2024-02-13 23:12

8. カップラーメンは夢の中で完成した?! 安藤百福の無一文からのイノベーション

話の概要

インスタントラーメンの創業者は安藤百福さん / 最初から食品事業を始めたわけではない / 手がけた事業は成功している / しかし,脱税の疑いや銀行の倒産で50代目前で無一文 / それでもポジティブ / 終戦後の大阪駅で1杯のラーメンのために並んでいた光景を思い浮かべる / 衣食住の中で食が大事 / 起業してからは1年かけて試行錯誤 / インスタントラーメンができたのは妻のおかげ / カップヌードルができたのは夢の中 / 91歳で宇宙食「スペース・ラム」を開発 / 何かを始めるのに遅すぎることはない


小野寺さんのPodcast

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いただいたお便りの参考データ

2024年版インバウンド集客】外国人はこうして利用飲食店を決めている!

https://pro.gnavi.co.jp/magazine/t_res/cat_3/a_4139/


農林中央金庫:訪日外国人から見た日本の"食"に関する調査

https://www.nochubank.or.jp/efforts/pdf/research_2023_01.pdf




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Audio Japan 〜あなたと一緒に日本を学ぶ〜。 この番組は、日本の文化やトレンド、マニアックな情報などを掘り下げて楽しく学んでいくそんな番組です。
パーソナリティの教育デザイナー、Taiki Araiです。よろしくお願いします。 先週に比べて、鼻声が改善された気がします。
鼻の呼吸もしやすいので、今日もいい声でお届けしますね。
これを聞いているあなたは好きなカップラーメン何かありますか? 私、Taiki Araiは日清食品が出しているカップラーメンの味噌味が好きです。
月に1回、ないしは2回くらい食べるのですが、 まず麺だけ一通り食べまして、その後に残りのスープをご飯にかけて食べることが多いです。
炭水化物on炭水化物ってなかなかのパワーワードですよね。
ちなみに日清食品のカップヌードルの蓋、 通称タブが2つになったのを知っている人多いかもしれないのですが、
タブが1つから2つになったのは、 カップヌードルの底についていた蓋止めシートをなくし、プラスチックの削減を推進するためだそうです。
初見でタブが2つになったのを見たときに、 右利き、左利き関係なく、蓋を開けるときに開けやすくするためなのかなと推測していたのですが、
どうやら違ったそうです。勘違いでした。
そこで今回は日本のインスタントラーメンについて話をしていきます。
戦後、日本のイノベーション100のトップに選ばれているインスタントラーメンなのですが、
今日では店頭で並んでいるようなカップ麺に至るまでに、いくつかの変遷、イノベーションがありましたと。
前半部分では、そもそものインスタントラーメンができるまでについて、 創業者や時代背景も踏まえながら話をしていきます。
後半部分では、カップヌードルがどのようにして生まれていったのかについて話を展開していきます。
では始めていきますね。
インスタントラーメンを作ったとされているのは安藤桃福さんという方ですと。
安藤さんについて軽く触れたいと思います。
安藤さんは1910年3月5日、 日本統治時代の台湾で生まれまして、出生名はゴ・桃福です。
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幼少期に両親を亡くしまして、繊維老爺を営む祖父母の下で育ちました。
幼い頃から数字に異常なほど興味を持っていたこともありまして、 家庭環境も含め起業家の素質があったのかなと個人的に思いましたね。
そんな安藤さんはいきなりチキンラーメンのような食品事業を始めたわけではございません。
1932年、彼が20代前半の時に最初は父親の遺産を使いまして東洋メディアスという会社を台湾に設立し、
日本から商品を仕入れて台湾で販売していましたと。 当時の繊維業界の動きからメディアスの需要が伸びるという予測があたり、
事業は大きな成功を収めました。 メディアスというのは、ニットやTシャツを作る際の編み方の総称を指していますと。
その成功を含め、次に1933年にはメディアストイやニットを紹介という会社を大阪に設立していきましたと。
少し話を逸らして歴史の話をさせてください。 1894年に日清戦争が起こりまして、日本が当時の秦に勝ちましたよね。
1895年には下関条約によって日本が台湾を統治するようになり、そこから先ほどの東洋メディアスの設立までに約30年くらいありますと。
その期間の間に日本政府が台湾の交通・金融インフラなどを作ったとするのであれば、
台湾の人々も1930年代はある程度個人消費もできるようになったから、メディアスはじめ日本製品が売れたのかなと思いましたね。
太平洋戦争が改戦してからは、原刀器、スライドを投影するものであったり、炭焼き、バラック住宅の製造など、安藤氏は次々と事業を起こしてことごとく成功させています。
やり手ですね。 そんな形で、
彼が作っていく事業がトントン拍子に行くと思っていた矢先、 GHQによる脱税の疑いをかけられたり、
理事長になっていた銀行が破綻したりしてしまいまして、彼が持っていた財産、なんと無一文になってしまいました。
