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  2. #2-61 離婚の危機からの兼業主..
2025-05-05 49:11

#2-61 離婚の危機からの兼業主夫宣言!【ゲスト:兼業主夫放送作家 杉山錠士】

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放送作家・パパしるべ編集長・兼業主夫として活躍する杉山錠士さんをお迎えし、破綻寸前まで悪化した夫婦関係を再構築された過程をお聞きします。


育児と仕事の両立、夫婦間の役割の葛藤、離婚を考えながらも家族を守る決断——


リアルで赤裸々な体験をお聴きください。

こんな方におすすめです。


✔︎ 夫婦関係に悩んでいる

✔︎ 家事・育児・仕事のバランスに悩んでいる

✔︎ 離婚か再構築かで揺れている


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サマリー

今回のエピソードでは、兼業主夫の杉山錠士さんが家族との関係や食育について話しています。彼は逆転夫婦としての経験や、料理を通じた親子の絆を深く掘り下げています。また、杉山さんは結婚の過程や家事の役割についての考え方、妻との生活の変化についても言及しています。彼の生育状況や家事、育児に対する意識の変化が取り上げられ、結婚生活のリアルな側面が描かれています。 さらに、杉山錠士さんが兼業主夫として新たな人生を宣言し、離婚の危機を前に家族との関係や育児の苦悩についても説明しています。特に、奥様の産後うつや社会復帰の困難、そして夫婦関係の悪化が彼の決断にどのように影響を与えたのかが深く掘り下げられています。 杉山さんは、自身の経験を通じて家庭と仕事の両立や離婚の危機についても語り、2008年の兼業主夫宣言からの生活の変化や子育て番組への参加がもたらしたチャンスについて考察しています。 本エピソードでは、東日本大震災を経た夫婦関係の変化や、杉山錠士さんがアドラーシーネガクを活用した夫婦関係の改善方法についても語られています。

兼業主夫の紹介と家族構成
こんにちは、夫婦関係学ラジオパーソナリティのアツです。このポッドキャストでは、様々な夫婦の葛藤をサバイバルするためのナレッジをお伝えしていきます。
今日は、兼業主夫放送作家、子育てポータルサイトパパシルビ編集長の杉山錠士さんに来ていただいています。
錠士さん、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
簡単な自己紹介を僕の方からさせていただきます。
NPO法人ファザーリングジャパン会員、アドダー心理学勇気づけ勉強会リーダー、これが何なのかすごい気になっていて、詳しく教えてください。
1976年、千葉に近橋生まれ、48歳。家族全員の料理を作りながら在宅中心で不規則に仕事をこなす。
めんついは自作。ご飯は噛まれたことに強いこだわりを持つ。
家の中では完全にスイッチオフできる服飾デザイナーの妻と、基本的な家事育児夫が担当する逆転夫婦として23年。
幼少期から世界を飛び回る元不登校バレー少女の長女、なっちゃんと、天真爛漫うっかりマスコットの次女、たまちゃんを育てる。
昨年10月に孫が誕生し、なんと3世代の同居中ですと。
久しぶりの入養時にワクワクは止まらないということで、今日はよろしくお願いします。
出会いと関係の変化
はい、よろしくお願いします。
そうですよね。
しかも孫まで生まれて、今幸せなわけですよね。
そうですね。
こんな逆転がなんで起こったのかなっていう、ちょっと知りたいなと思っていて。
今回は2、3本ぐらいで細かく聞いてきたくて、上司さんのストーリーを。
夫婦関係、今悩んでる方の参考になる部分たくさんあると思うんですよ。
今度逆転夫婦ってことですけど、最初からちょっとお聞きしていくんですけど、
奥さんと出会われたのは、いつ頃でどういったことがきっかけだったんですか。
いつ頃だと、2000年で書いてある。
2000年ですね。
僕が芸術系の大学に行ってて、その時に後輩で映画を撮ってる子がいて。
卒業制作を取ります。
ちょっと手伝ってくださいって呼ばれて、全然いいよみたいなのに行った時に、
そこの現場で衣装さんで着てたのが妻だったんです。
映画制作の衣装の担当者だった。
そうですね。要は学生の映画なので、妻も副職系の専門学校にいたので、
それで繋がって読んでもらったみたいな感じらしくて。
学校の先輩後輩?
ではないです。全然違う学校ではない。
僕は映像系とかそっち側で、彼女は副職系なの。全然違うんですけど、
たまたまその間にいた映画監督の男の子が、両方別々に読んで、その現場で会った。
なるほど。そこで出会われて、その後どういう関係性になっていったんですか。
その頃女優さんは学生だった?
