんですけど、
他の人がそれを見えることはできるんですけど、
人に見せつけるために着けるというよりは、自分が着けたいから着けるみたいな、自分で知っている、自分だけが知っている美学みたいなのはカフリンクスはちょっと近いのかなと思ったりします。
あとは、カフリンクスもネクタイリンも基本的にはスーツ着る上で着けなくてもいいものであって、
装飾品なので着けなくても別にマナー違反でもない、マナーとして悪いわけでもないし、着けなくてもいいものなのに、あえて着けるという、手間をかけるというかっこよさはあるのかなと思っていて、
自分の作品画というよりはアイテム自体にかっこよさはあるのかなと思っていて、やらなくてもいいけど、自分のためというか、やらなくてもいいけどわざわざ手間をかけてやるかっこよさはアイテム自体にあると思っています。
かっこよさで目指すところというか、こうあったらいいなというのがあって、僕の作品をかっこいいと思って見つけてもらって購入してもらい、
その人にとってかっこいいものなので、最初のかっこいいはカタカナのかっこいいなんですけど、購入してもらった後のかっこいいは漢字のかっこいい、あたかもよしなので、
作品と使ってくれる方とが調和するようなイメージのかっこがいい作品になれたらいいなと思っていて、その人にとってちょうどいいもの、ぴったりと感じてくれるものであればいいなと思っていて、
あとその作品をつけてくれた方を見た別の人がまたかっこいい、カタカナのかっこいいというふうに思ってくれたら嬉しいなと思っていて、
かっこいいの循環というか、最初カタカナのかっこいいで作品を見てもらって、使ってくれる人とかっこがいい状態になり、それをまた別の人が見たところをかっこいいと思ってもらえるような作品が作れて届けられたら、
かっこいいが循環するというか、そんなかっこいいが循環したらかっこいいよねと思っています。
僕は紳士、ジェントルマンを外見的にも内面的にもかっこいいなと思っているんですけど、
もしよければ聞いている方のかっこいいと思うものを聞かせてもらえたらなと思っていて、
概要欄にお便りフォームを作ってあるので、もしよければそこのリンクをクリックしていただいて、あなたにとってのかっこいいとはを聞かせてもらえたら嬉しいです。
最後までお聞きいただきありがとうございました。