ペネロピアの紹介
真夜中の読書会おしゃべりな図書室へようこそ。
はい、213夜を迎えました。今日は最近読んで誰かに話したくてしょうがないっていう本のお話をしたいと思います。
インスタにもすぐ上げたので予想がつくかもしれないんですが、
今日ご紹介するのは、マーガレット・アトウットのペネロピアの女たちのオデュッセイアにしました。
最近読んだんですよ。なんか初めての読書体験っていう感じで、私もそれなりにたくさん本を幅広めに読んできたつもりではあったんですが、
まだ食べたことない料理、まだ体験してなかった美味しさがあったのか、みたいな感動がありました。
マーガレット・アトウットといえば地上の物語が有名で、最近イーテレの100文で名著に選ばれたばかりですかね。
ディストピア小説の巨匠っていう感じですか。
ペネロピアの女たちのオデュッセイアはどんなお話か解説しますね。
ホメロスによるギリシャ英雄譚オデュッセイアってありますよね。
ありますよねって言いながら、どんな話か全く思い当たっていなかったんですけど、
名前は世界史の授業か何かでギリ聞いたことあるかなって感じです。
ホメロスのジョジッシオデュッセイアとイーリアスでしたっけ。
アンケイしただけみたいな、そんな程度の知識でも楽しく読めたので安心してください。
ホメロスのオデュッセイアはそもそもどんな話だったかと言いますと、古代ギリシャのトロイヤ戦争が勃発した時代、
オデュッセウスという男が10年戦争で戦って帰還をする国に戻る際に嵐に襲われたり、いろいろあって、
さらに10年漂流しまして、つまり故郷に帰ってくるまで20年くらいかかったんですね。
その間に奥さんのペネロペイアは国を守るため、夫の不在に言い寄ってくる男たち、旧婚者たちを追い払いながら待っていたわけですよ、彼の帰還を。
帰ってきたオデュッセイアは妻を奪おうとした旧婚者たちを片っ端から打ち首にして、
さらにこの旧婚者たちと通じていた女中12人も首吊りの刑に処死したわけなんですね。
そんな妻思いで勇敢なオデュッセウスの英雄団というふうに語られて、それが女子子オデュッセイアなんだそうです。
でも、奥さん側のペネロペイアはどう思っていたのかというのは記述がなくて、さらにその12人の女中たちは何で殺されなきゃいけなかったんだろうというのも埋められていないということで、
ここに疑問を持った後、先生がペネロペイアが死んであの世にいる、もう既に亡くなっているわけですけれども、
大キリシャ時代からだとすると2700年とか経っているわけですけれども、現在になってあの時ああだったこうだったとペネロペイアが語り出すという設定になっているお話です。
ストーリーの特徴
ものすごい発想ですよね。ペネロペイアにはトロイア戦争の原因にもなったと言われている美しき、超絶美貌のいとこがいるんですね。
彼女はいつも上から目線でペネロペイアをいじってきて、目の上のタンコブって感じなんですよ。
あとは求婚してきたウザい王子たちとか、その人たちももちろんみんな今は死んでいる、でも向こうの世界で一緒に存在していて、
生きている時もウザかったけど死んでもウザいみたいなことをブツブツ言っているんですね。
ファンキーなんですよね、ペネロペイア女子は。ロックな人なんですね。
これもこの物語のポイントだと思うんですけど、ペネロペイアさんは賢い人だったんですね。
ヘレナは美人、ルックスに恵まれていた。ペネロペイアは多分あまりそうじゃなかった。
でも知性があった。そこは美徳だと思うんですけど、その時代の普通の男性たちにはあまり好まれない。
オデュッセウスは多分唯一結構彼女との会話を楽しんでいた。
20年の戦争の旅に出る前は二人の会話を楽しんでいるようなシーンが描かれたりしているのが結構いいですね。
そしてこの小説のさらなるユニークなポイントは、間にコーラスラインが入るんですよ。
コーラスラインってどういうことかと言いますと、お芝居のミュージカルとかディズニーの映画を思っていただくと分かりやすいかもしれません。
メインストーリーは王女と王子の話だったり、悪役を倒しに行くみたいな話が描写されているストーリーが進んでいく間に、
お城で働く女中たちとか家来たちがエッサホイッサと歌ったりするじゃないですか、突然歌うシーンが出てくるじゃないですか、ああいう感じですね。
これが最初に言った新しい読書体験っていう意味なんですけど、ストーリーの間に歌詞が挟まるんですね。
