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2022-03-09 19:48

#357 愛を伝える5つの方法/第三の言語「贈り物」

妻から誕生日プレゼントを指定されているが、正直高すぎるんじゃないかと気になっている。 

妻に定期的に贈り物をすることに、なんの意味があるのか正直分からない。 

もしくは、夫が全然プレゼントをくれなくて愛想がつきそうになっている。 

たいしたモノでなくても良いので、ただ愛情が私にあることがわかればそれでいいのに。 

そんなことを思ったことはないでしょうか? 

今日の夫婦関係学ラジオでは、「愛を伝える五つの言語」の三目の言語「贈り物」について、世界的ベストセラー「愛を伝える五つのヒント」を元にお話をします。

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妻からある誕生日プレゼントを指定されているが、正直高すぎるんじゃないかと気になっている。
妻に定期的に贈り物をすることに何の意味があるのか正直わからない。
もしくは、夫が全然プレゼントを送れなくて合図がつきそうになっている。
大したものでなくてもいいので、ただ愛情が私にあることがわかればそれでいいのに。
そんなことは思ったことはないでしょうか。
今日のアツの夫婦関係学ラジオでは、愛を伝える5つの言語の3つ目の言語、贈り物について、
世界的ベストセラーであるゲイリー・チャップマン長、愛を伝える5つのヒントをおもとにお話をします。
贈り物?プレゼントをすればいいってこと?
ただ物をあげれば満足するってどうなんでしょうね?
ずいぶん単純じゃないですかと、そんなことを思った方もいらっしゃると思うんですが、
贈り物というものが持つ力、そして贈り物が意味するものということを正しく理解することができると、
今回の話は、なるほどね、そういうことか、そういうふうに思う人もいるんだね、
もしかしたら自分の妻はそういうタイプかもしれない、
もしかしたら自分の夫はそういうタイプかもしれないって思えるようになるかなって思うんですね。
そして贈り物というのは単純にお金を出して買うものだけではなくて、
時にはあなた自身、妻にとって夫、夫にとって妻というものが、その存在自体が贈り物になるということもあります。
詳しくお話をしていきますね。
まずはですね、贈り物というのは相手への気持ちの象徴であるということがわかると、
妻や夫が贈り物を求めるタイプ、贈り物をもらうことによって愛を感じ、そして愛を伝えるタイプの人ということがよくわかると思うんですね。
自分の妻が、自分の妻の愛の原稿を贈り物である場合は、
なるほどと、贈り物というのはそれ自体に価値があるというわけではなくて、
相手への気持ちの象徴なんだなということがわかると、
妻に対する理解が深まるようになると思うんですね。
贈り物というのは、それを贈る人の感情がそのもの自体に含まれているんですよね。
感謝とか友情とか、そういった感情が含まれている。
あなたのことを思っていますよといった、そういった自立がそこに含まれている。
それをもらった時に、あ、私のことを考えてくれていたんだ、思ってくれていたんだというふうに思えるんですよね。
例えば、お土産であるじゃないですか。
まさにお土産というのは、相手への気持ちの象徴だなと思うんですよね。
何かものが欲しいというわけじゃないんですよ。
そこに行った時に、あ、私のことを考えてくれていたんだというふうに感じられるかどうかなんですよね。
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これを言うのもですね、僕がよくお土産を忘れてしまって、あ、しまったと思うことが多いからなんですけど、
ちょっとしたところに行った時、例えば出張で、何だろうな、ちょっと新幹線に乗って、
ちょっと何かね、4,5時間くらい行った場所に、出張に行った時とか、
めったに行かない地域に行った時に、何も買わずに帰ってくると、
まあ何かちょっとね、いろいろこう、何か言われたりとかあるわけですよ、そういうのが。
多分そういう経験した方いると思うんですけど、
僕がね、昔思ってたのは、何でわざわざ買ってこなきゃいけないんだっていうふうに思ってた時があったんですよ。
仕事で疲れてるのに、だいたい仕事で行くんだぞと。
遊びに行くわけじゃないのに、何でそんな、何かお土産買ってこなきゃいけないんだって。
だいたいどこのものだって、だいたい同じだろうって。
まあ確かにね、何かいろんなそれぞれの地域で、いろんな特色ある何かお土産あるけど、
何かその、何かお土産買わせるための戦略でしかないだろ、あんなものは。
あんなお菓子なんかどこだって買えるだろうって。
