続いて、2つ目のデザインニュース。
科学技術の進化を組み立てるレゴアイディアスの大人向けディスプレイモデル。
今のデザインニュースとは対照的に、壮大な知的好奇心を満たしてくれるのが、レゴアイディアスから登場した大人向けディスプレイモデル、
The Evolutions of STEM、STEMの進化です。
これは、STEM、科学、技術、工学、数学、分野の歴史的イノベーションを称えるコレクションモデルです。
私たちが科学を完全に理解していなくても、その画期的な進歩や革新は、私たちの生活に深く影響を与えてきたことは周知の事実ですよね。
このセットでは、初期の自動車、ホームコンピューター、NASAのボイジャー探査機といった象徴的な発明品をレゴで組み立てることができ、
DNAの二重螺旋が回転したり、モールス信号が光るといったインタラクティブな要素も備えています。
マリー・キュリーやアイザック・ニュートンといった著名な科学者たちのミニフィギュアも付属し、科学史への敬意と遊び心も兼ね備えています。
組み立てて飾るという行為を通じて、学びとコレクター性を両立させた大人向けモデルに仕上がっています。
メールマガジンでも一部画像をご紹介しているのですが、ヘッダーで使わせていただいているこのレゴの写真、
多分トップのところにいる女性のミニフィギュアはキュリー夫人なのかなと思います。
そしてそのキュリー夫人の後ろにはリンゴの木が組み立てられていて、これは多分アイザック・ニュートンのリンゴなのかなと思いました。
ぜひこちらの概要欄でご紹介しているニュースURLやメールマガジン本文より画像をご覧になってみてください。
今日ご紹介した2つのデザインニュースは、物が単なる機能を超えて、私たちに知識や物語を手渡してくれることを示しています。
ナッツクラッカーは身体的な体験を通じて伝統の温かさを、そしてレゴは組み立てる行為を通じて壮大な科学の歴史と知性を届けてくれます。
皆さんもぜひ身の回りの道具をどんな物語を継承しているんだろうという視点から眺めてみてください。
最後に、おまけの雑談です。
F1にハマっている話をしたいので、その前にスポーツマネジメントの観点からF1を見つめてみる話。
さて、今回のテーマは、私が最近ドハマリしているF1、フォーミュラー1についてです。
ただ、F1の話をするのではなく、私は大学時代にスポーツマネジメントを専攻していたので、まずはその視点からF1をお話ししていきたいなと思います。
今回は次のような流れでお話しします。
まずはスポーツマネジメント自体の定義がいかに難しいかという前振り。
次に、F1はドライバーの人間力とマシンの技術力が50対50という独自の競技性を持っているのではないかという考察をします。
そして、他のスポーツと比較して、F1の資本主義的な収益構造がどれだけ特殊なのか、お金の話を深掘りしてみたいと思います。
スポーツをマネジメントするという視点で見たとき、F1は既存のどのスポーツとも少し異なる、非常に面白い立ち位置にいるなと思います。
まずは前振り、スポーツマネジメントの定義の難しさ。
まず、前振りとしてスポーツマネジメントのお話を少しさせてください。
スポーツマネジメントとは、文字通りスポーツをマネジメントすることなんですが、その定義が非常に幅広くて難しいんです。
プロスポーツだけを指すのか、地域のスポーツクラブも含むのか、スタジアム経営の話なのか、選手育成も含むのか。
私は地域に根差したローカルなスポーツと、オリンピックやワールドカップのようなグローバルなスポーツというローカルとグローバル、2つの観点からアプローチする形でスポーツマネジメントを学びました。
しかし、例えば地域の部活動からJリーグのユース、そしてヨーロッパの世界のプレミアリーグ、そしてワールドカップとつながるように、ローカルとグローバルのスポーツは明確に分けられるものでもありません。
こういった形でスポーツをマネジメントすると一言で言っても、かなり範囲が広く、区切りが難しく、非常に奥深いのですが、実は私が大学で学んでいたとき、F1やモータースポーツはあまり具体的なケーススタディとしては手でこなかったんです。
これは野球やサッカーなど他に語るべきテーマが多かったからとも言えるのですが、裏を返せば、F1が既存のスポーツの枠組みから少し逸脱しているということでもあるのかなと考えています。
