安心感がないのに、やりなさい、むしろ、みたいな感じで押しつけているようになるわけですよ。
押しつけているにももちろん理由があって、断っている側から精神的に傷を負っている、心の傷つきの体験を負っているというケースが多いんですね。
それによって、攻撃を受けていると脅威的だと脅威を感じて、人が脅威を感じた時に、攻撃されたと思った時に自分も攻撃したり逃げたり固まったりするという本能的な反応をとるんですけど、
その攻撃のパターンをとっているんですよね。
してくれないことによって心に傷つきの体験を負って、相手に対してつい攻撃をしてしまうと。
なのでヒントの話をして、最低この月に3回しなさいとかしろとかという話をしてしまう。
それを押しつけられた方は、それは攻撃だとか攻撃と受け取ってしまって、さらに脅威を感じてどんどん距離が広がっていくというふうな循環が生まれていくわけですね。
なぜならば、そこに安心感がないからです。
安心感がなければ精神的な距離が近づかないんですよね。
情緒的な絆がないから、肉体的な絆を結びたいと思えないんですよ。
いきなりその夫婦だからセックスをするべきだというふうに思いがちなんだけど、
夫婦だからという言葉の定義は、2人がお互い思い合っていて、情緒的な絆があるという定義じゃないのかなと思うんですよ。
だからセックスができる話で、
土台となる精神的な絆、情緒的な絆、安心感がそこにいなければ、そもそもしたいと思えないんですよね。
なので安心感がないから、できない本当の理由を相手が話さないという問題が起こってくるんですね。
例えばできない本当の理由で言うと、
男性の場合は妻が怖いとか、過励の問題が実は年を重ねてきて、
体力的な問題とか年齢の問題でなかなかできなくなっているとか、
妻側の本当の理由で言うと、
無理矢理させられてセックス奴隷みたいな、性奴隷みたいな扱いを受けているように感じる、
それが辛い、悲しい、むなしい、情けない、恥ずかしいといった気持ち。
あとは自分自身の先ほどのような性奴隷のような扱いを受けていることへの、
そういった気持ちへの夫からの否定だったりとか、
それ以外の日常生活の中で感じている、
悲しさと寂しさ、むなしさ、孤独感とか、
そういった感情を否定されて傷ついているということ。
傷ついているから安心感を感じることができない、だからセックスができないということなんですけど、
こういったできない本当の理由を話せなくなっちゃうんです。
安心感がないと、これを抜かせてはいけないんですよ。
なので、セックスの頻度の話し合いというか、
セックスの問題を解決したいと思ったときにどうすればいいのかというと、
安心感を作ること、そこに存在しない安心感をまず作ること、
頻度の話し合いをする前に安心感を作り上げていくこと、
作り上げていくことというのが大事で、
どうやってやればいいのかというと、
できない理由を相手の立場に立って考えてみるというのがすごく大事で、
そもそもなぜできないのかというと、その理由を相手から引き出していく必要があるんですよね。
イギリスの言葉でPut on someone's bootsという言葉があって、
この言葉がすごく好きなんですけど、相手の立場に立って考えてみる、
相手の靴を履いて世界を見てみる、相手の視点を持って世界を中見てみる、
というのが必要になってくると思うんですね。
だけどこれ難しいんですよ。なぜ難しいのかというと、
夫婦だから難しいんですよ。これが他人とか部下とかだったらやれると思うんですよ。
やってる方もいると思うんですよね。
部下の視点にとって自分のこの絵を考えて見直してみるとかはできると思うんだけど、
夫婦となるとすごい距離が近いじゃないですか。
お互いの距離がすごく、心理的な距離がすごく近いので、
相手に遠慮しなくなってしまったりとか、期待するものも大きいですよね。
大事にしてくれるはず、大切にしてくれるはず、
大切にしてほしいという気持ちがとても強いので、
その気持ち自体は悪いことじゃないんですよ。
だからそれをやめろという話じゃなくて、そういった気持ちがあるからこそ、
僕らはこの話題をすごくデリケートに扱う必要があるんですよ。
相手の感情を扱うというのが。
できない理由を相手の立場に立って考えてみる。
相手の立場に立って夫の立場、妻の立場に立って考えてみる。
ということはとても難しいんだけど、
だけど僕、夫婦関係の改善をするにあたって、ここを避けて通れないし、
これしか道ないんじゃないのかなと思ったりもするんですよね。
相手の立場に立って考えてみる。
いかにそれをできるようにするかというところが大事なのかなと思っていて、
どうやって安心感を作るか。
相手の立場に立って安心感を作っていくかですけど、
僕は3つのステップがあると思っています。
まずは自分が辛いという視点を外すということですね。
なかなかセックスをしてくれないと、いつも断られると、断られてしまうとなると、
被害者意識というか、そういった気持ちも出てくるじゃないですか。
被害者意識という言葉が悪いですね。
相手が大切にされていないと感じる傷つきの体験というのがとても増えてきますよね。
そうすると、なぜこの人は私を大事にしてくれないんだろうとか、
なんでわかってくれないんだろうとか。
というふうな気持ちがどんどんと悲しいなとか寂しいなという、
まるで一人ぼっちでいるかのようだとか、
まるで人間のような扱いをされていないようだとか、
とても圧倒的な孤独感を感じるとか、
そういった気持ちにどうしてもなってしまうんですよね。
