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アツの夫婦関係学ラジオです。このラジオでは、僕自身が夫婦関係改善のために行ったことや、夫婦関係改善に役立つ書籍の紹介などをしています。
このラジオを通して、あなたにとっての夫婦関係改善のヒントが見つかれば幸いです。
一時的に関係は改善したが、気がつけばまた同じことを繰り返している。
お互いに相手を非難したり、相手の非難に沈黙してしまったり、なぜ僕らは同じことを何度も繰り返すのだろう。
いつになれば幸せな夫婦というものになれるのだろうか。そんなことを考えたことはないでしょうか。
今日は、どうやって夫婦の愛情を持続させるのか、そのためのヒントについてお話ししようと思います。
今日も心理学者スー・ジョンソンの著作、私をぎゅっと抱きしめてよ、を元にお話しさせていただきます。
今まで何度かずっとお話ししてきた、情緒的飢餓とか、夫婦の愛着要求、そういったことをずっとお話ししてきたんですけど、
これらがきちんと実践できれば、夫婦関係は完全に改善できるのかということなんですが、
これに関してスー・ジョンソンは、夫婦カウンシリングでは再発率が高いということを言っているんですね。
夫婦関係性が良くなったと思っても、また以前のように軽薄な関係に戻ってしまうということですね。
実際、僕も聞いている話なんですけど、夫婦カウンシリングに行かれた方で、関係性が一時的に良くなったけど、
数ヶ月したらまた元に戻ってしまったという話を聞くこともあるんですね。
あとは、カウンシリングには行ったんだけれども、逆に関係性が悪くなったとかいう話も聞きます。
これって2つの理由があるんじゃないかなと思うんですね。
ちょっと本題に入る前にその話をしたいんですけど、
1つは心理療法のできない夫婦カウンセラーのところに行ってしまったというケースですね。
認証心理師じゃないカウンセラーというのは、何度も言ってますけど、心理の専門家ではないんですよね。
話を聞くのがめっちゃ上手いおばちゃんみたいな、そういう人もいるんですよ。
もしくは話を聞くのがめっちゃ上手いおじちゃんとかね。
若い方もいるかもしれないですけど、精神的な問題をケアすることができない、やりにくい傾向が強いなと感じて、全員が全員じゃないと思いますよ。
だけどそういう傾向が悪いなと感じるんですね、話を聞いていると。
そういうところに行くと、後からもっと関係性が悪くなったりするケースがあったりします。
もう1つの原因は、愛を持続させる努力をしなかったことだと思うんですね。
今回は主にこちらの話について話をしてきたと思うんですけど、
この妊娠は真実のカウンセリングで、例えばスージョンソンのような愛着焦点観療法を受けて、
これはすごいなと、効果が悪いなと思っても、そこで復活した夫婦の愛を持続させるための努力ということをしないと、また元に戻ってしまうんですね。
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スージョンソンは、愛は言語に似ているって言うんですよ。
言語、言葉ですね。言語に似ていると。どういうことなのかって思うと思うんですけど、
これはわかりやすく、すごい単純なんですよ。すごいわかりやすくて、
自分たち、僕ら日本人が使っている日本語の場合は、読書、子供の時にたくさん本を読んだりとか話したりとか、
もしくは親の言葉とかをたくさん聞いたりすると、語彙力が上がっていったりとかしますよね。
それで言語力が高まって、その言語力を毎日毎日の生活の中で使ったり聞いたりすることで維持することができますよね。
当たり前に僕ら今やってますけど、外国語の習得も同じじゃないですか。
ヒアリング、スピーキング、ライティングというのを通して言語を習得でき、そしてその努力を継続することによって言語力を維持することができる。
逆に言うと、その努力を継続しないといつの間にか忘れちゃうんですよね。
英語の勉強とかもそうですけど、僕もやってますけど、やり続けないとどんどん忘れちゃうんですよ。
聞き取れなくなるし、話せなくなるし、書けなくなる、読めなくなっちゃう。
愛もまた同じだと言うんですね。
せっかく覚えた愛という言語を使わないとどんどん忘れていってしまうということを言ってます。
すごいわかりやすいですよね。
今まで話してきたような情緒的危機感の存在であったりとか、愛着要求とか、悪魔の対話の陥らないための会話、こういったものを日常生活の中で言語として使っていく。
愛という言語として使っていく。
使い続けていくということですね。
じゃあ、愛を持続させるためにはどうしたらいいのかということなんですが、本書の中では5つ挙げられています。
結構多いのと、解説をしないとちょっとわかりにくかったりするので、1個ずつ話をしていこうと思うんですね。
今日はそのうちの1つ、危険な箇所を迂回するということについて話をしていきたいなと思います。
これは316話で悪魔の対話についてお話をしましたよね。
