2024-02-21 28:32

10. 海外寿司職人は稼ぐことができるか?:寿司の歴史と寿司職人の実態

■話の流れ

寿司の歴史 / 最初は東南アジア / 魚をご飯と混ぜて自然発酵 / 日本には奈良時代ごろに「なれずし」が伝わる / 室町時代に「生なれずし」となりご飯も食べる / 江戸時代になると関西では箱寿司・関東では握り寿司 / 関東大震災や戦後に握り寿司が普及 / 回転寿司はベルトコンベアーが参考 / 海外寿司職人が1,000万円を超える / 働き手が少ない / 日本人の繊細さが活きる / 海外でも物価上昇 / 食材が限られる / OMAKASEが求められている


■参考資料

魚ビジネス 食べるのが好きな人から専門家まで楽しく読める魚の教養

https://amzn.to/3OPxEIe


江戸前寿司をニューヨークで。日本人職人のこだわり

https://www.youtube.com/watch?v=3KSMk6pNiFQ


江戸の外食文化

https://www.eonet.ne.jp/~shoyu/mametisiki/reference-3a.html


アンケートフォーム

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サマリー

「Audio Japan 〜あなたと一緒に日本を学ぶ〜」の10話では、日本の文化やトレンド、マニアックな情報などを楽しく学ぶことができます。寿司について、世界中で大人気の料理であること、寿司の歴史、そして寿司職人の給与について話されています。海外の寿司職人は稼ぐことができるのでしょうか? 寿司の歴史や寿司職人の実態について、興味深い内容が繰り広げられています。