なってしまうこと自体は悪くなくて、
まず自分のその視点を外していく必要があるなと思っているんですよ。
どうするのかというと、この人はなぜできないのかという、
そこの問いに対して好奇心を持って探偵のように考えていくというのがすごく大事だと思っていて、
夫婦関係がうまくいっている方とか、
あとは夫婦カウンセリングをやられている方とかの話を聞いていて、
よく出てくる言葉が好奇心という言葉なんですよね。
相手の気持ちに好奇心を持って寄り添っていく前に、
好奇心を持って見つめてみるという作業がほとんどの方がやられているんですよね。
なぜできないのかという理由。
どうしても怒りの気持ちを持って入っちゃうケースが多いんだけど、
好奇心を持って入っていくと、相手を責める気持ちとかが結構なくなってきたりするんですよ。
こういうことだから、こういう理由があってできないんだなというのが納得感を得られたりするんですよね。
同時に、自分がずっと拒否され続けているから、
相手に対して好奇心を持って相手のことを考えようとしたとしても、やっぱりつらいじゃないですか。
つらいものはつらいんですよ。
ここは避けて通れないし、見てみるふりなんかできないし、するべきじゃないと思うんで、
悲しい思いをしているね、つらいよね、というふうに自分に思いやりを向けるというのも大事だと思うんですよ。
なので自分がつらいという視点を外すためには、この人はなぜできないのか、
好奇心を持って探っているのを考える。
そして悲しい思いをしているので、そんなことがあればつらいな、寂しいなって感じるのも当然だよというふうに自分に思いやりを向けるということ。
そうすることによって、誰かの視点を借りて夫の視点、妻の視点で物事を見やすくなってきます。
次は、そうやって出てきた相手のできない理由に共感するということですね。
自分に思いやりを向けながら、相手に好奇心を持って見つめていくと、できない理由がだんだん見えてくると思うんですよ。
それは先ほど言ったような、妻が怖いとか、華麗な問題、体力の問題とか、妻の期待に応えられない情けなさだったりとか、
妻は幸せにできないみじめさだったりとか、セックスに応じられないみじめさ、情けなさですよね、男性の場合は。
あと、家族と思ってしまったりとか、女性の場合も結構同じようになりますけど、
無理やりさせられている性奴隷のような扱いがつらいとか、感情を否定されて傷ついているとか、
あとはもちろん夫が怖いとかっていうのもあったりすると思うんですけど、そういった理由が出てくるわけじゃないですか。
そこに相手と同じ感情を味わう。出てきた妻の感情を受け止めるという作業ですね。
そして、それはできないよな、そんなことを感じていたら、そんなつらいことがあったら、それはできないよなって思えるまで味わう。
妻の苦しみ、夫の苦しみを味わうということですね。
どうしても、そうは言ってもって思っちゃうと思うんだけど、そこは自分に対して、
それは寂しいよね、悲しいよねって思いより向け続けて、夫ができない、妻ができない理由に対しては、
責めるんじゃなくて、好奇心を持って接していく。
そうすることによって、その相手の感情を受け止める、苦しみを受け止める、
その苦しみを味わうような感覚で感じ取るというのができるんじゃないかなと思うんですよ。
これ必要になってきます。
そして3つ目が、相手への共感を持ち寄って話し合いをするというターンですね。
この時には自分が辛いという視点を外したまま、
そして相手のできない理由の解決を一緒に考えていくというターンですね。
なぜこれを一緒に考えるかというと、そっちが考えろよとか思っちゃったりする時もあると思うんだけど、
なんでできない理由の解決を一緒に考えるのかというと、
相手はですね、あなたに対する申し訳なさとか恥ずかしさ、情けなさとかで、
自分のできない理由をなかなか直視できなかったりするんですよ。
夫側で言うならば、妻が怖いとか年齢の問題だとか、妻の期待に応えられないというのが、
まあ惨めだなと思っちゃうんですよ、自分自身が。
情けないとか、惨めだなとか、恥ずかしいなとか、
こんななっているのは自分だけなんじゃないかとか思っちゃったりするので、
なかなか直視できないんですよね、自分のそういった気持ちというの。
妻側もそうで、何か無理矢理させられて、まるで奴隷のような扱いを受けて、
都合のいい時だけセックスの相手させられて、
本当私のことなんか大事には思ってないんじゃないのかなっていうのが怖いんですよ、
それを認めることが。
だって辛いじゃないですか、そんな扱いを受けているということを認めてしまったら。
だからそれを自分では直視できないんですよ。
なのでこれはパートナー側から気づいてあげるべきことじゃないかなって僕は思っています。
感情の否定もそうですよね、それを認めること自体とても辛いことなんで。
なのでできない理由の解決を一緒に考えていくというターンですね、最後は。
できない理由を相手に一緒に寄り添って一緒に考えていくということですね、という感じです。
なのでまとめると、セックスの頻度、セックスやその解決のためには頻度の話し合いというのはあまり良くない手法ですと。
なぜならばそこに安心感が存在したいから、まず作るべきは安心感。
安心感をどうやって作っていくかというと、3ステップ、自分が辛いという視点を外す。
2つ目は相手のできない理由に共感をする。
最後は相手への共感を持ち寄って話し合いを進めていくということです。
少しでも参考になれば幸いです。