こんにちは、夫婦関係学ラジオパーソナリティのアツです。このポッドキャストでは、様々な夫婦の葛藤をサバイブするためのナレッジをお伝えしてきます。
今回もですね、前回に引き続き、杉山錠士さんをお招きし、震災の後にお二人の夫婦関係がどのように改善していったのか、そして錠士さんがアドラシン理学を夫婦関係にどう応用されているのか、詳しくお話を伺ってきます。
ではどうぞ。
2011年になるわけですか?
そうですね。そこで東日本大震災が起きて、そこですべてがガラッと変わる。
何があったんですか?
被災した状況が2時46分、14時46分なんですけど、3月11日の金曜日の14時46分なんですね。
僕は生放送中だったんですよ。東京のラジオ局で。
東京だったんですけど、ただやっぱりビルの割と上の方だったりっていうのもあって、すごかったんですよ。
揺れたんですね。
すごい揺れたし、たまたまその番組が地方にもネットしてて、繋がってて。
本当になんでしょうね、とにかく大変なことになってるっていうのは、報道の場所にいたからよくわかるんですよ。
隣が報道局があったから、報道にバンバン入ってくるじゃないですか。
そうですよね。
その入ってきた情報を生放送中なので、報道から受け取った原稿をスタジオまで運んで、
行く途中でロビーとか振って喋り手に渡してみたいな。
なるほど。じゃあ現場の採点線が全部入ってきたってことですね。
そうです。僕らのやってた番組が夕方の4時までだったので、その1時間ちょっとの間はずっとそういうのをやってて、
とにかくこっから多分交通が麻痺する。もうほぼ麻痺してたんだけど、麻痺するから終わったスタッフを早く帰れっていう指令が出て、
その日車だったんですよ。いつもそこまで車で行ってたんで。
それで喋り手の人も来てたから、喋り手の人を途中まで送って行って、僕は車で家帰って、
その時は妻はもちろん会社で、長女は学校にいたんです。まだ授業終わってなかったのかなっていう状況で。
だけど当時やっぱりまだ携帯はあったけど、そこまでスマホとかではないので。
ガラケー時代ですね。
ガラケー時代ですね。だから割とみんな連絡つかないんですよね。
ああ思い出しましたね。全然電話繋がなかったですね。
電話は一切繋がなかったです。
全然ダメでしたね。確かに。ネットも繋がらないわ、電話も繋がらないわでした。
でもネットは繋がったんですよ。
繋がってたんですね。
そう。だからツイッターが始まったばっかりぐらいの頃っていうか、2011年はちょっと動いてたぐらいで。
割とパパ友の中に何人かいたんですよ。ツイッターに。
確かにツイッターはすごい拡散してましたね。当時。
だからツイッターでパパ同士は何人かだけ連絡が取れて、たまたま近くで働いてたのがいたから、今から戻るからみんな見てくるみたいな感じで。
で見に行ってくれて、全員いる大丈夫みたいな。
学校はそんなに慌ててないから落ち着いて大丈夫みたいなとか連絡がツイッターで来て。
で家帰って、そしたら家帰ったら妻の実家が今近くなのでおばあちゃんが来ててくれて、で娘が寝ててみたいな。
まだ全然早かったんだけど、やっぱさすがに怖かったみたいで、ちょっと怖がってたけど寝ちゃったみたいな感じで。
っていう感じだったんですよ。でおばあちゃん帰るって言って、ありがとうございました。
でいよいよ妻じゃないですか。でも妻と全然連絡が取れない。でもそしたら家電話通じたんですよ。
家電話置いてあったんですね。
だからなんかそれで会社から電話かかってきて、別に大丈夫だからみたいな感じでいうのになって。
でただなんか、とにかく僕車いつも乗ってるのわかってるから、お買いに来てよみたいな。
早くみたいな感じで。
交通巻きって。
みんないるからさ、どうせなら車で来てみんな送ってってよみたいな感じになって。
あーこれまだ娘家に置いとくのかと思って。でおばあちゃんもなんか行ってもいいよとかっていう話になって。
じゃあ行ってきますみたいな出たらやっぱもう交通巻きだって。全然進まない。
ですぐ戻ってきて、で妻の会社電話してどうしたのみたいになったから、いやもうさ、無理だよ。行けないよって言ったらなんでみたいな感じなんですよ。
で交通巻きしてるし、もうだから全然車が動かないんだって言っても、あーそうなんだみたいな。
あっさりしてますね。
あっさりしてて。でなんだろうと思って、そっかじゃあ向かいに来れないねって言うからもうさ、歩いて、距離にして3、4キロだったんです。会社まで。
めちゃくちゃ遠くはないですね。
遠くないから、あのさ、お前いい大人なんだから帰ってこいよって。
そうっすよね。歩けばいいんですね。
で他の人がどうか知らんけど、お前帰れんだから帰れよっていう話をしたら、あっそうだね、じゃあ帰るわって帰ってきたんですよ。
でそれがすごい拍子抜けで、なんか今までって色々こうすぐにやってよやってよとかってやった時に、もう断れなかったんですよ多分僕が。勝手に抱えてたっていうか。
例えばどういうことが断れなかったんですか?
ご飯とかも、なんかこれ作ってよとかって言われた時に、いや無理だよ今できないよって言えば済んだ話だったのかもしれないけど、それを答えなきゃいけないって僕は思ってしまったりとか、なんか変に妻に気を使ってた。
全部受けてたんですか?
全部受けてたりとか感じだったりしてたのが、なんかあれ?と思って、なんかもしかしたら過剰に気を使ってたのは俺かもしれんみたいな感じになって、でそれがほんとそうですね、ほんとものすごい拍子抜けして。
それ全然今まで聞かずかなかった?