いや違います。僕はもう卒業してるんですけど、そもそも大学の3年の時には仕事を始めてたんです。
放送作家の仕事を始めてて。
で、そういうのもあったんです。そのまま卒業しても同じように放送作家をやってるだけで、
それから学校がなくなってちょっと楽になったり、みたいな感じので。
1年ちょっとそれ普通に放送作家をやってる時に声かけてもらったというか、後輩から呼ばれていったという感じですね。
彼女はもうど真ん中、専門学校生、普通の。
まだ学生だったってことですか。
そうですね。
4歳差ですね。
4歳差ですね。だから彼女20歳でしたね。だから専門の2年生の時か。
料理と食育の影響
女優さんは24歳。
24歳です。
あった時はまだ23歳ぐらいでしたけど。
どういうところがいいなと思ったんですか。
全然そういう思いは。
なかったんですか。
特にいいなというわけじゃないですけど、あんまり会ったことないタイプの人で。
どういう性格というか。
失礼。
失礼。それが良かったんですか。
ずけずけ来るというか、あんまり上下関係を感じるようなこともなくて。
だからすごいフラットというか。
それが心地よかったというか、いいなという感じだったんですか。
そうですね。わりと最初から気づかないでいられたような感じのところはありましたよね。
出会われてすぐに付き合ったんですか。
そうですね。何ヶ月かぐらいは後だと思いますけど。
その時の2人はラブラブだったんですか。付き合ったばっかりの時。
いやもうだからその時点からちょっと。
別にラブラブだったかと言われたら多分そうなんでしょうけど。
スタンスがちょっとやっぱり普通のカップルとは違ったかなと思ってて。
学生と大人だから。
そうです。
社会人と学生みたいな。
はいはい。だしあとやっぱり僕が家事をするタイプ。
つまりその時は別に。もともと実家暮らししかしたことがなくて。
で、学校に近いから家に泊まりに来るみたいなのがすごい増えて。
そうすると朝ご飯作って食べさせて送り出すみたいな。
お父さんですね。
もうそこでちょっと。
完全にお父さんですね。
形ができた感じというか。
そういう時どういう気持ちだったんですか。ジョージさん。
なんか娘みたいな。
いや、彼女ですよ。
そういう感覚ですね。感覚的には。
別にあんまり違和感はないですね。
そもそも大学に行ってる時から僕ちょっと家が遠かったので。
結構友達の家とかを泊まり歩くみたいなことが多くて。
でそのお金もなかったからいろんな家に行くんですけど。
一宿一般のお礼じゃないですけど。
泊まったら朝ご飯作ってあげるみたいな。
別に男だろうが女だろうが。
そういう感じの生活をしてたので。
昔から好きだったんですか。料理。
料理はすごい好きでした。
実家にいる時から。
実家にいる時から。
なんで実家にいる時から料理してたんですか。
二つ理由があって。
一つは単純に僕が料理漫画とかがやっぱり流行りだした時期で。
男が料理するっていうのも割と普通にかっこいいなとか面白いな。
おいしん坊とか。
おいしん坊とかですね。おいしん坊とかだからミスター実家とか。
ああいうのが結構出始めてた頃は。
漫画からハマっていった感じなんですか。
漫画からハマってというか漫画で見ていいなって思ってて。
高校生ぐらいになってからは自分で料理番組とかあるじゃないですか。
ああいうのとかで見てレシピ見て学ぶというか。
やってみるとかもそうだし。
ただ基本的にもっと遡ると子供のちっちゃい頃から僕が母親の料理の手伝いをずっとしてて。
男兄弟3人なんですけど兄2人は全然そういうのをやらなくて。
多分僕の中でそれをやったら母ちゃんに見てもらえるじゃないけど。
かまってもらえるみたいな感じもあったのかなと思うんですけど。
単純に楽しそうだったし。
作ったやつを食べるのがおいしかったし。
好きだったんですよね。
やっぱりでもあの辺の時代で結構男の料理って変わってきたと思ってて。
男中って。
雑誌の。
テレビで言うと厨房ですよとか。
あと料理の鉄人とか。
ありましたね。
割と料理男性がやってる姿を見るっていうのが増えてきた時代じゃないかな。
そうですね。
どのくらい前?
そうですね。多分80年代の後半くらいからそういうのが増えてきたなと思って。
もともとだからおかつのクッキングの堂井先生とか結城先生とかそういう料理研究家の先生は男性がいたんですけど。
でもどっちかというと少数で男性だから面白がってもらえるみたいなところもあったと思うんですけど。
周りでいました?他に料理ハマってる同級生とか男の子で。
そんなに料理の話はしなかったですけど、結果的に料理漫画の話とか。
あとはそれこそやっぱり男中を、男子校だったんですけど、男中を図書館に置いてくれみたいな話をしてて。
そんな高校生。
結構雑誌を自由に選べたので。
そうなんですね。それ見てどうすればなりませんか?他の学生が。
でも先生たちも見てたんで。
先生ばつきそうですね。
本当に料理大好き少年みたいな感じだったんですか。
もう一つの理由が結局一番末っ子なので、兄二人が二つ上と四つ上なんですけど、だんだん大きくなっていって。
高校で上の兄はもうちょっと遠く行ったりとか、大学生になったら一人暮らしはしなかったけど、いわゆる楽能とかの学校にいたのであんまり帰ってこないとか。
次男はラグビーとかやってて、週末ずっと家にいないみたいな。
だんだんほっとかれる時間がどんどん増えていくんですよね。
うちの両親がすごい本当に嘘みたいに仲が良くて、週末になると二人でどっか行っちゃうんですよ。
子供置いて行っちゃうんですか?