夫婦がお互いに相手を攻撃し合うという夫婦喧嘩の場合、自分の安全が脅かされているというふうに脳が判断して、相手を排除しようとするということなんですね。
異性的になれなくて、まるで野生の獣のようにお互いを傷つけ続ける会話、これが悪魔の対話でしたね。
それから317話では抗議のポルカについてお話をしました。
一方は攻撃して一方が黙り込む。
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攻撃している方は相手から反応がもらえないので、愛着不足とか心的な分担というのを感じるんですね。
そしてそういった分担を感じるから、余計危機感を感じて情緒的にけがに陥りやすくなってきて、非難という名の抗議をしてしまうというわけなんですね。
こういった状態に陥らないためには、自分たちが悪魔の対話に入ってしまっていたり、抗議のポルカに入ってないかということを冷静に判断する必要があるんですね。
そしてその入ってしまった道こそがここでいう危険な箇所ってやつなんです。
自分たちが危険な道に入っていること。
お互いを非難し合う悪魔の対話。
片方が非難して片方が沈黙する抗議のポルカ。
これらの道に入っていることを認識したりとか、もしくは今やばいこれなんか入りそうになってるよねって。
俺たち悪魔の対話に入りそうになったりとか、抗議のポルカには入りそうになってないみたいなことを認識して、その危険な道を避けて別な道を選ぶということなんですね。
そして別な道を進むためにはその道を作らないといけないんですよね。
今ないので、悪魔の対話と抗議のポルカにはまってしまうと他の道が見えてないのでどこに逃げ道がないんですよね。
だからこそ逃げ道を作らないといけない。それが迂回路と言っているんですね。
具体的にどういう迂回路があるのかっていうのについてはこの具体例が本書で書かれているのでちょっとそれを読み上げますね。
これを読むとすごい理解がしやすくなると思います。
アイネズとフェルナンドという夫婦がいまして、アイネズが女性、フェルナンドが男性ですね。
アイネズとフェルナンドはちょっとした危険な瞬間にはすぐ気がつく。
二人は抗議のポルカを何年もやってきたが、それはフェルナンドの飲みすぎとアイネズの派手な脅しや報復的な浮気で一層激しくなる。
今この会話でアイネズはフェルナンドにこう言う。
あなたに黙り込まれて背中を向けられるとやっぱり頭にくる。
そういう時は、ねえフェルナンド、ちゃんと私と向き合ってくれない?と言えるようになりたい。
私がそう言ったら聞いてもらえる?そうしてもらえたらすごく助かる。不安がなくなるから。
今度はフェルナンドがアイネズに、腹が立ったらすぐに最後通帳を突きつけるのではなく、なぜ腹を立てているのかきちんと説明してほしい、という。
こういう迂回路を設けておけば心のバランスが保てるし、負の連鎖に入り込まないで済むと二人は同意する。
というふうな会話をしてまして、これがすごくわかりやすいのが、ここで二人は合言葉を決めているんですよね。
これがポイントだなと僕は思ったんですよ。
フェルナンド、ちゃんと私と向き合ってくれない?というワード。
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そして男性側は、なぜ怒っているのか説明してほしい。
こういうワード、合言葉をあらかじめ決めておくと、夫婦喧嘩になりそうな時にふと思い出せるんですよね。
そういえば、こういう時何で怒っているのか説明するんだったな、というふうにふと思い出すんですよ。
僕も以前同じようなことがあって、妻に黙られると何を考えているかわからなくなって不安になる。
だから何を考えているか教えてほしいと言われたんですね。
なかなか自分の気持ちを沈黙から引き上げるというのは大変だったんですけど、
だけどそれをしないと妻がどんどん不安になっちゃって、
僕が実際に考えていることよりももっと悪いことを想像したりしちゃうんですよね。
だから頑張って気持ちを伝えるようにしたんです。今もそれはしているんですけど。
あと、僕が原因で妻が不機嫌になっている時というのは、
妻はケアされている気がしない、大切にされていない気がするということを言うんですよ。
これは今も言います。何かあったりすると。
だからそういう時は大切に思っているよということを伝えつつ、
僕の態度が何で悪かったのかということを説明するようにしているんですね。
仕事で気になることがあったとか、体調が悪かったとか、そういうことを言うようにしているんです。
それって妻の心に寄り添うことと、自分の状況の説明という矛盾しそうな2つのことというのは、
両立させることができるって僕は思うんですよ。
ここでポイントになるのは、妻の心に寄り添うことというのは、
自分が負けることではないということなんですよね。
おでるとか妥協するとかというわけではないんですよ。
こういう事情があったんだよとか、あるじゃないですか、どうしても。
ある中で、自分の状況とか気持ちというのは、
追って無視して相手に謝るというわけじゃないんですよ。
そういうのとはまた違う話なんですよね。