聞かずかなかったですね。
それ全部できちゃったからってことですか?
できちゃったというよりはもうファーストチョイスがやるだったので、だからいろいろ例えばじゃああの会社雨降ってるから会社送ってってよみたいな感じの時でも、なんかあーわかったみたいな感じで、その後ちょっと行って帰ってくるとやっぱ時間かかるから、仕事がすごい急遽になったりもするけど、まあ行けないわけじゃないし、
ここで行かないとまたなんかうるさいだろうし、勝手に思ってやってたんだけど、無理だよって言ったら、それでじゃあいいよ、じゃあ普通に行ってくるわみたいな、で済んだタイプの人だったんですよ。
じゃあ初めて無理だよって言ったタイミングだったんですか?
そうですね、割とそうかもしれない。だからどっちかっていうとその後どんどんいろいろ紐解かれていくんだけど、僕はその考え方が好きとは言えないし同意はできないんだけど、妻の場合、自分でやるのがとにかく面倒くさいって思うタイプの人なので、ファーストチョイスが人に頼むことなんですよ。
そういう性格的にそうなんですね。
だから本当どうでもいいんだけど、例えばティッシュとかあるじゃないですか、家で。で、ちょっとティッシュ取ってって言うのからスタートなんですよ。
自分が取りに行けるかどうかは別なんですよ。
まずは人にちょっとやってもらおうかなって。
人にちょっとやってもらって聞いて、ダメだったら自分で行くからっていう。だから僕は全く逆の考えで、自分でできないから人に頼むと思ってるんですよ。
その奥さんの性格が分かるまで11年かかってましたね。
11年かかったというよりは、多分最初の時の心地よさっていうのは、おそらくあんまり気にしないで、みんな無理だよとか散々言ってたと思うんですよ。
結婚してそのパニック状態とかの時期に、とにかく気を使い始めちゃって、その気を使いが多分ずっと繋がって、この人の言ってることは全部叶えないとこの人不機嫌になるみたいな感じでやっぱすごい捉えてて。でもそれはもう実は終わってたっていう。
なるほどですね。そっか。その時期はそっか。生まれたばっかりの時はそうだったわけですもんね。
長女探検は2004年だから7年後ってことですね。
本当にちょうど7年って感じですね。それでやっぱりやっと歩いて帰ってきて、大変だったねみたいな久しぶりにする普通の話ですよ。
お疲れ様みたいな。
お疲れ様みたいなので、今日また飲みに行くのはさすがにやってないでしょうみたいな感じの話をしてて。
飲みに行くのもあんまり嫁さんは知ってたけど、あんまりそれに対して何も言ってなかったし、嫁さんは飲まないので一切。だから楽しそうだねみたいな。
それは別に嫌でもなんでもなかったんですか?奥さんとしては。
後で聞いたら嫌な部分もあったと思うんですけど、でもその方が上手くいくというか、感じの捉え方だったみたいな。
なるほどなるほど。
今日も行くの?みたいな。いやもうさすがにちょっと。あと余震怖いしみたいな。余震が起きた時に俺一人飲み屋ってやばくないって話になってて。
そうだねって。
で、そっからだからずっと会社明日から休みってかしばらく行かないでいいみたいになったよって。
で、僕も当然行けないし、泊まってるし。でも、いつ呼ばれるかわかんないからずっとテレビも見てなきゃいけないし、
最新情報だけは入れとかないと、また報道のところに呼ばれた時に何にもできないのは恥ずかしいので。
だから一日中その津波の映像を見てるわけですよ。
もうちょっと頭おかしくなってるんですよ。
多分なってたんだと思うんですよ。
で、結構すごいショック状態が。
で、しかも僕がやってたラジオが流れてたのが福島とかだったので。
なんかもうちょっとこうしんどいっていう感じの。
原発の。
福島とあとだから岩手も流れてたのかな。
それそっち側にたまたま流れてて。
なんかすごいこう映像で見るとああーっていう感じだったんですけど。
で、結局2人とも家にいる。
娘も当然いるっていう状態で。
で、スーパーとか普通に動いてたので。
買い物行ってご飯買ってきて。
3人でずっと談覧みたいな。
それは本当になんだろう。
本当に久しぶりにちゃんとした会話もするし、
ちゃんとご飯になるみたいな。
だからその1回の帰ってこいよっていう。
一人で帰ってこいよみたいなところで吹っ切れたとこもあるから。
全然あれ撮ってみたいな。お前の方が近いじゃんっつって。
撮んなよっつっていう話で。
とか言えるようになってね。
すごいですね。つき物落ちたみたいな感じで。
いいや、もう気づかなくていいやみたいな感じになってるから。
それがやっぱり楽だったし。
で、話してて。
で、その時に結構、家で僕は飲んでるから飲みながら話してると
いろいろ出てくるじゃん。
あれすっごい腹立ったんだよね。
あれは本当に嫌だったとか、すごいそういうのボロボロ言ってたんだけど
ああ、あれねみたいな感じで。
で、あれはねって言って説明してくれるんですよ。
だから例えばその、えっと何だっけ、さっき言ってた。
堅くなにずっと仕事を頑張ってたっていうのが
象徴的な出来事として
1個あったのが
ある時、保育園から娘を迎えに行って
家族3人で帰ってくるって、たまたまそういう日があったんですけど
なんか分かんないけど娘が珍しくダダをこねたんですよ。
ダダこねて神社の前のところで
急に横になっちゃったりとかして
抱っこして抱っこしてみたいな。
抱っこしたよみたいになっちゃって。
で、それが僕じゃなくて
ママ、久しぶりに来るというかたまにしか来ないママだったから
ママにそんな感じになっちゃった時に
今日はそういう服じゃないから無理ってことだったんですよ。