また、最近の任天堂事情ですと、任天堂スイッチが2017年に発売されてから、累計1億4000万台販売されていたり、
今月末から4月頭にかけて任天堂ミュージアムがオープンするなどなど、任天堂は今まさに波蓄の勢いで進んでいるなと感じますね。
なので、PL、BSも安定しているのかなと、ちゃんと見てはいないんですけどね。
そこで今回は、任天堂について話をしていきます。
前半部分では、波蓄の勢いがある任天堂にも低迷期があったのですが、どうやって乗り越えていったかについて、
後半部分では、かつて任天堂の代表取締役を務めていた岩田悟さんについて展開していきます。
エンディングでは、私、新井大輝のゲーム編歴について雑談ベースで進めていきます。
では始めていきますね。
まず軽く任天堂の社歴など触れていくと、今から約130年以上前の1889年に京都府の鴨川近くで創業されました。
花札やカルタを製造する花札製造業と、セメントを中心にコンクリート二次製品であったり、土木資材などを販売するセメント事業、
こちら2つの事業で進んでいきました。
そこから1953年にカードのトランプ事業に本格参入したり、タクシーあるいは加工食品など多額化経営を行っていったのですが、
5年程度で売上が伸び悩み、1966年には総合室内ゲーム企業を目指す方針が決まりまして、
その方針の下、ゲーム分野での多額化へと軌道修正していきました。
この時、ドンキーコングであったりゲームウォッチがヒットしまして、1983年からはゲーム機に注力しまして、
7月にファミリーコンピューター、通称ファミコンを発売しました。
今からもう約40年前のことになりました。
ゲームの販売台数、ここではハード機器類のみ発売した時期も踏まえながらチェックしていきますと、
これまでにハード機器11個発売しておりまして、まずファミコンですね。
1983年に発売されて累計6191万台。
続いてゲームボーイが1989年に発売されて累計1億1819万台。
その次にスーパーファミコン。
こちらが1990年に発売されて累計4910万台。かなり減ってますね。
6年後、1996年に64が発売されて3293万台。
その5年後にゲームボーイアドバンスが発売され累計8151万台。
同年にゲームキューブが発売されて累計2174万台という売り上げ数になっていきましたと。
まずこの6つだけ見たときに、ゲームボーイとゲームボーイアドバンス、かなり売れてるなと思いましたね。
一方でスーパーファミコンであったり64、あるいはゲームキューブといった末置き型ゲームは、
Nintendo、かなり苦戦している印象が見受けられます。
続いて2004年になったときにDSが発売されて累計1億5402万台。
2年後の2006年にWiiが発売されて累計1億163万台。
5年後の2011年に3DSが発売され累計7594万台。
1年後の2012年にWii Uが発売され累計1356万台。
一気に減りましたね。
その5年後にNintendo Switchが発売され累計1億3936万台という結果を出しています。
今述べた通り、Nintendoの売上の低迷期、低かった時期を見ていくと、
2001年から2004年頃の間と2012年から2017年頃になるのですが、
どうやってその低迷期を乗り越えていったのか。
リサーチする限りですと、後者2012年から2017年以降に関しては、
Nintendo Switchが発売されたと同時にスマブラ、ゼルダ、マリオカート、ポケモンなど有名な作品を継続して出していったり、
コロナによるスゴモリ需要プラス、アツマレ動物の森、通称アツモリですね。
こちらの時期が重なった、近かったこともありまして、一気に伸びていったのかなとリサーチして分析して思いました。
一方、前者の方ですね、2001年から2004年頃見ていった時に、
この時期、Nintendoは64であったりGameCube、
こちらはどちらかというと技術を極めてより良い製品を作っていく方向に方針が定まっていましたと。
その方針から一転して、2004年以降、この時期のNintendoの方針がゲーム人口の拡大だったんですよね。
そこで、Wiiは技術の進化ではなく、お母さん市場主義、