僕だけは置いて。それ以外の人たちはみんないろいろなところに行くんですけど。
出かけてるんですかね、お兄ちゃんたちは。
中学生とか。
中学生ぐらいですかね。小学生でも全然あったと思いますよ。
そうなんですね。珍しいですね。
でもどっちかって言えば中学生メインかな。
僕もサッカーをやってたんで、そんなに家にいたわけじゃないんですけど、たまにそういうので一人になるときがあるじゃないですか。
そういうときに母親から置き手紙が置いてあって、適当に作ってねって書いてある。食べてねって書いてあるわけですよ。
適当な手紙が置いてあるんですかね。
お父さんとどこどこ行ってきますみたいな感じ。
めっちゃナブナブですね。
だったんですけど、それでやっぱり料理が好きだったので、そのときに母と決めたルールはとりあえず冷蔵庫にあるものはどれを使ってもよしと。
すごいですね。自由度が高い。
だからここにあるものだったら何使ってもいいから。
たまにこれだけはダメだっていうのは、取っておきたいものとかいうのはダメって言われたけど、でもそういう感じだったんで、本当に冷蔵庫の中にあるものを見て、これで何を作ろうかみたいな。
楽しそうですね。
楽しかったです。
そういう機会があったから、割と学ぶだけじゃなくて、家でも実践もできてて。それで何かやればやるだけ、より母親の料理にも興味持つじゃないですか。
これどうやって作るのとか、これどうやってるのとか。
こういうのは交渉して。
もっと小さい頃から母親も栄養士の資格を持っていたので、結構食卓での栄養の話とかも多かったので。
そうですね。栄菜教育を受けてきた感じですね。
本当に日常の会話が結果的に今すごいつながっているみたいなところですね。
普段の生活がもう料理中心というか、料理するのが違和感ないような家庭環境だった感じですね。
そうですね。でもね、今になって母に聞くと、いやそんなことないでしょみたいなこと言うんだけど。
そうなんですか。
でもやってたよね、あんたは好きに。何でもかんでもいろいろキッチンでいろんなことやってたよねみたいなのは今でも言われますね。
珍しいですよね。
それがあったので、お友達の家に行ってお礼にご飯作ってあげたいとかしてたし、
24歳と20歳の年の差で付き合って、
結婚の過程と誤解
上司さんのお家に奥さんが来て一緒に住み始めて、
お父さん的なふうに見えるような同居生活みたいなのが始まった感じだったんです。
そうですね。
1年後に結婚してますよね。早かったですか?
早かったですね。
まだ学生ですよね。
学生ですね。だから彼女は専門の3年生で、僕は変わってないですけど。
就職が決まって、就職するまでの間に結婚しちゃったんです。
なんでそんな早かったんですか。
簡単に言うと勘違いというか。
勘違い?
僕はプロポーズしてるつもりじゃなく家で話してたんですけど、プロポーズされてると思って泣いてたんですよ。
嬉しかった?嬉し泣き?
嬉し泣きだと思うんですけど。
でもそれってプロポーズだよね?みたいな。え?っていう。
なんて言ったんですか?
単純に実家に帰って、たまたま母親に言われたのが、結婚するの?って言われたんですよ。
言われたから、いやいやまだ付き合って1年ぐらいしか経ってないし、ましてや24と21みたいな状況だったので。
いやまだ学生だよ?みたいな。
そしたらいやいや結婚なんて勢いが間違いだからって言われて、どっちもやだなと思って家帰って。
でもそれを面白い話として妻に、当時の彼女に話してたんですね。
そしたら、えってことは?って言われて、いやって言えないじゃないですか。
そうですね。違うとも言えないですか。
言えないし。
あとはやっぱり本当に放送作家の悪い癖で、この話一生できると思ったんですよ。
ネタにできると。
面白いと思って。こんなことになるなんて本当に面白いと思って。
上司さんの中では結婚してもいいかなっていう気持ちはあった感じ?
あんまり年齢的にまだそこまでってのもあったかもしれないんですけど、
基本的にはあんまり結婚したいタイプの人ではないんですよ。ではなかったんですよ。
家庭的じゃないからとか?
なんとなくやっぱり自分の中では、いつからかは多分自分も誰かに作ってもらって仕事をするんだろうなって思ったところがあったんだと思うんですけど。
この人はちょっとエキセントリックな感じで家庭的じゃないのかな?
家事か育児かだけの問題じゃなくて、割と面白い人ではあるけど、
じゃあ結婚するのかみたいなことはよくわからないっていうか、あんまり想像できない。
付き合ってた彼女が、家の中で結婚した後にお皿洗ったりとか料理したりとか掃除したりとか、
サザエさんのお母さん的な感じとかドラえもんのママみたいな伸びたママみたいな、
ああいう姿イメージできなかったってことですか?
そうですね。
なんか違うなみたいな。
でもね、最初から今思えばなんですけど、多分全部やってもらうことは別に望んでなかったと思うんですよ。
一緒にやりたかったんでしょうね。
ああ、なるほど。そっかそっか。
だけどそこのノリがとにかく合わないので、家事とか料理に限らず家事全般とかのノリは今でもそうですけど合わないので、
だから一緒にやることはすごく難しいんですね。
それが無理だなと思ってたから、ただその間もずっと結果的に結婚するかみたいになって、することになったんですけど、
でも一個やっぱりポイントがあったのは、全然彼女の中身とかとは全然違うんですけど、
父親が体調崩していて、その時に。
で、やっぱり父親と会ったことがある人と結婚したいという気持ちがあったので、
父親が危なかったんでもそこでもういいかっていうか。
それはお父さんに見せたかったってことなんですか?
そうですね。だからお父さんに見せた、お父さんと父親は会ってたんです。もうその時点で会ってて。
それは上司さんのお父さんですか?
はい。僕の父に妻は会ってて、
で、それがだからどうしても見せたいというよりは、
父が知らない人じゃないのがいいなって思ってたっていうか。
なんでなんですか?
