1. アツの夫婦関係学ラジオ
  2. #265 妻の文脈に立って考える..
2021-11-06 24:52

#265 妻の文脈に立って考えるとはどういうことか?

セックスレスやその他の夫婦関係を改善しようとする時、相手の文脈に立って考えることが解決には最も効果的です。逆に言うとそれが難しいからこそ、知らない人が多いからこそ、夫婦関係に悩む方が多いのだと思います。妻の文脈に立つとはどういうことか?どうすれば妻の文脈に立てるのか?詳しくお話しします。
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アツの夫婦関係学ラジオです。このラジオでは、妻との関係の悩む男性向けに夫婦関係改善のヒントを発信しています。
今日のお話はですね、前回に引き続いて妻の文脈に立って考えるとはどういうことかについてお話をしたいなと思います。
簡単にその前回の話をしますと、セックスレスの問題、子供が生まれてからですけどね、子供が生まれてからのセックスレスの問題というのは
したい自分、してくれない相手というふうに、二人が分断して考えるのではなくて
なぜそういうふうに思ってしまうのか、なぜしたくないのかというふうにですね、相手の文脈に立って考える、相手がなぜそのようなことを考えるのかということを紐解いていって
二人の問題として考えることで解決策が見えてくるという話をしました。 この時に大事なのが妻の文脈に立って考えるということなんですね。
どういうことかというと、つまりはそのなぜ妻がそう思うのか、なぜそう感じるのか、なぜそう考えるのかということを妻の思考に立って考えるということなんですね。
自分の思考、自分の考え方とか自分の視点とか、そこから一旦離れて
もう俯瞰して見る。 自分自身にとらわれすぎると相手のことがよく見えなくなってくるんですよね。
なので自分の考え方とか視点というのは一旦外して、 妻の考え方、妻の視点に立って物事を考えていく。
これが妻の文脈に立つということなんですが、なぜこれが重要なのかというと、自分の文脈から考えても他人の行動は理解できないんですね。
これ前回も話したんですけど、人類学でよく言われている、これ古典ラジオからのお話なんだろう、古典ラジオで僕学んだことなんですけど
ポッドギャストの古典ラジオめっちゃ面白いんですけど、そこでねよくパーソナリティの深井優之助さんがおっしゃってるのが
自分の文脈から他人の文脈が理解できないと、自分の文脈から考えても理解ができない。他人の文脈に立って考えることで理解ができる。
つまりは歴史っていろんな時代、いろんな国があるじゃないですか。それでのその文化規範というのは今から考えたら理解できないものがすごい多いんですよね。
それって今のこの時代に生きている僕らが考えるからこそ理解ができないのであって、その当時生きていた彼らの時代に立って考えると理解ができるってことなんですよ。
例を言うと、南米のマヤ文明の生贄文化とかですね。毎月毎月マンスリーで生贄を神様に祀ってたとか
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あとスポティファイオリジナルでやったんですけど、生贄の仕方もすごい残酷で
ピラミッドの頂点に生贄を上らせて、生きたまま心臓を取り出して首を跳ねて体をピラミッドから切り落としてみんなで肉を食べるとか
あとこの男性がねこの生贄に穴を開けて紐を通して10人ぐらいが同じことをしてみんなで紐を輪っかんして通して神様に何かを祈るとか
今考えたらわけわかんないですよね。なぜそれやるっていうわけがわかんないことをやってるんですけど
これも今のこの2020年代の日本に生きる僕らという文脈から考えると理解ができないんですけど
これは彼らの文脈に立って考えないと理解ができないっていうことなんですよね。あと江戸時代の男色文化ってあるじゃないですか
織田信長と前田斗司令ができていたとかねセックスしていたとかその後
その当時の武士階級においては男性同士のセックスっていうのが一般的であって何もおかしいことじゃなかったとか
古代ギリシャだと結構年のいった男性が少年の若い子とそういう関係を持って師匠弟子のような関係になるみたいな
その少年からしてもいかに自分にとって有益なことを学ばせてくれるおじさんを選ぶかっていうことが大事だったらしくて