00:04
Audio Japan 〜あなたと一緒に日本を学ぶ〜
この番組は、日本の文化やトレンド、マニアックな情報などを
掘り下げて楽しく学んでいく、そんな番組です。
英語で聞きたい方は、Audio Japan Learning Japan with Youよりお聞きください。
Spotify、YouTube、Apple Podcastなどで配信を行っています。
パーソナリティの教育デザイナー、Taiki Araiです。よろしくお願いします。
さてさて、これを聞いているあなたは、好きなお寿司、何かありますか?
私、Taiki Araiは、イカとサーモンが好きなのですが、
もともと日本人が食べていた天然の酒というのは、
寄生虫がいる関係で生殖があまりされていなかったんですよね。
一方で、ノルウェーのサーモンは寄生虫リスクが少なくて生殖ができるので、
当時のノルウェー担当者が粘り強く日本に売り込みを続けた結果、
今日のようなサーモンの寿司が提供されるようになりました。
自分自身、サーモンも日本で当たり前のように浸透していたと思っていましたので、
これを知った時は、えーそうなんだと思いましたね。
たまに夕食で白米、サーモン、アボカドを混ぜて醤油漬けで食べる時もありますので、
サーモンを刺身や寿司として食べる習慣、文化を作ってくれた当時のノルウェー担当者に感謝したいなと思いましたね。
そこで今回は、日本だけではなく世界中で大人気の寿司について話をしていきたいと思います。
前半では寿司の歴史について掘り下げ、
後半部分では視点を変えまして、寿司職人は稼げるのかについて話を展開していきたいなと思います。
エンディングでは今回の内容について調べて思ったことについての雑談です。
では始めていきますね。
寿司の歴史と魚介類外の寿司の存在
そもそもの寿司に関してなのですが、
寿司は主にシャリ、酢飯とネタ、主に魚介類を組み合わせた和食のことを指すのですが、
最近ではネタは魚介類だけではなく肉、野菜、卵などもありますと、
実際に寿司屋行った時に提供されているところもありますよね。
また海外ではカリフォルニアロールのように外側に寿司飯、内側に海苔を巻いたロール状のものを寿司として認識している人もいますと。
このカリフォルニアロールが海外で普及した背景としては、
当時日本の方が海外にお寿司を出店した際に海苔を外側に巻いたところ、
外国人の人たちが海苔を剥いでそれを食べていたというところから、あえて内側に海苔を巻いたとされています。
そんな寿司に関してですが、漢字で書いた時にことぶきにつかさどるというふうに書くと思うのですが、
この漢字は実は宛字なんですよね。
当時、京都で朝廷へ献上することを考慮したときに、
良い縁起のものであることとしてするためにことぶきにつかさどるという宛字となりました。
寿司の語源は酸っぱいを意味する酢飯の酢にし、寿司が有力だと言われています。
そんな寿司の始まりは東南アジアからになります。
山奥に住んでいる人たちがなかなか手に入らない魚を手にして、
それが腐らないように長期保存するために考えられたものになります。
具体的には魚に塩を振って、ご飯と合わせて漬け込んで自然発酵させたものになりまして、
それはなれ寿司と呼ばれていました。
日本には8世紀ごろ、時代ですとだいたい奈良時代ごろに伝わったと言われています。
滋賀県の琵琶湖周辺あたりの地域では、今も家庭料理としてだいだい受け継がれているところが多いです。
琵琶湖でとれる小餅のにごろぶなを丸ごと漬け込んで、約3ヶ月から1年間発酵させます。
発酵中に出てくる乳酸で魚の骨が柔らかくなり、
食べる際は米を捨てて魚の骨まで食べちゃうそうです。
また増えた乳酸菌による成長作用もあるので、その食べ物、なれ寿司は栄養価も高いと言われています。
匂いが問題ない人は好んで食べられそうだなと思いましたね。
当時は現代のようにまだ冷蔵庫がなかったので、米と塩を使って発酵させることで魚をできるだけ肥餅させられるように工夫を施していました。
やはり賢いですよね。
室町時代になると発酵の期間もそれまでの約3ヶ月から1年間ではなく、2週間から1ヶ月ほどに短くした生なれ寿司が誕生しました。
発酵が浅いうちに止めてしまうことになるので、なれ寿司のように魚も発酵しきらず生の状態に近いです。
その結果、魚とご飯を一緒に食べるようになっていきました。
なので、お店で出す際は食べる日から逆算してお寿司を作ることもできるようになっていきました。
つまり、最初に述べたなれ寿司は単なる魚の保存食だったのですが、生なれ寿司によって一つのご飯料理へと進化を遂げていきました。
それが今のおし寿司や箱寿司の原型ともされています。
さらに江戸時代になっていくと酢飯のもととなる酢が一気に庶民にも普及したため、食べ方が変わっていきました。
それまでの魚を発酵させるやり方から、寿司に酢を使用する早寿司が誕生しました。
早寿司は四角い箱に押し固めて入れたところから箱寿司とも言われていまして、主に関西地域を中心に普及していきました。
一方、関東では江戸の寿司職人・花谷余平栄という人が、おし寿司の開発を試みる中で、さらに手早く作れる握り寿司を考案しました。
酢を混ぜた米に魚介類を乗せることで、客の前で握ってすぐに食べることができる、ある種ファーストフードとしてそれは人気となっていきました。
発酵寿司から握り寿司への変遷
しかし、当時の寿司はなんとおにぎりほどの大きさがあったので食べづらいのが難点でした。
寿司を求める客層には主に大工や作家などの労働者が多かったので、彼らの空腹を満たそうとした結果、自然と大きく作られることになっていました。