お父さんがもし亡くなったとしたら、その後に出会って結婚するっていう可能性もあるわけじゃないですか。
それが嫌だったのは、この人と結婚したんだよってお父さんに報告したかったっていうことですか?
そうですね。それもあるし、だからなんとなくやっぱり自分の中で父がすごく偉いな人なので。
もう本当にその後亡くなっちゃったんですけど。
でもそういうところがあったので、そこは一個こだわりだったのかなっていうとこですかね。
でもその奥さん自身のパーソナリティ的には本当にないなって感じられてたんですか?
そうですね。
今のお話だと、お父さんが会った人と結婚したいとか、ネタになるなとかっていうのは話ありましたけど、
でも結婚してもいいかなっていう気持ちがちょっとあったのか全然なかったのか、
パーソナリティ的に奥さん個人に対して。
だからなんでしょう、いわゆる想像してる結婚にはならないなって思ったんですよ。
だから決め手としては多分飽きないというか、面白いことにはなるだろうっていう感覚の結婚っていう。
家事をどうするとか、育児をどうするとか、仕事をどうするみたいなもんじゃなくて、
結婚生活の開始
多分飽きないというか常に何か起きるだろうなっていう面白さ優先と言ったらあれかもしれないですけど、
そういう意味ではワクワクする人ではあったかなと。
そこが魅力だったんですか?
だと思いますね。
結婚も決め手というか、そこもあったかもしれないですね。
そうですね。
実際結婚されて、児童されて、そこからの生活ってどうなっていったんですか?
あんまり変わらなかったですね。
父と娘みたいな感じの。
そうですね。だから彼女が就職をして、朝ごはん作って、お弁当作って、持たせて送り出してみたいな、そういう生活ですね。
だからちょっと変わったとすれば、それがポジティブな方ではないかもしれないですけど、
やっぱりそれまでって僕の家に彼女が住んでたっていう状態じゃないですか。
結婚して、一応何百メートルか引っ越しをして、ちゃんと二人で住めるサイズの部屋みたいなの借りて、いわゆる新居というかにしたんですけど、
そしたらやっぱり二人の部屋になったんで、彼女がものすごく主張するようになる。
どういう主張?
だから、トイレはこういうふうにしてほしいとか、ここにこれを置いてほしいとか、ここはこんなふうにしてほしいとか。
そうか、なんか自分が居候してる家じゃなくなって、自分のマイルームになったから、明日こうしたいってのが出てくる。
そうです。
で、それがなんかこう、え?っていう感じで。
え?嫌だった?合わなかった?
合わないは、やっぱり合わないんですけど、そこは。
そういうとこは合わないし、なんか急にそんなこだわり言われてもみたいな。
それ先言っといてくんないと、みたいな感じですよね。
結構なんか、そういう思いっきり模様替えみたいな感じだったんですか?
模様替えというよりはやっぱり一番は潔癖っていうか、割とこう清潔。
彼女のお父さんがそういう人だったので、そういう意味ではなんだろう、もう毎回タオル替えるみたいな。
タオルとかも。
手を拭くタオルとか。
そういうのを替える頻度がものすごく高かったりとか。
そういう意味では、なんか居心地が悪かったですね。
ですよね。違うタイプですもんね。
違うタイプですもん、ざっくりですね。
確かに合わないなって思います。
それは全然揉めなかったんですか?
揉めましたよ、多少は。
揉めたけど、今思えばなんかまあまあ大したことなかったのかな、お互いにみたいな。
でもあとやっぱりそこからその生活してて、子供ができて。
2004年ですかね。
結局妊娠したの2003年に妊娠が分かって。
で、彼女も初めて育休を取ったり、産休を取ったり、育休を取ったり。
大変な時期ももちろんあるじゃないですか。そういう時期があって。
育休中とかにやっぱり子供のことで自分のことがいろいろできなくなっていったりとか、思った通りにできない時期っていうのがずっと増えてきたら、
ちょっと自分の潔癖とかもいってられないみたいなので、潔癖度が下がっていって。
下がるもんなんですね。
でもまあそれなりに今でも残ってますけど、それは最初の時のあれとは違うかなっていう感覚ですね。
妻パニックってあるんですか?何があったんですか?
単純にやっぱり21歳で、就職じゃないか。先が結婚か。先に結婚して、4月に就職して。
で、やっぱり夢を持って会社に入るわけですよね。
で、翌年にも子どもが妊娠しました。
で、その後生まれましたにはなるんですけど、まだ2年目とかの世界なんですよ。
で、彼女はもともと結婚する気も子ども向きもないっていう人だったので、その30歳過ぎるまでは少なくとも考えないって言ってたんで。
ですけど、なぜか僕と結婚することになって、なぜか子どもができてみたいな。
そのことにやっぱり戸惑いというか、自分はそもそもバリバリデザイナーとして働いていくんだみたいな感じのあれだったので。
それがなんか自分の人生設計と違うみたいな。
それでやっぱり孤独に、2人だけの家が、要は子ども3人の家だったんですけど、僕も忙しかったし、そこまで今とは全然違うので、やっぱり彼女が1人で背負ったりすることも多くて。
当時のジョージさんの働き方とか、家の中にいる時間とかどういう感じだったんですか。
もう今よりも多分不規則。
当時のほうがラジオとかのレギュラーの本数もすごく多かったし。
昔なのでやっぱり夜、夜中まで働くことも全然あるし、帰ってこないこともあるし、朝一に出てくることもあるし。
会議とかすげえ長かったですよね、昔。
育児とパートナーシップ
長いですね、無駄に長かったですね。
すごい長いし。
なかなかお子さんと奥さんのケアっていうのはちょっと難しい環境だった?
