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2025-02-10 34:23

#2-31 『私はgleeに出る!』ダンス好き少女が辿り着いたヘルシーリレーションシップとは?

株式会社セキララカード代表 藤原紗耶さんをゲストにお呼びし、紗耶さんの驚きの半生を伺います。


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サマリー

藤原さやさんは、子供の頃からダンスが大好きで、英語に興味を持つきっかけはアメリカのドラマ『グリー』でした。留学を経てダンスの技術を磨き、アメリカのショービジネスを目指している姿が描かれています。日本のダンス好きな少女が夢を追求してアメリカのLAへ渡り、「グリー」への出演チャンスを掴むまでの道のりが語られます。しかし、現実は厳しく、自己疑念や夢の実現が遠のいていく中で、彼女はジェンダー問題に関心を持ち、新たな道を見つけていく過程が描かれています。エピソードでは、彼女が「Glee」への出演を通じて健康的な恋愛関係について語り、特にジェンダーに対する意識や恋愛における自己表現の重要性を探究し、料理やコミュニケーションを通じて理解を深めることが強調されます。このエピソードでは、ダンスを愛する少女が健康的な人間関係を築く過程について語り、彼女が本音でのコミュニケーションを大切にし、国際カップル向けのツールをどのように開発したのかが探られます。

子供時代のダンスへの情熱
はい、前回の続きです。で、今回もね、素敵なカードを販売する藤原さやさんをお越しいただいてます。さやさん、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
で、今回は、さやさんご自身のことをお聞きしたいなって思ってて、子供の時からそんな、なんかいろいろ気になるタイプあったんですか?知りたい知りたいみたいな。
全然。
全然。どんな子供だったんですか?小さい時って。
小さい時は、踊るのが大好き。
踊るのが大好き。
バレー、クラシックバレーと陸上部を駆け持ちしていたっていう子供で。
めっちゃ忙しそうですね、それ。
めっちゃ忙しくて、けど、もうなんかやることが決まってたので、多分親はあんまり、やってくれる、やること決まってやってくれる子供だったから、そんなに親は心配するような子供じゃなかったかなと思うんですね。
楽しい、やるみたいな。走るの楽しいみたいな。また頑張るよ、素直みたいな。
めっちゃ素直ですね。
『グリー』との出会い
そう。
心配しなそうな感じ。
そうですね。で、なんかいい感じに別に勉強とかも、やればできたので、そんなに心配されることなく生きてきたんですけど、中3の時にアメリカのドラマのグリーっていう学習部の学園ドラマ。
流行ってましたね。
そう。あれがNHKでやってて、あれを見たのがきっかけで、それまで英語とか全く興味なかったんですけど、私グリーに出たい。
出たい?
出たい。
ドラマに?
ドラマに。
そうなった。
そのためには、英語とダンス必要だわ。
もっといろいろ言うと思うけど、それが必要だと思ったんですね。
で、ダンスは今もやってる、バレエやってるし、続けていこうって。
けど英語全くやってないわってなって、じゃあ英語やらないとみたいな。
で、高校を京都の英語科の高校に行ったんですけど、意外とレベル低くて、これ高校3年間ここ行っても英語できひんわって思ったから。
早いっすね、そういう見切りつけるのが。
もう1ヶ月で、この高校やべえってなって。
すごいですね。
で、もうすぐに留学しないとみたいな。
アメリカ行かないとってなって、高2の時にアメリカ1年間行って。
それグリーに出たいための、ずっとその気持ちやってたんですか?
グリーとか、レディー・ガガーのバックダンサーになりたいみたいなと言ってたんですけど、
そういうショービジネス界に行きたいみたいな。
なるほどですね。
アメリカの憧れのハリウッド。
ハリウッドしか見てないみたいな感じで。
夢がだいぶ、すごい大きかったんですね。
大きかったのになぜか、高2の時に派遣された留学先は、ノースカロライナ州のシャーロットっていう、めっちゃ田舎町で。
ハリウッド行くことないの?
ここどこ?みたいな。
私、ハリウッド行くんじゃないの?みたいな。
田舎町だった?