そこで花谷余平という人は寿司を二つに切ることで食べやすくなるように工夫した結果、ますます評判が高くなっていきました。
今日、どのお店でも特に開店寿司とかでは寿司が2貫で提供される最初の期限はここにあると言われています。
確かに1貫だけだとなんか物足りないんですよね。
この握り寿司が関東のみではなく全国へと普及していったのは1923年に発生した関東大震災や第二次世界大戦が終わってからだと言われています。
地震や戦争の影響で東京から地方、今でいうIターンやUターンが起こり、江戸で行っていたことを別の地方でも始める人が増えていきました。
昭和時代から平成になっていくと、安くて気軽に食べられる開店寿司であったり、スーパーなどで気軽にお持ち帰りできるパック寿司など様々な業態へと展開していきますと。
ちなみに開店寿司が誕生したのは1960年頃と言われています。
東大阪市にオープンしたマール原力寿司というお店が1号店で、当時この独特のマール大を作った時にはビール工場のベルトコンベアをヒントに開発されたそうです。
このお店、当時人手かなりあふれていたので、人手に頼ったシステムをもっと効率化するために開発した開店寿司。
その結果、さらなる人を集客し、お店の経営をいい意味でもっと困らせる結果になりましたね。
先日の放送で話したカップラーメンのこと、安藤ももくさんのインスタントラーメン開発でも思ったのですが、ビール工場のシステムを開店寿司に応用させるひらめきと根性は本当に見習いたいと思いましたし、
効率化するために作ったものがさらに効率化できなくなったという、このネタってすごい面白いなぁと個人的に思いましたね。
この開店寿司のシステムは、1970年に大阪で開催された日本万国博覧会で多くの人に広く知られるようになりました。
この博覧会に原録寿司が出展して表彰されたことで、それまでも大阪ではある程度知名を得ていたのですが、その結果、なんと240店舗までに店舗数を増やすことになっていきました。
今ここまでいろいろ話をしてきたのですが、寿司の歴史を掘り下げていくと、形、見た目、いろいろ変わりながら今のようなものになっていきました。
一旦まとめてみると、まずは東南アジアで行われていた保存方法が奈良時代ごろに伝わって、なれ寿司と呼ばれるようになりました。
次に室町時代に新しくなりまして、発酵期間を短くした生なれ寿司に変容し、魚とご飯を一緒に食べるような習慣が生まれていきました。
江戸時代になると、巣が普及したことで、関東では握り寿司、関西では箱寿司が普及していきます。
そして近年では回転寿司やパック寿司などに展開しているというところになります。
これはちょっと余談にはなるのですが、やっぱり日本の国の雰囲気として外国から輸入したものとか、それを独自のカルチャー、新しいものへと変容させる力が強い国だなと私はあらゆる体験は思いましたね。
はい、後半戦です。
寿司職人の給与と海外での活躍
後半では視点を少し変えまして、寿司職人は稼ぐことができるのかについて話をしていきたいなと思います。
2022年のウクライナ危機を境に、当時1ドル110円程度の為替相場だったのに対し、2024年2月下旬時点では1ドル150円前後を推移しています。
この円安がさらに進んだことで物価上昇が続いている中なのですが、視点を変えてみたときに海外に行くことでより収入を稼ぐことができるという見方もあると思います。
中には海外で寿司職人や美容師として出稼ぎをして、中でも寿司職人では年収1000万円以上稼ぐ人が出てきていると報道とかで見たことがある人もいるかもしれません。
どうして寿司職人がそういった金額を稼げているのか考えてみたときに、まずそもそもの寿司職人が少ないというところが挙げられます。
例えば、日本にある調理専門学校を卒業した後、その先の進路としては給食センターであったりお弁当屋さん、あるいはレストランなどで就職する人たちが9割以上いるのに対し、卒業してから寿司職人になる人は約1割程度と言われています。
そうなると、日本国内でも世界でも寿司を食べたいと思う人たち、需要側は増え続けているのに対して、寿司を作れるそういった技術を持っている供給側は現段階では減っているので、理論上は確かに給与が高くなるなと思いましたね。
また、時間通りに来て黙々と仕事を行ったり、細かい作業を問題なくこなせる日本人の価値観、美学、習慣というのは海外では重宝されていると思います。
これは国にはよるとは思うのですが、修行時間に全然来なかったり、勤務中もいかにしてサボるか考える価値観国の人もいますしね。
実際に稼げている寿司職人、それになるまでのキャリア例として調べる限りですと、まずは累計5000人以上卒業生を輩出している東京寿司アカデミーというところで数ヶ月の集中特訓コースを受けた後に、
日本で数年修行する人もいれば、英語が話せる人は海外の有名な店舗で修行して経験や実績を作ってから、さらに年収の高い国・店舗に転職する流れがあります。
今お話しした東京寿司アカデミーというところは通っている人たち、なんと高校生から40代半ばまで年齢はバラバラですと、手に触付けることができると年収500万、1000万稼ぐことができる。
そこに希望を見出している人もいれば、外資コンサルで日中働いていて、副業であったり相手との接待で使うために習い事として通っている人もいるそうです。
海外寿司職人の稼ぎと負の側面
確かに取引先や仲のいい友人にさらっと握り寿司提供できたら、いいおもてなしができそうですし、さらっと自慢できそうですよね。
はい、今ここまではある程度良い側面で話を広げていったのですが、一つの事象には必ずトレードオフがあると思っているので、負の側面なるものも見ていきたいなと思います。