そうですね。あとやっぱり意識的に無理でした。疲れてるっていうのも。
疲労困憊で。
そうだし、やっぱり次から次へと考えることとかがあったので、そこまでやっぱり意識ができてなかったのと、
今思えばやっぱり育休中で、家にいるんだからやってよ、さすがにっていう。
それまでの間って当然彼女も働いてるから、普通にお互いやってたっていうか、僕が基本的にやるでいいんですよ。
家にいる時間も僕のが長いみたいなのがあったからいいけど、いやいや家にいるんだったらやってよみたいな。
今と違いますね。そういうふうに考えてたんですね。
そうですね。
奥さんがパニックになって。
だから彼女は結局社会から取り残される。
産休とかで育休で長く家にいると、もう全部私は置いてかれるんだみたいな感じになって、パニックを起こしたりとかしてて。
でも、そもそもそんなに起こしてはいるんだけど、もともと気象が激しいから。
どういう感じなんですか、気象が激しい。
離婚の危機と夫婦関係
だから要はアップダウンは結構激しいので、今でもそうですけど。今はだいぶ穏やかですけど。
なんで私が全部やんのよみたいな感じだった。
みたいなのもそうですけど。だからそっち側じゃないんですよ。
私が全部やるのよっていうより。
なんでまたやんないのみたいな。
私の人生はどうなるのっていう方。
こんな子供と家に閉じ込められて、私の人生一体どうしてくれるんだよみたいな。
どうなっちゃうの。
あまりこっちを攻撃してくるというよりは、一人でパニックになっている感じなので。
なるほどですね。自分のアイデンティティが失われて、自分はどこに行っちゃったんだろうみたいな。
なるほど。
って言ってもできないし。
そこはもう受け止めるしかないというか、そうだねっていうしかないから。
その当時はどういうふうな対応してたんですか。奥さんがそうなっちゃった時って。
もうだからひたすらそうだねっていう感じですね。
こっちが余裕なくて本当に忙しくて、
家に帰って5分でまた家に出なきゃいけないみたいな時にぶつかられると、今はマジで無理だよっていうので。
それでも来るともういい加減にしたいみたいなのはあったけど。
本当そういう感じでしたね。
なるほど。奥さん生まれてその1年間ってことですよね。
そうですね。
結構うつ病になったりとかする時期ですかね。
そういう産後うつみたいなね。
そういう状態だったってことですね。
そうですね。近いものもあったと思いますね。
ここから夫婦関係が悪化したってことなんですけど、どんなふうになってったんですか。
社会復帰の困難
結局そのままずっと続くんですよ。
その生活が。
その生活というか結局妻が仕事に復帰して、娘が保育園に入ってみたいな感じだったんですけど。
社会復帰したわけですね。
社会復帰して。でもその社会復帰もいまいちうまくいかないというか。
そういうことでもないんだと思うんですけど、やっぱり会社側の対応とかもあまり慣れてないっていう会社だったので。
すごい老舗の会社ではあるんですけど、女性が産休・育休を取って復帰してくるってことがあんまりない。
珍しいですね。
でももう20年前ですから。
そういうのは多かったんですね。
やっぱり離職率すごく高かったじゃないですか。
このまま産みまわすって言ったら辞めまわすみたいな感じだった。
そうですね。
そのところがやっぱり多くて。
特に昔ながらの古い企業だから、子供なのに辞めないの?みたいな感じのところだったんで。
それでやっぱりうまくなかなかいかないっていうところもありつつ、だからずっと荒れてる感じですよね。なかなかうまくいかないし。
確かに。奥さんはなんでそこまで仕事熱心なんですか?
それはやっぱり後々わかってくることなんですけど、そこから答え合わせができたのは多分7,8年経ってから。
その先なんですね。
そうなんですけど。
じゃあ後から聞きましょうか。
家族関係発火しました。
はい。だから娘の送り迎えとか、そういうのも基本僕がやった。
だからやりつつ、この日は放送があるから行けないからこの日だけ行ってみたいな感じだったんですけど。
本当に娘が5歳とかぐらいになるまでは、保育園に迎えに行く時間が8時半とか9時でしたね。
夜ですよね。めっちゃ遅いですね。
そうしないとお互い間に合わないみたいな感じの。それで保育園で怒られて、先生に。
あなたたちいい加減しなさい。
何やってんの?みたいな感じで。
昔はおばあちゃんの先生とかがそういうのを、僕らからすれば親民になっていただいたというか。
しっかりしなさいみたいな。
みたいなのがあったりして。それで年長に長女が上がるときに、これはダメだと思って仕事をセーブして。
なるほど。生活がちょっと厳しいとこや。
やっぱり娘がこのままじゃよくないんじゃないかって思って。
発達の話とか。
兼業主夫宣言とその影響
発達よりは単純に一緒にいる時間が少ないし、ちゃんといろんなことできてないし。夜ご飯もほとんど保育園で食べるみたいな感じだったので。
お子さんのケアができてないなって。
それと簡単に言えば妻が無理だってはっきり言われたんですよ。
何がですか?
だからといって子供に対応するのは無理です。
私が対応するのは無理です。
やりませんって宣言をされて。
やりません宣言。
私無理だよって。
何言われたか。一緒に怒られたんですけど。
いろいろ言われたけど。
保育園で?