めっちゃ田舎町で、もう本当に高校と家の駅帰りしかしなくて、
町も栄えてないので、遊ぶところも友達の家だけみたいな感じ。
選べなかった?
あのですね、ちょっと安いやつで行ったので選べなくて、国会に留学だったので。
英語は身についた?
英語だけは身についたんですよ。
目的は一つ達成できた?
そうそうそう。
帰ってきて、よし英語できたみたいな。
で、高3の夏に帰ってきたので、よし次はダンスと、アメリカだけ行けばいいわと思ってたんですけど、
親がもともと高校の留学の時も大反対だったんですね。
なんで反対だったんですか?
もともとそんなインターナショナルな家族じゃないし、家族も英語話さないし、
アメリカなんて?え?みたいな。
大丈夫?
そう。グアム1歳の時に行っただけじゃん。
そういう感覚なんですね。海外って言ったら。
そうですね。危ない、アメリカなんて。え、もう銃で殺されるよみたいな。ダメだ。
なんでそんなドメスティックな家庭なのに、鞘さんが生まれたんですか?
なんでそんなグルイン出たん?みたいな。よし行くぞーみたいな。
たぶんNHKが悪いんですけど、NHKがグルインを流してしまったのために、
ただ単にテレビ見てた子供がグルインを見てしまって。
夢を追い求める日々
そんなでも、なんか面白いなーって終わる人はほとんどじゃないですか。
あ、そっか。
なんであたしがあそこに出るって決めたんですか?
もうこんなに楽しそうなことを見たのが初めてで。
あ、衝撃だったんですか?
衝撃でした。
めっちゃ楽しそうみたいな。
やばい、歌って踊ってパフォーマンスするのって最高や。
で、もともとバレエをしながら踊ることの楽しさは知っていたので、
これをこんな全世界の人に仕事をしながらこうやって届けられるのって、
もう勝ち、人生勝ち、みたいな。
で、そこで衝撃を受けたので、自分の中では行くって決めてたんですけど、
やっぱ親が反対したので、じゃあこのテスト受かったらいいみたいな。
交渉して、で、受かるはずなかったんですね。
私その時の英語力から比べたら。
で、親は騙されちゃって、いいよみたいな。
絶対無理でしょ。
受かんないでしょ。
受かないでしょ。
じゃあその時に75点がギリギリのラインやったんですけど、
私75点やって、
あ、危なかったですね。
いけた?
すごい、ギリギリ、ギリギリ勝った。
で、お母さんにいけた?75点って言ったら、
え、マジ?は?みたいな。
無理。
でもまた反対やった。
反対だったんですけど、やけど言ったやんみたいな。
だっていいって言ったやんって言って、
無理やり行かせてもらったみたいな。
頑張りましたもんね、ちゃんと勉強してね。
そう、頑張りました。
で、行って帰ってきて、またアメリカの大学行きたいとか言い出したから、
親はもう無理ですみたいな。行かせませんみたいな。
寂しいもんみたいな。
それが理由だったんだ。
娘がどっか行っちゃうのが寂しいって。
そうそうそう、寂しい。
だからもう関西にいなさいみたいな感じで、
で、シャアなしに、シャアなしってあれですけど、
もう英語だけしかできなかったので、
その、高2とか高3の勉強が全て抜けてるから。
アメリカでやってた授業は、だからそうか、国語とかないっすもんね。
社会とかない。
ないから。
向こうでそういう的な授業を受けてた?
そう、もちろん公立の現地の高校行ってたので。
日本の大学を受けようとしたら、習ってないってことなんですか?
そうです。受験勉強ができない。
あ、なるほど。
際位が全然違う。
なるほどですね。
それで、AOしかできなくって、受け方として。
で、英語のインタビューで、関西大学受かったんですけど、
そのAOって10月ぐらいからもう結果わかって、
もうみんなより先に遊び始めるんですよね。
いいっすね。
その半年ぐらいの期間で、
クラシックバレーではなくて、ジャズダンスの先生、師匠に出会ってしまって。
ちょっと待ってね、色々分かんなかったです。
クラシックバレーやってました。
やってました。
大学入試終わりました。
はい。
で、ジャズダンサーの先生と出会いました。
どこで出会ったんですか?