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人生何やるかわからないですよね。ここまで行くと。 それに、その無一文になった時が20代30代ではなく40代後半。
そこから歳期を測っていくのは、正直きつそうだなぁと調べていて思いましたね。
ですが、当時の安藤さんはきついとは思わず、こう語っていました。
失ったのは財産だけ。 その分、経験が血や肉となって身についたと考え、
自ら奮い立たせ、闇市で並んでいた人々の光景とか、日本人がそもそも面好きであることを思い出したと。
そこで、お湯があれば家庭ですぐに作って食べられるラーメンを作るしかないと、そう思って
ラーメン事業を始めましたと。 というのも、太平洋戦争が終了してから
安藤さんは大阪に戻ってきまして、 大阪駅近くの闇市で一杯のラーメンを食べるためだけに
屋台に人が行列で並んでいるところを目の当たりにしたんですよね。 今では信じられないかもしれないのですが、
戦後は食料危機による飢餓が問題だったこともありまして、 異食重と言いますが、やっぱり食が大事だと。
食がなければ、胃もすまいも芸術も文化もあったものではないと、安藤さんは思ったそうなんですよね。
そんなラーメンを作るにあたって、安藤さんが大事にしたことは5つありますと。
1つ目は美味しくて飽きることがないこと。 2つ目、腐りにくく家庭の台所で保存できること。
3つ目、3分以内に作れること。 4つ目、経済的に安いこと。
5つ目、安全で健康的であること。 決意してから1年かけて、早朝から深夜まで自身の小屋でラーメンの保存方法に着手し、
なんと1日4時間睡眠で取り組んでいたそうです。 しかし、たくさんの試供品ばかりで、中でも難しかったところとしては、
保存性と利便性の両立でしたと。 そんな時、たまたま安藤さんの奥さんが台所で天ぷらを揚げていまして、
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熱いお湯の中に入れられた小麦粉の衣が、 天ぷら鍋の中で泡を立てて水分を弾き出すところを見ていましたと。
そこからアイデアが生まれ、 麺を油で揚げてみたところ、
麺の水分がなくなって乾燥状態になり、 これで保存性の問題に関しては解決することができました。
さらに食べる時には、今のようにお湯をかけることで3分程度経てば、 元の麺に戻ることができるので、利便性の問題も解決することができましたと。
一つの現象から、 カップラーメンの保存性と利便性を両立させるところに導いたのは、
天才やんと思いましたね。 天才ですね、ほんと。
そして、1958年に最初のチキンラーメンが販売されました。
お湯を注ぐとたった2分で食べられるチキンラーメンは、 当時の常識では考えることができない商品だったので、
魔法のラーメンとも言われていたそうです。
当時は、うどん玉1つ6円だったのに対し、 チキンラーメンの価格はなんと1つ35円。
その値段を見て、問屋は仕入れをしぶっていたのですが、 チキンラーメンを食べた人からの反響が予想以上に大きかったため、
問屋への注文が殺到しました。 いいものを作れば、類似商品よりも高くてもまだ食べたくなる、
人間の欲求をついた商品だったんですよね。 他にもチキンラーメンが売れた要因としてはいくつかありまして、
1つ目は、チキンラーメン発売と同じ時期に スーパーマーケットが加工食品を大量販売する流通システムが確立したから、
2つ目はテレビコマーシャルが効果を上げたから、 3つ目は、
共働き各家族世帯が増え始め、 日本の消費者がより利便性を求めるようになったことなどが要因とされています。
ちなみにではあるのですが、チキンラーメンのパッケージに掲載されている黄色のヒヨコ、 通称ヒヨコちゃんは2010年にデザインが一新されたそうです。
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あのヒヨコちゃん普通に可愛いですし、老若男女に愛されそうなデザインですよね。
ここまでがインスタントラーメンができるまでに関してでした。 続いて、カップヌードルの発明ですと。
1966年、チキンラーメンを海外に広めていくために 安藤さんは欧米へと視察に行きました。
この時なんと安藤さん、56歳でした。 今の50代60代の方は元気な方々が多い印象を抱いているのですが、
当時の56歳で海外視察となると なかなか
体力があるなという印象を抱きました。 その時現地のスーパー担当者がチキンラーメンを小さく割って
紙コップに入れてお湯に注ぎ フォークで食べているところを目の当たりにしたと。
それを見て安藤さんは チキンラーメン、カップ麺を海外展開していくためには
触手感を狙うことが大事だと安藤さんは考えました。 というのも海外には
どんぶりや箸がないからですね。 そこから
容器の作成を開始し始めまして まずはサンプルを50個程度作りアメリカの技術を駆使して自社で断熱性があって軽くて持ちやすい
そんな最高の容器を作成していきました。 しかしここで肝になったのは乾燥した麺をどうやって容器に入れるかでした。
というのもカップ麺の容器は上が広くて下が狭い構造をしています。 麺を小さくしたらカップに入れることができるのですが
輸送時に麺が揺れ動いて壊れてしまうと。 その悩みに向き合っているところ
安藤さんが寝ている時に天井がぐるっとなる錯覚に襲われたそうです。 そこから安藤さんはまたアイデアを着想しました。
カップに麺を入れるのではなく 麺を下に伏せて上からカップをかけるようにしてみたところ
ぴったり入り輸送時に麺が揺れ動くことはなくなりましたと その結果工場でも大量生産ができるようになりました。
