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いつもこれをやってくれない、あれをやってくれないと、妻に言われて嫌気がさせる。
いつもいつもじゃないのに、なんでそんなにしつこく繰り返すんだ。
やれない時だってあるし、何もかもできるわけないだろう。
そんなことを思ったことはありませんか?
今日のアツの夫婦関係学ラジオでは、愛を伝える5つの言語の4つ目の言語であるサービス行為について、
世界的ベストセラー、ゲイレーチャップ番長、愛を伝える5つの方法をもとにお話しをさせていただきます。
これはですね、何回かに分けて今シリーズでやってるんですけども、
それぞれの男性や女性が愛を感じるものというのは、大きく5つあると。
その言語を間違えてしまうと、自分の妻が愛情を夫から感じることができないということになるので、
自分の妻がどういった愛の言語を使っているのかを理解することで、
妻に対する自分の愛を伝える、そして妻が夫からの愛を感じられるようになるというわけなんですね。
今日は4つ目の言語、サービス行為、これは一体何なのかについて話をしていこうと思います。
サービス行為というのは、妻があなたに対してやってほしいと願うことを実際にしてあげることということで、
簡単に聞こえますよね、単純なことですよね。
やってほしいと思っていることをやってあげること。
本書の中ではこういうふうに定義されています。
夫や妻に使えることで、相手を喜ばせたいと願い、相手のために何かをしてあげることで、愛を表現すること。
例えば、食事の準備、皿洗い、掃除、洗面所、流しの下に溜まっているドロドロになっちゃった髪の毛を取るとか、
鏡の縁の黒い汚れが溜まっているところを拭き取るとか、子供のおむつ替え、ゴミ出し、玄関の掃除など、
こういった人によっては些細なことだろうと思うようなことかもしれませんし、
別の人にとってはとても大事だよねと思うこともあるかと思うんですね。
その人にとってやってほしいと願うことを実際にしてあげることだと言われています。
ちょっと話ずるいかもしれませんが、女性によって夫に望む家事・育児の参加レベルとは違うなと思うんですよ。
世の中の女性の全てが、夫に100%家事・育児をやってほしいと願っているかというと、必ずしもそうではなくて、
私がやりたいから、あなたはここまでやってほしい、ここから先は私にやらせてほしいなという人もいると思うんですよ。
世の中の男性の家事・育児の参加率がそもそも低いことで、何もかもやらなきゃいけないのかと思ったりもするんですけど、
そうじゃなくて、人によって望んでいるレベルが違うなということはちょっと僕は思うんですよね。
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なぜかというと、それぞれの女性にとっての愛の言語が異なるからだと思うんですよね。
サービス行為と愛の言語を持っている人にとっては、肯定的な言葉といった愛の言語を持っている人もいる。
そしてクオリティタイムが愛の言語だという女性もいる。
いろんな女性がいるから、自分の夫に対して望むサービス行為の内容や質が異なってくるんじゃないのかなって思うんですよね。
いろんな女性がいるんですが、できる限り助けてほしい、いろんなことをやってほしい、
これをやってほしい、あれをやってほしいと思っている女性にとっては、愛の言語はサービス行為だと思うんです。
これは話すと、じゃあ何もかもやらなきゃいけないの?
