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2021-07-06 23:30

#144 1人の人を死ぬまで愛し続ける限界とは?

現代に生きるぼくらは一夫一婦制の元、夫婦生活を送っている。だけど世界には多夫一妻制もあれば、一夫多妻制もある。なぜそれらの制度は生まれたのか?そして、現代の一夫一婦制は時代に即しているのか?なぜぼくらは息苦しさを感じるのか?質問箱➡︎ https://peing.net/5a2fc6bdc1d35b カウンセリング➡︎ https://note.com/atsuatsu/circle
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アツの夫婦関係学ラジオです。このラジオでは、妻との関係内容に男性向けに夫婦関係改善のヒントになる発信をしています。
今日お話したいことはですね、一夫一婦制、男女それぞれが一人ずつ結婚すると、一夫一婦制ですね。
これの限界とはということで、ちょっと考えてみたいなって思います。ちょっと僕もまだ、
考えがまとまっているわけではないんですけど、ちょっと調べたこともとにお話しながら、
ちょっと思考を深めていきたいなって思います。 えっとですね、ちなみにこの一夫一婦制の限界についてなぜお話するかなんですけど、
妻との関係を改善しようと思った時に、長く男女がいつまでも付き合い続けることの限界について
思ったことがある方きっといると思うんですよね。 こんなに長い間、結婚して死ぬまで愛し合う夫婦ってそういうふうに言われてますけども、
そもそもそれって可能なのかっていうことと、この現代において一夫一婦制というのは適切な婚姻制度なのかといったことを
もしかしたら考えた方もいらっしゃるかもしれないなと思うので、ちょっとそのことについて今日は考えてみたいなって思います。
ちなみにですね、一夫一婦制を考えるにあたって、その正反対の制度がありますよね。
妻が一人で夫がたくさんいる一妻多婦制とか、一夫多妻制、一人の夫に妻がたくさんいるというこの2パターンがあると思うんですけど、
これらの違いについてもちょっとお話をしながら、現代に求められる婚姻制度とは何なのか、そして今
我々が選択している一夫一婦制というのは現代に向いているのか、どういった問題点があるのかということについて、ちょっと僕の考えをお話していきたいなと思います。
まずなぜ一夫一婦制の継続というのは難しいのかというと、そもそも人間というのは恋心、特定の相手に対する恋心というのは3年で切れてしまうんですよね。
フェネレンチュラーミンという神経転達物質があるんですけど、恋愛ホルモンと呼ばれていて、これは3年で同じ相手には
切れてしまうんですね、効果は。なので同じ相手には飽きてしまうという、そういう使用の生物なんですね。
あと人間は、生物全般ですけど、多様な死を残すようにプログラムされていると言われますよね。
いろんな災害が起こったりとか、いろんな問題が起こった時に、全部の人間が滅ぶのではなくて、特定の性質を持った人間が生き残るためにも
多様な死を残す必要があると。そのため、多くの異性と性交渉を繰り返して、たくさんの、そしてバラエティに飛んだ死を残すことが
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人間ではプログラムされているというふうに言われています。 生き残るために種として優位だということですよね。
これは裏付けるかのようにですね、この地球上に存在する多くの種は不特定多数の
異性と性交渉を繰り返します。生涯をたった一人の特定のパートナーと過ごすと呼ばれているのは、ブレリーハタネズミと呼ばれているネズミだけなんですよね。
あと世界中の国の統計データを見てみると、結婚後、何年後に離婚するかというのがですね、時代、国、文化背景を問わずに、結婚後3年から5年というふうに言われてるんですね。
このようにして、そもそも人類というのは、結婚して3年から5年程度で、相手が飽きてしまって離婚をする傾向が強いと言われている。
これだけを見ると、人間というのは、今現代を生きる僕らというのは、一歩一歩進めて向いていないんじゃないかというふうに思いがちなんですよね。
