Balloon Channelは、デザインクリエイティブスタジオBalloon Inc.が配信するメールマガジンと連動してお届けしているポッドキャストです。
メールマガジンにてお届けしている最新のデザインニュースや、日々の仕事で得られた知見、おすすめの書籍情報などについて、音声でお届けしていきます。
みなさん、こんにちは。今回のBalloon Channelは、私、広報のSaayaが担当させていただきます。
今回は、メールマガ第30号の内容をもとに、ミラノ・コルティナ2026冬季オリンピックのデザインと表現の自由というテーマでお話ししていきます。
ミラノ・コルティナ東京オリンピック、始まりましたね。
連日メダルラッシュですごいです。
かつて、2006年の鳥のオリンピックで、荒川静香選手がフィギュアスケートで金メダルを取ったときは、あの1枚だけだったんですよね。
それを思うと、今の勢いは本当にすごいなと感じます。
収録している本日時点で、15枚のメダルを獲得しています。
ちなみに、オリンピック全体の種目数もここ数大会で増えていて、ミラノ・コルティナでは冬季史上最大の種目数となっています。
新しく加わった団体戦や混合種目、女子種目が日本が強化してきた領域とちょうど重なったことで、チャンスが一気に広がったという側面もありそうです。
なので、単に強くなっただけではなく、メダルを取り得る場面そのものが増えているという構造的な変化が、今のメダルラッシュを後押ししているという見方もできます。
今回は、そんなミラノ・コルティナ東京オリンピックをデザインと表現の自由の観点から見ていきたいと思います。
まずは一つ目、ミラノ・コルティナ開幕、大会のモットーと多数決で決めた公式エンブレム。
さて、今回の大会の公式モットーは、It's Your Vibe、イタリアの頭文字、最初の2文字、ITのDNAと、人々の情熱、バイブ、バイブスをつなぐ、という人間中心の思想が掲げられています。
デザインに目を向けると、パリオリンピックの時は、陸上トラックをはじめとした競技場の紫が印象的でした。
スポーツの現場で、アドレナリンを出すような赤ではなく、紫を使うのは珍しいなと思っていたのですが、
このパリオリンピックの紫の理由は、選手を最もお映えさせるためということで、画面映えが理由だったそうです。
基本的にトラックの色、茶色っぽい色が多いのですが、そこに選手たちがそれぞれカラーのユニフォームを着て走ると、
肌の色、そしてユニフォームの色が茶色になじんでしまって、なかなか見にくい。
我々はずっと茶色を背景に見ていたので、見にくい、誰が1位か、隣の人と区別をしにくいと感じたことはなかったと思うのですが、
茶色の背景を紫にすることで、選手一人一人のユニフォームの色の違いなどが、すごく画面を通して見やすくなったという改善がありました。
じゃあこの紫が赤だとアドリンが出ていたのに、紫だとアドレナリンが出ないんじゃないか。
選手自身のパフォーマンスよりも画面映えを優先しているんじゃないかということもあると思うんですけれども、
あるスポーツ心理系の人によれば、紫などの方がリラックスの効果があって、
リラックスをしていた方がゾーンに入りやすくて、いいパフォーマンスができるのではないかという説もありまして、
特にこのスポーツに対して、落ち着いた色味を使うということに大きな問題や批判があったということではなかったんですね。
今回のミラーのコルティナ大会では、雪や氷で必然的に画面上に白の面積が多くなるのですが、
この景色に合うような落ち着いた緑や青といった色味が会場を彩っています。
パキッと一色で使うのではなく、ところどころに静かなグラデーションが使われているのが印象的です。
エンブレムは、史上初のオンライン投票で一筆書きの26をかたどったデザインに決定しました。
ツイッターでも、どっちがいいですかって流れてきていたのですが、
実際どうやって集計して、どう正当性を担保しているのかなと興味深いですよね。
メルマガの方では、オンライン投票をした2つの最終候補の画像や、
最終決定したオリンピックとパラリンピックのエンブレムの画像もご紹介しておりますので、ぜひご覧ください。
こちらのエンブレム、多数決で決めるのが本当にいいのかという議論もあったのですが、
最終的には、現在のシンプルで躍動感のある方のエンブレムに落ち着いて、現在使われているようです。
この一筆書きの数字の26の下に、ミラノコルティナ2026と書かれているのですが、
この数字の26とミラノコルティナというテキストがマッチしていないのではないかという意見もあるようです。
