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みもれ真夜中の読書会、おしゃべりな図書室へようこそ。
こんばんは、ナビゲーターの高段者ウェブマガジン、みもれ編集部のバタやんこと河童です。
おしゃべりな図書室では、水曜日の夜にホッとできて明日が楽しみになるをテーマに、皆様からのお便りをもとに、おすすめの本や漫画、紙フレーズをご紹介します。
さて、第101夜を迎えました。101回目ですね。101回目のプロポーズなんつって、プロポーズはしないんですけど、
今夜はお便りのご紹介はちょっとお休みして、最近読んだ本の中から激推しの一冊を勝手にご紹介するというコーナーです。
今日ご紹介する勝手に貸し出しカードは、坂井潤子さんの最新エッセイ、生まれる言葉死ぬ言葉という本にしました。
こちらはですね、表紙に書いてある言葉を紹介すると、
バエ、ハラスメント、個人的な意見、わかりみ、ネクラ、自分らしさ、婚活などなどなど、流行り言葉とかですね、知らぬ間に生まれて気づけばキンクになったりしている言葉にまつわるもやもやだったり、その言葉が生まれてくる背景なんかを坂井潤子さんが分析したコラム、エッセイになっています。
ポリコレ時代の日本語論というふうに帯にあるんですけど、時代的にふさわしくない言葉だって言われてなくなっていく言葉もあれば、新しく生まれてくる言葉もあるっていう話で聞いただけで面白そうじゃないですか。
この本を読みながらちょっと思いましたけれども、今までなかったものに名前がついて、生きづらさとか、それだったんだ私みたいな感じでホッとするっていう言葉もあれば、わかりみとかヤバイとか、エモいとか、いろんな感情をひっくるめて一個の言い方にしちゃうっていう、
楽をするような言葉とか両方あるなって思ったりしました。
ちょっと話がそれるんですけど、こないだカンジャム完全燃焼っていう音楽番組で、カンジャム完全燃焼っていう音楽番組ご存知ですか。
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私はあれがすごい好きなんですけど、今のヒット曲の流行ってる理由だったりとか歌詞とか旋律の音作りのすごさなんかをゲストの音楽業界のプロの方たちとか、
あとカンジャニーの皆さんと古田新田さんから分析したりその場で実演したりするっていう音楽番組すごく好きなんですよ。
この間ご本をご紹介した石渡隼二さんという作詞家の方もこの番組の解説員としてよく出てらっしゃって、それで知ったきっかけでもあるんですけど、
この間3月20日の回かな、秋元康さんの特集回で、作詞家秋元康のすごさとはミソラヒバリから坂道までということで秋元さんが作詞された曲について分析されてたんですけど、
秋元さんが作詞された曲について分析されてたんですけど、秋元さんが作詞されてた曲について分析されてたんですけど、秋元さんが作詞されてた曲について分析されてたんですけど、
秋元さんが作詞されてた曲について分析されてたんですけど、秋元さんが作詞されてた曲について分析されてたんですけど、秋元さんが作詞されてた曲について分析されてたんですけど、秋元さんが作詞されてた曲について分析されてたんですけど、
秋元さんが作詞されてた曲について分析されてたんですけど、秋元さんが作詞されてた曲について分析されてたんですけど、秋元さんが作詞されてた曲について分析されてたんですけど、秋元さんが作詞されてた曲について分析されてたんですけど、秋元さんが作詞されてた曲について分析されてたんですけど、秋元さんが作詞されてた曲について分析されてたんですけど、秋元さんが作詞されてた曲について分析されてたんですけど、
秋元さんが作詞されてた曲について分析されてたんですけど、秋元さんが作詞されてた曲について分析されてたんですけど、秋元さんが作詞されてた曲について分析されてたんですけど、秋元さんが作詞されてた曲について分析されてたんですけど、秋元さんが作詞されてた曲について分析されてたんですけど、秋元さんが作詞されてた曲について分析されてたんですけど、秋元さんが作詞されてた曲について分析されてたんですけど、秋元さんが作詞されてた曲について分析されてたんですけど、秋元さんが作詞されてた曲について分析されてたんですけど、秋元さんが作詞されてた曲について
だから、音楽の場合、なくなっちゃいそうな言葉を特にタイトルに付けるっていうのはすごい勇気がいるっていう話をしてて、面白いなって思ったんですよ。