これは京都のダンススタジオで、ダンサーライブっていうところなんですけれども、
その半年間が間空いたので、
別にあんまり学校行かなくてもいい期間じゃないですか。
その高3の最後って。
だからもうバレーだけじゃなくて、ダンスも始めようって。
ちゃんとしたダンスも。
それはグリーに出るため?
そうそうそうそう。
コンテンパリーダンスとか、ジャズダンスとか、ヒップホップとか、
そういうやってなかったことをやろうと思って、
ジャズダンス専門ではないけど、それが強いところに行き始めたら、
師匠に出会っちゃって、
私この先生についていくってなって、
親に土下座して、ごめん、大学行かないって言って、
辞めて、そのスタジオに毎日通うみたいな。
専門学校とかじゃないんですけど、とりあえず。
ダンス教室?
普通の。
ジャズダンス教室?
そう。毎日通い始めて。
何がそんなに良かったんですか?そこは。
やっぱりやりたいことが、アメリカのジャズのジャンルなんですけど、
日本であんまりそれを教えてるところってないんですよね。
で、そこのダンスの種類がすごい近くって。
目指してたグリーの世界と近いって。
ショービジネスの世界と近かった。
ここでレッスンめっちゃ頑張れば、アメリカ行けるなみたいな。
なるほどね。自分にとってのゴールと直結してるなって。
そう。
大学行くよりもこっち行った方が早いじゃんって。
そう。
なるほど、なるほど。
それで、親に土下座したら、じゃあもう何も出さないです。
なんか交通費も出さないですみたいな。
食費も出さないですってなって。
で、良かったらどうぞみたいな。勝手にすればって。
ちょっと諦めが入り始めて、親の。
なるほど、なるほど。
よし!みたいな。
よし!ってなって、じゃあやめますって言って大学辞めて。
辞めてというか、もう行かずに。
本当に入学式の3日前とかだったので。
それで、もうダンスと、あとはバイトの日々。
掛け持ち。3個ぐらい掛け持ちして。
ダンスに行くために。
そう、アメリカに行くために。
そのための費用。
そうです。
ダンスの費用も、あとはアメリカの費用もバイトで稼ぎながら、
ダンスの技術も上げていくっていう。
3年ぐらい修行して。
すごいっすね。よく倒れなかったですね、それ。
そうそうそうそう。意外と夢があれば人って何でもできるなんて思ってた。
ダンスへの情熱
そこに行けると限らないわけじゃないですか。
で、日本に住んでいる京都にいる女の子、で、グリーンに出た人いないじゃないですか。
いないです。
なんでそんな頑張れたんですか。
おー、いい質問ですね。
ダンサーとして活動してる人は日本人でいたんですね。
中田里乃さんっていう沖縄出身の日本人が、
その、21歳ぐらいでアメリカ行って、
で、ダンサーとしてビザ出ましたみたいな。
働いてます。
ブリトニー・スピアーズの後ろで踊ってますみたいな。
なるほど。ほんとにじゃあ、目指してたショービジネスの世界でいる先輩が、
ロールモデルが1人いたんですね。
そう。あ、だから行けるわみたいな。
なるほど。
そう。里乃さんが言ってるし。
なるほどなのか。
1人同じように頑張ってる人がいるから、
じゃあできないわけじゃないんだなって思ってたんですね。
そう。で、それで、英語も高校の時にちゃんと話せるようになったから、
もうあとはダンスのそういう行く力しかないなと思って、
で、3年でよしたまった。
で、ダンスもまあ人並みに踊れるようになったってなって、
で、LEAの大学に行ったんですね。
大学に入ったって。
そうなんです。
ダンサーとして行くにはアーティストビザっていうのを出さないといけないんですけど、
それってもうダンサーとしてめっちゃ活動してる人しか出なくて、
私ただ単に練習してただけなので、
ダンサーとして認められないから、
一番アメリカに行きやすい学生ビザっていうのを使って、
ビザを取るために入ったんですね。
そう。大学入りました。
それで、午前中は大学行きながら、
午後、ダンススタジオに通いながらオーディションとか受けるっていう、毎日。
じゃあ夢に向かって進んだわけですね。
自己疑念の始まり
進みました。
進みましたね。
そこまでは結構良かったんですけど、
順調ですね。
そう、めっちゃ順調。
ドリームガールみたいな感じじゃないですか。
LA行った瞬間に、なんか燃え尽き諸国みたいになっちゃって。
それはもう着いたから。LAに着いたから。
着いたからなのかな。着いて半年ぐらいして、めっちゃダンスやって、
本当に受けたかったハリウッドのダンスの先生のレッスンとか、初めて受けて、
もう叶ったみたいな。
これからオーディションみたいな時期に、
全然ダンス楽しくなくなっちゃって。
なんでなんだ。
初めて。
夢が目前だったのに。
そう。
掴んだと思ったわけではなかったですか。
もう、あとLA来たからもういいかなみたいな感じ?