そのすごいイケメンの少年とかは取り合いになるんだけど
少年から選ばれる男性がいるとかね。今から考えたらそれは犯罪じゃんっていうね。中年男性による少年の性犯罪じゃないですか
だけど当時はそれが教育でもあったりして教育の一つだったりしたんですよね
っていうね。今から考えたらわけわかんないんだけどこれも自分たちの文脈から考えるから理解ができないですよ
あと僕好きな話で中国がなぜ中央集権型なのかっていう話があって
お隣の中国って共産党が支配する中央集権タイプって言われますよね。なぜそうなのか
なんでみんな反発しないんだとかね。なんで中央集権ができるんだって話なんですけどこれは
中国って広すぎて一つの町とか一つの地域で1億人いたりするんですよね
1億人いてそれが一つの町となっているのでもう簡単に彼らが一つの国としてまとまることもできちゃうわけなんですよ
独立しちゃったりとかもできちゃうわけなんですよ。そうなるといくつもの国が生まれちゃって国が反乱すると
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中国という国が反乱する。乱れると。三国志の時代にいつでも戻れちゃうってことなんですって
なので共産党が強い力を持って中央集権として国をまとめている。まとめないとむしろ乱れてしまうので
そこに住んでいる人々はこの国が乱れることを懸念している。だからある意味この中央集権というのは求められている制度だということでもあるんですよね
でこれって隣に住んでいる僕らからすると分からないですよね。そういうのって知らないと
その共産党が一党独裁で民衆を支配してるみたいなね。圧勢を敷いてるみたいな
っていうふうにこう思ってしまうんだけど実はそうしないと国が乱れてしまうという現状があると
これも彼らの文脈に立たないと理解ができないことだったりするんですよね
あとこれ僕のおばあちゃんの話なんですけど
今から70年前、戦争終わったばっかりとかその頃って
夫が死ぬと妻は家から子供を追い出されてたんですよ
当時の子供の親の経緯で親権というのは男性夫が持ってたんですよ
女性側には親権は基本いかなかったんですよ。デフォルトで夫が親権を持ってたんですね
こういうことがあったんで僕のおばあちゃんって
夫が確かに戦争で亡くなったんですよね。亡くなったってことが分かった途端に
子供を置いてその家から追い出されたんですよ 自分の子供はねその夫の実家にそのままキープされてしまって
僕のおばあちゃんはまた再婚して新しく子供を作ったんですね
その子供が僕なわけなんですけど
これなんだろう初めて聞いた時は信じられなかったんですよね
なんでそんなことされるのって思ったんですけど
だけどここ何年か勉強して分かったことっていうのは
当時の日本の家族っていうのは家制度が未だに強くて
すべての家族というか財産権というのが長男に受け継がれるんですよね
長男以外は財産をもらえないすべては長男にしかいかない
そして部家社会もちょっと昔の話になりますけど部家社会というのはそのその家の仕事
というのはその代々家に割り振られてたんですよね
こいつ仕事ができるからじゃああのなんか
経理係に抜擢しようとかっていうことはなくて
この家のなんか鈴木家とか田中家とかの人間がじゃあ経理係だと
でお前らはあのなんかそのなんだその兵隊係だみたいな
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わかんないですけどねそういう係だとか
あとお前らは月人だみたいな
この家は月人の代々やってくるんだみたいなのが
部家社会で何百年も続いたわけですよ
でその名残が未だにその大正明治とかでも残っていて
すべての財産が長男に行ってしまうとなってしまうので
そのいかにその家を守っていくか
その長男を中心とした家を守っていくかってことが大事だったわけなんですね
そうなると夫が死んでしまった妻というのは
その終止めからしたら意味がないんですよね
いる意味がなくて存在意義がないんですよ
子供はもういるし自分の息子はいないし
息子はいないのになんでお前がいるんだみたいな感じになっていて
置いてされてしまったと
これも今の僕らが考えると信じられないですよね
例えばね僕らが死んでしまうと
僕が死ぬと僕が死んでしまったら
僕の妻が子供を置いて感動されて追い出されたと
