そんなラーメンを作るにあたって、安藤さんが大事にしたことは5つありますと。
1つ目は美味しくて飽きることがないこと。 2つ目、腐りにくく家庭の台所で保存できること。
3つ目、3分以内に作れること。 4つ目、経済的に安いこと。
5つ目、安全で健康的であること。 決意してから1年かけて、早朝から深夜まで自身の小屋でラーメンの保存方法に着手し、
なんと1日4時間睡眠で取り組んでいたそうです。 しかし、たくさんの試供品ばかりで、中でも難しかったところとしては、
保存性と利便性の両立でしたと。 そんな時、たまたま安藤さんの奥さんが台所で天ぷらを揚げていまして、
熱いお湯の中に入れられた小麦粉の衣が、 天ぷら鍋の中で泡を立てて水分を弾き出すところを見ていましたと。
そこからアイデアが生まれ、 麺を油で揚げてみたところ、
麺の水分がなくなって乾燥状態になり、 これで保存性の問題に関しては解決することができました。
さらに食べる時には、今のようにお湯をかけることで3分程度経てば、 元の麺に戻ることができるので、利便性の問題も解決することができましたと。
一つの現象から、 カップラーメンの保存性と利便性を両立させるところに導いたのは、
天才やんと思いましたね。 天才ですね、ほんと。
そして、1958年に最初のチキンラーメンが販売されました。
お湯を注ぐとたった2分で食べられるチキンラーメンは、 当時の常識では考えることができない商品だったので、
魔法のラーメンとも言われていたそうです。
当時は、うどん玉1つ6円だったのに対し、 チキンラーメンの価格はなんと1つ35円。
その値段を見て、問屋は仕入れをしぶっていたのですが、 チキンラーメンを食べた人からの反響が予想以上に大きかったため、
問屋への注文が殺到しました。 いいものを作れば、類似商品よりも高くてもまだ食べたくなる、
人間の欲求をついた商品だったんですよね。 他にもチキンラーメンが売れた要因としてはいくつかありまして、
1つ目は、チキンラーメン発売と同じ時期に スーパーマーケットが加工食品を大量販売する流通システムが確立したから、
2つ目はテレビコマーシャルが効果を上げたから、 3つ目は、
共働き各家族世帯が増え始め、 日本の消費者がより利便性を求めるようになったことなどが要因とされています。
ちなみにではあるのですが、チキンラーメンのパッケージに掲載されている黄色のヒヨコ、 通称ヒヨコちゃんは2010年にデザインが一新されたそうです。
あのヒヨコちゃん普通に可愛いですし、老若男女に愛されそうなデザインですよね。
ここまでがインスタントラーメンができるまでに関してでした。 続いて、カップヌードルの発明ですと。
1966年、チキンラーメンを海外に広めていくために 安藤さんは欧米へと視察に行きました。
この時なんと安藤さん、56歳でした。 今の50代60代の方は元気な方々が多い印象を抱いているのですが、
当時の56歳で海外視察となると なかなか
体力があるなという印象を抱きました。 その時現地のスーパー担当者がチキンラーメンを小さく割って
紙コップに入れてお湯に注ぎ フォークで食べているところを目の当たりにしたと。
それを見て安藤さんは チキンラーメン、カップ麺を海外展開していくためには
触手感を狙うことが大事だと安藤さんは考えました。 というのも海外には
どんぶりや箸がないからですね。 そこから
容器の作成を開始し始めまして まずはサンプルを50個程度作りアメリカの技術を駆使して自社で断熱性があって軽くて持ちやすい
そんな最高の容器を作成していきました。 しかしここで肝になったのは乾燥した麺をどうやって容器に入れるかでした。
というのもカップ麺の容器は上が広くて下が狭い構造をしています。 麺を小さくしたらカップに入れることができるのですが
輸送時に麺が揺れ動いて壊れてしまうと。 その悩みに向き合っているところ
安藤さんが寝ている時に天井がぐるっとなる錯覚に襲われたそうです。 そこから安藤さんはまたアイデアを着想しました。
カップに麺を入れるのではなく 麺を下に伏せて上からカップをかけるようにしてみたところ
ぴったり入り輸送時に麺が揺れ動くことはなくなりましたと その結果工場でも大量生産ができるようになりました。
一生に一度でいいので夢の中でアイデアが閃いたって言えるような人生を送りたいなと思いましたね。
本当にそんなことあるんだなと びっくりしましたね。
こうして誕生した新商品は世界中で覚えてもらえるようにカップヌードルと名付けられ
1971年に 販売が開始しました。
そんなカップヌードルの値段は1つ100円でした。 当時の
袋麺が25円だったのでまたまたかなり高価な価格。 しかも立ったままカップ麺を食べるのは倫理的に良くないとされ
なかなか店頭で販売することができませんでした。 そんな状況を打開していくためにカップヌードルを買ったらすぐに食べられるように
お湯の出る自販機を開発したり 当時若者が多い場所とされていた銀座で試食会を実施したりしていましたと
お湯の出る自販機なんてあったんだと調べていて思いましたね。 ただ一番のブレイクスルーとなったのは1972年2月に起こった
浅間産総事件という事件ですと。 浅間産総事件とは長野県北作郡軽井沢町にある
河合楽器製作所の保養所において 連合軍の残党が人質を取って立てこもっていた事件のことなのですが
この事件10日間続きまして連日テレビで報道されていたのですが 警視庁機動隊員がカップヌードルを立ったまま食べている様子が報道されていたそうです
これが要因でカップヌードルがまたたくまに売れていったそうです