で、なんでそういう言葉を使うのかっていうふうに cornerさんが秋元さんに質問されていて、秋元さんがその時にポケベルがならなくて、っていう歌で初めて近いうちになくなりそうなものを タイトルに付けて、
ポケベルが鳴らなくても 秋本さんの作詞なんだって
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すごいなって思いましたけど
今でもね 歌える サビを歌えるぐらいの
インテリジェクトを持っていて
ポケベルが鳴らなくても 秋本さんの作詞なんだって
すごいなって思いましたけど
ポケベルが鳴らなくても 秋本さんの作詞なんだって
すごいなって思いましたけど
今でもね 歌えるサビを歌えるぐらいの
インパクトがあるし
ポケベルが鳴らなくてっていう
時代があったなって思いますもんね
ポケベルは近いうちに 亡くなるだろうって思いながらも
使ったっていう話をされていて
面白いなと思いました
生まれる言葉 死ぬ言葉っていう
坂井さんの本を 読んだばっかりだったので
死ぬ言葉 近いうちに死ぬだろうと
分かっていて タイトルに付けるっていう感じ
分かっていて タイトルに付けるっていう感じ
天才の中のお遊び
秋本さんの場合は たくさん曲を作ってらっしゃるので
秋本さんの場合は たくさん曲を作ってらっしゃるので
今っぽい すぐ死ぬかもしれない流行り言葉を入れるタイプのやつと
今っぽい すぐ死ぬかもしれない流行り言葉を入れるタイプのやつと
普遍的な美空ひばりさんの歌詞のようなやつと
両方世に出せるからっていうのはありますよね
一生に一冊 一生に一曲みたいな感じで作るんだったら
一生に一冊 一生に一曲みたいな感じで作るんだったら
確かに君しか勝たんとか
あざとかわいいみたいな
今っぽいワードを入れようとは思わないかもしれないなと思ったりしました
今っぽいワードを入れようとは思わないかもしれないなと思ったりしました
ちょっと話がそれちゃいましたけど
坂井潤子さんの生まれる言葉 死ぬ言葉から
気になったワードをご紹介していきたいと思います
坂井潤子さんの生まれる言葉 死ぬ言葉という本には
ふむふむ なるほど そうかもしれないなと
自分ではあんまり深く考えて意識して使ってなかったけど
自分ではあんまり深く考えて意識して使ってなかったけど
そう言われてみれば
そういう意味で使っているのかと思う言葉がたくさんあって
線を引きたくなるような
付箋をたくさん貼りたくなるような本でしたが
特にお気に入りの歌詞をご紹介します
気づきをもらいましたという言葉が流行っている
今風だなというふうに書かれている章がありまして
好きなアーティストのライブに行った感想について
若い人がSNSで
いろんな気づきをもらった感動をありがとうって書いていて
それがすごい今風だなって書いていらっしゃって
気づきをもらいました
感動をありがとうって確かに
気づきをもらいました
感動をありがとうって確かに
よく言うかもと思って私自身もね
なんで今風なのかっていうと
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普通に書いたらいろんなことに気づいて
感動したってことですよね
それを気づきっていう
気づきって名詞化して
あげるもらうっていう
贈呈されているという
関係にしているっていうことと
もらったことに対して感謝している
っていうのが
面白いって書いてありました
その
感情が自ら湧き出たものじゃなくて
もらったことにしたいっていう
傾向の
源を探ってみると
2011年の東日本大震災の時に
勇気を
与えたいとか
逆に勇気をもらっちゃいましたとか
っていう言葉が出てきたってことかな
確かに
なんでそのもらったことにしたいのか
っていうところが面白かったんですけど
気づいたって言ってしまうと
自分の手柄
自分が気づく感性があるっていう
ことを表明していることになっちゃうけど
気づきをもらいましたっていうと
相手のおかげっていう感じがしますよね
日本古来のおかげさま思想と
相まって強くなった
感謝ブームともぴったり
なんじゃないかと
例が通って続けたくなるっていうんですかね
そうそうだから言いやすいんじゃないか
っていう話でしたね
気づいたって言っちゃうと自分のおかげっぽいから
勇気をもらった