一人の人間と死ぬまで愛し愛し続ける、特定のパートナーと死ぬまで一緒に暮らし続けるということ自体が無理があるんじゃないかというふうにこう
いったデータとか、進化生物学とかの話を聞くと思えてくるわけなんですよ。
じゃあ、一歩一歩性ではなくて、一歳多婦性とか一歩多妻性というのはどういったものかということなんですけど、
一歳多婦、一人の妻にたくさんの夫のパターンというのはですね、
これは古代、人間、男が遠くまで戦いに行かなければならない時代というのがあって、
そういった地域で生まれた人間というのは、戦いで男が盗むの間、女性を守ることができないんですよね。
そのため、兄弟で一人の女性を共有するということが起こりました。
これが一歳多婦性、一人の妻に対してたくさんの夫がいる制度の始まりだと言われています。
これは一万年前に始まったと言われていまして、一万年前のホモサピエンスサピエンス、僕らは原生人類ですね、が
定住生活を始めた頃から始まったというふうに言われています。そしてこれは紀元前3000年のエジプトやアジア最古の濃厚民族でも
見られる傾向、もしくは戦士社会、戦士の社会と言われていたスパルタですね、スパルタでも見られた制度でした。
さらに言うと古代ノーマでも一歳多婦性というのは事実上存在をしていて、古代ノーマの有名な政治家カイサルですね、
妻は投げられたとか、そういった言葉で有名なカイサルも、死の直前に女性に望むだけの夫を持つ権利を与える法律を交付しようとしていたと言われています。
この一歳多婦性の起源というのはこのようにして一万年前から始まっていたと。その理由は男が遠く前に戦いに行った時に女性を守れないとか、
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もしくは男が戦いで死んだ時に家族を守れないために兄弟で、兄とか弟とか二人とか三人で一人の女性を共有するといった必要性から生まれた制度だと言われているんですね。
現代ではそんなことないんですけど、ただその文化として未だに残っている地域がありまして、インドのマラバールとかナダグという地域とか、
あとチベットやブラジルですね。ブラジルのグアヤキ族という民族とか、中国南西部の雲南地方のモソ人と呼ばれる民族ですとか、そういったところでは今でも一歳多婦性が残っています。一人の妻にたくさんの夫というのが。
なんで現代でもこんなことをしているのかというと、土地が荒れていて、その土地の生産性が少ないんですよね。土地が荒れているので。さらによって土地も少ないと。
土地が荒れていて土地が少ない。その生産量が少なくて土地が少ないとなると、土地を大勢の人間で細分化できないんですよね。分けることができないんですよ。
例えば子供が生まれて長男、次男、三男がいたとして、それぞれが結婚して外に出ていくと、その三人に対して、長男は家を継ぐとして次男と三男が外に出て行って畑を継ぎますという時に、
継ぐ畑というのがないんですよね。土地が少ないので。さらに土地も荒れているので。だからその次男と三男は外に行って結婚して、また新しい家族の共同体を作ることが難しいわけです。
生きていくための耕す土地がそもそもないので。 なのでこういった民族では長男の
嫁というのも兄弟全員で共有するという文化があるそうなんですね。そうすると次男とか三男は外に出ていかなくていいので
土地についての悩みはなくなるわけですね。家族全員が持っている土地をみんなで耕す。そしてそこから取られるもので暮らしていく。
というふうにやられています。この生徒は今でも地球上にあって世界人口の1%程度が一歳卓越生というふうに言われています。
期限を考えると必要性に迫られてそういった文化、一歳卓越生というのが生まれたということがわかりますよね。
戦いに行く間妻を守るためとか土地が荒れていて土地を再分化できないと。そのために家族も再分化することができなかったので
奥さんを一人にして妻を一人にして長男の妻を家族全員で共有すると。
もう一本の一夫多妻制これどうなのか。こっちの方が有名ですけどこれどうなのかというと8000年前に中国や中東で始まったというふうに言われています。
この期限というのが当時何千年も昔って子供がなぜ生まれるのかというのを人間よくわかってなかったそうなんですよね。