またぜひテレビなどを通して、あるいはメルマガの本文の方で、ロゴのエンブレムの方をご覧になってみてください。
続きまして、オリンピックのマスコットとパラリンピックへの思い。
今回のオリンピックのマスコットは、オコジョのティナとミロ。
名前は開催都市のコルティナとミラノから来ています。
とても愛らしい2匹で、現地ではグッズが大人気のようです。
北京の東京オリンピックでは、パンダのキャラクタービンドゥンドゥンが人気でしたね。
今回のマスコットの茶色い方のオコジョ、ミロはパラリンピックのキャラクターなんですが、
生まれつき片足がなく尻尾を使って歩くという設定なんです。
現地に登場している着ぐるみも、ちゃんと尻尾が右足代わりになっていて驚きました。
障害をあえてキャラクターに反映させるべきかは、いろいろな意見があると思います。
例えば、東京オリンピックのミライトワとソメイティは、
紺色とピンク色の一抹模様をまとった近未来的なかけ分けをしていました。
でも、今回のように尻尾を足にするという表現は、
身体の違いをポジティブに伝える良い一つの表現方法なのではないでしょうか。
私が以前、大学でスポーツマネジメントの非常勤をしていたんですけれども、
授業ではあえてオリンピックよりも先にパラリンピックを説明する授業にしていました。
なんなら、実際に現実世界において、
パラリンピックを先に開催してからオリンピックを開催したらいいのにと個人的に思っているんですが、
なかなかそうはならないので、ささやかなアクションとして授業で先にパラリンピックの話をしていました。
じゃあ、同時開催したら?という意見もあると思うんですが、
それは現時点では節約コストなどの都合で、かなり非現実的なようです。
パラリンピックはですね、階級分けが多くて競技時間が長くなってしまうので、
どうしてもオリンピックよりも視聴率が落ちがちです。
ただ、パラリンピックならではの競技もあったりして、すごくパラリンピックならではの面白さがあるんですね。
ちょっとここで、オリンピックとパラリンピックそれぞれの理念についてご紹介させてください。
まず、オリンピックの理念は、人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会の推進を目指すために、
人類と調和の取れた発展にスポーツを役立てること。
一方で、パラリンピックは、パラリンピックムーブメントの推進を通してインクルーシブな社会を創出することと定めています。
現代においては、理念だけでいうと、校舎のパラリンピックの理念の方が今の時代に合っているような気がします。
こういった理念を持ったパラリンピックが、地上波や廃森でもっと自然に見られるようになるといいなと思っています。
ただ、こういった雰囲気はオリンピック側も感じ取っているのか、我々に耳なじみのあるオリンピックのモットーがありまして、
より早く、より高く、より強くというものなんですけれども、
こちらを2021年に少しリニューアルして、末尾にともにを追加しました。
なので、現在のオリンピックのモットーは、より早く、より高く、より強く、ともにになったそうです。
資本主義の加速をする時のあおり文句にも使えそうになってしまっていますが、
とりあえず、ともに、トギャザーをつけることで、わずかにインクルーシブ感を出そうとしている気配が感じられますね。
続いては、進化するピクトグラムと成果統治。
ミラノコルティナ大会では、ピクトグラムも話題です。
1964年の東京大会で初めて採用され、2021年の東京大会では、動くピクトグラムが登場しました。
でも、結局、街の看板などで使うのは動かない方のピクトグラムなので、
東京大会の開会式の仮想体育ショーのようなパフォーマンス、
全身体育のような姿でピクトグラムを再現したあの光景、
早く忘れようと思っているのに、個人的にはまだ黒歴史として頭の片隅に残っています。
実際、画面の中でもピクトグラムは動いていたんですけど、
結局、実際に現地で看板などで使うときには動いていないので、
例えば、1964年のピクトグラムというものが、
現在に至るまで使われているという見方ができるかなと思います。
今回のミラノコルティナ大会のピクトグラムは、
冬季オリンピック国際競技連盟連合とのコラボレーションによって作られました。
アスリートの動きと気品さを表現し、
オリンピックのピクトグラム16種、パラリンピックのピクトグラム6種で構成されています。
船の躍動感があるアート寄りのピクトグラムとなっています。
頭や手足といった体のパーツが、