いや、もういいかなではなく、やっぱり私は仕事としてやりたかったので、
そのために大学行ったっていうのもあるから、
そうですよね。
夢は全然叶ってないのに、なぜか踊れない日々が続いて、
もう疲れちゃった。
そう、なんでやろうこれみたいな。怖いみたいな。
このために生きてきたのに、私何してんのみたいな。
親にどんな顔すんのみたいな。
ダンスの先生に戻れへんわみたいな。
っていうので、ちょっとどうしようどうしようみたいな。
で、ちょっと人生で初めて迷うっていうことが始まったんですね。
逆に言うまで迷ったことなかったんですね。
もうこれだって進み続けてきて、LAにたどり着いて、果てってなった。
そうなんですよ。
同級生とか、やっぱり大学生って悩むじゃないですか。
だから、20とか21の時に、周りの人めっちゃ悩んでて、
みんななんで悩んでるんやろうみたいな。
夢はないの?は?みたいな感じの、すごい夢ハラスメントしてた人で。
夢ハラですね。
そう、めっちゃしてたのに、初めて人生迷っちゃって、
あ、これか。みんな言ってたやつこれか。
何したらいいか分かんないってこれかみたいな。
初めて来て、うわーみたいな。
なるほど。
しんどーみたいな。
どうしたんですか、それは。
その時期に、一応大学も通い続けてたので、
もともとグリーでジェンダー問題めっちゃ扱ってるので、
LGBTQとか、そういう男女のジェンダー問題とかも扱ってたから、
もともとアメリカのオープンさとか、LGBTQは興味があったから、
それにまつわるコミュニケーション学と心理学とジェンダー学をとってて、
そこのジェンダー学の授業が、もうめっちゃ良かったんですよね。
何を教えてもらうんですか、それって。
それは、まず、あなた細くならないといけないと思ってるでしょ、
とか、きれいに白くならないといけないと思ってるでしょ、みたいな。
それ全てメディアの洗脳ですから始まるんですね、授業が。
で、このコマーシャル見ましょう、みたいな。
これどうやって洗脳してると思いますか、そうです。
みんなこのメディアたちは女性をこうやって思わせようとして、
ビジネスを回せるんです、みたいなことを。
結構激しいですね。
めっちゃ激しくて、やっぱりLAは本当に左、リベラルすぎるので。
なるほど、そうか、そういう街なんですね、全体的にも。
学問と言われるにはだいぶ激しい主張が入ってるなって思ったけど。
偏りすぎてるリベラルの教育を受けて、その大学で。
今まで私も何も考えずに、そうやって細くなりたい、ダイエットしなきゃとか、
モテなきゃとか、モテないといけないから、頑張るけれども恋愛の中では受け身でいた方がいい、
なぜなら女性だから、みたいな、そういうレッテルみたいなのは自分の中で持っていて、
親見てもそういう感じやし、女性で生きるってそういうことなんだな、みたいな。
っていうのはなんとなく思ってたんですけど、それを疑問視する時間もなく生きてきたんですね。
なるほど。
で、そのジェンダー学の時に、それは違う、みたいなことを言われて、
それは思わされてるんだ、みたいなことを言われて。
専門家だと。
マジで、社会ムカつくよ、みたいな。
その時はそういうふうに思ってたんですか?