いろいろ言われたけど私は無理だよってはっきり言ってて。
すごいですね。
結構それはカチンともくるし。
ですよね。
やろうとはしないの?みたいな。
努力しないんだっていう。
感じのことも感じたし。
私は無理だよってはっきり言われて。
これはやるしかないなっていうのと
そこでちょっと離婚に向けた。
この人とは無理かもしれないと思って。
っていうところが割と引き金になったというか。
なるほど。
いうところはあったかもしれないですね。
お子さんのケアっていうところは結構大きかった感じですね。
そうですね。
兼業主婦宣言されたのが2008年ですけど。
その時でしたから。
その時なんですね。
これもうダメだなって離婚だなってなって
この兼業主婦宣言とどう結びついていく感じなんですか?
その時にこの間話したみたいな。
弁護士さんとお話をしてて。
やっぱりどうやっても真剣が取れないと。
妻の振る舞いだけを見てたので。
思惑とかを知らずに。
振る舞いだけを見てこの人はちょっと難しいかもしれない
っていう風に思って。
かつ思っちゃったのが
この人に娘を育てさせたら娘がとんでもないことになりそうだと。
心配になりますよね。
って思ってしまったので。
なんとか真剣が取りたいと。
でも決して嫌いではないんですよ。
邪剣に扱うわけじゃなくて
必要以上に大人扱いをしてるのかなというか
娘に対して。
なんとか買ってみたいな。
無理だよみたいな。
あれやってみたいな。
いやできないよみたいな感じの。
私こうだからみたいな。
同じレベルで会話をしてるというか。
子供のために何か聞いてあげようかなみたいな。
っていう姿勢があんまりないタイプの人ではあると思う。
今考えれば悪かったかどうかって言ったらそうでもないかもしれないんですけど
そういう感じだったので
これはまずいと。
ただそれで真剣が取れないっていう風なので
真剣って取れる男性で
男性が6歳以下の娘
女の子とかの場合って本当取れる可能性がすごく少なくて。
女性がどんなにひどくても取れないんですか?
いやひどかったら取れますよ。
だけどひどいっていうのの
DVとかじゃないとダメとか?
そうですね。だからいわゆる暴力的みたいなのもそうだし
あと役歴とか病歴とか犯罪歴とかみたいな
明確にこれっていう線がはっきりしてて。
犯罪じゃないとダメみたいな。
とかみたいな。
であともう一個やっぱりあるのは放棄っていう。
放棄ってもういいですってあなたに渡しますって言ってくれればそれで済むんだけど
そういうタイプではないので。
それはもうなんか無理なんだなっていうのも含め
っていう感じですね。
弁護士さんと相談をして。
そう。でとにかくやってるっていう。
ちゃんと子育てのことをやってるんだって僕がね。
やってるっていうことを証明できないといけないから
もし真剣を取らない話になった時には。
だからちゃんとやって全部記録に取った方がいいと。
で何年かして子供6歳っていうか小学校入ったりとか
するとまた少しフェーズも変わるし。
もっと長く待って判断ができる年齢とか
10歳とか13歳とかになった時にはまた違うしみたいな。
とにかく記録を取ってやってるっていう風に。
ちゃんと育児してますよ。この男は大丈夫です。
神経開けても大丈夫ですっていう証拠の個性ってことですね。
少なくともそれやってるだけで家庭裁判所とかの印象違うから
もうそれをやった方がいいよっていう話になって。
でやる、書く。ただノートを押さえて書くんじゃなくて
ちゃんとやりながら一応書いていくっていうこと。
そんなに細かく書いてないですけど。
朝ごはん作ったとか朝ごはんと夜ごはんと
送りと迎えとみたいなお風呂入れてみたいなぐらいは
本当に走り書きみたいなのをずっと毎日毎日つけてて。
それがじゃあ証拠になる?
なるっていうこともあった。
何年ぐらい?
2年ぐらいじゃないですか。
結構長い期間ちょっと記録し続けたんですね。
先に兼業主婦になっていろいろやり始めて
いろいろ回るようになって
何とか神経取り台とかで話したら
いやでも今自分でやってるんだったら
そうやってメモになるみたいだから
たぶん1年ぐらいブランクっていうか差はあると思うんですけど
1年はないか。そんぐらいですね。たぶん。
兼業主婦宣言っていうのは何だったんですか?
