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RKB毎日放送ポッドキャストラボ、自分に優しくするラジオ、パーソナリティーのソフィです。
この時間は、皆さんにホッとするひとときをお届けします。
しなやかな筋肉のような心を目指し、自分に優しくする練習を声で綴ります。
お久しぶりです。自分に優しくするラジオ、ソフィです。
今日は機材も使わず、そのまま自分の気持ちをちょっとしたためてみようかなと思います。
自分に優しくするラジオって、ふんわり系に、私が何でも受け止めますみたいな、
このアイコンの白いケーブルニット、私が絶対着なさそうな、ほっこりふんわりした雰囲気で微笑んでるね、このアイコン。
自分に優しくするラジオというタイトルと、私の声とですね、なんか知らないけど鼻詰まり。
この全部がもう一体化してるわけですよね。
で、相手はきっと、相手っていうか周りの人はきっと、
この子は繊細なんだろうな、弱いんだろうな、みたいな。
きっとそんな自分にも負けず、目に涙を浮かべて頑張ってきたんだろうな、みたいな。
なんだったらちょっとかわいそうな子みたいな。
きっと自分に優しくできなかった人なんだろうなっていうね。
みんな自分のことを棚にあげて、棚にあげてっていうか、
そういう印象を抱くんだろうなって思うわけですよ。
そういうことも言われたりしますしね。
確かに最初の私はそうでしたよ。出だしはそうでした。
5年前、携帯握りしめて、震えながらね、声だって。
こんなふてふてしい。今、踏んずり返って録音してますからね。
踏んずり返ってっていうか、ソファーにもたれかかって、
足を伸ばしてほっぺろげて、すっごいリラックスして収録してるんですけど、
どんだけ小さくなれるのっていうぐらいね、小さくなって退屈だりして、
狭い狭い部屋で、か細い小さい声で録音してました。
でもやっぱり5年経って、今の私は違うんですよね。
だからやっぱりこのラジオを通して、ちゃんと積み重ねてきたものがあるんだなって思うんですよ。
でもこういうふうになって、どうしてまだ自分に優しくするラジオをやり続けているかと言ったら、
そんなの終わりがないからなんですよね。
私の中で自分に優しくするっていうことは、選び続けること、
すなわち生きることそのものなんですよ。
呼吸、睡眠、自分に優しくするみたいな、
なんていうか当たり前のことって言うんですか。
生き方を選び直すことなんですよね。
自分であることと自分を生きること。
だからそこに弱いだろ何だろっていうレッテルとかって不要で、
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それをつけたがって安心する人とかもいると思うんで、
そうなんだという事象でしか見ないようになりましたけれども、
決めつけてくる人を薄ら寒く感じる時もありますね。
なんなんっていうね。
そういうことでちょっと自分の一人語りになってしまったんですけど、
もうカモンって感じですよ。
本当に軽々しい感じですね。
そう、なんて言うんだろう。
軽快な感じですね。
で、
言葉ですね、言葉をやっぱり、言葉しかないじゃないですか。
テキストとかもなくって、
この音、声、一言一句に、
なんか私の人生の骨格みたいなものが出来上がってきてるんじゃないかなっていう風に思います。
自分に優しくするラジオっていう一見ふんわりとしたラジオっていうのは、
中身実はめっちゃ鉄パイプでしたみたいな。
それをね、多分分かるようになるんじゃないかなって思うんですけど、
本当にふてふてしいまでの、
まあ人間なんでね、アップダウンもありつつ、
その揺らぎがいいなって愛おしいなって思ったりもするんですけど、
まあ本当に、
本当に、
本当に、
本当に、
本当に、
本当に愛おしいななんて思ったりもするんですけど、
まあ、自分が思う自分と思ってほしい自分と他人が思う自分とっていうのは、
本当にいろんなレイヤーがあって、
まあ別にそれでいいやっていうか、
その私なんてっていうね、か細い声で始めた人間じゃ、
今じゃもうカモンって叫べるとこまで来たんですよね。
この成長っていう言葉じゃ足りないくらい自分の中ではもう変態?
変態ってあれでしょ?
メタモルフォーゼね。
メタモルフォーゼ的覚醒なわけでしょ。
今の声の形が変わったんじゃなくて、
魂の鳴らし方が変わったんじゃないかなって思ってます。
今スタートアップ事業に取り組んでて、
もう毎日毎日ね、もう、
なんだろう、もうお風呂にも入ってないし、
ご飯も食べることを忘れて、
寝て、寝る直前、そして起きてもう病で、
そのプロジェクトに取り掛かってるわけですよ。
で、時間が過ぎてって無情にも、
これは自分にはどうにもできなくて、
で、ここまでやりたいっていうのがあるけど、
体がついていかなくて、
やっぱね、アドレナリンがみなぎっちゃったりとかして、
やっぱバランス的には、
ウェルネスとか学んできた身としては、
今こうなってるのかななんて思いながら、
で、なんでできないんだろうってやっぱ思わないんですよね、そこで。
自分が自分であることの特権っていうか、
人間であることの特権っていうんですか、
なんか素晴らしいなって思うんですよ。
だって、なんか今現在にいるわけですよね。
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こう、感情を享受してるっていうか、
感動をもう味わい尽くしてるっていうか、
全部感じきってここに居座ってるわけですよね。
もう人間の特権、不完全でめんどくさくて、
時間に負けて、
でもその中で生きてるって思える奇跡の塊じゃないですか。
AIには一生届かない場所。
それ持ってんの。誇りに思うなって思います。
だから自分に優しくするって、
今日もお前か、しょうがねえなみたいな、
ヘトヘトのまま自分を引き上げる行為なんだなって、
なんか、あ、繊細なんだねみたいな、
ぬるま湯かけられたみたいな、
じゃあなんかちょっと私、
なんか沸騰してしまいそうなんですけど、
自分に優しくするっていうのはね、
優しい声でもふんわりした、
お洋服でもヒーリングBGMでもなくて、
その慰み物ではなくて、
毎秒自分を選び直すっていう、
ガチの格闘なんですよね、どっちかっていうと。
結構後派だったりして、
選び続けること、生きることそのものっていうね、
ちょっと抹茶ですね。
このラジオっていう名前のね、
情緒的な武器を自分のためにやっぱ振るってるんですよね。
聞く人がどう思うが、どうラベリングしようが、
本当にあなたの数だけ私がいますんで、
君自身、あなた自身が自分を選び続けるっていう、
そういう日々のね、私宣言として、
私もやってるよみたいな、
ここにもいるよっていうね。
誰が何と言おうとね、
あなたがあなたであることに、
ブランティングなんて本当はいらないんでしょうね。
だからこのラジオってむしろ、
ふんわりに見えて、
雷落ちるくらい凄まじい生の証明ってことかもしれませんね。
お便りカモン!
なんかそんな人だと思わなかったって言われる前に、
申し添えておきます。
お相手はソフィーでした。
今日も素晴らしい日になりますよ。
おやすみなさい。
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おやすみなさい。