そう。
あれは完全に洗脳なんだ、っていう。
っていうのを気づかされたっていう感じ、初めて。
なるほど。
で、結構、その細くならないとっていうので、悩んでたりもしてたので、
けどなれないみたいな。
自分がまさにそうあったんですね。
そう、この悩みって実は無駄の悩みだったんだ、とか、
女の子だからちょっと受け身でいた方がいいとか、
思ってることもあんまり言わない方がいい、みたいなことも、
あ、それってなんか女だからって思わされてたんだ、みたいな。
自分の今までの悩みが、実は女性だからっていう思い込みだったことに対して、
私の学びたかったこと、LGBTQ関連だと思ってたけど、
もうなんか、あ、私でした、みたいな。
なるほど、自分事だったんですね。
めっちゃ自分で、そこで、うわーって、もう力が抜けた。
もうどうして生きていこうっていう感じで。
そっから、もともとショービジネスには興味あったけれども、
エンタメの中ではエンタメでも、歌って踊るエンタメではなくって、
もっと社会問題とか、特にジェンダー問題を啓発しながら、
メディアとして発信していくっていう作品にすごく興味を持ち始めて、
なんかフェミニストが作ってる映画とか、そういうのを気づかせるためのコメディショーとか、
そういうところに興味が転換してったんですね。
新たな方向性の模索
なるほど、なるほど。
けれども、エンタメ界の興味はずっとあったので、やっぱりLAで就職したいなっていうのはあって、
ダンサーじゃなくても、そういうプロダクションには関わっていたいって思って、
よし、LAで生きていこうと思ってたんですけど、
コロナになっちゃって、
なるほど、そっか、その時期か。
その時期なんですよ。
なるほど、なるほど。
それで、あれ、就活できないし、学校も行けなくなっちゃってし、
何もできなくなっちゃうんですね。
バイトできないし、お金なくなったし、あれ、生きていけない。
なるほど、まずい。
まずい、京都の親に電話して、ごめんなさい、一回帰っていいですか。
お金投げられました。
さすがにね、コロナですからね。
そう、で、帰ってきて、で、オンライン授業だったんですね。
で、オンライン授業で単位取ってたら、いつの間にか卒業しちゃってて。
どういうことですか。
大学。
いつの間にか。
そう、単位取ったら終わりなんですよ、アメリカの大学って。
何月でとかじゃない。
そう、人それぞれなので。
だから、12月ぐらいに、あれみたいな、次の授業何かなと思ったら、
あなた終わっていますみたいな。
え、卒業した?みたいな。
じゃあ、なんか卒業書書送られてきて。
そう、突然。
あ、やばいみたいな。
私、就活の仕方、日本でもアメリカでも知らずに、なんか気づかずに社会人になっちゃったみたいな。
はーってなって、また迷うわみたいな。
第2の迷い時期が。
始まりました。
で、とりあえず、英語だけはまだできたので、英語で生きる道を探さないと思って、英語に関する仕事を始めたんですけど、
それが今でもつながってる。
YouTubeの。
そう、YouTubeとか、英語のオンラインの教材を作ってるんですけど。
あ、そうなんですね。
そうそうそう。それが今つながってるやつで。
あれは本当に、私がマジで何も稼げなかった時に、食らいついた仕事。
え、すごいな。
オンラインの教材、僕知らなかったんですけど、英語学習のためのオンライン教材を作って、
オンラインで講義とかやってたんですか?
そうそうそうそう。それで、オンラインでできる仕事を探してたので、それでつながって、
私が制作をして、その会社は売ってくれるみたいな感じですね。
コンテンツを、
制作です。
制作をして、で、販売する会社。
会社はマーケの会社が、いい感じに、私売り方わかんないので、いい感じに売ってくれる。
その会社は、そういうオンラインコンテンツを売ってる会社なんですか?
そうです。
それの一つのコンテンツとして、英語教師を探してはって、
たまたま、私がオンラインっていうか、ネット検索で見つけて、その仕事を。
どうやって見つけたんですか?それって。
オンライン英語って仕事を。
本当?