中身は全部砂糖だろう、あんこだろう、同じだろうって。
みたいに、ちょっと思ってたこともあったんですよ。
今でもちょっと思ったりもしますけど、思ったりもするんだけど、
だけど最近になって僕は思うのは、
そのもの、お土産が砂糖の塊だろうが、あんこの塊だろうが、何でもよくて、
その時、そこに行った時に、私のこと考えてくれていたんだって。
家でね、子供の面倒を見ていて、遅くなって、僕が帰るの遅くなって、
ずっと子供の面倒を見てもらった妻に対して、
ねぎらいの気持ち的な感じで渡すっていう、
それ自体に価値があるんだと。
思ってくれたんだ、分かってくれていたんだ、
私が大変だったら分かってくれていたんだねって、ありがとうねっていう、
そういう風な感情が伝わるってことが大事だったんですよね。
そして妻が好きなお菓子っていうのがあるんですけど、
それを僕が覚えていることっていうのもすごい、
子にとっては愛情のバラメーターになるんですよね。
覚えててくれたんだ、私これ好きなのよねっていう風になるっていうのが、
僕はね、これよく忘れるんですよ。
買ってくるの忘れて、なんかあそこにあったな、あれなんか行ってたな、
もう行かなきゃみたいな感じでね、帰っちゃって、
なんかあれ買わなかったんだよねみたいな、
なんで買わなかったのってね、
言われたりとかするんで、
これはしっかりやらなきゃなって、
ちょっと時間を込めて考えて思っています。
そんなわけでですね、
贈り物というのは、
その人のことを考えているよっていう事実が含まれている、
そういった感情をメッセージとして伝えることができる。
何かを贈るという恋は、相手への感情の象徴なんですね。
誕生日プレゼントを贈る時とか、
つまり普段の感情とか愛情もそこに含まれた上であげますよね。
物だけでは価値を持つんじゃなくて、
それをあげるっていう行為に愛情を感じる。
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さっき言ったお土産も同じだと思うんですよね。
この本書の中では、
お土産については書かれていないんですが、
日本的な感覚で言うと、
お土産っていうのも、
その人に対して愛情を感じさせるツールというとあれですけど、
その人にとっての愛の言語が贈り物である場合は、
お土産というのはとても大事なイベント、
大事な行事になってくるんじゃないかなと思います。
そして、贈り物それ自体も相手への気持ちの象徴である場合もあります。
その贈るという行為だけではなくて、
贈り物それ自体が象徴である。
何なのか。
例えば結婚指輪ですね。
二人を愛で永遠に結びつける、目に見えない絆。
そういった概念を形にしたのが結婚指輪ですよね。
夫婦喧嘩をして、
このバカヤローって言われて結婚指輪を投げつけられたりしたら、
めっちゃショックを受けるじゃないですか。
カラカラカラって結婚指輪が床に転がって、
カラカラカラーって音を立ちたりとかしたら、
ショックですよね。
えーってなるじゃないですか。
指輪を投げつけられてツボが出ていったりしたら、
めらいショックを受けますよね。
なんでこんなショックを受けるのか。
ただの金属の塊ですよ。
ただの金属の塊。
もう数十グラムの金属の破片が散らばっている。
そこで起こっているだけじゃないですか。
だけど強いショックを受けるのはなぜなのか。
それは結婚指輪というのが、
二人の愛を象徴しているからなんですね。
投げつけられた指輪というのは、
破綻した夫婦関係の、
まさにその結晶化した存在であるということなんですね。
概念であると。
床に転がった結婚指輪は、
破綻してしまった夫婦関係を象徴しているということになるから、
ショックを受けるんですね。
ただ人によって結婚指輪は、
はめないよって人もいると思うんですよ。
別に俺たち愛し合ってないわけじゃないけど、
指輪ははめないんだよね。
ただなんかちょっとなんか、
好きじゃなくてさみたいな。
っていう人もいると思うんですよ。
で夫持つのも別にそこに何か特別な思いがあるわけじゃなくて、
ただはめないっていうだけ。
そういう場合その人の愛の一時言語が、
贈り物ではなかったというだけのことだと思うんですよね。
でも自分の妻の愛の一時言語が贈り物ならば、
僕ら自分自身の一時言語が贈り物でなくても、
妻の愛の言語っていうのを尊重してあげないと、
妻に僕らの愛は伝わらないんですよね。
指輪なんかただのものだろうと、
金属の塊だろうと、
何か数十グラムのシルバーだろうと、
数十グラムのプラジオだろうと、
夫婦関係に何の意味もないだろう、
あんな金属の塊は。
なんてことを言ってしまったら、
妻はあなたの愛を感じることはないし、
09:00
あなたも妻の愛を感じることはないんですよね。
これ僕、結婚指輪買うつもりなかったんですよね、昔。