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女性から生まれてくるというのは見ればわかるので女性がどうも関係していると女性が子供をほとんど産むようだと。
男性がそのときに関係しているというのはあまり男性がわかってなかったそうです。それが8000年前にどうも子供はどこからくるようだと。
そういう成熟に役割を男が理解したのが8000年前頃と言われているんです。
そうなると子供は男がいないと生まれないということは子供は男のものだというふうにこの8000年前の中国人は考え始めたわけなんですね。
そして最大限広い土地で働くために最大限の子供が欲しいと。
なので最大限の女性に子供を産ませたりとかするように考えるようになってきたわけですね。
その当時は女性というのは財産扱いだったんですね。
娘とかが生まれた場合はその娘を他の男性に売ったりとかすることもあったんですね。
財産、本当にお金みたいな感じで扱っていたってことですよね。
今から考えるとちょっと考えられないような状況なんですけど。
あとは集団結婚からスタートしたという話もありまして。
姉妹との結婚という集団結婚から一夫多妻制が生まれていったというふうにも言われています。
一夫多妻制というのは支配者層に多いというふうに言われてますね。
一人で多くの女性を養っていくとなるとそれは大変ですよね。
メインの稼げ手が男性一人となるとたくさんの妻を生きていかせるため、子供たちも生まれますからね。
国道を稼ぐためにも稼げないとたくさんの妻や子供を養えないですから。
逆に一人の妻でたくさんの夫の場合は稼げ手である男性がたくさんいるのでそこまで困らない。
だけど稼げ手である男性が一人で女性や子供がたくさんいる場合は稼がないと養えないので支配者層に一夫多妻制が広まっていったと言われています。
男女の価値って大体同じじゃないですか。
同じなので一人の男性がたくさんの女性を確保しちゃうと女性が足りなくなるんですよね。
そうなると男は外に女性を捕まえに行くわけです。
自分の民族とは関係のない民族の女性を。
それが定住民族と異牧民族の争いにつながっていって戦争にもつながっていったと言われたりしています。
これが一夫多妻制のお話なんですけれども、
これももともと起源は必要性に迫られてスタートしたというところがあります。
子供はたくさんいたほうが幅広い、最大限の広い土地で働くことができて、
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収入もたくさん増えると、そして自分を養ってもくれると、
自分が老いたときに介護もしてくれて、
あの世に行くときに最大限の組織をしてくれるということで、
一夫多妻制というのが広まっていったと言われています。
そしてだんだんと人類が定住生活を継続していく中で、だんだんと裕福になっていった。
平均年齢も8000年前というのは30歳を超えたそうなんですね。
それ以前はもっと短かったそうなんですけれども、平均年齢がどんどん上がっていって、
富も蓄えられるようになっていって、支配者層が現れてきた。
そして富がたくさんある支配者層は、たくさんの女性を囲って、
たくさんの子供たちを産んで、自分の財産をさらに広げていったと言われています。
じゃあ今の一夫一婦制ってどうなのか、現代に合ってるのかって話なんですけど、
現代の生活において、日本の生活を考えてみると、
さっきのような一妻多婦制とか一夫多妻制というのが、そんなに必要ではないわけですよね。
求められないと思うんですよ。
物理的な畑が存在して、それを細分化して家族を再生産していくという生活を僕らはしてないですし、
遠くまで戦いに行って、その間女性が誰かに奪われるということもないわけですから、
そうなると一夫一婦制というのは、現代に適しているんだろうなと思うんですね。
なんですけど、厄介なのが、他の異性との性交渉とか恋愛、婚外恋愛と呼ばれるものというのが、
倫理観によって縛られているという現象が存在します。
とはいえ、離婚自体は可能なわけですよね。
嫌になれば離婚も、どこの国でも離婚することは、世界中の全ての国が分かりませんけど、
少なくとも日本においては離婚することはできます。
なので婚姻期間に限って一夫一婦制ということでもあるんですけども、
だけど気軽に離婚できる国、アメリカとかはよく簡単に離婚すると言いますけど、