オンライン英語仕事ってやったら、こういう人募集してます、みたいな。
で、やるってなって。
いけるかな?大丈夫かな?ってなったら、なんかいけて。
すごいな。
そっから今につながってる。
すごいな。
なんか、信じらんないわ。すごいな。
それでした。
オンライン教材作って、販売して。
で、YouTubeで英語学習のチャンネルも作って。
あれは、広告収入とかのためってことなんですか?それとも別の。
全然。
広告収入なのかな?あれは本当に、あれで興味持ってくれた人がオンライン教材に行くように。
ほぼ、あれが広告みたいな感じでやってます。
なるほど。プロモーションのためにやってたって。
そうそう。
そういうことだったのか。
それで、だから一応、生活費を稼げるようにやっとなったんですね。
社会人になって初めて。
良かったですね。
それで、けれども、やっぱり自分の中のジェンダー問題とか、アメリカで衝撃を受けた自分の中の生きにくさの解放とか、そこのモヤモヤはまだ終わってなくて。
それは、ジェンダー学学んだ時に強くこう、そういった抗議を受けた時の、あれがずっと残ったってことですか?
そうですね。
けど、やっぱりお金を稼げないと、明日食べるもの何にしようみたいな、何作ろうとか、明日どうやって生きようみたいな、本当に生活の最低限のとこしか考えられなくなるので、やっぱり社会人になってお金がないときは、ジェンダーとか言ってる暇なく。
そうですね。食わなきゃならないですもんね。
食わなきゃっていうのが1年間ぐらい続いたので、もう置いてたんですね。そういう社会問題とかは。とりあえず自分生きなきゃみたいな。
なるほど。
で、やっとその収入が安定してきて、自分の精神的にも安定してきた時に、よし、自分安定してきたから、やっとやりたいことできそう。
結構、収入は上がってて、自分の本来の目的のための行動できそうだなっていう、志の達成のためのアクションを取れるなっていうところまで稼げるようになってったんですね。
そうです。
すごいな。
そこで、よかったみたいな。
すごいな。
そこから、じゃあ何がしたいかっていうので、いろんなジェンダー系とかLGBT系とか、NPO法人とか、そういう日本の団体とか、手伝ってみたりしたんですけど、
そこで感じたことが、どうしても意識高い系の人たちだけがモヤモヤについて話してて、大衆が交えてないみたいな。
大衆を見てないってこと?
見てないというかは、交えてない。
専閲化された意識高い層だけがあれこれ考えてるけど、本当の市民たちそこにいるの?みたいな。市民の声入ってる?みたいな。
そういうこと。
私、市民たちは、もしかしたら家庭の問題も、もしかしたらジェンダーの問題かもしれないのに、自分たちの問題と思って、自己犠牲じゃないけど、自己解決しようと。
それは社会の問題って思う暇もないみたいな。
っていうのが約8割9割で、何かしようとしてる人たちは啓発活動はしてるけれども、どうしても結局それを聞く人って結局意識高い人たちだから、めっちゃ隔たりがあるなーって。
それを感じてて、けどみんなの問題だよね。
だから、もし自分が何かするとしたら、全体を巻き込めるようなのがやりたいなーっていうので、もちろんその啓発も大事だし、みんながやってることは本当に大事だと思うんですけど、
私がやるとしたら、そういうもっと大衆化できるもの、ハードルを下げたものっていうのを考えてて、それ何かなーみたいな。
そうやってジェンダーとかを語り出しても、あんまりね、みんな聞いてくれないんですよ。
そうね、よくわかんない。
なんかフェミニストが言っとるわ、また過激なこと言っとるわ、みたいな感じで、あーんって感じだから、
じゃあ自分事化しようって思って、今まで自分がジェンダーの問題だったのに、めっちゃ傷ついて自分のせいだと思ったことは何だ?
何があるんですか?
恋愛ですね。
恋愛の何か?
恋愛の受け身姿勢とか、我慢するとか、相手を立てるとか、そういうポジション取り?恋愛の中の女のポジション取りみたいな。
女のポジション取りっていうのは、男が下につくみたいな?