一筆書きのストロークのようにバラバラの線で描かれていて、
一目でわかるサインというよりは、
ピクトグラムをモチーフにしたかわいいシンボルという趣になっています。
また、聖火リレー当時のデザイナーは、
建築家でありデザイナーであるカルロラッティによるもの、
素材はアルミニウムと真鍮で、
素材から製造まですべてイタリア製になっているそうです。
実は、大阪関西万博のイタリア館でも10月13日まで公開されていました。
物理的なものとしての統治が、
オリンピックへの期待を醸成する強力なメディアとして機能していますね。
もともと、この聖火リレーというのは、
ヒトラーの時代に行われたオリンピックで、
ヒトラーが発案したものとされています。
聖火リレーをギリシャから開催地まで運ぶというパフォーマンスを経て、
ヒトラーが攻撃したい隣国を公式行事として歩き回れる、偵察できるという意味も込めて、
聖火リレーを持って走り回るというものが提案されたのですが、
ただ、これがすごくパフォーマンスとして優秀だったこともあって、
現在に至るまで、聖火リレーというものは残っているとなっています。
最後は、表現の自由。
ウクライナ選手のヘルメットに託された願いとルール50。
最後に、表現の自由の観点からこの話題にも触れておきたいと思います。
ウクライナの選手が、ロシアのウクライナ信仰で命を落とした選手らの遺影をあしらったヘルメットを着用して大会に出場する意向を示した結果、
男子1回戦開始前の12日午前、政治的表現に関する規則に違反するとして失格処分を受けたというものです。
今回の対応で注目されたのは、2025年にIOCのトップに就任したばかりのコベントリー会長です。
ジンバブエ出身の元金メダリストで史上最年少の会長、そして女性。
コベントリー氏は選手と迅速に対話する、より個人的で実践的な対応を見せました。
しかし、結果としてオリンピック憲章50条のオリンピック競技大会では、いかなる広告、主義、思想の宣伝も行ってはならないという禁止規定に基づき、ヘルメットの使用は認められませんでした。
このIOCのコベントリー会長が、競技前後にヘルメットを展示する、腕章をつけるといったかなりの情報案を提示したものの、折り合えませんでした。
本来であれば、腕章も禁止なので、かなり情報した提案だったと個人的には思うのですが、この後も失格になった五輪の選手に、ゼレンスキー大統領が勲章を受諱というニュースがあるなど、まだまだこのニュースは続いている感じがありますね。
ここで、ヘルメットを通じた表現を許せば、たぶん次のロサンゼルス大会では、アメリカが抱えている国内外のあらゆる主張があふれ出し、競技場が政治の場になってしまう恐れがあります。
2028年には過去のことになっているかもしれませんが、例えばトランプ関税に対する主張なんかは、あらゆる国が一言物申したいという気持ちを抱えていそうです。
なので、今回のウクライナ進行に関する主張が、そのウクライナ進行に関する主張がダメだというわけではなく、ウクライナ進行に関する政治的な主張を認めてしまうと、これ以降のオリンピック大会でも同じことを認めないといけないとなってしまうための失格という判断になったと思われます。
スポーツの政治的中立性を守るため、あるいはアスリートの集中を妨げないため、などを理由に表現の自由がすべて禁止されているわけではありません。
2021年の東京大会からは、競技開始前や紹介の時に限り、他者を傷つけない範囲での意思表示、例えば人種差別に抗議する膝つきなどが認められるようにルールが緩和されてきています。
オリンピックという平和の祭典は、ある種の無禁止のような空間です。
あえて現実世界の紛争や政治的駆け引きを持ち込まない、つまり無禁状態を保つことで、逆説的に平和の祭典としての純粋性を維持しようとしています。
無禁室へは、今回のウクライナ選手の平和を願う行為が政治的プロパガンダと断じられてしまうというジレンマが存在します。
そして現実的には、その無禁室の外側でロシア選手の除外問題に象徴されるような激しい国際選手の対立が繰り広げられているのは周知の事実です。
現代のオリンピックでは、内部で選手の人間性を表現しつつ、外側の過酷な知性学リスクとの間で、極めて危ういバランスの上に成り立っています。
表現の自由をどこまで無禁室に招き入れるのか、今後さらに直面し続けていく難問となるでしょう。
こちらに関しては、岩波新書の高島康著、スポーツから見る東アジア史、文壇と連帯の20世紀にて、スポーツの理想と政治の関係が詳しく解説されておりますので、おすすめです。