まず稼ぎが増えるといったのですが、物価も日本以上に高いことが推測されます。
仮に日本で働いている時よりも1.5倍稼げていたとしても、その働いている国の物価が1.5倍以上であれば、収入が上がらない限り切り詰めてやっていく期間が出てきます。
実際にビッグマック指数で見た時に、日本はビッグマックの価格がだいたい450円程度なのに対し、永住権を取りやすい移民を結構受け入れているカナダやオーストラリアでは700円から750円と約1.5倍くらいの値段となっています。
また、海外で寿司職人として出稼ぎするとなると、日本と違って専門でバイヤーを雇っていない限り、欲しい魚が届かなかったり、使える材料が限られたりしていきます。
魚の捌き方や扱い方などを専門学校で学んだとしても、実際にお客さんと向き合っていく中で、経験を積んで初めて満足のいくものが、
実際にお客さんと向き合っている中で経験を積まないと満足のいくものが提供できない可能性もあります。
特に近年では海外において、おまかせという日本の言葉がそのままアメリカでも浸透し、客がメニューを見て注文するのではなく、おまかせで一から全部職人が料理を作ることもあります。
そうなると、毎日仕込みだけでも4時間から5時間かかったり、食材の調達でもさらに時間を要したりするなと考えられます。
となると海外で働くとなったときに、自分一人でやっていくのか、有名職人のもとで雇われて働くのか、あるいは自前で箱を作って人を採用して回していくか、
どれでやっていくか、どの国でやっていくか、どういった形態でやっていくか、そこが明らかになっていくかどうかな気がしましたね。
概要欄に掲載している動画、ニューヨークの寿司職人の一日という動画は見ていてすごくかっこいいなと思いましたし、こういう人が稼ぐんだろうなと見ていて惚れ惚れしましたね。
寿司職人の難しさと成功への道
お時間あるときによければ見てくださいね。
オーディオジャパン、あなたと一緒に日本を学ぶエンディングの時間となりました。
これまでも軽く雑談というか一言は入れていたのですが、今回からもう少し気持ち長めに雑談していきたいなと思います。
今回調べていて改めて思ったこととしては、〇〇は稼げますという言葉はある種発信側のポジショントークに過ぎないことを念頭に置いておく必要があるなと感じましたね。
もちろんその人の努力で勝ち取ったものであることはすごくわかる一方で、
うまくいくときの大半はタイミングだと思っている自分がいるからなんですよね。
実体験としては、今から約5年前になりますね。
2019年当時、23歳か24歳の時にちょっとだけ始めたYouTube、今も続けていたらタイミングの波に乗って今頃最低でも登録者数万人になっていったと思うんですよね。
実際に今まで上げた動画の中で一番PVを稼いだ動画というのは、2019年最初の頃に上げた動画なんですよね。
2019年当時と今とで比較したときに絶対に今の方が教えるスキルは高いですし経験もあるのですが、
見えない波にタイミングよく乗っている方が注目を浴びて、その結果自分のスキル、経験以上のことをやっている可能性が高いなと思います。
つまり何が言いたいかというと、スキルも大事ではあるのですが、有名であること、知られていること、注目を浴びることの方が結果、チャンスが転がってきやすいなと思うんですよね。
かといって、じゃあそのタイミングどうやって見極めるのかと聞かれたとしても、サーフィンでいついい波が来るのかわからないくらい難しいことだと思います。
反対に自分で注目浴びようと変なことをしてしまうと炎上して一発アウトになる世の中でもあるので、
やれることがあるとするならば、いつその波が来ても対応できるように日々準備したり、そもそも自分はどの方向に進んでいくのかある程度目星をつけた上でやれることを淡々とやることが遠い世で近いのかなと思っています。
現状、今回の放送で10回目となるのですが、やはりアウトプットして初めて理解できたことが増えたなと認識しています。
例えば、住む場所である程度決まるパーソナリティの話や、日本型ライドシェアの現状などがあります。
自分自身でリサーチして整理していったことで、具体性がより深まったような感覚です。
この調子で週に2本くらいのペースで配信していけば、今年の12月に100本程度溜まって、そこでようやくいいデータが取れて検証の質が良くなって、
こういうふうにやればいいんだなぁ、もしくは、これだけやっても今後伸びる可能性はちょっと難しいかもなとわかってしまうかもしれません。
どうなるのか、結果は少なくとも1年後です。
来週で29歳になる男性の一人言でした。
冒頭でもお伝えしましたが、
オーディオジャパン あなたと一緒に日本を学ぶ
英語版で聞きたい方は、オーディオジャパン Learning Japan with you よりお聞きください。
2月より毎週火曜日と金曜日朝6時に配信していきます。
火曜日は馴染みやすいテーマ、金曜日は日本の時事ネタを中心に取り上げていきます。
次回の金曜日の放送では、日本の書店について話をしていきたいなと思います。
また番組の感想やお便りもお待ちしております。
概要欄にあるアンケートフォームよりご記入お願いいたします。
あなたからのお便り楽しみにしていますね。
今回の放送で気に入った方は、ぜひチャンネルの登録やフォローボタンを押してください。
最後まで聞いていただきありがとうございました。
お相手はパーソナリティの教育デザイナー、新井大輝でした。
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