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一生に一度でいいので夢の中でアイデアが閃いたって言えるような人生を送りたいなと思いましたね。
本当にそんなことあるんだなと びっくりしましたね。
こうして誕生した新商品は世界中で覚えてもらえるようにカップヌードルと名付けられ
1971年に 販売が開始しました。
そんなカップヌードルの値段は1つ100円でした。 当時の
袋麺が25円だったのでまたまたかなり高価な価格。 しかも立ったままカップ麺を食べるのは倫理的に良くないとされ
なかなか店頭で販売することができませんでした。 そんな状況を打開していくためにカップヌードルを買ったらすぐに食べられるように
お湯の出る自販機を開発したり 当時若者が多い場所とされていた銀座で試食会を実施したりしていましたと
お湯の出る自販機なんてあったんだと調べていて思いましたね。 ただ一番のブレイクスルーとなったのは1972年2月に起こった
浅間産総事件という事件ですと。 浅間産総事件とは長野県北作郡軽井沢町にある
河合楽器製作所の保養所において 連合軍の残党が人質を取って立てこもっていた事件のことなのですが
この事件10日間続きまして連日テレビで報道されていたのですが 警視庁機動隊員がカップヌードルを立ったまま食べている様子が報道されていたそうです
これが要因でカップヌードルがまたたくまに売れていったそうです
もうここまでやれば十分かなと私新井大輝思うのですが 安藤さん
90歳になってもまた新しいことを挑戦しました 91歳の時に宇宙食の開発を宣言しプロジェクトチームを作って宇宙食ラーメン
スペースラムが無重力化でも食べられるように試行錯誤し続け完成させました その土台となったのはチキンラーメンの発明時に使用したお湯を注げば元の麺に戻る方法でしたと
そしてスペースラムは2005年7月に宇宙へ出発しまして 野口壮一さんが宇宙空間で初めてインスタントラーメンを食べ
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見事に宇宙食で食べられる そういうふうに証明することができましたと
ここまでインスタントラーメンやカップ麺ができるまで 創業者の安藤さんや時代背景も踏まえながら話をしていきました
調べている中で私 新井大輝が学んだことを伝えたいこととしては まず一つ目に
日常にチャンスというかひらめきがあるんだなぁと思いましたね 例えばチキンラーメンの保存と利便性の両立に関しては
奥さんの天ぷらを揚げているところで着想したり 安藤さんが夢の中でカップラーメンを完成させるところなどですね
ただそのチャンスをつかめるかどうかは結局自分次第なんだなと思いましたね 自分が意識したことに対して情報が自然に集まるカラーバス効果のように
ある種の執着がないともしかするとチャンスに気づけないのかなぁと そう思いましたね
他には 何かを始めるのに遅すぎることはないんだなぁと感じましたね
安藤さんがチキンラーメンを開発し始めたのは50代目前で しかも財産が無一物の中
1年かけて試行錯誤を経て完成させることができたと 勇気をもらえる話だなぁと思いましたね
オーディオジャパン あなたと一緒に日本を学ぶエンディングの時間となりました
初めてこの番組にお便りが来ました
ポッドキャスト 菊餃子を配信されている小野寺さんからです ありがとうございます
今年の1月に開校したポッドキャストの学校で小野寺さんと知り合いました 質問内容としては
外国人が日本の飲食店を巡るときに何を参考にしているのかに関してです
日本に住んでいる私の知り合いの外国人は もっぱらインスタグラムのハッシュタグ検索か
Googleでレビューが高いところ中心に探していると言っていました 一方、法日外国人となると同じ外国人でも異なるかもしれないと思いましたので調べてみました
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2023年4月に農林中央金庫が公開した調査
もう一つグルナビプロが出した2024年度版インバウンド集客によりますと
旅行前と旅行中で外国人はプラットフォームを使い分けているそうです
旅行前は世界最大級の口コミサイトトリップアドバイザーがよく使われ
旅行中ではグーグルマップを使って検索する傾向が高いそうです 他にもインスタグラム、YouTube、TikTokなど法日客が日本の飲食店の情報収集に活用していて
例えばイギリス人男性が運営しているアブロードインジャパンなどが挙げられます 参考になっていただけたら嬉しいなと思います
オーディオジャパン あなたと一緒に日本を学ぶ
英語版で聞きたい方はオーディオジャパン Learning Japan with you よりお聞きください
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火曜日は馴染みやすいテーマ 金曜日は日本の時事ネタを取り上げていきますと
次回の金曜日の放送では日本だけ未だに進んでいない選択的夫婦別姓制度について掘り下げたいと思います
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あなたからのお便り楽しみにしていますね 最後まで聞いていただきありがとうございました
お相手はパーソナリティの教育デザイナー 新井大輝でした
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