無理やり離婚されて追い出されたとか
っていう話ですけど
今考えたらそんなことないですよね
子供誰育てるんだろうね
年老いた親は育てられないか
どうか育ててくださいって話になるだろうし
これも当時の文脈で考えないと理解ができない
長くなったんですけど
すごい話長くなったんですけど
つまりは自分の文脈から考えても
他人の行動は理解できないってことなんですよ
こうやって時代とか国とかを超えて
人間であるならばみんなそうだと僕は思うんですね
自分の文脈から考えても他人の行動は理解できない
逆に言うと他人の行動を理解するためには
他人の文脈から考えないといけない
夫婦も同じだと思うんですね
自分の文脈で考えようとすると
妻のことを理解ができないんですよ
だからよく妻の行動とかに関してこういうことやって
妻がこういうことやってて信じられないと
なんでそんなことするんだと
意味がわからないというふうな話
もしくは逆で夫が
なんでこんなことするのかわからないと
意味わかんないという話って聞くじゃないですか
いろんなこと聞きますよね
これも全て同じで
みんな自分の文脈でしか見てないんですよ
みんな自分の文脈でしか物事を考えていないので
なぜ相手がそうするのか
なぜ相手がそれが好きなのか
なぜ相手がそれが嫌いなのかってことを
理解できないんですよ
理解できないのが当然なんです
なぜならば自分の文脈で考えようとするから
相手も自分と同じだって思っちゃってるんですよ
日本が単一民族
実際は単一民族じゃないですけど
ほぼ単一民族で生きてきた
外敵からの襲来とかも少なくて
国が守られてきたから
多分そういった影響もあると思うんですよね
ほとんどその自分の隣に住んでる人が
同じような人種で
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同じような環境で育ってるとかってなると
相手も自分と同じだって勘違いをしやすくなる
だけど例えば同じ日本人であっても
例えば同じような経済環境で育ってきた相手であっても
みんな同じじゃないんですよね
みんな違うんですよどっかしら
みんな違う家庭環境で生きてきて
みんな違う文化規範のもとに生きてきたんですよ
だから自分と同じ文脈で
相手をつい考えてしまいがちになる
それは日本はほぼ単一民族であるからだと思うんですけど
だけどそうじゃないと
相手のことを自分の文脈で考えるのなくて
相手の文脈に立って考えることで
やっとその人のことが理解できるようになる
これは何にも外国の人間とかに対して
応用される考え方ではなくて
自分の妻に対しても僕は同じだと思うんですね
じゃあ妻の文脈に立つってのはどういうことか
っていうことなんですが
これは何も妻の意見とか考えに
盲目的に従えっていうわけではないんですよ
妻に関心を寄せて理解して
どういう関係を築けばいいのか
これを考えるってことなんですね
つまり国際外交と同じなんですよ
自分の国とはまた違う国と外交を結ぼうとする時って
自分の文化と文化規範と同じものを
相手に求めたりはしないじゃないですか
だって違う組なんだから
相手の文化規範を尊重した上で
いかに外交を結べかってことを考えますよね
夫婦関係も同じなんですよ
国際外交と同じだと考えてもいいんですね
妻の文化規範を尊重した上で
いかに外交を結んでいくかってことを考えていく
基本は多分ここなんですね
いかに関心を寄せて理解し
どういう関係を築けばいいのか考えていくと
マヤ文明とか中国とか
江戸時代の男色文化とかいろいろ言いましたけど
基本そこに流れている
根底に流れている基本は同じなんですよ
相手に関心を寄せ理解し
どういう関係を築けばいいのか考えるってことなんですね
じゃあ具体的に
妻がなぜセックスをしたかないのかってことを
妻の文脈に立って考えましょう
これについて考えるには
自分の妻と話し合う必要があるんですけど
例えば子供が生まれたばかりの頃から
どうも関係性が悪くなったと
セックスがなくなってきたと
妻が断るようになってきたと
なぜなんだろうと
そしてあれから5年経つけども
今でも拒否されると
なぜなんだと
これは妻の文脈に立って考えるとですね
例えば子供が生まれたばかりの頃というのは
子供のことが気になって
なかなか集中できなかったと
夫はしたいしたいと言って求めてくるけど