勇気を与えたい
感動したじゃなくて感動をもらった
勇気が湧いたじゃなくて勇気をもらった
元気になったじゃなくて元気をもらった
っていう言い方にして
もらったからありがとうっていう贈答
もらったらお返しをする
っていう日本人の考え方に
すごい合っているんじゃないかと
だからストレートな表現じゃなく
わざわざしているんじゃないかっていうお話でした
やばみとかわかりみみたいに
動詞形容詞も無理やり名詞化して
そのもののように扱って
もらったり受け取ったりするものって
するところも確かに面白いですね
自分がわかったっていうより
わかりみが深いっていうのは
ちょっとだけ客観的なのかな距離があるような
誰がわかったのかが
曖昧になっているというふうに
坂井さんは書いていらっしゃったけど
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そのところに舞い降りてきたみたいな感じですかね
努力して理解した
自分のおかげで理解したっていうよりは
計らずも理解してしまった
風を装ってるみたいな感じが
わかりみが深いは理解した
わかったっていうより
計らずも理解してしまった
理解が降ってきたみたいな感じがするよね
本編でのお話でした
こんなふうにお弦が感謝したい欲求と
合いまって
自分のあんまり手柄っぽく言うのを
どうかなっていうのとね
SNSとかでつぶやくときに
その方がつぶやきやすいっていうのもあるのかもしれないですね
読めば読むほど味わい深い
エッセイなのでした
ここで
まずは
その流れを止めることはできません。そして言葉刈りをされたからといって、和芸や文芸が著しく衰退したかというとそうでもなく、
刈られたら刈られたで別の表現方法が発見されてきたのです。
という箇所をご紹介しました。これは言葉刈りについて書かれた章になっています。
このちょっと前のところに、
読直しとして言葉刈りというのは行われていて、ポリコレ的なことですね、ポリティカル、コレクトレス的に正しくないというので、
そんな言葉は使わない方がいいんじゃないかというのがある一方で、
いろんなことが言いづらくなっちゃってつまんないなというようなことを、
芸人さん、大物芸人さんとか、テレビがどんどんつまんなくなるとか、
飲み会とかでもいろいろ気を使わなきゃいけないからつまんないなとかを上司とかが言うという話だと思うんですけど、
それからどっちかというとある人の方が言葉刈りにあってつまんないなということを言いがちだよねという話から、
でも坂井さんお自身も例えばブスのような言葉を、
用紙が今一つの女性に対して自分も使ってたこともあるし、
でも今では使ってはいなくて、時が経ち今私文章の中でブスという言葉を使用することはなくなりましたと、
年齢的に煮つかわしくない言葉ということもありますが、
何よりもそれは時代に煮つかわしくない、言論の自由への圧迫ではないかと、
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息をまくほどその言葉に対する愛着もありませんって書いてらっしゃって、
愛着もありませんっていい言葉だなというか、
確かにそんな使えてたからといって別に対して愛着もなかったなという言葉ってたくさんあって、
使わなくていいなら使わなくてもいい言葉もたくさんあって、
ポリティカルコレクトレスを言われると固みが狭いとか自由がなくなるっていう人もいるけど、
実際にはまた新しい楽しいこととか新しい表現とか新しい言葉が生まれていって、
どんどん世の中がつまんなくなっていくっていうことはないんじゃないかっていう分析なわけですよ。
確かに使わなくていい言葉、差別的なとか、下げすんだり誰かを落として笑いをとるみたいな言葉は、
なくなるならなくなってもよろしいし、別にそんなに愛着もなかったなっていうのは、
なんというかいい距離の取り方だなというふうに思いました。
生まれる言葉、死ぬ言葉、気になった方はぜひ読んでみてください。
今日も最後までお付き合いいただきありがとうございます。
さて、そろそろお時間になってしまいました。
真夜中の読書会おしゃべりな図書室は皆様からのお便りをもとに、
いろいろなテーマでお話したり本を紹介したりしております。
MIMOREのサイトからお便り募集していますので、ぜひご投稿ください。
また水曜日の夜にお会いしましょう。
おやすみなさい。
おやすみ。