そして本題、F1の独自性。ではF1の独自性とは何でしょうか。
F1は自分の肉体だけではなくマシンが必要です。そしてそのマシンの性能が勝敗に大きく関わってきます。
私はF1の勝利への貢献度は、ドライバーの技術や肉体が50%、そしてマシンの性能と開発が50%で50対50なのかなと思ったりもするのですが、
多分マシンが100%という人であったり、20対80だよという人がいらっしゃったり、多分いろいろな比率はあると思うのですが、
特に人間とマシンが両輪となって、それぞれ力を発揮しないと勝てないというところが独自性なのかなと思います。
例えば他の種目、テニスのラケットであったり乗馬競技の馬のように、F1もマシンは身体を拡張したものだと捉えることもできるのですが、
やはりF1の場合はマシンの信頼性や技術的な欠陥が原因で、どんなに優秀なドライバーであっても勝敗をコントロールできない場面が多々あります。
また、レース中にタイヤを交換するピットストップのように、戦略的な要素を組み込む人工的なルール設計も独特です。
ピットストップ、最近は2秒から3秒で私が見ている限り、タイヤの交換などが終わっていて、早い時は1秒台で終わっています。
多分これも技術の賜物ですよね。
ドライバーの個人の力だけではどうにもならないというこの不確実性こそが、F1が単なる身体競技ではないスポーツマネジメントの視点から見て非常に面白いポイントだなと思います。
続きまして、F1の資本主義的要素と市場規模。
F1の特殊性を語る上で外せないのが資本主義的要素です。
F1はその技術開発競争故に、世界でも有数の巨額なマネーが動くスポーツです。
では、他のスポーツと比べるとその規模はどうなのでしょうか。
F1を統括するF1グループの年間収入は2023年実績ではおよそ32億ドルでした。
これに対してアメリカのプロフットボールリーグNFLの市場規模はなんとF1の5倍以上およそ180億ドルとも言われています。
この数字だけを聞くと、あれ、F1ってNFLの5分の1の市場規模なの?と思うかもしれません。
しかし重要なのはこの32億ドルという収益の中身です。
アメフトやバスケは国内の巨大な法営権領が収益の柱なんですが、
F1の収益は世界各国が支払う高額な開催権量の割合が高いんです。
開催国がレースを開催する権利を得るために、毎年多額の金額をF1側に支払います。
つまり、F1はグローバルに開催地を商品として売るという非常に資本主義的なビジネスモデルで成り立っているわけです。
このお金はかつて青天井だったチームの技術開発費に注ぎ込まれていました。
莫大な資金力を持つチームが勝ち、そうでないチームは勝てないという状況が状態化していたため、
近年、F1はバジェットキャップ、予算の上限を導入しました。
これにより、各チームは技術開発競争から、いかに適切な予算で技術を開発するかというマネジメント競争へとシフトしつつあるようです。
F1が他のスポーツと比べて、よりマネジメントが問われる競技になったと言えると思います。
最後に、F1の起源と独自性。
F1の起源まで遡ると、その独自性がより明確です。
サッカーのように、人々の生活や街の祭りから自然発生的に生まれたスポーツとは異なり、
F1の前身であるグランプリレースは、自動車メーカーが技術力を競い、
それを富裕層の娯楽として見せたいという人間の意思によって戦後に設計された競技です。
つまり、F1は最初から技術と資本を両輪とする非常に人工的で合理的な競技だったわけです。
スポーツマネジメントを学んだ視点から見ると、
F1は従来のスポーツという枠に収まらない技術、資本、そして究極の身体能力が絡み合った
21世紀の新しいスポーツとして非常に資産に富んでいると言えます。
ということで、今回はですね、F1にはまっている話をしたいから、
まずはどのように私はF1を捉えていたかという壮大な前振りをお話ししました。
次回以降はですね、F1何が実際楽しいのかというお話をまたタイミングを見て雑談させていただけたらなと思います。
ということで、今回は2つのデザインニュースと雑談をお届けしました。
ぜひ次回のバルーンチャンネルもお楽しみに。
本日ご紹介した情報は、ポッドキャスト概要欄に詳細を記載しています。
また、メールマガジンへの登録ページも記載しているので、ぜひご報告いただけると嬉しいです。
ではまた次回のバルーンチャンネルでお会いしましょう。