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そうは言っても隣で子供寝てるじゃんと
起きちゃうじゃん
起きたらミルクあげなきゃならないじゃん
授乳しなきゃならないじゃんと
授乳が終わっていたとしても
ミルクあげなきゃならないと
ミルクとかそういうのがもう全部終わっていたとしても
起きちゃったら寝かしつけしなきゃならないでしょ
寝かしつけしなきゃならないと
寝かしつけをしたら
30分くらい時間無駄にすると
他体さえ睡眠不足なのに
セックスしてさらに疲れて睡眠不足になって
そこで子供が起きちゃったら
また30分面倒見なきゃならないし
次の日つらいし
また次の日も子供の世話があるしと
あなたは仕事に行っていないでしょと
もうただつらいだけなのと
そんな時になんでそんな求めてくるのと
私困っちゃうわと
っていう風な
例えば妻の文脈に立つと
そういうことがあるかもしれないと
次第に家の中で夫とそういうことをすることが
嫌になってきたと
もう疲労ばっかりするからですね
こうなってくると
子供が生まれる前は
夫婦間でのセックスが嫌ではなかったんだけど
子供が生まれた後にそういった行為をすると
子供が起きて夜泣き対応をしたきゃならない
魅力を上げなきゃならないとか
次の日寝不足でつらくなるとか
それが永遠のループになってどんどんつらくなると
そうなってくると
夫が求めてくるイコール
夫が求めてくることが深い
夫とすることが深い
夫が深いっていう風に
だんだんと妻の中で
考え方がそういう風に変わってきた
っていうことが分かってくるんですね
これが妻の文脈に立って考えるっていうことなんです
もしくは例えばですよ
例えば妻が育児をしていて
とっても困ったことがあった
とっても困ったことがあって
助けてほしい時があったのに
なかなか夫が助けてくれなかったと
そういったケースがどんどん増えていって
嫌悪感を夫に対して
嫌悪感を抱くようになってきたと
そうなると助けてくれなかった時の
絶望感とかその時の疲労感とか
大変だった思いが
夫という存在と結びつくようになってくるんですよね
そうなると夫の存在自体が
もう辛いいることが辛い
という風に変わっていく
そして夫に触れ合いなんて
持ったのほか
夫の存在自体が辛いと
別れたいという風に変わっていく
これが妻の文脈に立って考えるってことの
一つの例ではあるんですけど
こういう風にして自分目線ではなくて
妻の目線に立って考えていくんですね
何が起こったのか
自分の文脈とか自分の意見
自分の視点ということを忘れて
妻の文脈の中で
何がその時起こったのか
ということを再構成していくんです
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妻としてはもうしたくもないのに
殺られてすごく不快だったと
仕方なく嫌々相手をしていた
本当は嫌で仕方なかったけど
夫に悪くてそれを言えなかった
嫌々な相手をしているうちに
本格的にどんどん嫌になってきた
そして触れられること
近寄られることも嫌になってきた
こういった自分の文脈の中では
気づくことができなかったような
全然違う事実が見えてくるわけなんですね
これって女性側は自分自身でも
気がついてないケースが多いんですね
だからこういったことは
こちら側から妻の文脈に立って
再構成していく必要があるなって
僕は思うんですよ
その時の妻の気持ちってことを
妻の文脈に立った上で言語化して
そこに寄り添ってどうすべきだったか
これからどうするかってことを
話し合うことが重要なんじゃないのかなって
僕は思っています
この時にですね
すごく大事なことが一つあって
自分にとって僕らですよ
僕ら男性にとっても
僕ら男性にとって不都合な事実を
きちんと受け入れることが
大事だなって思うんですよ
どうしても妻の文脈に立って考えていくと
妻の視点に立って考えていくことになるので
夫に対して不快な気持ちとか
嫌悪感とか攻撃的な気持ちとか
反発心っていうことを
どうしても感じるわけですよね
妻の文脈に立って物事を考えていくと
自分自身夫自身に対して
悪い評価を与えてしまう
与えることになることあると思うんですよ
これは夫の責任だなとかね
ってことにどうしてもなると思うんです
さっきみたいに妻が
子供が産まれたばかりでね