そんなあれやってこれやってって言われたってできることってできないことはあるんだけどって思うと思うんですよ。
奴隷じゃないんだよって思うと思うんですよ。
という人もいると思うんですね。
僕もそう思わなくもないです。
サービス行為って言われると、相手のために無償で奴隷堂々をしなきゃいけないのかと思ってしまうんだけど、
そうじゃないんですよね。
相手が具体的に何をしてほしいのかわからないとなれば、
圧迫感とか要求されている感とか命令されている感というのを感じちゃうと思うんですよね。
やらなきゃダメなの?なんでそんな上にやらせるの?奴隷じゃないんだけどって思ってしまう。
これはやらされている感とか命令されている感が出ていると思うんですよ。
だけど、何でもかんでもやってくれって言っているわけではないんですよね、その妻にとっても。
ポイントがあるんですよ。これをやってくれれば私は愛を感じられるっていうポイントがあるんです、どんな人にとっても。
それをはっきりとお互いが明確にしないから、何でもかんでもやらなきゃいけないのかってなりやすいなって思うんですよね。
なので、そういった場合はお互いに何をしたら愛を感じるのか、何をしてほしいのかということを紙に書き出すといいと思うんですよね。
実際に書いてみる。口で言える人だったらそれでもいいと思うんですけど、ちゃんと言語化できるようになればお互いにそれを伝える。
伝えることができなければ時間をかけて紙に書き出してみる。
こういうことを言うと、そんなことはわかんない。私がやってほしいこと、あなたはわかんないの?って思う人もいるかもしれないんですけど、わかんないんですよ、これは。
僕だってわかんないんですよ。口に出さないとわかんないんですよ、何をしてほしいのか。
あるいはこれは僕も色々やったことあるんですけど、窓外れな行動ばっかりしてた時もあったんですよね。
妻と会話をしたら、実はこれをやってほしいんだよねって言われて、それだけでいいんだ、それなんだって思うこともあったんですよ。
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全然関係ないことをやっていたこともあったりして、だからわかんないんですよ、これは、はっきり言って。
別れっていう方が僕は難しいなって思います。
だって女性からしても、自分の夫が何をされたら愛を感じるかってわかんないじゃないですか。
それがわかんないから関係性がこじれちゃうと思うんですけど、2人ともきちんと言葉にしないと相手に伝わらないんですよね。
僕も僕がやってほしいことは妻に言わない、妻もわからないので、なるべく言葉にして伝えるようにしてます。
僕、なかなか話すの下手くそなんですけど、妻に対して自分の思いを話すのが、何かしてほしいって言っちゃいけないって思っちゃうんですよね。
やってほしいって言っちゃいけない、望んじゃいけないって思っちゃうんだけど、そうすると妻にだってもすれ違いになっちゃうんで、
頑張って僕は自分の願望とかを言葉にするようにしてます。そうしないと伝わらないんでね。
こうやってですね、紙に書き出して愛を感じる行動をリストにしてみると、意外に大したことなかったりするんですね。
こんなことでいいんだって表紙に消すようなことだったりするんですよ。
例えばそれは、仕事から帰ってきて家に帰ったら、お疲れ様と逆に言ってほしいということだったりとか、
夕飯の皿洗いは見てるだけで減らいするから、実は洗ってほしいんだとか、
子供、お風呂に入れた後に着替えを手伝ってほしいんだとか、子供の習い事の送り迎えが大変だから手伝ってほしいとか、
そういうふうに具体的に言ってもらえると、それだけでいいんだ、それでいいんだっていうことが結構多いんですよね。
何もどれになれとか、何も考えなきゃいけないのかって思う必要はないんですよ。
話してみると、それでいいんだってことは結構あるんだ。
もし、これを聞いている方たちのご夫婦の関係性がいいのであれば、世帯経営ノートっていうツールがあるんですけど、
これをやってみると、お互いに相手に対してやってほしいということを自然にリクエストできるようになるんですよね。
もし関係性がいいのであれば、こういった世帯経営ノートをやってみてもいいと思います。
もし関係性がそこまで良くない、書いてくんないんじゃないかなって思うことがあるのであれば、
相手に対して望んでいること、してほしいことっていうのをちゃんと把握したいから、
これをちょっと紙にお互い書き出そうかってやってみるといいと思います。
そしてですね、このサービス行為、妻が夫に対してやってほしいと思っていることがある。
だけどやってくれない。
なんでこのギャップが起こるのかっていうことなんですけど、
相手に対して望んでいる行為がそれぞれが異なっているからなんじゃないのかなって思うんですよ。
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妻が望んでいる家庭の中における夫にやってほしいと思っている行為が、
夫はそれをやる必要がわからなかったりとか、そもそもやらないことだと思っていたりとかするんですよね。