全国のお母さんに喜ばれる製品を作る、そんな方向へと進んでいきました。
すごいユニークな発想だなと思ったのですが、
でも確かに、お母さんに気に入ってもらうことで、
ゲーム人口の拡大につながったり、あるいは家族でゲームを通じて新しい体験ができそうだなと思いましたね。
そこで、Nintendoの製作チームは、全国のお母さんに気に入ってもらうために、
末置きゲームだから、テレビの付属品として目立たないように、
縦中DVDパッケージ、数本並べた時の薄さにする、
あるいはゲーム中にファーンと音が鳴らないようにするであったり、
ゲームをする時のコントローラーが怖がられないようにする、
こういったところを大事にしていきました。
中でも私が面白いと思ったのは、コントローラーをリモコンと定義して開発へと進めていったことです。
確かにリモコンのような形状であれば、
普段ゲームをしないお母さんでもテレビを見ると予想できるので、
コントローラーを触ることに対する抵抗感が少しは薄れそうかなと感じました。
そのコントローラー、リモコンを作るために試行錯誤した上で、
今発売されているような形状で、しかもワイヤレスに仕上げていったのは、
ただただすごいなと思いましたし、
Wiiのデザインよくよく見ると、白色ベースでサブカラーに水色と、
主張していないけど大事なところは主張していたり、
テレビの付属品として置いてあっても、そこまで嫌な気持ちにはならないと思いましたね。
そのようにコントローラーイコールリモコンのように発想できたのは、
開発段階でそもそもコントローラーは両手で持たなくてもいいという指示が出ていたからだそうです。
これまでの常識から一旦離れて、
ある種遊びながらアイデアを形にする任天堂のカルチャーっていいなと思いましたね。
またWiiのこれまでに販売されたソフトにおける主要タイトルの販売実績を調べてみたところ、
Wii Sportsが8290万本、Wii Sports Resortが3314万本、Wii Fitが2267万本出しているというところです。
もうこれだけ見ても、普段全くゲームをしないお母さんがWiiを使ってスポーツであったり、
Wii Fitを通じて何かトレーニングしている様子が浮かびましたね。
ゲームを楽しむというよりかは、まさに家族全体で新しい体験をしたり、
会話が弾むようなツールとして機能したりしているような印象を抱きました。
加えて、任天堂の製作チームはWiiを起動した時にいきなりゲーム画面に映るのではなく、
チャンネルの選択画面のように色々なメニューが均等間隔で見えるようなデザイン、
通称Wiiチャンネルというのですが、これを設計しました。
Wiiチャンネルの中には、家族から家族へメッセージを送る掲示板のようなWii伝言版、
ゲームをした時間が自動で記録されるプレイ履歴、
毎日新しい情報を教えてくれるWiiコネクト24などが搭載されています。
このように新しい機能が続々と付いてくることで、
例えば母親から子供へ伝言版にメッセージを残しておいたり、
子供だけで遊んでいる時にどのくらいゲームをしていたのか、後から確認することができるので、
全国のお母さん、安心しそうだなと感じましたね。
私、荒井大輝は末置き型ゲームで遊んでいたのは任天堂64とゲームキューブのみだったので、
Wiiの性能についてはあんまり知らなかったところもありましたし、
そもそもそれまでは末置き型ゲームが売り上げで苦戦していたのも正直意外でした。
2006年頃になると、私は中学生でDSとか3DSでポケモンをやっていたものの、
部活の陸上で忙しくて、土日にゲームをなんとかやるくらいで徐々に離れていった覚えがあります。
累計1億台以上販売したWiiの底力であったり、制作した方々に対してただただ感覚しましたね。
また、マーケティング施策でよくやるようなペルソナ設定というもの、これくらい詳しくしていくと、
素人の自分でもイメージが湧くなと思いましたね。
また、Pokemon Red Greenを海外展開する際に、
ゲームフリークという会社が開発に6年かけて継ぎ足しで作られ、
バグまみれになったソフト、複雑なプログラムをわずか岩田さんは1週間ほどで解析したり、