それがたぶん2008年とかだと思うんですけど
仕事の方で子どものことをいろいろやり始めると
支障が出るじゃないですか。
夕方お迎えに行かなきゃいけないから。
上までの働き方。
だとできないことが増えるので
それでもうメールとかの署名で
普通に放送作家って書いてあったのを
兼業主婦放送作家にしたんですよ。
僕そういう生活してるんで
夕方ダメですみたいな。
取引先とか会社の人とか一緒に働く人に
私は家庭めっちゃ忙しいんです。
ちょっとこんな遅くまで働いてとか
無駄な会議出れないですっていうのを
バーンと兼業主婦ですってメッセージ送ってたんですね。
見せてしまった。
そういう意図があったんですね。
そうしないと
そうすることによってマイナスもあったし
プラスもあったし
マイナスって仕事がなくなるとか
仕事はなくなります。減ります。
当然だからそっちのことやるんだったら
こういうのできないよねとかっていうのもあったし
あとやっぱり
特に年上の男性とかには
そんなことも奥さんにやらせられないのっていう
すごいダメなやつというか
出世とか上に上がっていく
僕らは個人業だから出世ってのはないですけど
もっとゴールデンとかいいとこまで
業界の変化と影響
行く気はないのかみたいな
やっぱり何か毎日飲みに行って
毎日いろんな業界に来た人と飲みに行って
コネクション作ったりとか
仕事も増やしていくっていうことが
当たり前だったので
激しい業界ですね
そうですね
それをもうやらないっていう選択をした以上は
上がれないよねみたいな
そうですよね
実際上がりづらくなっている
上がる
やっぱり実力が飛び抜けてたりとか
あとでもやっぱり何でしょう
僕自身もそこまで何だろう
放送作家としてすごい能力があったか
今でもやってるんであんまりそうは言えない
言えないかもしれないですけど
って言ったらやっぱりちょっと
どこまでだったのかなっていうふうには思います
それでもいろんな人に
だったらこういうことできるんじゃないかとか
っていうふうに言ってもらえるだけ
ちゃんと仕事ができてたから
その能力だけじゃなくて
多分その付き合いとかも全部含めて
やっぱり未熟だったなと思います
だからそれで結果的には
結構ね
仕事減ったというか
終わった後次のが入らないとかみたいな
そういうところですよね
兼業主夫としての挑戦
生活に影響ってありました?
経済的な面で
経済的にはそこまでなかったですね
そうなんですね
だから徐々になので
そっかそっか
だからそういう意味では
ただそっからだから逆にの意味で
プラスが後で出てくるんですけど
健常宿ってずっと言い続けて
その業界の人たち仲間うちに知られてくる
そういうあいつ子育てをしてるっていうことを
知られてきたら
途中で1回そこで良かったのは
子育て番組に入れてもらえたんですよ
やってるから分かると思うけどみたいな
そういう仕事のチャンスが増えてきたんですね
そうですね
本当それが多分一番きっかけで
子育て番組で
ラジオの子育て番組っていわゆるトークの番組だったんですけど
そこでだって
全部分かるわけじゃないけど
起こり得ることはいろいろ分かるじゃないですか
当時点ですもんね
本当にじゃあ何の特集しようみたいな話になった時に
そろそろこういう時期なんで
こういうことがあると思うから
じゃあ保育園とかのゲームタグの話とか
どういう風にしたらいいかとか
そういう話をしましょうとかいうのが
どんどん出てくるじゃないですか
確かに確かに
他の男の人だとなかなか分からないですね
現場にいないですもんね
特にだから放送業界にはいないので
確かに
すごいレアキャラになった感じだったんですね
プラスの面でも
やっぱりオンリーワンになれたっていうか
なるほど
それじゃあいいチャンスでもあったわけですね
大チャンス
逆にそこのそういう
ラジオ番組を作る
子育てのラジオ番組を作るっていうことをきっかけに
今所属しているファザリーニュジャパンとかもそうですし
みんな取材に行って仲良くなって
やってんだったら一緒にやろうよみたいな感じで
繋がりがどんどん増えていくみたいな感じでした
この辺から今もやられているパパシルベ
もうそうですね
それに繋がっていったわけですね
家庭と離婚の視野
兼業主婦宣言したところから
そうですね
当時珍しかったですね
2008年って
幾年以前ですね
幾年以前ですか
2010年
そんなことが生まれる前から
そうですね
じゃあもうお前何なのみたいな感じですよね
じゃあきっと
全然よく分かってもらえない
理解が多分されないですよね
なるほど
でこの期間は
家庭に軸足を置き始めた
だけど本音では離婚視野に入れて行動し始めた
それがさっきおっしゃった記録をつける
そうです
2008年兼業主婦宣言をされて
仕事がそういった育児関連とかの方に
もう一個スライドして
シフトチェンジしていって
変わり始めてきましたと
それが2008年から
2011年大きなきっかけだったと思うんですけど
東日本大震災
この期間は
離婚視野に入れて
粛々と兼業主婦やり続けるっていう感じだったんですね
そうですね
あとはだから
主婦って自分が名乗ったことによって
楽になったのもあって
自分の気持ち的に
気持ち的にやっぱり
パパなのに
なんでこんなことをやってるんだろう
こんなに家事育児をやらなきゃいけないんだろう
っていう変な意識があったんだけど
それがだから
主婦だからだってなれば
自分の役割になるのを落とし込めるので
でも俺半分主婦だから
ちゃんとやらなきゃいけないなっていうので
やることに対しても抵抗もだいぶ減ったので
粛々と続けていくみたいな
っていうのもそうだし
やっぱりやってみたら
一緒に住むと二人の時間はめちゃめちゃ楽しい
そうだったんですね
本当に二人三脚みたいな感じ
その間奥さんはバリバリ働いてたんですね
働いてました働いてました
なるほど
それがじゃあ4年間続いた
現実的には多分
2年半ぐらいだと思う
2年半ぐらい
そのだからまあ
やってたのは多分4年ぐらいなんですけど
2年とか4年ぐらいだと思うんですけど
2008年のたぶん暮れとかですね
ぐらいにそういう風にもう
いやもう俺も主婦
俺が主婦なんだみたいな話をして
だから
奥さんは何か言ってました?
主婦宣言
兼業主婦宣言に関しては
割とノーリアクションでした
ノーリアクション
何なんだろうみたいな感じのっていうか
これは何?みたいな
あんまり興味ない感じですか?