どんな事情が僕にあったとしても、その時に妻の心が傷ついてしまったということは確かな事実なんですよね。
その気持ちに対して寄り添うというわけなんです。
これはどっちが良いとか悪いとかってまた別の次元の話だと思うんですよね。
同時に、自分もなぜそういうふうなことをしてしまったのかということもきちんと説明するんですね。
それは言い訳とかそういうふうな考えではないんですよね。
言い訳という概念ではなくて、お互いに理解し合うための話し合いとして、
自分の状況を説明するということをやってるんですね。
これこういうことだった、体調が悪かったんだとか、仕事に気になっていることがあってさ。
だから君の気持ちに気づけなくてごめんねって、
大切にされていないって感じさせてしまってごめんねってことを伝えるんですね。
この二つは両立できると僕は思ってます。
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ということで、今回は愛を持続させるための5つのヒントのうちの1つ、
危険な箇所を迂回するについてお話をしました。
夫婦関係をいい感じの状態で維持させるためには、
努力の継続というのが重要だなってことはすごい実感してるんですよ。
でも最初ってすごい大変なんですよね。
慣れないから、慣れないし、
相手の気持ちに寄り添うということが自分が負けるとか、
自分が妥協するっていうふうに捉えちゃうんだけど、勝ち負けじゃないんですよね。
勝ち負けじゃなくてお互いに理解し合うための会話。
単なるただそれだけなんですよね。
そこに気が付くとお互い楽になるんじゃないかなって思うんです。
あと外国語の習得と似てると思います。
こういうお互いにケアし合ったりする言葉を交わし合うっていうのは。
外国語の習得もちょっとずつやっていくうちに、
だんだん話せるようになっていくじゃないですか。何年も続けるうちに。
妻へのケア、もしくは夫へのケアという愛の言語も、
毎日の生活の中に組み込んでいくと、
いつしか当たり前のものになっていくんだと思うんですね。
ということで、また明日からは、
愛を持続させるための別のヒントについてお話をしていきたいなと思います。
はい、ということで今日は危険な箇所を迂回するについて話したんですけど、
今日まさに同じことがあったんですよ。
僕と妻と子供たちでちょっと遠くのスーパーに行ったんですよね。
今まで行っているスーパーはめっちゃ近くにあるんですけど、
だけどちょっと遠く離れたところに気分転換に行きたいと妻が言っていて、
あえて遠いところを選んだんですね。
だけど僕はお昼に食べたハッシュドポテトの油が悪かったみたいで、
お腹を壊しちゃって、車に乗って移動しているときはそんな気にならなかったんだけど、
スーパーに着いたらどんどん悪くなっちゃって、
もうお腹が痛くて、ずっとトレにいたんですよ、買い物終わるまで。
で、可愛いな車の中で妻が、なんか消化不良だわと言って怒ってるんですよね。
なんで怒ってるの?って聞いたら、
めったに行かないスーパーなので、
こんなのあるね、こういうのあるんだねとか、これいいねとかっていう会話をしたかったそうなんですよね。
だけど僕はお腹が痛くてトイレから出てこなかったんで、
そんな会話ができなかったって言って不機嫌になったんですよ。
ここで喧嘩になるのはすごい簡単だと思うんですよね。
いや、あんなこと言ったって俺だって腹痛かったんだよって、
会話なんかできるわけないだろうって、
トレが出てこいって言うのかよ、みたいな風になるのはすごい簡単なんですよね。
それこそが悪魔の対話か抗議のポルカなんですよね。
その道が僕は見えたんですよ、その時に。
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ここで、こういうことって結構しょっちゅうあるんですけど、
ここで僕が一歩足を踏み入れたら、悪魔の対話に陥るなっていうのが見えたんで、
ああ、そうだったんだねって、
いやーそうだね、久しぶりのところだから会話したかったよねって、ごめんねって言ったんですね。
いや、ちょっとお腹が痛くて全然ダメだったわ、
なんか油が当たったみたいだな、みたいなことも同時に言ったんですよね。
妻として消化不良ではあるんですけど、
そこに僕が、その気持ちに寄り添うことによって、
少しはちょっと気持ちが晴れたというか、落ち着いたような感じだったんですよね。
こういうことの繰り返しだなって思うんですよ。
愛の言語を学んでそれを維持するっていうのは、
こういうことの日々の中で繰り返したと思うんです。
こういうふうな、悪魔の対話に陥りそうなトラップってめっちゃあるじゃないですか。
夫婦生活を送っていれば、もう至る所にあるんですよ。
そのボタンを押すか押さないかっていうのは自分の判断だと思うんですよね。
そこでそのボタンを押さずに、別の道を選ぶか、危険な箇所、危険な道を選ばずに迂回するかっていうのは、
自分の判断であって自分ができることなんじゃないかなって思っています。
ということで、今回も最後までありがとうございました。
また明日お会いしましょう。さようなら。