ローカライズ作業をトントン拍子で進行させていきました。
さらに解析したプログラムをもとに、ポケモンスタジアム用の先頭プログラム、セーブドキュメントを作成し、
さらには開発が難航中であったポケモン金銀のグラフィック圧縮ツールの作成まで行ったそうです。
経営者だけではなくプログラマーとしても岩田さん天才じゃんと思いましたね。
そういった実績を踏まえ、40歳を過ぎた時に岩田さんは任天堂の社長に就任することになりました。
そんな中で特徴的だなと思ったこととしては、岩田さんの社員に対するマネジメント手法です。
前任の山内さんという方は、ある種のカリスマ性を発揮して、
従業員の声をあまり拾うことはなく、トップダウンで経営を進めてきた人です。
それに対して岩田さんは、一緒に働いていた社員、約100名と半年に1回、
短い人だと20分、長い人だと1回あたり3時間近くかけて話を聞いていったそうです。
それだけ限られた時間の中でも、優先順位を高めにして実施していったのかなと思いました。
これは今後、私も見習いたい、チームを作る時に真似したいなと思ったことの一つにはなるのですが、
1対1で話して初めてわかることが岩田さんの中であったそうです。
相手の不満や思っていることを聞かないと、認識のずれが起こって、誤解したままゲーム制作に反映されてしまい、
小さなミスが大きな事故へと繋がっていくと。
社長が聞く、というシリーズもあるのですが、
こちらは岩田さんが社員の人たちに対して、一つのゲームを開発するまでにどのようなプロセスがあったのか、
何を考えて試行錯誤し続けたのか、取材する形になっているのですが、
1対1、あるいは従業員の話を聞く、こういった価値観をもとに、このプロジェクトも岩田さん主導で進めていったのかなと思います。
この社長が聞くシリーズ、累計100回以上、サイト内でそのやり取りが見れるのですが、
1つの分量がかなり多くて、1回で処理するのは正直難しいなと思いましたね。
それくらい濃いです。
岩田さんのことが気になった人は、今述べた岩田が聞くというコンテンツであったり、岩田さんという本をぜひ読んでみてほしいなと思います。
概要欄に詳細を掲載しておりますので、気になった人はチェックしてみてください。
オーディオジャパン、あなたと一緒に日本を学ぶ、エンディングの時間となりました。
雑談ペースで、私、新井大輝のゲーム返力について話をしていきます。
重要あるのかなと思うのですが、ゲーム自体は任天堂のみやっておりまして、64からスタートしました。
64時代は主にスマブラとマリオパーティー2、マリオテニスをやっていました。
小学校低学年から中学年になった時に、ゲームキューブを触り始め、スマブラ、マリオパーティー、カービィのエアライド、ドンキーコンガなどやっていましたね。
他には小学生の時ですと、ゲームボーイカラーとゲームボーイアドバンスを触っていまして、
こちらはポケモン、パワープロークンポケットなどをやっていました。
小学生、高学年から中学生ぐらいにかけては、DSをちょこっと触っていまして、
こちらも基本ポケモン、あとはパワープロークンポケットをやっていました。
高校生になって陸上を高2の冬に辞めてから、ファイアMブレム覚醒というゲームがあるのですが、
ファイアMブレムシリーズはそれだけやっていましたね。
今でも覚えているのですが、BGMがかっこよかったり、キャラクター一人一人がいいなと思いまして試しに購入してみましたね。
絶対重要ない話でした。
でも今述べたゲームソフト一覧を考えてみたときに、それを抽象化すると、
自分はどちらかというと育成ゲームであったり、何か戦略とか戦術を考えてプレイングするゲームが好きなのかなと思いますね。
ただですね、世の男性は通っていると言われているドラクエもファイナルファンタジーも全くやったことがないんですよね。
これらってやった方がいいんですかね。
スイッチは買おうかなと今考えているので、何かゲームに対するアドバイス、何でもいいのであればぜひ教えてください。
オーディオジャパン、あなたと一緒に日本を学ぶ。
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