コーラスたちが歌っている、それは女中、最終的には殺されてしまった12人の女中たちとか、あとは船乗りとか、町の市民とかですかね。
歌っている内容は本当か嘘かわかんないけど、そういう噂になっているっていう内容だったり、お城はそうなっているんじゃないかと町の人たちが噂しているっていうのが内容だったりするんですよ。
私はこの小説を一晩でというか数時間没頭して読んだんですけど、割と短い小説でして、
長尺のミュージカルを生みた後みたいな頭がジンジンするような疲労感と、そしてものすごい達成感に満たされました。
ストーリーを追いたい気持ちが先走って、間に挟まるコーラスラインとか読み飛ばしちゃいそうな気もしたんですけど、
これがなかなか面白くて一期一休、味わうように読めました。
それは本当に役者の河野須幸子さんの役出のおかげなんだと思うんですけど、
陰を踏んでるとかリズミカルな詩の役も素晴らしいし、
元がねどうだったのかわからないですけど、日本語としてとても楽しく読んで、
そもそもですよ、古代ギリシャ時代の姫が精霊となって、現代語で都土地のことをぶつぶつと喋り出すっていう非常にトリッキーな設定も、
現代との関連
まあそういうこともあるかもねっていう、喋り足りなかったんでしょっていうリアリティで成立させているのは、
役質によるところが大きい気がしました。
さて今日はこのペネロピアドから紙フレーズをご紹介して終わりたいと思います。
先に進みましょう、皆さん。
花瓶画とか女神信仰の彫刻など、ご覧になりたいですか?見たくない?結構です。
要は私たちのことであまり気を揉む必要はないってことです。
教養陣の皆さん、私たちのことは実在の娘として本物の血と肉を持ち、現実の痛みと差別になく生身の人間として考えなくても結構ですし、
そんなふうに考えたら平成ではいられないでしょう。
とあります。
女どものことなんてなかったことにしてどうぞと言っているわけですね。
このように語りかけ口調でどんどん進んでいくので、それもあってサクサクと見てしまったんですが、
ちょうどこの週末にポーラ美術館に行ったのでこのくだりに注目してしまったんですけど、
古代、近代問わず西洋絵画とか彫刻には美しい女性たち、あるいは働く女性たちが描かれますよね。
ポーラ美術館の展示はちょうどゴッホとゴッホに憧れた日本画家たちというような内容でした。
ゴッホに影響を受けた日本画家とゴッホの作品が展示されていたんですけど、
この本を読んでからいった成果、男性社会性みたいなのをすごく感じちゃいましたね。
絵画の世界の男性画家たちはお互いに褒めあったり、批判しあったり、雄弁に語り合っていて、
そこには女性は被写体としてしか存在していないっていう感じかな。
この本の解説、役者の小野素幸子さんのあとがきに、元のオリュッセイアには
オットノルス中にペネロピアドが客人たちに話し始めると、
それは男の仕事だと息子に悟されるっていうくだりがあるって解説にあって、
ミュートスと言って雄弁に語るみたいなことですね。
男の仕事であるとされていたと。
雄弁っていう日本語の漢字だってオスが語る、オスの弁って書きますもんね。
雄弁に語るっていうのは男にしか許されていなかったっていうことでしょうか。
でも今は女性も雄弁に語ったり、活発に意見を言ったりすることが許されているか、
大勢の人がいる場で声を出すってことが許されているかというと、
そうでもないのかなとかって、フジテレビの検証番組を見たりしてまた思いました。
まあでもこの本を読んで、じゃあオリュッセウスは彼は本当はどう思っていたんだろうって、
それも後ウッド先生にね語らせてみせてほしいなって思いましたね。
20年も家に帰れなくて何を考えてたんだろう。
久しぶりに帰ったら妻が隣国の男たちや女中たちと楽しそうに談笑してたら
カットなってしまったんだろうかとか、
長旅から戦争から帰ってきて本当は何を喋りたかったんだろうっていう、
男の人こそ本音を言わずに生きているでしょうから、今も昔も。
この本はもともとは2005年に単行本で刊行された本なんですけど、
最近文庫になってまして、とても薄い文庫なので、
例えば夏の旅行のお供とか、ちょっとした出かけのお供にぜひ気になった方は読んでみてください。
さて、そろそろお時間になってしまいました。
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おやすみなさい。
おやすみ。