結婚したばっかりの時に、
何の意味があるのって、
そんなことを普通に言ったんですよ。
何のために指輪するのって、
従業界の策略だろうみたいな感じのことを言ってて、
婚約指輪も買わなかったんですけど、
お金がないから買えなかったというのもありますけど、
買ったか買ったけど、
露店で買った500円の革製の指輪を買って、
プロポーズの時ですけど、
それをはめて結婚してくださいみたいなことを
言った時には買ったけど、
高い指輪は買わなかったんですよ。
意味がないだろうって僕は思ってたんで。
だけど、それに意味があると思っている人もいるんですよね。
そこはその人それぞれだと思います。
ただ結婚指輪は、
僕は最初意味がないと思ってたんだけど、
妻にとってはすごい大事なもの、
大事な象徴だったってことが分かったので、
作ることにしたんですよね。
普通に買ったら、
既製品とかって、
普通に買うじゃないですか、
デパートとかで。
普通のやつが嫌だったので、
二人で手作りして、
金型とか原型とか作って、
二人で手作りしたんですけど、
そんな感じで指輪というのは、
愛の象徴であると考えるタイプの人もいるってことなんですね。
自分がそうじゃない場合っていうのは、
何も自分の愛の一時言語を変える必要はないと思うんですよ。
僕自身も、
これにそんなに大きな意味がないって思うこともあるんですよね、
贈り物とかに関して。
だけど、
二次言語として僕はそれを学んだんですよ。
指輪なんか意味ないだろうって、
ただの金属の塊じゃんって僕は思ってました。
今でもそういうふうに思ってる節はあるんですけど、
僕の母国語が日本語で、
第二次言語が英語であるっていうのと同じように、
僕にとっては第二次言語は贈り物ということで、
僕はそれを学んでるんですよね。
だから妻にとって贈り物が大事なものであるってことは、
僕は学習したんです。
だからそれを大事にしようと考えてるんですね。
妻と自分で愛を感じ、伝えるポイントが違う。
愛の言語が夫婦で異なるってことに気がついたならば、
それは夫婦関係改善のチャンスだと思うんですね。
相手を理解するチャンス、
相手と自分の距離を縮めるチャンスだと思います。
それから本書の中では、
贈り物というのは何も高価なものでなくても構わないってことが書かれてます。
プレゼントにお金をかけることに躊躇する人もいると思うんですよ。
え?贈り物をするのに偉いお金をかけ続けなきゃいけないじゃん、
みたいなふうに思う人もいるんだけど、
そんなにお金をかけて効果あるの?とか、
12:00
プレゼントして機嫌が良くなるってちょっとおかしくない?
根本的な問題解決されてないよね?って思う人もいると思うんですよ。
僕もそういうふうに思う人があったりするんで、
分かるんですけど、
お金を貯めたり投資したりする、
お金を大事にするタイプの人にとっては、
妻への贈り物に意味を見出さない人もいるかもしれません。
特に自分のためにお金を使わないっていう人はそうですよね。
妻への愛の表現としてお金を使うってことに
戸惑いを感じると思うんです。
でも、お金を貯めたり投資をするというのは、
将来の安心感を買っているっていうことかなって思うんですよね。
そして、妻の愛の言語が贈り物である場合、
そんな妻への贈り物のためにお金を使うってことは、
将来の2人の安心感を買っているってことだと思うんですよ。
幸せな夫婦、幸せな夫婦、
これを手に入れるための投資であり貯蓄なのかなって思うんです。
最後はですね、妻のそばにいること自体が贈り物になるという話で
最後にしたいと思うんですが、どういうことなのか一応わからないですよね。
そばにいることが贈り物って何?って思うと思うんですけど、
これすごい単純で、妻があなたを必要としているその時に
妻のそばにいてあげることってことなんですね。
贈り物が愛の一時言語の人にとっては、
それが大きな愛の贈り物であるというふうに言われています。
例えばどういう時なのかっていうと、
仕事ですごい嫌なことがあった時にちょっと聞いてもらいたいという時とか、
子育てで子供に対して叱りたくないのに叱ってしまって、
すごい自己嫌悪を感じている時って、
私はなんてダメな親なんだ、ダメな母なんだって思ってしまっている時とか、
そういう時にそばにいてほしい、話を聞いてほしいと妻が思うんですね。
その時にそばにいてあげて話を聞いてあげるっていうこと、
それ自体が妻にとっての贈り物になるってことなんですね。
あとは例えば大きな出来事で言うと、
子供を出産する時とか、すごく不安じゃないですか。
そういうすごい不安な人生の一番イベントの時にそばにいてほしいと思う。
それからこれはとても悲しい出来事ですけど、
子供が出産して収穫をする時とか、
その収穫日とかですね。
そういった時にそばにいてあげること、それが贈り物になる。