そう、そういうこと。それでやりたくなかったのに、なぜかそういうものだと思ってして、
相手が言うことはうんうんって聞いて、したくなかったセックスとかもして、めっちゃ嫌やったわ、あれみたいな。
あれって実は自分の話じゃないみたいな。
自分の問題とか自分の課題とかって思ってたけど、社会全体の課題だったの?
じゃないって思って、恋愛に行こうとか。
あとやっぱり一番身近な人に話すことが、やっぱり実は女性だからこういうふうな考え方をしてきたとか、
じゃあ僕も実は男性だからこういうふうに考えてるのかなみたいな。
身近な人とさらけ出して話すと、もしかしたら社会の問題かもみたいな気づきやすいのかしらって思ったんですね。
なるほどですね。直接ジェンダーバイアスよとかって言うんじゃなくて、自ら気づかせるようにふんわり仕掛けていった。
それで、けどもジェンダーの話だけしても誰も買わないし、真面目な話の対話カードって言っても誰も興味持ってくれないから、
ネタとか、もうちょっと価値観とか仕事とか、いろんな自分の話をしようっていう感じで、
あとはカップルがイチャイチャできるよみたいな路線で、そのカードゲームを作り始めたんですけど、
本来の目的は、
なるほど、ジェンダーだった。縛られたジェンダー概念から解放だったんだ。
っていうので、けどもやっぱり対話カードとか真面目で言うと誰も買ってくれないから、
面白くないなと思っちゃいますもんね。
そうなんですよ。
っていうのでハードルを下げて大衆化したのがこれ。
めっちゃ考えてたんですね。
実は。
コンドームの箱だと思ってたけど全然違かったですね。
実は、私の何十年の思いが入っております。
集大成がここにあったんだ。
これを見ると、私が何を考えてきたのかよくわかるっていう。
確かに、そっか。
っていうので作って、それが1年前なので現在に至ります。
ほんと?
ありがとうございます。
さやさんの中で、その縛られたジェンダーへの概念とかっていうのは解放されてきた感じなんですか?
されましたね。
なぜ解放されたんですか?
本当に恋愛が苦しくて、それは男の下に立つっていう、自分が求めてもないことだけれどもしないといけないと思っていたこと。
そんなに大げさに下に立つっていうことではなかったとしても、
例えば、男性におごってもらって、お返しでセックス返しとくとか、立てるとか、ちゃんとすごいねって言ったり、
自分が嫌って思うことも相手がしたいのであれば嫌って言わずにおこうとか、
重いって言われるから軽めに行こうとか、
素直な話はしない。
真面目な話も本当はしたくて、2人の今後とかめっちゃ話したいけど、
重いって思われるし、嫌われたくないから言わない。
自分だけで我慢なくみたいなことをずっと繰り返してきた中で、
けれども、ジェンダーとか学びながら、コミュニケーションとか学びながら、話すのが大事だよっていうのを聞きながら、
こういうツールを使ったりとかして、
今のパートナーとは、出会った時点から自分を出すように初めてしてみたんですね。
あえてやってみたんですね。
あえて、今まで我慢したのに失敗続きだったから。
自分を出すっていうのは例えばどういった行動ですか?
それめっちゃ嫌やっていうとか。
嫌なことは嫌っていう。
そうそうそうそう。
なるほどなるほど。
私それしたくないっていうとか、
私これについて話したいねんけどっていうのはね、話したいことを素直にそのまま話せるってことだけでもすごい大きなことだと思ってて、
話せなかったので、関係性とか特に。
この関係ってどういう関係?
私めっちゃ付き合いたいんだけどみたいなのも言えなかったし、
結婚したいとかも言えなかったし、
それがもう我慢してでも振られまくったりとか逃げられたりとか、
もう悲しい。
良くない方向に行っちゃったんですね。
行ってましたね。
なんでそれ言えたんですか?今のパートナーには。
私はもう諦めたっていうことがあって。
諦めた?
諦めた。
何を?