気軽に離婚する国もあれば、離婚に躊躇する国もあるわけですよね。
日本はそうだと思うんですけど、離婚する人が増えているとはいえ、
簡単に私も離婚するわみたいな人は周りでたくさん聞かないじゃないですか。
気軽に離婚できるというわけでもないわけですよね。
これは婚姻期間中に他の異性との性交渉をすることは、倫理的に正しくないとされているわけですね。
気軽に他の異性との性交渉ができなかったりするために、
離婚ということは制度上はできるんですけど、
現実的に考えると単純ではなく、
そして他の異性との出会いや、他の異性との関係の継続ということも単純ではないわけですね。
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これが簡単に誰も許してくれる当たり前の世界であるならば、
こんなに僕らは困らないんですけども、倫理的な部分で縛りが入っているので、
実質的な一歩一歩制なわけですね。
これが現代に向いているのかというと、今は戸畑の家庭がほとんど多いじゃないですか。
専業主婦でなくて、パートタイムであったとしても経済力が上がるわけですよね。
夫がいて妻がいて、たとえその妻がパートタイムであろうとフルタイムで働いていようと、
働く、稼げる収入が増えるので、子供をより養いやすくなるんですよね。
なので、戸畑だけがメインになっている現代社会においては、
2人で稼いで子供を養うという点においては、現代生活に一歩一歩制が向いているんだろうなとは思うんです。
一方で、戸畑だけがメインになってくると、女性がどんどん社会に出てきますよね。
出ていくと、徐々に夫に依存しなくなるなということも僕は思うんですね。
良いか悪いかじゃなくて、そういう現象があるんだろうなと思っていて。
社会に出ると、そうなってくると、一人の女性として夫婦から妻が自立していく状況になるんだろうなと思うんです。
それは男女関係において特にそうだなと思っていて。
男女としての関係性というのは、夫婦生活が長ければ長いほどだんだんと希薄になっていきますよね。
夫の姿は見えたけど胸がドキドキして止まらないとか、妻の姿は見えたけどドキドキして止まらない。
15歳の時の気持ちからずっと変わらないみたいなふうな人ってほとんどいないと思うんですよ。
多くの人は出会った時の恋愛感のドキドキというのはだいぶ減っていると思うんですね。
だけど、新しい異性との出会いがあってすごいドキドキできる人間が現れた時というのは、
そういったかつてのまるで10代の時のような恋愛感のドキドキとか、それを感じると思うんですよ。
これが一歩一歩ずつに縛られているとないわけですよね。
あとはセックスはもちろんマンネリ化していきますと、性交渉はマンネリ化していって、
そういった性交渉のワクワク感を求めて外に出て行ってしまう人も中にはいます。
じゃあ、こういった点において一歩一歩縛っているのはちょっと障害があるなというふうに僕は思うんですね。
恋愛のドキドキ感がなかったり、性交渉自体をマンネリ化していくと。
一方で恋愛のドキドキというのは、果たして必要なのかというところもあるわけですね。
恋愛のドキドキがないと生きているこの実感が感じられないとか、
毎日がつまらないと張りがないとかということもあるのかなとある人もいるんじゃないかなと、
思うんですよ。
この恋愛のドキドキを外に求めるようになると浮気とか不倫とかになってくるんですが、
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この相手に対して、パートナーに対して、妻に対して、夫に対してのドキドキ感、
この人素敵だなって思うような、そういった現象というのは、
恋愛じゃないとダメなのかなと僕は思っていて、ここまだ僕整理している最中なんですけど、
恋愛家のドキドキを10年以上付き合っている妻とか夫に対して求めても戻されてないと思うんですよ。
じゃなくて、恋愛のドキドキじゃなくて、そのドキドキ感というのは、
この人のことをもっと知りたいと思う衝動であったりとか、
知っているあなたと知らないあなたの差分が刺激になったりとか、
ということじゃないのかなと思うんですよ。
そういうこともあるんじゃないのかなと思うんですよ。
ここの妻とかこの人。
本当のことが何もかもわかってる、