あんまり興味なかった
良さそうですね
そんなことより早く寝ていいんだけど
何をそんなにあなたは話してらっしゃるの?
何言ってんだろう?みたいな感じだったと思います
よく離婚しなかったですね
奥さんがやっぱり可愛かったから
親権取れないんだったら離婚できないなっていう
その時はまだそこまで考えてなかったんで
ただとにかく自分でどうやったら
生理をつけられるかっていうのの一つで
もう自分が主婦なんだっていうのが
なんか腹をくくるというか
その瞬間だっただけで
腹をくくって始めて
でももう本当に無理だなみたいな
2009年に入ってから
ちゃんと調べ始めて
ダメだやらなきゃ
すいません変なとこ入っちゃった
ダメだやらなきゃみたいな感じになってて
2009年が多分年長の年なんですよ
長女が
2009年
2009年の4月から年長になって
そこでもう割と本格的に
長女と2人の生活みたいなほとんど
みたいなのがあって
10年に小学校入って
11年の3月っていうのが
東日本大震災
その時に長女は
1年生だったので
そうですね
よく離婚しなかったなって
思ったんですけど
お子さんとの生活を
壊したくないなっていう
気持ちだったんですか
それでもまだ我慢できるかなみたいな感じだったんですか
えっと
まだ真剣が取れないっていう
のがまず一つありますよね
少なくとも
あとやっぱそのぐらいから結構変わってったのが
パパとママともが増えていったのもあって
結構ガス抜きができるようになった
夜飲み行って
話して
やったらねみたいなことが
割と短く言えるようになって
それが2年ぐらいですよね多分
でもずっと嫌だ嫌だって
いう話をして
家のことはとりあえず全部終えて
洗濯はとにかく僕はしないので
妻が洋服屋だからね
洗い方に
こだわりが
こだわりが超強いし
えっと
どんだけやり方を聞いても分かんないというか
めちゃめちゃ難しい
よく分かんないんですよ
とにかく
だから洗濯表示とかあるじゃないですか
ありますね
見たことないですけど
ちゃんと見るんですね
妻はもちろん見るし
見た上で
記事触ってこの記事はそうじゃない
って言って
違うんですよ
そういうのは
正直分からなすぎると
だからこれはこれで洗って
これはこれで洗ってって言われるから
そういう風にやるんだけど
でも違う第三の出てきたやつ
どうやって洗うんだろうみたいな
分かんないですね
そういうのしょっちゅう怒られたみたいな
なんで分かんないの
分かるわけないでしょ
俺記事触ってこれが何入ってるか
分かんないよみたいな
こだわりがあったんですね
こだわりというかだから分かって当然だと
彼女は思ってるし
それもやって当たり前なんだ
このぐらいだから服はこういう風に洗わなきゃいけない
これは手洗いだし
これはアクロンだしみたいな
これは常識なんですね
なんであんたその常識まで
たどり着かないわけみたいな
何度言ったら分かるの
何度言われても分かんないんだよ
なるほど
それはそうなんですけど
基本的にそういう風にやって
寝て妻も娘も寝て
から飲みに行く
10時ぐらいとか
から飲み行って
仕事も減らしてたから
夜中の仕事は
あと週に1,2回ぐらいしかなかったんで
それはそんなに
で週に2,3回
寝た後に
一人で飲みに行って
口吐いて
その時に結構地元のパパ友だけじゃなくて
地元の人だし
関係ない若い子とか
そういうのとかとも
バーとかで仲良くなったりするじゃないですか
これで地元に友達ができて
すごく気が紛れる
風にはなったんです
それでじゃあちょっと
今すぐ離婚だみたいな風にならなかったわけですね
もうしんどいみたいな
しんどいはしんどいですよ
限界だみたいなまで
ちょっと行かないようになったんですね
なるほど
会ってない時間を長く自分で作ってたので
あえて顔合わせないように
するとか
夫婦関係の変化
業務的なことではもちろん一緒にやるけど
家の中で顔合わせないようにしたりとかしてたんですか
そこまではしてないです
家の中では普通にご飯作ってたらいるし
会話とかはどういう会話だったんですか
会話は極めて普通の
普通のってどういう
必要の
必要最低限
事務連絡というか
事務連絡ですね
これ面白いよあれ面白いよみたいな
雑談みたいなものはほぼない
お疲れ様とかそういうのもあるんですか
もちろんお帰りなさいはいるし
でも今日どうだったのとかは別に聞かないし
なるほど
本当になんか
必要最低限の挨拶だけだったんですね
挨拶と
保育園で明日これがあるからこれやっといてとか
こういう風な
今週末保育園こういう流れ
だからこういう風になります
事務連絡ですね
だからよく聞く
奥さんがそういう話しかしてないみたいな
言いますね
あれあれと思って
超わかると思って
なるほど
2011年
2011年になるわけですか
そうですね
そこで東日本大震災が起きて
そこで
全てがガラッと変わる
何があったんですか
えっと
はいということで今回はここまでとなります
ジョージさんのお話は
次週へと続きます
アドラーシーネガクの応用
震災の後にお二人に何があったのか
夫婦関係はどうやって改善していったのか
そして
後編の最後の方では
ジョージさんがやられている
アドラーシーネガクですね
アドラーシーネガクを夫婦関係に
どう応用されていったのか
その話も詳しくお話を聞いております
ぜひ次回も
お楽しみにお待ちください
ということで今回も最後までありがとうございました
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ではまた次回お会いしましょう
さようなら
49:11

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