我慢することを。
我慢することを諦めた。
そう。我慢しても失敗するんだったら、もう我慢するのやめようみたいな。
意味なかったなって。
そうそうそう。
で、もうこれからはもう最初から自分見せて、
多分いいって思う人いないと思うけど、
どうせ後から嫌やって言われるんだったら、
最初からもういいって言われる方がマシやわみたいな。
もうあんなに傷つきたくないっていうのがあって、
健康的な人間関係の構築
で、今のパートナーに初めて会った時にもう全部を見せたというか、
今までの恋愛の話とか、振られまくった話とか、
自分がめっちゃ重いって言われる話とか、
女性としてこうやって受け身で生きてきたみたいな話を、
全部して、もうどうぞ去ってくださいみたいな。
もう嫌でしょみたいな。
めっちゃなんかいいねってなって。
今のパートナー様じゃあそういう姿勢がすごく素敵だなって思われたんですね。
そうですね。それでいいねってなって、
あ、意外と?って。マジ?
意外だったの?
そうなんですよ。
それがきっかけで最初から素直に話せる関係を作れたので、
今はいい感じなんですけど、それがあってですね。
なるほど。これからこの会社としてやられてるじゃないですか、
この会社これからどうしていこうとかって何かあります?
身近な人との関係は、身近な人じゃなくてもなんですけど、
人間、人との関係は、努力して作るとか、
努力して話す。それが自分の幸せですっていうのを広めていきたくて、
どうしても人と人との関係って仕方ない。そうなっちゃうもん。
夫婦ってそんなもんじゃんみたいな。諦めがちなんですけど、
いや、違うみたいな。
人間関係も人間の例えば体の健康と同じように、
努力して運動しますよねみたいな。
努力していい食事しますよね。野菜食べますよねみたいな。
それって努力して自分の体の健康を保とうとしてるじゃないですか。
心の健康、人間関係っていうのは同じように日々努力していかないと、
育たないんです。続かないんです。終わります。
だから自分の幸せのためにちょっと頑張ってみませんかっていう発信者になりたいなと思ってて、
けどそれってめっちゃ難しいから、その発信をしながら、
じゃあこれ使えばいいですよっていう手軽なツールも同時に作っていって、
人が啓発されていいねってなって、けども実践にはつながらない時に、
これ使えばいいんだっていうツールをどんどん作っていきたいなって思ってます。
国際カップルへの支援
なるほど。より良いコミュニケーションのためには会話が必要であって、
それは努力がいるんだよっていうことが理念としてあって、
それを促すためのツールとしてセキュララカードいくつも発売されてる。
はい。
なるほど。英語も書いてありますけど海外でも発売されるんですか。
そうですね。海外でも発売していきたいし、
あと今は日本だけで売ってるんですけど国際カップルがすごい多くて、
使ってる方で。
使ってる方で。
そうなんだ。
はい。めっちゃ便利ありがたいって。
異文化コミュニケーションっていうかお互い理解するためってことですか。
そうです。
あまりにも環境が違う、育ってきた環境が違うから、
理解する必要があるから使ってる。
それもあるし、あとは言語の壁でどうしても深い話がやりにくかった今までっていう
国際カップル多いんですけど、
その人たちがあえてちゃんと日本語でも英語でも同じ内容が書いてあって、
で、同じこういう質問ねっていう内容の理解ができて、
その話について初めて話せるっていうのがやっぱりちょっと言葉の壁がある人たちは
今までそこまで深いところまで話せなかったっていうのが多くて、
それをきっかけにしてくれてる人多いです。
なるほど。
他の国でもこれから持ってくるんですか?
アジアで展開したいなと思ってます。
中国、韓国、マレーシアとかシンガポールとか?
シンガポール、タイとか。
すごいですね。
はい。
じゃあ楽しみにしてます。
ありがとうございました。
今回ありがとうございました。
ありがとうございました。
はい。
ということで今回でセヤさんのインタビューから最後となります。
この放送がいいなと思った方は、マグネホロ一部の評価、コメントをぜひお願いします。
毎週金曜日に夫婦関係学ニュースレターを発行してますので、
概要欄からチェックしてみてください。
ではまた次回お会いしましょう。
さようなら。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
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