家庭の中の家事・育児とかそうだと思うんですけど、子供の目の前とか料理するとか、
例えば自分の両親はやってなかった、自分の父親はそれをやってなかったから、
俺もやってなかったんだとかいうのってあると思うんですよ。
こうやってどうしても影響されちゃうじゃないですか。
自分の両親の姿とか自分の性格に強く影響されちゃう。
だけど恋愛中は子供が生まれるずっと前、もっとずっと前、恋愛中は相手に夢中になっているから、
嫌なこともやってたと思うんですよね。
相手が望むことをやっていたんだと思うんですよ。
だけど結婚後はそうはいかないんですよね。
自分の中にあるあるべき姿、このあるべき姿、家庭像とか父親像とかに縛られちゃう。
そして自分が愛を感じる原稿の方に自分の行動が強く引っ張られてしまって、
妻が愛を感じる原稿をきちんと見定めることができなくなってしまう。
だからこそ相手に対してやってほしいことをリクエストではなくて要求という形をとってしまう。
あれをしてくれない、これもしてくれないと。
お前だってそうじゃないかと。あんたはそうじゃないかと。
いう風になってしまう。
でもお互いに相手が言っているリクエストがなぜ大事なのかを分かっていないんですよね。
それがなぜ愛を感じる行為なのかということを分かっていない。
なぜならば2人にとっての愛を感じる原稿が異なっていたり、
2人がサービス行為という共通の愛の原稿があったとしても、
その内容が食い違っていたりする。
それは自分の両親からの教育とか、育った家庭像とかそういったものに影響されていて、
それは俺がやるべきことなのかと思ってしまっていたりするということなんですね。
なんですけど、この妻が僕ら夫に対して非難することというのは、
実は妻にとってとても大切なことであったりするんですね。
そして愛を感じる行為でもあるんですよね。
大切な行為、やってほしいと思っているその行為は、
その妻にとってはとても大事なことだからこそ強く非難する。
ということは妻からの非難というのは、妻の愛の原稿を知るチャンスなんですよね。
ということで、このサービス行為の話はまだ続くんですが、
前半は今日で終わりにしようと思います。
また明日、続きを話そうと思います。
明日はですね、罪悪感と恐怖によるサービス行為ということと、
固定概念の克服ということについて話をしていこうと思います。
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こないだ書いたノートで、
妻から恋愛感情が消えるとなぜ僕らは傷つくのかという記事を書いたんですね。
その中で僕が書いたのが、妻から恋愛感情がもうないんだけどと言われると、
すごいショックを受けるじゃないですか。
なんでショックを受けるのかなと思っていたんですよ。
なんかこう、現実的な欲求とかそういったのは関係しているんじゃないかというのを感覚的に思っていて、
記事を書いてたどり着いたのがですね、
ゴリラって言うじゃないですか、動物のゴリラ。
野生のゴリラってハーレムを作るんですけど、
何匹かのメスを一匹のオスが管理するハーレムを作るんですけど、
そのハーレムをたまに乗っ取るときがあるんですよね。
オスのゴリラが他のオスゴリラのハーレムを乗っ取る、
そのオスを殺したりとか、追放したりとかして、
そのメスゴリラたちを自分のものにする。
そうなると、当然前のオスゴリラの子供が遺体するんですよね。
その子供を殺すらしいんですよ、ハーレム乗っ取ったオスゴリラは。
全部殺した後に、そのメスゴリラたちに自分の子供を産ませるんですって。
これって自分の種を保存するための自然な行為なんだろうなと思うんですよね。
自分の遺伝子を残すことが生物としての生きる目的であるというふうに僕は思ってるんですね。
いろんな本に書かれてるんですけど、
社会的な生活を送る僕ら人間は今そういうふうに考えてはいないけど、
生物というもので括って考えると、
生存する目的というのは死を残すことでしかないとよく言われます。
だからこそゴリラというのは、
自分の遺伝子が入っていない子供たちを無残に殺して、
そして自分の遺伝子を入れた子供たちを産ませていくという形を取るんだろうなと思うんですよ。
それを考えると、妻が夫に対して恋愛感情がないと言われるというのは、
自分の種を残せないということに対する根源的な恐怖感を感じるんじゃないのかなと思うんですよね。
つまり生きる意味を見失ってしまう。
生きる目的がなくなってしまうぐらいの強いショックを受けるんですよ。
実際にすごく死にたいなと思うぐらい辛くなる時もあるじゃないですか。
なぜなのかというと、まさにそのままで生きる目的がなくなってしまったからだと思うんですね。
自分の種を残せなくなった。
生物として生きる意味がもうなくなった。
もう死にしかないというふうに感じてしまうんじゃないのかなと思ったんですよね。
そんなことをノートの記事にまとめてみたので、ぜひ読んでいただければ嬉しいです。
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はい、ということで、今回も最後までありがとうございました。
また明日お会いしましょう。さようなら。