とても大変な時にセックスをしていたら
もう体力なくなっちゃうし
そもそもそんな気になれないし
寝不足がさらに寝不足になって
次々にさらに辛くなって
また夫は次々求めてきて
どんどんどんどん寝不足になっていく
夫のループで
あなたは仕事で何も困ってないでしょと
いう風な事実があったとしたら
夫としてはこれ不都合な事実ですよね
認めたくないと思うんですよ
いやだったら言ってくれよみたいなね
っていうのもあると思うんです
でも夫に悪くて言えなかった
断れなかったっていう事実もあるわけなので
夫にとっては不都合な事実が出てきて
そこで反発もしたくなるんですよ
いやいや違うだろうとかね
いやいやそうは言ってないだろうとか
っていう風な反発をどうしてもしたくなる
だけど相手の文脈に立って考える時というのは
自分の文脈から外れる必要があるんですね
もう言ったやつとして
自分自身はこの上の方でこうふらふら浮かびながら
自分を眺めているような感覚なんですけど
こうやって自分の文脈から外れて考えることで
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自分にとって不都合な事実も
冷静に見つめられるようになるんですね
逆に言うと自分にとって不都合な事実を
冷静に見つめることができないと
妻の文脈に立って考えることはできないんですよ
さらに言うと妻側にも責任がある場合が
中にはあると思うんですね
妻の文脈に立って考えていく
自分の文脈に立って考えると
妻に責任があると思う場合もあるし
明らかに例えば妻が浮気をしたとか
そういったおかしいだろうと
それやる方がおかしいだろうっていうこともあるんだけど
そこから一旦外れて
なぜ妻がそうしたのかってことを
妻の文脈に立って考えるんです
そうなると良いか悪いかとか
善か悪かみたいな二元論から外れることができるんですよね
なぜそうしたのか
なぜそう思うようになったのかってことを
社会学とか人理学のような気持ちで
妻の文脈に立って
その何が起こったのか
なぜ起こったのかってことを
冷静に第三者の視点
第三者というか妻の文脈に立って
妻の視点の中でそれを理解しようとする
その当時の何が起こったかってことを再構成していく
妻側の視点でもって再構成していく
そうする中でやっと
つまり何が起こったのか
なぜそうなったのかってことが
理解できるようになるんだと思います
そこからやっと
じゃあどうすべきかってことを
話し合えるようになるんだと思います
そして妻としても
そうやって自分自身の視点に立って考えてくれることによって
夫のことを信頼できる
信用できると思ってくれて
一緒に前を向いて改善していこうと
この2人の関係をより良いものにしていこう
というふうに思ってくれるようになるんじゃないのかなと思っています
はいということで
今日は妻の文脈に立って
考えるとはどういうことかってことについて
お話をさせていただきました
妻との関係の読み方の参考になれば幸いです
この例はですね
多分練習がいるかなと思うので
妻の文脈に立って考える
それを何だろうな
日々の生活の中でもね
やる訓練してもいいと思うんですよ
妻が何か言った時に
なぜそう思ったのか
なぜそう言ったのかってことを
妻からの視点に立って紐解いていくってことを
習慣付けるようになる
習慣付けるようにすると
妻からのこの信頼っていうのも得やすくなるなぁと
そして冷静に自分たちの関係を見つめて
24:00
自分自身の行動も冷静に見つめることができて
これからどうするかってことを
自分自身の感情に振り回されずに
選択できるようになるんじゃないのかなって思っています
はいということで
私のノートのサークル機能を使って
タツの夫婦関係改善カウンセリング松明という名前で
妻との関係に悩む男性向けに
アドバイスをさせていただいてます
妻との関係悩んでいて
本気でどうにかしたいと思う方は
ぜひご連絡をください
こちらリンクを概要欄に貼っておきます
あと質問箱の方は
夫婦関係に関わらせるご相談
男女問わず受け付けてますので
ぜひこちらもご利用ください
はいということで
今回も最後までありがとうございました
また明日お会いしましょう
さようなら
24:52

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