まあこういう人だよねと分かってるって言って
妻の事も妻ってこういう人だよね、こういうとこあるよね、みたいな
何もかも解り尽くしてると。
つまらないと。
面白くないと。
面白みがないと。
趣義がないと。
もうこの人のことは何でもわかってると。
もうこの先何もないと。
このあなたの先の道には何もないと。
あなたという人間の先には何もないと。
もう見飽きたと。
壁があると。
目の前に壁があって、それ以上先がない、面白くない、雰囲気がない、つまらないというふうなことも
一歩一歩急いで行き詰まってしまう原因の一つなのかなと思うんですよ。
それって人間としての成長があれば、
そのドキドキ感というのをまた感じさせることができるんじゃないのかなと思うんですよね。
人間的な成長って何?というところが僕もはっきりと定義できないんですけど、
新しいことを学びたいという知識欲であったりとか、
この世界をより良くしたいと思う気持ちであったりとか、
誰かのことを助けたいと思う気持ちであったりとか、
自分自身を高めたいと言うと漠然とするんですけど、
例えば複数の外国語をマスターして、たくさんの国の人と会話をしてみたいとか、話をしてみたいとか、
例えば僕の場合だと、夫婦関係学というのを極めたいと思っているので、
日本語圏以外の英語圏の知識にも触れたいと思っているので、英語をもちもち勉強したりとかしているんですけど、
あとはそういった進化心理学に関する本を読んだりとか、心理学の講義を、
外国の大学院の講義をオンラインで受講したりとか、そういったことを結構やるんですね。
そこで新しい知識とか体験とかがあるので、それについて妻とシェアをしたりとかするんですよね。
あとは僕、妻との関係、いつまでも愛し愛される関係で世界中の夫婦が生きほしいと思っているので、
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妻との関係で男性向けにアドバイスとかを行っているんですけど、
そういった活動、あと最近はコミュニティも作ってお互いに励まし合ったりとか、
一人で続けるのは孤独ですから、その孤独を紛らわせるような仕組みを作りたいなと思っていて、
そういった行動をしたりとかするんですけど、多分そういった今の現状の自分に留まっているんじゃなくて、
その先、自分がやりたいっていうものがあって、そこに向かって動いていくっていうその行動を見て、
妻は私の知っているあなたじゃないと思うと思うんですよね。
自分の知っている夫と自分の知らない夫がそこにいると、その差分に対して妻は刺激を感じるようになるんじゃないのかなと僕は漠然と考えているんですね。
というのも妻はよく僕に言うんですけど、あなたと一緒にいると旅をしている気持ちになるって言うんですよね。
僕はもうしょっちゅう何回も、5回くらい転職してるんですけど、何度も何度も転職したりとか、いろんなことに興味を持って飛び込んでみたいなのがよくするので、
そういったところを見て、まるで一緒に旅をしているかのようだって言うんですよね。
多分こういったところがその恋愛感のドキドキとはまた別なドキドキだと思うんですよ。
この辺に何かしらのヒントがあるんじゃないのかなと僕は思っているんですよね。
それについてはまたちょっと思考をまた深めて別な回にお話をしたいなと思っています。
はい、ということで今日は一ペ一ペ性の限界とはということでお話をさせていただきました。
ちょっとね、これはまだまだ僕もいろんな話を調べたりとかして、もっと思考を深めたいなと思うので、別な機会でまたまとめたいなって思います。
はい、ということで今日の話は終わりなんですけども、質問箱の方で何と問わず夫婦関係に関するご相談を受けておりますので、ぜひそちらをご利用ください。
また妻との関係改善に向けて悩んでいる方、まさにその真っ只中にいるという方はぜひご連絡をください。
ノートのサークル機能を使って、あすの夫婦関係オンライン関わせが絶えますという名前でアドバイスをさせていただいています。
妻と関係の悩む方の参考になれば幸いです。
はい、ということで今回も最後までありがとうございました。
それではまた明日お会いしましょう。さようなら。
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