何もできなくていいんですよ。何もできなくていいけど、
すぐそばにいて、そこにいてあげましてくれること、
そばにいて気持ちわかってくれること、
それ自体が、ただそこにいるっていうその存在だけが贈り物になるんですよね。
ただね、妻に辛いことがあった時とか、
妻が相談ごとしたい時とかって、
つい僕らってその問題を解決しようとして、
解決案を提示したり、
15:02
なんでそうしないんだって詰めよったりとかしちゃう時あると思うんです。
僕もしちゃうんですけど。
だけど妻にとっては、ただ話を聞いてほしいと、
さっき言ったいくつかの例みたいにね。
ただ話を聞いてほしい。この辛い思いをわかってほしい。
ただそばにいてほしい。ただそれだけっていう時があるんですよね。
ただそばにいてほしいだけ。話を聞いてほしいだけ。
この私の横に座って、
この同じ空間、この同じ時間を共有してほしいだけだという時がある。
アドバイスが欲しいわけでもなく、
性的な言葉に発展することを望んでいるわけでもなく、
ただ一緒にそこにいること、ただそれだけを望んでいるってことです。
男性としては、それに何の意味があるのかと思うかもしれないです。
だけど、贈り物が愛の一時言語である女性にとっては、
ただそばにいてくれること、ただそばにいること、
ただそれだけが何よりも愛の証明になるんですね。
贈り物の価値というのは、経済的な価値にあるのではなくて、
物という存在にあるのでもなくて、
ただ自分の夫から感じられる愛、
ただそのものにあるんじゃないかなと思うんです。
はい、ということで、
明日は第4の愛の言語、サービス行為についてお話をしたいと思います。
この贈り物についてはですね、
こんなことがあって、
僕、昔社員旅行で沖縄に行ったんですけど、
あまりに楽しくて、妻にLINEをしなかったんですよね。
1日半くらいかな。
そしたら妻のインスタをブロックされて、
子供の写真が見れなくなったんですよね。
僕、どっかで出張に行くときとかあって、
妻のインスタを楽しみにしてて、
子供の写真とかを見ていったりとかするんですよね。
それをブロックされたんです。
何が起こったかわからなかったんですけど、
妻に連絡をしたら、
僕は妻のことを忘れているんじゃないか、
忘れてたんですけど、忘れていることに対して、
寂しさ、孤独感を感じていたんですよね。
それが僕は分かっていなかったんですけど、
それがあったので、
僕の妻はガーッと怒ったり止まったりしないタイプですけど、
ひたすら寂しさとか孤独感ってことが伝わってきたので、
なんとかしなきゃなと思って、
帰るときに大量のお土産を買って帰ったんですよ。
そんなことをして何の意味があるのかとか、
これだけやるから許してくれみたいな、
勘ぐられるなみたいな、
いろいろ思ったんですけど、
できることは全部やるしかないと思って、
ひたすら謝ったりとか、申し訳なかった話もしつつ、
大量のお土産を妻のためだけに買って帰った。
何万円もしたんですけど、
18:01
大量のお土産、大したもん売ってないですけどね。
空港とかお土産屋さんで売ってるもんって、
大したもんないんだけど、
いいものを化粧品とかそういうのとか、
珍しいものとかを、
大量に買って帰ったんですよ。
そしたら、こんなもんいらねーわとか、
言われるかなと思ったけど、
喜んでくれたんですよね、意外に。
めっちゃたくさん渡したんですけど、
意外に喜んでくれて、
ちょっと機嫌よくなったんですよ。
買ってよかったってすごい思ったんですよね。
それ以降の数年後に海外出張行く時があって、
その時に同じことやったらまずいなと思ったんで、
妻にお土産のリストを作ってもらったんですよね。
買ってくるもの、お土産、
何欲しいかっていうのを書いてくれって言って。
結構なリストになって、結構なリストになって、
それもね、ちゃんと忠実に買い物をして、
初日か二日目に全部買いましたね。
これだけ忘れちゃまずいと思ったんで、
忠実にすべてを買って帰ったら、
すごい喜んでくれて、
こんなことで喜んでくれるんだって。
僕がそういうタイプじゃないんで、
僕は物とか買うタイプじゃないんで、
分かんなかったんですけど、
その感覚がね、分かんなかったんですけど、
そういうことで喜んでくれるんだって。
それで私のことを考えてくれている、
思ってくれているっていう愛情を
そこに感じることができるんだなっていうのが
学びを得た体験でしたね。
大なり小なり皆さんにも
その体験があるんじゃないのかなって思います。
はい。
ひょっとしたまちで、
今日も最後までありがとうございました。
また明日お会いしましょう。
さようなら。
19:48

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